白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2012/05/14(月)   CATEGORY: 未分類
乾隆帝の墓
 わたしは今精神的に疲れている。なぜかというと来週の頭からはじまるパリの「乾隆帝の墓」についてのワークショップの発表原稿を書いているからである(写真はそのワークショップのプログラムの表紙)。
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 時差が体にこたえる体質であるため、インド以西、房総以東に行かないことにしているため、ホンネでは、ヨーロッパはまったく行きたくない。しかし、学者として飯を食っている限り、自分の研究分野において、大きなプロジェクトが行われ、その結果が報告されるとあっては、やっぱり聞きに行きたい。
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 また、昨年八月に『清朝とチベット仏教 菩薩王になった乾隆帝』を出版したばかりの自分としては、この本を国際的に周知するためにも、行かねばならない。日本語で書かれた本はともすれば彼らは「読めない」で終わりにしようとするので、「この本を読まなければ乾隆帝と仏教について語れない」みたいな雰囲気にもっていかねばならないのである。

 日本の東洋史の学威を示すという意味もあるのである。人として生まれたからには肉体的な休養欲求に逆らっても、できることのために動かねばならないのである。

 でも行きたくない。

 後ろ向きな話を続ければ、行きたくない理由はまだある。英語でスピーチ原稿を書くのが面倒くさい。大体、ワークショップの公用語は、英語、フランス語、漢語て、なんか腹が立つ。

 なぜ日本語がないんだよ。東洋史のレベルの高さを思えばいれてくれてもいーじゃん。日本語だったら10分で原稿書けるのに。ネイティブ・チェックをいれるためにはもうすぐにでも原稿仕上げなければならない。一週間をきった本日月曜日はもちろん英語の悪夢にうなされて目覚め、激ウツである。だからこんな文章書いて逃避しているのである。
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 今朝、慌ただしく職場にでかけてくダンナに「ねえ、気分が沈む。英作文やだ」というと、ダンナは

 「じゃあ、学会の公用語に日本語を加えろ、と英語で主張してきたら」

 と、珍しく面白いことをいう。

 英語で主張できるくらいなら、英作文で苦しむかあっ。

 大体、なんでチベット・満洲・モンゴル史やっている人間が英語できなきゃいけなんだよ。カンケーないだろうが!

その上ぶっちゃけ英会話のブラッシュアップのためやったことといえば、アメリカのテレビドラマ Fringeを8巻分見ただけ。心許ないとはこのようなことをさして言う言葉であろう。しかし、思えば国際学会が近づくたびに毎回こんなエントリーを書いているような気がする。進歩がない。

 心底、自分の二冊の専門書を英語にして出版したい。それが実現すれば私がこのドヘタな英語でひいひいいいながら外国でかけてプロモーションする必要もなくなるわけだ。しかし、その場合の問題点は、チベット語と満洲語とモンゴル語に一定の知識があり、日本語を読めるネイティブ・アメリカンを探さねばならないことにある。

 それを探す手間をとるのも面倒臭く、自分でへたくそな英語を操って海外にいった方が早いというわけで、ふりだしに戻る。
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DATE: 2012/05/05(土)   CATEGORY: 未分類
チューロ・リンポチェの阿闍梨デビュー
 以下は出雲を舞台にした心温まる兄弟弟子の物語である。

 チューロ・リンポチェはガワン先生のお伴で何度も日本に来ていた。ガワン先生の最晩年にガン治療のために日本を頻繁に訪れるようになると、その傍らでかいがいしく先生のお世話をするチューロ・リンポチェの姿は多くの人の眼にとまっていた。

 その彼がガワン先生なきあと、阿闍梨デビューということになり、関係者一同は異様に盛り上がった(笑)。九州からは峯寺とチベットに浅からぬ因縁をもつW氏が、東京から法王事務所のルントクさんが、東京からもフリチベさんたちが応援にかけつけた。通訳はむろん清風学園校長の平岡センセである。

 平岡先生は彼が二十代にギュメに留学して以来、ガワン先生を師と仰ぎ、先生がガンになった際にもご自宅にとめてその闘病生活を支えられた。それと同時に秘密集会タントラの講義も受けていたので、ガワン先生のお世話をしていたチューロ・リンポチェと平岡センセは兄弟弟子のような関係である。

 灌頂の始まる直前、わたしは平岡センセとともにリンポチェのお部屋を訊ねた。お部屋にいく途中で平岡先生は
 
 平岡センセ 「私はね、リンポチェに、『灌頂やるだけじゃなくて法話せにゃいかんよ』といってるんですわ。儀式だけで法話しなきゃ意味が無いとね。」したらリンポチェ、『おまえが勝手に話しつくってしゃべってくれ』ていうから、私は『あんた(リンポチェ)の言うたこと以外は訳さんからな』ときつくいったんですわ」とのこと。

 灌頂の所作とかは儀軌を見ながらであれば間違えずにできるだろうけど、人の心を捉えて仏教に向けるような法話が、若い彼にできるかどうかは、私もちょっと心配していたので、平岡センセがリンポチェにそういう気持ちはよくわかった。

 そして私の講演、ルントクさんのお話と続いて、いよいよリンポチェの灌頂が始まった。

 阿闍梨が入堂し、着席。ここで、峯寺の住職が三礼をするのだが、ご高齢で足腰が弱っていらっしゃるとのことで三礼を省いたため、私が右代表して三礼をする。

 そして、道場から魔を祓う、ゲクトルの儀が始まった。トルマ(小麦粉で円錐形につくった供物)に悪い物をつけて、場外に追い出す儀礼である。この際、アシスト僧がつり香炉をふりながら道場を清め、その後、悪い物のついたトルマを捧げて場外にでていくという場面がある。

