白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2015/04/19(日)   CATEGORY: 未分類
哲学・修道・結果(法王法話)
 今回の灌頂チケットは発売とほぼ同時に売り切れた。その理由が会場にきてみて分かった。席のかなりの部分が韓国人・モンゴル人・台湾/中国人の団体に占められていたのである(翻訳機械は1300台貸し出されたとか)。これらの国の人たちの故郷がダライラマ法王にビザをだせる政治力がないから日本にくるしかないとはいえ、希望してもチケットが手に入らない日本人が数多くでたのは残念な話であった。

 今回の法話においては四つのテクストが準備されており、ざっと流れをさらうと、第一テクスト『般若心経』と第二テクストのナーガールジュナ著の『菩提心釋』で、空(智慧)の哲学を理解し、第三テクストのカマラシーラ『修習次第』(ゴムリム)において、理解した内容を瞑想(止・観)によって実現することを説き、第四テクストのミトラゾキの『三つの心髄』では瞑想を効果的に行うべく、密教の成就法を解説し、密教の入門儀礼である灌頂が授けられることとなっていた。これはチベットの修道を顕教から密教までを段階的にたどる非常に総括的な内容といえる。

 ここ数年、法王は智慧(般若思想)について学ぶように随所で強調され、中観帰謬論証派の解釈に基づく空の哲学についてあちこちで語られてきた。かつては準備していたテクストが最初の三行で終わることも頻繁であったが今回は、テクストが長い上に四つもあったにもかかわらず、とにかく全体に言及し、「今回言及できなかった部分については、テクストを家にもってかえり、自分で学習すること」と今後の指示まで出されていた。つまり、今後のことを考えてとにかくこれだけは理解して欲しい、実践して欲しい、ということを、まとめておっしゃられたかのような法話であった。

 まず、法王は『般若心経』を韓国人には韓国語で唱えるように、そのあと中国人に中国語で唱えさせた。最後にダライラマご自身が、『般若心経』の真言と、『中論』の帰敬偈と弥勒の『現観荘厳論』の開経偈をチベット語で唱え、「モンゴル人は私と一緒にチベット語で唱えろ」とおっしゃられた。以下が法王法話の内容である。

ちなみに、配布されたテクストはこちらでダウンロードできます。表紙と見開きの誤植はなおしてからpdfにすればよかったのに(笑)。あと、ここで「ロシア語」とあるのは、「モンゴル語」のマチガイです。文字が同じキリルなので間違える人多いんですよね。


 『般若心経』は「智慧(サンスクリット語の音写だと般若)の心髄」であり、仏母と言われる※(法王が直前によんだ『現観荘厳論』の開経偈にも般若を仏の母と称えている)。お父さんではなくお母さんだ。父=方便(利他)が母=智慧(自利)を完成して、現在・過去・未来の仏は生まれた。

 智慧とは「物事は見えているようには存在せず、実体がない」ということだ。この法話は全国の会場でライブ・ビューイング(LV)で見られているとのことだが、LV会場に私は実際にはいないが、いるように見えている。仏典でいうガンダルヴァの城(幻の喩え)のようなものだ。それを思い起こさせてくれるから、ライブ・ビューイングもいいだろう。

 今回は四つのテクストを準備した。
(1) 第一のテクストは『般若心経』である。
(2) 第二のテクストはナーガールジュナ(龍樹)著『菩提心釈』である。
 このテクストは、最初に仏教の立場から、非仏教徒(外道)の主張する「実体的な自我」を否定し、次に、仏教の四つの学派(説一切有部・経量部・唯識・中観)の思想を順番に説明している。その際、後のものが前のものを批判するというように、より優れた思想を順に示していく構造になっている。この四学派のうち、かつては前二者を小乗、後二者を大乗と言ったが、大小が優劣を表しているかのように見えるので、パーリ哲学とサンスクリット哲学と言うことにする。
 パーリ哲学では人無我を説く。「人無我」とは、「私」(人)とは五蘊(色・想・受・行・識)の上に仮に措定されただけの、実体ないものである、という見解である。一方、サンスクリット哲学では「人無我」に加えて「法無我」すなわち、「存在するもの(法)に実体はない」も説く。このように、すべてのものに実体はないので、囚われてはならない。利他心(菩提心)を培うことによって、智慧に対する障り(所知障)をなくさねばならない。

(3)第三のテクストは、カマラシーラの著した『修習次第(中篇)』(ゴムリム)である。カマラシーラはチベットに顕教をもたらしたシャーンタラクシタの高弟で、ナーランダ大僧院の俊英であり、師弟ともどもチベットに来てわれわれチベット人に法を伝えてくれた。

 本著作を、一切智者の智慧を獲得するための土台・修道・結果(シ・ラム・デプ)の三つの観点から解説することができる。シ・ラム・デプの「土台」(シ)は、修道の基盤となる「物事の真実のあり方」についての見解(哲学)であり、「修行の道」(ラム)は、一切知を獲得するための修行の順序や方法である。「結果」(デプ)とは、その修行道の結果得られる仏の境地(仏果)である。『修習次第』では土台(シ)は、人無我、法無我という哲学が説かれ、道(ラム)では、二つの瞑想修行(止・観)のやり方が詳しく説かれ、その結果得られるもの(デプ)として、仏の意識=一切智が説かれる。本書はこの道の部分にあたる瞑想修行が中心的な主題である。

(4) 四番目のテクストは、ミトラゾキの『三つの心髄』である。明日は千手観音の灌頂(dbang)と、カサルパニ観音の許可灌頂を行う(灌頂は二日目の午前、すなわち、テクスト(2)と(3)の間になされた。

◎さあ、まず総論(spyi bshad)からはじめよう。この地球には70億の人が住んでいる。全ての人が幸せを求め、苦しみを望んでいない。それなのに多くの人は望まぬ苦しみを味わっている。そして、その苦しみの多くは自分で作り出したものなのだ。自分さえよければいい、自分が、自分が、という気持ちが、結局は自分を苦しめているのだ。
 人は、「存在が実体的に、つまりそれ自身の力で成り立っている」(rang bzhin gyis grub pa)と思うところから問題が生まれる。
 テロリストだって母親から生まれた人だ。その意識の中には愛の種が植え付けられている。人を思いやる心は必ず存在している。科学も愛が健康を促進し、怒りや憎しみが健康を損なうことを証明している。だから、自分ではなく全体をみる考え方をしなければならない。

 台湾、韓国、モンゴルの方々、私の言葉は翻訳されて聞こえているか? そうかよかった。

 現在の普通教育は知識偏重で、物質志向である。しかし、心の中にある欠点や自らの苦しみの原因を客観的に考えさせるような、精神的な教育を行わねばならない。

 多くの人は肉体が安楽であれば幸せになれると思っている。しかし、世界の金持ちは、その富を得るために争い、だましあい、心の平安を一つも得られていない。彼らはもっと、もっと、もっとと求めて不幸になっている。世界の主な宗教は足るを知れ、と共通して説いている。全ての宗教は異なる見解を持ちつつも、最終的には愛と慈悲を推奨するという点で共通している。無宗教の人々も、宗教を信じていないからといって、放置するのではなく、世俗の倫理によって導かねばならない。アメリカやカナダではすでにこのような教育を始めており、効果が出ているという。

 諸宗教の見解の相違について言えば、たとえば、キリスト教は神の存在を受け入れており、人間の自我は神によって作られたものとする。一方、サーンキヤ学派やジャイナ教、仏教は神を措定せず、人の自我は始まりのない昔から存在していると考える。
 
 しかし、キリスト教の神は愛を本質としているし、仏教も人には如来蔵(仏になる能力)が元々備わっているとするので、まったく異なっているわけではない。

 仏教では、「私」「人間」とかは、五蘊という構成要素が集まったものに仮に名前をつけたものであって、単一永遠の我はないと「無我」を説く。

 仏教にもさまざまな学派がある。それらには共通点もあれば相違点もある。共通点を挙げれば、パーリ仏教もサンスクリット仏教も戒律を大事にし、瞑想を重視する。しかし法の分類とか定義(阿毘達磨)は異なっている。たとえば、パーリ仏教では四諦十六行相を説き、サンスクリット仏教では三転法輪を説く。またパーリ仏教では「人無我」のみを説くが、サンスクリット仏教では、それに加えて「法無我」を説く。

 法の解釈について具体的に述べよう。パーリ仏教の所説であり、サンスクリット仏教では三転法輪の第一法輪で説かれたとされるのが「聖者〔にとって〕の四つの真実」(四聖諦)である。

◎聖者の四つの真実(四聖諦)
1.苦しみという真実(苦諦)
2.苦しみの真の起源(集諦) 
3.苦しみの真の消滅(滅諦)
4.苦しみを消滅させるための真の道 (道諦)

 この四聖諦は、二つの因果関係からなっている。まず2が原因となり1が結果として生まれ、4が原因となり3がその結果として生まれる。四聖諦を正しく理解するために、それぞれの真実に4つずつの性質 (四諦十六行相) があることを、順番に詳しく考察する必要がある。

◎四諦十六行相
1. 苦諦四相:無常*1、苦、空、無我
2. 集諦四相:因(原因)、集(起源)、緣(条件)、生(生気)
3. 滅諦四相:滅(消滅)、静(平静)、妙(吉相)、離(出離)
4. 道諦四相:道(修道)、如(理に適っていること)、行(達成)、出(解脱)

*1無常には二つのレベルがある。粗なレベルの無常とは、全ては変化していくということであり、微細なレベルの無常では刹那滅、つまり全て存在するものは、必ず生じると同時に消滅することである。すべてのものは刹那に生滅しているにもかかわらず、無明のために物事を正しく認識できないので、ものがずっと続いて存在していると思い込み、それに執着し苦しみを感じるのである。全てが刹那滅であり空であることを意識し、四聖諦を正しく理解して、「単一・永遠・実体をもった存在」があると思ってはいけない。

※ 語句の説明はややとばしぎみだったので、仏教語辞典を引いて確認してください。四聖諦については『ダライ・ラマの仏教哲学講義』(大東出版社)などが参考になります。

 サンスクリット仏教(厳密にいうと唯識思想を説く経典『解深密経』)の哲学では仏の教えを三種類に分類(三転法輪)する。

◎三転法輪
1.第一法輪 四聖諦・十二支縁起の思想
2.第二法輪 般若思想 → 無我と空の哲学。四聖諦の滅諦にあたる。
3.最終法輪 唯識・如来蔵思想 → 心の本性は光である

