ナショナリズムの陥穽
朝青龍が引退をしたことにモンゴル人が大怒り。その論調は限りなくナショナリスティック。
「日本は思い通りに朝青龍を使い捨てにした」
「日本人は伝統的なスポーツの頂点にガイコクジンがいるのが気に入らないのだ」。
日本にもひいきを引き倒す大衆が一定数いるが、モンゴルも同じだな。
朝青龍が外国人だから問題になったのではありません。嘘をつく、酒癖が悪い、暴力的、そこが問題になっているのです。問題すりかえないで。
朝青龍はモンゴルでは英雄なので引退後はモンゴルの大統領もねらえる、とのことだが、嘘ついて公務を休んだり、泥酔して人をなぐったり、他人の国の文化を踏みにじる人が、大統領になってそれがモンゴルにとっていいことなのか。
隙だらけになってどことを言わないが隣の国に制圧されるよ。
こういう騒動を見ていると私は昔を思い出す。昔といっても歴史家なので自分が専門とする18世紀である(笑)。
18世紀初頭、ダライ・ラマ七世を御輿に奪い合って、青海ホシュート、清朝(満洲人)、ジュンガル三者が争った。ホシュートとジュンガルはチンギスの血筋ではないがモンゴル系の言葉をしゃべる部族である。結局1720年に、青海ホシュートと清朝が連合して、ダライ・ラマ七世を即位させて状況が落ち着いた。その時、清朝は伝統的にダライ・ラマの大施主の座にいたホシュートをたてて、青海ホシュートの誰がチベット王(王といってもチベットではダライ・ラマの下)の地位にふさわしいかを現地の官僚に観察させた。
その報告書が残っているのだが、これが大笑い。リストにあがる人とにかくみな酒癖が悪い。乱暴で、その描写がいかにも細かいのなんのって。で結局清朝皇帝
「ホシュート王家の誰にまかせても不安」
ということで、地域の安定のためにホシュート排除することを決め、かくして1723年にホシュートは清朝に制圧されて清朝内部に組み込まれたのである。
歴史に「もしも」はタブーだが、ホシュートに一人でもまともな人がいたら、清朝皇帝は伝統に則ってホシュートにチベット王の座を返したろう。
モンゴル基準では酒飲んで豪快に暴れ回るのがアリだとしても、それで国際社会を乗り切れるかっつーと、はなはだ疑問。ちなみに、中国よ、アンタにも、なにもかも自己中心的に考えて他者を排除する中華思想があるが、これも国際社会で通用しないよ。
つか、通用した瞬間に世界が終わるわ。
国際的に通用する、人種も国境も宗教もなにもかもこえて通用するアジアのリーダーと言えばダライ・ラマ法王である。ダライ・ラマがいかに普遍的であるか、昨今のネタとしてはハイチ地震に対する法王の対処があげられる。
ダライ・ラマ法王はハイチ地震の被災者に対して哀悼の意を表し死者のために祈りを捧げ、さらに、20万スイスフランを国際赤十字社および赤三日月社を通じて寄付した。
赤十字とはご存じ1901年の最初のノーベル平和賞受賞者であるアンリ・デュナンによって創設された、敵味方、国籍関係なしに治療をする国際医療機関である。二つの大戦を通じてノーベル平和賞該当者ゼロの年がつづいた時も、国際赤十字は二度も受賞をしている。また、日本では皇后様が名誉総裁を務めていることからも分かるように赤十字は非常に毛並みのいい歴史ある人道団体である。
で、十字マークはキリスト教のシンボルなので、イスラーム諸国で活動する医療団体はイスラームのシンボル三日月を赤くして、赤三日月社という。つまり、ダライ・ラマがこの二つの機関を通じて寄付するということは彼の宗教・文化に対する偏りのなさをよく示している。
じつは、法王はこの地震に限らず、世界中のありとあらゆる災害の被災者に対してメッセージを発している。そればかりではない。独裁政治の被害者である劉暁波、アウンサン・スーチー氏らに対しても自分は味方であるとはっきり態度を表明し、宗教、国家、人種、体制の違いをこえて普遍的な愛を発信してきた。
特定の国や民族の利益を声高に叫ぶナショナリズム、特定の宗教の立場から他者を攻撃する宗教原理主義、特定の境遇にある集団の権利を叫ぶ人々、これらの人々は自分の延長にあるものに対して権利を主張しているであって、他の人々の幸せはよくて無関心、悪くて敵対するようなスタンスをとる。
ダライ・ラマもチベット難民社会も我々が陥りがちなこのようなエゴの陥穽にまったくおちていない。チベットの文化がいかに愛すべきすばらしいものかこれ一つとっても明かであろう。
聞くところによるとハイチは国はあるものの19世紀初頭の独立以来ずーっと紛争続きである上、今回の地震が首都を直撃したため、国家の体をなすことすら難しい状態だという。そいえば、前に北の将軍様のご長男、キムジョンナムが東京ディズニーランドに遊びに来た際に(笑)携帯していたパスポートがドミニカ共和国だった。このドミニカ共和国ってハイチの陸続きの隣。ドミニカもハイチもこんなカンジでほいほい偽造バスポートを出すので不法移民の中継国となっている。
震災直後、老人や女子供をどつきとばしてハイチの男たちが支援物資を奪い合っている映像を見て、「うわっこの国だったら、チベット難民社会の方がはるかに秩序もあるし人間性も豊かだわい」と思ったが、法王がハイチに寄付するのを見てさらにその感を強くした。
法王は難民である。
ご自分の民も困っておられるのに、さらに弱いものがいると聞けば手をさしのべるのである。それを行う法王に対して難民社会も「人にやる金があるならオレたちにまわせ」とかエゲツナイことを言ったりしない。法王を心から敬愛しているし、法王のつくった学校で「自分より他人をまず思え」というモットーを子供の頃から教えこまれているからである。
若い男が女子供をどつきとばしているところをみると、ハイチでは教会も学校も国民の教育に成功していない。ハイチには国民の手本となって善行を行うような人もいないのだろう。この事件で思い出すのが、2002年に北朝鮮の若い夫婦と幼い娘が日本総領事館に駆け込み亡命を図ろうとした事件。一部始終は領事館の監視カメラが記録していた。これによると、奥さんと小さな娘が中国の警察につかまって子供は火が付いたように泣いていたのに、父親は後も振り返らず自分一人だけ領事館にダッシュで駆け込んでいった。
この場合、子供を抱いて走るのはダンナの役だろう。また、女房子供がつかまって泣き叫んでいたら戻って戦うのが父親のつとめだろう。よくほっとけるな。これみて「ああ、北朝鮮って本当にひどい国なんだなあ」と思った。
でも日本だって程度の差こそあれ、自分のことしか考えない人はいるだろう。だから、それの陥穽に陥らないように、人がやっててみっともないと思うようなことを自分がしていないか、常に自己ツッコミをいれながらチェックする。そして、人がやっていてすばらしいと思うことは、いつかは自分もそうできたらと思えるようにする。