 ガワン先生が灌頂を行われていた際には、このアシスト僧の役目はリンポチェがやっていた。今回このアシスト僧の役割を見事ゲットしたのは、峯寺の副住職であった(笑)。副住職は平岡センセから「ここでトルマを崩したりしたら、台無しやからな」と脅されていたため、ものすごくびびりながら、トルマを捧げ持っていた(笑)。

以下、リンポチェの法話部分を青色で引用します。

 「灌頂を受ける動機を正す」。

 有暇具足の人の身を得たことはすばらしい。如意宝珠(望めば何でも願いを叶えてくれる宝石)も仏の境地を与えることはできない。だから人の身は如意宝珠よりも貴いのだ。その人の体も人のために生きねば意味のないものとなる。すべての有情は無限の輪廻の中では、必ずや一度は私の母であったことがあるのである。私の母でなかったことのない有情はいない。一切の有情を救うことができるのは仏様だけ。だから有情のために仏の境地を志しなさい。

 「法統解説」
 ターラー尊は仏の救済活動を人格化したものである。アティシャがインドからチベットにいく際にターラーが「私はあなたの後についていって、仏法を実践する人を応援する」といって、チベットに来て、アティシャの弟子ドムトンを守った。(以下、リンポチェに至るまでの法統の解説)・・・
 この法がダライラマ十四世からガワン先生に受け継がれ、自分のところまできた。この伝統の力、長く続いてきた力がこの灌頂を授かるものに加持力を与える。


 「菩薩戒をとる」

 菩提心(他者のために仏の境地をめざすこと)についてただ考えるだけでも計り知れない功徳がある。菩提心が無理だというのなら、せめて他人を害さないようにしなさい。安楽は他人を思うことによって生じる。他人の役に立つことを行うことは広大な徳になる。

 帰依をする時には、「輪廻の苦しみから解放してくれるのは、仏教しかない。煩悩にまみれた私たちは病人のようなもの。その病人であるわれわれを直してくれる医師が仏、法は薬、僧は看護師である。この仏・法・僧の三つの宝によってわれわれの煩悩は落とされる、と考えなさい。

 懺悔は自分のやった悪いことを反省して二度とやらないと誓う。
 随喜は自分や他人が行った良いことを喜ぶことである。もっとも大きな罪の浄化であり、簡単に善業を行うことができる。ツォンカパも随喜によって努力なくても徳を積むことができるというておる(これロサン・テレ先生がおっしゃっていた)。
 菩薩戒の最後の一行では、自分のためではなくすべての命あるもののために覚りの境地を目指すことを誓うこと。

 さていよいよ本行。しかし、ここはヒ・ミ・ツなのでとんで

 「弟子に生じる義務」

 本日私はあなたたちに間違いなくターラー尊の灌頂を授けました。
 これからはターラー尊を慕いなさい。戒律を守りなさい。阿闍梨の言うことを聞きなさい。利他の実践を行いなさい。
 すべての苦しみはみな目先のことに汲々とすることによっておきるものだ。しかし、すべての菩薩は人のために生きたことによって仏になった。このお寺のご本尊の大日如来もこうして仏になられた。

 苦しみはすべて自分のことを中心に考える時におきるものだ。他者にやさしくすれば苦しみは少なくなる。他者のお役に立とうと思うと、他者もやさしく接してくれる。この寺にはポチ(峯寺の代々の番犬はみなポチである 笑)がいるが、動物だってやさしくすればなつくし、殴れば怒る。

 人にやさしくすることによって、心を良い状態におきなさい。一日五分でよいから菩提心について考えなさい。

 瞑想が仏になるための唯一の行ではない。働きながらでも修行できる。看護師さんだったら 看護師の仕事をしながらも徳を積むことはできる。工場で何かを作るような仕事でも、その製品が『皆のお役にたつように』と思って作れば善行となる。

 朝おきて一番に「今日も菩提心に励もうと決意し、夜寝る前に今日一日の行いを反省する。」これを毎日繰り返すこと。

 今回の灌頂のようなイベントの時にだけに、仏法を実践するのではなく、日々仏法の実践はできる。衣食住のためだけに日々を送るのでは虫と同じで情けない生き方である。そのような生活をしていれば虫レベルの考え方しか一生できない。

 輪廻の中で人の身はめったなことでは得られないのだから、「朝には人のために生きようと決意し、夜寝る前は一日の行いを反省する。」するとそれは習慣になる。一日ではできないことでも、毎日続けていると自分の一部になっていく。白い紙に黒い小さな紙をはっていくと、一枚では隠れないけど、何枚もはり続ければ、いつかは白い紙が真っ黒になるように(この喩え逆の色にした方がよくないか 笑)。菩提心を修する人もそのように続けているので、そのような顔つきになってきて、一目で分かるようになる。

 みなさん、一日十分(朝五分・夜五分)でいいから菩提心のことを考えてください。

 ここでお話が終わり、阿闍梨に感謝のマンダラを奉献。足の悪いご住職に代わりわたくしめがまた三礼。いや光栄だわー。

 最後の回向において、阿闍梨曰く、
一杯の水はすぐひあがってしまうが、大海にいれると枯れることはない。自分が積んだ小さな徳を有情のためにまわせば、この世界に命あるものが存在する限り、その徳はつきることはない。

以上でおわかりかと思うが、リンポチェの法話は実にどうどうとした魅力的なものであった。タニマチ心配するまでももなかった。

 最後の阿闍梨挨拶でリンポチェ「峯寺のような名刹において、灌頂ができて本当に良かった。」
 このあと平岡さんは苦笑しながらウニャウニャいって翻訳をやめた。なのにリンポチェはしゃべり続けている。それは、平岡さんを「このような密教に非常に深い理解のある方を通訳にできて・・・」とべた褒めをしていたたため、きまりが悪い平岡センセはリンポチェの言葉を通訳しなかったのである。するとリンポチェ