 ※ここで、パーリの四諦十六行相の話が長すぎたため、時間切れになり、三転法輪どころか、第二のテクストに入れないことに法王は気づき、道諦の説明が終わると同時に、いきなり、『般若心経』のマントラ、ギャーテー、ギャーテーハーラーギャーテー、ハラサンギャーテー、ボーティーソワカに話を飛ばし、これが唯識のとく五道と対応関係にあると説かれた。

◎『般若心経』のマントラ部分と五道の関係
(1)ギャテー (gate)、資糧道
(2)ギャテー (gate)、加行道
(3)ハラギャテー (pāragate)、見道
(4)ハラソウギャテー (pārasaṃgate)、修道
(5)ボウジソワカ (bodhi svāhā)、 無学道

 非仏教徒と仏教徒の違いは仏教徒は三宝に帰依し、非仏教徒はしないことだ。

 まずテーパ(dad pa)とは、崇拝対象に集中する信心だ。仏教徒なら三宝、キリスト教徒なら神に対して一心に信仰する、あの信心だ。
 それに対してムーパ(mos pa)は、教えの内容に確信を得た上での信心である。仏はこうおっしゃった。「私の教えであっても金の真贋を確かめるように吟味し、その結果正しいと思ったら初めて信じろ。私が言ったからという理由で信じてはならない。」と。

 四聖諦を十六行相に分けて考察することは理解を深める。瞑想の方法についてはパーリ仏教は37菩提分法を説く。このパーリ仏教の37菩提分法を五つの修行道と対応させると以下のようになる。

◎37菩提分法とは
(1) 四念處 → 資糧道
(2) 四正勤 → 資糧道
(3) 四神足→ 資糧道
(4) 五根→ 加行道
(5) 五力 → 加行道
(6) 七覚支 → 見道
(7) 八正道 → 修道

 ナーガールジュナの『中論』によると、仏は生涯に12の行いをした。悟りを開いた後には、空の教えを説いた。しかし、空の教えは簡単なものでなかったため、一時的に四聖諦と十二支縁起を説いたという。
 十二支縁起は無明から行が生じ、次に識が生じ、というように次々に因果が連なり、最終的には、老衰と死に至る苦しみの生じる因果関係である。このように原因が結果を生じていく過程を観察することを順観という。これに対して、無明が滅すれば、行が滅し、行が滅すれば識が滅するというように、原因を無くすことによって結果がなくなり、最終的には苦しみがなくなると観察することを逆観と言う。
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4月12日 午後の部

 般若系の経典には大中小のものがあり、そのそれぞれの中にも大中小がある。
 大般若の大とは漢訳にしか残されていない『大般若経』である。昨日総持寺に伺ったとき、そこではこの大般若を今でも少しずつ読誦していると聞いた。大般若の小は 『十万頌般若経』である。中般若の大は 『二万五千頌般若経』 、中般若の中は 『八千頌般若経』である。最後に小般若の大は 『金剛般若経』、小般若の中は 『般若心経』、小般若の小はたった一文字の、Ahである。

・第二法輪においては、空の哲学(般若思想)が説かれた。これは四聖諦では滅諦にあたる。『中論』の第18章第5偈に「行為(業)と煩悩を滅ぼすことによって解脱することができる。行為と煩悩は誤った判断(妄分別)から生じる。そして誤った判断は戯論(けろん。物事を区別しレッテルを貼っていくこと)から生じる。その戯論は空性によって消滅させられる。」とある。この解釈には二つの説があり、一つは、「空性を悟ることによって戯論は消滅する」という解釈。もう一つは私のラマ(クヌ・ラマ)の「戯論が空性という法界の中に溶け込んでなくなる」という解釈である。クヌ・ラマから「心の本質である空性を悟ると、心が本来は光り輝く本性をもつので、心の汚れは本来存在しないものであることが分かる。したがって、空性という法界と一体になるのだ」と教えられた。

 心の本質は光であり、汚れは一時的なものであり、心の汚れを対抗手段(対治)によってなくしていくと、本来の光明としての心が現れるのだ。

・第三法輪では、認識対象である外界の存在が空であるので、それを把握している認識主体もまた空であることになる。しかし、唯識思想は、このような認識の主客の現れは、「根源的な意識」(アーラヤ識)によって生み出されたものであり、その現象的な意識が再びアーラヤ識に結果を残すという因果関係を説き、この「根源的な意識」は「真実に存在する」と説いた。しかし、中観派の見解では、このような「根源的な意識」の実体的な因果関係は認めず、認識の主体も客体も、全て真実には存在しない空なるものであると説く。

「土台→修道→結果」という伝統的な分類に基づいて説明すると、土台は人間を構成する五蘊、十二処、十八界などの法であり、修道は六波羅蜜行であり、その修行によって得られるものが仏陀の境地となる。これを仏の身体の分類にあてはめると、順に「化身→報身→法身」となる。

 『般若心経』は直接的には「空」を説くが、その行間で間接的に「方便」も説いている。『般若経』の注釈書である『現観荘厳論』はそのことを「菩提心を持ち五道を修行すると仏になる」と説いている。「方便」は、菩提心に支えられて初めて仏陀の境地という結果に至るのだ。空の哲学(中観思想)を理解し、六波羅蜜を修行し(方便=菩提心)、仏の境地に至るのだ。智慧を極めると仏の法身が、方便を究めると仏の色身(報身と化身)が得られる。

 説一切有部と経量部の見解では、「人」は、五蘊・十二処・十八界の上に仮に名付けられただけで、その実体は存在しないという「人無我」を説く。

 唯識の見解では「人」ばかりか「存在するもの」(法)すべてに実体がないという「法無我」を説くが、「根源的な意識」(アーラヤ識)の因果関係は実体として存在すると説く。
 しかし、〔これはさらに中観の見解によって否定される。〕青をみると「青」という意識が生まれる、しかし、意識の対象である「青」がなくなるとその意識も消えるので、〔対象の青も意識も相互関係の中で名付けられただけのもので〕実体・本質がないのである。

 『般若心経』にある「五蘊もまた空なり」という句の「もまた」の語句は(漢訳には訳出されていない)、何かに何かが加えられたことを意味するが、それが何であるかについては二通りの解釈がある。一つ目の解釈は第一法輪で説かれた「人無我」に加えて、第二法輪では、「法無我」を説いているという解釈である。この場合は、人と名付けられる元となっている五蘊という存在(法)「もまた」空である、という意味になる。

 もう一つの解釈は、五蘊という存在は、人が存在することによって存在しているので、最終的には五蘊もまた人に依存していると考えられる。相互に依存しているということは、一方が空であれば、他方も空であることになる。つまり人が無我なのだから、五蘊「もまた」無我である、という解釈である。

 『般若心経』は、「すべてのものは何かの集積物に名前をつけただけのものであって、その実体を探しても、どこにも見つけることが出来ない」と説く。これは量子力学によって存在を構成する本当の物質を探して、いくら物質を分割していっても、どこにも最終的な物質を探し出すことが出来ないのと似ている。インドの量子力学の科学者ラージャナンダというものが、仏教徒の考え方と量子力学の考え方は同じであると言った。ナーガールジュナは科学が成立するはるか以前に「存在するものがそれ自身の性質によって成り立っていない」と説いた。ちなみに、このことは世間的な意味で「ある」ということを否定していない。何ものかに依存して存在すること(縁起)を空といっているのだ。

 色即是空、空即是色の解釈は以下のようである。すべてのものは何かに依存して存在しているが故に、たとえば、部分は全体に、全体は部分に依存しているが故に、それ自体として成立しているものではない。これが「色即是空」である。それに対し「空即是色」とは、「それ自体で存在していない、空なるものであるが故に、全てのものは存在することができる」という意味である。存在と空とは一つのコインの裏表のように、表裏一体であり、一つの真実のあり方を二つの側面から述べているのである。

 ところが我々は、無明のせいで、この空である存在を実体視して、それ自体で存在していると思い込んでいる。この無明は「物事が真実に存在すると執着する」根本煩悩である。

 中国語の祈願文の中に、「〔対象を実体視することによっておきる心の中の悪い性質〕三毒(三大煩悩=貪・嗔・痴)をなくすことができますように。智慧が増えますように」とあるように、業と煩悩を滅することによって解脱することができる。業と煩悩は誤った判断から生じ、誤った判断は戯論から生じ、戯論は空性によって消滅させることができる。

 ナーガールジュナは『中論』第18章第5偈で、「戯論→誤った判断(妄分別)→煩悩→業→輪廻」という因果関係を説く。従って、空性を理解することによって戯論を止滅させると、この連鎖は断ち切られ、輪廻からの解脱が可能となる。

 業と煩悩によって人はこの世に何度でも生まれてきてしまう。97才になるアメリカ人の心理学者が怒りの強い患者をみていた。彼は強い怒りが心の中におきた人は、90%対象を見誤ると説くが、ナーガールジュナははるか昔に同じことをいっている。

 空の哲学を心に繰り返しなじませて確信し、〔空そのものになりきるように〕心を変容させていけば、怒りや執着はだんだん減っていき、最後は輪廻から解脱できる。これは実在論でも虚無論でもない。この両者は空を理解していないのである。空を理解することで、「苦しみの原因は自らの煩悩である」と理解できるようになる。この考え方は、仏教徒にも他の宗教の信徒にも無宗教の徒にも役に立つものである。漢文の祈願文にあるように、智慧を育むことによって、全ての煩悩を消すことができるのである。

 「ものが実体をもって存在している」ととらわれている意識 (無明)は智慧によってしか消すことは出来ない。「無我」を理解することによって、「無明」という根本煩悩を無くせば仏の境地(涅槃)にいたる。

 これは瞑想(禅定)の力のみではできることではない。「無我」の意味をきちんと理解し、心になじませなければいけない。「人無我」にも粗いレベル(全ての仏教の学派に共通の人無我の理解)と微細なレベル(中観帰謬論証派の人無我の理解; 微細なレベルでは、人無我と法無我は単に対象が人か法かの違いであって、無我の本質は同じである)があり、中観帰謬論証派のチャンドラキールティ著の『入中論』も、「仏教の修業者なら、無我の哲学を学ばねばならない、人無我だけでなく、法無我も学ばねばならない」と説いている。空の意味を理解すれば煩悩を克服できる。

(2)第二テクスト『菩提心釈』

 テクストの冒頭にある七行は『秘密集会タントラ』第二章の菩提心句である。冒頭の句の二行目と三行目で説一切有部と経量部の説を唯識思想によって論破し、三行目と四行目は中観によって唯識の意識の実在を論破している。

 〔密教の見解について言えば四タントラのうち最上位の〕無上ヨーガタントラでは、大楽と空が一体(楽空無別)となることを目指す。大楽とは「空性を理解する智慧」であり、空はその対象だが、楽空無別とは、その智慧と空とが一体となって区別されない境地を意味する。このとき、心は真理としての光明そのものになる。これは最も微細なレベルである。