そうすることの積み重ねが、諸方に通じる人格を作り上げ、その集合体としての日本が、世界から愛される国、尊敬される国になることにつながっていく。
「日本は思い通りに朝青龍を使い捨てにした」
「日本人は伝統的なスポーツの頂点にガイコクジンがいるのが気に入らないのだ」。
日本にもひいきを引き倒す大衆が一定数いるが、モンゴルも同じだな。
朝青龍が外国人だから問題になったのではありません。嘘をつく、酒癖が悪い、暴力的、そこが問題になっているのです。問題すりかえないで。
朝青龍はモンゴルでは英雄なので引退後はモンゴルの大統領もねらえる、とのことだが、嘘ついて公務を休んだり、泥酔して人をなぐったり、他人の国の文化を踏みにじる人が、大統領になってそれがモンゴルにとっていいことなのか。
隙だらけになってどことを言わないが隣の国に制圧されるよ。
こういう騒動を見ていると私は昔を思い出す。昔といっても歴史家なので自分が専門とする18世紀である(笑)。
18世紀初頭、ダライ・ラマ七世を御輿に奪い合って、青海ホシュート、清朝(満洲人)、ジュンガル三者が争った。ホシュートとジュンガルはチンギスの血筋ではないがモンゴル系の言葉をしゃべる部族である。結局1720年に、青海ホシュートと清朝が連合して、ダライ・ラマ七世を即位させて状況が落ち着いた。その時、清朝は伝統的にダライ・ラマの大施主の座にいたホシュートをたてて、青海ホシュートの誰がチベット王(王といってもチベットではダライ・ラマの下)の地位にふさわしいかを現地の官僚に観察させた。
その報告書が残っているのだが、これが大笑い。リストにあがる人とにかくみな酒癖が悪い。乱暴で、その描写がいかにも細かいのなんのって。で結局清朝皇帝
「ホシュート王家の誰にまかせても不安」
ということで、地域の安定のためにホシュート排除することを決め、かくして1723年にホシュートは清朝に制圧されて清朝内部に組み込まれたのである。
歴史に「もしも」はタブーだが、ホシュートに一人でもまともな人がいたら、清朝皇帝は伝統に則ってホシュートにチベット王の座を返したろう。
モンゴル基準では酒飲んで豪快に暴れ回るのがアリだとしても、それで国際社会を乗り切れるかっつーと、はなはだ疑問。ちなみに、中国よ、アンタにも、なにもかも自己中心的に考えて他者を排除する中華思想があるが、これも国際社会で通用しないよ。
つか、通用した瞬間に世界が終わるわ。
国際的に通用する、人種も国境も宗教もなにもかもこえて通用するアジアのリーダーと言えばダライ・ラマ法王である。ダライ・ラマがいかに普遍的であるか、昨今のネタとしてはハイチ地震に対する法王の対処があげられる。
ダライ・ラマ法王はハイチ地震の被災者に対して哀悼の意を表し死者のために祈りを捧げ、さらに、20万スイスフランを国際赤十字社および赤三日月社を通じて寄付した。
赤十字とはご存じ1901年の最初のノーベル平和賞受賞者であるアンリ・デュナンによって創設された、敵味方、国籍関係なしに治療をする国際医療機関である。二つの大戦を通じてノーベル平和賞該当者ゼロの年がつづいた時も、国際赤十字は二度も受賞をしている。また、日本では皇后様が名誉総裁を務めていることからも分かるように赤十字は非常に毛並みのいい歴史ある人道団体である。
で、十字マークはキリスト教のシンボルなので、イスラーム諸国で活動する医療団体はイスラームのシンボル三日月を赤くして、赤三日月社という。つまり、ダライ・ラマがこの二つの機関を通じて寄付するということは彼の宗教・文化に対する偏りのなさをよく示している。
じつは、法王はこの地震に限らず、世界中のありとあらゆる災害の被災者に対してメッセージを発している。そればかりではない。独裁政治の被害者である劉暁波、アウンサン・スーチー氏らに対しても自分は味方であるとはっきり態度を表明し、宗教、国家、人種、体制の違いをこえて普遍的な愛を発信してきた。
特定の国や民族の利益を声高に叫ぶナショナリズム、特定の宗教の立場から他者を攻撃する宗教原理主義、特定の境遇にある集団の権利を叫ぶ人々、これらの人々は自分の延長にあるものに対して権利を主張しているであって、他の人々の幸せはよくて無関心、悪くて敵対するようなスタンスをとる。
ダライ・ラマもチベット難民社会も我々が陥りがちなこのようなエゴの陥穽にまったくおちていない。チベットの文化がいかに愛すべきすばらしいものかこれ一つとっても明かであろう。
聞くところによるとハイチは国はあるものの19世紀初頭の独立以来ずーっと紛争続きである上、今回の地震が首都を直撃したため、国家の体をなすことすら難しい状態だという。そいえば、前に北の将軍様のご長男、キムジョンナムが東京ディズニーランドに遊びに来た際に(笑)携帯していたパスポートがドミニカ共和国だった。このドミニカ共和国ってハイチの陸続きの隣。ドミニカもハイチもこんなカンジでほいほい偽造バスポートを出すので不法移民の中継国となっている。
震災直後、老人や女子供をどつきとばしてハイチの男たちが支援物資を奪い合っている映像を見て、「うわっこの国だったら、チベット難民社会の方がはるかに秩序もあるし人間性も豊かだわい」と思ったが、法王がハイチに寄付するのを見てさらにその感を強くした。
法王は難民である。
ご自分の民も困っておられるのに、さらに弱いものがいると聞けば手をさしのべるのである。それを行う法王に対して難民社会も「人にやる金があるならオレたちにまわせ」とかエゲツナイことを言ったりしない。法王を心から敬愛しているし、法王のつくった学校で「自分より他人をまず思え」というモットーを子供の頃から教えこまれているからである。
若い男が女子供をどつきとばしているところをみると、ハイチでは教会も学校も国民の教育に成功していない。ハイチには国民の手本となって善行を行うような人もいないのだろう。この事件で思い出すのが、2002年に北朝鮮の若い夫婦と幼い娘が日本総領事館に駆け込み亡命を図ろうとした事件。一部始終は領事館の監視カメラが記録していた。これによると、奥さんと小さな娘が中国の警察につかまって子供は火が付いたように泣いていたのに、父親は後も振り返らず自分一人だけ領事館にダッシュで駆け込んでいった。
この場合、子供を抱いて走るのはダンナの役だろう。また、女房子供がつかまって泣き叫んでいたら戻って戦うのが父親のつとめだろう。よくほっとけるな。これみて「ああ、北朝鮮って本当にひどい国なんだなあ」と思った。
