白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/09/29(月)   CATEGORY: 未分類
研究者の非リアな夏
 本当はギュメの最終回をアップする順番であるが、明日で九月も終わるため、この夏をまるまるつぶして行ったチベット医学の薬材研究についてのグチあらましを先にアップする。

 チベット医学はインドのアーユルヴェーダ医学に仏教をブレンドした理論をもち、臨床で用いられる薬は、熱帯から寒帯まで存在するチベット高原の豊かな動植物・鉱物を背景に、他に例を見ない豊かな種類と効能を誇っている。

 チベット医は山野を跋渉して薬草の採取を行い、それを乾燥させたり抽出したりして丸薬を作り、地域の人を治療する。この夏、たまたまダンナがアムドの大学に集中講義にいったところ、学生のオジサンがチベット医だったので、ケータイでお話させて戴いた。彼は牧民地域で小さな診療所を開業しており、中国から輸入した西洋薬や漢方を販売する傍ら、ちゃんと山にはいって薬草を採取し伝統的な治療も行っているという。

 「インド医学も中国医学もチベット医学を自らの一部と考えるきらいがありますが、それについてどう思いますか」

 チベット医それぞれの医学にはそれぞれの体系をもつのだから、それぞれでがんばればいい」。
 
 チベットの医学はもちろんインドとも中国とも独立した医学ジャンルであるというわけね。

 「チベット医学のここは素晴らしいというところは」
 チベット医西洋の薬は毎年新しい薬がでてくるが、チベットの薬は千年かわらぬ処方である。

 効くから伝統の処方が継続してきたという誇りを述べられた。

 で、この夏は来年二月にでるチベット医学の専門書の準備にあけくれた。

 この本は第一章で先行研究を扱い、第二章でチベット医学のバイブル『四部医典』の中の、薬材とその効能について述べる箇所の訳註を行い、第三章でチベット語で「トゥンペ」('khrungs dpe)と呼ばれる本草書(薬材事典)の翻訳を行い、第四章で薬材の臨床での実物用例を一覧表にする。

 本書発行の大きな目的は、チベット薬に興味をもち植物学や薬学の知識をもっているけど、チベット語が読めない方に、裨益すること。具体的には『四部医典』を訳註する場合には、チベット人が『四部医典』を読む際に用いる伝統的な二大注釈書『祖先の教え』、『青瑠璃』を用いて解釈する。

 『四部医典』のテクストはいくつもの版があるものの、その内容はほとんど同じで、相違点は字句の綴りくらいのささいなものである。開版された場所が、ブータン、北京、ラサ、デルゲなど距離的にも遠く、また、時間的にも様々な場所で彫られているにもかかわらず、テクストがほとんど同文ということは、チベット人がいかに、聖典の字句をゆるがせにせず受け継いできたかを示している。

 なので、まずはチベット人の理解にもとづく、薬材とその効能の理解を示すことには意味があろう。

 『四部医典』の当該箇所の翻訳はすでに雑誌で発表済みであったとはいえ、十年かけてちんたらやっていたので、訳語の統一とか、文献参照を行っている場所があったりなかったりと一貫性がなく、とてもそのまま使えるようなしろものではなかった。ここでメンバーの一人西脇さんが苦労して注釈をつけなおしてくれ、私がそれを泣く泣く編集した。

 次に、ある薬材の名の下に臨床でどのような学名の動植物・鉱物が実際に用いられているかを扱う第四章の作業は殺人的であった。我々が収集しえた限りの学名の記載のあるチベット薬材の研究書は14冊。初めはこの14冊にみえる学名をまずデータベースに入力し、その情報を総合した結果を出版しようと思っていたのだが、そううまくはいかなかった。

 まず、入力過程で、先行研究に記される学名のラテン語のミススペルがえらい多いこと、また英語の綴りをラテン語風の語尾にした、さまざまなバリエーションの謎の英語名が多いことに気づいた。また中国の植物分類は何か微妙によそと違う。

 ラテン語のミススペルはさすがに訂正するとしても、なんちゃって英語ラテンのバリエーションを統合するかしないかでメンバーはもめた。結局、もう語尾違うならそのまま別項目ってことでのせちゃえ。文献同士の参照関係もわかるから、ということになった。

 そして、運命の9月14日である。ダンナがアムドの某ホテルでデータベースの更新中に、うっかりそれまでの入力情報を消してしまい、バックアップをとっていた8/23日の情報にデータベースは戻ってしまった。

 もうデータベースをとおして情報を訂正したり、たしたりして、それを処理した結果を発表するなどという手順はふんでいる暇はない。そこで、とりあえず、手元にある9/13日時点の処理結果に手作業で必要最低元の情報をたしていくことにした。ローテク・・・。

 何度もいうが入力元の先行研究は14冊。

 メンバーの一人は昼の仕事以外にも老人介護をしており、もう一人は自営業で土日も仕事で夜しか時間はとれず、ダンナはアムドで手元に史料がないため、動けるのは私だけ。決して勤勉ではないこの私だけ。、しかもその14冊の大半は何となく私の研究室に集まってきている。

 関係ないけど、この時、20代の頃、仏教語彙集Mahavyutpattiを作った時を思い出した。あの時も、9565項目を北京版、デルゲ版、チョネ版、ナルタン版、モンゴル大蔵経二版の計6版で校訂する作業を来る日も来る日も続け、廃人になりそうだった。しかも私はもう二十代でない。

こうして昨日、苦労の結果の薬材・属名比定表がとりあえず完成。チラ見せするとこんな感じ。

zokume.jpg

本当はいろいろ注記をつけた方が丁寧なのだが、紙幅の関係もあり、やりだしたらキリがないので、これはデータベースにいずれ入力することとして、以下のような見ようによっちゃかなり言い訳っぽい凡例によって、全力で逃げた(笑)。

(1) 学名は属名のみ挙げた(語頭を大文字表記)。ただし、鉱物類や他に学名がない場合は英語名を採録した(語頭を小文字表記)。
(2) 文献番号は第4章第1節にあげた文献リストの番号に対応する。
(3) 植物の分泌物、動物の体の一部、化石などが薬材として用いられることにより、基原生物の名称とその分泌物や一部分の名前が併存する場合もある。
(4) 代用品の存在などにより、一つの薬材名の名の下に有機物と無機物が混在している場合もある。
(5) ある薬材名称に、花の色、産出地域名称などの修飾語が附された下位名称が存在する場合、下位名称に対応する属名も採択した。ただし、ティクタなど数多くの下位名称をもつ薬材の場合、網羅的な属名の採択は行っていない。

 ちなみに、まだ三章の本草書の訳註は入稿していない。授業は始まるし、論文の締め切りはあるし、別件での訳註の締め切りはあるし、こんな状況なのである。

 すべてを放擲して温泉に行ってしまいたい。
 
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DATE: 2014/09/10(水)   CATEGORY: 未分類
ギュメ滞在記 (4) インタビュー点描
滞在記も四回目となりました。最後は灌頂編で終わる予定なので、今回は僧院内で行ったインタビューについて語りたいと思います。歴史学者なので例によって時系列順です。

 僧院学校を訪問

 ギュメの正門でて右手には、Gyumed Monastic School For Higher Studies and Practice in Sutra and Tantraという看板を掲げた近代的な建築物がある。直訳すれば「顕教・密教のより高度な哲学と修行のためのギュメ僧院学校」である。
 案内人のIさんが「ここは小僧さんの学校だ」とおっしゃるので、秘書官のニマさんにこの学校を取材させてくれないか御願いしてみた。
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 周知の事実であるが、中国政府は僧侶が尊敬を集めていた旧チベット社会を破壊して今のチベットを作った。従って、僧院や僧侶に対する警戒心は非常に強く、出家を妨害し、俗人の参加する法要も制限し、インドから名のあるリンポチェがチベット本土に入国することも阻止して、一言でいえば本土の僧院では正常な修行や研究ができない状況となっている。

 中でも、伝統的に行われていた幼年期の出家は気合いを入れて妨害しており「子供の人権を奪うものだ」というプロパガンダを流布している。チベット仏教は高度に論理的であるため、勉強は幼いうちにはじめるにこしたことはない。もちろん、一族の希望を担っての晴れがましい出家ばかりではなく、中には貧しい家の口減らしの場合もあろう。しかし、いったん僧院に入れば三度の食事も食べられ教育も受けられ、かつ還俗の自由もあるため、人権蹂躙の批判はあたらない。
  私が中国政府の批判をこのように話すと

 アリヤさん「チベット人にとって僧侶はあこがれの職業です。親から言い出すのではなく子供からなりたがるのです。私は男ばかりの三人兄弟で、お兄さんが僧侶になるといってなって、次のお兄さんも僧侶になるといってなって、私が僧侶になりたいといったら、両親が許してくれませんでした。本当は僧侶になりたかったんです」

