白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2018/02/12(月)   CATEGORY: 未分類
三十帖策子がすごいらしい
 二月のある日平岡宏一先生から電話を戴いた。

宏一先生「現在東博で行われている「仁和寺の秘宝」展は素晴らしいですよ。弘法大師さまが唐からもちかえった三十帖策子が展示されているんです。橘の逸勢とか写経生とかの字も混じっていますが、直筆ですよ。」

私「さ、三十チョウサクシ、なんですかそれ。」

宏一先生「唐からもちかえった経典とか法具の目録や奥義のメモです。」

私「国宝の御請来目録のことですか」

宏一先生「それとは違います。おなじく国宝ですが。高野山にいた空海の甥が東寺にいる空海の弟を通じて、東寺の長者(トップ)以外目にできないこの策子をかり出してそのまま返さなかったんですね。」

私「弟とか、甥とかってなんか生々しいですね。空海って同族経営で真言宗を経営していたんですか。なんかイメージとしては実力主義で血統とかに頼らなさそうだけど。しかも、借りたままかえさんとか、早稲田にも昔、某A教授が図書館から本を借りだしたまま死んで、そのままどっかいっちゃったなんて話がありました。同じですねえ」
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宏一先生 「その後、孫弟子の時代に東寺に戻るのですが、源平合戦の折に何か大事があってはいけないと、仁和寺を創建した守覺法親王が1186年にかり出してそのまま返さないで今に至るんまで仁和寺にあるのです。」

国共内戦の折、清朝の秘宝が戦火を避けてあちこち疎開したあげくに戦艦で台湾に送られて今にいたるようなものか。ちなみに、このお話を宏一先生がされた時にはあまりにも早口で説明がたりなかったため、エンサイクロメディア空海の力をかりてここまで復元した。密教の奥義について記したこの策子のありかが、真言宗の根本寺院ということで、この策子の帰属はたんなる本の貸し借り以上の意味があったとのことである。

 そこで9日の金曜日の夜の開館時間をねらって午後八時から観覧をはじめた。大物は14日以後にくるので、たぶんこの日が一番人が少ないだろうと踏んでのことである。案の定、まったくお客さんがいなくて、気持ちよかった。
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 実際にみた三十帖策子はメモ帳サイズで、和綴じのA4 サイズを想像していた私にはとても小さく見えた(画像もエンサイクロメディアから)。それと、チベットネタとしては、95と96の金剛鈴は元か明の時代に大陸でつくられたチベット仏教の法具であるという。95は鈴のぐるりにオンマニペメフンが刻まれている。

 この他にも国宝の秘仏がたくさん陳列されており、その中の国宝、孔雀明王像はどっかでみたことあると思ったら、うちの冷蔵庫の壁面にマグネットではられていたものである。じつは仁和寺展は30年前(1988)にも東博で行われており、その際購入したものをある時期にはったものと思われる。もちろんほこりだらけ。

 もう一つチベットネタとしてはダライラマ法王が金剛界・胎蔵界の灌頂を行われた宮島の大聖院さまの不動明王像がおいでになっております。

 このように素晴らしい仏像がたくさんあるものの、昔は仏様の前におかれていたお賽銭が今回は一つもみあたらなかった。今や人々にとってここにある仏像はたんなる美術品なのであろうか。
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 展示する前に、お寺で性根をぬいてあるので、理念的にもただの木像であると言われればそれまでだが、たとえ性根がぬいてあっても仏様の姿を前にすると自然と合掌したくなりませんか、そんなの私だけ? このような形で仏様が展示されているのを痛々しく感じるのは私だけ?

 そして仁和寺の観音堂内を再現したスペースでは写真撮影すらオッケーとなっている(仏像がすべて江戸時代と新しいものであるからと思われる)。インスタ映えするので、観覧者にSNSで拡散・宣伝をさせようという当局の魂胆がすっけすけである。なのでお言葉に甘えて、写真あげときます(オイ)。

 じつは仁和寺は火事で焼けたあと、長いこと放置され荒れるに任されていた。しかし、徳川家光の時代に再建されて今の姿になった。去年の六月、東京チベット散歩をした時に、訪問先の、護国寺の観音堂と九品仏の三仏堂を調べてみたら、数年違いで徳川綱吉の時代に建てられていたことに驚いた。思えば比叡山も、かつてはこの上野の国立博物館にあった比叡山をまるまる原寸大コピーした寛永寺も、日光山輪王寺も、大伽藍はみな徳川家によって造立されたものである。

