白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2018/04/08(日)   CATEGORY: 未分類
矢島保次郎の親族かもしれない元ゼミ生の結婚式(長)
今日は元ゼミ生矢島くんの結婚式。

開宴20分前についたにもかかわらず、受付は長蛇の列。新婦側は誰も並んでいないのに新郎のがわのみが行列なのである。彼は在学中からバックパッカーでシルクロードを陸路で踏破したり、外国人留学生寮にすんで友達たくさんつくったり、仕事についてからもバングラディシユ勤務とかしていて、現在もインドネシア関連の仕事についているので、とにかく世界中から友達が集まってきたらしい。
ゆびわ2

中国、韓国とかならまだわかるけど、南アフリカ、イランとかからも友達がきていた。
結婚式では新郎側と新婦側がだいたい半々になるようにテーブルを並べる伝統があるが、圧倒的に新郎の席がおおく、受付がパンクしている。そのため開宴は30分遅れた。

私「チェックインに時間がかかって、離陸が遅れた飛行機みたい」

そして、やっと始まったかと思うと、会場側の司会者が進行をはやくしなければとあせったのかナレーションが早口。

私「競馬中継みたい」
知らない人もいる集合写真

最近の結婚式らしく仲人なし、お二人の開会宣言のようなもので式ははじまり、転職したばかりの新郎側からは会社の人がきていないので、新婦の会社の上司が乾杯の発声、来賓のご挨拶を行うという変則的な形。

乾杯が終わり料理もでないうちから、みな席をたってかってに高砂の席にいって新郎・新婦と歓談したりしてアナーキーな雰囲気になる。外国人が多く日本の結婚式の雰囲気が分からないためこうなっているものと思われる。

そこで、わたしも「チベット服きてるから外人よ~」みたいな顔をしてズイズイと新郎親戚席にうかがい、ご挨拶をさせていただく。じつは新郎の矢島くんは百年前に日本人として四人目にチベットにはいった矢島保次郎の親戚だ、と聞いていたので、ご親族があつまる結婚式の席なら近い方がいらっしゃるかもしれないとふんでのことである。

 しかし、お父上から伺った話によると「矢島家のルーツは〔矢島保次郎と同じ〕群馬なのでどっかで関係あるかもね」という程度の曖昧な話で、ご先祖を調べて菩提寺までいった私としては「もっと一族の歴史をふかぼりしてよ」と心の中で叫んだのであった。
たしかに、ものすごく近い親戚だったらゼミに在籍している時に私にいってるよな。もし矢島保次郎の係累の方にお会いできたらイギリス外交官の史料にでているYajima Yasujiroの名前とかをおみせして、盛り上がろうと思っていたのに。

topasjpg.jpg
 そこで気を取り直して席に戻る(当たり前だ)。おそらくは新郎が若干国士様であることから、全体に和風。窓からは皇居がみえ、式は神前、お料理は和風。ケーキカットでなく鏡割り。いろいろな国からお客さんがきているから、ジャパンな空気感をだして「おもてなし」なのだろう。
みながかってに席をたって旧交を温めるので、お色直しで新婦が席をたつときも新婦が注目されずに、司会者が席についてくださいと絶叫する。
 天ぷらがでてきたが、あまりに焦って給仕されたので、てんぷらがさらからすべってざざーっと盆の上にこぼれた。しかも、ウエイター、気づいてない。相当きている。

私「学級崩壊みたい」

 新郎はインドネシアでとれるトパーズ(石言葉は幸福と博愛)で自分でデザインしたネックレスを新婦につけてあげたりしている。イスラム圏の人もいることを考えるとこのくらいの接近が穏当な演出であろう。

 印象深かったのは、去年二人が婚約した時に、新郎は富山、新婦はオーストラリアで働く遠距離恋愛で一年後、どうなるかわからないままで式場を予約していたこと。その後、二人の努力もあって、新婦は何とか日本にかえり、新郎も転職して東京にすめるようになり、めでたく夫婦は新生活を一緒に始めることがかなった。

 式の終盤に新郎が男泣きにないているのをみて、ここにたどりつくまでいろいろあったのだろうと思う。
 国をこえた超遠距離恋愛から、一緒に暮らすことになった二人は、きっとこれからも仲良くいろいろなことを乗り越えていくのだろう。
 末永くお幸せに。
  