 平岡校長「還俗の自由がありますから、人権蹂躙にはなりません。大体チベット本土では共産主義教育以外は受けられないんでしょう? そっちの方がよほど人権蹂躙でしょうが」

 「私に怒らないでくださいよ。言ってるのは×国政府です。」

 というわけで、8月14日学校を訪問することになった。
 学校の入り口でユンテンという名の僧侶の先生とばったり会う。このユンテンさん平岡先生が二十代の時ギュメに留学していた折、最初にチベット語を教わった方であり、今はこの学校で教師をしているという。毎年ギュメを訪問している平岡先生もずっと会っていなかったらしく楽しそうに旧交を温めていた。
 
 しかし、学校は何か閑散としている。聞けばその日はヤマンタカの法要の最中なので休校であった。しかし、学校の事務室に招き入れてくださり、時間表、教科書などを拝見させて戴く。小僧さんは15才にならないとギュメの本堂に入る資格がないので、それまではここで仏教や一般教養を学ぶ。事務室にはもちろん仏壇があり法王の写真もかかげられている。

 生徒のクラス分けは僧院内での仏教の勉強の習熟度で分かれており、時間割表には「般若 英語」とかあるのは、般若思想を学んでいるクラスの英語の時間という意味(笑)。
 そしてなんと、中国語のクラスまであった。英語の教科書はインドの英語教育で用いられているもので、中国語については、中国人がチベット人に漢語を教える教科書でイラストに中国の国旗とか入ってて吹いた。チベットの歴史・仏教の教科書(邦題『チベットの歴史と宗教』明石書店)も当然使われていた。先生は英語以外はお坊さんが担当しているそうな。生徒はもちろんギュメの若いお坊さんたち。
たくせる

 学校の校庭は、平日の夕方はディベート会場となる。博士を得る前の僧侶が集まって、二人一組でチベット仏教名物ディベートを行うのである。緑の芝にサフラン色の僧衣がはえて美しい。秘書官のニマさんは私たちをひっぱっていって、三歳くらいの子供が二人でディベートをしているところに連れて行ってくれた。かあいい。高僧になって寺を支えてくれよと祈る。

 雨の日はディベートができなくなるため、現在本堂の右手に屋根付きのディベート会場を建設中であるが、インド人作業員は三人くらしかいなくて、私の滞在中工事はまったく進んでいなかった。

 この学校の隣にある近代的な建造物は外国人向けに英語で密教を教える「密教学校」らしい。ダラムサラの図書館で行われている講座の密教版である。在籍しているのは台湾人三人のみで、彼らは瞑想ばかりしているという。みなさーんギュメに留学しませんかあ?

リンポチェ・インタビュー

 8月15日 秘書官のニマさんとアリヤさんとともに、クンデリン・リンポチェのお部屋を訪ねる (男性同伴者がいれば女が僧坊訪れても戒律違反にはなりません)。滞在記の1でも述べたように彼はダライラマにつぐ摂政位格式の転生僧である。しかし、そのような彼でも厳しいギュメでは特別扱いされず、午前二時からの法要でも問答無用で参加である(ただし部屋だけは一般の僧侶より少しいい)。

 「リンポチェの初代はパンチェンラマ一世ゲレクペルサンの弟で、第六代ガンデン座主のバソ・チューキゲルツェン(1402-73) ですよね。ダライラマ法王は苦労されたお若い頃は自分が観音の化身だと言われてもぴんと来ないと書いていらっしゃったけど、1989年頃になると「自分は祝福されたものの系譜につらなる」とはっきりおっしゃるようになりました。リンポチェも自分は生まれ変わり(トゥルク)だ、とか前世を感じることがありますか」

リンポチェ「小さい頃はよく分からなかったけど、法王が認定してくださっていますし、今から考えると、特別なのだと思えるので、責任を感じて今までがんばってきました。先代のやったことを続けてやっていきたいと思います。」

「ゲシェ(博士号)をとられたのはいつですか。僧侶は博士号をとると教育や布教にあたることが奨励されていますが、リンポチェはどこかに教えにでられる予定はありますか」

 リンポチェ「ゲシェになったのは2013年です。ダライラマ法王のご指示によって動くことが重要です。法王がセラ大僧院で『ラムリム』の教えを説かれた時、英語の勉強をしなさいと勧められました。また、時間のある時は中国語も勉強しています。昔仏教国であったところには行ってみたいと思います。」

 「日本仏教は廃仏毀釈以来衰退の一途をたどっています。正式な僧伽は、250戒(独身戒を含む)を守った僧が五人いてはじめて発足しますが、今の日本にはこの僧伽がありません。仏法僧の僧がいない状態なのです。可能であれば日本にお出ましください。先頃遷化したジェブツンダンパ9世 (1932-2012) についてお伺いしてもよろしいでょうか。」

 ※説明しよう。この前なくなった9世の先代ジェブツンダンパ8世は1911年にモンゴルが独立した時、モンゴル政教のトップの座に就任した。ようはジェブツンダンパはモンゴルもっとも権威ある転生の系譜である。初代と二代目はいずれもチンギス・ハンの子孫からでたが、権力の集中を恐れた清朝が、3世以後をチベットから選ばせていた。だから独立時の王様であるジェブツンダンパ8世もチベット人である。

 「ジェブツンダンパ8世がなくなる時、リンポチェがお側にいて『後を頼む』と言われたという話をもれ聞いているのですが、次代のジェブツンダンパはずばり聞きますがモンゴル人ですか?」

 リンポチェ「頼むといってもモンゴルやチベットの仏教を頼むという全般的な意味でです。法王は『ジェブツンダンパは今度はモンゴル人になる。でも〔生まれ変わりの〕探索にでるのは早い』とおっしゃっています。転生者の探索はガンデン大僧院が担当します。
 ジェブツンダンパ9世は1959年にダライラマ法王とともにラサからインドに亡命して、モンゴル民主化の直後の1991年に法王が話をつけてモンゴルに戻ることができました。2011年にはモンゴル国籍をとってモンゴル人になりました。」

 ということは、デプン大僧院ゴマン学堂のリンポチェが探索に加わることはないのか。でも先代は摂政レティンが認定したとおっしゃっていたし、それはやはり摂政位につく格式の僧が認定することもあるということだよね。
 
「去年モンゴルの首都ウランバートルのガンデンを訪れたところ、境内に集会殿が建設中でした。案内してくださった方によると、ダライラマ14世の寄付によるものだというのですが、モンゴル布教についてお聞かせください」

リンポチェ「ダライラマ法王は『モンゴルには戒律を護る僧がいないので、戒律を守る僧が集団生活する場が必要だ』ということで、集会殿を建てています。歴代ゴマンの管長の中にはモンゴル/ブリヤト人が8人います。モンゴルが社会主義だった頃はチベットとモンゴルの関係は途絶えていましたが、モンゴルが民主化した20年前からゴマン学堂への留学生の受け入れを再開しました。2013年までにモンゴル、カルムキア、内モンゴル、トゥバから300人は受け入れています。現管長も最近モンゴルに行きました。」
 
※ 取材メモに基づいて文を起こしていて録音にまでもどっていないので年号とか確認した方がいいかも。

ウムゼの亡命体験

 ウムゼは僧院の中で副管長につぐ重職である。現在33才のウムゼのAさんは11才で本土からインドに亡命した体験をもつというので、8月16日に彼にお話を伺った。
 Aさんは東チベットの某地区出身である。なぜ伏せ字にするかというと言えば、もちろん本土の家族が迫害されないようにである。
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ウムゼ「私の家は三人兄弟でした。上の二人は中国の上級学校に入ったのですが、祖母は末の子供である私を僧侶にしたいと思っていました。私はおばあちゃん子だったので、私も僧侶になりたいと思っていました。

「11才というのはとても幼いですが、その年齢で両親と別れてインドにくるのは大変な決断だったでしょうね」

ウムゼ「両親は私の出家に乗り気ではありませんでした。しかし、我が家でおばあちゃんの言葉は絶対でした。そこで両親は『どうしても僧侶になりたいのなら、17か18才になってからにしなさい。もし今したいのなら地元の僧院で出家をすればいい』といいました。しかし、地元の僧院は活気がなく、ここに入っても仕方ないとおもいました。両親は最後は私の意志にまかせるといったので、私は『ダライラマ法王も尊敬する先生もみなインドにいる、だからインドに行きたい』といいました。チベット人は六歳くらいになるとダライラマに憧れるんです。両親は『インドは遠いし道は悪いし、病気になっても病院もないよ」と現実的な話をしましたが、自分は『インドは素晴らしいところだ』と思っていたので聞きませんでした。こうして亡命がきまりました。」

