白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2017/11/04(土)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェの『回想録』を読んで
 10月は自転車から落ちたり、止まらない鼻血がでて焼灼したりといろいろ大変でした。気を取り直して、十一月です。下旬にカルマパにささげる展覧会が京都の名刹泉涌寺様であります。紹介文によるとカルマパ自身とアーティストによる写真、書、絵画ならびに17代の転生に光をあてた43分の記録映画も上映されるとのこと。面白そうなので期間中に行ってみたいと思う。
 あと、11月14日の熊本公演も日が近づいてきたのでも一度告知。無料ですのでお近くのかたどうぞ。
カルマパ17世展示会-1

●カルマパ17世 慈しみの眼差し チベット仏教・文化芸術展 
・主催 チベット・ハウス 香港
・日時: 11/16(火) - 26 (日) 9時~17時
・御寺 泉涌寺

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp


 最後に、11月3日に護国寺で行われた講演の報告をかねてアジャ・リンポチェの回想録の紹介を。

 清風学園の時も思ったのだが、なぜか来賓に大使館関係者とか、学者が多い。とくに「おっ」と思ったのは、寺本婉雅師のお孫さん寺本正さんがお見えだったこと。知らない人のために解説すると寺本婉雅とはアジャ・リンポチェの先々代を日本に招待し、ダライラマ13世と1906年にクンブムで、1908年に五台山で会見した東本願寺の民間工作員僧である。講演のあと、ご挨拶して、祖父君のことについて伺うと、正さんが生まれる十年前になくなっているので、まったくわかりませんと言われた(笑)。 
寺内とアジャ

講演は中国語で行われアジャ・リンポチェがギャグをいうと、日本語通訳が入る前に笑っている人がかなりいたので聴衆は中国籍のモンゴル人が多数いたと思われる。

 当代のアジャリンポチェは8世で、先代のパンチェンラマ10世と関係が深い。パンチェンラマについて簡単に説明すると、ダライラマは中央チベットにあり政治権力を掌握し、一方パンチェンラマはシガツェを中心とするツァン地域に荘園を持ち代々学者として尊敬を集めてきた。百年前の1904年にイギリスがチベットに侵攻した時、ダライ・ラマがモンゴルに亡命すると、清朝官僚はダライラマの称号を剥奪しパンチェンラマ9世をダライラマ13世の代わりにしようとした。しかし、パンチェンラマは固辞しチベット政府も国民も受け入れなかったため、結局ダライラマ13世が後事を託したガンデン座主を追認させられた。

 ダライラマ13世が1913年にチベットに帰還すると、当然のことながらダライラマ13世とパンチェンラマ9世の関係は微妙なものとなった。やがてパンチェンラマは中華民国に亡命しそのままなくなった。ダライラマとパンチェンラマが再びまみえるの1951年に、人民解放軍とともにパンチェンラマ10世がラサ入りした時であり、ともに代替わりした後のことであった。

 1959年にダライラマ14世がインドに亡命した後もパンチェンラマ10世は中国に残り続けた。文革の時は軟禁状態となり、結婚もさせられ、それでも文革終了後は破壊されたチベット僧院のたてなおしに励んだ。結果、パンチェンラマは本土チベット人の心のよりどころとなり、今でもその遺影は多くの僧院で目にすることができる。

 この10世パンチェンの師匠がアジャ・リンポチェの叔父さんのギャヤ・リンポチェである。

 当代のアジャ・リンポチェは8世であり、人民解放軍がチベットに侵攻した1950年にアムド(東北チベット)に生まれた。1952年に先代の生まれ変わりに認定されたが、認定を行ったのはパンチェンラマ10世であった。パンチェンラマはリストを一目みて「この子だ」といったが、師であるギャヤ・リンポチェは自分の甥をひいきして選んだと言われることを恐れ、公平にタクディル占いで選ぶように進言して、その占いを行ってもやはり彼の名前がでたとのことである。

 アジャ・リンポチェの子供時代は、大躍進政策、宗教改革、文化大革命が続き、中国共産党による殺戮と文化破潰の嵐にもみくちゃにされた。アジャ・リンポチェの父親は彼がわずか7才の時に連行されたまま他の多くの男達同様帰ってこなかった(写真はリンポチェが最後にあった時のお父さん)。アジャとパパjpg
僧院は閉鎖され、一般の僧は強制還俗、高僧は投獄され、アジャ・リンポチェも僧衣を脱がされ小学校にいれられてビオネールの格好をさせられた(回想録の裏表紙の写真がそれ)。文化大革命の頃は土木作業と農作業にあけくれ、仏教の勉強は隠れて独学するしかなかった。

 文革が終わると解放されたパンチェンラマ10世とともに破壊された寺院の復興にあたり、共産党の仏教組織でトントン拍子に出世したものの、1989年にパンチェンラマ10世が不審死をとげ、その直後に天安門事件がおき、おまけにダライラマ14世がノーベル賞をとり、つまりは、共産党が国際的に孤立しダライラマの国際的地位があがったことによって暗転する。