でも日本だって程度の差こそあれ、自分のことしか考えない人はいるだろう。だから、それの陥穽に陥らないように、人がやっててみっともないと思うようなことを自分がしていないか、常に自己ツッコミをいれながらチェックする。そして、人がやっていてすばらしいと思うことは、いつかは自分もそうできたらと思えるようにする。
そうすることの積み重ねが、諸方に通じる人格を作り上げ、その集合体としての日本が、世界から愛される国、尊敬される国になることにつながっていく。
馮さん故郷に帰る
ハイチ地震救援のため、あの名曲We are the worldが再びリメイクされる。思えばアフリカ飢餓救済のために24年前、あの曲がマイケル・ジャクソンによって作られて四半世紀。21世紀のWe are the worldは古い参加者プラス新たな参加者を加えて歌われる。
バンクーバー五輪の初日にテレビで流れるそうで、今から楽しみ。オリンピックはやはり、ナショナリズムよりもヒューマニズムがよく似合う。
さて、中国の人権活動家、馮さんがめでたく上海に帰国することと相成りました。知らない人はいないだろうが、念のために解説すると、彼は去年何度も中国への入国を上海の当局に阻まれており、それに抗議するために日本にも入国せず成田の入管に九十日もの間、籠城していたものだ。
つまり、九十日間もの間フロにも入らず、夜はベンチで寝て、昼は窓のない入管スペースで抗議の立てこもりをしていたわけ。これを聞いた時、オッサンにしかできない抗議法だと思った。女性だと90日フロに入らない時点で、「90日フロに入らない女」というイメージが先行し、取材者もそちらに気を取られて、主張内容への関心が相対的に下がるだろう。
で、馮さんのことを中国領事館は無視し、日本も早く立ち去ってください、みたいな公文書を毎日手渡すへたれな対応をしていたのだが、彼の意志は固く、さらにツィッターで自分の状況を発信しつづけたため、全世界から日用品、食料、義援金が集まり、BBCにワシントンポスト、香港フェニックスなどが取材に殺到した。
馮さんのツイッター見ていたら、客室乗務員のおねえちゃんが、いろいろ温かい食事をもってきてくれたり、多くの旅行者が支援者から渡された品々を彼に届けつづけていた。かくしてこの90日の籠城は可能となったのである。
入管はあの世とこの世の境であり、どこの国にも属さない領域。ネットの世界もマスコミも同じようにボーダレス。そして、ヒューマニティーも国や人種や階層を超える。この馮さんの身を捨てた抗議はこのボーダレスな空間を通じて多くの良識のある人々の心を動かしたのである。
ここに至って、さすがに日本も動かないわけにいかなくなる。で、先月二十二日に民主党の牧野聖修議員が馮さんを訪問、そのあと話がついたようで、本日二時彼は日本に入国して、中国への帰りのチケットを買いなおし、春節前には老母のいる上海に帰ることになるそうな。重畳。
牧野さんは古くからのチベット支援議員でチベット問題を考える議員連盟の長をつとめていた方である(落選期間をのぞく)。おそらくは牧野さんの訪問がどこかを動かした結果であろう。政治家の名前はその行動の一つ一つで作られていく。今回の件は牧野さんの名を非常に挙げたと思う。
チベットを支援することはそれが彼のような議員さんであっても、俳優さんやアーティストであっても、じつは実利的なメリットはほとんどない。議員さんだったら票につながるわけでなし、俳優さんだったらそれで人気があがるわけでなし(それどころか日中共同製作とかいう番組では外される 笑)。
それに相手はあの中国だから不愉快な思いをすることは決定。
だから、それでもチベットを支援しよう、中国の人権活動家を支援しようという人は、奇特なのである。
また、馮さんもえらい。90日もの籠城は生半可な意志でできるものではない。彼のツイッターに書かれていたことだけど、去年の大晦日、彼の九十になる母親はお兄さんの家に一時帰宅していて、彼のケータイに母親が出た。母親は馮さんが成田の入管で籠城していることを知らない。年が年だけに心配はかけられないからだろう。そのあと、入管の電気がすべて消えて一人になったという書き込みを見て、このオッサンは本当にタフだと思った。
自分のことだけを考え、我を通すためだけに生きている人からは、人もモノも遠ざかっていく。しかし、人のためになることで自己を犠牲にする人のまわりには、自然と人が集まり、モノがあつまり、意識の高い人々の善意の輪ができる。馮さんの場合は中国公民の権利とか、中国の民主化とかのために戦う意識が、この過酷な籠城を耐えさせたのであろう。
あ、人権とかチベットのために動くことは何のメリットもない、と言ったけど、あったわメリット。福島香織さんもおっしゃっていたけど(あ、年賀状ありがとうございました)、知名度が上がると当局に一服盛られる危険性が下がる (笑)。あと逮捕された時にもゴーモンされることもたぶんない。人の目のあるところに犯罪はないのである。でも、言っててむなしい・・・
写真は馮さんのツィッターから「最終日の記念撮影」

バンクーバー五輪の初日にテレビで流れるそうで、今から楽しみ。オリンピックはやはり、ナショナリズムよりもヒューマニズムがよく似合う。
さて、中国の人権活動家、馮さんがめでたく上海に帰国することと相成りました。知らない人はいないだろうが、念のために解説すると、彼は去年何度も中国への入国を上海の当局に阻まれており、それに抗議するために日本にも入国せず成田の入管に九十日もの間、籠城していたものだ。
つまり、九十日間もの間フロにも入らず、夜はベンチで寝て、昼は窓のない入管スペースで抗議の立てこもりをしていたわけ。これを聞いた時、オッサンにしかできない抗議法だと思った。女性だと90日フロに入らない時点で、「90日フロに入らない女」というイメージが先行し、取材者もそちらに気を取られて、主張内容への関心が相対的に下がるだろう。
で、馮さんのことを中国領事館は無視し、日本も早く立ち去ってください、みたいな公文書を毎日手渡すへたれな対応をしていたのだが、彼の意志は固く、さらにツィッターで自分の状況を発信しつづけたため、全世界から日用品、食料、義援金が集まり、BBCにワシントンポスト、香港フェニックスなどが取材に殺到した。
馮さんのツイッター見ていたら、客室乗務員のおねえちゃんが、いろいろ温かい食事をもってきてくれたり、多くの旅行者が支援者から渡された品々を彼に届けつづけていた。かくしてこの90日の籠城は可能となったのである。