「わかるわあ。私もインドには素晴らしい僧侶がたくさんいると思ってやってきたけど、正直ここにつくまで大変だった」

平岡校長「何しみじみいっているんですか。苦しい思いをして到達するほど功徳があるんです」

「東チベットから南インドまで11才の子供が一人で踏破するのは不可能ですよね。「ヒマラヤを越える子供たち」で有名になった子供ばかりの一行をインド側のチベット人が手引きするというあのスタイルで亡命したのですか」

ウムゼ「私が加わった一行は全部で25人でした。子供が5-6人、18才と19才が二人。あとは法王様にあいにインドに巡礼にいく人とかで構成されていました。車でラサまで行って、ネパールの国境からはみなでお金を払ってやとったガイドのあとをついて一ヶ月半かけて歩きました。

 一行の中に地元からでたギュメ寺の僧侶が一人いました。この方は結核だったので途中で亡くなってしまいました。なくなったお坊さんは一人っ子でお坊さんの両親がとても悲しむと思ったので、私たちは死者の名前を口にしませんでした。その結果、『一行の中で死人が一人でた』ということだけが故郷に伝わりました。両親は誰が死んだのかわからないから私が死んだのではないかと心配しました。電話は中国政府が盗聴しているのでかけることはできません。そこで、インドのセラだったかデプンだったか思い出せないのですがそのどちらかで法王がナーガルジュナについて講義をなさる時、たくさんの人が集まるので、私を探すチャンスだと思い、両親は使いの者に私の写真を持たせて説法会にこさせたのです。両親は『私を見つけたら膝の上にのせて写真をとれ、そうしたら生きていることを信じることができる』とその人に言ったそうです。
 私の父は●×職についていましたが、私がインドに行ったことで、給料を下げられ、自己批判文をたくさん書かされました。もっと上までいける人でしたが、出世もしませんでした。私がインドに行ったからです。しかし、両親は私が一人前になるまでそのことについて一言も言いませんでした。」

アリヤさん「子供をインドから呼び戻さないと、給料をさげる、出世できないぞ、とかいろいろ圧力をかけるんですよ」

「数ある僧院からなぜギュメを選ばれたのですか。」

ウムゼ「我が家がB僧院の密教学堂の施主だったこと(ギュメは密教の総本山)、故郷からでてギュメで名を挙げていたC阿闍梨という方に憧れていたので、その方につくためにギュメに入門しました。ギュメには四つの地域寮があり、そのうちの一つテウ地域寮にはいりました。この四地域寮は今は形骸化していて年に一度の法要の時だけ復活します。C阿闍梨が素晴らしかったので、私の学業は順調で2006年には密教博士になり、今はウムゼです。」

「ウムゼはギュメに来た時、前にここにいたことがあると感じたといいますが、その時の体験を話してください」

ウムゼ「あの時私は12才の小坊主で、食事係になって食堂でごはんの準備をしていました。食堂の上には事務所があります。事務所は僧院の経理をあずかるチャンゾー(管財僧)などの役付きの僧が集う場所です。小僧が訪れる機会もありませんでしたが、食事係になってたまたま階段をあがって事務所を訪れ、ドアノブに手をかけた瞬間、『絶対ここに入ったことがある』と確信しました。その話をギュメの高僧のチメ・ドルジェに話したところ「12才で頭もはっきりしているので前世からの習気(じっけ)が現れたのだろう。」と言われました。

「今は何を目的に修行されていますか」

ウムゼ「もちろん一切智者(仏)になることです。」
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DATE: 2014/08/28(木)   CATEGORY: 未分類
ギュメ滞在記 (3) 自由時間
 滞在記のパート3はぐっと身近な、素の時間の我々についてお伝えしたいと思います。

 その一 コブラ

インドにたつ二日前、私はインドのネット事情を聞くために平岡校長に電話をした。すると

 平岡校長「あー、電話は通じますよ。事務局にはパソコンもありますしね。ネットもつながるんじゃないですか」

 「何か準備しておいた方がいいものありますか?」

 平岡校長
「特にないですねえ。あ、ただ、未明に法要に参加するために暗い場所を歩くことがあるので、懐中電灯をもってきてください。あと、コブラがでるので、サンダルではなく靴を履いてきてください。コブラは積極的に先生を襲ったりはしませんが、踏まれるとかみます。この居留地を開くとき、多くのチベット人がコブラの犠牲になりました。でも大丈夫。二時間以内に血清をうてば助かります。」

 これを聞いた私は、懐中電灯はiPhoneでいいな、コブラはどうせびびらせるためのネタだろうとおもい、でも靴は一応履いていくことにした。

 ギュメについてみると、ゲストハウスは意外に清潔で設備はよかったが、昼間は電気が落ちるので、iPhoneとかパソコンの充電がじつに心許なかった。とても「準備は特に必要ない」とは言えない状況。

 しかし彼はコブラについてはウソをついていなかった。

 ギュメについて何日目かに法話が終わり、本堂の裏手を歩いていると、本堂を逆コルラしながら高速で蛇がはっていくのを発見↓。喜んで写真にとって、平岡校長にみせると
cobra.jpg

 平岡校長「しばらくでていなかったのに、気色悪い。お坊さんたちに気をつけるように言ってきますわ。」と出て行った。で、しばらくして戻ってきて
 平岡校長「お坊さんたちはそこいら中にいっぱいいるから心配するなっていうんだけど、それめちゃめちゃ心配じゃないですか」

 聞けば、コブラがはいってこないように、ゲストハウスも本堂も入り口をかさ上げしているという。その点平屋の僧坊はコブラにとって敷居が低いので、よく被害がでるという。
 私は、靴をぬぐ機会があまりにも多いので、途中から靴を履くのが面倒臭くなって、結局ゲストハウスのビーサンで過ごした。

 その二 ミツバチ

 ギュメについたその日、本堂最上階にあるダライラマ法王の居室をみあげると窓とバルコニー全体が巨大な蚊帳に包まれていた。なぜかというと、法王室のバルコニーの下には巨大なミツバチ(スズメバチと聞いたのですがミツバチと訂正が入りました)の巣が最低6つはできているからである↓。
スズメバチ
 案内人のIさん「ダライラマ法王は『この蜂はチベットでなくなった人々が、お経を聞きにやってきているものだから、とってはならん』とおっしゃるので、そのままにしているそうです」

 泣ける話しや。〔刺されなければ〕

 ミツバチもコブラ同様、自分から人を襲うことはないが、うっかり踏んだり手を置いたりしたら刺す。巣はまだまだ増えていきそうな勢いである。
 本堂で法話を聞いていると、ときたま迷い込んできたミツバチが本堂内をとびまわり、蚊も常時入ってくる。ちなみに、南インドは今日本でも問題になっているデング熱の故郷である。しかし、コブラもミツチも蚊ももちろんみな「命あるもの」なので、「駆除」などという概念は我々にもチベット人にもない。
 
 最初は虫除けスプレーとかしていたが、コブラガーとかいってるうちに、蚊や蜂なんてどうでもよくなってきて、結局初日しか使わなかった。

その三、コンビニ

 大僧院の僧院長や学堂長のポストには、それにつくための伝統的な条件があるため、自ずと候補者は絞られる。そうやって作られた候補者のリストから、ダライラマ14世が次期座主などを任命する。しかし、管財僧などの事務方は僧院内の選挙で決まる。
僧侶は一般的にこのようなお偉いさんの人事について話すことが好きである。平岡校長は思考が日本よりもチベットよりなので、

 平岡校長「次期ギュメの僧院長の候補者にはゲン・ロサン先生も名前が挙がっているそうですよ。クンデリン・リンポチェ(ゲン・ロサン先生が家庭教師をつとめている)が法王様の命令で年限より早めにギュメに来られたのは、何か理由があるのかもしれません。私はゲン・ロサン先生がギュメの座主になるのは五割の確率じゃないかと思っています。」

 とかいう話をふってくる。なので

 「平岡先生は大僧院の人事について、凡人がAKB総選挙について語るようにアツイすねえ。」 と応える。

  こんなこともあった。

 「昨晩、胃が痛くて眠れなかったので外に出てみたら、本堂の前で五体投地をしている人がいましたよ。マントラを唱えている声も聞こえてくるし。夜に行をしている人がいるんですねえ」

平岡校長「ええとこに気づきましたな。ギュメは24時間営業のコンビニなんですよ。24時間誰かが必ず修行をしているんです。」

 これ普通ならまず、「お体の具合が悪くて大変でしたね」とかいう社交辞令から入るところだろう。
 はははは。
 
その四、おそろい

 ギュメ滞在二日目、平岡校長の弟君が日本で誂えたというギュメ・カレッジTシャツ(大学グッズのパロディだな)をプレゼントしてくださった。僧侶色のえび茶色で、なかなかステキなデザインである。私がそれを着て降りていくと、