 共産党はそれまで転生僧の認定を行う際には「ダライラマの意見を打診する」というまっとうな政策をとっていたのが、天安門事件で硬化し、ダライラマが指名したパンチェンラマ11世を否定するため、パンチェンラマは籤できめると言い出したのだ。そして、ダライラマの選んだ子供ぬきで候補者をあつめ、共産党員の子供が選ばれるように籤に細工をした。アジャ・リンポチェはこの詐欺っぷりについても回想録の中で具体的に暴露している。

 こうして登場するのが有名な「偽パンチェン、ゲルツェンノルブ」である。

 そのうえ、共産党はアジャ・リンポチェをパンチェンラマ11世の師匠に任命しようとした。アジャ・リンポチェの伯父さんのジャヤ・リンポチェがパンチェンラマ10世の先生であったため、それにちなむことで偽パンチェンに箔を付けようとしたのである。ここで、アジャ・リンポチェの忍耐は限界を迎えアメリカへ政治亡命したのである。
 
 アジャ・リンポチェは中国では高級官僚として非常に恵まれた生活をしていた。しかし、その地位も僧院もスタッフも信者もすべてを捨てて、言葉の通じないアメリカで一から生活を築き直すことを選んだのである。このことだけでも中国政府が彼に強いたことがいかに彼の忍耐を越えていたかがよくわかる。

 彼が亡命後、江沢民に手紙をだしてダライラマと対話するように進言したところ、やっときた返事は、彼の手紙の内容ガン無視で、あなたの僧院であるクンブムには名月がかかって、黄河の水は世界で一番美しいよという七言絶句の漢詩であった。直接話法でいえば、「かえってこい」だろう。

 私はこの件をよんだ時、ダライラマ14世に対して周恩来がいった言葉を思い出した。1957年、ダライラマが亡命を迷っていることを察した周恩来は「仏像は仏壇があるから拝まれる。チベットという仏壇からでたらあなたはただの人だ」みたいなことをいって暗に釘を刺した。しかし、江沢民にしろ周恩来にしろ、こういうことをいっている時点でいかに仏教について無知・無理解かがよくわかる。

 ダライラマにせよ、アジャ・リンポチェにせよ彼らがなぜ尊敬されるのかといえば、彼らがりっぱな僧院の中で多くの信者に囲まれているからではない。彼らの学び身につけている仏教自体が普遍的であり、それを体現しているから尊敬されているのである。それが証拠にダライラマ14世もアジャ・リンポチェ8世も、生まれた土地を離れ、宮殿も僧院もみな失って一難民となっても、現在はも故郷の人ばかりではなく多種多様な人たちの尊敬を集めて、より多くの人々に仏教の教えを届け慈善活動に励んで影響力を失うことはない。

 共産党の高級官僚なら金や地位がなくなればそれこそただの人だが、〔まともな〕僧侶は違う。楽な生活を望むのであればそもそも亡命しない。亡命されたくなかったら、彼らが自分たちが尊敬している人の名を口にだして言えるように、また、彼らが価値あるものと認めている仏教を自由に学び、修行できる環境を作ればいいのだ。黙っていてもみな亡命先から喜んで戻ってくる。チベット人の文化をきちんと理解して尊重すれば誰も焼身自殺で抗議したりしない。

 回想録の見所は中国共産党のチベット地域や仏教界に対する政策がつねに的外れで強権的でそのような中でも笑顔をたやさず何とか中国と共存していこうとする本土チベット人の姿であろう。現時点で回想録は英語、台湾中国語、モンゴル語、日本語に翻訳されて各国の人に読まれている。現在はロシア語訳を準備中だという。アジャ・リンポチェは回想録の印税を慈善事業に使っているとのことである。
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DATE: 2017/10/19(木)   CATEGORY: 未分類
ジャスティス・リーグな11月のチベット・イベント
 みなさん、ジャスティス・リーグってしってますか? 11月に封切られるアメコミ実写の映画なのですが、アメコミファンの私としても今回は特別の感慨があります。それはね~、以下の私の愚痴話を聞くと分かります。

 不死身のスーパーマンが姿を消したあと、世界的に犯罪が増加した。そのため、バットマンが、ワンダー・ウーマンとアクア・マンとフラッシュとビクター・ストーンを召集して、とにかく数の力で戦おうとする、それがジャスティス・リーグ。

 で、ここからが本題です。本来ダライラマ法王が講演をされるはずだった熊本で、キャンセルできない飛行機のチケットを買ってしまった方が結構な数おりまして、その方たちを中心にチベット・イベントをやってくれとの声があがりました。

 で、私と平岡宏一先生がダライラマとチベットの高僧たちから教わったこと、という内容で、ボランティア講演を行うこととなりました。300名も入る熊本県医師会のホールなので、これでく30人とかしか来ないと、私的には「交通費かけてボランティアで現地入りして仕事がなかった」みたいな状態になるので、夕方からなのでお仕事の後にでも参加いただければ嬉しいです、参加費無料です。