 もっとみんな徳川家を評価しようよ、徳川時代って明治維新以後にはクソミソに言う人もいるけど、それほどひどい時代じゃなかったよ。そう思いつつ、閉館のアナウンスにどやされて、館外にはきだされたのであった。
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DATE: 2018/02/09(金)   CATEGORY: 未分類
アジア仏教美術論集、チベットの巻出版
全12巻かけて、インドから日本にいたる仏教美術の専門論文を、美術・歴史の枠をとっぱらってつなげる壮大な試みが『東アジア仏教美術論集』。このうち、今回はいよいよ「チベット」が配本されました。

 本のアイコンはアマゾンにいけば、ごろごろしているので、希少性をだすために、我が家のイケメンと美女を配置してみました。撮影後は急いで引き離さないと本の破壊をはじめるので危険なモデルたちです。

 以下に目次をはりますが、私は第五部で「ポタラ宮白宮・赤宮両宮にこめられた政治的・宗教的意味について」を書いています。

 ポタラ宮は白宮は17世紀にダライラマ5世、赤宮が摂政サンゲギャムツォによって着工・施工されたものです。本論文は、白宮についてはチベットの歴史神話に基づいて観音の聖地をつくるために建てられたこと、赤宮についてはダライラマ5世の死後、その死を隠してひそかにダライラマ6世を選び、チベットの政治を代理でとっていた摂政サンゲギャムツォ摂政サンゲギャムツォが、ダライラマ6世を無事に世にだすために認定者である自分を権威づけるためにダライラマ5世の偉業を顕彰し、自らを顕彰するためにこの宮を作ったということを述べたのです。
 また、赤宮はカーラチャクラの立体マンダラとして建てられているため、大広間の欄間はカーラチャクラマンダラにあわせて四色が塗り分けられてるんですよ。興味ある方は是非是非ご覧ください。

『アジア仏教美術論集 中央アジアⅡ(チベット)』
アジア美術論



目次
総 論 チベットの美術

I 形成期のチベット美術
トリンにおける11世紀造立仏塔の供養者銘と図像についての予備的考察 エイミー・ヘラー(大羽恵美訳)
四川・青海境界地域におけるチベット所伝の磨崖石刻彫像と題記の分析 一吐蕃時代の大日如来と八大菩薩の造像の起源に関する考察を兼ねて一   謝 継勝(日高知恵美訳)北西インドからヒマラヤを越えた青銅仏   服部等作

II. 壁画とマンダラ
ローマンタン・チャンパラカン2階の曼荼羅壁画について 田中公明
シヤル寺の曼荼羅壁画について 川崎一洋
チベットのカーラチャクラマンダラ 立川武蔵

Ⅲ チベット美術の諸相
五智如来に対応するチベット絵画(タンカ)の図像について クリスティアン・ルクザニッツ(マグロースキー芽衣子訳)
北京故宮博物院所蔵「白上楽王仏」図像の来源 張雅静(山本恭子訳)
多田等観請来「釈迦牟尼世尊絵伝」に関する考察 岡本健資
仏・菩薩におけるチベット式服制 大羽恵美
チベット絵画の色材と配合の知識 小野田俊蔵

IV. ポン教の美術
ポン教の美術 三宅伸一郎
シュンラプ・ミボ伝図 津曲真一

V. チベット仏教美術と歴史
ポタラ宮白宮・赤宮両宮にこめられた政治的・宗教的意味について 石濱裕美子
「大東亜」世界における「喇嘛教」空間一画像資料に見る日本人と「熱河」 高本康子

責任編集
板介叩哲・塚本麿允(出版社のサイトはこちらです)
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DATE: 2018/02/05(月)   CATEGORY: 未分類
里親支援の久保隆さんが急逝
 チベット・サポートグループKikuを主宰していた久保隆さんが、2018年1月30日に他界された。2月4日の日曜日に行われたお通夜に、最後のお別れをしにいき、このエントリーはお葬式の朝に書いている。久保さんの死はまず関係者のFBで知り、そのあと在日チベット人コミニュニティー(TSCJ)のメーリスで「式のはじまる前にチベット語のお経を唱えるので参加したい方はチュパをきて早めにきてください」とのメールがまわってきた。
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 しかし、式場にいくと、在日チベット人コミニュニティーの供養は式次第の中に組み込まれたとのことで、日本式のお葬式が終わったあとで、チベット関係者の読経(帰依、般若心経、21尊ターラー経 etc.)、棺の中へのカター奉献etc.が始まった(カターをもってきてなかったのでタシテレさんに戴いた。ありがとうございます)。

