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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2019/03/12(火)   CATEGORY: 未分類
なぜダライラマの言葉は心に響き続けるのか
アメリカのニュース雑誌『タイム』は2019年3月、三度ダライラマを表紙に掲げ、亡命60年目のダライラマインタビューを掲載した。原文はこちらです。あまりにも長いので途中から根気がつきましたので、正確に読みたい方は原文を参照してください。
本エントリーのタイトルはタイム誌の總タイトルからとったものです。

ダライラマは60年間仏教の顔であり続けた 中国はそれを変えたい。
                                      『タイム』2019年3月7日


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一面ヒマラヤ杉に覆われた小さな丘に朝が訪れた。ダライラマ14世猊下はダラムサラにある自室の仏殿で瞑想している。ダラムサラは北インドのカングラ渓谷の上流に建設されたぼろぼろの町だ。ゆっくりと瞑想から立ち上がりながら、法王は83才にしては素早い動きで足をのばした。そして座の下におかれた赤いフェルトのスリッパをみつけ、[彼と謁見すべく]外に集まりつつある群衆に目を向けた。

約300 人が法王にカター(拝礼に際して捧げる白いスカーフ状の布)を捧げて加持を受けようと二月の寒さをものともせずにそこにいた。伝統的な民族衣装をまとったブータンからの一団がいる。タイから来た男はイギリスのサッカーチームに優勝をもたらしてくれるよう聖なる祝福をえるために、リヴァプールF.C. のスカーフをもってきていた。二人の女性はダライラマの王座に近づくや感極まってこきざみにふるえながら數珠をつまぐりながら経文をとなえた。

ダライラマは大きな子供のようであった。つまり、頭のてっぺんを叩いたり、お下げ髪をひっぱったり、鼻をつまんだりして訪問者に対していた。会話はくすくす笑いや大笑いに満ちていた。


 ダライラマは『タイム』誌の90分インタビューの中で
「我々70億人の人間は感情的にも精神的にも肉体的にも同じである。みな幸せな生活を欲っしている」という。

 ダライラマの人生は臨界点に達している。彼は慈悲の顕現、観音菩薩の化身と考えられている。観音とは人類を救済するために涅槃に入ることをあえてやめた存在である。「ダライラマ」号はもとはチベットの最高位の僧を意味していた。チベットとはヒマラヤの彼方に隠れたテキサス州の二倍の広さをもつ遠い国である。

 しかし、17世紀、「ダライラマ(5世)」はこの秘密の国の政治的な絶対権力も握った。ダライラマ政権は毛沢東のチベット征服とともに変質し、現ダライラマ14世の統治は終わりを迎えた。1959年3月17日、ダライラマはインドへの亡命を余儀なくされた。

 以来60年の間、世界でもっとも孤立した民族の指導者は、世界で五億人近くが実践している宗教(仏教)のもっとも有名な顔となった。のみならず、彼の知名度は彼自身の信仰の領域を越え、仏教徒が保証を与えたマインドフルネスや瞑想のような、世界でさらに数億人に浸透した多くの実修法にまで及んでいる。さらに、子供の頃に「神王」と名付けられた貧しい農家の息子は、亡命後は西洋人にも帰依されている。1989年にはノーベル平和賞を受賞し、マーチン・スコセッシ監督が1997年に作成した自伝映画『クンドゥン』によって公的に評価されている。

 [ハリウッド俳優]リチャード・ギア、[ミュージシャンの]ビースティー・ボーイズや下院議長のナンシー・ペロシ氏などの「ダライラマは世界中の数億の人々の希望の使者」と称える支持者たちのおかげで、チベットの自治問題は西洋人の心から常に忘れさられることはない。

 しかし、ダライラマは老年に達し、旅行はより困難になってきている。中国の影響力は増し、ダライラマの影響力には陰りが見えてきている。今日、チベットからダライラマを追い出した中国共産党は、ダライラマの継承プロセスと仏教の教義などを取り入れることに着手している。

 表向きは無神論の共産党は資本主義ばかりか宗教にも順応している。彼らは習近平の下で北京政府が活発化させている漢人ナショナリズムの信仰の家を提唱している。一月、中国共産党は五年かけて仏教を漢化することを宣言した。何億$も投じて古代中国の宗教として信仰をブランド再生するのだ。

パキスタンからミャンマーに至るまでチャイナ・マネーは古代の仏教の聖地を活性化させ、仏教学を推進してきた。北京政府は30億$を投じて、釈尊の生まれたネパールのルンピニーの町を、空港、ホテル、コンベンションセンター、寺、大学のそなわった豪華な巡礼地へと変身させてきた。中国は2006年以後、世界仏教フォーラムを主催し、世界中から僧を招待している。

もちろん、世界でもっとも有名なダライラマを除いてであるが。北京政府はいまなおダライラマを脅威とみなしており、彼をもてなした国は即座に非難の対象とする。そしてその恫喝は効果を発揮しており、かつては世界中の都市で歓待されていたのが、2016年以後、ダライラマは世界の指導者たちと面会をしていない。

 ダライラマと約十万人のチベット人の亡命を受け入れたインドですら、チベット蜂起記念日60周年の記念日に「現在北京との関係が微妙である」ことを理由に代表を送っていない。ジョージ・ブッシュ大統領以後ドナルド・トランプに至るまで、すべてのアメリカ大統領はあえてダライラマと会見してきた。トランプは中国の国家統制経済を改革することについて議論する中で、ダライラマと会見している。

 今なおダライラマは故郷への帰還を望んでいる。いくら著名なセレブの友人たちがいようとも、彼は帰郷を望む一人の人間であり、主を奪われた民の指導者なのである。2011年に亡命社会の政治の長の地位からは退いたものの、彼は単純に中国内にある聖地の巡礼を希望しており、『タイム』にも「私は心から中国の仏教徒に尽くしたい」と語っている。

 にもかかわらず、中国共産党はダライラマを「僧衣を着た狼」、中国の官僚が言うように危険な「分裂主義者」と認識している。しかしダライラマは「いかなる合意もチベットを中華人民共和国内にどとめなければならない」という地政学的な現実を認識しつつ、1974年以後「独立」要求を停止している。ダライラマは完全独立にかえて、「高度な自治、宗教・文化的な自由」を要求している。それはたいした問題ではない。

 コロンビア大学のチベット学の教授グレイ・タトルは「この点に返答がなされることは考え難いです。すべてのカードを中国が握っている。」と言う。
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先代ダライラマ13世の側近であるチベットの高僧たちが、一連の神託や予言に従って東北チベットの村にやってきた時、ラモトンドゥプという二歳の男児は先代ダライラマ13世の転生者に認定された。
 早熟なよちよち歩きの子供はダライラマ13世の遺品を認識し、自らを先代の後継者であると宣言するように高僧たちに促した。四才になると彼は黄金の神輿にゆられてチベットの都ラサにおくられ、まばゆいポタラ宮の玉座にすえられた。そして毎日最高の学者たちから仏教の教学を学ぶこととなった。

ダライラマは笑いながら「時々、先生は私を鞭で脅した。鞭は聖なる人に用いるいうことで黄色であったが、いったん鞭がふるわれたら聖であろうが俗であろうが痛いことに変わりはなかった」と回想している。