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DATE: 2018/03/18(日)   CATEGORY: 未分類
蜂起から十年 〜チベットに関する報道や世論はどう変化したか〜
長野において北京オリンピックの聖火リレーが行われて十年を記念した会を長野でやります。私もスピーカーになります。これを機会に善光寺様にお参りして、1960年に亡命チベット人第一世代が善光寺にたてた宝篋印塔もあり、善光寺様とチベットの関係は結構古いのです。

●北京オリンピック長野聖火リレー10周年記念集会
日時: 2018年4月30日(月) 10:00 - 12:00
場所 : 長野市生涯学習センター(〒380-0834 長野県長野市鶴賀問御所町1271−3 TOiGO West)
FBのイベント頁はここ

この間の10年の変化について3月10日の蜂起記念日にチベット料理やタシテレでお話した内容を以下に記録のために転載します。

まずは

(1) 蜂起のもっとも詳細な推移ここでダウンロードできます。 

(2) 次に当日のレジュメの内容をはっあおきます。2008年の蜂起にともなう国内外の動きについて、SNSの力、また、報道の変化などについてふれています。


2007年12月〜2008年1月 中国製冷凍ギョーザ事件により、日本の対中イメージ悪化。
2月13日 ユダヤ人映画監督スピルバーグ氏、ダルフール紛争に対する中国政府の対応を批判して、北京オリンピックの芸術顧問を辞退。
3月2日 アイスランドの歌手ビョークが上海公演で、Independenceという曲を歌い、Tibet, Tibet.......Raise your flag! Higher, higher! を叫ぶ。
3月17日 ラサの僧侶による蜂起記念日の平和的デモ隊を中国公安が武力鎮圧。それに抗議したラサ市民が蜂起。数日後、抗議行動はチベット人居住域(四川・甘粛・青海)全体に広がる。チベット報道は連日新聞の一面を飾る。
3月22 日1500名からなる六本木のフリー・チベット・デモ(以後、mixiや2ちゃんねるを通じてオフ会のような形で普通の人がチベット国旗掲揚、デモ、護国寺の大師堂でのお祈りなどに集まり始める。)
3月25日 ギリシアで行われた聖火リレーの採火式に国境なき記者団のベルナール氏が、五輪旗をかたどった抗議旗を掲げて乱入。以後、ロンドン(4月6日)、パリ(4月7日)、サンフランシスコの聖火リレー(4月9日)はチベット問題に抗議する西洋人たちによって混乱。舞台がアジアに移ってからは、中国大使館による在外中国人の動員により聖火リレーは中国国旗に埋まる。
4月8日 牧野聖修(民主党国会議員: 当時)がチベット支援団体に呼びかけセーブ・チベット・ネットワークを立ち上げる。
4月21日 パリはダライラマ14世と中国の人権活動家胡佳氏をパリの名誉市民に。
4月26日 善光寺が北京オリンピック聖火リレーの出発地点を返上しフリー・チベットの象徴に。長野は愛国中国人のふる圧倒的な数の中国国旗とわずかな数チベット・ウイグル・南モンゴル旗に埋まる。
5月6-5月10日 胡錦涛国家主席来日。5月9日には主席が夕食を食べる中国料理屋に接した日比谷公園がチベットサポーター8000人で埋まる。
5月9日 胡錦涛国家主席、早稲田大学で講演。早稲田大学ではじめてのフリー・チベットデモ。
5月12日 四川省、羌族・チベット族自治州を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。フリー・チベットは哀悼の意を表し活動を自粛。
8月8日 北京オリンピックの開会式にあわせて、Candel4Tibet、護国寺、常圓寺などでチベット蜂起による死者を追悼。開会式で漢族の子供に少数民族の衣装を着せて中国の旗の下に集まるべたな演出が話題となる。
★北京オリンピック開催期間中、東中野のポレポレ座で「チベットを知る夏」、善光寺でもチベット百人展などが行われる。
★『タイム誌』恒例の2008年「世界で最も影響力のある100人」の第一位にダライラマが選ばれる。
9月15日 リーマン・ブラザースが破産し、世界金融恐慌。
★10月17日-11月9日 ダライラマとチベットに捧げた「失われた平和展」(Missing Peace)東京で開催。
11月17日 亡命政府と中国との間の三回目(2002年から数えると八回目)の「対話」が決裂したため、ダライラマは「自らの中道路線(対話による自治要求)は国際社会からの評価は受けても、中国との対話においてはまったく助けにならず、障害となっている」(前月10月11月26日TCV創立記念スピーチ)との認識のもと、亡命者代表会議を招集し、自治か独立かを話し合わせる。
11月29日 デリーで国際チベット支援団体特別会議はじまる。参加30カ国、総勢105人。
12月1日 亡命者代表会議は「自治路線」でいくことを確認して閉会。
12月10日 世界人権デーにあわせて、中国の知識人(劉暁波、チベット人のウーセルさんも含む)が中国の民主化を訴える08憲章を発表。18条には連邦制が提唱されており、チベットの自治を求める主張に答えている。これはチェコの憲章77にちなんだもの。