「お前、おれの言ったことしか訳さないいうたやないか。ちゃんと訳せ」と。

 リンポチェの方が一枚上手。いや、ほほえましい。私はあまりのほほえましさに、「先生、拍手していいですか?」と聞いたら、平岡先生が「ええ」というので一同拍手。

 そして楽屋裏で私と平岡先生のオタク興奮トーク。

私「センセ、リンポチェすごい立派。感動した。ガワン先生のおっしゃっていたこと、ロサン・テレ先生のおっしゃっていたこと、ダライラマ法王がおっしゃっていたことがあちこちに引用されていて、なおかつ何か勢いがある。昔、チベット仏教をみた日本人が『チベット仏教は師匠の教えをそのまま弟子が受け継いでいくので、新味にかけ、創意工夫がない』みたいなことをいってるけど、私は師弟二代の灌頂を見ていて、ここまでしっかり師匠の言うことが弟子につたわっているのなら、きっとインドからの教えがそのまま伝わっているんだろうって、安心した。伝言ゲームみたいに人から人に受け継がれていくうちにだんだん歪んでいく方がヤバイでしょ。」

 平岡センセ「リンポチェ、ガワン先生の法具をもってきていたんですよ。すごい情熱が感じられた。若い人が育っていく姿ってええですねえ。」

 で、その夜峯寺の厨房では、平岡ブラザーズと清風学園の先生ブラザーズの漫才を交えながら、みなで「リンポチェが立派だった」ことを言祝いだのであった。

  チベットの灌頂を分かりやすい例でたとえれば、灌頂本体はコンサート、阿闍梨は指揮者、本尊は演目にあたる。名指揮者が、ある曲目を、ある歴史的文脈の中で聞く耳をもつ聴衆の前で振ると、それは歴史に残る名演奏といわれる。

 白ターラーの灌頂はチベット人に人気の演目である。そして、チューロ・リンポチェの初灌頂は人生に一回しかない機会である。この初デビューを、ガワン先生ゆかりのこの峯寺で、先生の法具を用いて 兄弟弟子の平岡先生が通訳を行い、峯寺とチベットに浅からぬ因縁のにあるWさんが司会をし、清風ブラザーズがサポートをし、中国地方のみならず、遠くは群馬・九州などから集まってきたチベットオタクたちを聴衆とした。たしかに条件にも恵まれていたが、それだけでは名灌頂とはならない。

 リンポチェが実に堂々と伝統を踏まえ、かつ彼のカラーもだしての初舞台をつとめあげたのは、やはり伝統の力とそれを今に実現できる彼の能力であろう。彼にとっても思い出深い初舞台であろうが、我々も同じように感慨深い灌頂であった。私なんて、阿闍梨としてのリンポチェに最初に三礼した俗人である(例によってコバンザメだけど 笑)。

 リンポチェは立派なラマになっていくだろう。彼がネゴゴンパに戻って僧院長になる日まで、日本のタニマチはこれからも応援し続けるだろう。チベット仏教が民族をこえて伝播するシステムが体でわかったわい。
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DATE: 2012/04/29(日)   CATEGORY: 未分類
灌頂の共通構造(メモ)
 ロサン・テレ先生は22日に護国寺様で阿弥陀仏の長寿許可灌頂を行い、28日に東大寺で観音灌頂を授けられ、翌日インドに帰国された。わたしは、五月三日に出雲の峯寺でコバンザメ講演を行い、七日には某仏教徒の内輪の集まりでお話するため、パワーポイントとか、レジュメとかの準備もあり、かつパリ学会もせまってきたので英作文もせねばならず、無念にも東大寺の灌頂は見送った。聞けばあの灌頂、受けると悪趣(地獄・畜生・餓鬼)行きが一回休みになるというスグレモノであった。くくく。

 峯寺の講座は「灌頂とは何か」というお題で語る。なので、今回のエントリーは21日の護国寺様の阿弥陀灌頂を例にとりつつ、峯寺の講座の下書きもつくっちゃおうということで灌頂の共通構造を整理してみた。

 灌頂はチベットではワン(dbang)という。意味は「〔仏の〕力」である。この言葉が示すように、灌頂とは阿闍梨を通じて本尊の力を授かる儀式である。人類学的にいえば入門儀礼とかいうはずである。

 灌頂を受けるとその本尊を主尊とした修行を始めることが許可される。俗なたとえで説明すれば、大学入試に合格して大学で勉強する権利を得た段階である。従って、入学後に授業にでないでさぼっていたら合格の意味がなくなるように、灌頂を授かっても心をただす修行を始めなかったら、灌頂を授かった意味はなくなる。しかし、合格しなければその大學の授業が受けられないように、灌頂を受けずに修行をはじめても効果はでない。

顕教では長大な時間がかかるという仏の境地に至るまでの修行過程を、密教は短い時間で実現できると説く。どうしてそれが可能かというと、凡夫の心に直接仏様の心(厳密に言えば仏様は体と言葉と心が一体化している)をなじませる実地修行を行うからである。しかし、凡夫が仏様の心を知るわけもないので、仏の境地は阿闍梨を通じて頂かねばならない。それか灌頂儀礼なのである。

 灌頂は大きく言って、前行・本行に分けられる。

●前行(sngon 'gro = 受者の心構えを整える)


1. 阿闍梨(灌頂の導師)挨拶
ダライラマ法王も来られたこのすばらしいお寺(護国寺)で灌頂ができることは誠に喜ばしいことである。

2.釈迦牟尼を讃えるお経。
 釈迦は「ただ偉い人がいったらそれを信じるというのはいけない。その内容を分析して納得したら信じなさい」といった。こんな人は他にいるだろうか。