 熊本城は日本の城の中でも人気ナンバーワンですよ! 夏目漱石の旧居もありますよ~。殿様が県知事をやる熊本は実行委員会にも細川忠興といっしょに熊本に来られた方の子孫がいっぱい。くまもんもまってます。

 もう一つイチオシのイベントは、11月4日は出雲の峯寺で行われる恒例の峯寺のチベット・フェスティバル。川辺ゆかさんの歌と、福岡在住のチベット人ゲレックさんが、彼の故郷の遊牧地帯の文化などをおはなしする傍ら、アムド地域での小学校建設運動についての進捗状況などを話してくれます。面白いですよ。
 というわけで、ダライラマ法王不在の11月ですが、とにかく私たちのできる範囲内でチベット仏教がいかに、人々の心の安定に寄与できるかとかを伝えていくことになります。
 以下開催日順にお知らせをはっていきますので、とにかく拡散、お願いできればと思います。
雲南17縮刷
 
●アジャ・リンポチェ出版記念講演会 東京
【日時】11月3日(金) 14:00~16:00
【場所】 大本山護国寺 桂昌殿 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:080-5445-7673  tmbccjp2013@gmail.com
【主催】 チベット・モンゴル仏教文化センター


●チベットフェスティバル in 雲南(日本ですよ笑) 2017
【日時】11月4日(土)
【場所】 出雲 峯寺 島根県雲南市三刀屋町給下13 (平岡宏一先生の奥様のご実家です) 
【プログラム】

 第一部: 14:00~15:00 川辺ゆか(歌・ダムニェン)コンサート
 第二部: 15:30~16:30 「チベットを通して考える人間の幸せとは?」
           チベット人のゲレックさんと山男渡部秀樹の対談
  ※ゲレックさんは東北チベット出身で12才でヒマラヤを超えてインドに亡命。現在は福岡在住。故郷の遊牧チベット人ために小学校を作る活動を行っています。

【連絡先】峯寺: 電話番号0854-45-2245 E-mail:k.matsuura@mineji.jp(松浦)


●ダライラマ法王のご長寿祈願特別法要 東京
【日時】11月11日(土) 13:00~15:00
【場所】 大本山護国寺 本堂 地下鉄有楽町線 護国寺駅下車すぐ
【問い合わせ先】TEL:03-5988-3576 
【主催】 ダライ・ラマ法王事務所

●熊本地震復興祈念仏教講演会「21世紀を生きる為の慈悲と利他の教え」
【日時】11月14日(火)
【場所】 熊本県医師会館 2階~3階 大ホール 熊本市花畑町1番13号

18:25  委員長挨拶
18:30  法王法話映像
18:40  第一部 平岡 宏一先生(清風学園専務理事・校長 / 種智院大学客員教授) 講 演
  演題「菩提心の功徳  ~「死に向かって心を整える」ということ ~」
19:30  休 憩
19:40  第二部  石濱裕美子(早稲田大学教育学部教授) 講 演
  演題「ダライ・ラマ法王、半生の軌跡 ~ 一難民から世界の聖者へ ~
20:40  閉会挨拶
※閉会後、希望者のみ質疑応答の時間を設け21時を終了とします。

【参加費】無料
【問い合わせ先・主催】 ダライ・ラマ法王佛教講演会実行委員会事務局
住所 熊本市中央区帯山4丁目5番18号 医療法人祐基会帯山中央病院内
   ☎(096)382-5164 平日 午前9時30分~午後5時
   E-mail hhd-kumamoto@higo.co.jp

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DATE: 2017/10/17(火)   CATEGORY: 未分類
アジャ・リンポチェ自伝出版 記念講演会
 15日はアジャ・リンポチェの自伝出版 記念講演会を聞きに、清風学園に行った。アジャリンポチェは亡命前は青海クンブム寺の座主をつとめていらしたため、そこの住人の言葉であるモンゴル語とチベット語と、漢語に堪能であらせられる。モンゴル語の仏教用語はチベット語からの直訳なので、モンゴル語で法話を話しても仏教を学んでいないモンゴル人だときちんと訳せないことが多いので(歴史の話なら普通の人でも通訳できる)、リンポチェは法話はチベット語でおこなわれる。今回そのチベット語からの通訳は清風学園校長 平岡宏一先生がおこなわれた。

以下、解説を加えつつ法話の全体象をご紹介する (法話の部分は青色にしてあります)。
アジャ本表紙

アジャ・リンポチェ

清風にくるのは十年ぶりです。十年前、タクツェル=リンポチェ (ダライラマの兄の尊称) が病に倒れ、タクツェルリンポチェが主催していた組織を私に引き継げというダライラマ14世の命令があり、タクツェル=リンポチェがお世話になった方々に挨拶に行けといわれてここに参りましたのが十年前です。このたびは私の自伝の出版ということでこのような機会をもたせさていただきありがとうございました。