 Aさん「先生のだけ、みんなとデザインが違いますね。あ、それ前後逆に着てませんか?」

 その通りでした。

 そして次の日。ゲストハウスの戸を叩く音がするので、出て行くと、教育者ブラザーズが四人でおそろいのI LOVE TIBETTシャツを着ていた。

 Bさん「先生、これそこのJ Villageで売っているお土産物なんですが、この赤いI LOVE TIBETTシャツをプレゼントしますので着て戴けませんか」

 「どっちかっつーと、私ブルーがいいんだけど」

 Cさん「汗のしみこんだこれでよければ」

 「赤で結構です」

 このI LOVE TIBETティーシャツを揃いで着ていると、秘書官のニマさんに受けていた。僧侶に受けていたかどうかは分からない。
 ちなみに、管長のお湯のみはFree Tibet 柄であり、副館長はエミレーツ航空のロゴの入った湯飲みを使っていた。館長はオーストラリア国籍で、副館長はイタリア国籍なので、僧侶たちからはハイカラとか思われているかもしれない。

 ちなみに、ギュメは窃盗を防ぐために高いカベに囲まれ、かつ境内に牛が入ってこないように、門扉は閉めてわきに人入り口がついているのに、↓誰かが門扉を閉め忘れると、こんな感じで牛がもーもー入ってきます。
境内の牛

後日談

 一行は帰国後体調を崩してみな寝込んだそうだが、それはバンガロールの空港にいく直前、超高級ホテルオベロイでとった夕食のデザートのスイカが原因ではないかとウワサされている。しかし、同じものを食べた私は何ともなかったので、本当にそれが理由かどうかは分からない。
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DATE: 2014/08/27(水)   CATEGORY: 未分類
ギュメ滞在記 (2)  怒濤の法話編
ギュメ滞在記パート2は、法話を抽出しました。視聴者は会社の社長さんとか教育者であったため、お話も勢い非常に一般向けでした。とくに、Q & Aは仏教を知らない人にでも非常に分かりやすくなっているので、ぜひご覧ください。

■8月14日 説者 密教学博士ロサンシェラプ 於 ギュメ本堂 ドルマラカン


 人はみな幸せになりたい、苦しみから逃れたいと思っている。その方法を説くのが仏教である。仏教を求める場合、その動機の大中小によって三種類の求道者が生まれる。

「小士」は輪廻の中での楽な生(天人とか人間でも金持ちとか美人とかの生)を得んがために仏教を求める人。
「中士」は、輪廻の中の生はしょうもないものと理解し、輪廻からの脱出を求める人。
「大士」は、あえてこの苦しい輪廻にとどまり、すべての衆生を救済するためにそのような力をもつ仏になろうと決意する人。

 つまりこの大中小は志しの大小によって分かれている。僧衣を着ているか俗人の服を着ているとか外見の違いではない。

 仏教を体と言葉と心を用いて実践する際、一番重要なのは体と言葉の行動の背景にある心である。仏教を志す動機が自分のためなら小乗になり、人のためなら大乗になる。体で五体投地をして、言葉でマントラを唱えて、仏教徒らしくしていても、動機がしょうもなかったら仏法とはいえない。

 体で行う実践も、言葉で行う実践もすべて動機によっているので、〔人のために仏を目指すという〕正しい動機が一番大切である。

 朝起きた瞬間今日一日をどうすごすか、寝る前に自分が一日をどう過ごしたのかを考えることが大切である。仕事のある人は朝から晩まで仏法できないと思っているだろうが、同じ仕事をしても人のために仕事を行えば仏法の実践になる。公私の行動を人の役にたつようにやる。それはひとりよがりなものではなく、相手の役にたつように、しかるべく行う(tshul zhin du byed pa)ことが大切だ。

・帰依のやり方

朝起きてまず、三宝(仏・法・僧)に帰依すること。三宝に帰依することが仏教徒であることを示す。
 まず帰依する対象をイメージすること。仏・菩薩がそこいら中にいると思って三宝に帰依しなさい。本当は仏の教えがインドに始まり、チベットの僧侶たちをへて今の自分の先生のところまでくる流れ (bla ma mchod pa) をイメージするのがいいのだが、それができない人はお釈迦様一体を仏菩薩の代理と思ってイメージするのでもいい。

 帰依には怖れと信心の二つが重要となる。

(1) 怖れについて
 みなさんが仏教徒であり、輪廻を信じているという前提で話すと(説明しよう。チベット仏教は無神論も含めてあらゆる宗教の人々に教えを説くので、仏教特有の概念を説かず、道徳として説明を行う場合もあるのだ。今回は我々仏教徒認定された)、
悪いことばかりをしていたら、来世、悪い生を得てしまう、怖いという気持ちをおこす。 来世動物に生まれてしまったら、かわいがられていると思っても、いずれ食べられてしまう。動物になると、人間界に戻ってくるのは難しい。

 戒律を守ることが人に生まれる基礎となる。戒律の中でももっとも粗なレベルの戒が十善戒(大乗仏教の基本的な戒)である。
 十善戒は身体で行う悪行三つ、言葉で行う悪行四つ、心で行う悪行三つをやらないことだ。

体で行う三つの悪行とは 殺生、偸盗、邪淫(邪なセックス = 僧侶の破戒とか、同性愛も含む)である。
言葉で行う四つの悪行とは、嘘、両舌、悪口、綺語(根拠のない馬鹿話)である。
心で行う三つの悪行とは、貪、嗔、邪見(間違った哲学)

この十の悪行を普段から行わないことが大事である。
仏教には我執を取り除き、智慧をえるために三学(戒 定 慧)がある。

(2) 信解について
信解とは、悪い境涯から逃れる手段は仏法僧の三宝しかないと確信すること。

・具体的な帰依のやり方

 ・ラマへ帰依
「師に帰依します」(bla ma la skyabs su mchi'O) を20回唱える。

 ・仏法僧のうちの仏への帰依
 眼前に仏像を観想している場合、そのお釈迦様から甘露水がでて自分の頭頂からはいって、今までなした悪い行いが尻の穴からでていき、体が水晶のように透明になったとイメージする。
「仏に帰依します。法に帰依します。僧に帰依します。」と三つにわけて帰依するとより功徳がある。
人々を救う手段(方便)と悟りの意識(智慧)を完成した人を仏と呼ぶ。仏さまは仏像ではなく、プドガラ(サンスクリット語で輪廻の主体を意味する言葉)である。それでもそこにいるとイメージすることはできる。

 ・仏法僧のうちの法への帰依
 四聖諦の中で、後半の二諦、滅諦(煩悩がなくなった状態)と道諦(それに至る方法)を法という。

 ・仏法僧のうちの僧への帰依
 この法を心で直感している人を聖者という。
 聖者に帰依するのがベストだが、現実にはなかなかいないので、戒律を守った僧の集団(僧伽)に帰依する。戒律を守った僧が最低四人集まったらそれを僧伽という。
 法を実践している理想の姿を示すのが僧である。

 医者と薬と看護師に喩えれば、お釈迦様は医者である。医者がこういう人にはこういう薬をだした方がいいというように、お釈迦様は人に合わせてさまざまな法を説く。従って、法は薬である。その患者を世話をして手本を示すのが、看護師たる僧伽である。
 薬があっても患者が酒飲んでいたら病気は治らない。教えを聞いても実践をしなかったら、心は変わっていかない。

・三宝に帰依するについて、なすべきことと・やってはならないこと。

どんな仏像であっても本当にそこに仏がいるものとして扱わねばならない。仏像の材質が木か金か、古いか新しいかによって態度が変わってはいけない。
 仏以外に帰依してはいけない。ギュメ僧院はダムチェンチューゲル (dam can)という護法尊がいていろいろお願をかなえてくれるが、このような俗的な願いを叶える神に帰依をしてはいけない。
 法に対する帰依をしたならば、人に対して敵意をもってはならない。仏教について少しでも書いてあるものは粗末に扱ってはならない。ましてや経典をおろそかにしてはならない。
 性格の悪い人と友達つきあいしてはならない。その影響をうけてしまう。
 僧侶の悪口を言わない。
 朝起きて30分でも、仏教徒の理想の姿を確認してそれに近づこうとする時間をもつ。

 仏教徒と自称していても仏法僧が何なのか分かっていない者はいっぱいいる。なので私は木曜日にここに住む一般の人を集めてこういう話をしています。 タワン地区(アルナチャル・プラデーシュ州)にいった時、そこのチベット人が「私は仏に帰依している」というので「仏ってなんだ」と聞いたら、みな答えられなかった。

 ではみなさんの質問を受けます。

・お楽しみ質問コーナー

Q「ラマがいない時は誰に帰依したらよいのでしょうか」
A 「なかなか難しい。ここで学んだことを反芻して徳を積みなさい」

Q「私は教育者です。こどもにうるさく説教すると反発します。しかることは良いことでしょうか」
A「徐々にゆっくり導くことです。仏教に様々な教えがあるのは、人の理解度は様々なので、それにあわせた法があるからです。相手が理解できる範囲を足がかりにしてゆっくり導くのがいいでしょう。