3.阿闍梨のなすべきこと

 阿闍梨は灌頂を授ける前から、阿弥陀仏を供養し、阿弥陀仏と身体・言語・心で一体化している。
 阿弥陀仏のサマヤであり、灌頂の受者を清めるツールである瓶も、空にもどして生起した。
 次に、この場にいる魔にでていってもらう。魔とは灌頂を受ける者をジャマするシチュエーションである。たとえば、灌頂の日に仕事が入ったり、会場に向かう最中に事故にあったりするのは魔が入っているのである。このトルマ(小麦バター細工の供物)につられて魔がこの会場をでて、海の果てまででていったと観想しなさい。

4.弟子のなすべきこと

 弟子は体で三礼をし、口をゆすぎ、心で曼荼羅を供養する。

 密教はイメージである。イメージを鮮明に保てる程功徳は大きい。阿闍梨を凡俗の僧ではなく、阿弥陀仏であるとみて、この建物も護国寺ではなく阿弥陀仏の浄土とみなして、阿弥陀曼荼羅の真ん中にいると思いなさい。

5.灌頂を受ける動機を正す。

 人として生をうけ、仏法に出会い、阿闍梨と出会い、そして仏法を理解できる能力があることは素晴らしいことだ。しかし、仏法を実践しなければこのすべてがムダになる。死はいつやってくるか分からない。必ず全員死ぬ。死後、悪趣におちれば長く苦しみをうけ、善趣にいっても、一時楽しいだけで、その報いはやってくる。輪廻はあてにならないのである。

 あらゆる有情は始まりのない昔から輪廻する中で自分の母だったことがあると思いなさい。母は自分が年とって体がつらくなっても子供が幸せであることを願っている。その恩は計り知れない。母であった有情を楽にする究極の解決は仏の境地に導くこと。そのために仏法を実践すると思いなさい。

 仏法を実践するためには時間が必要。だから阿弥陀仏の灌頂を授かろう、と思う事。ただ長生きしたいというのではいけない。ろくなことしないヤツは短命の方がいい。人生が短ければ積む業も少ないからだ。阿弥陀仏は長寿儀礼の三大本尊の一つに数えられる。

6.法統解説

 インド・チベットの聖者をへて阿闍梨にいたるまでの阿弥陀仏の法に関する、伝法の歴史が述べられる。

7.阿闍梨に説法をお願いする。

 過去・現在・未来の仏の教えはただ阿闍梨を通じてのみ、われわれは知ることができる。だから、阿闍梨は仏と同じである。釈尊が覚りを開いた後、釈尊は法を説かずに涅槃に入ろうとした。しかし、梵天が釈尊に転法輪を請うたことによって、釈尊は暫時涅槃にはいることをやめ、仏教を説いてくださった。仏は請わないと法を説かない。だから、受者はここで阿闍梨=仏に説法を請う。

8.菩薩戒を受ける。

菩薩戒は何度とってもいい。この無数にいる人の群の中で自分が今日菩薩戒をとることができること、これがどれだけありがたいかを随喜しなさい。

 三宝(仏・法・僧)に帰依する場面ではこう思いなさい。我々は病人のようなものであり、仏は医者であり、法は救済の手段すなわち薬であり、僧は看護師であると。良いことがあっても悪いことがあってもたよるべきは三宝のみである。

 懺悔の場面では、自分のした悪いことを具体的に思い出して、それをもう二度とやらないと誓いなさい。何か悪いことをしても、言い訳をしてごまかしていると必ず同じ間違いを繰り返す。しかし、本当に悪いことをしたと思えば、二度と同じ過ちは犯さない。私は幼い頃、鷲をなぶり殺したことがあって、まだ幼くて力がないから鷲は苦しんで死んでいった。だから、自分は懺悔の時にそのことを思い出すようにしている。

 随喜は誰かが良いことをしたら、その良いことを喜びなさい。そうするとその善業の功徳をまるまるいただくことができる。ただし、悪い行いを随喜したら、その悪業もまるまる頂いてしまうので、随喜の対象を見極める目をもつことが大切である。

 菩薩戒をとれば実はこれ以外は何も必要ないのである。灌頂を受けなくてもこれだけで十分である。これから気持ちよく仏法を実践しなさい。気持ちよくしていれば頭もよくまわるし判断も正しくできる。

 菩薩戒を受けると、はじめて受けた人は菩薩戒が授かり、すでに受けたけど菩薩としての修行を行わなかった人は新しくリセットされ、毎日菩薩戒をまもっていた人はさらにいっそう守れるようになる。どんな段階の人それぞれに功徳がある。


●本行(dngos = 灌頂本体)

 ここからはすべての灌頂に共通する構造を簡単に述べる(個々の話をすると秘密に触れるので)。

 ・灌頂の場面においては本尊と一体となった阿闍梨から本尊の力を授かる。従って、受者は阿闍梨を仏とみなして、三礼し、マンダラを捧げ、灌頂を授けてくださいと請う。このあたりは前行の時と同じである。

 ・受者は、身体→言語→心→覚りの意識の順に体を清められていく。表層的なレヴェルから、深奥のレヴェルへと順次清められていくのである。

 ・清めにおいては、さまざまなツールが用いられるが、身体の浄化には水を用いることが多いので、それが「灌頂」と呼ばれるゆえんである。

 ・灌頂を授かった受者は阿闍梨から賛嘆を受ける。略式でない場合はここでお菓子やお茶をいただきながらの法宴が行われる。

 ・最後に、灌頂を授かったことによって受者に生じる義務について述べる。毎日唱えるお経の指示etc.。
 
 ●回向

 自分が授かった善行を他人にまわすことを回向という。仏法が存続しますように、ダライ・ラマをはじめとする阿闍梨が元気でいますように、戦争などで苦しんでいる人が苦しまなくてすむようになりますように。命あるものが仏の位をえるようになどと他者に功徳をまわすのが回向である。