 解説: ダライラマの兄上タクツェル=リンポチェは亡命前はアジャ・リンポチェと同じくクンブムの僧院長の座につかれていた。タクツェル・リンポチェは1950年、弟であるダライラマ14世よりも九年早くアメリカに亡命した。その後、アメリカでインディアナ大学で教授職につきつつ、チベット文化センターを主催されていた。その後、1989年にダライラマ法王事務所日本代表として日本に着任されたものの、前代表が解任内容に異を唱えて事務所の明け渡しに応じずタクツェル・リンポチェが困っていらした。その時、当時清風学園の校長先生であった平岡英信先生が新宿で不動産業を営んでいるHさんを紹介して、事務所を開くことができた。
 1990年、タクツェル・リンポチェと平岡英信校長(当時)はともにブリヤートで開催された開教300年祭に招かれ、ソ連の抑圧から解放されたブリヤートのチベット仏教界の熱狂を目撃している。この時のお話を英信先生にずいぶんお聞きしたのだが、「とにかくたくさん人がいてみなさん喜んでいた。北朝鮮の代表が同じ社会主義圏だから、良い待遇を受けられるだろうと思っていたら、〔実際は自由主義圏に復帰しての歓喜の宴だったため〕冷遇されてふくれていた」とのことであった。英信先生が発起人となって南インドのフンスールのギュメの本堂が再建されたのもこのタクツェル・リンポチェが日本代表をつとめていた際である。というわけで、タクツェル・リンポチェと平岡英信先生は昔なじみなのであった。

171015アジャ1
 アジャ・リンポチェ
 
まず、① 仏教の入門的な話をし、次に、②仏教の教えに従い、感情をコントロールするためにはどうしたらいいかのかについて話をし、最後に、③ 仏教徒として暮らしていく心がけについてお話しましょう。

①仏教の基本的なお話

仏の教えである経典や、経典に対する注釈書などの書籍群を大蔵経と総称します。この大蔵経には仏教が普及する三つのルートに従って生まれ、三種類の系統があります。
 まず、最初に成立したのは上座部仏教です。上座部仏教の大蔵経はパーリ語で記されており、お釈迦様が覚りを開かれた直後に説いた四つの聖なる真理(四聖諦)や、戒律などが含まれています。スリランカ、タイ、ミャンマーなどの仏教界ではこのパーリ語の大蔵経を奉じています。

 次は紀元前1世紀に中央アジアで始まり、シルクロード、中国、朝鮮半島、日本におよんだ大乗仏教です。このルートの中で生まれた漢語大蔵経は、顕教(哲学)と密教の経典群からなりたっています。顕教の経典には上座部の教えが含まれており、密教の教えには四タントラのうち所作タントラ、行タントラ(大日経はここに含まれる)、ヨーガタントラ(『金剛頂経』はここに含まれる)の経典が収められています。

 そして三番目に成立したのはチベット仏教です。大蔵経はチベット語で記され、その教えがチベットから13世紀にモンゴルに入り、17世紀には満洲人にも伝わり、それとともにモンゴル語や満洲語の翻訳大蔵経が生まれました。
 私が属しているのはこのチベット仏教です。

②仏教の教えに従い、感情をコントロールするためにはどうしたらいいかのか

 仏教徒は「正しいものの見方」 (lta ba) をもち、「正しく行動」 (spyod)することが大切です。
 正しいものの見方とは「物事は、ただ因果関係 (縁起) によって存在しており、永遠不滅の実体はない」という縁起の真理を理解することです。仏教は〔キリスト教のように〕造物主が人を造り、それに苦しみや愉しみを与えるなどという考え方はありません。この原因と結果の因果関係のみがあると説きます。 また「正しい行動」は非暴力(他者を傷つけないこと)であり、慈悲の心を持つ(他者の役に立つ)ことです。

 ●「正しいものの見方」
「物事は、ただ因果関係 (縁起) によって存在しており、永遠不滅の実体はない」ということは、自然界の中でも見ることができます。種が芽を出し葉を茂らせ、花をつけ、実を結ぶには、水、天候、肥料など様々な条件や原因があってはじめて可能となり、このどれか一つでもそれだけで存在しているものはありません。
 空間一つとってみても、西があるから東が設定されるのであり、中国の空はきたなく、日本の空はきれいだというように虚空を分けても、空間の側に境界があるわけでなく、我々があると思っている気持ちに応じて境界をひいているのです。
難しい言葉でいうと、ものごとには「存在の真実の姿」である「如実」( ji lta ba)と「言説(言葉や概念)によって仮に存在しているだけのもの」という「如量」( ji snyed pa)の二つの側面があります。
 たとえば、一万円札があります。この一万円は日本では十回外食ができるかもしれません。しかし、アフリカやインドの田舎に一万円札をもっていっても何も売ってもらえません。「これは価値のあるお金なんだ」といっても、「そうかお腹が空いているのかじゃあこれを一つあげよう」とか日本で手に入るものの10分の1くらいは恵んでもらえるかもしれませんが(笑)。「ありのまま」の一万円札は紙ですが、しかし、そこに人間の側で価値という概念を仮に設定しているので(仮説)、その価値は一万円れ自体に本質的に備わっているものではありません。