Q「聖者をどうしたら見分けることができるでしょうか。」
A「聖者は空の哲学の話をしたら、うれしくなって泣き出す人です。そういう人が聖者です」

Q 「私は医者です。医者は場合によっては患者を殺すこともあるけど、どうしたらいいか。」
A「ベストをつくしたなら、その結果患者が死んでも、悪業にはならない。」

Q「仏教では名声や金銭を求めるのは悪業ですが、イチロー選手のようになりたいと思うのは自分を高める糧になるのでいいことではないか。悪業になるならないの境界線はどこにあるのか。」
A 「なにごとも動機次第である。あなたが名声を得てその影響力をもって人の役に立ちたい、お金もちになって、そのお金で人の役に立ちたいというのなら、お金も名誉も自分のためにもとめていないので、問題ない。」

理事長「空性は光り輝いているものなのか。」
A「光明というのは比喩である。煩悩にまみれた意識はものごとのありようがみえていないので、暗黒にたとえられ、煩悩と所知障がなくなった意識は「ものごとのありようが空であること」を認識しているので、暗闇から光明の中にでたことに喩えられる。

理事長 「世の中すべて空なのだとしたら、悪業のありようも空となり、喩えると悪業も本質的には清いものなのか。」
A 「悪業のありようは清浄であるが、悪業自体は悪いものである」

Q 「畜生におちてもう一度人間になるためには、どうしたらいいか。」
A 「一ぺん、動物におちたら、良い境涯にあがるのはとても難しい。動物にはむさぼり・怒り・愚かさの三つの煩悩があっても、それが悪いと思う感覚がない。だから煩悩をただせず、動物の境涯からぬけることができない。良い境涯から悪い境涯におちる人はたくさんいるが、悪い境涯から良い境涯に行く人は本当に少ない。どのくらい少ないかといえば、世界中の土に対して一握りの土くらいの差である。」

Q「一生懸命やっても理解されない時はどうしたらいいのか。」
A 「人はいろいろ誤解していうだろうが、忍耐が大切だ。相手が悪口という悪業を積んでも、こちらが怒りという悪業を積むことはない」

Q「中絶について仏教はどう考えますか」
A「仏教的にはよくないでしょう。仏教を修行する能力をもつ人に生まれるのはとても稀なことで、その人に生まれるのをやめさせることはよいことではない。」

Q「障害児を産むことを選択しなかった親は、業から逃げられるのか」
A「業はなくなることはないので、一時逃げても、必ず後世に熟してくる」

Q「仏法を求めない人は救われないのか。」
A「他人の善業を回向されることによって救われる。人はどうせすぐ悪業つむのだから、善業を積んだ瞬間にすぐ人にあたえなさい(回向)、祈願しなさい。そうしたらあなたの善業は決してなくならない。回向と祈願の違いは、善行を根拠として祈るのが回向、善行なしにただ祈るのが祈願である。
 仏教について知ることは大切だが、それによってどれだけ心を成長させていけるかが大切である。美味しいものをただ見ていても、栄養にならない。食べて消化してはじめて栄養になる。同じように、仏法もただ見ていても仕方なく、心になじませて実践してはじめて力を発揮するのだ。


■8月15日 説者 ギュメ寺副管長 於 ギュメ本堂二階ドルマラカン

 法話を行う技量はないのですが、日頃感じていることをお話したいと思います。みなさんのお役にたてたら私も善業を積むことができます。本日から二日かけて、アティシャの菩提道灯論について説きたいと思います。全部の解説はできなくとも、ルン(ラマが行うテクストの音読を聞くことにより祝福されること)によって加持を受けることはできます。

 〔古代王朝が崩壊後の11世紀のチベットにおいて〕仏教は堕落の極みにあり、密教の第三灌頂はまんま。女性を用いて行われるなど風紀は紊乱していた。当時の王チャンチュブウーがそれを糾そうとしたが、誰も言うことを聞かなかったので、王はインドのヴィクラマシーラ大僧院の学頭アティシャをチベットへ招聘しようと決意した。ナクツォ翻訳官にこの件を頼むと「とても無理」といわれたものの王はナクツォに三礼し、ナクツォはそれに心を動かされて、とりあえずインドに交渉にいくことにした。当時ヴィクラマシーラ僧院の管長の名はギャナガラといい、ナクツォはこの人に金をたくさん布施して、ついに「アティシャは6年以内に必ずインドに戻す」という条件の下チベットに招聘する許可を戴いた。

 6年という期限もあるので、王はアティシャに「密教も顕教も関係なく、全仏教に役に立つ教えを一つといてくれ」と頼むと、アティシャは「この王様わかってるじゃん」と喜んで書いたのが、名著『菩提道灯論』(lam sgron)。

 ※ ここにマリア・リンチェンさんの和訳があります。

 アティシャをインドに返さねばならない時がきたものの、インドとチベットの国境で戦争がおこり道路は不通になった。そこで、代わりに、アティシャの記した『菩提道灯論』をヴィクラマシーラにおくった。当時の風習では、学僧たちがくだらんと判断した著作は犬の首につけて町におくりこまれ「こんなものを書いたヤツはアホ」とさらしものにされた。しかし、『菩提道灯論』は素晴らしかったので、ヴィクラマシーラの管長は「こんな短期間にこんな良い作品ができるのならアティシャがチベットに行った意味はある。この『菩提道灯論』を解説する注釈書を書いて送れ」と言って、チベット滞在を許可したのであった。

 今から、衆生が苦しみから逃れられるように、私は説法する。聞く方もそう思って聞きなさい。菩提心を起こすことは難しいが、まねごとをするだけでも大したものだ。そう思うだけで菩提心のもっている功徳によって計り知れない力が生まれる。
 
 今日私が行うことが有情の役にたつ原因となりますように。そうして一日の活動を始めるように。日常が始まると、つい朝の気持ちを忘れてしまうが、その影響力は残る。最近はなんでもアウトソーシングして人にまかせるが、自分の心はアウトソーシングして治してもらうことはできない。自分で自分の心を分析して、どうしたら自分の心が成長するのかを知らなくては心は伸ばせない。

 美味しいご飯の作り方知っていても食べなければ栄養にならない。心の整え方を知っていても実践しなければ、肥やしにもならない。慢心、嫉妬心、競争心と煩悩の数は八万四千もある。シャーンティデーヴァは「僧侶でも慢心はある。お経をたくさん知っていてもそれだけではいけない」とおっしゃっている。
 チャンドラキールティは『入中論』の中で 怒りという煩悩一つとっても、怒りの報いによって、悪い生を得たり、汚い顔に生まれたり、悪い環境にであったりすると述べている。そう、怒ることによって、自分もつらいし、家族もつらいし、友も去っていくし、一つもいいことはない。」
 大切なのは怒りの対治である忍耐である。夫が会社でいろいろ我慢して、家で爆発してモノを壊したりした時、奥さんが黙って後片付けをしていれば、夫も悪いことをしたと反省して最後は謝ることになる。しかし、ここで奥さんも怒ってものをなげたら、収拾がつかなくなるだろう? シャーンティデーヴァは『入菩提行論』(※本書はポタラカレッジで和訳が買えます)の中で「長い間積んだ徳も一瞬の怒りがやきつくす」と述べている。
 怒り続けていれば簡単に怒りやすくなるし、忍耐を続けていればいずれ忍耐強い性格になる。私は1959年当時非常に怒りやすかったものの、これはいかんと思って訓練しているうちに、忍耐強い性格になった。
 人は自分よりできる人をうらやみ、対等な人には競争心を持ち、目下は軽蔑しがちだが、これはおかしい。菩提心を誓ったのなら、全ての衆生を慈しまねばならないのだから、「この人が好きとか、この人が嫌い」などと言うことはなくなるはずだ。

 西洋人も東洋人も金持ちになれば幸せになれると基本は思っている。

 しかし、金持ちでも心の苦しみはすごい。ヨーロッパにいると「瞑想のやり方を教えてくれ」と言われるが、瞑想だけで心の苦しみが簡単に克服できるなら苦労はない。しかし、最近のヨーロッパ人は「心のありようを知って変えなければ、苦しみはなくならない」と気づき始めた。仏教は非常に奥深く広大なもので目先の日常生活にも覚りについても有益な教えを説いている。その通りに実践したらその境地に至ることのできるものなのだ
 だから、仏の境地に至ろうと思わなければならない。お釈迦様以外覚りの境地に至ることはできないなどということはない。お釈迦様も人間である。人種を問わず仏法を実践していけば、時間はかかれども仏の境地に至ることはできる。