孤独な子供時代であった。両親にもめったに逢えず、同世代の子供との接触も、家長となった兄のロプサンサムテンを除いては許されていなかった。先生たちは仏教に重点を置いていたが、たぶんそのせいで、ダライラマは科学や技術に魅力を感じた。彼は映写機やカメラをその構造を知るために分解しては組み立て直した。オーストリアの登山家ハインリッヒ・ハラーは「ダライラマはその理解力、根気強さ、勤勉さで私を驚かせ続けた」と『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の中で記している。ハラーは当時ラサに居住することを許された六人のヨーロッパ人の一人であり、ダライラマの家庭教師も務めていた。今日なお、ダライラマは「半分、仏教、残り半分は科学者」と誇らしげに自称している。

 かつてのダライラマは18才の誕生日に政治権力を握り、それ以前は摂政が統治することになっていたが、毛沢東の軍隊がやってきてチベットを領土主張したことにより、チベット政府はわずか十五歳でダライラマ14世に全権を奉還することとなった。彼は忠実ではあるが装備の貧弱な国民をなだめながら、侵略軍と交渉するという事態に投げ込まれたのである。

 状況は占領軍が到来してからの9年間でさらに悪化した。中国の宣言文が仏陀を「反動的」と称したことは、270万の敬虔な民を怒らせ、1959年3月にはダライラマが拉致される、暗殺されるという噂が広まり、それが深刻な流血の事態をひきおこした有名な運命の蜂起をもたらした。「ポタラ宮の前の川の対岸に中国の砲台があり、それまでは大砲にカバーがかけられていたが、15日から16日にかけてカバーがはずされた。だから、われわれは事態の深刻さを覚り、17日の朝、私は脱出を決意した。」ダライラマはこう回想した。

二週間にわたるインドへの旅は緊張感に満ちていた。世界でもっとも過酷な自然の中にある高原を横切って中国軍が一行をハンティングしていたからである。ダライラマはヤクと牛の混血種であるゾの背中にのって未知のインドへと到着した。ダライラマが旅の途上で宿とした建物はすぐに仏殿に変えられた。しかし、彼がとおった場所は毛沢東のひきおこした災害規模の大躍進政策と文化大革命によって草木も生えない状態にされた。何十万人もが死んだ。そして、ある統計によれば、全体の99.9%にあたる6400の僧院が破壊された。

 チベット人は他者との接触を断ち、放っておいてもらいたいと思っていたが、それが非常に悪く作用した。ダライラマの王国は同盟国をもたず、ラサ政府はいかなる他国とも公的な外交関係を樹立せず、国際機関に参加を表明もしていなかった。ダライラマの嘆願はたやすく無視された。チベットは第二次世界大戦中誠実に中立をまもり、アメリカは朝鮮半島でおきたばかりの軍事衝突(朝鮮戦争)にはまりこんでいた。

ダライラマはこういう。「[初代インドの首相]パンディット・ネルーはこういったよ『アメリカはチベットを解放するために中国の共産党員とは戦わないよ。遅かれ早かれあなたは中国政府と対話しなければならない』」


ダライラマに従ってインドに逃げたチベット人たちは固定した家屋をたてず、荷ほどきしないままだった。なぜならか彼らはすぐに祖国に凱旋できると信じていたからである。しかしそうはならなかった。

 中国と亡命チベット政府の間で行われたそれから40年にわたる「対話」は何も結果を生まなかったのである。1970年代にダライラマ特使と改革解放派の鄧小平との間でおためごかしの「対話」が始まり、それは鄧小平の後継者江沢民に引き継がれた。「対話」はチベットの独立を議題にしないことを要求し、さらに、そのダラダラ続く協議は1994年に一旦停止し、2000年代に一時再開し再び今足踏み状態である。

この間、チベットは北京政府のいいなりである。国際連合の人権高等弁務官は「事態はこの地域で急速に悪化している」と嘆く。五月、チベット人ビジネスマン、タシワンチュクが単にチベット語の学習を推奨したという罪で五年の刑を宣告された。十二月には政府は僧院内でチベット語やチベット文化を教えることを禁じる指示を出した。かつては「神々のすまい」と称されたラサの町はいまや中国の他の都市と同じくネオンとコンクリートの建物がひしめく雑然とした町になりはてている。アメリカ合衆国は公式にはチベットは中国の一部であると承認しつつも、副大統領のペンスは七月「チベットの人々が中国政府に残忍に抑圧されている」と述べている。
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多くがチベットの文化と宗教の自由は北京政府によって攻撃にさらされていると証言している。チベット人のあるものは彼らの扱いに抗議するべく極端な手法に訴えた。2009年以来、150人以上の僧、尼僧、一般市民のチベット人が焼身抗議を行っている。焼身抗議者はしばしば今際の際に最後の力をふりしぼってダライラマを称える。ダライラマは非暴力を提唱しているにも拘わらず、この抗議のやり方を批判しないと批判されているが、ダライラマはこういう

「難しい状況です。もし私が焼身抗議者を非難すればその家族は悲しいでしょう。しかし、彼らの犠牲は何の効果も生まないし問題をより大きくするだけです」



 北京政府はチベットにおける人権侵害の誹りを全力で否定している。かれらはチベット人の宗教・文化を完璧に尊重していると主張し、いかに孤立し貧しいチベットの生活水準をあげたかを強調する。ある公的な数字に基づくと、中国は主要な僧院と聖地を刷新するために4・5億$をつぎ込んでおり、2023年までに2.9億$の予算を組んでいる。600万チベット人の繁栄を促進するために、新しい空港、世界有数の高山を貫通する高速道路などを建設する970億$相当の大規模なインフラ整備計画にも世界第二位の経済大国(中国)はゴーサインをだしている。
 
 このレベルの投資は亡命チベット人にジレンマを与えている。亡命者の大半はインドに「特別な客」として住んでおり、働くこともできるし教育を受けることもできるが、重要なこととして不動産を購入できない。多くの難民は道路工事や、観光客あいてにアクセサリーを売るなどの劣悪な仕事で疲弊している。そして多くのチベット人の若者は彼らのまだみぬ故郷に魅せられ、故郷に戻ることを選択し始めている。ダラムサラの「ラ」NGOの長であるドルジキは「もし子供達に安全で安心な未来を望むのなら、チベットにもどるか、市民権の得られるどこかの国にいくしかない」という。
 
 本土への帰還者たちの多くはチベットで育ったチベット人よりも高度な教育と外国での体験で武装している。「チベット子供村」(インド在住の52000人の若いチベット人をケアする五つの孤児院と八つの学校のネットワーク)の校長ツェテンドルジェは「彼らのうち何人かはうまくやっています。ただし、彼らが政治に巻き込まれたなら、トラブルがおきます」という。

チベットはなおダラムサラに亡命政権、中央チベット政府(CTA) を有しているものの、内紛とスキャンダルがつきまとっている。亡命者は自身の道を構築しつつある。昨年九月、ダライラマはダラムサラの寺院で撮影された映像の中で若いチベット人にむけてこう語った。

「亡命の地にあって乞食として生きるくらいなら、北京政府の統治の下で生きた方がいい」

『タイム』に向けても彼はこういう。

「亡命チベット人が中国に戻ることを選んでも、ノープロブレムだよ」

他国で成功したチベット人でも帰還を望む者はいる。ソンツェンギャスル(45) は亡命第一世代の両親が手に入れたスイスの土地を売り、中国のシャングリラ・クラフトビールの醸造所を2014年にたちあげた。今日、彼の醸造所は受賞歴をもち、年間、260万ガロンのラガー、エール、ポーターを醸造する能力をもつ。彼は母親がチベット地域で1990年代に立ち上げた孤児院の職員の80%を採用した。「チベットはここに住むひとたちにインパクトを与えることのできる外国で高い教育を受け、よく訓練されたプロをたくさん擁している」