 これを悟るプロセスは、睡眠のプロセスと似ている。覚醒時の意識は粗いものであるが、段々と深い睡眠に入っていくと意識は微細になってゆき、死ぬときに一瞬意識がいたる境地はもっとも微細なものである。誰にでもおこる死のプロセスは、修行の中で覚りに向かうプロセスと極めて似たものである。

 だから、死ぬときに微細な光明の意識を持てるように、平時から覚醒した意識で空を理解しなければならない。

 秘密集会タントラは、〔仏になるための二つの資糧である方便と智慧のうち〕方便である幻身を重視することを特徴とする。幻身は、衆生を救うための仏の色身の元になる。幻身は世俗の世界で衆生を救うために目に見える姿をしているが、我々の肉体とは異なり、幻のような清浄な物質で出来ている。幻というのは、空のことに他ならない。一方、空性を悟る智慧は、楽空無別の意識となって、仏の真理の体(法身)となる。〔そして仏の境地はこの仏の色身と法身がそろって完成するのである〕

『菩提心釈』の構造を簡単に述べよう。
1聯目から3聯目はナーガールジュナの思想をまとめている。
4聯目から9聯目は説一切有部と経量部に基づいて非仏教徒を論破している。
10聯目から24聯目までは唯識に基づいて説一切有部と経量部を論破する。
25聯目から42聯目までは中観によつて唯識を論破する。
45聯目から中観帰謬論証派によってそれ以外の立場を論破する。
存在するものは、他のものとの相対的な関係の中で、たまたま名付けられただけのものにすぎず、それ自体で存在するものではない。
73聯目以降は、利他をなそうとする菩提心が大事だという話。
才能ある者(利根)は空の哲学から菩提心をはぐくみ、才能がない人 (鈍根)は苦しみから逃れたいという思いから空を理解しようとする。
煩悩を除き、煩悩の残した習気を滅することによって所知障を無くすことができる。
心の資質が大事である。悪業を積んではならない。大悲を育んで行かねばならない。
86聯目では、他者の身になって考え、利他心を培うべきことを説いている。
それ以下は菩提心を修行して得られる良いこと(ごりやく)である。

4月13日 午前の部 

日本語で『般若心経』 法王は昨日に引き続き『現観荘厳論』の開経偈を読誦。
午前に観音菩薩の灌頂が行われたあと、午後は第三のテクストと第四のテクスト。

(3) 第三テクスト『修習次第』(ゴムリム)

 ゴムとは瞑想(修習)、リムとはその階梯なので、題名の通り、テクストは瞑想修行についての書である。カマラシーラの著作である。

 仏道修行をしていく段階を述べると、まず仏法を聴聞し(聞)、次にその内容について自ら思索をし(思)、理解しただけでは身に付かないので、繰り返し心になじませる(修)必要がある。「修習」とはこの三つの段階(三学)の最後にあたる「瞑想修行」のことである。

 瞑想修行には二種類がある。一つ目は心を瞑想の対象に同化させていくもので、たとえば、慈悲や菩提心を瞑想するとき、自分の心を慈悲や菩提心に馴染ませ、それになりきるように心をトレーニングすることがこれにあたる。

 それ対して、無常や無我といった、物事の真のあり方を対象に瞑想するときには、心はすでに無常で無我なものだから、それになりきる瞑想を行う必要はない。しかしだからといって私たちは自分の心が無常であることや無我であることを理解していないので、心を集中してその意味を繰り返し考えていかなければならない。二種類目はこのような対象について分析的に考察する瞑想である。

 どちらの種類の瞑想をするとしても、まず最初にそのような瞑想修行をするメリットとデメリットを知っておく必要がある。瞑想修行のメリットを知ることによって、それを何としても自分の心で実現したいという意欲・意志が生まれてくるからである。そのような意欲があることによって、継続して、あるいは精進して瞑想修行を実践して自分の心を慈悲や菩提心に同化させたり、無常や無我の微細な(深遠な)意味を正しく理解したりすることができる。

 このような瞑想修行は、普通の意識で分かるようなことではなく、微細なレベルの対象について瞑想する必要がある。普通の意識で分かるようなことは、心を集中し、持続的な努力をして瞑想する必要はないからである。たとえば、四諦十六形相の最初の項目である、苦諦の無常という性質を瞑想するとき、その無常には粗いレベルの理解と微細なレベルの理解がある。粗いレベルでの無常の理解は「物事が移り変わっていく」ということでしかないが、微細なレベルの無常の理解とは、「正しい論証因に基づいてあらゆる事物が生じると同時に消滅するという刹那滅をしている」と理解することである。そしてそのように論理的に理解したことについて、意識を集中して繰り返し心をトレーニングすることによって、頭で理解するのではなく、全てのものが刹那滅しているということを直接的に目の当たりにするまで行かなければならない。

 また例えば心を慈悲深くさせていく瞑想修行では、好ましいものだけに向ける慈悲や部分的な慈悲ではなく、仏の無縁の大悲(敵・味方関係なくすべてに向けられる慈悲)を分析的に理解し、その上で意識を集中して無縁の大悲を心に思い描き、最終的に完全に自らの心を無縁の大悲そのものへと変えていかねばならない。

 サーンキャ哲学、ジャイナ教、仏教は神を認めないが、このうち、サーンキャ哲学とジャイナ教は「自我というものが実体として存在する」と主張するのに対し、仏教は「全てが何かに依存して(縁起)存在しており、確固とした実体的なものは何も存在しない」と主張する点で、他とは異なる独自の哲学を持ち、それは全ての仏教徒が認めている。縁起の理解については、「原因から結果が生じる」というような因果関係の粗いレベルの理解もあるが、より微細なレベルの理解としては、「原因と結果は、それぞれお互いに依存している。結果があるから原因というものがあり、原因もまた結果を生み出すから原因といわれる。原因と結果は相互依存の関係の中で相対的に名付けられた存在である。これのみならず全ての存在は相互に依存して相対的に名付けられた存在である」というものである。この微細な縁起の理解は、中観派に独自の考え方である。

 瞑想修行を昨日話した土台(シ)・修道(ラム)・結果(デプ)という三つの段階と関連づけて説明することもできる。

◎土台(シ)においては、物事の真のあり方を「分析的な瞑想」(観)によって詳しく考察し、正しく理解する必要がある。たとえば、全ての存在は、「原因によって生じたものでない普遍的なもの」 (無為法)と、「原因によって生じたもので、それが同時に次には他のものの生じる原因となるもの」(有為法)に分けられ、後者はさらに「心」と「物質」と「心でも物質でもなく原因によって生じてきたもの」(色心不相応行 ※たとえば人がこれにあたる。人は心でも物質でもないが、しかし原因によって生じているから。)に分けられる。

 仏教は「心の科学」とも言える、心についての詳しい考察と理解の体系であるため、現代の科学も仏教の考え方に関心を寄せるようになっている。このような存在の様々なあり方や分類、その意味について、論理的に正しく理解していく必要がある。

 ◎次に修道(ラム)においては、慈悲や菩提心を方便と関連づけて瞑想修行し、自らの心を慈悲や菩提心そのものにしていく必要がある。智慧と方便の二つを踏まえて、結果の段階で仏の二つの体、すなわち智慧の体である法身と、方便を実現する色身という二つの仏の身体を獲得するのである。

 私たちが目指す一切知者の境地の原因は菩提心であり、その菩提心の原因は慈悲の心である。すべての衆生がこの輪廻の中で苦しんでいることを知れば、それらの衆生を憐れみ、その苦しみから救いたい、という慈悲の心が生まれる。そしてそのためには仏の身体を獲得しなければそれら苦しんでいる衆生を救済することはできないと考え、苦しんでいる一切の衆生を救うためには覚りを目指そうという菩提心が生まれてくる。

 「正しく理解する」と言うことは「論理的に証明できる」ということだ。たとえば、「我々は始まりのない過去からずっと輪廻している」ということについて、ダルマキールティという論理学者は、『量評釈』という著作において次のように論証している。

 「我々は心と肉体という二つのものから出来ている。肉体は物質的なものであり、心は非物質的なものである。いずれも一瞬一瞬生じては滅し、前の瞬間のものが原因となって次の瞬間のものが生じてくる。この原因と結果は、同種類のものでなければならない。物質的なものから精神的なものが生じることはなく、精神的なものから物質的なものが生じることもない。物質の因果の連鎖と、心の因果の連鎖は別個のものとして存在している。人間の肉体は死ぬときに消滅し、受胎したときには新たな物質として生じてくる。しかし、心はどうであろうか。心が新しく生じるためには、同じ心の連鎖が原因とならなければならないが、人間が生まれてくるときに心の原因になるものは心でなければならないのに、受胎したときに生じるのは物質的な肉体だけである。したがって、心は生と死の間で途切れることなく因果の連鎖を続けていると考えなければならない。死ぬというのは物質的な肉体が滅びて別の物質(たとえば焼かれて灰になる)になっていく。しかし、心は肉体が死んでも、因果の連鎖は途切れることがない。そして受胎したときに次の新たな肉体と一つになって、赤ん坊として生まれてくるのである。こうして我々の心には始まりも終わりもなくずっと一瞬一瞬生じては滅する心の因果の流れとして輪廻をしながら続いているのである。」
 『量評釈』の中では輪廻が以上のように証明されている。

 また、苦しみについて考えてみよう。釈尊は苦しみに三つの種類(三苦)があるとおっしゃっている。
 一番目は「苦痛に基づく苦しみである」(苦苦)。これは心身の苦痛を指すものであり、生きとし生けるもの、みなが直接的体験的に知っていることである。
 二番目は、「変化していくことの苦しみ」(壊苦)。どんなに幸福な状態にあっても、それは長続きしない。輪廻の中では幸福はいつでも不幸に転じてしまう。すべてのものが変化していくものだからである。苦痛だけではなく、幸福な状態も苦しみに変化するという、変化することが苦しみであると知ることができる。
 三番目は、「変化することだけではなく、我々が無明によって行為することによって全てのものが普遍的に苦しみの性質を持っている」ということである(一切行苦)。我々の行為は、善行を行ったつもりでも、無明を持っている限り必ずその行為は我々を輪廻に縛り付ける原因となり、苦しみの原因となる。この普遍的な苦しみは最も微細なレベルの苦しみである。このようなことを正しく論理的に理解していく必要がある。