 ●「正しい行動」
次に「正しい行動」について話します。 愛情(brtse ba)と慈悲は(byams pa)は異なるものです。愛情は自分の子供など自分が好ましいと思うものに対して向けられる者で、限度があります。しかし、慈悲は無限です。敵をも慈しむ心です。愛情しか持たない人は敵が不幸な目にあうとざまあみろとか思いますが、慈悲を持つ者は敵すら慈しみます。
 慈悲を育むためにはまず、2段階踏むといいでしょう。まず、最初の段階では他人を傷つけないこと、人に迷惑をかけないように生きること。足るを知ることです。
 次の段階ではより積極的に「人の役にたちたい」という心を育むことです。
 人の心は好き、嫌い、無関心の三つに分かれます。「好き」という気持ちは一見良いものに聞こえますが、好きは執着に発展することがあり、こうなると良いものではないので、好きなものはなるべく自分から離して考えることです。
 「嫌い」という感情は怒りに発展しやすく、これもよくありません。忍耐の心をもち、相手に慈悲をもつように努力しましょう。無関心も困っている人の前を通り過ぎたりしてよいものではないので、関心を持つようにしましょう。好きも嫌いも無関心もすべて、真ん中の気持ち、「好きでも嫌いでもなく、しかし、関心を持つ」、平等な状態(btang snyoms)に置くようにして他人の役にたちたいと思うことが大切です。

 人間は体と言葉と心(身口意)によって外界にはたらきかけますが、意識は身体や言語を操るのでこののうち心が最も重要です。心の状態を保つためには戒律・瞑想・智慧 (三学) をもちいるといいでしょう。戒律は言葉や体を律して悪行をなさないための、これをしなさい、これをしてはならないというルールです。
 日本人は「立ち入り禁止」と紙に書いてはってあれば、みなそれを見て入らないけど、インドなんかだと、「書いてあるだけだ」と無視して入ったり、はては紙を破ったりします。ルールだけで心を統御するのはかくも難しいものです
 そこで三学の二番目の定、すなわち瞑想が必要となってきます。
 30分体を座せておくことはできますが、心はあちこちに飛んでしまいます。
こういう時には分析的瞑想(dpyad sgom)が有効です。何か一つのこと(歩く、マントラを唱える)に集中することによって、気を散らさないようにします。そして、次には外界の刺激をシャットダウンして「心を落ち着ける瞑想」 ('jog sgom)をおこなう。人は眼・耳・鼻・舌・身・意(五根)を通じて外界の刺激を受けて意識が散じてしまうので、この五根を閉じて集中する。寝ることではないですよ。

③ 仏教徒として暮らしていく心がけ

仏教には三つの門があります。普通三門というと、身口意ですが、これから話すのはそうではありません。
① 仏教徒になること 
② 大乗仏教徒になること
③ 密教の修行によって仏の境地を目指すこと
この三門です。

 ①仏教に帰依すること
この世界のありように恐怖し、仏・法・僧という三つの宝に帰依することです。仏教に帰依したら、十善(殺さない、盗まない、邪なセックスをしない、嘘を言わない、汚い言葉を使わない、言葉を飾らない、二枚舌を使わない、正しいものの見方をもつ、怒らない、執着しない)の行いを積まなければなりません。

 ②大乗仏教徒になること。
 次に、ただ人に迷惑をかけないだけでなく、一切の命あるもののために役に立とうという心をもつのが次の段階です。大乗仏教徒は他の人を救う力をもつために仏になろうとします。このような他者の救済のために覚りの境地を目指すことを菩提心とよびます。

 ③密教を学ぶこと。
 顕教(哲学)で覚りを得ようとすると、長大な時間はかかりますが、密教の修行は遠くにある仏の境地を自分の側にひきよせる修行を行なうことによって実際に仏になろうとするものです。
 まず、灌頂を受けねばなりません。灌頂はチベット語ではワンといいますが、これは「権利」という意味で、つまり灌頂は密教を修行するための権利を得る儀式です。
 顕教では仏の国(浄土)は人間の世界の遠くにあり、来世そこに生まれることを目標として修行しますが、密教では自分を仏様の姿に観想し、自分のいる場所も仏様の世界に入っているという観想(シミュレーション) 修行をします。

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質疑応答: 日本においては鎌倉時代に戒律を否定して以後、僧侶は無戒律、無修行になっています。それをどう思われますか。