●【参考資料① 当時のデモ日程と参加心得】大規模OFF板【胡錦濤来日時に東京をチベット旗だらけにするOFF 】@ wiki

〔解説〕以下は当時mixiや2ちゃんねるに流れていたデモ情報と参加心得(懐かしい・・・)の一例である。ダライラマはチベットの高度自治をガンジーやキング牧師以来の非暴力の政治手法によって実現しようとしていたため、在日チベット人、KIKU、セーブチベット・ネットワークの牧野氏はチベット人の状況を伝えることをメインにし、暴力的な要素を排除したデモを心がけた。この姿勢は日本のリベラル層の目をチベット問題に向けることに一役かった。一方、チベットのことを知ってというよりは、中国に対する、または、その中国に配慮をしつづけるマスコミ(テレビ、新聞、知識人)に対する反感からデモに参加した人のの中には、過激な言動をとる者もいた。これに本人たちの憂さ晴らし以外の効果があったどうかは永遠の謎である。


オフ日程まとめ(04月11版)
間違いや抜けの指摘よろしくお願いします。
4月10(木)─【ダライ・ラマ14世 来日】
.      東京 07:00頃 成田空港
.      東京 13:00~ 国会前
4月12(土)  奈良 10:00~13:00 奈良自転車道
4月13(日)  東京 13:00~ 国会前
4月17(木)─【楊潔褫 来日】
.      埼玉 15:00~19:00 大徳寺
4月19(土)  愛知 13:00~ 名古屋 若宮大通公園
       広島 15:00~16:00 原爆ドーム
4月20(日)  千葉 12:00~ 成田山新勝寺
4月25(金)─【五輪聖火 出迎え】
4月26(土)─【五輪聖火リレー in 長野】
.      長野 8:00~13:00 善光寺→若里公園
.      奈良 詳細未定
4月27(日)  大阪 調整中
.      千葉 12:00~ JR千葉駅東口→千葉神社 5月03(日)  京都 17:00~ 鴨川東岸
5月06(火)─【胡錦濤 来日】
.      東京 午後 羽田空港
.      千葉 11:00~JR船橋駅交番前→船橋大神宮(希望者はその後千駄ヶ谷デモに合流)
5月07(水)─【皇居(予定)】
5月08(木)─【早大】
      大隈講堂前13:00集合(早大生以外・学生以外もOK)
      http:月月sports11.2ch.net月test月read.cgi月offmatrix月1210078276月
5月09(金)─【横浜、大阪(予定)】
5月10(土)─【奈良】
       15時30分からデモ
5月25(日)─【渋谷】
      集まってはいけない
      千葉 11:00~  JR成田駅前→成田山新勝
(中略)

Q:旭日旗を一緒に振りたいんだけど
A:旭日旗を民間人があげるのは、本来なら官位詐称。
旭日旗は陛下より国と国民のため命を捧げる軍に対して授けられた軍の神聖なものであり、
自衛官でも私服では取り扱わない。タダの制服でも最低限、略礼装をする。
むろん、隊として旗を扱い、私用には絶対に使わない。

日本が嫌いな人がその本来の意味を軽視するなら兎も角、
日本文化を尊重しようとする人間が旭日旗を私用するのは激しい違和感を感じる

Q:中国国旗(五星紅旗)を燃やしちゃ駄目?
A:日本の刑法には外国国章損壊等(第92条)という法律があり、外国旗を損壊や汚損等した時は処罰される可能性があります。
  他国の国旗を破ったり、燃やしたりするのは、著しく品位を欠いた行為です。絶対に止めてください。