入管はあの世とこの世の境であり、どこの国にも属さない領域。ネットの世界もマスコミも同じようにボーダレス。そして、ヒューマニティーも国や人種や階層を超える。この馮さんの身を捨てた抗議はこのボーダレスな空間を通じて多くの良識のある人々の心を動かしたのである。
ここに至って、さすがに日本も動かないわけにいかなくなる。で、先月二十二日に民主党の牧野聖修議員が馮さんを訪問、そのあと話がついたようで、本日二時彼は日本に入国して、中国への帰りのチケットを買いなおし、春節前には老母のいる上海に帰ることになるそうな。重畳。
牧野さんは古くからのチベット支援議員でチベット問題を考える議員連盟の長をつとめていた方である(落選期間をのぞく)。おそらくは牧野さんの訪問がどこかを動かした結果であろう。政治家の名前はその行動の一つ一つで作られていく。今回の件は牧野さんの名を非常に挙げたと思う。
チベットを支援することはそれが彼のような議員さんであっても、俳優さんやアーティストであっても、じつは実利的なメリットはほとんどない。議員さんだったら票につながるわけでなし、俳優さんだったらそれで人気があがるわけでなし(それどころか日中共同製作とかいう番組では外される 笑)。
それに相手はあの中国だから不愉快な思いをすることは決定。
だから、それでもチベットを支援しよう、中国の人権活動家を支援しようという人は、奇特なのである。
また、馮さんもえらい。90日もの籠城は生半可な意志でできるものではない。彼のツイッターに書かれていたことだけど、去年の大晦日、彼の九十になる母親はお兄さんの家に一時帰宅していて、彼のケータイに母親が出た。母親は馮さんが成田の入管で籠城していることを知らない。年が年だけに心配はかけられないからだろう。そのあと、入管の電気がすべて消えて一人になったという書き込みを見て、このオッサンは本当にタフだと思った。
自分のことだけを考え、我を通すためだけに生きている人からは、人もモノも遠ざかっていく。しかし、人のためになることで自己を犠牲にする人のまわりには、自然と人が集まり、モノがあつまり、意識の高い人々の善意の輪ができる。馮さんの場合は中国公民の権利とか、中国の民主化とかのために戦う意識が、この過酷な籠城を耐えさせたのであろう。
あ、人権とかチベットのために動くことは何のメリットもない、と言ったけど、あったわメリット。福島香織さんもおっしゃっていたけど(あ、年賀状ありがとうございました)、知名度が上がると当局に一服盛られる危険性が下がる (笑)。あと逮捕された時にもゴーモンされることもたぶんない。人の目のあるところに犯罪はないのである。でも、言っててむなしい・・・
写真は馮さんのツィッターから「最終日の記念撮影」

七つの大罪
現在、ダライ・ラマ法王特使と中国共産党の幹部が「対話」中。これまで両者の対話といえば、喧嘩うっとんのかゴルァというような内容で、特に最後に行われた一年三ヶ月前の会合はひどくて、去年来日したケルサン特使の談によると、
中「実質的な自治? それがどういものかレポートしなさい」
と行ってきたものだから、チベット政府はその自治の内容を具体的にレポートして出した。すると、中国読みもしないで投げ返して、
中「あなたたちはわたしたちの試験に通らなかった。題名からしてダメ」とのたまったそうな。
それでさすがにチベット側もあきれ果て、もう「チベット側からは中国に対話を呼びかけることはない」ことを決めたのでした。
で、今回中国側が「対話」の席についた理由は
(1)オバマさんが去年延期したダライ・ラマ法王との会見が近づいていること、
(2)オバマ政権がPac3を台湾に売却を決定したこと、
(3)オバマ政権が中国で検索の自由化を求めているグーグルの後押しをしていること、
などでしょう。中国政府は、チベット人居住地域における経済発展を約束とかいっておりますが、今更開発独裁みたいな論理もちだしてもは誰も納得しません。もう少しがんばりましょう。
鳩山さんのものの考え方ってホワイト・リベラルっぽいなー、と思っていたけど、今回の施政方針演説でその感を強くした。彼、去年デリーを訪れてガンディー廟に参拝しているし(私もほぼ同時期参拝してるし 笑)、今回の演説にもガンディーの説く七つの大罪とかをちりばめているし(いやごめん、わたしガンディー尊敬してるし 笑)。
ちなみに、ガンディーの説く七つの大罪とは
不労所得。 Wealth without Work
道義心なき快楽の追求。 Pleasure without Conscience
人類愛なき科学技術の追求。 Science without Humanity
人格教育なき知識のつめこみ Knowledge without Character
信条なき政治。 Politics without Principle
倫理観なき商売。Commerce without Morality
自己犠牲なき信仰。 Worship without Sacrifice
つまり、人のあるべき生き方というやつですな。そしたら、こんなことになった。
鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんただ」 1月30日7時24分配信 読売新聞
昨年12月30日、インド訪問から帰国した鳩山首相は、松井孝治官房副長官に「自分の政治理念と非常に重なる」と告げ、インド建国の父、マハトマ・ガンジーの言葉を演説に盛り込むよう求めた。
ニューデリーのガンジー廟で見た「七つの社会的大罪」だった。
だが、26日の閣議で演説全文を目にした閣僚たちは、仰天した。「七つ」の中には、「労働なき富」という言葉があったのだ。首相が実母から毎月1500万円もの資金提供を受けていた問題を想起させないか――。
「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」。閣僚の一人がおそるおそる切り出すと、首相は「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」とむきになった。
この場で演説を読み上げた松井氏は「途中で感極まって涙を流した」(閣僚)といい、手直しを求める雰囲気ではなかったという。
閣僚らの不安は的中した。参院本会議場で首相が「労働なき富」と読み上げた瞬間、野党席からは「それはあんただ」と激しいヤジが飛び交った。
それでも、首相の危機感は薄い。「国民の心に響いたらと思っている。批判も覚悟で思い切ってやらせていただいた」。29日夜、首相は満足そうに語った。
わたしは歩く無党派層であり、「あなたたとともに地獄までお伴します」みたいに支持している特定の政党も政治家もない。しかし、このニュースに記されているこの鳩山さんに限っていえば、わりといいかも。