 仏法は一人でも実践できるが、みなでこうして集まって実践するとさらにはずみがつく。仏教の教えは先人たちが大変な苦労をして今の時代にまで伝えてきたものだ。この教えを来世に伝えていけるかどうかが我々にかされた課題である。

 以上、21日の護国寺様の灌頂を例にとって、禁忌に触れない程度に灌頂の構造を簡略化してみました。
 下書きなのでまだぬけている部分があるかと思いますが、三日までにはつまっていくことでしょう。
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DATE: 2012/04/22(日)   CATEGORY: 未分類
『チベットの歴史と宗教』
 チベット亡命政府の文部省(Department of Education Central Tibetan Adiministration of H.H. The Dalai Lama)が制定したチベット文化の教科書『チベットの歴史と宗教』(rgyal rabs chos 'byung dang rigs lam nang chos) の翻訳が出版された。本書のもつ意義について簡単に述べる。
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 チベット文化を構成する様々な諸側面は、多かれ少なかれどこかで仏教の影響を受けている(ポン教も体系化する際に、その始祖伝説から教義に至るまで仏教の影響を受けた)。チベットの歴史書の大半は仏教の興亡という視点で記され、チベット人の多くに見られる、殺生を嫌い慈悲を尊ぶ思想も、仏教の影響を抜きにしては語れない。このチベットの仏教文化は、チベット文字によって記録された仏典・聖典類を核に発展してきた。

 周知の通り、このチベット語とチベット仏教文化の伝統は今歴史的な消滅の危機にある。

 1959年、ダライラマ14世はインドに亡命した後、全チベットは中国の支配下に入った。24才のダライラマはまずチベット文化の維持に必要な僧院文化の維持、さらに、異国の地にあってチベット人がチベット人として育つことができる環境を考えねばならなかった。また、数万に及ぶチベット難民の生活を考えねばならなかった。

 その当時、チベットを占領した中国はインドにまで攻め込んできたため、インド政府はヒマラヤ地域に軍を送らねばならなくなった。そのための道路建設の労働者として、高地に強いチベット人が選ばれた。ダライラマ14世とインド政府が話合った結果、難民たちはヒマラヤの軍用道路建設に雇い上げられ、工事現場で、たくさんのチベット難民が命を落とした。難民の子供達も劣悪な環境で弱っていった。

 このような状況を受けてダライラマは、難民の子供たちをダラムサラに集めて育てる決断をした。1960年5月、最初の50人の子供達が道路工事現場からダラムサラへと到着した。子供達はいくつかの建物に分散して住まわされ、ダライラマの姉ツェリン・ドルマが先頭に立って子供達の世話をした。子供達は体力のない乳幼児から亡くなっていたものの、世界中の援助団体の力もあり、死者の数は徐々に減っていった。これが有名なチベット子供村(TCV)の始まりである。

 チベット子供村はドイツの援助団体などの支援を受けて運営されるいわば私立学校である。この他にも、各地のチベット難民コミュニティに、難民政府の文部省が直接運営する学校(Central School for Tibetans)が建てられていった(政府直営の学校のリストは→ http://www.sherig.org/schools/CTSA.htm ※MMBAの野村くんのご教示による)。
 
 一方、中国支配下の東チベットにおいては、ダライラマが亡命する以前の1957年頃から人民解放軍によって僧院は破壊され、僧侶は還俗を強制されていた。文化大革命の開始と同時にそれは全チベットに及び、さらに中国政府は仏教のみならずチベット語の使用を禁じ、チベット文化全体を否定した。チベット人が歴史の中でつみあげてきた仏教文化の精髄である、経典、仏像、仏塔類は廃棄され、廃棄された経典は道路にあいた穴の穴埋めなどに用いられたため、経典を踏めないチベット人は外を歩くこともままならなくなった。

 つまり、チベットの伝統文化はこの時点でインドの難民社会とインド領内の伝統的なチベット人地域にしか存在しないものとなったのである。

 文革大革命が終わると、状況は若干改善した。しかし、中国政府の下で経営される学校においては、漢化は避けられないため、チベット人の親たちは子供達をダライラマの下に送り出した。中国軍による国境の監視のゆるくなる冬季に雪深いヒマラヤの峠を越えるため、多くの子供が命を落としたり重い凍傷にかかって足の指を失ったりした。それでも親は子供達がチベット人として育つことを希望して子供たちを送りだし続けた。

 2008年の北京オリンピックの年、チベット人の蜂起が起きると、中国政府はネパール政府と協力して国境の監視を強め、チベットからの亡命者の数は激減した。チベット人学校の定員にも空きがでてきたため、現在はヒマラヤ地域の子供達を積極的に受けいれているという(ダラムサラのtonbaniさん情報による)。

今回翻訳された『チベットの歴史と宗教』は、このようなチベット難民社会の学校で、チベットの文化を教えるために用いられている教科書である。

 本書は日本では中学生にあたる年齢の、六年生、七年生、八年生用の三冊を一冊にまとめたものである(チベットの文字や文学を教える教科書はまた別にある)。内容は「王統史」「インド仏教」「論理学」「仏教」の四部構成である。それぞれの部の記述内容は、伝統的なチベットの文献群からの忠実な要約・抜粋で構成されており、たとえば、「王統史」はチベットの年代記文献(チュージュン)によっており、「インド仏教史」は『プトン仏教史』、『ターラナータの仏教史』からの引用が多く見られる。また、「論理学」は僧院内で用いられている伝統的な論理学の入門書(ドゥラ文献群)によっており、「仏教」は、ゲルク派の開祖ツォンカパの主著『ラムリム』中の「小人物の修行」が典拠となっている。また、インドの四大学派、チベットの四大学派についての記述は宗義書文献(ドゥプタ)に拠っている。