『失われた地平線』ではかつてのチベットは精神的で農業ベースのユートピアに描かれていたが、チベット王国は決してユートピアではなかった。大半の住民はホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の世界を生きていた。貴族は七段階にランクづけされ、その最高位はダライラマ一人であった。一般人は教育の類いは施されず、近代的な医学、とくに外科が禁じられていたため、小さな傷でも命取りになった。病人は大麦の粉、バター、高僧の尿をまぜあわせた粥で看病され、平均寿命は36才であった。犯罪者は手足を切断され、煮立ったバターによって焼かれた。通行可能な道路が少ないため、車輪ですら広く用いられることはなかった。

 ダライラマも「チベットはすごく、すごく、遅れていた。」と認め、「だから、改革を行うはずであった」という。しかし、彼はまた伝統的なチベット人の生活は現在よりもずっと自然に叶っていたとも強調する。チベットは南極・北極を除き、世界でもっとも多くの淡水を保持している。そのため、環境問題専門家はチベットを特に北京政府がひきおこす息が詰まるような開発によって被害を受けやすい「第三極」と名付けている。

 ダライラマはいう。「地球温暖化はこの大陸、あの大陸、この国、あの国とか関係なしに進行している。」このさしせまった危機は誰の責任かと問われると、ダライラマは北京でなくワシントンを名指しした。

「アメリカは自由世界の盟主として地球規模の問題にもっと真剣に取り組むべきだ」


ダライラマ個人はさわやかでものおじしない人である。よく笑い、突き出た耳は彼をとても無害で可愛く見せている。いかに彼が人に触りたがるかは筆舌に尽くしがたい。彼は精神的にも肉体的にも、伝統的にも近代的にも等しくくつろいでみえる。iPad にさらさら流れる川と山の映像をうつしだして瞑想したかと思えば、二三分後にはチベット語の伝統的な経典をめくっている。夕方六時にひきあげ、朝は午前四時におきてまず朝の数時間を瞑想して過ごす。

 「西洋文明はアメリカも含めて物質的な生活を指向しすぎている。しかし、そのような文化はたくさんのストレス、不安、嫉妬などをうみだしている。だから、私はいま一番「内なる価値」(精神的な価値) を育むことを推進することに注力している。幼稚園から子供たちは感情のコントロールの仕方をもっと教わるべきである。宗教のあるなしに係わらず、破壊的な感情と立ち向かい、より穏やかで、より内なる平和を得た人になれるよう、人として我々はもっと感情の構造を学ぶべきである。」


 彼が第二に傾注しているのは各宗教間の調和である。中東の混迷はイスラム世界における分派間の抗争を伴っている。
「イランは主にシーア派であり、サウジアラビアと彼らのお金はスンニー派である。これが問題だ。なんと心が狭いのか」と嘆き、あらゆる宗教の信奉者たちがもっと思考を「広げる」ように勧める。

仏教にも過激派はいる。仏教の主題は、唯一神をもたない無神論として調和と精神的な清潔性を強調することにより、他の信仰をもつものもガチガチの無神論者もアクセスしやすいものである。しかし、アジテーターの僧侶がムスリムのロヒンギャの虐殺を促しているミャンマーの状況について、ダライラマは「悲しいことだ」という。

「あらゆる宗教は人に対する慈しみを育む伝統を内包している。なのに彼らは暴力と分裂を引き起こしている。」

ダライラマは地球規模の問題にも鋭い目を向けており、積極的に発言している。トランプ大統領の「アメリカ第一主義」の外交政策とアメリカの南国境における壁建設のこだわりは、ダライラマを「不快」にさせている。ダライラマはメキシコはアメリカの良き隣人と呼び、さしせまるイギリスのブレグジットも叱責の対象である。ダライラマは常にEUを賞賛している。


 九十才が近くなり、おつきのもの助けをかりながら歩きつつ、ダライラマは人の意識を探り、みなが当たり前と感じていることに疑問を呈し続けている。チベット暦新年にあたる西暦の二月に、ダライラマは人工知能から生じる問題、宗教のドグマに何も考えずに従うことについて「人工知能は決して人の心にはかなわない」と語っている。

ダライラマは釈尊ですらこう言っているという。
「私の教えを無条件に信じるのではなく、綿密に精査し、もし理性に照らして問題があるなら、私の教えであっても受け入れてはならない。」

 これはダライラマ自身の主張とも一致している。まだ少年だった時でもダライラマは科学的な心に導かれ、自分が神王の十四代目の化身であることに疑義を呈していた。ダライラマの師は、「先代のダライラマはとても馬が好きだったのに、当代がとくに馬好きでないことはおかしい」と、回想している。

 そして今、成長したダライラマは彼の存在を定義づけているダライラマ制は本質的に封建的であると言い、彼は自分が死んだ時、精神的な要素はさておき、政治的な権威は付与されるべきではないという。

 ダライラマは言う。「ダライラマ制はある時点にはじまった。それは制度が今日的な意味をもたなくなる時がくることも意味している。やめてもノーブロブレムだよ。私はダライラマ制に関心はないよ。私より中国共産党の方がより関心をもっているんじゃないか。」

 たしかに共産党はダライラマの継承に興味津々である。亡命社会に打撃を与えるために、中国はチベット仏教の指導者を共産党関係者にすることに着手し始めている。ダライラマが1995年に一人のチベット人の少年をパンチェンラマ(ダライラマにつぐ権威をもつ高僧)の転生者に指名すると、中国当局は少年を「保護観察」下におき、いいなりになる人物を代わりにすえた。ダライラマの指名した少年がどこにいるのかは今もって分からない。

 従って、ダライラマがもしこの世を去る時がきたならば、15世ダライラマを無神論の中国共産党が選定することは大いにありうることなのである。

前述のタトル教授はこういう「中国がそのために準備していることは明白です。馬鹿馬鹿しいことですが。」
チベット仏教の信徒は亡命政府の選んだダライラマと共産党の選んだダライラマのどちらに従うのかの選択を迫られるであろう。この点について当代のダライラマの意見ははっきりしている。
「次のダライラマに関するいかなる決定も、すべてチベット人の手に委ねられている」


疑いなく、共産党がダライラマを指名したいという願望は中国に2.4億人の仏教徒がいるという事実から生じている。仏教徒の数と共産党員の数は三対一で仏教徒の方が多い。共産党はこの力を法律によって縛ることを熱望しており、仏教徒をダライラマ制に結びつけることによってそれが実現すると信じている。それが「チベット自治」を象徴的に葬りさり、70年前にはじまった中華人民共和国によるチベットの完全吸収を完遂させると北京政府は期待している。

従って、皮肉なことに、当代の神王の希望は結果として叶うことになるだろう。いつかダライラマは中国へ帰ることになるだろう。当代の体でか、次代の体でか、そこに祝福があるかないかは分からないが。
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DATE: 2019/03/11(月)   CATEGORY: 未分類
60年目のピースマーチ
チベット人蜂起記念日、60周年だし、最近研究対象を変えて中国に入れなくても痛痒ないものにしたので、気持ちよく顔ガンだしでピースマーチにいく。

 人の多い場所ということで、これまでのマーチは新宿や渋谷が多かったが、2011年に東日本大震災がおきて以後、3月10日前後の土日は反原発デモが繰り広げられるようになり、また、昨年まで利用していた新宿の公園がヘイトデモ対策で利用不可となり、初めての浅草開催となった。しかし、台東区長選挙の公示日と重なり、それも危なかったが、関係各位の努力により頑張って雷門近くの公園となった。