 話を瞑想修行に戻そう。瞑想修行をする目的は、正しい理解に基づいて、それを自らに身に付けていくことであるが、そのとき、それを支える菩提心が必要である。菩提心がなけば、正しい知識は、ただの知識になり、仏教である必要はなくなる。その菩提心には、世俗の菩提心と勝義の菩提心の二つがある。世俗の菩提心は、一切衆生の苦しみを憐れみ、それを救おうと考えて覚りを目指す心である。それに対して勝義の菩提心は、そのよなう菩提心に支えられて、空についての正しい理解を持つことである。菩提心に支えられて空についての正しい理解を得るための瞑想修行をすることが勝義の菩提心である。

 前述したように、瞑想修行には精神を対象に集中させる瞑想(止)と分析的な瞑想(観)の二つがある。まず心を集中して、その上で空についての論理的な考察を行うが、このとき止と観は一体となった状態で、意識を集中して考察する必要がある。その方法がこの『修習次第』に説かれている。

 まず、自分の前に如来のお姿を瞑想し、それに意識を集中していくように訓練する。その際に集中が乱れる二つの要因がある。一つは「興奮状態になって意識の対象から注意が逸れてしまうこと」である。もう一つはその反対に「気持ちが沈み込んでしまい、瞑想の対象を見失ってしまうこと」である。そういうときは気分を変えて意識を明瞭にして、瞑想の対象に意識を集中できるようにしなければならない。たとえば、自分の前の目の高さよりも少し高いところに、3cmとか5cmの小さな如来を瞑想することが役に立つ。意識が沈み込んでいるときは、少し上を向くことがよく、またあまり大きい対象を考えると意識が集中しないので小さい方がいい。

 この心を集中させる瞑想修行が完成するまでには九つの段階がある(九種心住。一々の項目についてはツゥルティム・ケサン、小谷信千代『ツォカンパ著仏教瑜伽行思想の研究』を参照)。完成段階においては、努力しなくとも心を平静な状態に保て、心ばかりか体も柔軟で軽やかで安楽で自由になる。心の集中が実現したら、その状態のままで分析的な瞑想にうつり「全ての存在が無我である」ということを考察し理解せねばならない

 大乗仏教徒である我々は、菩提心を生じたときに資糧道に入り、菩提心に支えられて空について瞑想修行して、空を理解したときに加行道に入る。さらにその理解したことを繰り返し心になじませて、完全に習熟し直観的に空を体得したときに見道に入ることになる。そのとき同時に、菩薩の十地の初地に入ることができる。そして菩薩の初地から第七地までの修道の間に、煩悩という覚りの障害(煩悩障)を徐々に取り除いていく。そして菩薩の第八地から第十地にかけて、過去の煩悩が残した潜在的な煩悩の可能性である習気(じっけ)、これが所知障(一切知に対する障害)と言われるものだが、これを完全に消滅させることができて、晴れて仏の境地である一切知に到達することが出来るのである。

 以上が『修習次第』中篇に関連した止観の瞑想修行の要点である。


※最後に『修習次第』のテクストを理解するため簡単な用語解説。

 大前提に方便と智慧という概念があり、方便に支えられた智慧によって一切知が得られる。方便と智慧は一体でなければならない。それぞれのカテゴリーに属する者を整理すると↓

方便→ 慈悲 / 菩提心 /  六波羅蜜の最初の五つ(布施・戒律・忍辱・精進・禅定)
智慧→ 般若 / 六波羅蜜の最後の一つ「智慧」

・六波羅蜜の禅定の中に止(心を安定させる瞑想)・観(分析的瞑想)がある。この二つが備わってはじめて完璧な智慧に至れる。

・瞑想中には落ち込み(惛沈・こんじん)・昂ぶり(悼挙・じょうこ)という二つ邪魔が入るが、これらをなくしていくと止が完成する。禅定の中には密教の成就法などの瞑想もある。

※ 第四のテクスト、ミトラゾキの『三つの心髄』についても解説はあったが、これは密教の成就法で、実践を文字におこしてもしょうがないので割愛させて頂く。

 以上である。本エントリーは手書きメモをおこしてダンナにチェックしてもらって作成したが、誤解・不正確・遺漏は多々あると思うので、気づいた方はご指摘戴ければと思う。繰り返しになるが、今回の法話は明らかにかなり総括的なものである。一人でも多くの方が今回の法話で仏教に親しみ、日々の瞑想に入られんことを。その際にこのメモが少しでもお役にたてればと思う。
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DATE: 2015/04/15(水)   CATEGORY: 未分類
観音の千本の手
今回の法王法話は観音菩薩の灌頂であった。これはチベット仏教の歴史と伝統の文脈からみると、非常に深い意味を持つ。ちょっとチベット史をかじった方はご存じかと思うが、チベット人の認識ではチベットの歴史は観音によって作られ、導かれてきたものなのである。10世紀以後のチベット語の史書によると、チベットの起源は以下のように説かれている。
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 太古の昔、観音菩薩はチベットの地を救おうと阿弥陀仏の御前において誓いをたてた。
 観音「すべてのチベットの命あるものを涅槃に導くまでは、私は個人の幸せを求めません。もし私が個人の幸せを求めるようなことがあったら、この顔は十に割れ、体は千に砕けますように」。こうして観音菩薩はマルポリの岡の上に出現され、チベットの命あるものをせっせと救い始めた。
 ある時、お疲れになった観音様は、心を安らがせる瞑想にはいられた。この時の観音のお姿はカサルパニ観音(心を休めている観音様という意味)と言われる。

 しばらくして瞑想からでた観音様は「ずいぶん多くを救ったから、もう半分くらいに減っているだろう」と再び岡の上からチベットを見渡すと、まだまだ多くの命あるものが苦しんでいた。

 そこで観音菩薩は一瞬『自分だけでも涅槃にはいってしまおうか』という気持ちを起こしてしまった。その途端、いにしえの誓いによって観音の顔は十に砕け、体は千に散った。それをみた阿弥陀仏は、観音の砕けた顔を十の顔になおし、自分の頭を頭頂につけ十一面とし、砕けた千の破片を千の手にして、前よりももっと多くの命あるものを救えるようにしたのである。十一面千手観音の起こりである。


 この説話により、チベットは観音菩薩の守護する地とされ、開国の王ソンツェンガンポ王をはじめとする歴代の高僧や王たちはその多くが観音の化身と崇められ、観音真言のオンマニペメフンが全土に鳴り響いてきたのである。17世紀にダライラマ政権が発足した時にダライラマ五世がマルポリの岡の上にポタラ宮殿(ポタラとは観音の浄土補陀洛のこと。)をたてたのも、自らを観音の化身としてのことであった。

 現ダライラマ14世もむろんチベット人から観音菩薩の化身と崇拝されている。ここでピンとくる人もいるだろう。今回の灌頂は数ある観音の中から、カサルパニ観音千手観音というチベットの歴史と深く関わった観音様が選ばれているのだ。

 灌頂は本尊と一体となった導師が、弟子にその本尊の力を授け、修行をはじめることを許可する儀礼である。従って、どれだけ導師が本尊とシンクロするか、弟子が導師とシンクロできるかが、儀式から受ける加持の力の大小に関わってくる。今回の場合、歴史的に観音菩薩の化身と崇められてきたダライラマ14世が、歴史的に法王の前世とつながりの深い千手観音とカサルパニ観音の灌頂を授けるのだから、どれだけ加持があるかもう分からん。だってシンクロするまでもなく本尊と導師が一体なんだから(笑)。

 ちなみに信心深いチベット人のAちゃんは、あまりにもありがたいということで、断食までしていた。

 今回法王がとりあげた四つのテクストも、うち二つは観音と関連している。まず第一テクストの『般若心経』これは観音菩薩が弟子のシャーリプトラとの問答の中で空を解説するものである。これもまた、観音つながり。また第四テクストの『三つの心髄』は、観音さまを本尊とするヨーガの実習法である。

 さらに、法王さまは今回口にされた、千手観音からみのジョークも秀逸であった。ジョークの文脈をより正しく理解するために、シチュエーションについて説明したい。

  法王来日の直前、法王サイトの日本語版の運営がはじまった。法王サイトは法王の過去の業績、日々の動向、予定について告知するサイトで、その情報量は膨大である。日本語版があれば多くの人に法王の活躍がしれるのだが、日本事務所の日本語サイトの運営すら人手不足と聞いていたので、当分英語版サイトから情報をひろうしかないかと思っていた。なので、今回突然日本語版が登場した時にはに驚いた。
 そこで、事情をしってそうなMさんにお伺いしたところ、以下のようなメールを下さった。

 ダライ・ラマcom日本語版の経緯について、私の理解の範囲のみで申し訳ありませんが、お知らせいたします。
立ち上げの背景ですが、先ずはじめに、法王さまからマリア〔・リンチェン〕さんに直接、ダライ・ラマcomの日本語版開設のご指示があり、その後、昨年6月にダラムサラにて、法王庁、日本代表部事務所、マリアさんとのミーティングが行われまして、ダライ・ラマcom日本語版プロジェクトが正式に決定しました。
それを受けて、アリアさんを統括責任者として、翻訳作業を行うプロジェクトチームも
発足するはこびとなりました。その後、マリアさんとコアメンバーを中心に、翻訳スケジュールの調整や、翻訳ルールの申し合わせ、また語彙表なども整えられて、6月末から翻訳作業がはじまりました。まず、立ち上げに必要な多くの翻訳データーについて、コアメンバーを含めた20数名でそれぞれに割り当てられた分の翻訳や編集を進めてゆきました。
翻訳記事にかんしてはホームページ全体の記事を翻訳するのではなく、法王庁からの指示のある記事を優先的に翻訳してゆきますというようなお知らせが、当初の連絡事項の中にあったと記憶しています。
 日本語以外に新しく立ち上げる言語には韓国語、ベトナム語、スペイン語があり、現在準備進行中だそうです。日本人の仕事が早いので真っ先に仕上がったそうですよ。


 と、多くのメンバーが去年から関わって着々と進められてきたプロジェクトであることが分かった。英文和訳ボランティアの皆様、本当にお疲れ様でした(というかサイトの維持が続くわけですよね)。今回法王が来日された直後、このボランティアの方々約20人が法王との謁見の機会をもった。ジョークがでたのはその席である。

 法王「チベット人は私のことをみな観音だと思って亡命してくる。しかし、私の手は千本もなくて二本しかない。残る998本の手はみなさんたちだ。その手にはマニキュアがついていたり、指輪がはまっていたりするんだよ。はっはっはっ。
 チベット人は〔観音の法身である〕阿弥陀仏をアメリカのオバマ大統領だと思っている。どっちもオパメだし(チベット語で阿弥陀はオパメと発音)、西方の仏だからな。はっはっはっ。