 この内容を一見すれば、チベット亡命政府は、子供を教育するにあたり、仏教に非常に重要な役割を担わせていることが分かるであろう。TCVの寮を訪れたことがあるが、学校にも寮の共有スペースにも仏画やダライラマ法王の写真が飾られていた。一日は読経で始まり、チベット子供村のモットーである「自分より他者のことを思いなさい」(Other before self)も、仏教の利他の精神に基づいている。

 ちなみに、このモットーの下で、教師と生徒、生徒同士の間には家族のような雰囲気が醸成されている。生徒たちは卒業後も失業した人に仕事を融通する、病気になった人の面倒をみる、後輩の里親になるなどの助け合いを続けることとなる。

 つまり、、チベット社会の子供の教育の目的は、チベット文化の心髄である仏教を通じて、子供たちを円満な人格に育て上げることにあるのである。道徳教育をフルシカトした日本の教育とはまったく逆である。

 本書と同じ「世界の教科書シリーズ」には『中国の歴史教科書』『韓国の歴史教科書』なども和訳されている。これら二冊をチベットの教科書と比べて頂くとその差がよく分かる。

 中・韓の教科書を素直に読めば、無意識の内に自国を絶対とし、他国、とくに日本を敵視するように、一言で言えば愛国心が喚起されるようになる。一方このチベットの教科書は仏教徒の教養が身につくこととなる。誰を憎むことも憎ませることもしていない。国を失うという究極の状況の下でも偏狭なナショナリズムに陥いっていないのである。

 難民社会の教科書の方が、「大国」中国の教科書よりもよほど品がある。なにしろチベットの教科書は、釈尊伝やインドの聖人たちの伝記に気合いが入り、チベット史よりは余程長いページが割かれている。

  現在、中国の支配下にあるチベットにおいては、チベット語教育は制限を受け、チベット語の読本においても、仏教色のある話がとりあげられることはない。このようなチベット語教育に対する制限と僧院における研究や修行の妨害が、あいつぐ焼身抗議の理由の一つにもなっている。

 平和を愛し人格者を育てるチベットの教育は世界標準からみて尊敬されるべきものである。チベット人は、祖先以来の地で、自分たちの子供を自分たちの文化によって育てていくことを願っている。この当たり前の希望すらつぶしている中国が、多民族国家を標榜しているのはまったくもって欺瞞としかいいようがない。
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※ 本写真は訳者二人が出版を記念して食事をした、浜松町のTsuki Surです。窓の外がすぐに海で、ゆりかもめをウォッチングしながら食事ができる鳥好きにとっては素晴らしいロケーションです。あ、ベイブリッジ・お台場もきれいにみえます。
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DATE: 2012/04/14(土)   CATEGORY: 未分類
嫉妬と随喜(釈迦灌頂報告)
 先週の日曜日は釈尊の誕生日であるお花祭りであった。この日、来日中のロサン・テレ先生(元ギュメ座主・次期セラ大僧院管長)が釈迦許可灌頂を授けられた。本エントリーはその実況。
 
 灌頂 (dbang) と許可灌頂 (rjes gnang) の違いは、灌頂が仏の力すべてを授かるのに対して、許可灌頂は仏の功徳の一部を頂くもの。本灌頂の起源は古くアティシャからダライラマ法王をへてロサン・テレ先生に伝わったという。
 
 ロサン・テレ先生「本日は日本ではお釈迦様の生まれになった日であり、チベット暦でも釈尊の生誕日とされる二月十日から一週間ほどたっていない、とても縁起のいい日です」。 ※以下、お釈迦様、釈尊、仏、はみな同じことを指しています。


須弥山(仏教の世界観によると世界の中心にある超高山。実在の世界ではチベット高原が反映している)の四方には、四つの大陸(四大部洲)があり、南方にある大陸がわれわれの住む閻浮提(インド大陸)である。閻浮提は煩悩まみれであるため、誰も教化しようという人が現れなかったが、兜率天にいたお釈迦さまは、あえて我々のためにこの閻浮提に降誕してくださった。

 兜率天にいたお釈迦様は閻浮提に降誕する際に、浄飯王を父に摩耶夫人を母に選び、六牙の白象の姿で母の胎内に入った。白の意味は、普通の母親の胎内は汚れているので前世の記憶を失うが、摩耶夫人の胎内は清らかなことを意味する。六牙の六は釈尊が悟りを開いた後に、教化する六派の異教徒たち(六師外道) を表している。

釈尊が生まれるとインド中の器がミルクで満たされた。この同じ日に釈迦族には500人の子がうまれ、釈尊に仇なすデーヴァダッタも生まれた。デーヴァダッタの母は器のミルクをみて、我が子を特別だと思い、そのようにふきこんで育てた。釈尊の手のひらには大人物の証である法輪相があったが、デーヴァダッタにはなかったので、母は金をとかして法輪形をデーヴァダッタの手のひらに書いた(後にデーヴァダッタは釈尊に様々な災いをなす)。

釈尊は生まれるやいなや四方に向かって歩き、天上天下唯我独尊といい、歩いた後には一足ごとにハスの花が咲いた。生まれてすぐに占い師にみせると、「在家では転輪聖王、出家では如来となる」と予言された。父は転輪聖王になってほしいので釈尊に楽しいことばかりをさせた。結婚もさせた。

 しかしその父王の努力もむなしく、釈尊は29才になると俗世を厭い、出家しようとした。そこで父は「息子の剃髪をしたものはその手を切り落とす」と布告した。しかし釈尊の決意は固く、皆が寝静まった夜、従者を一人つれて馬にのって城をでて、自分で剃髪をした。そして6年の修行の後、時満ちて菩提樹の下で瞑想に入った。すると、釈尊が悟りに入るのを邪魔するためにインド中の悪魔がやってきて、釈尊に向かって弓や石をなげつけたが、それは空中で花にかわって釈尊を飾り立てた。