 以下、『菩提道灯論』を音読しながらの解説。
 師を間違いなく選ぶこと。分かるまで教えを請うこと。『菩提道次第論』の中にでてくるエピソードに、ドローパと学僧の二人が法を説いていると、弟子は「ドローパの言葉は心を揺るがすのに、学僧の言葉はそうではない。どうしてか」というと、前者は修行をしているが、後者はただ法を知っているだけで実践をしていないので、説く言葉に説得力がないのだ。というものがある。
 修行をしていない人は、人の心に届く言葉は語れない。だから、ドローパのように説得力のある、人の心を揺るがすような言葉を話す人を師にしなさい。
 心を育てることを妨げる人とは距離を置きなさい。
 今若くて仕事が忙しいからもう少し後になって仏法を実践しようというのはいかん。すぐに年寄りになって死んでしまう。自分の心をみつめることは今すぐ今日この時点からできることだ。
 空を思いなさい。すべては自分の心がそれに名前をつけて、あるように見えているだけである。あるのは名のみである。キリスト教では造物主が全てであり、良いこと悪いことも神の御技だが、仏教では我々の心が証人である。この人は信じて良い人かどうか、これをやって良いかどうかは自分が一番わかっているはずだ。
 良い師につき、その言葉どおりに実践すれば短い時間で結果を出すことができる。「仏法の修行をしていたら仕事ができなくて食べられなくなります」ではない。仏法としっかり向合えば、必ず食べることができる。

 「足るを知る心」が大切である。

 執着はこれが手に入ったら次はこれときりがない。慢心もきりがない。しかし、雨は山の頂上にはたまらず、麓にたまる。謙虚な心をもたないと、力はもてない。経済的に豊かになることはいいが、その金に執着をしたらあかん。
 他人の賞賛を求めてはならない。賞賛なんて道ばたの石のようなものだ。つまづいてころぶだけだからどけなさい。私のことを「あいつイタリアいってたりして、大したことない」とか言うヤツはいるだろう。言いたいやつにはいわせておけばいい。ほめられて喜んで、けなされて腹を立てるなんて、心が揺れすぎだ。こだわるな。名声も金も死んだら全部置いて行かねばならないものだ。

 今生は生きてもせいぜい百歳だ。そのあとの転生の方がはるかに長い。だから、金を得たら、ただちに貧しいものに施しなさい、仏法に供養すればこれは宝を埋めているのと同じである(来世に掘り出せるということだな)。

8月16日  副館長講話 第二部 於 ギュメ僧院本堂 二階・ドルマ・ラカン

 大乗の帰依はすべての命あるものを苦しみから逃れさせるために三宝に帰依するといいます。この帰依こそが、非仏教徒と仏教徒を分けるものである。まず、悪いことを行えば悪い境涯に落ちるという恐怖があって、その苦しみから逃れる力が仏法にあるという信解この二つによって帰依をしなさい。
 自分が苦しんでいる時に、有力者が助けましょうかといってくれば、嬉しいだろう。そのように仏法が助けてくれる、という確信をもって帰依をすること。

 行苦とは「無常であること」「業と煩悩の力に牛耳られていること」から起きる苦である。
 仕事が見つからない。仕事が思い通りにいかない時は、私とか法王様とか、帰依する対象を思い浮かべて、「助けて下さい」と心で話をしてみなさい。苦しみに対する恐怖とそれを救って頂ける確信をもって話しかけてみなさい。

 私はカトリックの国イタリアに18年滞在したが、イタリア人は仏教が大好きだ。小さいことから大きいことまでよく電話をかけて助けを求めてくる。「仕事で大失敗した」という人にターラー尊のマントラを授けて、ターラー尊に助けを求めなさい、と言うと、しばらくすると「うまくいきました」という報告が入ることがよくある。力になって下さることを疑ってはならない。

 ターラーは観世音菩薩の前で「観音を信心する人の力になります」と誓ったのだから、救ってくださると疑いをもってはいけない。業と煩悩に牛耳られているのだから、苦しみが起きることは当たり前なのだ。しかし、苦しみがずっと続くこともない。
 
 種を引き出しにいれていても芽は出ない。土にまいて水をあげてはじめて芽が出る。我々はいやなことがあったときに宝の蔵にであったように喜ばねばならない。身に覚えがないのに、悪いことがおきるのは、前世の我々の悪業の報いだ。だから、いやなことがあれば「前世から自分がかついできた悪業がこれで浄化する。これによってすべての悪業がすべて解消するよかったな」と思うことだ。これは業をおとす最高の方法と言われている。

 このツライ経験によって今までの全ての悪業が解消出来ると考えて、安心感を得られたら、 『秘密集会タントラ』の生起次第第一加行道と最勝マンダラ王の修行を完成したのと等しく効果が得られる。他のタントラにもいろいろな功徳があることが説かれている。

自分が苦しい時に、敵の悪業もこの苦しみによって解消すると考えねばならない。
敵がひどいめにあってざまあみろとか思ってはいけない。あなたが敵を許したら、敵はほっといてもあなたへのイヤガラセをやめるようになる。あなたの心も楽になる。

怒りに身をまかせた人がいたら、排除するのではなく、慈しみの気持ちをもちなさい。徳がない人にも慈しみの気持ちをもちなさい。軽蔑したり悪口いうてはいけません。

 友に執着し、敵を排除するというのは結局は執着や怒りで心のバランスを崩すことになる。シャーンティデーヴァに「敵に悪いことがあっても、あなたがああよかったと思うても、実はあなたに何もいいことはない。人が良いことをしたらそれを嫉妬せずに喜べば瞬時に善行がつめるが、人がひどいめにあって喜ぶと、同様に瞬時に悪業を積むことになる。

 人を嫉妬してはいけない。その反対の「人を敬う気持ち」は、その尊敬の対象にいたる道となる。しかし、嫉妬はそこへ至る道はない。

 あいつはここがダメだと非難するのではなく(比丘の戒律に他人の悪口をいうながある)、自分の欠点を自分で認識しなさい。他人に召し使いのようにつかえなさい。
 相手が欠点をなおすようにと諭すのはいいことだ。ただし軽蔑しながらいってはいけない。
 この世の中の命あるものは始まりのない昔から無限回の輪廻を繰り返しているうち、かつては父であり母であったものたちである。あらゆる生き物に対して慈悲で接しなければいけない。日本人は暗いぞ。イタリア人は毎日おもしろがって生きている。
 馬鹿話をしたり、ナショナリスティスティックな話をしていると煩悩が刺激される。善業の原因とならない話は減らしていこう。

 悪い結果しかでないことを一生懸命やってはならない。
 聖者の喜ばないような業を積むことは死ぬことと同じである。
 いやなことがあっても、「アイツがいなければ」思ってはならない。そんなしょうもないやつもあなたの業と縁でそこにあるのだ。
 良いことがあったら、それを喜ばなければならない。まずは自分の心を整えた後に他人を諭すようにしよう。自分に境地がないのに人を説得することはできない。まず心の境地を高めてから人に説教しよう。

 本当に他人の役に立つことを言おうとすれば他心力(テレパシー)が必要だ。それを得るには修行をしなければならない。
 十善戒をまもれば来世はうまくいく。ちょっとでも時間があったら法の実践を行いなさい。あとに回していたら、すぐに年寄りになって死んでしまう。前世とか業とかないとか思って修行していても、効果はでない。自分の心を証人にして自分の心を分析しながら修行をしなさい。

 私の言う通りに仏法を実践すれば、私も幸せあなたも幸せになる。今年百才になるガンデン座主の生まれ変わりセラ大僧院のメー学堂のタクパリンポチェ (GRAGS PA RIN PO CHE)が最初に私にこの『菩提道灯論』を授けてくれた。
タクパリンポチェは山に住む行者からこの書の口伝をうけた。

お釈迦様は間違いなく信頼にたる人。仏教をたった一部であれ実践したら、仏教徒でなくとも功徳はある。あなたがたが密教を含めたお釈迦様の教えに出会えたのは得難い幸せである。

イタリアの神父さんがチベットに布教に行ったところ、うまくいかずこういっていた。「チベット人は頭が固くて、お釈迦様の悪口をいうとみな怒り出す。日本人も同じだ。しかし、中国人と韓国人は容易にキリスト教に改宗する」と。

 ヨーロッパ人でも、ディヴィッド・ニールというフランス人女性がかつてキリスト教を布教しようとラサに行ったところ、かえってチベット仏教の虜になり、帰国した後、チベットについて展覧会を開きチベットが独立国であることを広くフランス人に伝えてくれた(※ 平凡社東洋文庫『パリジェンヌのラサ旅行』)。
 あなたたちの仏教の信仰を大切にしなさい。

Q「病にかかった時、どのように考えれば良いのでしょうか。」
A「トンレン(すてる・受け取るという意味)という修行があります。トン=捨てるで「この病気によって自分の悪業を解消するように」と思い、レン=受け取るで「この病気によって他人がうけるはずであった苦しみを代わりに受けますように」と祈るといい。このトンレンはハンセン病の仏法という通称がある。ある僧がハンセン病にかかり、この病は伝染性なので、僧院からだされて山の中の洞窟で人々の施しをたよりに暮らしていた。この僧は毎日トンレンの修行をしているうちにハンセン病治ったという。だからトンレンの行はハンセン病の法と言われている。