とくに、「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」というところでキター!!!!
こういう発言を見ると本当にこの人は育ちも人もいい。
彼は首相として結構なサラリーを頂いているわけだが、もともとお金持ちな分、毎年毎年巨額の税金を国にもっていかれているわけである。収支決算してみれば、ただ働きどころか、カネ払って苦労しているわけである。
私が彼の立場だったら、ママからの巨額の遺産を投資顧問なんかに増やしてもらいながら、あのまま学者を続けて(そう、鳩山さんは政治家になる前はもと学者)、教授になってカワイイゼミ生と楽しく飲みに行ったりしているはずである(後半については今の自分、まんまやん 笑)。
彼が政治家を続けているのは、まさに彼のもつ政治的信条、まさにプリンシプル(信条)を実現せんとの思いからであろう。ノブレス・オブリージである。利権を誘導するとか、力があるとかを理由に投票しているような人は聞いたことがないだろう、こんな言葉わ。彼は権力を得るため、カネを得るために、エゴを満たすために政治家になった人とは違うのである。
彼は自分のことは考えていない。人類のため、美しいヴィジョンのために自己の人生を捧げているのである。
しかも、彼は残る六つの大罪はおかしていない。その彼を不労所得のみでヤジるのはあまりにも品がない。
汚い政治の世界でクソミソに言われながらも、ガンディーの理想を説こうとしている彼をとりあえずは評価して、ナマ温かく見守っていこうと思う(これからの発言いかんによっては是々非々ですが。だってこの人発言ブレまくるんだもん)。
それにしても、倫理も品格も崩壊しつつある日本で、その美しいヴィジョンを実現するためには、もう少し決断力とかリーダーシップとか、非情さとかが加わらないとね。
最後に鳩山さんにエールを送ります。
がんばれー!! 日本を立て直し、六月に来日したダライ・ラマ法王と握手し互いの思想の近いことを確認しあい、北京に向けては、一向に改善しないチベットの状況を改めよと呼びかけ、さらに成田空港で籠城しているフウさんを上海に返してやり、二年たってもぜんぜん解明しない毒ギョーザ事件について中国政府を問いただし、日本の領海内て創業していたのに銃撃された北海道の漁師さんのために、ロシア政府に抗議せよ!!!
て、どんだけ問題山積しているんだよ。
で、今テレビ見ていたら今日はガンディーが暗殺された命日で、孫のエラ・ガンディーが遺灰をインド洋に流すというニュースをやっている。
今日、たまたまこのエントリーを書いたのも何かの因縁。
中「実質的な自治? それがどういものかレポートしなさい」
と行ってきたものだから、チベット政府はその自治の内容を具体的にレポートして出した。すると、中国読みもしないで投げ返して、
中「あなたたちはわたしたちの試験に通らなかった。題名からしてダメ」とのたまったそうな。
それでさすがにチベット側もあきれ果て、もう「チベット側からは中国に対話を呼びかけることはない」ことを決めたのでした。
で、今回中国側が「対話」の席についた理由は
(1)オバマさんが去年延期したダライ・ラマ法王との会見が近づいていること、
(2)オバマ政権がPac3を台湾に売却を決定したこと、
(3)オバマ政権が中国で検索の自由化を求めているグーグルの後押しをしていること、
などでしょう。中国政府は、チベット人居住地域における経済発展を約束とかいっておりますが、今更開発独裁みたいな論理もちだしてもは誰も納得しません。もう少しがんばりましょう。
鳩山さんのものの考え方ってホワイト・リベラルっぽいなー、と思っていたけど、今回の施政方針演説でその感を強くした。彼、去年デリーを訪れてガンディー廟に参拝しているし(私もほぼ同時期参拝してるし 笑)、今回の演説にもガンディーの説く七つの大罪とかをちりばめているし(いやごめん、わたしガンディー尊敬してるし 笑)。
ちなみに、ガンディーの説く七つの大罪とは
不労所得。 Wealth without Work
道義心なき快楽の追求。 Pleasure without Conscience
人類愛なき科学技術の追求。 Science without Humanity
人格教育なき知識のつめこみ Knowledge without Character
信条なき政治。 Politics without Principle
倫理観なき商売。Commerce without Morality
自己犠牲なき信仰。 Worship without Sacrifice
つまり、人のあるべき生き方というやつですな。そしたら、こんなことになった。
鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんただ」 1月30日7時24分配信 読売新聞
昨年12月30日、インド訪問から帰国した鳩山首相は、松井孝治官房副長官に「自分の政治理念と非常に重なる」と告げ、インド建国の父、マハトマ・ガンジーの言葉を演説に盛り込むよう求めた。
ニューデリーのガンジー廟で見た「七つの社会的大罪」だった。
だが、26日の閣議で演説全文を目にした閣僚たちは、仰天した。「七つ」の中には、「労働なき富」という言葉があったのだ。首相が実母から毎月1500万円もの資金提供を受けていた問題を想起させないか――。
「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」。閣僚の一人がおそるおそる切り出すと、首相は「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」とむきになった。
この場で演説を読み上げた松井氏は「途中で感極まって涙を流した」(閣僚)といい、手直しを求める雰囲気ではなかったという。
閣僚らの不安は的中した。参院本会議場で首相が「労働なき富」と読み上げた瞬間、野党席からは「それはあんただ」と激しいヤジが飛び交った。
それでも、首相の危機感は薄い。「国民の心に響いたらと思っている。批判も覚悟で思い切ってやらせていただいた」。29日夜、首相は満足そうに語った。
わたしは歩く無党派層であり、「あなたたとともに地獄までお伴します」みたいに支持している特定の政党も政治家もない。しかし、このニュースに記されているこの鳩山さんに限っていえば、わりといいかも。
とくに、「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」というところでキター!!!!