Q:(ギョーザ、トマト、石etc...)を投げつけたい
A:このオフは、今チベットで横暴を働いている中国への批判も込めて、平和裏に行うべきです。
  あなた自身傷害罪で罪に問われる可能性もありますし、暴力的行為も辞さない他のデモと同じ一線を画すことで、コキントウに与える精神的効果も大きくなるでしょう。「また乱暴なデモか・・・」と思わせない新鮮さが重要です。
  何より、あなたがその行為をとることで、他のオフ参加者が多大な迷惑を被ることになります。物を投げるのはやめてください。
(中略)

Q:参加者を装い、中国国旗を燃やしたり、暴力行為に訴えようとする奴を見た時は?
A:口頭で、あるいは力ずくでも自分でやめさせようとするのはよくありません。
  例えば、近くにいた、チベット国旗を持った人が、おもむろに生卵を投げようとした、とします。
  そこでそいつの腕をつかんで投げられないようにした場合、後で傷害を負ったなどと難癖をつけられるかもしれません。
  当日はそういった行為から海外要人を守るべく、厳戒態勢が敷かれているはずです。すぐに近くの警察官に知らせましょう。当日は参加者を装い、貶めるような行為をする輩が確実に混じると思われます。冷静かつ迅速に対処しましょう。

Q:なぜ「とにかく世界中で日本だけが虐殺国家を歓迎してるなんて思われないようにしないといかん 」なの?
  外国からのイメージ重視なの?消極的じゃないの?チベットのことは二の次?
A:この問題提起から「それじゃいかん!」といううねりが沸き起こったOFFです。
  もちろんチベット問題に憤りを感じているのが発端なのは間違いありませんが、   これは外国へという対外的な意味ではなく、   日本の報道や政府の姿勢に憤りを感じて対内的に抗議という意味があります。

Q:なぜ・紳士的な無言の抗議(大声で抗議したりしない)なのですか?
A:このOFFのコンセプトはデモだシュプレヒコールだ大声だというのに躊躇敬遠してしまう層でも、「ただ旗を振るだけでいい」ことで比較的容易に参加でき、いわゆる初心者にとって敷居を低く設定しています。
  無関心層や敬遠していた人たちに、容易に最初の一歩を踏みだし易いことを重視しています。
  一般的な抗議活動でない形式というのは魅力的だし効果的だと考えています。
  また、非参加者が見たときの嫌悪感をやわらげる、賛同を得やすいという意味もあります。
  そのために「無言」という言葉を使用しています。
  大きく行動できる人たちにとっては不十分だと思えるOFF(大がかりに激しい波も必要ですが)でしょうが、
  問題意識を抱えながらも躊躇している層を掘り起こし、
  見た目は穏やかだけど実際は大きなうねりのようなOFFになるように進めています。
     [デモ]      シュプレヒコール 熱い抗議の意思表示
      ↑↓
    [このオフ]     まずはチベット国旗を振ってみる      
      ↓↑
 [行動できないあなた]   憤る

●【参考資料② 蜂起以前の朝日新聞記事】
中国、ダライ・ラマ帰国呼びかけ チベット自治区きょう成立20周年( 1985年09月01日朝日新聞朝刊)→チベット関連の記事のソースが中国政府のみに偏っていた

 【北京31日=加藤特派員】中国は1日、チベット自治区成立20周年を盛大に祝うが、これを機にインドに亡命中の最高位の「生き仏」、ダライ・ラマ14世に対し「帰国を歓迎する」との呼びかけを再び強め始めた。これには、今なおチベット仏教の教主として幅広い信仰を集めるダライ・ラマの帰国実現によって、漢民族とチベット民族の団結をうたい、祖国統一やチベットの近代化建設のテコにしようとの中国側の思惑がのぞく。
 チベットは59年にダライ・ラマが反乱に失敗してインドに亡命後、貴族や寺院の封建勢力による農民支配が「民主改革」を経て解消され、65年に中国の省や特別市と並ぶ1級行政区の1つである「自治区」として成立した。しかし、すぐさま文革期に突入、自立性や民族、宗教を無視した政策によって、全国でも最も貧しい地区として取り残されて来た。
 新たな「チベットの目覚め」は、やっと80年代に入ってから。80年春、党中央のチベット開発に関する重要会議が開かれ、続いて胡耀邦党総書記ら中央指導者らが相次いで現地入りし、民族政策が本格化した。
 チベットの指導幹部はこれまで漢民族が大半を占めていたが、チベット族をどしどし登用するなどの方向転換が行われた。これと並行してダライ・ラマへの帰国の呼びかけが始まり「亡命政府」特使の北京入りも実現した。
 1日、ラサを中心に繰り広げられる記念式典に、党中央は胡啓立中央書記処書記と李鵬副首相の次代を担うニューリーダー2人を送り込んだ。また、代表団の一員としてダライ・ラマに次ぐ生き仏のパンチェン・ラマ全国人民代表大会常務副委員長を参加させた。パンチェン・ラマ氏は82年に、およそ20年ぶりにチベットに里帰りを許されたが、現在でもチベット族の精神的指導者としてダライ・ラマと並び人気が高い。
 そのパンチェン・ラマ氏はラサで30日記者会見し、中国のチベット政策やダライ・ラマ帰国問題について語ったが、この中で同氏は「79年以後、ダライ・ラマは代表を北京に派遣し、中央と接触を保っている。以前のような敵視の態度から関係改善を望む態度に変わってきたように思う」と指摘。帰国問題については「温かく迎えるという中国政府の政策は一貫しており変わっていない」と強調した。