 そして、式場のアナウンスで「これからチベット風の葬儀を行います」といって、ディジュリドゥの奏者Knobさんによる吹奏が行われた。細かいことを言えば、ディジュリドゥはオーストラリアの先住民の楽器である。K nobさんによると久保さんはお嬢さんにディジュリドゥを教えてくれといったことがあったそうである (ご縁はつならがらなかったというが)。K-nobさんは富士山『思いやりのご来迎』で献奏され、地球交響曲第六番の出演者でもあります。
 それからTipa(チベット歌舞団) 出身のゲニェン氏によるゲルセー・チュースィーの弾き語り。この曲はダライラマ14世の即位60周年を記念してTipaが作った曲で久保さんがお好きだったとのことである。

 それから、ダライラマ法王事務所ルントク代表弔辞、タワンのチベット人孤児院マンジュシュリーからの哀悼のメッセージ朗読であった。これが短いながら大変に心をうつものであった。まず、久保さんのご家族に対して哀悼の意を表明し、それから突然言葉をつまらせると「わたしたちマンジュシュリ孤児院も久保さんという家族を亡くしました」としぼりだすように述べた。原稿をもつ手は震えていた。

 ご家族によるご挨拶がないため最後のご様子が聞けなかったことが若干残念であったが、久保さんらしいお別れの会だった。

 久保さんが主宰されていたチベットのサポートグループkikuはきくち体操の創始者菊池和子先生と久保隆さんの頭文字をとって作られている。お通夜の会場にいらしていたKikuの里親さんから伺ったお話では、1998年頃、龍村仁監督の弟君でヨーガ指導者の龍村修さんがインドにおいてヨーガを体験したり、ダライラマ法王のお話を聞くという旅を企画され、二人はこの旅で出会い、ダライラマ法王の話を聞いて感動し、意気投合してチベット支援を始めたとのことである。
 
 龍村仁監督を知らない方のために簡単に説明すると「地球の中の私、私の中の地球」というテーマで著名人に行ったインタビュー・シリーズ、地球交響曲(ガイアシンフォニー)をライフ・ワークとされており、現時点で八番まで公開されており、1995年に公開された第二番にはダライラマ14世も登場している。その流れでの旅であったのだろう。
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 このような背景があるため、祭壇の向かって右には龍村仁監督、ガイアホリスティックの龍村和子先生、菊池和子先生、Kikuの運営を手助けされていた清田和子さん(ガイアホリスティックのボランティア・メンバーでもある)の献花がならぶ(あ、SFTJapanの献花もありました!)。て、久保さんのチベット関連の主要人脈は三人とも「和子」さん。
 式に来られた方から久保さんのお話を伺う。
一昨年久保さんの率いる里子訪問ツアで一緒にタワンの孤児院を訪れた板東靜さんは「終始楽しそうにしていらっしゃいました。久保さんの最後から二番目の旅でした」という。たしかに、式場には久保さんが里子さんたちととった笑顔の写真がたくさんあり、ご家族との写真もみな笑顔である。人が好きで、人の役に立てることを心底楽しめる方だったのであろう。
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 孤児院支援の団体を主宰されている方はみなそうかと思うが、里親と里子で往来する手紙や日本からおくられる支援の品を定期的に現地にもっていくことが重要となる。それによって里子は勉強する意欲をおこすし、里親も支援の手応えを感じる事ができるからである。しかし、インドの田舎であるダラムサラやタワンにいくのは、ここ数年体調を崩されていた久保さんにとってはきつい時もあったと思う。
 それでもこの笑顔なのだから、本当に強くやさしい方だったのだと思う。
 ルントク代表は「久保さんはよい来世をおくることになります」とおっしゃっていた。またどこかでお会いできればいいなと思う。
  合掌して謹んでご冥福をお祈りいたします。

この投稿を終えた直後、SFTJapanのツェリンドルジェ氏を介してダラムサラにおける久保さん追悼の報告がありました。以下がその模様を伝える写真であり、メッセージは以下のようです。

「ダラムサラにあるTCV(チベット子供村)本校でも久保隆さんの葬儀が行われました。
「チベット子供村の子供達またスタッフたちはみななくなったKikuの久保隆さんに深い哀悼の意を表します。また、久保さんのご家族、久保さんを愛した方々に対しても深い哀悼の意を表すると同時に、かれの意識が安らかであるように、そしてまたすぐに生まれ変わるように祈ります。

なくなった久保さんはチベット子供村を通じて何百何千というチベット人の若者たちの中に記憶されていくでしょう。チベット子供村はいつも彼を深い感謝とともに記憶します。」

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DATE: 2017/12/31(日)   CATEGORY: 未分類
ダライラマへの手紙(ダライ・ラマ秘話3)
お正月恒例ダライ・ラマ秘話いきます。