 集合地点の花川戸公園につくと、チベット旗が翻り、交通整理やあんなことの対処のために制服警官・私服警官・公安のみなさまが集まっている。
かんばん

 初めて参加されるYさんは「今そこで目つきの悪い人が人の顔をのぞきこみながらなにやらメモしています。中国のスパイじゃないでしょうか

 私「それたぶん公安。大人しいチベットデモは公安や警察と対立しないので、彼らはむしろ絡んできたり、バセイをあびせてくる人間を制止してくれるありがたい存在です」

 在日チベット人の方々のスピーチが続いた後、コールが配られ、それは英語と日本語で記されている。
 U.N.O.(国際連合! ) と叫ぶと、We want justice (正義を!)とかいう感じ。デモに併走して英・漢・日で記されたチラシも配布される。浅草に集まる外国人観光客や中国人観光客むけにチベット問題を知ってもらうために。 今年は60周年ということもあり、NHKも取材にこられている。

 60周年なので60と書いた喪章も配られる。
 挑発をうけても決して相手にしないようにと注意がされる。

 マーチが公園をでたところで、公園の前にとまっている観光バスが中国人観光客のものであることに気づく。じゃあそのあたりで遠巻きにたっている人たちは中国人かも。せっかく外国に出たのだから、広い世界を知ってくれ。数メートル先には法輪功の人達も垂れ幕もって立っている。知っててきている模様。

 デモは浅草寺を囲む大通りをぐるっと反時計回りに一周するのであるが、最初は休日のオフィス街なので閑散としている。しかし、国際通りに入ると歩道からマーチをみる人の数はふえていき、雷門通りに入るとスカイツリーが正面に現れ、テンションがあがったマーチの参加者はケータイでツリーとチベット旗を写真にとる。
名所

信号でまつたびに女の方にマイクがうつり(とまってる集団が叫ぶとうるさがられるからだろう)、うろ覚えだけど
 
「わたしたちは日本に暮らすチベット人とその支援者です。60年前中国の軍隊に国を奪われ、たくさん殺されました。おばあちゃんたちはチベットに帰りたいといって死んでいきました。私たちは自分たちの子供にチベットを見せてあげられません。チベットには宗教の自由も、教育の自由も、言論の自由もありません。武器をもたないチベット人は自らの体に火をつけて抗議を行い、その数は180人に達しています。私たちに力を貸してください。」と訴えかける。

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 コールは何度もしているうちに覚えて、ノリがよくなっていく。雷門前につくと大量の欧米からの観光客が道路際にならび動画をとっていた。これをちゃんとチベットマーチと認識しているからである。マーチの参加者も雷門を撮影するので、双方がケータイを構えるというイミフな状態。
雷門

 ふと右をみると、浅草名物人力車に仏陀のお面をかぶった人がのっている(写真)。まさにカオス。終点の隅田川公園前について在日チベット人たちがチベット国歌を斉唱して解散。チベット旗は回収されるが喪章は今年しか使えないので各自記念品として持ち帰る。
人力車仏像

 そのあと、チベット人たちはいろいろな集まりにちっていくが、わたしはYさん、Jさん、Oさん、MさんWさんとともに、電気ブラン発祥の地、神谷バーに入る。昼ごはんをたべてまもないので、おやつにしようかとおもったけど、Yさんがつまみを頼んでくださったので、結果昼酒をのむ展開に。
 
 日本を皮切りとして3月10日の日中になると同時に世界中の都市でチベット人デモははじまり、とくにニューヨークのチベットデモはもちろんもりあがったのであったった。
 
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DATE: 2019/03/02(土)   CATEGORY: 未分類
3月のチベット・イベント
今年はダライラマ14世がインドに亡命して60周年にあたる。

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60年前の3月10日、ダライラマ14世を守るためにチベット人が自然発生的に集まり、その群衆が中国軍と対峙したため、ダライラマは流血の事態をさけるために宮殿を脱出し、インドへと亡命した。

 ダライラマが不在となったチベットは中国に完全に制圧され、続く文化大革命期間に徹底的に文化を破壊された。この間の経緯を知りたい方はダライ・ラマ14世の二つの自伝『新版チベット我が祖国』『ダライ・ラマ自伝』、マーチンスコセッシ監督が作成したダライ・ラマの伝記映画『クンドゥン』などがオススメです。

 その後、改革開放路線によって、僧院の再建などは許可されるようになったが、法要や法話や儀式などは厳しく禁止・制限されており、一般のチベット人も漢語の習得を強制され、都市化が伝統的な生活を破壊していくことから、一言で言えば民族の存亡の危機にいたっている。同じことはウイグル地域でもおきている。

このような状況委を受けて、チベット難民社会や世界中のチベット・サポーターは毎年3月10日に、独裁政権下にあって沈黙を強いられているチベット人にかわり、世界の主要都市で平和的デモを開催している。

中国人の大半はチベット人については「野蛮なチベット人を文明化してあげたのだから、チベット人は満足している」と思っている。従って、平和的デモとは、せめて海外にいる漢人や何も知らない人に、目下、歴史と文化が抹殺されつつある一つの民族について、知っていただくことを目的としている。

以下に、その3月10日の記念デモをはじめとして三月に行われるチベット・イベントについまとめてみました。
詳しくはリンク先の主宰者のサイトをご覧ください。


●チベットを知り祈ろう@大阪

3月3日(日)13:00〜
会場: 銭屋ホール(上本町駅すぐ)
映画上映 「雪の下の炎」
昨年末なくなられたパルデンギャツォ師の半生を描いたドキュメンタリーです。
詳細はこちらから


●チベット蜂起記念日60年ピースマーチ
主催: SFT Japan
集合地点: 浅草花戸公園 (台東区花川戸公園) 雷門前を通ります♥️
時間: 13:30〜15:10
サイトはこちらから


●チベット文学と映画制作の現在

3月15日(金)
チベット文学と映画制作の現在

◎チベット短編映画上映会(17:00—19:30)
上映作品
(1) ロテン監督作品「絆」(劇映画、20分、2018年、英語字幕あり)
(2) ヨンデン監督作品「黒板」(劇映画、27分、2018年、英語字幕あり)
(3) 白斌監督作品「狩人と骸骨」(アニメーション映画、26分、2012年、英語字幕あり)
解説:ワンディカル(中央民族大学)、星泉(AA研)

3月16日(土)
◎チベット文学と映画制作の現在〜チベット側からの報告(10:50—15:45)
(1) 星泉(AA研)「開会のことば」
(2) ラシャムジャ(AA研外国人研究員、中国チベット学研究センター)「チベット現代文学の限界性」
(3) ツンポ・トンドゥプ(中央民族大学)「過去10年間のチベットの小説の特徴」
==昼食休憩(12:40-13:40)==
(4) キャプチェン・デトル(チベット文芸ネット)「チベット文学について:チベット文芸ネット運営の経験から」
(5) ワンディカル(中央民族大学)「チベット映画について」
(6) 質疑応答 コメンテーター:
  濱田麻矢(神戸大学)、河本美紀(福岡大学)

3月17日(日)
◎チベット文学と映画制作の現在〜日本側からの報告(10:50—15:45)
(1) 星泉(AA研)「開会のことば」
(2) 海老原志穂(AA研共同研究員、AA研フェロー)「シッキムとラダックの文学」
(3) 星泉(AA研)「英語チベット文学とその周辺」
(4) 鵜戸聡(鹿児島大学)「新しい〈ことば〉を作るーー小さな文学の挑戦と可能性」
==昼食休憩(12:40-13:40)==
(5) 三浦順子(翻訳家)「チベットの妖怪」
(6) 岩田啓介(AA研共同研究員、日本学術振興会/東京外国語大学)「チベットの歴史と呪い」
(7) 質疑応答 コメンテーター:
  田村容子(金城学院大学)、根本裕史(広島大学)、小松原ゆり(明治大学)
閉会(18:00)
詳細はこちらから