このいかにも、日本仏教に対する批判を誘導するような質問に対して、アジャ・リンポチェの受け答えは非常にスマートだった。

アジャ・リンポチェ: モンゴルにおいても僧侶が妻帯することがあります。すると、信者の方はお寺にお布施してもそれがお寺のために使われるのならまだしも、妻や子供のために使われると、信仰が揺らぐようになります。結果、社会奉仕活動など人の役に立つことをするキリスト教などが勢力をもってきています。
 日本においても物質主義が盛んで、仏教が衰頽し、お寺を維持するために僧侶が妻帯していると伺っております。また、キリスト教のようなメソッドを用いる新興宗教が、伝統宗教の信者を奪っているとも。チベットでも、先代の僧院長の生まれ変わりというだけでまったく仏教を修行しない人でも高い地位につくことがあり、結果人々の信仰が揺らぐということがあるようです。私が死んでも私の生まれ変わりが探索されるのでしょうが、生まれ変わりの子がうまく育って勉強も修行もできるのならそれでいいですが、そうでなかった場合はやはり人々の信仰は揺らぐでしょう。転生相続も正しい形で(生まれた子をきちんと教育して初代の質を維持する)行なわれればいいですが、資格のないものをただ高い地位につけるのはよくないでしょう。


 つまり、モンゴルやチベットでもそういう問題はある、と仏教界が抱える普遍的な問題として相対化し、転生僧であれ、先代住職の子であれ、きちんと修行や勉強をする子を後継者にしないと仏教が衰頽するとソフトに提言されたのである。

 このあとの自伝出版記念の講演は、平岡先生とSamaya projectのYさんと熊本ボランティア講演(笑)の打ち合わせがあったので、残念ながら聞けませんでした。護国寺にもお見えになるとのことなので、予定があえばこちらで伺いたいと思います。まずは自伝を読まないと。

追記: 平岡先生がアジャ・リンポチェから聞いた話。アジャ・リンポチェの前世の初代はゲルク派の宗祖ツォンカパの父親であると信じられており、お父さんを意味するアキャa rgyaと呼ばれていた。しかし、これが漢語でうつすと阿家になってよくないと中国皇帝に云われて、a kya(阿嘉)と綴るようになったとのことである。
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DATE: 2017/10/09(月)   CATEGORY: 未分類
東北大学弾丸ツアー
最初にお知らせです。知り合いの先生から。チベット人留学生プ ファチャの学費支援のお知らせがまわってきました。今、プ ファチャさんはアニメーションの専門学校に入るために日本語を勉強中だそうです。詳しくは主催者の紹介をごらんください。
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●プ ファチャ 「チベットの風景画展」

 プファチャさんはチベットアムド地方出身の青年で、チべット高級学校でチベット仏教の仏画タンカを、西安の美術学校で絵画を学びました。 2016年に来日し、現在日本語を勉強中です。以前よりアニメーション表現に興味があったこともあり、日本で過ごすうち、アニメーションのないチべットの子どもたちにその楽しさを届けたいという願いを強く持つようになりました。ブさん技術を身につけるために専門学校への進学を希望しています。
しかし、現状学費が不足しております。ひとりでも多くの方が知って下さり、支援の輪に加わって頂けたらこれほど嬉しいことはありません。もちろん作品を見て頂くだけでも励みになります。
 プファチャさんの描くチべットの絵は、草原と風と祈りを感じさせてくれます。ご多忙のことと存じますが、お立ち寄り頂ければ幸いです。  乾栄里子 (主宰者サイトはこちらへ)

【会期】10月20日(金) 21日(土) 22日(日)
【時間】 11:00~18:00
【場所】 ヴァリエテ本六 (文京区本郷6丁目25-14 本郷弥生交差点すぐ)
電話:03-3811-7466(会期中) 080-3519-4242(乾携帯)
*  作家在廊 ⇒ 21日 22日 11:00~17:00
* お茶の時間  21日 22日 14:00~16:00 ~チャイをお出しします。~
東北大学に籍をおいている研究者Iさんを訪問した。実はこの日の前日はとある論文の締切であった。 九月の末はオックスフォードいってて、そのあと9/30日締切の原稿をあげたので、実質この論文は七日で書き上げることとなり、知り合いが編集委員をやっているのなら泣きをいれて締め切りをのばすところが、知らないとこだし、九月末にはギブして楽になろうかという気持ちが脳内80%をしめてた。
 しかし、もう関係資料は打ち込んであるし、メモもできているし、構成もできているし、文章書くとこまでいっているのにもったいないと思いとにかくひたすら書き、出発の日の朝、労働時間開始直前に仕上げ?て送った。
 まさにギリ。ギーリギリ。
 真っ白になりながら、東京駅についたら三連休の初日とかで阿鼻叫喚のちまた。世間の動きを忘れてたよ。だって、自分は特別研究期間毎日が連休だから(笑)。行きの新幹線ではこれから会うIさんの論文を読み、打ち合わせる内容をさらうので全く休めず、目の下クマクマで東北大学に到着。
 別の日にしろよという方もいるかもしれないが、訪問相手がもうすぐ海外いっちゃってもうこの日しか開いてなかったのである。ゲロゲロ。
 川内キャンパスの感想。空気きれい。ここで暮らせば喘息もちの私の余命が伸びそう。東京都内の私立大学の過密なキャンパスになれた身には国立大学のこの広大なオープンエアーはこう何というか、遭難するような不安を感じる。
 打ち合わせを終えて、東北大学につとめている先輩との待ち合わせ時間まであと二時間あったので、仙台のフリチベさんに