Q「死期の迫った患者さんにあなたは死ぬということを告げる時、どのように伝えればいいでしょうか。」
A 「難しい。ベストを尽くしたことを伝えることだ。死を意識して残りの時間を過ごすことが出来るから。死ぬこと自体は伝えなければいけない。」

Q「友達の女性が、私は母親を愛せない。自分は母親とそっくりなので、自分も愛せない。そのため対人関係がうまくいかないといっているどうすればいいか」
A「どんなお母さんであっても、お母さんの恩を思わねばならない。お母さんが無防備な赤ちゃんの頃世話してくれなければその人は大人に育つことはできなかった。愛情が亡ければ赤ちゃんは育たない」

8月17日 説者 ギュメ管長先生 於 管長僧坊

Q 「私は医者です。患者に死期を告げなければいけない時、どのようにつげればいいか」
A 「難しいな。仏教徒なら良い来世があると言うこともできるが、そうでなければいっても仕方ないし。良い心の状態(周りや人生に感謝して)で死ぬことが大切なので、その人が安らげるようにしてあげなさい。

Q 「私は教師です。勉強のやる気のない子に、やる気をださせるにはどうしたらいいですか」
A 「手を上げるのはよくない。子供にもいろいろタイプがあり、叱ると伸びる子もいれば、褒めるとのびる子もいる。タイプを見極めて導きなさい。また、将来の目標がはっきりしていると勉強はモチベーションがあがる。カリンポンでは英語ができたら給料を上げるといったらみな勉強した(笑)。」

Q 「犯罪で家族を失ったら、それでも犯罪者を許さねばなりませんか」
A 「犯人は監獄にいれてどつかなあかん。(笑)これは冗談だが、反省させることは大切だ。被害者家族が仏教徒であれば、なくなった家族のために善業をつむ、たとえ遺産を寄付したりすると、その善行が死者に回向される。」

Q 「僕は募金をよくするのですが、それに満足している自分が偽善ぽく感じてイヤなのですが」
A 「寄付も募金も慢心をおこさなければいい。しかし、慢心が起きてしまっても、募金をやめるよりはやった方がいい。寄付が善業であることには変わりないから。募金を毎日すればその行為になれて慢心もおきなくなるだろう。」

 
副館長講話 於 副管長僧坊

Q 「恵まれた環境を当たり前と思っている子に、それが恵まれていると思わせるにはどうしたらいいでしょうか」
A 「今の子は恵まれていてもそれに感謝せず、当然の権利だと思うのだな。良い子に育つように良い話をなさい。経済的に豊かになる方法ではなく、心が豊かになることを教えなさい。しかし、教える方も説得力をもつように心を整えておかねばなるまいよ」。

※ 予定としては、灌頂編とインタビュー編とお笑い編が続きます。
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DATE: 2014/08/25(月)   CATEGORY: 未分類
ギュメ滞在記 (1) 施主と応供の法宴
チベット密教の本山ギュメ大僧院を訪問して帰国してから一週間。インドにいっている間に流れなかった仕事がようやく流れ始めたので、ぼちぼち報告をアップしていきたいと思う。
 私が今回訪問したのはチベット密教の本山ギュメ大僧院である。チベット仏教では、戒律、六波羅蜜などの顕教の修行(哲学)を修めた後、その哲学を人格の上に実現していくために心の実践トレーニングに入る。これが密教である。ギュメはこの密教の修行地であるため、修行場としての独特の緊張感がある。

  聞くところによると、ギュメは本土にあった頃から厳しい僧院として知られており、一カ所に安住し堕落が始まると、すぐに場所をはらって別の場所に移動したという。そのため長い間ギュメのたち位置はここと確定していなかった。

 現在でも僧院内における私有財産の所持は原則禁止で、他の僧院において行われているように、高僧になっても自らの居殿を僧院内に建てることは許可されない。 管長・副管長のような高位の僧も僧坊に毛の生えたような小さな平屋にお住まいで、一般の僧の部屋はさらに質素な僧坊となる。そして、この僧坊ですら長くいると愛着がわいて堕落するということで、三年に一度部屋替えを行うという(ただし老僧は免除される)。

 一度、施主がついた僧が、ギュメの敷地内に自分の居宅を建てて良いかと事務局に問うたところ、「いいけど僧院からは出て行ってね」と言われたとか。

 また、ダライラマ14世法王がギュメでの修行を所望されたところ、14世の師である先代のリン・リンポチェとトゥジャン・リンポチェが

 「ギュメで修行する限りは、たとえダライラマ猊下であっても特別扱いはされません。しかし、猊下を特別扱いしないわけにいかないので、ギュメの伝統を変えないためにも、ギュメでの修行は遠慮してください」と説得して法王は諦められたそうな。

 国王よりも強い伝統。

 また、高僧がなくなったあと、その転生者である童子を見つけて、先代の高僧の側近が育てるというチベット仏教名物の転生僧の養育もここでは禁じられている。なのでガワン先生の転生僧の童子も今はガンデン大僧院チャンツェ学堂内の先生のラブラン(居宅)内で養育されている。

 僧侶は他僧院で顕教の哲学の研究を終えて博士(ゲシェ=dge bshes)の学位をとった後、密教を学びにくるいわば留学僧と、最初からギュメに入門して顕教は速成コースで密教は気合いをいれた修行コースを達成し、密教の学位(ガクラムパ=sngags rams pa)を得たギュメたたきあげ僧侶の二種類がいる。ちなみに密教というと、何やらいかがわしいことを想像する方が、とくに年配の男性に多いが、戒律は顕教の僧院同様チョー厳しい。女性と僧侶が物陰とか、日没のあとの本堂とかに二人っきりで立ち話なんてシチュエーションすら許されない。ついでにいえば、自分の修行体験を吹聴したものも、僧院をたたき出される。妻帯・飲酒なんでもありの日本のお坊さんとはまったく違う。
 
 とここまで、人ごとのように話して参りましたが、ギュメという伝統的な世界に入っていく以上、入っていく私たちもその一員としてとるべき行いがあります。すなわち、伝統的な檀家=帰依者としての作法をとるということです。

 私は歴史を学んでいるものとして、伝統も、作法も、ダイスキなのでありますが、その私をもってしても、実際その場に身を置いてみますと、大変なものがございました。そこで、この長い前起きを終え、密教大本山ギュメ大僧院の体験記を語ってみたいと思います。

  ギュメはカルナタカ州グルブラにあり、南インドの大都市バンガロールから車で休憩いれて四時間半くらいの見渡す限りのトウモロコシ畑と森の中の (昔に比べて道が良くなったのでこれでも早くなった)チベット難民特別居留地内に建つ。

 我々とギュメの出会いはバンガロールの空港から始まった。平岡理事長(平岡校長の父上)が空港に到着した日、ギュメの管財僧(phyag mdzod)と秘書官(drung yig)とデリーのチベットハウスのアリヤさんがお出迎えにでた。そして我々がマイソールまで到達すると、管長猊下(タシツェリ77才)もそこまでお出迎えに来られていた。

 これはあれだ。かつて貴人を国境にまで送迎にいったあの伝統の作法である。待ち受けているお坊さんたちは、もちろんカター(スカーフ状の絹)を首にかけてくださる(ハワイのレイを想像して)。これは知っている方は知っている「貴人に会う時にわたすカター」(mjal dar)だ。
 と最初の内は感心していたが、だんだんスゴイことになっていった。

 平岡校長「ギュメに入る時は正装して下さいね。セレモニーがありますから」

 実はガンデン大僧院を訪れる際も、灌頂をうける際も「正装」と言われており、それは男性はネクタイ、女性は手と足を露出しないこぎれいな格好を意味する。

ギュメ滞在初日

 我々の乗るバスがギュメに近づくと、本堂に続く道には、何と全山の僧侶400人が全員そろってお出迎えにでていた。まず三歳くらいの小僧さん(カワイイ)からはじまって、児童僧、成年僧、中年僧、壮年僧、老年僧と年齢とキャリア順に並んで、手に手に花(ハイビスカス・ブーゲンビリア・マリーゴールド)、カターをもって渡してくれるのだ。

 これはあれだ伝統の「僧列(ser phreng)」だ。最初の数メートルで首にカターがかかりすぎて雪だるま状態になる。ある程度たまると、別の僧侶がカターを回収にきて、それを列の先にもっていく。うーん、ムダがない。で、何度か雪だるまになって、30分はかけてゲストハウスの前につくと、管長と平岡理事長は施主と応供の挨拶をしっかとかわし、全僧が花びらを空中にまいた。