 満月の晩、釈尊はついに悟りを開き仏(目覚めたもの)となった。その後49日の間、説法をせずにその境地を楽しんでした。しかし、梵天があらわれて、釈尊に説法をするように願ったため、釈尊は説法を開始した。

 釈尊は「自分に文字を教え、数学を教えた先生はどこにいるか」と聞いた。
 外道は「悟りを開いているなら、今先生方がどこにいるか分かるだろう」と陰口をきいた。そして釈尊が文字の先生と数学の先生を最前列に座らせると、外道は「自分に近いものをひいきするのは執着のある証拠だ」とまた陰口をたたいたが、釈尊はすべてを知っていたが、師を大切にして恩を忘れてはならないことを示すために行ったことであった。

 興味深かったのは、仏伝が昔話のような身近な物語として語られていること。たとえば、お釈迦様に対して外道が陰口をたたいたり、お釈迦様に生涯にわたってつきまといいやがらせを行ったデーヴァダッタが、実は母親の育て方に原因があった、とそこいらの残念な人の人格形成を説明するように語られているところ。

 次にロサン・テレ先生は仏の心と体と言葉の美質(功徳)について語る。

仏に対してはあこがれの気持ちを持たねばならない。従って、仏の美質について知るべきである。

 まず、仏の心は、すべてを知ることができる(一切知)。 この世の終わりに世界が劫火に焼き尽くされた後、そこに残った灰をみただけでも、それが何であったか分かる。そのくらい、すべてを知っている。

 仏の言葉は不思議である。仏の言葉を聞く者は、すべて自分のことを言っているように聞こえる。シャーリプトラには「シャーリプトラよ」と呼びかけているように聞こえるし、マウドリガーヤには「マウドリガーヤよ」と呼びかけているように聞こえるし、アーナンダには「アーナンダよ」と呼びかけているように聞こえる。※先生の直接先生から聞いた話として、イギリス人には英語でしゃべっているように聞こえ、その国の言葉で説法しているように聞こえるという。

仏の言葉はどこにいても同じように聞こえる。最前列に座って仏の説法を聞いていたシャーリプトラが、「こんな小さな声では後ろの人は聞こえないだろう」と思って、最後列にいっても同じ大きさで聞こえた。そして、神通力で西牛貨州にとんでいくと、そこでも同じように聞こえた。

 仏の言葉は正しい。仏は「私がしてはならないということでした方がいいものがあったか、私がしろといってしない方が良かったことがあるか。」といった通りである。

 最後に仏の体は不思議である。仏の説法会では寝ているものがない。なぜなら聴衆すべてが仏が自分の方を向いて話をしているように見えるからだ。

 今回の灌頂は実は四タントラのうちでも所作タントラという所作や儀式の手順を重視するタントラである。そのため、七支供養(yan lag bdun)の解説が詳しく行われた。よく考えたら所作タントラは今回がはじめてだったので、所作の解説がある今回の法話は非常に新鮮だった。


七支供養の内訳は、(1) 礼拝、(2) 供養、(3) 懺悔、(4) 随喜、(5) 説法を請う*(釈尊伝の梵天勧請にあたる)、(6) 師に涅槃に入らないように頼む*(釈尊伝の釈尊が涅槃に入るといったことに対し、アーナンダがとめなかったため、釈尊が涅槃に入った故事にちなむ)、(7) 回向*(以上の善を一切有情に回向する)

 この七つを行うことは五体満足に生まれることに等しい。五体満足に生まれるということは何でもできるということで、七支供養を行うことは今世と来世をよくすることができる。それでは一つずつ説明しよう。

(1) 礼拝
礼拝に際してはまず合掌する。その際、親指を外ではなく中に入れる。親指を外にだすのは外道の合掌である。合掌は仏の姿を表しており、中に入れた親指は、仏像や仏塔の中にいれる、おみたま(gzungs gzhug)を表している。
 この合掌した手を頭のてっぺん、喉、胸につける。これはそれぞれ仏が悟りを開いた時に生ずる頂髻の習気をつくること、仏の言葉の習気をつくること、仏の心の習気を作ることを表す。礼拝の功徳ははかりしれない。

(2) 供養
 仏様への供養は自分のもっているものだけでなく他人のものでもいい。私は東京にいった際、その夜景の美しさに感動したので、それを仏様に供養した。供養のやり方で重要なのは、「仏様が喜ばれた」と思う事である。供養には計り知れない功徳がある。

(3) 懺悔
 自分の行ったかつての悪行を具体的に思い出して、「失敗した! これからはもう絶対このようなことはしない」と思う事である。どのくらい真剣に思わなければいけないかというと、三人で食事を食べていたら、その食事に毒が入っていて、一人が死んで、もう一人が死にかけていたとすると、あなたは何とかして今食べた毒をはいて、二度と食べまいと思うだろう、そのくらい真剣に「もう二度と過ちを繰り返さない」と誓いなさい。

(4) 随喜
自分のした良いこと、他人のした良いことを喜ぶこと。このような随喜は実は最も大切なことである。

 昔プラセーナジット王が釈尊とその弟子衆に毎日供養を行っていた。そして釈尊に「ここに集まった人の中でもっとも徳を積んだものに回向してください」と言うと、釈尊は末席にいる貧しい一人のおばあさんに回向をした。それは毎日続いた。

 すると王はだんだん痩せてきた。家臣が「病気ですか」と問うと、王は「私は病気ではない。私は毎日釈尊とその弟子たちに多大な供養を行い、その際もみじんもケチな心は起こさず、心からやっているのに、釈尊は毎度私よりもあの老婆を徳があるという。それが気になって食欲がないのだ」といった。