私「二時間で仙台を愉しむとするとどこがいいですか」といきなり直電をかけると、やさしいチベ仙さんは

チベ仙「いきなりお宅訪問なりますが、松音寺さんに行ってはどうでしょう。アジャリンポチェが震災法要をされて、リンポチェの念持仏のターラー尊があるのが見られますよ。仙台駅からタクシーで1000円かからない近さです」

 実は私が今朝まで書いていた論文はダライラマ13世と同世代の先々代のアジャリンポチェ(1871-1909)を扱っていたので(しかし両者の対立。しかもえぐい笑)、しかも、緑ターラー尊といえばわたくしの念持仏でもあるので、ご縁を感じて即断即決。
松音寺地図jpg
 チベ仙さんはご住職に連絡をとってくださって(チベ仙さん、ありがとうございます)、私はタクシーに乗り込んだ。松音寺につくころは秋の日もとっぷりと暮れていた。松音寺は連坊という仙台の寺町にあり、仙台の寺町は中心部からはずれたところにあったので戦災を逃れたとかで、地震と空襲と区画整理でどつきまわされてちんまりとした東京の寺町よりはるかに壮観である。松音寺さんも素人目にも立派な曹洞宗の寺院であった。伊達家のお墓も二つあるとか。で、ターラー尊の前につれていっていただく(写真)。

 このターラー尊は何とアジャ・リンポチェが亡命前に僧院長を勤めていた青海のクンブム大僧院(塔爾寺)からもってきたもので、つらい時なんどもお祈りをしたもので、東日本大震災の犠牲者を慰めるため、「お預けする」とおっしゃってここに置いて下さったそう。
緑ターラー松音2

ご住職「あげるとはいわれませんでした」(笑)

去年ダライラマ法王がこのチッタマニ・ターラー尊の灌頂を授けたので今日本ではこの仏様の行をやっている人が爆発的に増えたんですよといったお話を私はする。
 ご住職によると二日前、アジャ・リンポチェを松音寺にお招きすることが急遽決まったとかなので、お近くのかたどうぞ。
 ご住職はそのあとお出かけというので早々に暇乞いをして、仙台駅に戻り、先輩とIさんと晩ご飯をたべる。半年ぶりにあう先輩が「やせたね」という。
 愛鳥がなくなつたとか、精進で菜食になっているとか、でも愛鳥が再びもどってきたんだよ、とか説明したいのだが、昔からこの先輩は唯物史観なので、愛鳥が転生したんだよ、ヒナ可愛いんだよ、とかいう話をする気力がわかず、とりあえず「論文今朝まで書いてて寝てない」といい納得してもらう。私も彼の話す組織防衛の話とかまったく共感がもてないので、お互い様である。

先輩と私の関係は先輩いはく「共感なき共生」なのだそうな(爆笑)。

 仙台駅でハヤブサをまつていると(はい、もちろん日帰りです)、女性旅行客が仙台駅の表示の前でインスタに投稿するための写真をとりまくっている。駅、食事、風景などをインスタに投稿して三割増し幸せな自分を演出するんだろう。いろいろ否定的な人もいるが、人生の最後に自分の若い頃の写真をみて幸せそうな明るい写真ばかりが残っていたら、まあ悪くない人生だったと思えるだろうからいいんでないか。
 ちなみに私がとった写真はターラー尊と歴史建築物の案内表示板と地図。たんなる歴史家の記録癖である。

ちなみに返ってから提出した論文を改めて見直したら、日露戦争を日清戦争とミスタイプしていた。初稿がきついな。
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DATE: 2017/09/28(木)   CATEGORY: 未分類
ハリポタの町で会議参加してきた
イギリスのオックスフォードで開催された、19世紀末から20世紀初頭の国家形成期のチベットに関する国際会議にいってきた。(The effect on Inner- and East Asian relations of the advent of modern international law and the end of the Qing empire in the late 19th and early 20th centuries; perspectives of contemporary sources)
 欧米は時差がきついので本来はパスなのだが、若い二人の研究者とともに来年だす本のブロモーションがあるので、仕方無くいく。

 ぎりぎりまで別の論文書いていたので参加者とかろくにみていなかったけど、ついたら
Joseph Esherick /Mark Elliot /Fabienne Jagou / Hon Shiang Lau /Makoto Tachibana /Scott Relyea /Heather Stoddard / Yumiko Ishihama / Ryosuke Kobayashi/ Amanda Cheney / Ross Anthony / Uradyn Bulag /Dibyesh Anand (詳細はぐぐって見て)
というまあ、国籍、人種、活動内容も様々なあらゆる意味で濃いメンバーが集まってて笑った。ゲラゲラ。