ソンタルジャ監督『アラ・チャンソ』(原題《阿拉姜色》)
中国映画祭「電影2019」の会場で3月6日に上映されます。
日程・会場:東京=3月6日(水) 角川シネマ有楽町
    大阪=3月9日(土)、10日(日) 梅田ブルク7
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中国映画祭

 ●大谷寿一監督『チベット 天空の英雄 ケサル大王』
4月12日(金)〜アップリンク吉祥寺において公開。
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ケサル
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DATE: 2019/02/13(水)   CATEGORY: 未分類
高松・徳島弾丸ツアー
初日 高松で菊池寛

二月例によって一泊二日の弾丸ツアーで四国行ってきました。初日は菊池寛記念館で石濱金作の史料を探し、二日目は徳島県立文書館で館長さんより江戸期の庄屋文書の解説を伺い、かつ岡田鴨里文書の扱いについてアドバイスを戴く予定である。
 
 一泊二日なのでできるだけ早く移動するために徳島空港往復で予約したのだが、出発日が雪の予報となり前日に「キャンセル料タダにしてあげるから、考え直すなら今よ」という案内がANAからきた。時間きっちきちで動くので空港で何時間も足止めされたら何もできないので、意を決してキャンセルし新幹線をとる。しかし、岡山までいく「のぞみ」は便がすくなく予約は一杯で、グリーン車しかあいてない。ホテルも取り直すがただのビジネスホテルの素泊まりで15000円。贅沢いってらんないのでこれで手を打つ。

 岡山発高松行きの快速は瀬戸大橋を渡る。知らなかったが、マリンライナーは特急券はいらないが、パノラマ仕様になっている一号車だけは座席指定券がいる。乗ってからわかったので、普通車両だった。発車サイン音は「瀬戸の花嫁」(笑)。源平合戦の瀬戸内の海は超曇天であったが、飛行機では見られない風情は楽しめた。
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 高松につくと直ぐに菊池寛記念館にいき、学芸員のKさんのご案内を伺いながら展示をみせていただく。やろうと思っていた史料集めは事前にKさんがやってくださっていたので、恐縮した。ありがとうございます。
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 菊池寛の家は儒者の家で江戸時代には菊池五山という有名な漢学者もだした家であり、最近その江戸期の文書の整理が終わって太田剛先生が講演され、カタログもできあがっている。
 高松藩と阿波藩はお隣同志で、大正期に菊池寛が文藝春秋を創刊した際に石濱金作も同人となり、初期の頃から寄稿しているため、大正末期の文壇の雰囲気がわかる展示は面白かった。

菊池寛といえば芥川賞・直木賞を創設したことで有名だが、直木賞のもとになったのは直木三十五。

「三十五ってこれまんまさんじゅうごって読むんですね。もちろんペンネームですよね」
Kさん「そうです。30才の時に直木三十と名乗り、年をとるこどに直木三十一、三十二・・・とふやしていったのですが、ある時菊池寛がいい加減フラフラせずに名前を固定しなさいというので、三十五でとまりました」
「直木さんは永遠の三十五歳なんですね。」

また、菊池寛の作品が全部おいてあるコーナーをみると『満鉄外史』とか、四国らしく『十住心論 弘法大師とその宗教』とか、今まで知らなかったけど読んでみたくなる作品が結構ある。

 史料探索の時間がういたので、昔私の授業をとっててくれたMくんが小豆島から会いに来てくれていたので、彼の案内で高松市内にある菊池寛の史蹟をめぐる。

 生家に面した通りは「菊池寛通り」と名付けられ、中央公園には彼の文学碑と立像がある。彼の通っていた小学校や中学は名前が変わったり、別の公共施設になったりしているが、生家をはじめとして高松市の中心部に固まっていたことがわかる。
 
 中でも印象に残ったのは中央公園近くの道バタにある、「父帰る」の一シーンを銅像にしたもの。
 短編なので青空文庫でネットですぐ読めます。読んでからみると像がいっそう味わい深いです。

 あらすじは一言で言えば、借金こさえて子供の学費まで盗んで女と逐電したクズ父親が、事業にも失敗して年を取ってにっちもさっちもいかなくなって、妻と子供たちがくらしている家にズーズーしく戻ってくるという身も蓋もない話だ。

 長男はわずか八歳で父親代わりに弟や妹の世話をすることとなり、苦学して公務員になっている。弟も勉強ができて、妹も働き者で美人なのでいろいろなところから嫁入りの口がかかっているが、母親は「人柄が大事」と自分が結婚相手を大失敗したから慎重になっている。

 そんなところにクズな父親が戻ってくるのである。
こんな顔して。父

当然長男は「おまえぇぇぇぇ~どのツラ下げてもどってこられるんじゃ」(意訳)と怒る。
クズ父「生みの親になんてこというんだ」
長兄「私は母親が築港の海に親子心中しようと飛び込んだ時に死んでいます。」(意訳)
 とまあ、こんな感じに修羅場である。妹と母は兄ちゃんの気持ちはわかるし、さりとて父親もしょぼくれまくっていてかわいそうになってくるしで、どうしていいかわかんないので二人で泣いている。

 とうとう父親は空気を読んでスゴスゴでていくことになるが、それを弟はとめようとしている。
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こんな修羅場を市内の真ん中につくっちゃうなんて、高松の人は人生勉強が物心つく前からできるわね。
 
 それからMくんに見送られつつ徳島行きの特急に見事にのりそこね、高速バスで徳島に向かう。東京でも郊外と郊外を結ぶ線は不便なように、高松・徳島間も不便。高松から岡山、徳島から神戸とかは結構便があるのに。

●二日目 徳島文書館

 翌日は徳島県立文書館の館長先生から江戸期の庄屋坂上家文書の解説を益習の集いの方々とともに伺う。この文書は益習の集いの会員のご家庭から発見されたものである。
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 文書館は元県庁だった建物で、去年長春でみた1930年代のスタイルで建てられている。館長さんにこの建物30年代ですよね、と伺ったらやはり1930年のものだった。最初の徳島県庁は徳島藩の家老屋敷(賀島さんち)を再利用していたそうで、洋風に立て直すために積み立てていたお金が第一次世界大戦でふっとんで、やっと1930年にたったのだという。元々は今の県庁のある場所にたっていたが、老朽化したため、玄関部分を中心に1990年にみかん畑の中につくられたこの文化の森に移築されたのだそうな。
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 館長さん「県庁全部移築してくれてたら、収蔵品の置き場に困ることもなかったのですが」
 
 最初は館長室に通されたのだが、淡路島タマネギとかかいたダンボール箱がいくつも台車の上にのっていて、狭い。行き来につまづいたので

私「これちょっどかしていいですか」とか言ってたら、

始まってみたらその箱の中身が坂上文書だった(笑)。
まだ正式に寄贈していないから、会員の方の家からもってきた時の箱をそのままつかっていたのだ。

 館長さん「昔は文書を整理する時は帳面類と書簡類をまずわけるとかしていましたが、現在は現地秩序は保存ということになっています。たとえ乱雑につっこまれているようでもご先祖が何らかの意図があってそのような順番でいれた可能性もあるからです。」、