 このジョークはいろいろな意味で気が利いている。あなたたち一人一人の慈悲が千手観音の一つ一つの手である、とまわりの人に華をもたせているし、言葉の使い方も絶妙である。

 さて、最後のエピソードは私事となってしまう。でもおもしろいので聞いて頂ければと思う。法王がこのジョークをおっしゃる前日、MMBAの野村くんから「法王は観音菩薩の許可灌頂を、本格的な「灌頂」にしたいと希望されているので、千手観音の仏画を貸してくれないか」と電話があった。

 私「観音様っていっても、いろいろな種類があるけど、本当に千手観音でいいの? 明日は雨だからあまり仏画を外にだしたくない。確定するまでもっていきたくない」と言うと、

 野村くん「法王が見て決めることですから〔ここで使用するかしないかの確約はできない〕

 というわけで、そのジョークのでた当日、わたしは千手観音の仏画を法王のホテルまでもっていった(厳密に言えばダンナがかついでいった)。法王のインスピレーションですべてがひっくりかえるチベット世界。法王が「観音はやめてターラー菩薩にする」なんて突然言い出しても驚かない。だから、この時点でウチの仏画がデビューできるとは思っていなかった。

 それから一週間たった13日の灌頂当日、壇上にはウチの千手観音様が祀られていた。それを見て、私はなんとなく「チベットの歴史を研究してよろしい」との正式な許可を某所から頂戴したような、そんな厳粛な気持ちになった。

 この仏画はじつは酒飲みのチベット人の絵師に十数年前に頼んで描いてもらったものである。何を描いていただくかという時に、私が迷わず千手観音にしたのは、十一面千手観音がチベット守護尊であり、チベットの歴史を導くスピリッツだからである。 さらに、この仏画はゴマン学堂元座主ゲシェラに開眼していただいた。

 この仏画はこれまで私の手元で講演の際の教材になったり、本の口絵にもなった。それが今や、ダライラマ法王の儀式の本尊として全国デビューである。灌頂儀礼で使われた本尊には、理論上ダライラマ法王の加持力が宿るので、この仏画はもはやプライスレスである ! ちなみに、仏画は法王様のサインも入って戻ってきた(おそらくは野村くんの骨折りによる)。
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 事情をきいた平岡先生が随喜して以下のようにおっしゃられた。「去年法王さまが、『ガクリム』(密教の修行次第)を見たいとおっしゃったので、私のものをお貸ししたところ、サインと韻文をいれて返して下さいました。石濱先生、これは、またとないご縁ですよ。ターラーさんが導いてくださったんですよ
 
 この発言を理解するには、ターラー尊は観音菩薩の脇士であることを知らねばならない。ターラー尊は女性であり、観音菩薩がチベットの命あるものを救い続けて疲れ果てた時、流した涙から生まれた仏とされている。

 平岡先生は師であるギュメ元座主のガワン先生がなくなった直後、先生から授かった法を絶やすまいと、ご自分が受け継いだ諸法のうち、緑ターラー尊の生起法を私に伝授してくださった。以来私はせっせとターラー尊を生起している(その割には慈悲心が身につかないけど)。

  昨年、ゲルク派の密教の本山ギュメを訪問した時には、平岡先生から私のことを聞いていたギュメの執事の方が、美しいターラー尊の仏像を下賜してくださった。金銅仏は型は同じでも、最後に細部をきちんとしあげ、彩色をすることによって精粗が決まる。下賜されたターラー尊はギュメに来てから、「親指のない男」(ソルメ)というあだ名の僧によって金箔をはられ、お顔が描かれ、非常に美しいお姿にしあげられていた。どう考えても私には分不相応なので、お断りしようかと思ったが、お顔をみたらあまりにきれいなので、普通に欲しくなって戴くことにした。開眼はギュメの僧侶たちが行ってくださった。

  平岡先生が「ターラー尊が導かれた」とおっしゃる背景には、観音菩薩とターラー尊の関係性と、チベット密教の伝統がいきている本山において、その本山の僧侶たちによって開眼されたターラー尊は強力で、だからそれが今回のご縁をもたらしてくれた、というニュアンスが含まれていると思われる。

 いろいろな要因がからみあって今回のような灌頂が実現した。おきたことの意味をどう解釈するかはその人次第。折角のご縁を、偶然と考えて無感動に通り過ぎていくか、そこに意味を見いだして精進するかの二択を考えた場合、後者の方が御利益がありそうなので、私は意味を見いだしていきたいと思う。

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DATE: 2015/04/07(火)   CATEGORY: 未分類
法王の環境シンポジウム(2015)
 4/2からダライラマが来日されている。このブログで予告しなかったじゃないかとお怒りの向きがあるかと思いますが、一月忙しくて、予告をアップしようと思った頃には一般チケット売り出しが始まっていてそれが瞬時に売り切れたので、予告できなかったのである。しかし、その後、12日と13日の法話(観音菩薩灌頂)は全国の映画館でライブビューイングで公開されることが決まったので、ご紹介。→こちら。現場の四分の一のお値段で法話が聞けます。

 私は5日にチベット學の研究者と法王のシンポジウム、6日に法王が三人の学者パネリストたちと行う環境問題シンポジウムに参加してきた。とりあえず、環境シンポジウムのレポートを以下にあげる。言うまでもないが、録音は禁止されているため、すべてメモに基づいている。内容的にまとめた方がいい箇所は一部編集しました。ボランティアなどをしていてお話が聞けなかった方、参考にしてください。
 この環境シンポジウムは今回で三回目で、法王が臨席されるのは初めてとのこと。三人のパネリストの先生は山本良一(東京大学名誉教授)、宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)のはずだったが、一月に長島監督と同じ病になったので、かわりに宮脇先生の仕事に30年連れ添った新川眞(国際生態学センター)先生、おなじみ村上和雄(筑波大学名誉教授)先生。

 ざっとの流れ: 法王の基調講演、三人のパネラーの先生方がそれぞれのご専門のおはなし。法王による最後スピーチ、ラストに「次世代のための環境シンポジウム2015環境宣言」を発表。


「次世代のための環境シンポジウム 2015」


●基調講演: ダライラマ法王
 私はインドに亡命した時、環境問題についての知識はありませんでした。しかし、その後その道の専門家の話を聞くに及び、環境が非常に重要な事を知りました。地球人口は今60億といっていますが、あと何年かで100億を突破する勢いです。貧富の格差も深刻で、天然資源も有限なのに人口が増えるとそれをどんどん消費していきます。そして地球温暖化に伴う気候変動により、天災が各地で起きています。自然を世話することは緊急に必要とされています。それは人類が生きるためです。地球は一つしかありません。技術が発展しようが、科学が発達しようが、人がかつて月におりたち今は火星にいくかといっておりますが、それでも他の惑星に亡命するようなことはありません。我々には地球しかないのです。

 専門家の言うことに耳を傾けねばなりません。気候変動は人間が起こしているものです。 戦争がおきて血が流れていると、これをどうやったらとめられるかみな考えます。しかし、環境破壊は目に見えないところで進み、不可逆的なところまでいってしまいます。
 自然は我々の人生の一部です。まず環境破壊が起きていることを「知る」ことが大切です。知ることで貢献できます。たとえば電気は節約していても一日二回シャワーをあびる生活スタイルをしている人は、自分たちが何をしているのかを自覚しなければなりません。

 70年代から80年代に、イギリスで、貧富の格差を是正すると、天然資源も枯渇するのではないかという議論を行いました(つまり、金持ちがシンプルな生活を行わないと全員が金持ちと同じ生活を行うと天然資源が枯渇するということ)。あれからずいぶん日が経ちましたが、豊かな国のライフスタイルは相変わらずやりすぎな感じです。肥満の人は僧侶のように夜の食事をぬくべきです。私はオランダ人の友人にそういって、彼女もうなずいて聞いてくださるのですが、彼女はものすごい肥満なのです。おかしいと思いませんか?
 
  国家は国を護らねばと武器にお金を使います。誰も戦争を好きな人はいません。戦争は人を殺すことです。そのようなものにお金を使ってどうするのですか。戦争では火のようです。負けそうになるとさらに兵士と武器を死地に送り込みます。人間の命を燃料とする火です。私の国、彼らの国といった、「うち」と「そと」の考えが争いをうみます。しか、今の環境も経済もグローバル化している時代に、国境や民族の境界には意味がありません。意味があるのは人間性だけです。好むと好まざるとにかかわらず、異なったものとも共存していかねばならないのです。これが新しい現実なのです。70億人が一つになれば「うち」と「そと」の対立はなくなり戦争の根拠もなくなります。

 科学者は〔破壊のための兵器造りとがなくて〕建設的な実験を行って欲しい。日本は核兵器をおとされた唯一の国である。その悲惨さを知っているが故に、核兵器廃絶の先頭にたって行かねばならない。昨年、最初南アでやろうとして〔中国の妨害で〕ローマで行われたノーベル平和賞受賞者会議において、核兵器廃絶のためのタイムテーブルを今すぐ作らねばならないと声明をだしました。
 一時的にスカっとしたいためだけに、私が、私がというエゴをとおしたいかために、兵器を用いて何かいいことあるでしょうか。核兵器廃絶のために世界をひっぱっていきなさい。

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山本良一先生
 三人の先生方トップバッターは山本良一先生。山本先生ははじめにダライラマ14世が環境問題にどれだけ関わってきたかの歴史を述べた。そのうち2008年にITCGでその中で気温上昇を1度未満に抑えること、大気中の二酸化炭素量350ppmにとどめることを目標とした、「気候変動」に関する仏教徒宣言「Time to act now」に最初の署名者となったことを主に紹介。詳細はこちら

 スタンフォードのアンソニー・バルモスキー(Anthony Barnosky)が生態系の臨界点(これ以上すすむと加速的に絶滅がはじまる点)が迫っている。今子供が大人になる頃には大量絶滅時代がはじまる、と警告している。国連には気候変動パネル、国際資源パネル、生物多様性パネルの三つのパネルがあるが、「国際倫理パネル」を加えることを提案したい。
 昨年も80名の宗教者、神学者、哲学者が化石燃料から再生可能エネルギーへの転換を決議した。ダライラマ法王もBeyond Religionという著作でエコ文明実現のための普遍的な倫理を説いている。

 次に、ここ数年、世界中でおきている、水害、寒波、旱魃の写真をその被災地とともに紹介する。
 まずはハリケーンハイエンの襲ったフィリピンでは、COP19のナドレブ・サニョが涙ながらに演説をした。
 年々干ばつのひどくなるカリフォルニアでは、2013年5月21日、州知事がアメリカと中国の二大二酸化炭素排出国にの気候変動に関するアンソニー・バルモスキー(Anthony Barnosky)の報告書を送った。これにより、アメリカと中国は環境問題解決のため政府間が協力をはじめたという。