●【参考資料③蜂起以前の朝日新聞記事】
数百人の部隊展開 住民「漢族は嫌い」 騒乱の中国・アバ・チベット族自治州説(2008年03月19日朝日新聞夕刊) →ソースを中国以外からも求めるようになった

 中【ミヤロ(中国四川省北部)=古谷浩一】チベット族による騒乱が相次いで伝えられる中国四川省のアバ・チベット族チャン族自治州に18日、入った。確認できただけで数百人の人民解放軍の部隊や大量の武装警察が展開。解放軍兵士によるチベット族の住居への家宅捜索と見られる行為も目撃した。
 四川省の省都、成都から北に約300キロ。白い桃の花が一面に咲き、山にへばりつくように石造りのチベット風住居が並んでいる。
 ナンバープレートのない迷彩色のトラック1台と四輪駆動車2台が止まっていた。約30人の兵士が黒い銃を横に構えて整列。真向かいの家から兵士が厳しい口調で叫ぶのが聞こえた。家の前では青と黄の民族衣装姿の年配女性が緊張した表情で兵士の方を見ていた。 「どうしたのか」と、車の窓を開けて尋ねると、銃口がこちらを向いた。童顔の兵士は「早く行け」というように首を振った。 騒乱のあった同自治州アバ県に車列を組んで向かう100台以上の武装警察の車体には、「社会の安定を断固として維持せよ」と書かれている。路上で警備をしていた警官は「ここは軍事管制下にある」と話した。 アバ県に向かう道では複数の検問もあった。住民の一人は「(騒乱を起こして)逃亡したチベット僧を捜しているそうだ」とささやいた。 なぜこのような事態になったのか。道を歩いていたチベット族の若い女性に尋ねると、「あなたたちには決して理解できないことだ」。その女性は「私は(漢族が)嫌いだ」と、吐き捨てるように言った。同自治州の州都マルカンまで約100キロのミヤロの警察派出所前で車を止められた。警官は記者だと分かると、「すぐに成都に戻れ」と迫った。理由について警官は「この先で自然災害が起きているためだ」と言ってにやりと笑った。 ◇
 アバ県では16日、約200人が警察署に火炎瓶を投げ、建物が焼失する騒乱があった。ロイター通信が伝えた。インドに拠点を置くNGOチベット人権民主化センターは、アバ県での治安部隊との衝突による死者は計15人としている。
 アバ・チベット族チャン族自治州は多数のチベット人が住み、甘粛省に接する地域などでは住民の8割以上を占める。

 ・警察隊発砲で3人死亡情報
 【北京=坂尻信義】インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは19日、中国四川省甘孜チベット族自治州甘孜県で18日午後、反政府デモ中の群衆数百人に向けて中国の武装警察部隊が無差別に発砲し、3人が死亡、15人が負傷したとの情報を発表した。米政府系放送局のラジオ自由アジアは、少なくとも2人が死亡したと伝えた。
 ・最新の装甲車、軍の印隠す? ラサで撮影の映像
 【台北=林望】中国に詳しいカナダの軍事評論家、平可夫氏は18日、香港のテレビ局がチベット自治区ラサ市内で撮った映像に中国軍の最新鋭装甲車が写っている、と指摘した。
 15、16日に香港の複数テレビ局が撮影。同氏によると軍機械化歩兵師団の精鋭部隊に配備されている90式と92式の重装甲車で、映像では軍の所属を示す赤い星印を白い布で覆っていた。
 ・騒乱参加の100人が出頭
 中国中央テレビによると、チベット自治区政府の常務副主席は18日までに、ラサの騒乱に加わった約100人が警察当局などに出頭したことを明らかにした。商店などから奪った現金を持って出頭した者もいるという。中国当局は17日までに出頭すれば処分を軽減すると呼びかけていた。(北京)
 ・「ダライ・ラマ策動の証拠ない」 クリステンセン米国務省高官
 【ワシントン=鵜飼啓】中国の温家宝(ウェンチアパオ)首相が18日の記者会見でチベット人と治安当局の衝突を「ダライ・ラマ14世一派の組織的策動」と断じたことについて、米国務省東アジア太平洋局のクリステンセン次官補代理は18日、「(策動に関する)証拠は持ち合わせていない」と述べた。