こういう発言を見ると本当にこの人は育ちも人もいい。
彼は首相として結構なサラリーを頂いているわけだが、もともとお金持ちな分、毎年毎年巨額の税金を国にもっていかれているわけである。収支決算してみれば、ただ働きどころか、カネ払って苦労しているわけである。
私が彼の立場だったら、ママからの巨額の遺産を投資顧問なんかに増やしてもらいながら、あのまま学者を続けて(そう、鳩山さんは政治家になる前はもと学者)、教授になってカワイイゼミ生と楽しく飲みに行ったりしているはずである(後半については今の自分、まんまやん 笑)。
彼が政治家を続けているのは、まさに彼のもつ政治的信条、まさにプリンシプル(信条)を実現せんとの思いからであろう。ノブレス・オブリージである。利権を誘導するとか、力があるとかを理由に投票しているような人は聞いたことがないだろう、こんな言葉わ。彼は権力を得るため、カネを得るために、エゴを満たすために政治家になった人とは違うのである。
彼は自分のことは考えていない。人類のため、美しいヴィジョンのために自己の人生を捧げているのである。
しかも、彼は残る六つの大罪はおかしていない。その彼を不労所得のみでヤジるのはあまりにも品がない。
汚い政治の世界でクソミソに言われながらも、ガンディーの理想を説こうとしている彼をとりあえずは評価して、ナマ温かく見守っていこうと思う(これからの発言いかんによっては是々非々ですが。だってこの人発言ブレまくるんだもん)。
それにしても、倫理も品格も崩壊しつつある日本で、その美しいヴィジョンを実現するためには、もう少し決断力とかリーダーシップとか、非情さとかが加わらないとね。
最後に鳩山さんにエールを送ります。
がんばれー!! 日本を立て直し、六月に来日したダライ・ラマ法王と握手し互いの思想の近いことを確認しあい、北京に向けては、一向に改善しないチベットの状況を改めよと呼びかけ、さらに成田空港で籠城しているフウさんを上海に返してやり、二年たってもぜんぜん解明しない毒ギョーザ事件について中国政府を問いただし、日本の領海内て創業していたのに銃撃された北海道の漁師さんのために、ロシア政府に抗議せよ!!!
て、どんだけ問題山積しているんだよ。
で、今テレビ見ていたら今日はガンディーが暗殺された命日で、孫のエラ・ガンディーが遺灰をインド洋に流すというニュースをやっている。
今日、たまたまこのエントリーを書いたのも何かの因縁。
『少年キム』からリチャード・ギアまで
ゼミのあと、今度の二月末か三月には本屋さんに並ぶことになる拙著について、編集者の0くんが打ち合わせにきてくれる。
彼は実はこのゼミの出身で、2008年くらいかな? 突然連絡をくれて、「今、出版社におつとめしているので、本をだしませんか?」的なオファーがあった。元ゼミ生でいい子なのでもちろん力になってあげたかった。
しかし、いかんせん自分、これイケる、と思って調べていって、やっぱ面白いわ、ってなって、さらに調べていったらあらステキみたいな仕事の仕方なので、ムラがあるのなんのって。
なので「すぐには書けないかも」と答える。
O君は偉かった。まったく催促しないのである。
がしかし、わたくしがどちらかで講演させていただくと、かならずその一隅にいて静かにニコニコしながら聞いているのである。
これがプレッシャーにならない人はいるだろうか。
去年の年賀状だって、あんまりおとなしすぎて健気なので、仕事しない自分を責めたよ。で、その年賀状をいつも目につくところに貼って自分を戒めることとした。
その原稿が仕上がり、とうとう題名決定というところまできたのである。
題名決めないと表紙のデザインができない。しかして自分忙しくて何も思いつかない。そこで、ゼミのあとついてきてくれたピンガ、Yくん、Hくん、M子ちゃん、K太とともに喫茶店に入り、本の内容をかいつまんで話した後に
「きみ達の個性豊かな若い頭脳によって、タイトル考えてくれ」と、頼む。
するとみな口を揃えて
「何も思いつきません」
そこで、とりあえず、一人一人に紙を配ってブレーン・ストーミングをやってみることとする。
私「文芸書だから格調高く、奇をてらってなくて、たとえていえばクラッシックの名曲みたいな、センスがよくて、知的な層に受けるような、できれば動きがあって、チベットとその言葉で検索かけたらいっぱつで上にでてくるような印象的なやつ。ありきたりの言葉だと検索でうもれちゃうからね」と注文をつける。すると
「えー、何も出てこない」「前頭葉死んでます」「難しいですよ」
私「就活でやったでしょうが。そんなんでよく就職試験とおったね。わかったよ。もう少し簡単にしてどういう言葉にいいイメージをもつか、今自分がいちばん心が洗われる、美しいイメージを挙げて」というと
作詩・作曲もやっているYくん「銀嶺・天啓・星・光・波・夢・澪つくし・深更・思慕・東方の賢人」
ま、いい感じである。
太めのK太「月・星・太陽・トビウオ・絶壁・コーンスープ・砂糖・なべ」
私「後ろの方なんだよ。意味わかんないよ」
やや暗いH君「月・星・地図」
M子ちゃん「レッサーパンダ カネ 憧憬 マグロ」
私「あんた達、絶対病んでる!!!」
ピンガ「JK AKB48 崖の上のポニョ」
私「なんじゃそりゃ! 却下!!」
あきれ果てたO君はこれを見てすぐさま帰り支度を始めた。
意外に若い頭脳は使えなかったのであった(笑)。
で、結局、タイトルは正統派の文芸書らしくオーソドックスに
主タイトルが
西洋とチベットの150年
サブタイトルが
少年キムからリチャード・ギアまで に決定しました!