 山本先生は16年にわたりエコプロダクツ展の実行委員長をつとめており、最近『低炭素革命』という本を出し、国連に倫理パネルの創設を行う運動をしている。とくに日本の仏教者たちに働きかけていて、2012年6月2日真言・天台・神社本庁のトップの三人があつまって環境問題について宣言するようにもっていったそうな。

 さらに、胎蔵界マンダラを翻案したエコマンダラを提示した。大日如来は、宇宙・地球であり、あとの四仏は(1) 惑星スチュワードシス、(2)環境マネジメント、(3)共生、(4) 社会的責任となった図である。
 そして、結論として環境危機は倫理的な問題あることを強調。
(1) 商品がどこで生産され、どこで流通しているかわからない。
(2) 科学の発展により、倫理的な判定の難しいサービスが増えている。
(3) 市民が環境政策に関われない現状
などを問題点としてあげた。

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●宮脇昭先生代理新川先生

二番目のパネラーは宮脇昭先生の代理で登板した新川眞先生。
 今年87才になる宮脇先生は「いのちの森」をつくっている。
 宮脇先生はお若い頃から日本全土をくまなくめぐり植生を調査した。そうして完成した『日本植生誌』は2006年の日本ブループラネット章を受賞された。先生はこれまでに4000万本の植樹を国内外で行ってきた(先生のご著作『明日を植える』にはそれまでの先生の業績が都道府県別に記録されている。)。
 ここから宮脇先生がつくった森の話になるのだが、感動的かつおもしろかった。宮脇先生は大企業と交渉してその企業のもつ土地、たとえば工場や建物のまわりに森を作ってきた。
 プロジェクターはまず小さな苗木だっだものが、どんどん大きくなる姿をうつしだす。8年でこうなって、10年でこのような森になって、それで今はこんな森になりまりした、という写真がつづく。不可能といわれていた熱帯雨林の再生にも30年前とりくんで、今は森になっている。

 そして次に、「命をまもる森」の話にうつる。日本は災害国家であるが、森は人々の命をまもってきた。関東大震災の際に板塀に囲まれた被服廠に逃げた人は95%が焼死したが、緑に囲まれた深川岩崎邸に避難した人は100%生き延びた。 国のつくる海浜の松林は壊滅したが、宮脇先生がイオンのお金でつくった植え込みは、津波の際にもたえて、引き波で車が沖合に流されるのをくいとめた。今は東日本大震災後の被災地にも大槌町にはじまり防潮林をつくる活動を続けている。

 聴衆は森の成長過程を次々とみせられると、ほぉ~っと感嘆の声をだし、現在の堂々たる森の姿がでてくると万雷の拍手に変わる、を繰り返した。

 比較するのも失礼かと思うが、山本先生の胎蔵界マンダラよりも、成長していく森の方が、言い換えれば具体的な行動とその結果をみる方が、希望が生まれていい。 

 植林は最初の二~三年は資金も手もかかるけど、そのあとはほっておけばいいらしい。木が大きくなっていく時、上にのびる枝はのこし、横に伸びる枝はカットするのが大切でこれは「人事と同じ」とのこと。 面白かった話としては、企業のトップは植林に前向きなのだが、その企業の中間管理層、先生いうところの「不透水層」が、だいたい植林に反対するそうな。しかし、この反対によって心をかえるトップはダメで、将来をみこした判断のできる経営者いる会社では植林ができるのだ、という。

 そして、ラストに、宮脇先生の言葉で、「人類は緑の寄生虫でいるしかない。命を心を文化を護るために木を植えましょう。今すぐできることは木を植えること。命ある限り私は木を植えます。」とメッセージを送り、聴衆は拍手で応じた。

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村上和雄先生

 三番目に登壇したのは、遺伝子研究の村上和雄先生。この環境シンポジウムと法王をつないだ方である。村上先生は無表情にギャグをいうのが持ち味で、出だしは恒例の「娘が明日お父さんが死ぬと予言したら隣のオジサンが死んだ」という笑えないギャグから(笑えないので笑える)。

村上先生はご自身の研究を、(1) 心と遺伝子研究会( 糖尿病の人が食後笑うと血糖値が上がらないことなどを発見)、(2) 笑う鼠の研究(鼠を一人にすると攻撃的でストレスに弱くなるが、友達といれるとその逆になる。従って、幼少期の遊びは重要)。(3) 祈りの順番に紹介。最後の「祈り」については今論文にしている最中だとのこと。

私の研究の中で一番苦しかったのは、稲の遺伝子を解明している時だったが、それは結果として世界最高の業績をあげることとなった。しかし、私は遺伝子を読んだだけで、書いた方がエライにきまっている。遺伝子を書いたのは人ではない。自然だ。遺伝子は2000億文の1gの重さの中に万巻の情報が入っている。

 「昼の科学」と「夜の科学」があるが、「夜の科学」とは直感の科学である。それ以外に「真夜中の科学」があるけどこれは私の評判にかかわるのでこれ以上はいいません(笑)。私はこう思うんです。「本当に必要なものは目に見えない。愛とか。何かすごいものは見えないものなのだ。大腸菌も人間も同じ遺伝子暗号をつくって書かれている。あらゆる生物は遺伝子レベルでは同じコードをつかっている。しかし、人は大腸菌をコピーできても作れた人はない。命のしくみはわかっていない。人間は60兆もの遺伝子が協力しあってできあがっている。遺伝子は利己的だというが、利他の遺伝子があると思う。生きているのはすごいことなのだ。シンプルで慎み深い生活をせねばならない。

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●法王が感想を求められて

 私はいつもこう思う。日本人は技術力があり、責任感か強いんだから、もっと海外にでて貢献できるはず。サハラ砂漠には森はない。しかし太陽がある。この太陽で電気をつくり、その電気で海水を淡水にかえて、サハラを緑化したらそこに人が入植できる。アジアも日本もアフリカにできることはある。小さな苗木があんな森になるのだ。日本にはもう森林があるから、アフリカを緑化することもできる。
 BBCのニュースでとあるアフリカの村で私の考えていることが実現していることを知った。世界は一つ(oneness)という感覚が大切なのだ。
  北インド、ホボナというところにいる私の友は、私に「ヒマラヤに行くときは土地の人に木を切るな、木を植えろ」と言って下さい、と頼まれて、以来、私はずっとそれを実行している。木を植えることは政治的な問題にはふれないから、木を植えよう。ふるさとを護ることに反対する人はいない。

 コペンハーゲンの地球サミット会議で私が期待したように各国が二酸化炭素削減のために合意にいたらなかったのは、各国が国益を主張したからである。順序が違っている。優先するのはまず世界で次が国益だろう。世界の指導者は近視眼だ。
 私は亡命してダラムサラにすんですでに50年になる。昨今はダラムサラでも今までにない気候が続き、農民は大変困っている。気候変動はグローバルなものだ。兵器ではなく、建設的なことにお金を使うのだ。動ける人は東西南北動いて技術や知恵をだしあえ。
 イラクの危機はみんなで対処したろう?。何か起きたら金持ちは逃げ、貧しい人が苦しむ。貧しいとはそこらへんで歩いている人だ。熱波がきたら金持ちはエアコンつければいいが、道端で寝ている人は熱波で死ぬ。冬は凍死する。無関心を装うことはできない。

 人間の性質は利他的なものだ。ニュースで殺人、レイプ、いじめなどをみていると人間の本質はネガティブかと思うが、それは違う。彼らは自信がないだけ。人間は本来ポジティブなものだ。テロリストだって親から愛されていた子供時代にあのように攻撃的ではなかったはずだ。環境や思想がネガティブな人間をつくりあげていく。
 全ての宗教他者を助け、喜びを与えるこれが重要だと兄弟愛をとくが、宗教心をもたない人もリスペクトすることが大切だ。〔村上先生の方をみて〕ねずみでも愛をわかっているんだ。鼠が笑うのは宗教とは関係ない。世俗的な倫理を振興することによっても人間性は推進できる。日本人も外向き敬虔でもじつはもう仏教を信じていないでしょう。〔だから宗教のない人たちには倫理を説かねばならないのだ〕
 倫理は自他を健康にするメリットがある。外見の美しさではなく、内面のあり方が重要なのだ。


 というわけで、このあと国連に倫理パネルを、環境問題にいますぐ取り組みましょう、科学の発達には倫理的な視点が大切といった宣言が行われた。

 私の感想。とにかく木を植えよう。たくさんの鳥がやってくる木を植えたい。
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DATE: 2015/03/29(日)   CATEGORY: 未分類
元寇遺蹟と近代ナショナリズム
下関と博多に、新旧ナショナリズム遺構をみにいった。旧ナショナリズムは元寇の際もりあがった敵国降伏のナショナリズム、新ナショナリズムは幕末からWW2の敗戦に至るまで、対清・ロシア・米英の順にもりあがったアレである(笑)。この二つの出来事は、実は元寇の記憶をもつ博多で時代をこえて一体となっている。
 
 3月19日、前の飛行機がバードストライクで止まっているとかで滑走路が短時間閉鎖され、遅れて離陸。 犠牲になったお鳥様に手を合わせつつ博多に近づくと、今度は別の飛行機が部品を滑走路におとしたとかで、またまた空港閉鎖。ベタ遅れで到着。

 ついてすぐ下関に向かおうとするも新幹線の表示板をみてびっくり。新下関にとまる「こだま」は一時間に一本しかねえ。仕方ないから「のぞみ」で小倉までいって、そのあと在来線で下関まで行くことにする。こうやっていろいろあっても富山で感じたアウエイ感はない。母の父は北九州の寒田の出で、母は小倉で育ったので私は東京生まれの東京育ちとはいえ、DNAの半分はメイドイン九州であり、祖父が生きていた頃は何度も九州に来ているので、何となく安心感がある。

 下関につき、T先生と唐戸市場で昼食をとり、そのあと関門海峡鎮守の亀山八幡宮で伊藤博文が奧さんとしりあった場所とか、攘夷の砲台跡とかを見て(ここに砲台ができたのは神様の力添えを期待してだろうな)、そこから歩いてすぐの、下関講和条約の舞台となった春帆樓へ行く。春帆樓は今も営業を続けているが、条約の結ばれた建物はすでに建て替えられており、代わりに条約の席を再現した間が記念館内に作られている。
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 中から大量の本土中国人の観光客が観光を終えてでてくる。
 