 寄贈者
「そんなこと知らないですから、どんどんつめていきました」

 一同「・・・・・・」

 そして、館長先生が箱ごとに文書をだして解説してくださる。江戸期の文書なにぶん崩し字が読めないので、明治期の淡路新報関連の文書を写真にとりまくる。

 別の会員の方は江戸期の南海地震の研究をしているとのことで、それ関係の史料を中心に写真をとっていらっしゃる。

 徳島は実は太平洋岸に向いているので南海トラフ地震があると津波をかぶるのだそうな。徳島には吉野川という大河も流れており、これが暴れ川で収穫前の田んぼがよくやられたのだそう。その点同じ阿波藩でも淡路島は水害がないので、徳島本藩よりもゆたかだったんだそうな。
 
 あと、面白かったのはやはり勤王関係の資料。淡路島の庄屋クラスが勤王の志士の応援を独自にしていたので、京都にいったら長州は桂小五郎に話せばいいとかいう書き付けもあった。三条実美が徳島城下にいた形跡も裏がとれる史料があったという。幕末といえば六代前のご先祖がかいた草莽私記はいつかまじめに読んで見たいが、私の本筋キャリアにはかすりもしないので悩ましいところである。

 そのあと四国大学の太田剛先生を書道展の会場に訪問。昔は書道学科は東の大東文化大学、西の四国大学と二つしかなく、今も四国大学の書道学科には書道を究めようと全国から腕に覚えのある学生があつまってくるとのことで、沖縄の万国津梁の鐘の銘文を書いている沖縄の学生さんやらの作品が並んで見応えがある。

 そのあとは、徳島藩主蜂須賀家のお墓をみに興源寺へいく。太田先生が「入り口が、わかりにくい」とおっしゃっていたけど、ほっそい入り口を入ると、広大な藩主墓所がひろがっている。益習の集いのみなさんは「[淡路島にある]稲田のお殿様のお墓に比べると大きい。やはり藩主さまだねえ」と感心している。
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 興源寺の宗派は臨済宗妙心寺派であり、江戸の蜂須賀家の菩提寺上野にある海禅寺と同じである(私の曾祖父が改葬されるまでここに葬られていた)。江戸後期は墓は儒教形式になり、万年山の斜面に建てられるようになったという。時間がないのでここまでは無理。

 そのあと、県庁内にあるという徳島慶應義塾大学の碑文を探す。実は文書館の館長さんは慶應ボーイで、この碑文の由来に詳しく、もとたっていた場所にローソンができて、ローソンの看板の一部みたいなってこれはひどいということで、県庁に移設したとのこと。

 県庁のはす向かいには確かにローソンがあるけど、もしあのローソンの前にたっていたなら、確かにきっついなと思われる環境であった。なぜなら、碑文がこんな感じの現代芸術なのである。ローソンのロゴの前にあったら、環境彫刻にしかみえん。
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 最近の調査で金作のパパ鐵郎は慶應義塾大学に明治22年に入学していて卒業後のある時点で時事新報社に入社している。まだ福沢諭吉が在世の折である。早稲田をでた私にとってついこの間まで慶應は未知の世界であったが、最近はこうして慶應大学の歴史をたどっているのだから、人生は面白い。ちなみに鐵郎はその後、大隈重信が創刊した報知新聞(後の読売新聞)に移籍している。

そうこうするうちに、日も暮れてきたので、益習の集いの皆さまとは県庁で解散した。

 徳島から神戸まで通しで陸路で旅をするのは思えばこれが初めて。新大阪から新幹線にのったが、徳島藩の藩主は参勤交代の際には徳島から大阪まで船でいってそこから東海道を徒歩で動いたので、県庁前から大阪経由で江戸に戻るこの経路はほぼ一緒。

 昭和も大正も明治も江戸も遠くなり、さらに平成まで終わろうとしている今、かつてはなまなましい記憶であった事件も、客観的な観察対象となっていく。私もかつてなく一族の歴史を、落ち着かない気持ちではなく、穏やかな心で見つめていることに気付く。
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DATE: 2019/02/08(金)   CATEGORY: 未分類
「チベットにおきたことは、あなたの国にもおこりうる」
一月末締め切りの依頼論文が限りなく間に合わなかったため、センゲ首相の来日行事にまったく出られませんでした。しかし、Wくんに頼んでチベットハウスでの2019年1月26日のお話を録音してもらったので、それだけは聞くことができました。
私と同じく諸般の事情で聞けなかった方のために以下センゲ首相のお話を文字に起こしました(文章にする際に多少整理しています)。内輪のお話なのでかなり面白かったです。

みなさんにここ、チベット・ハウスでお話できることを嬉しく思います。今回SFTがこの場を準備して下さったとのことで、SFTの皆様に感謝いたします。日本では活動が始まって十年ということですね。

本日集まってくださったみなさんはチベットにかなり詳しい方達ばかりということで、チベットの現状やダラムサラの政策などについてはみなさんご存じかと思います。またご存じない方でも中央チベット政権のサイトでご覧になれます。そこで、今日は、外国での個人的な体験についてお話させて戴きたいと思います。

Index(国境なき記者団の報道の自由度ランキング)などで報道されていますように、ジャーナリストの方にとってチベットはシリアの次に状況が悪く、世界的にみれば北朝鮮よりもアクセスしにくい地域です。

 今中国の影響力が世界的に高まっており、中国政府は自らに向けられた批判には強硬に反応するようになっています。私は2011年に選挙で選ばれてから、亡命政権のシキョン(首席大臣)の地位についています。政治的な地位ですので、どこの国にいってもその国の要人にあおうとすると中国政府の横やりがはいります。

 私の父は自由を求めて戦った戦士で、私はインドに生まれました。95年以前にはチベット青年会議の一員であり、SFTのメンバーでもありました。その後アメリカで教育をうけました。中国政府はチベット青年会議を「テロリスト」と称し、私をテロリストの組織のメンバーときめつけます。このように、他とつながりを断って孤立させるのが、彼らのやり方です(註 言うまでもないことですが、チベット青年会議はぜんぜんテロなんてやってません)。私はアメリカで16年間くらしていた間に中国人の学者や研究者たちとチベット人たちの会議を七回主催しました。チベットに真の自治をもとめる「中道のアプローチ」を支持しているといっても、彼らは[うそだ、独立したいんだろと]信じようとしません。

 この数年間私に対する対抗策がより強力になってきています。去年南アフリカのある大学の法学部で講演を行おうとしたところ、その会場に中国人の学生が何百人もおしかけて、私の行動の自由を奪い演壇に身あがれないようにし、会場にいた学生も教員も追い出してしまいました。主催者たちはそのあとすぐに別の会場を手配してくださり、出席を予定した七十五%の人は私の話を聞くことができました。

 私が講演を終えたあとも、構内では30人から40人の中国人のかたたちが抗議を続けており、「一つの中国」とか「南アフリカからでていけ」と叫んでいました。すぐそこで抗議をされるという状況でした。そして今みなさんがしているようにカメラで私を撮影している人もたくさんいました。私はそこで「ここで撮られている写真は中国政府に使われるだろう。なるほど中国政府は私の逃げていく様子をとりたいに違いない」と思ったので、ピースサインをしてポーズをきめました。車までおいかけてきた人達にも30秒間ずっとピースしていましたから、あそこで取られた写真はすべてピースサインのはずです。次の日、中国政府は「分離主義者が南アフリカにきた」と報道しましたが、写真はなしでした。