 昨年出版された『アジャ・リンポチェ回想録』には、リンポチェが1998年のアメリカ亡命に至るまでの苦難の半生が綴られている。リンポチェは亡命前は中国仏教協会の副会長であり、外交パスポートも携帯する高位の役人であったため、その証言内容は共産党のチベット仏教界に対するしめつけの数々を具体的に明らかにし一級の歴史資料となっている。
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 彼が高級官僚の地位を捨てて亡命した理由は、本人の弁によると、幼少の頃に父を殺されたことに始まり、様々なものがつみあがった結果であるが、直接の原因は中国政府が擁立したパンチェンラマ11世を強制的に承認させられ、その教師になれと命令されたことにある。

 リンポチェは我慢できずに中国と国交のなかったグアテマラにまず逃れた。しかし、ノープランだったので途方にくれていると、華僑の弟子クリスティーンさんが、「ダライラマ14世に手紙を書いてくださったら、私がダラムサラまでもっていきます」というので、リンポチェ、ナイスアィディア! と手紙を書くこととした。

 以下、回想録の記述を見てみよう。

 法王に送る手紙というのは非常にフォーマルな文書だ。統一規格の大判チベット紙を使って、さら24折りに折って、16折り目から本文を書き始めなければならない。上の空白の部分は、法王の崇高な地位を尊敬することを表している。
 しかも必ずとがった竹ペン。つまりチベット筆に墨汁をつけてかかなければならない。そうやって初めて一文字一文字がきちんとそろってきれいに見える。それが伝統的なダライ・ラマ尊者への手紙の様式である。

 
 しかし、リンポチェはグアテマラにいてチベット紙も筆も入手できなかったため、黄色い原稿用紙に練りに練った文章を書いて送った。この書簡はダライラマ14世の手許に届き、リンポチェは無事文字通りニューヨークにいく切符を手に入れることができた。

 ダライラマ14世はリンポチェが書簡の中にかいた
私たちは文化大革命と『宗教改革』を口実にしっかり修行せず、その結果私たちの来世を害している」という言葉に特に感銘を受けて周りにもその件をみせた。リンポチェが中国の高級官僚になっても中国風の考え方に染まらず、仏教に対する誠実な思いが溢れていたことに感動したのだと思う。

 気さくなダライラマ14世はインドに亡命してからは儀式ばった拝礼を「あー、しなくていいから、いいから」と廃していたものの、アジャ・リンポチェの回想録には、昔ながらのダライラマへの正式な礼を記してくれているので個人的には面白かった。たとえばこの手紙の書き方以外にもダライラマ法王と面会する際には俗人も僧侶も正装すること、五体投地をすること、俗人が弁髪をもっている場合はそれをほどいて帰依を示すこと、などである。

 ここで私はふと、パソコンの中にダライラマ13世が大谷光瑞にだした書簡のpdfがあったことを思い出し、リンポチェがのべたような書式で書いているかどうか確かめてみようと思った。

 草稿のpdfをA3用紙に打ち出して余白をきりとって、まず半分に折ってみた。おお、真ん中の行の上に折り目がくる。次に、それを半分、さらに半分とおっていくと最後が三分割になったのでぐりぐり三分割に折り目をつけて開いて数えると、やったー! 24折りになっている。アジャ・リンポチェのおっしゃった通りである。

 そして、「小生(gus pa)」から始まる本文が何行目からはじまるか数えると(wkwk)、やったー下から16折り目からである。チベット側は大谷光瑞に敬意を表して書簡を書いていることが確認できた。

 以上、現場からお伝えしました。 
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DATE: 2017/12/19(火)   CATEGORY: 未分類
2017年チベット関係ニュース
早いもので今年ももうすぐ終わる。いつもはちょっと寂しい気がするのに今年はろくな事がなかったので(ついでに言えば去年もろくなことはなかった)、年が改まるのが待ち遠しい。来年はきっとよくなる。絶対よくなる。

 さあ、気を取り直して、お待ちかね、2018年のチベット・カレンダーが出ました。A4サイズで1000円です。チベットの祭り、ダライラマ法王、チベット高原の美しい風景などがあなたに一年よりそってくれます。こちらの頁からお申し込みができます。
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さて、今年も独断と偏見で選んだ恒例のチベット三大ニュース! 時系列でいきます。