【まとめ】2008年を境に何が変わったか
 
(1) フリー・チベット運動がネット(mixi 2ちゃんねる)経由で広がったことが示すように、テレビ、新聞といった既存のメディアが人々を操作する時代が終わり、ネット経由の情報(デマも含む)が人々の行動に対して力を持つようになった。

(2) 批判に押される形で、中国に対する配慮からチベット人の実情を報道していなかったメディアもチベットに関する事実を報道しはじめた。中国への"忖度"がもっともある朝日新聞ですら、2008年以後は平和解放、ラマ教、活仏といった中国よりの言葉を避け、亡命政府の言い分やチベット人の抗議を記事化するようになった。2008年3月22日の六本木デモの解説に際して、読売テレビで「チベットは独立国であったが・・・」という映像が流れた時は我が耳を疑った(それ以前は中国の一部という中国の公式見解をそのまま流していた)。チベットに関する書籍の点数も飛躍的にのびた(それ以前は大半はダライラマの法話、チベット死者の書などの仏教書)。

(3) 結果として、メディアが沈黙していたため日本人一般にほとんど知られることなかったチベット人の現状が2008年以後は広く知られるようになった。今や、中国の言い分を全面的に信じる日本人は存在しなくなった。
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DATE: 2018/03/17(土)   CATEGORY: 未分類
チベット・フェスティバル 2018
4月下旬から5月にかけて、3年ぶりにダライ・ラマ法王日本代表部事務所主宰によるチベットフェスティバル 2018(平和の祈り・観音砂曼荼羅の世界)が行われます。
18チベットフェスティバル

今回は南インドのセラ寺から12名の僧侶がいらして、砂マンダラ作成、声明、瞑想セッション、仮面舞踏などをご披露してくださいます。詳細は法王事務所のホームページをご覧戴くとして、要所をまとめると以下のようになります。

毎日行われるもの (砂マンダラ制作→完成→破壇 ・日替説法 ・声明 ・瞑想セッション ・仮面舞踏(チャム)
 大本山護国寺 :2018年4月20日(金)〜22日(日) 
相田みつを美術館 : 2018年4月28日(土)〜5月6日(日)

馬頭観音の許可灌頂
導師:チャド・リンポチェ
日時: 4月22日(日)13:00から16:00
場所: 大本山 護国寺

あいだみつを美術館の講演日程

4月29日(日)19:00〜20:00「セラ寺の僧院生活について」
セラ寺高僧トゥプテン・ソナム
4月30日(月)19:00〜20:00「日本・チベット仏教の交流について」
平岡宏一(清風高等・中学校長)
5月1日(火)19:00〜20:00「日本で生きるチベット医師」
西蔵ツェワン武蔵台病院院長
5月2日(水)19:00〜20:00「ダライ・ラマ法王とチベット」
石濱裕美子(早稲田大学教授)
5月3日(木)19:00〜20:00「なぜモンゴル人はチベット仏教徒になったのか」
宮脇淳子(モンゴル史家・学術博士)
5月4日(金)19:00〜20:00「にんげんだもの 父・相田みつを語る」
相田みつを美術館館長 相田一人
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DATE: 2018/02/22(木)   CATEGORY: 未分類
トゥルナン寺炎上
今年のチベットの新年は二月の十六日だった。その翌日、聖地チベットの中心ともいえる釈迦像をまつるトゥルナン寺(ジョカン=釈迦堂 / ツクラクカン / 大昭寺)の火事のニュースが飛び込んできた。
 この釈迦像は教科書にもでてくるソンツェンガムポ王が中国からめとった文成公主妃がもってきた仏と言われ、寺自体も同王がネバールからめとったティツゥン妃によってたてられた年代ものの、もちろん世界遺産である。
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 ラサの町はこのトゥルナン寺を中心に発展し、この釈迦像を巡拝する三重の巡礼路(ナンコル・パルコル・リンコル)の中に発展してきた(今はその周囲に漢人がはいってきて作った近代都市が広がるけど)。
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火災は寺が閉鎖されていた17日の午後六時に発生し、今時なのでケータイでとられた悲鳴入りの画像がネットにでまわったが中国当局はこれを迅速に削除していった。トゥルナンは巨大な寺であり、炎につつまれた屋根とそっくりの屋根がいくつもある。中国のメディアは、釈迦堂の向かいのソンツェン王堂が焼けたと発表した。しかし、しばらくして、屋根の形状からやはり焼けたのは釈迦堂ではないかという噂がでまわり始めた。すると、今度は翌日朝に撮影された釈迦像の写真が発表される。