私がピース(勝利のサイン)をしたのには意味があります。これからそれをお話しましょう。

私が昨年11月にカナダのトロントにおいてSFTの主催で大学で講義した時にも中国人学生が5-60人集まって抗議をしました。その時、抗議している人をどうしようかということになり、室内にいれて対話しようということになり、20人くらいが室内にはいってきました。彼らは「自分たちはすべてを知っていて、私が間違っている」と考えていました。私はアメリカにいた16年間、中国人の学生や学者との対話で場数を踏んでいたので、聴衆に中国人がいるととても興奮して嬉しくなります。一人から四つから五つの質問がでてくる状態で一時間以上すばらしい議論ができました。そして議論をしつくした後で中国人の学生も最後は拍手をしてくれました。「チベットでは実はこういうことがおきています」「中道のアプローチというのはこういうものです」としっかりと話せば、中国の人たちはもそれを支持してくれることがよくあります。

 大学で中国人たちが抗議できるということ、それを室内に招いて議論ができるということ、これは言論の自由という点では勝利しているわけです。北京では中国人が政府に抗議することはできませんし、私が北京でチベットのことを話すこともできません。しかし、カナダでは中国人は私に抗議することもできますし、私もチベットのことを話すことができます。お互いに議論ができるということが言論の自由ということであり、民主主義が確立しているという証拠なのです。

 南アフリカで私がピースサインをしたのはそういうことです。彼らが抗議でき、私が話をできたから、それは勝利なのです。私が首席大臣に就任して以来、中国政府は国内ではチベット人を圧迫し、それだけでは十分ではないと思ったのか、国外にいるチベット人にも圧力をかけてきています。逆にいえば中国はナーバスになっています。

中国政府のかける圧力は成功する場合としない場合があります。

私がスイスでとある方と9:30に逢う予定でしたが、9:00に電話が入り、「中国政府から外務省に圧力がかかってお会いできなくなりました」といってきました。しかし、また別の時には10:30に逢う予定だった国会議員が直前になって10:45分に来て下さいといい、後ほどわかったのですが、その方のところには中国の代理人が私に合わないようにと説得に行っていたそうです。結局、結果的にお二人の方は予定通りあうことができ、偶然そこにいた人と計三名とお会いできました。スイスでは23名の国会議員の方がチベット支援に登録してくださっていますが、実際にあうことができたのは3名でした。カナダのオタワでもオーストラリアの首都もそうでしたが、私が訪問すると中国の代理人が行く先々でそれをさせないように訪問するという状況です。

しかし、それが最近成功しなくなってきています。チェコでは大統領執務室に中国人がアドバイザーとして入る程、直接中国政府の圧力が政府にかかっていますが、51人の国会議員がチベット・サポートに登録するという動きがでています(これはヨーロッパ最大規模です)。ワシントンを訪問すると、ホワイトハウスで国務大臣とお会いするのですが、就任してから七年、そのような会合があっても報道はされないし、会談の場所も秘密にされるといった具合でした。しかし、昨年11月ワシントンを訪問した時には、私と大臣の会談は報道され、一緒にランチもとり写真もたくさんとられました。

 また、アメリカの議会は相互入国法案を通過させ、アメリカ人のジャーナリストがチベットに自由に入境できない現状を告発しました。大統領が署名するアメリカ政府の予算の中にもチベット人のための基金が正式に含まれています。

 トランプ政権が中国に対する対抗措置としてうちだした「インド太平洋戦略」は日本やインド、オーストラリアと連携して「自由で開かれたインド太平洋」を目指すものです。この法案の中でも「チベット」が銘記されています。アメリカの副大統領や国務長官もスピーチの中でチベットに明確に言及しており、アメリカの正式な政策の一部にチベットが含まれています。

 中国政府はこれまでと同じようにチベットの動きや声を抑えこもうとしていますが、このように必ずしもすべてが成功しているわけではありません。

 アメリカは[強いから]当然だろうと思うのでしたら、[中国からの圧力に屈しやすい] 小さな国についても話しましょう。オーストラリアでは国会議員23名がチベット支援を表明し、私が訪問している間に17 名が会いにきてくれました。内訳は六つの党の議員からなり、党首も二人、また大臣もいました。カナダでも、オーストラリアもチェコも中国の圧力に屈せず大臣クラスの人が私のところにきています。

 私が主席大臣に就任した2011年当時は中国の圧力が非常に強く、ほとんどの国がそれに屈していました。しかし、最近は圧力が強すぎるということで、その反作用から、各国からチベットやウイグルへの支援の動きがでています。
 日本はもっとも多い91名の議員がチベット・サポートを表明してくれています。みなさんはそれを誇りにおもっていてください。ですから私も2012年の4月以来日本を定期的に訪問しており、今回は五回目です。

 可能であれば、日本政府に中道のアプローチを支持すると表明して欲しいし、アメリカの相互入国法案のような法案を通してほしい。また、ダライラマ法王の代表団と中国の代表団との間の対話が実現するように日本政府がよびかけてほしいです。中国が日本にあれこれいうのと同じく、日本から中国に対してもいうことができると思います。

日本政府がもう少し何かできるはずだと私がいった時、みなさんうなずいていましたね。頷くことで頭を動かしていますので、次は手と足をうごかして行動にうつしませんか。議員の方たちはサポートをしてくださっており、それに対しては非常に感謝していますが、その上で行動をお願いできればと思います。
 私は通常は一つの国を再度訪問するのに二年から五年の間隔を空けますが、日本には毎年来ています。「ここでだからできることがある」と思いつつ、私は時間とエネルギーをかけて日本にきています。

  みなさんは友人であり家族であるので、今日は個人的な旅の話をしました。みなさんの心に響けばと思います。こんな話を聞きに来たのではなかったと思った方がいらしたらごめんなさい。


 〇以下質問者に対してセンゲ首相が答える時間(質問者とセンゲ首相の声が録音の中では遠いのでだいたいこんなかんじだろな〜と言う感じで文字起こししました)

質問「東南アジア諸国のチベットの支援は?」
センゲ首相「東南アジアに限らず仏教国はチベットの同盟国と考えています。しかし中国政府の圧力によってダライラマ法王といえどもこれらの仏教国に入国すらできない状態が続いています。[毎年ダライラマにビザをだしている]日本は例外です。
 ただベトナム、ラオス、タイ、スリランカの仏教国は中国がチベットの98%の僧院を破壊し僧侶を還俗させたということを知っています。仏教文明を破壊しようとしていることは知っています。ただ、たとえば韓国の要人や仏教寺院がダライラマ法王を招聘したいと思ってきましたが、いまだ成功していません。

質問「アメリカのチベット問題へのコミットメントについて教えてください」
センゲ首相「オバマ大統領は計四回ダライラマと会見しており、中道のアプローチを支持するとアメリカで初めて表明した方です。それ以前の大統領をみても徐々に段階的にチベットのサポートが深化してきたのが分かります。トランプ政権になってから、前述したように国務省の方とおあいしたのが初めて報道され、それから、相互入国法案(http://www.tibethouse.jp/news_release/2018/181203_US_Senate_20181129.html)とかインド太平洋法案に大統領が署名したのも初めてです。アメリカのチベット支援は以前と同じか、よりよくなっていると言えます。」