S大学のT先生「この資料館、奥行きないんですけど、よくこんなたくさんの人が入ってましたね」

私「自分たちの国が負けて不平等条約を結ばされたこの場所で、どんな解説をされて、何を言い合っているのかが興味深いですね。想像つくけど。」

 このあと、旅館に隣接する赤間神宮へ。ここはあの耳無し芳一の怪談で有名な寺。

T先生「ここの境内にある大連神社をご存じですか。日露戦争後に、満洲の玄関口大連に総氏神として祀られた熱田神宮のご神体を、敗戦とともにここに移したものです。ここには満州国の資料がたくさん所蔵されていて一橋大学の学生さんたちが整理にあたっています」

 本殿の横には終戦の月の25日に天皇陛下にわびるために自決した大東塾の塾生14名(大東塾十四烈士)の霊が祀られている。 幕末に欧米諸国の船に大砲をぶっぱなしたり、尊皇攘夷もりあげたり、下関には排外ナショナリズムのかほりが横溢している。

 排外といえば下関名物、長周新聞に触れねばなるまい。この時丁度、同紙は市長の学位請求スキャンダルを糾弾していた。この件は確かに市長の行動に非があったが、それを糾弾する新聞の口調がなんとも文革的というか、知的でない。調べてみると、この新聞社、中国に従って日本共産党を除名された福田正義が1955年に設立したものであった。
サイトにある福田正義が書いた「偏っているか」を声にだして読んで見たら、中国がチベットを「平和解放」した時の共産党の宣言文を思い出した。反米、反帝国主義、愛国の論理と口調が全く同じ。一見の価値があるのでこのサイトで確認してみて。 内容の是非についてはご自身の価値観で。21世紀になっても毛沢東主義を奉じているとは、インド・ネパールのマオイストのよう。その後、T先生の研究室で学術情報を交換して、夜は小倉の親戚の家に泊まる。

 明けて20日は博多に移動し、元寇遺構と元寇にかこつけた近代ナショナリズムを調査する。

 日本は島国であったため、他のアジア諸国と比べて、外国人の襲来にさらされることはなかった。しかし、例外として13世紀にフビライ・ハン時代のモンゴル(元)に二度にわたり攻め込まれている(元寇)。これは日本人のトラウマとなり、19世紀に関門海峡に近代的な兵器を備えた外国の艦船がうろつきだすと、外国侵略の恐怖とともに元寇の記憶が再び呼び醒まされた。
 
 かつてモンゴルの脅威を退けた「神風」(台風ともいう)が吹いたように、今目の前にある危機も神仏の助けによってのりこえようという気運が幕末に生まれ、その中で北条時宗の時代を追慕し、元寇遺蹟を整備する動きが日本中に広がった。

 藤田東湖を初めとする幕末の志士たちが「正気の歌」を読んでいるが、同名の歌は南宋の遺臣文天祥が、フビライの仕官の誘いを断り、前王朝に殉じて獄死する際に詠んだものである。幕末の志士たちは、自らを宋王朝の遺臣の漢人に、欧米をフビライ・ハン率いるモンゴルになぞらえていた。

 さらに明治に入ると日蓮主義がもりあがる。

 日蓮と元寇の関わりを雑に紹介するとこんな感じ。フビライ・ハンが王位に即位した1260年、日蓮は時の執権に、『立正安国論』を献じ「このような不穏な出来事(地震・水害・飢饉)が続くのは、幕府が法華経を信じずに邪教(念仏宗)を信じているからである。このままだと外国軍が日本を滅ぼすぞ」と説いた。

 1274年、1281年、二度にわたりモンゴル軍が博多湾に攻め込み、残虐の限りを尽くしたため、日蓮の言葉は成就したかに見えた。このうち、二度目のモンゴル来寇は結構本格的で、日本に死亡フラグがたった。にも関わらず、幕府は各地の御家人によびかけて海岸線に防塁を築き果敢に戦い、さらに運良く来合わせた台風で多くの元・高麗の船が沈んだため、勝ってもうた。
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 この故事にちなみ、日蓮の思想を奉じれば、外国侵略ははねかえせると信じた日蓮主義者たちは、国柱会などのナショナリスティックな政治団体に集い、石原莞爾などが満州でブイブイいったことは有名である。元寇の記憶の残る博多の地はとくに1904年から20年にかけて、元寇遺蹟の整備・顕彰・慰霊が進んだ。つまり、江戸時代にはとくに注目されていなかった元寇遺蹟が、近代に入ってからの排外ナショナリズムの勃興とともに注目されたのである。

 近代に入ってからの元寇時代追慕のもっとも興味深い例は、1904年に福岡県庁の前に建立された、日蓮像と亀山上皇像であろう。私事になるが前にここに来たのは、十代のはじめ頃であった。神風に袖を翻す巨大な日蓮像を見て圧倒され、像の足下にある銅版画にモンゴル軍の非道(捕虜の手のひらに穴をあけて紐を通している)が刻まれているのを見て「蒙古こわあい」と思ったものだ。
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 その後すっかり忘れて大学に入ってモンゴルゼミとかに入ったところを見ると、あの時感じた怖さは現実のモンゴルに対してではなく、「外国からやってくる話の通じない暴力」に対してだったのであろう。

 日蓮像護持協会が運営する元寇史料館から、これらの像の建立の経緯を引用すると以下のようである。

 記念碑建設の起こりは、二年前(1886) の八月に起こった"長崎清国水兵事件"によるものである。その事件とは、定遠を旗艦とする清国北洋艦隊が長崎に寄港した際に、上陸した水兵等が酒に酔い大暴れ、鎮めようとした巡査・市民など多数を死傷させ、家屋を破壊し、そのまま出港してしまった。この清国水兵による惨害の補償は、当時の国力の差から日本の無き寝入り同然の結果となり、人々は国辱だとくやしがった。この事件を担当した湯地丈雄は、再びこのような屈辱があってはならないと胸にきざみこんでいた。その後、福岡警察署長に着任した湯地丈雄は、元寇の地、博多に国難殉死者の慰霊碑が一つもないことから、再び外国からの辱めを受けないための精神的象徴として元寇記念碑を建設することを思い立った。

 この長崎事件における清國水兵の破壊・暴力 → 弁償しないで逃走 → 日本人大怒り の構図は、なんか現代の中国での反日デモにも通じて、つくづく中国は進歩ない。

 で、この福岡警察署長、湯地さんの提案に、日管(日蓮本仏寺住職)が協力を申し出て、碑文は、北条時宗像に日蓮の肖像をはめこむデザインでいこうとしたら、仏教各派から猛烈な反対がでた。日蓮は他宗派を強烈に批判した人だし、蒙古降伏は他宗派だってさんざん祈っていたのだから当然であろう。

 で、この反対を契機に日蓮宗は湯地と袂を分かち、湯地さんは亀山上皇像を、日蓮宗は単独で日蓮銅像の建設にとりかかった。制作監督は両方とも芸大の前身の東京美術学校。警察署長が発起人になり、県庁前という立地、奈良の大仏・鎌倉大仏につぐ巨大さなど全てから、このプロジェクトが公的な性格を持ち、当時の人々の気持ちを広く代弁していたことが分かるであろう。

 亀山上皇・日蓮聖人の両像はともに1904年に完成した。チベットの都ラサにイギリスのヤングハズバンドが侵攻し、奇しくもダライラマがモンゴルへ亡命した年である。像の建設期間には日清戦争があったため、資料館には撃沈した清の艦船からひきあげた品も展示されている。像が完成した1904年は東郷平八郎がバルチック艦隊を殲滅した年なのでこの像には一際神秘的な箔がついたことであろう。

 資料館には東郷平八郎、乃木希典肖像が祀られ、日本初のパノラマ画家Issho Yada(矢田一嘯 1859-1913)の代表作『元寇戦闘絵図』など、も所蔵されている。この収蔵品からも「神風」は、昔の話ではなく、眼前にある外国の脅威に対抗するための、切実な切り札、最低でも心の安定剤として作用していたことは明らかである。しかし、この神頼みの精神論が日本にああいう惨禍をもたらしたわけだから、やはり戦略とか戦術とか軍備とか戦の正当性とかを客観的に省察する心は重要である。

 ※ここで豆知識。元寇史料館は観光サイトでみると土日開館、平日閉館であるが、直接聞いたところでは、土日はしまり、平日は予約すれば開けてくださるとのことである。全く逆なので気をつけよう。

 夕方、ホテルで温泉からあがってテレビをつけると、今日が福岡県西方沖地震から十周年であると連呼している。十年前壊滅的被害をうけた玄海島は現在は復興し、ヘリポートが建設されている。テレビを見ていると、ゼミの卒業生で、今博多で仕事をしているTくんから電話。Tくんは同じくゼミの卒業生で博多勤務のHちゃんと月いちごはんをしているそうで、夕方二人で来てくれるという。なので晩ご飯はフリチベ友達と二人の卒業生とともに博多の地物がでるお店でお食事する。

 翌朝は桜の便りも聞こえる暖かさで、一週間前富山で雪に埋まっていたのが、今はうすいブラウス一枚で、桜の便りを聞いているのだから、季節の変わり目はすごい。
 午前中はT君が車を出してくれてHちゃんと三人で志賀島にいく。この島は日本史で有名な金印が出土した土地であり、元寇の際の古戦場でもある。

 志賀島は本土と細い道でつながっている。本土と島の境目付近の砂浜で車をおりて、磯に出ると、昨日の生の松原と異なり、大量のゴミが漂着している。拾い集めてみると、一番多いのはハングル、次が中国と日本。T君によると博多の休日の過ごし方は「浜辺でバーベキュー」だそうなので、浜辺の日本ゴミはその連中のものである可能性が高い。ハングルゴミと漢語ゴミはもちろん彼方から漂着したものである。

 「漂着ゴミの現状」に関する環境省のレポートはここをご覧ください。https://www.env.go.jp/water/marine_litter/conf/c02-08/mat03.pdf

 蒙古塚につくと良いお天気で、三人で記念撮影を行う。この碑文も日蓮宗の日統が1927年にたてたもので、1928年の除幕式にはアノ張作霖が「大日本志賀島蒙古軍供養塔讃」という一文をよせている(三ヶ月後に爆殺)。解説によると、1938年には蒙古自治連盟政府の徳王(デムチョクトンドゥプ)も参拝している。1938年は日中戦争も始まっており、日本は東部モンゴルと満洲の地を勢力下にいれていたため、もはや蒙古は敵ではなく友軍扱い。従って、この碑文も元寇でなくなったモンゴル人の慰霊碑となっている。昭和期の蒙古に対するイメージの推移を研究してもおもしろいかも。T君は馬賊で卒論を書いたので張作霖の讃を喜んで見ている。
張作霖