 しかしこの写真も釈迦像の冠(出家前なので冠をかぶっている姿)が前と違うということで、また、18日に一般公開されると東側のセクションが入場禁止になっていたため、いまだ疑惑がチベット界をめぐっている。
 
 某チベット人情報によると、チョカンは上階部分が燃えただけで、仏殿もお釈迦様もセーフであるという。冠が違っている点については、デプン、セラ、ガンデンのゲシェ(博士)たち50人くらいが、ツォンカパにならって仏像の光背とか冠とかの装飾品を新しくした、その直後に火事がでたので、チベット人たちは土地神が怒ったのだとゲシェたちを非難している、しかし、ゲシェたちは「迷信だ」と反論しているそうな。なんかこの話リアリティある。

 このような話がとびかう背景には周知の通り中国当局がメディアを強力にコントロールしているため、中国政府にとって都合の悪い物は消されるという事実があるからである。
 チベットのお正月、そしてもうすぐくる3月10日の蜂起記念日においてチベット人の民族意識はもっともつよくなる。こんな状況なので、中国もチベット人が浮き足立つようなニュースを極力排除したいであろうことを考えると、チベット人はどうしても悪い方へと想像を膨らませてしまう。
仏像破壊

 文革の時、トゥルナン寺の仏像はこの釈迦像をのぞいて破壊され、中庭に積み上げられ、寺は事務所にされた(写真は唯色『殺劫』より)。なぜこの釈迦像が助かったのかというと、チベット人が崇拝する仏様なので裸にしてさらしものにするために残し、奇跡的に生き延びたものである。燃えた仏殿はもちろん年代ものである。

 新年早々こんな凶事がおきればチベット人も気持ちが暗くなるであろう。この件、続報が入ったらまたとりあげるかも。参考までに、ロビー・バーネットの ツィッターが、ウーセルさんのツイッターとも連動して時々刻々の情報を流している。

 トークイベントのお知らせです。 2月25日の日曜日には博多のあいれふで「石濱裕美子先生が約70年前のチベットの貴重な映像を見ながら語る会」(私がつけたタイトルではない)、3月10日の土曜日には、チベット・レストランタシテレでトークイベント「蜂起から十年 〜チベットに関する報道や世論はどう変化したか〜」、まだ詳細は未定ですが4月21日、22日に信州の善光寺様で「2008年のチベット人蜂起から十年」イベントが行われます。

 あの年から十年である。

「石濱裕美子先生が約70年前のチベットの貴重な映像を見ながら語る会」
日時: 2月25日(日)14:00 - 16:00
場所: あいれふ(〒810-0073 福岡市, 福岡県中央区舞鶴2丁目5-1 博多の中心部です!)
詳細はここ

●トークイベント「蜂起から十年 〜チベットに関する報道や世論はどう変化したか〜」
日時: 3月10日(土)16:00 - 17:30
場所: チベット・レストラン タシテレ(〒160-0002 東京都 新宿区四谷坂町12-18-102 防衛省の真ん前です!)
詳細はここ

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DATE: 2018/02/12(月)   CATEGORY: 未分類
三十帖策子がすごいらしい
 二月のある日平岡宏一先生から電話を戴いた。

宏一先生「現在東博で行われている「仁和寺の秘宝」展は素晴らしいですよ。弘法大師さまが唐からもちかえった三十帖策子が展示されているんです。橘の逸勢とか写経生とかの字も混じっていますが、直筆ですよ。」