 次の日、王がいつものように釈尊を供養すると、その日釈尊は王の名を呼んだ。家臣に聞くと「昨日老婆をボコボコにしました。」すると、釈尊は「王よ、おまえは供養を行っても慢心を起こすばかりで、随喜しなかった。あの老婆は『王様は仏様を供養して、いいことをしているなあ』とおまえの行動をいつも随喜していたから、彼女の徳がお前より大きかったのだ」と答えた。※つまり、その日王様の家臣にボコボコにされた老婆は、王を恨んで王の行いを随喜しなかったので、結果として王の名が呼ばれた(笑)。

ツォンカパも「随喜はすばらしい。金もかからんし体もつかわんでええ」というておる。随喜は慢心と嫉妬を抑制してくれる。謙虚にしてくれる。だから重要である。

(5) 師に説法 (転法輪) を請う

 梵天が釈尊に金のマンダラを捧げて仏に法を説くように、と頼んだ故事にちなんで行う。説法があることによって、人は自分の間違っていることに気づき、煩悩に立ち向かおうとする。転法輪は人を成長させてくれる功徳をもつ。※これがあるので高僧は頼まれないと法を説かない。

(6) 師に涅槃に入らないように頼む
 師が生きているから説法ができる。師の在世が永からんように、毎日お願いする。

(7) 回向
 自他の功徳をもって一切の有情が仏の境地にいたるようにすること。

 回向について示すものとしてこのような物語がある。
 ある日貧乏な男が、豆の粉をもってきて、入れ物を貸してくれといってきた。聞かれた男はうちは貧乏くさい豆の粉を入れる器はない。大麦の粉の入った器ならある。というと、貧乏な男は大麦の粉が入った器に勝手に豆の粉を入れた。すると豆の粉と大麦の粉はまざってしまい、区別がつかなくなった。すると、その貧しい男は自分の豆を食べると称して、毎日大麦粉を食べにきた。回向もこのようなもので、善業は少ししかつめないが、それをより多くのものにまぜると多くなる。一杯の水も大海に入れば区別つかなくなる。そして多くを味わうことができるようになる。

つづいて優婆塞戒と、菩薩戒が授けられ、そして灌頂本体が始まる。

 ここで優婆塞戒(dge bsnyen)が授けられる。以下の五つを守りなさい。全部はムリでも一つは守るようにしなさい。
1 人を殺さない
2 盗まない
3 邪な性行為をしない
4 悟っていないのに悟ったとうそをつかない
5 意識を失うほど酒をのまない
この五つを意識してまもれたら、人として生まれた意味がある。
 

優婆塞戒を授かったら、今度は三宝に帰依しなさい。
三宝のうち、
仏は俗な言い方をすれば医者であり、法はクスリであり救済そのものである。そして僧は看護師であり、法友 (Zla grogs)である。

三宝によって人は悪趣の痛み(gdung)から逃れ、速やかに善に向かい、魔によって害されず、三戒の基礎を得る。

●菩薩戒を授かる

菩薩戒は何回うけてもいい。カダム派のラマがこういっている。「財はつきないけど、法はつきる。」と。これは、財産はいくら積み上げてもまだ足りないと思うが、法は「これ前に聞いたわ」とか、「この灌頂前に受けたわ」とかいってすぐに飽きてしまうことを意味する。しかし、それは違う。法は同じものでも聞くたびに新たな気づきがある。だから法を聞くチャンスがあれば、行って聞くようにしなさい。ただ誰の話でもいいわけではない。

ダライラマ法王は「ある人をラマと仰ぐ前に、その人が正しい法を説いている人かどうかを見極めなさい。信頼にたる人の法を聞きなさい。」とおっしゃっている。

私は信頼できます(笑)。すぐにインドに帰りますからね。臺灣や日本には時々いいかげんなラマがくるので、ちゃんと見極めてから法を聞くようになさい。へんな人につくとろくな業をつまないよ。

随喜しなさい。そして
毎日釈尊のマントラを唱えなさい。


以上であるが、今回のお話は合掌の仕方とか、七支供養とか、具体的なお作法の話が多かった。この釈迦灌頂は所作タントラで、所作タントラって、その名の通り、儀式の所作をまずきちんとすることに眼目が置かれるので、法話もそうなるのだ、と当たり前のことながら感慨深かった。

 また、今回のエピソードは、随喜(人や自分の良いところを喜ぶこと)と嫉妬(人を落とすこと)が隠れテーマであると思われた。たとえば、法話の前半部で釈尊伝を語る時は外道やデーヴァダッタなどの、お釈迦様の悪口をいったり、嫉妬をした人たちの話がなされた。そして、後半の七支供養のうち随喜の説明は詳しい。随喜とは一言でいうと、物事の善い面をとりあげて喜ぶこと。つまりは不平・不満・グチ、悪口などの逆である。

 そこで思い出したのは、ターラー尊の生起法で、嫉妬は成所作智(仏の五智の一つ)の対極とされていることである。つまり、嫉妬によって人の悪口をいったり、やったりすることは、まっとうな所作・まっとうな言葉・全うな心をなくしてしまうということである。嫉妬にかられた人が、立派な行いを残したという話は聞かない。一方「ええことしはったなあ」といっている人の顔や口かゆがむことはない。

たしかに、随喜は先生もおっしゃるように「金も体も使わずに」もっとも簡単に、ものごとをネガティブからポジティブに変える魔法といえる。

 自分がこの釈尊の生まれた日に、灌頂を授かり、チベットの高僧から仏伝を聞き、礼拝の所作の意味を聞き、随喜のありがたさを知り、それをここで書くことができている、これ自体、いろいろな意味で幸せなことだと思う。願わくば、これを読んだ方もこの文章を随喜して、その功徳をまるまる頂いてみてください。

※阿闍梨追伸: 「随喜と同じように嫉妬や慢心、怒りを治める功徳があるのは【慈しみ】。慈しみについても、随喜と同じように繰り返し考えてみるように。」
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