 12時間飛行機のって入国審査にいくと長蛇の列。一時間半かかった。三ヶ月前にロンドンにきた人ですらこれは長いとおっしゃっていた。最近ロンドンテロつづきなので入りを厳しくしているのだろうか。長時間のフライトのあとでこれをやられるとほんまに辛い。

 空港から直バスでオックスフォードにいく。オクスフォードにつくと日曜なせいか観光客(主に中国人)で一杯。銀座か京都のよう。ハリーポッターのロケ地訪問とか、わかわからんツアーが至るところで行われている。

 ホテルがまたすごかった。昨日ロンドンについた橘さんは、アシアナ航空が遅延したため、このホテルのチェックイン時間をすぎているとかいわれ、ヒースローで一泊し、朝一でオックスフォードについてチェックインしようとしたところ「一杯です」とことわられたので、「昨日泊まるはずだったんだから部屋開いているだろ」といっても、結局他のお客さんがでていくまでまたされたと憔悴している。アジア勢は会議始まる前からライフが低下している。

 このホテルは17世紀の建物をそのままつかっていて年代物で、構造が謎。チェックインすると鍵束を渡され、一つがたてもののかぎ、一つは受付に入るかぎ、一つは部屋の鍵としてあと二つがなんの鍵だか最後までわからなかった。いみふ。

 橘さんの部屋は階段あがってまたおりて、またあがったところにあり、小林さんの部屋は庭にたつ小屋でポーチがついていて、よくわからん。私の部屋にいたっては道に面した1階で路地おくのバーでのんだ客がおそくまでしゃべりながら外を歩くので眠るためにはヘッドホンが必須であった。向かいのRossも同じ感想を述べていた。ちなみに彼は南アフリカでヨウムのヒナを二羽の子育て中で、現在ごろう様の転生とその兄弟というオカメインコのヒナを育てている私とはママ友のような会話ができて楽しかった。二人は熱くオーストラリアのインコについて語り合った(アフリカにはインコの種類が少ないそうな 爆笑)。
 部屋で一時間休んだ後、ウェルカムパーティにいき、24時間以上一睡もしていないことに気づきめまいとともに家路につく。大量の睡眠導入剤を投入して眠る。

 でもって、次の日から二日間休みなしでペーパー、ディスカッションの繰り返しで、これまた憔悴。会場から夕ご飯の会場に向かう途中Rhodes House の前を通ると、
pitsriverjpg.jpg
 Heather「2015年にダライラマ法王がここで講演されたのよ。建物の上についているあの塔、五鈷杵みたいでしょ? 当日はみんなここにたってダライ・ラマ、ダライ・ラマと叫んでいたのよ」

「ダライラマにご長寿をとかですよね」というと
 Heather 「それは道の向こう側で、こっち側はシュクデンの人たちよ、ほほほ」

2015magdalensdALIALAMA.jpg

ネットで検索してみると、確かにこの建物の前でのダライ・ラマ法王の写真がある。ダライラマ13世は2015年9月14日から22日まで、オックスフォード、ケンブリッジ、ロンドンツアーをされていた。イギリスの名門大学はダライラマをこうして招聘し、チャールズ皇太子をはじめとするイギリス皇室はダライラマの行動と思想に共鳴しているものの最近イギリスは中国の経済力に屈して、習近平を国賓待遇で迎えるなどし、それとともにダライ・ラマ法王への冷遇が始まるのではないかと懸念されている。本当にそれでいいのかと声を大にして問いたい。
2012チャールズとダライラマ

 ある意味世界をリードしてきたイギリスとアメリカの理想主義は最近brexitやトランプ政権の誕生やらでゆらぎつつある。しかし、本当にそれでいいのか、みなが自己の利益だけを考えて動けばそれは結局全体を破滅にむかわせるのではないかと小一時間人類を問い詰めたい。
 
 セミナー二日目、自分の発表が終わったので、昼の短い時間をつかって近くにあったPitts River Museum (自然史博物館)をのぞく。自然史博物館といえば恐竜の骨格とか石なので、私はもちろん始祖鳥の化石とか、不思議の国のアリスで有名な今は絶滅したドードー鳥の骨格の前で記念撮影する。写真はインコのはく製前。
pitsriver2.jpg

 最後の夜はオックスフォード最古のパブKing's armでイギリスの伝統食を楽しむ。私は他人に注文をまかせると表に飛び出し、ハートフォド橋、ボードリアン図書館、;歴史科学博物館を 五分間で観光する。常々思うのだが、建物に人間の頭をつける西洋人の美意識はどうも理解できん。ハリポタよりはロードオブザリング派なのでいまいち感動が薄い。

 翌日早朝に空港に向かい、ロンドンにかすりもせずに弾丸のように帰国である。だってヒナがまっているもん。

 ブリティッシュ・エアウエイズの羽田便は007便(ダブルオーセブン)便であることにほのかにイギリス臭を感じつつふたたび大量の睡眠導入剤をのんで寝る。

 帰国してケータイの電源いれたら民進党がなくなっていた(笑)。
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