メインを正攻法にして、サブで印象に残して検索にひっかかろうという魂胆です。
ご協力いただいたゼミのみんな、ありがとう!
彼は実はこのゼミの出身で、2008年くらいかな? 突然連絡をくれて、「今、出版社におつとめしているので、本をだしませんか?」的なオファーがあった。元ゼミ生でいい子なのでもちろん力になってあげたかった。
しかし、いかんせん自分、これイケる、と思って調べていって、やっぱ面白いわ、ってなって、さらに調べていったらあらステキみたいな仕事の仕方なので、ムラがあるのなんのって。
なので「すぐには書けないかも」と答える。
O君は偉かった。まったく催促しないのである。
がしかし、わたくしがどちらかで講演させていただくと、かならずその一隅にいて静かにニコニコしながら聞いているのである。
これがプレッシャーにならない人はいるだろうか。
去年の年賀状だって、あんまりおとなしすぎて健気なので、仕事しない自分を責めたよ。で、その年賀状をいつも目につくところに貼って自分を戒めることとした。
その原稿が仕上がり、とうとう題名決定というところまできたのである。
題名決めないと表紙のデザインができない。しかして自分忙しくて何も思いつかない。そこで、ゼミのあとついてきてくれたピンガ、Yくん、Hくん、M子ちゃん、K太とともに喫茶店に入り、本の内容をかいつまんで話した後に
「きみ達の個性豊かな若い頭脳によって、タイトル考えてくれ」と、頼む。
するとみな口を揃えて
「何も思いつきません」
そこで、とりあえず、一人一人に紙を配ってブレーン・ストーミングをやってみることとする。
私「文芸書だから格調高く、奇をてらってなくて、たとえていえばクラッシックの名曲みたいな、センスがよくて、知的な層に受けるような、できれば動きがあって、チベットとその言葉で検索かけたらいっぱつで上にでてくるような印象的なやつ。ありきたりの言葉だと検索でうもれちゃうからね」と注文をつける。すると
「えー、何も出てこない」「前頭葉死んでます」「難しいですよ」
私「就活でやったでしょうが。そんなんでよく就職試験とおったね。わかったよ。もう少し簡単にしてどういう言葉にいいイメージをもつか、今自分がいちばん心が洗われる、美しいイメージを挙げて」というと
作詩・作曲もやっているYくん「銀嶺・天啓・星・光・波・夢・澪つくし・深更・思慕・東方の賢人」
ま、いい感じである。
太めのK太「月・星・太陽・トビウオ・絶壁・コーンスープ・砂糖・なべ」
私「後ろの方なんだよ。意味わかんないよ」
やや暗いH君「月・星・地図」
M子ちゃん「レッサーパンダ カネ 憧憬 マグロ」
私「あんた達、絶対病んでる!!!」
ピンガ「JK AKB48 崖の上のポニョ」
私「なんじゃそりゃ! 却下!!」
あきれ果てたO君はこれを見てすぐさま帰り支度を始めた。
意外に若い頭脳は使えなかったのであった(笑)。
で、結局、タイトルは正統派の文芸書らしくオーソドックスに
主タイトルが
西洋とチベットの150年
サブタイトルが
少年キムからリチャード・ギアまで に決定しました!
メインを正攻法にして、サブで印象に残して検索にひっかかろうという魂胆です。
ご協力いただいたゼミのみんな、ありがとう!