質問 「チベット支援について個人でできることは何があるでしょうか。」
センゲ首相「小さなステップと大きなステップがあります。[小さなステップとしては]まずダライラマ法王事務所がだしているニュースレターを受け取っていただく。そこでチベットに実際に何がおきているかを知って戴く。また私たちが主催するさまざまなイベントにも是非足を運んで戴きたいと思います。今年3月の[チベット動乱]60周年にも是非きてください。10人や30人で支援しても変化はおきるのかと思うでしょうが、確実に変化はおきます。
 また、メディアに働きかけるということもできると思います。昨日NHKに私のインタビユーが流れましたし、ラジオにも流れました。その際にテレビ局に視聴者から「放映してくれてありがとうございます」という感謝の言葉をおくるのは重要です。そしたら局の幹部がまた[チベットを]とりあげくれるからです。
 小さなステップを積み上げていけばいつかは結果がでるといえば、私は今回の五回目の来日にして、はじめてNHKがとりあげてくれました。今までももちろん新聞での報道はありましたが、それがようやく今年テレビとラジオにつながったのです。
 また、私たち国民がチベットの議連の人たちにメッセージを送ることができます。「中道のアプローチを支持して下さい、アメリカのように、相互入国訪問とおしてください、アメリカのようにと、対話を再開して下さい」と働きかけることができます。
 その場合、チベット人と同じように常に礼儀正しくやさしく行うことが重要かと思います。
 また、漢人とNHKのインタビューをシェアすることもできます。中国の学者と対話することもできます。彼らは表面的には反発すると思いますが、頭の中では何かを考え始めます。」

質問者「身もふたもない言い方ですが、我々ができることは少ないと思います。でも、続けたいと思います。」
センゲ首相「いまおっしゃってくださったように、続けることが重要です。この七年5-6回ドイツを訪問しました。話している毎回内容はかわっていませんが、ドイツの側の受け取り方は変わってきています。かつてドイツ人は中国をよきビジネスパートナーとみなしてきましたが、現在は政治的にも複雑な定義をはじめています。歳月をへれば環境の変化でものごとは変わるので、とにかく続けていくことが重要です。
 2017年に私は休暇は一日半しかとっていません。移動移動の毎日です。ですが、そうしているうちに展望が開けてきます。」

質問「中国国内でイスラム人にかんして虐殺を行っていることに対して声明をお願いします。」
センゲ首相「NHKですでに昨日話しました。ジュネーブ・フォーラムでは声明を出す以上のことができたと思います。新疆では100万人以上の兄弟姉妹が強制収容時にいれられ同じ問題で苦しんでいます。私たちは連帯意識をもっています。」

質問(チベット人)「一番多い漢人の質問は何ですか」
センゲ首相「トロントでの中国人学生との対話はyoutubeでも公開されています。中央チベット政権のサイトにも「よくある質問とチベットからの回答例の20」があがっています。90%の質問はこの20に含まれています。
漢人からでる一番多い質問とは「中国はこれだけチベットにいろいろしてあげたのに、チベット人は不平を言うのか、どうしてそれを幸せに思わないのか。」というものです。漢人は「農奴制に苦しんで洞窟にすんで不潔なチベット人を中国が清潔にしてやって食べ物も与えてやって助けてやった」というドキュメンタリーをみて育ちます。なので漢人の方は実際そう信じ切っています。
ハーバートのロースクールにいたとき、学内で道に迷った中国人夫婦がいたので道案内をかってでました。私は自分のことを話したら相手がどう反応するかわかっていたので最初は黙っていたのですが、何をしているんですかと聴かれたので、「私はチベット人でハーバートで仕事をしています」というと、その夫婦は非常に失礼なことを質問し、信じられないといった感じでした。彼らは、チベット人は何も知らないと思っています。彼らは私に「チベットにいったことがあるのか? 行ったことがないからチベット人が幸せなのを知らないのだろう? 」と決めつけます。

「チベット本土でチベット人のかたにハッピーかと聞けばそれはハッピーだと答えます。だって聴いてきた人は軍関係者かもしれないし、警察かもしれない、[不満をいったらどのような報復があるかしれないからチベット人は]そう答えるしかないのです。」

質問「この一年くらいでアメリカと中国の関係が大きく変わってきています。それがチベットにどう影響すると思いますか。」
センゲ首相「アメリカと中国、日本中国とは貿易でつながっているので複雑な状況です。その貿易が良かろうが悪かろうが、人権問題は常に問題としては最優先に提起する必要があります。トランプ大統領がなにしようが、安倍晋三首相がどうしようがすまいが、常に提起しつづけます。私はこの七年「チベットにおきたことは、あなたの国でもおこりうることです」といい続けてきました。

 しかし「チベットは例外でしょう」と反論されます。アメリカや南米など中国から遠く離れた国の人たちはチベットでおきたことは遠い対岸の火事だと思っています。たしかに中国は遠いところは物理的に占領することはしないかもしれないですが、経済的、社会的、政治的、文化的には占領することは可能です。今になってみな「あなたのいうことは正しかった」と言い始めています。なぜなら彼らの議会。政府、大学、官僚機構にまですみずみにまで中国の影響が及ぶようになってきているからです。

 ですから全世界で足並みを揃える必要があると思います。
今日はみなさんにとって休日ですね。世界でも一番働くのが日本の方だと思いますが、貴重な休日には温泉にでもはいりたいところでしょう。私も温泉好きです。それなにの貴重な休日をここにきてくださってありがとうございました。
 [拍手]

センゲ首相が南米の方が今になって気づいてきた、といいうことにいついて、2019年2月7日の毎日新聞の記事を参考までにあげておきます。

デジタル統治の輸出=坂東賢治
2019.02.07 東京朝刊 3頁 三面 (全998字) 
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 <moku-go>
 新幹線に似た中国の高速鉄道だが、飛行機と同様に実名で切符を購入しなければならない点が日本とは異なる。5日に春節(旧正月)を迎えた中国では1月から3月にかけ、億単位の乗客が帰省や旅行で高速鉄道を利用する。
 膨大なデータ処理を可能にするのが、16歳以上に取得が義務付けられたICチップ入り身分証明書(ID)だ。自動販売機上の読み取り装置に証明書をかざして切符を購入すれば、姓名、ID番号が印刷される。
 ICチップに個人情報を記録したIDは2004年から配布され、13年からは指紋も記録されるようになった。世界最大の人口大国をコンピューター管理し、国民の動向を監視する「デジタル統治」の基礎ともいえる存在なのだ。
 その手法をそっくり取り入れたのが「2人の大統領」をめぐる混乱で国際政治の焦点となっているベネズエラだ。13年に大統領に就任したマドゥロ氏は17年から「祖国カード」と名付けたIDの配布を始めた。中国のIDより先進的でQRコードが印刷され、電子マネー機能を併せ持つ。
 システム作りを請け負ったのが中興通訊(ZTE)だ。ロイター通信によると、IDを通じて収入や医療情報、政治傾向などのビッグデータを収集するデータベースの構築も支援しているという。米国は中国の動きに神経をとがらせている。マドゥロ体制をITの力で支えるシステムの構築は中国型の政治モデルの輸出にも映るからだ。
 ZTEは昨年、北朝鮮やイランに対する禁輸措置に違反したと米国の制裁を受け、法令順守を約束し、10億ドルの罰金を支払って制裁を解除された。米共和党の上院議員らはZTEがこの時の約束やベネズエラに対する制裁措置に違反しているのではないかと商務省に調査を求めている。
 米国はZTEや華為技術(ファーウェイ)の通信機器を政府機関などから排除する方針を決め、日本など同盟国にも同調を働きかけている。ベネズエラもまた、次世代技術をめぐる米中の覇権争いの最前線といえるのだ。
 中国は石油確保を目的にベネズエラの反米左派政権を支援し、総額5兆円を超える巨額融資を行ってきた。ベネズエラが中国に輸出する石油の半分近くが返済に充てられている。経済危機が深刻化するベネズエラが債務不履行に陥ることは悪夢だろう。
 同時に米国の影響が強まり、ZTE排除の動きにつながるような事態を警戒していることは疑いない。(専門編集委員)
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