私「さ、三十チョウサクシ、なんですかそれ。」

宏一先生「唐からもちかえった経典とか法具の目録や奥義のメモです。」

私「国宝の御請来目録のことですか」

宏一先生「それとは違います。おなじく国宝ですが。高野山にいた空海の甥が東寺にいる空海の弟を通じて、東寺の長者(トップ)以外目にできないこの策子をかり出してそのまま返さなかったんですね。」

私「弟とか、甥とかってなんか生々しいですね。空海って同族経営で真言宗を経営していたんですか。なんかイメージとしては実力主義で血統とかに頼らなさそうだけど。しかも、借りたままかえさんとか、早稲田にも昔、某A教授が図書館から本を借りだしたまま死んで、そのままどっかいっちゃったなんて話がありました。同じですねえ」
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宏一先生 「その後、孫弟子の時代に東寺に戻るのですが、源平合戦の折に何か大事があってはいけないと、仁和寺を創建した守覺法親王が1186年にかり出してそのまま返さないで今に至るんまで仁和寺にあるのです。」

国共内戦の折、清朝の秘宝が戦火を避けてあちこち疎開したあげくに戦艦で台湾に送られて今にいたるようなものか。ちなみに、このお話を宏一先生がされた時にはあまりにも早口で説明がたりなかったため、エンサイクロメディア空海の力をかりてここまで復元した。密教の奥義について記したこの策子のありかが、真言宗の根本寺院ということで、この策子の帰属はたんなる本の貸し借り以上の意味があったとのことである。

 そこで9日の金曜日の夜の開館時間をねらって午後八時から観覧をはじめた。大物は14日以後にくるので、たぶんこの日が一番人が少ないだろうと踏んでのことである。案の定、まったくお客さんがいなくて、気持ちよかった。
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 実際にみた三十帖策子はメモ帳サイズで、和綴じのA4 サイズを想像していた私にはとても小さく見えた(画像もエンサイクロメディアから)。それと、チベットネタとしては、95と96の金剛鈴は元か明の時代に大陸でつくられたチベット仏教の法具であるという。95は鈴のぐるりにオンマニペメフンが刻まれている。

 この他にも国宝の秘仏がたくさん陳列されており、その中の国宝、孔雀明王像はどっかでみたことあると思ったら、うちの冷蔵庫の壁面にマグネットではられていたものである。じつは仁和寺展は30年前(1988)にも東博で行われており、その際購入したものをある時期にはったものと思われる。もちろんほこりだらけ。

 もう一つチベットネタとしてはダライラマ法王が金剛界・胎蔵界の灌頂を行われた宮島の大聖院さまの不動明王像がおいでになっております。

 このように素晴らしい仏像がたくさんあるものの、昔は仏様の前におかれていたお賽銭が今回は一つもみあたらなかった。今や人々にとってここにある仏像はたんなる美術品なのであろうか。
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 展示する前に、お寺で性根をぬいてあるので、理念的にもただの木像であると言われればそれまでだが、たとえ性根がぬいてあっても仏様の姿を前にすると自然と合掌したくなりませんか、そんなの私だけ? このような形で仏様が展示されているのを痛々しく感じるのは私だけ?

 そして仁和寺の観音堂内を再現したスペースでは写真撮影すらオッケーとなっている(仏像がすべて江戸時代と新しいものであるからと思われる)。インスタ映えするので、観覧者にSNSで拡散・宣伝をさせようという当局の魂胆がすっけすけである。なのでお言葉に甘えて、写真あげときます(オイ)。

 じつは仁和寺は火事で焼けたあと、長いこと放置され荒れるに任されていた。しかし、徳川家光の時代に再建されて今の姿になった。去年の六月、東京チベット散歩をした時に、訪問先の、護国寺の観音堂と九品仏の三仏堂を調べてみたら、数年違いで徳川綱吉の時代に建てられていたことに驚いた。思えば比叡山も、かつてはこの上野の国立博物館にあった比叡山をまるまる原寸大コピーした寛永寺も、日光山輪王寺も、大伽藍はみな徳川家によって造立されたものである。

 もっとみんな徳川家を評価しようよ、徳川時代って明治維新以後にはクソミソに言う人もいるけど、それほどひどい時代じゃなかったよ。そう思いつつ、閉館のアナウンスにどやされて、館外にはきだされたのであった。
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