 その時、私の脳裏にはフビライとパクパ、アルタン=ハーンとダライラマ3世、乾隆帝とチャンキャなどの歴史的な師檀関係が去来していた。

 それから、ゲストハウスの一階で高僧のみの列席する歓迎のお茶会が開かれ、ドゥシという縁起物のごはんが出された。

 平岡校長「今日はこのままお休みください。明日から二日間かけてヤマンタカの法要が午前二時からはじまります。それが無理なら休憩が入った午前五時からです」

 ギュメ滞在二日目

 がんばる人は午前二時から参列したが、自分に甘い私は午前五時から本堂の法要に参加した。本堂の壇上には一番高いところにダライラマ法王の席、その下に管長席、そのずっと下にウムゼ(唱導僧)席がある。僧侶の間を規律をとりしまるゲコ(規律僧)が歩く。

 法要の合間合間に小僧さんが、お茶やナンをくばるため、堂内を出入りする。
 壇上からみて右手には外僧院から留学にきている僧がならび、我々俗人はその外側にしつらえられた席に座った。我々からみて向かい側の列の僧はお経に唱和しているが、私たちの側の僧はみな黙っている。平岡校長の奥様によると、こちらの僧侶は留学組でギュメのお経を知らないからではないかという。

 法要もたけなわとなってくると、夜が白々とあけだし、東側に向いたお堂の入り口から朝日が差し込んでくる。そういえば乾隆帝も午前二時におきて二時間チベット仏教のお経をあげていたよなあ。朝日は本堂で迎えるのがチベット僧院の基本である。

 あー、朝日がまぶしい。

 朝食の後は管長猊下を導師にお迎えして、本堂二階のドルマ・ラカンでチッタマニ・ターラー尊(緑ターラー尊)の灌頂を授かる。本堂ではまだヤマンタカの法要が続いていて、衆僧の読経のうねりの中で頂戴する灌頂は、非常に厳粛なものがあった。
 そして、午後は説法のうまいギュメのガクラムパをお迎えして、法話を拝聴。

 ギュメ滞在三日目

 ヤマンタカの法要は未明より始まったものの、堕落した私は六時から参加した。そして朝食が終わると、午前はクンデリン・ラマを導師にお迎えして、千手千眼観音菩薩の正式な灌頂を賜る。クンデリン・ラマは非常に名のある転生僧である。ダライラマがなくなって次のダライラマが成人するまでの間の空白期間は摂政が政権をとる。この時、摂政をだす寺がラサの四寺(gling bzhi)というのだが、クンデリンはその四寺のうちの一つである。

クンデリン・ラマの初代は第二代ガンデン座主ケドゥプジェの弟にして第六代ガンデン座主のバソ・チューキゲルツェンである。当年とって三十歳。ダライラマ法王が期待する三リンポチェ(リン・リンポチェ、ソン・リンポチェ、クンデリン・リンポチェ)の一角を形成し、非常に謙虚で品格のある、勉強も猛烈にできる方である。それもそのはず、彼の先生は日本にも何度もおみえになっているゲン・ロサン先生である。

 平岡校長いはく「私は今まで転生僧よりも、たたきあげの学僧の方がいいと思うてましたけど、クンデリン・リンポチェはいいですね。今までたくさんのリンポチェにお会いしてきたけど、ダライラマ法王を除いてクンデリン・リンポチェが一番雰囲気がある」と感銘を受けており、私もそう思った。

 そして午後は副管長猊下によるアティシャの菩提道灯論の講話。と淡々と書いているけど、本堂に入るときも、着座する時も三礼(五体投地)を行い、法話や灌頂のさ中は、原則中途退座は許されず、ぴしっと背を伸ばして聞いてなくてはならない。なぜか私はつねに施主の次席に座れ座れと言われるため、目立つため居眠りなんて当然できない。

 ギュメ滞在四日目

 朝の法要において「初めてのお使い」ならぬ、「初めての施主体験」。
 17-18世紀の史料の中には、モンゴル王侯がチベットに「茶を沸かし」にいく(mang ja)という表現が頻出する。これはチベットの大僧院にどーんとお布施をしてその僧院にいる何千人もの僧侶のお茶代(お食事代)をすべて丸抱えにするお布施である。

 私がこの日やったお布施は、これとは別のゲー'gyedというお金を布施するもので、ゲーとは文字通りに「割る」ことで、今回その意味が体で分かった。

 たとえば我々が僧院に日本円にして五万円を寄付すると、ギュメ規模の僧院だと一人あたま50ルピーくらいを手にすることになる。この50ルピーを施主が本堂をねりあるいて一人一人の僧に配るのである。チベット人なら一生に一度はやりたいという大本山での布施。

 その日、腹痛で眠れなかった睡眠不足の頭で本堂に出頭すると、秘書長のニマさんが本堂の前で50ルピー札の札束を手渡してくれた。本堂の中に入ると、中腰になって「修行がんばってくださいね」とかいいながら集まった僧侶の膝の上に一人一人50ルピーを置いていくのである。ちなみに欠席している僧は僧院発行の身分証がおいてあり、その身分証の上に置く。

 管長さんでも50ルピーが二倍になるだけの平等な世界である。
 本堂の成人僧に一通り配り終わると、今度は表にでて、コックさん僧、小僧さん(15才になるまで本堂に入れない)、入院している人などに配る。ああ、これがモンゴル王侯がラサでやりたがったお布施なのか。私はいろいろな意味で正当なチャンネルにのって布施を行ったので、感動も一入であった。

 そして午後はまた正装して本堂へ集合。本堂に全成人僧が集まっており、その前に並べた机に、僧院側の副管長、管長、ウムゼ、施主の平岡理事長以下がならぶ。そしてお一人お一人がスピーチするのだが、この内容がまた伝統的なのである。

 施主は僧侶たちに「しっかり仏教を研究・修行して、ギュメ寺の伝統をまもるように」と呼び掛け、管長や副館長は「施主がこうして毎年ギュメにきてくださることは大変にありがたいことだ。世界にいろいろな宗教があるが、人間の問題にこたえられるのは仏教である。悪い時代に毒されないように戒律をまもり、仏教の修行を続けてその正しい生き方を施主にお見せして、あなたたちのだしたお金はムダになっていない、ことを示さなければならないと。」と呼び掛ける。

 美しい。一人一人のスピーチが終わる度に上品にほほえんで拍手しているうちに、なったことないけど皇族になって公務をやっているような気分になってきた。

 副管長、あなたの話はいい話だけど長い。もう少しコンパクトにしてくれ。 

 そのあと、管長先生と副管長先生のお部屋を表敬訪問。午後も副管長先生のアティシャの講義後半を伺う。

 ギュメ滞在五日目

午前は、管長猊下を導師にお迎えして、白ターラー尊の長寿の灌頂を授かる。これはポピュラーな延命儀礼で、私も何度かガワン先生から日本で授かったことがある。しかし、今回は条件がさらにいい。仏教では、時、処、眷属、説者、法の五つの条件が満たされるととくに素晴らしいとされるが、今回は、施主が眷属となり、ギュメの管長が説者となり、場所が聖地ギュメである。何かとってもききそうな感じであった。

 そしてその昼、ギュメを発つことになるのだが、その際ふたたび全山の僧侶が400人、カターをもって僧列をなしてお見送りをしたのであった。

 バンガロールに向かうバスに揺られながら私は、雅×さまがなぜウツになるのかちょっと分かってきたのであった。「縁あって、ある伝統の中に入って大事にされる立場になったら、その立場を無駄にせず、その伝統を通じて人々に奉仕せよ。」これは確かに正論である。しかしやってみて分かったが、古い伝統の中で自らを空にして自分の役割をひたすら果たし続けるのは、我の強い人には無理。私はチベットの伝統も歴史も文化も大好きであるが、それでも、セレモニーと正装の連続は疲れた。

 しかし、それもゼイタクな話で、この体験はギュメの本堂を再建した、ギュメの施主である平岡一家にご一緒させて頂いたことによって可能となったことを考えると、心より感謝せねばなるまい。本堂を建立した施主というのはやはり特別なので、だからこそ、ギュメも伝統を継承していることを示す気合いの入ったおもてなしを行うのであろう。

 理事長はギュメにとどまらず日本の名神社などの復興にも携わっておられ、曰く「私がお金を集めるのではない。ご本尊さまが必要な額だけ集めてくれる。必要のないものは集まらない」とのことである。自らは空になって伝統の力にあけわたし、その力によって、いろいろなことを達成されてきたということか。ギュメの僧侶たちも空の哲学を自らの意識に実現すべく、日々修行を行い、ひいては世界の抱える様々な問題に答えようとしている。実に立派である。
 
 私の「我」はきっと強すぎるのだな。まあ余生をかけて、少しでも空に近づけるよう努力していこう。

 ※長くなったので、ギュメでの法話、灌頂、インタビューの内容は別項目を立てます。
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