1. 1月27日 エリオット・スパーリング急死

2. ダライラマ法王が外遊を二回キャンセル。8月17から20日に予定されていたボツワナ訪問、11月に予定されていた日本訪問も中止。

3. 9/11 ダライラマ、ロヒンギャ危機でアウンサン・スーチー氏に平和的解決を促す。


 1. エリオット・スパーリングはユダヤ系アメリカ人のチベット史家で、歴史研究でもフリー・チベット活動でもチベット界を牽引していたので、突然の死はチベット人を悲しませた。アメリカはフリー・チベットの本山なので、はやく彼をつぐような逸材の歴史家にして活動家が台頭してほしい(切実)。

 2. 今年法王様が二回海外訪問をキャンセルされたことで、不謹慎なメディアはハゲタカのようにダライラマ15世に関する話題を口にしはじめた。まあいうても1959年にダライラマ14世が亡命した直後から、「最後のダライラマ」という失礼なワードがかけめぐり、以後もダライラマが、体を壊したり、予定をキャンセルしたりすると、かならず次代のダライラマについての議論はでていたので、今にはじまったことではない。さすがに観音菩薩さまだけあって、チベット史上最悪の時代を生きているチベット人のためにもっとも長寿なダライラマとなり、いまも基本的にはお元気である。このようなキャンセルが起きてしまうのは、一つにはダライラマの側近のスケジューリング能力が極端に低いことがあげられる。
 普通に考えて8月にアフリカ、9月にロンドン、イタリア、北欧と訪問して、一ヶ月間かいてすぐに日本とかあの御年の人にくむ日程ではない。今でもダライラマにビザをおろす国力の無い華僑とか、タイ人の仏教徒はみずからダラムサラに赴いて法を授かっているので、個人的にはこれからは日本人も有志が出向くスタイルにする方が法王のお体に触らなくていいと思う。 
 2008年にダライラマ法王が政治のトップから退いたのは、チベット人が彼の力をかりずとも自分の力で社会を運営していけるように準備期間をつくるためであった。まもってくれる国もなく、楽ではない環境にいるチベット人の方がわれわれよりはるかにダライラマの存在によって救われている。だから、彼らの気持ちを考えれば、外野、とくにマスコミはダライラマの来世をうんぬんを中国VSチベットの安易な政治ネタレベルで扱わないでほしい。

 すでに〔もっとも情報が遅れていた〕日本でもチベットが中国共産党に「平和解放」されたというプロパガンダを信じる人はほぼいなくなったし、多くの人がチベット仏教を通じて仏教思想のエッセンスを理解できるようにもなった。これからはこの人類共通の精神文明をその価値のわかるものみなで支えていくことを考えなければならない。


3. ロヒンギャは直接チベットに関係していないが、ミャンマーはチベットと同じく仏教国であり、ミャンマー民主化の象徴であるアウンサン・スーチー氏が自宅軟禁されていた頃、ダライラマやツツ大主教がその解放のために奔走していたこともありあげた。輪廻やカルマを信じる仏教徒でもいろいろな条件が重なるとこうなってしまうという、人間の業の強さをこの問題では感じる。

 最後に、フリチベ・カレンダーについていた、「中国入国禁止をくらった有名人リスト」その出禁の理由を簡単に解説しましょう。中国当局の鎖国っぷりがようくわかります。18世紀にマカートニーが「北京にすんで貿易したいです」って言ったら、

乾隆帝「中国に住んで中国人と同じ格好して、二度とイギリスに戻らず中国の法に従ってイギリスとも交流しないならいいよ」ていってたことを激しく思い出しました。

レディ・ガガ 2016年にダライラマと会見した。
ケイティ・ペリー 2015年に台湾コンサートで、中華民国の国旗をふり、学生運動を象徴するひまわり(太陽花)をもったから。
マルーン5 ダライラマ法王80才の誕生日に祝賀ツイートをした。
ビョーク、オアシスらはフリーダム・チベット・コンサートに出演したから
シャロン・ストーン 2007年に四川大地震が起きた際「地震は中国のチベット自治区に対する扱いのカルマ」と発言したから。
17年のミス・カナダ、アナスタシア・リン 中国のメディアは最初は中華系の快挙!と大騒ぎしたくせに、彼女が中国の一党独裁や言論規制を批判するスピーチを国連でしたら、あとはご想像にまかせます。
ハリソン・フォード 中国における人権侵害を批判。スターウォーズの主役でも関係なし。
リチャード・ギア 言わずとしれたハリウッドでもっともまじめな仏教行者。
Selena Gomez インスタにダライラマとの写真をアップし2016年にビザ下りず。
ボンジョビ ダライマの映像をコンサートでたびたびつかって2015年にビザおりず。
マーチン・スコセッシ ダライラマ14世の自伝を映画化した「クンドゥン」の監督。アカデミー賞監督だって関係なし。

では、来年がみなさまにとってよい御年でありますように。
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