哲人政治が恋しい
読まなければいけない卒論・修論・博論、チベットの教科書の和訳の初稿、西洋とチベットの百五十年についての初稿、とこれに加えて、もうすぐ学期末試験の採点まで加わる。やらなければならない仕事が増えれば増えるほど、やる気も反比例してなくなる。
だるい。さむい。つらい(わー、脚韻踏んでるー)。
しかし、新聞とかニュースの紙面が最近醜い。
「タンス預金四億円」て、どんだけ大きなタンスなんだよ。で、四億円を「単純な計算ミス」とか、どんだけ数学できないんだよ。で、民主党の支持者は、「国策捜査だ」「自民党も同じことやっているのに逮捕されていない」とかいって検察をののしるけど、かばったことになってないだろうが。もし自民党もやっているなら、それも悪い、それだけだ。
私はとくに支持政党ないが、ある政党支持するあまり「ひいきの引き倒し」みたいな支援者を見ていると「そのエールはあなたの愛する●党にとって逆の効果しかないよ」と言いたくなる。
それにしても、悪事に手を染めちゃって、それが天下にばれたりした場合、さらなる醜態を重ねず「ごめんなさい、自分間違ってました。」と謝ることができないかね。
タイガー・ウッズもクリントンも自分の恥の歴史をさらされたら、ちゃんと謝ったよ。もし同じことを何度もしてしまう弱い性格であったとしても、嘘いって開き直るよりは遙かにマシ。少なくとも、謝る映像が流れるたびによい子のアメリカ国民は「ああ、奥さんがいるのに浮気するのは悪いことなんだな」と覚えることができるからだ。
しかし、ここんとこの検察VS政権のメンツ合戦とかいう、報道見ていると、中国か!(欧米か!のノリで 古)とツッこみたくなる。
政治家とかCEOとかはその国や会社の顔なわけで、その姿が行動がかっこよければよい程、国民も社員も士気が上がる。テレビカメラの前で平気で自己を正当化したり、泥酔して国際会議にのぞむような人は士気が下がるので責任ある地位についてほしくない。
日本人は対抗する勢力を制圧して自分の主張を通すことができる人を「政治力がある」といって、一目おくけど、これって決していいことでない。
金や力をもった個人が、その日の気まぐれで主張を通すようなそんな社会は悪夢でしかない。政治家や社長がたくさんの愛人を囲っているのを、「好き勝手できてうらやましい」と許容するような社会は少なくとも私はイヤだ。「金や力をもっている人はその分だけ社会的責任が生じる。人の手本でなければならない」と感じるような人が多い社会の方がいい。
何かの政策を実現する場合にも、その主張が客観的に言って是か否かが、その政策を通す基準であるような社会の方がよほど健全である。こういうと、すぐに原理主義者とか決めつけるアホがいるが、人を幸せにする倫理や政策に限っては原理主義は決して悪いことではない。
人間が、理想や理念を掲げて、人の同意をえて世の中を少しずつよくしていこうと努力するのを止め、みなが「政治力」や「剛腕」などにたよりはじめたら、それはロ●アとか、●国化の始まりだ。
今、中国様は経済力とかがついたことによりおごり高ぶっており、言論統制や人権問題について問われても、寝言としか思えない主張を繰り返しているが、ああいうのを「みっともない」と思う人がいるうちは日本もまあ成熟した国家と言えるだろう。それを「政治力がある」とか言って一目おき出したら、もうアカンな。日本は経済ばかりでなく、精神も腐れきったことになる。
わたしはグーグルの英断に敬意を表したい。「do not evil」(悪事を犯すな)を社是に掲げているあなたの態度に喝采を送りたい。私は結構リアリストなので、すぐにバラ色の結末がくるとは思わないが、グーグルのこの行動は暗闇の中にともる一瞬の灯火のように人々に希望を与えた。
もういい加減、力とか金とかで動く社会を見直さないといけないことに、みんな気づいているはず。
だるい。さむい。つらい(わー、脚韻踏んでるー)。
しかし、新聞とかニュースの紙面が最近醜い。
「タンス預金四億円」て、どんだけ大きなタンスなんだよ。で、四億円を「単純な計算ミス」とか、どんだけ数学できないんだよ。で、民主党の支持者は、「国策捜査だ」「自民党も同じことやっているのに逮捕されていない」とかいって検察をののしるけど、かばったことになってないだろうが。もし自民党もやっているなら、それも悪い、それだけだ。
私はとくに支持政党ないが、ある政党支持するあまり「ひいきの引き倒し」みたいな支援者を見ていると「そのエールはあなたの愛する●党にとって逆の効果しかないよ」と言いたくなる。
それにしても、悪事に手を染めちゃって、それが天下にばれたりした場合、さらなる醜態を重ねず「ごめんなさい、自分間違ってました。」と謝ることができないかね。
タイガー・ウッズもクリントンも自分の恥の歴史をさらされたら、ちゃんと謝ったよ。もし同じことを何度もしてしまう弱い性格であったとしても、嘘いって開き直るよりは遙かにマシ。少なくとも、謝る映像が流れるたびによい子のアメリカ国民は「ああ、奥さんがいるのに浮気するのは悪いことなんだな」と覚えることができるからだ。
しかし、ここんとこの検察VS政権のメンツ合戦とかいう、報道見ていると、中国か!(欧米か!のノリで 古)とツッこみたくなる。
政治家とかCEOとかはその国や会社の顔なわけで、その姿が行動がかっこよければよい程、国民も社員も士気が上がる。テレビカメラの前で平気で自己を正当化したり、泥酔して国際会議にのぞむような人は士気が下がるので責任ある地位についてほしくない。
日本人は対抗する勢力を制圧して自分の主張を通すことができる人を「政治力がある」といって、一目おくけど、これって決していいことでない。
金や力をもった個人が、その日の気まぐれで主張を通すようなそんな社会は悪夢でしかない。政治家や社長がたくさんの愛人を囲っているのを、「好き勝手できてうらやましい」と許容するような社会は少なくとも私はイヤだ。「金や力をもっている人はその分だけ社会的責任が生じる。人の手本でなければならない」と感じるような人が多い社会の方がいい。
何かの政策を実現する場合にも、その主張が客観的に言って是か否かが、その政策を通す基準であるような社会の方がよほど健全である。こういうと、すぐに原理主義者とか決めつけるアホがいるが、人を幸せにする倫理や政策に限っては原理主義は決して悪いことではない。
人間が、理想や理念を掲げて、人の同意をえて世の中を少しずつよくしていこうと努力するのを止め、みなが「政治力」や「剛腕」などにたよりはじめたら、それはロ●アとか、●国化の始まりだ。
今、中国様は経済力とかがついたことによりおごり高ぶっており、言論統制や人権問題について問われても、寝言としか思えない主張を繰り返しているが、ああいうのを「みっともない」と思う人がいるうちは日本もまあ成熟した国家と言えるだろう。それを「政治力がある」とか言って一目おき出したら、もうアカンな。日本は経済ばかりでなく、精神も腐れきったことになる。
わたしはグーグルの英断に敬意を表したい。「do not evil」(悪事を犯すな)を社是に掲げているあなたの態度に喝采を送りたい。私は結構リアリストなので、すぐにバラ色の結末がくるとは思わないが、グーグルのこの行動は暗闇の中にともる一瞬の灯火のように人々に希望を与えた。
もういい加減、力とか金とかで動く社会を見直さないといけないことに、みんな気づいているはず。