 相撲好きのK嬢によると、最近はモンゴル力士たちもここに献花に訪れているという。今や日蒙友好の地になっているようだ。
 この蒙古塚は私が13歳のころ、志賀島に来た時はここにはなかった。例の福岡県西方沖地震により碑文も倒壊したため、今の地に移されたのである。
 再び福岡本土にもどり、T君のおすすめで鮮魚市場でふぐ定食を頂く。彼は博多にきてまだ一年目だが、大学時代の友達が訪れてくるたびにこうしていろいろ案内しているのだという。駐博多早稲田大使である。

 で、午後は福岡福祉プラザでチベットのお話をする。T君とHちゃんにはせっかくの休みなんだからもうサクラにならなくていいよ、というが最後までいてくれた。それどころか、プロジェクターのコントローラー、ホワイトボード、レーザーポインターを借りてきてくれるなど非常に働いてくれた。ホント良い子たち。

 私の話が終わると、福岡在住のチベット人ゲレックさんが、自分の故郷(遊牧地域)に学校をたてるための支援のお願いにたった。彼の故郷マチュには漢人がどんどん入植してきて、近代教育をうけていない故郷の人たちは漢人が変化させていく社会において隅においやられていること、日本で集めたお金を地方政府にわたして学校を建てるように頼んでみたけど、「中国は豊だからあなたの支援は必要ありません」と受け取ってもらえず、そのくせに故郷に学校がたつなどの変化は起きていないこと、今の時点では集めた募金を教育ボランティアの人にわたしたり、教材を買ったりすることに用いているが、将来的には中国の制度の中で上級の学校につないでいける学校の建設を目標としていること、この会のお金は透明性を保つために、現地の受け入れ組織には彼の親族や友達は入れていない、とのことであった。質問のある方、支援をしたい方、興味のある方は、ゲレックさんにご連絡を。

ノマディツク・チルドレンの会 事務局
gelek@ncoamdo.com Tel 080-1971-7815
ホームページ http://www.ncoamdo.com/

 このあと、T君は空港まで送ってくれ、三人でスタバでお茶して別れる。ありがとう、楽しかった。Tくん、Hちゃん。そして福岡のフリチベのみなさんたち
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DATE: 2015/03/23(月)   CATEGORY: 未分類
雪女、富山ですべる (後) 薬都富山をいく
 (前回のあらすじ)「チベット伝統医学の本を出版したので、写本の所蔵元にご挨拶にきたら大雪だった」

 一夜明けて外を見ると、雪がまっている。よく天気予報で「スジ状の雲」が雪を降らすというが、富山にくる前はこの筋状の雲って鰯雲のようにイメージしていたけど、実際は雪が上がって日が差したかと思うと、またすぐ雪が降り出すような天気だった。たぶん、この波状の天気が「筋状の雲」の正体である。何事も体験しないと分からない。

 午後一の富山大学薬学部の訪問を前に、午前はホテルから近い広貫堂資料館に行くことにする。

 富山藩はかつて全国にその名をはせた富山の薬売りの総本山である。彼らの販売する薬の中でももっとも名高いものは「反魂丹」とその名も死んだものもよみがえる効き目の薬であった。明治に入り、廃藩置県で富山藩はなくなり、近代的な薬事法が導入されたため、硫化水銀を用いる反魂丹も制作はかなわなくなった。
富山の薬売り5

 富山の薬売りを統轄していた役所反魂丹も閉鎖となった。ここで薬売りたちはお金をだしあって広貫堂という名の会社組織をつくり、お役所「反魂丹」のトップを会社の総理(初代社長)に迎え、役人もみな横滑りで採用して、近代の変動に対応したのである。もちろん硫化水銀を用いた反魂丹はもう薬事法に触れてつくれないため、法律に許可される範囲内で伝統的な生薬--地黄や熊胆など---を販売した。

 広貫堂はあの「ケロリン」のナイガイ製薬よりも遙かに古い製薬会社なのである。資料館は道に面しておらず広貫堂の工場のたつ敷地内にあるので、間違えないように。訪問者にはもれなく広貫堂のスタミナドリンクがプレゼントされるのもうれしい。
薬の包装紙

 資料館入り口の富山の薬売りのマネキンの前で、どこぞのマスコミが北陸新幹線開業特集のためか、テンション高く画像収録をしているが演じるのも一人、撮影も一人なので寂しい感じ。

資料館の「反魂丹」の看板みているうちに、突然、なき母が口にしていた「越中富山のハンゴンタン、鼻×そ丸めて万金丹」という意味不明な口上を思い出した。私は資料館の係のかたに

私「あの口上のハンゴンタンって漢字で反魂丹で、薬名であると同時に富山藩の厚生省だったんですね、深いわー」と言うと

資料館の方「団体がいらしたらこのお話をするんですが、特別にお話しましょう。その口上は正式には『世の妙薬と言えば、越中富山の反魂丹、それにひきかえ鼻×そ丸めて万金丹、そんなの飲む奴あんぽんたん』というのです。万金丹とはかつてお伊勢参りのお土産に買って帰る万能薬だったのですが、お伊勢参りの流行とともに万金丹も飛ぶようにうれたため、ニセモノも大量に出回りました。そのことが、『万金丹という名前をつければ鼻くそ丸めても売れた』という口上をうんだのです。もちろんこれ(フルバージョンの方)は富山の人が富山の薬を売るために作ったものだと思いますが」

「おお。『タン』で脚韻んでますね。長年意味の分からなかったものが突如霧が晴れたように解決しました。ありがとうございます」

さて、その後、お寿司屋さんカウンター席に座って、昼食をとりながら富山の話しをいろいろ伺い、その後、雪のふりしきる中、富山大学に向かうバスに乗る。

 富山大学の五福キャンパスは市内の路面電車の終点にあるものの、薬学部は市内から遠く離れた岡の上、杉谷キャンパスにある。付属病院が併設されているためまあバスの便は悪くない。薬学部は正門正面奥の建物であるが、折しも工事中で通りがかりの人が案内してくれなければ迂回路は分からなかった。訪問先は和漢医薬総合研究所の小松かつ子先生の研究室である。小松先生はアーユルヴェーダ学会の会長であった富山医科薬科大学名誉教授の難波恒雄先生の直弟子であり、同学会の理事もつとめていらっしゃり、難波先生の死後、難波先生が世界中から集めた、インド、チベット、韓国、インドネシア、タイ、朝鮮、などの伝統医学の薬材標本を、それぞれの地域から伝統医学の先生たちをお招きして整理・分類・研究したデータベースを作っていらっしゃる(一部は一般にも公開中)。
難波恒夫

 私は伝統医学の薬材の現代薬への利用の橋渡しのような話しを興味深く伺い、先生は実は歴史がお好きだとかで、私のダライラマ13世のチベット医学復興語りを興味深そうに聞いてくださる。お話が一通り終わると、薬学部に併設されている民族薬物資料館(HPはこちらから)の館長先生の伏見裕利先生をご紹介くださり、見学できるように取りはからってくださる。難波先生が世界中から集めてこられた薬材は今この資料館に所蔵されている。

 ネットで見ると、この資料館は年に三回くらいしか一般公開していないので、見学は諦めていたのだが、富山大学薬学部の学生はもちろん実習に用いているし、研究者が来た場合も開けているとのことで、閉まりっぱなしではない、とのことである。

 小松先生の元を辞去して急いで資料館の入り口に向かうと、資料館正面入り口の前がシャーベット状の雪でぐしゃぐしゃになっていて、あっと思った時にはもう転んでいた。思い切り内股の腱を伸ばして痛いのなんの。とくにしゃがんだ状態から立つ時が地獄。

 伏見先生は難波先生の最後のお弟子さんだとのことで、資料館のセクションを順に案内してくださる。チベットからはちゃんとメンツィーカンからダワ先生が招聘されたとのことで、チベットの薬材には美しいチベット文字でラベルが貼られている。また、『四部医典』を図解した80枚の医学絵画の一部が展示されているので来歴を伺うと、難波先生がラサで全部手写させたものが一セット納入されているとのこと。モンゴルの薬にはキリル文字と旧文字の両方でラベルがはってあり、資料館にモンゴルの方が訪れた際寄贈したのか、モンゴル旧文字の習字がはってある。何と書いてあるのかと伏見先生に聞かれたので。

「ああ、これ『富山大学』ってモンゴル語で大書してるんですよ。モンゴル人の習字って、チンギス・ハーン、とかフフ・モンゴル(青きモンゴル)、とかなんか固有名詞多いんですよねー」といったらうけた。

伏見先生からは少部数しか刷られていない、モンゴル薬草図鑑をサイン入りで頂戴してしまい恐縮する。モンゴル医学もチベット医学を翻訳しているので、同じ『四部医典』を聖典として奉じている。この日は一生分の薬材を見せて頂いた。

 突然ですが豆知識。富山大学の五福キャンパスにはラフカディオ・ハーンの蔵書と研究書を集めたへルン文庫があり、月二回一般公開されている(詳しくはコチラ)。また、この富山大学図書館は旧高専の図書館も併合しているので満洲国関連の資料も多い。富山大学は研究者にとってはなかなかに魅力的な大学なのである。

 このあと私は帰り着くなりひたすら温泉につかって痛めた腱を湯治する。これがきいたのか、最初の晩はあまりに痛いので、朝一で医者にいって鎮痛剤をもらわんと帰れないかと思ったが、翌朝起きてみると、若干足がむくんで痛みはあるものの、なんとかなった。
 そこで調子にのって最終日に富山売薬資料館にいく。なぜかというと広貫堂資料館での聞き込みによると、反魂丹のレシピが公開されているというから。今は薬事法にふれて売れないこの薬も将来末期がんとかになって健康を心配することもなくなったら、頼ることもあるかもしれない。従って、一応作り方を控えておく。反魂丹のレシピの下には原材料の生薬が標本になっていて、昨日の資料館と同じ感じのプレゼンをしている。
薬材タナ

 その後富山駅前に戻り、CICビル5Fにある広貫堂プレゼンツのくすりミュージアムを訪れる。ここは富山の薬売りを先進的なビジネスモデルとして紹介する空間(まず使わせて、使った分だけお金をとるという後払いシステム、または、顧客情報のストックの仕方etc.)。お昼は薬膳カフェ春々(ちゅんちゅん)で薬膳カレーをいただく。なぜこのカフェがちゅんちゅんなのかというと、広貫堂の商標が羽を広げた二羽の雀だから、ちゅんちゅん。ダジャレである。

 こうして三日間にわたる薬都訪問をおえ、痛む足をひきずり羽田に戻ったのであった。余談であるが、この時、生薬の薬材標本を大量に見続けたためか、それからしばらく、薬材標本のある部屋を部屋から部屋へさまよい歩く夢を見ることとなった。
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