白雪姫と七人の小坊主達
早稲田大学仏教青年会 ウォッチング日記
DATE: 2006/03/30(木)   CATEGORY: 未分類
「ワセネコ」お飾り会長の苦悩
 「早稲田地域猫の会」のお飾り会長をつとめるわたくしは(そんなことまでしてたんかい)、猫の去勢問題については、政治的配慮から(笑)つとめて言及を避けてきた。

 しかし、ついにその重い口を開く時がきたようである。餓鬼道(雄猫)がのっぴきならない状況にあるからである。

 じつはこれまで我が家においては、自分たちの判断で猫の去勢をしたことはない。前代に18才で天寿をまっとうしたるり(メス猫)は、もともと他家が去勢したものが、いつのまにかうちにいついたので、去勢問題で頭を悩ます必要はなかった。

 三年前、餓鬼道を我が家で世話しだした時も、あたりに雌猫がいないこともあって、去勢は考えなかった。

ところが、今年のサカリはひどい。そのうえ、ある日を境に餓鬼道の耳がだんだんただれてきて、くしゃみをしだした。病院につれていくと、先生は「これはアレルギー症状であり、副腎皮質ホルモンの注射をしましょう」というので、してもらうと、餓鬼道は血を吐くような悲鳴をあげてオシッ×をち●り、家に帰ったら怒って二十四時間帰ってこなかった。

 そして、その日から彼は午前零時に一瞬家にはいってごはんをたべるのみで、一日中外にでずっぱりになった。サカリがついたらしい。ムリに家にとじこめようとすると、カーテンをよじのぼってまで出口を探すため、とてもとめられるような雰囲気でなはい。


 治療ができないので、アレルギーは日に日にひどくなる。そして翌日を境に帰ってこなくなった。二人で近所を名前を呼びながら探し(こんな恥ずかしい名前にしたおかげで、自分たちが恥をかく)、猫道はつねにあけはなし、ごはん置き場にはいつも好物のごはんをだして、帰りをまった。

毎日毎日、カーテンが揺れるたびに、帰ってきたかなと思い、夜になっても、猫の声が聞こえたような気がするといっては、飛び出して懐中電灯をつけて家のまわりを探し回った。

餓鬼道は白い猫なので白いものがちらりとでも動くとそれがスノードロップの花であっても気が散るので、仕事になりゃーしない。

待ち続けて三日目ともなると、二人の不安も頂点にたっした。

私が「きっとサカリがついて遠くまでいってるんだよ。この生あたたかい気候が終わったらもどってくるよ」というと

ダンナ「あなた大事なことを忘れている。あの大食漢がごはんを食べずにこんなに何日もいられると思う?」と後ろ向きなことをいう。

腹が立つので、FBIの人質解放プログラムにのっとって、暗いイメージのする言葉を禁止する法律を制定する。

そして三日目、二人の外出中にごはんだけなくなっていた。

心底安堵した私は「よかった生きていたんだ」というと
ダンナ「別の猫だって可能性はないかな」。

法律にのっとって処罰。

そして、翌日、餓鬼道は久しぶりにその姿をみせた。なぜか大して痩せていないものの、アレルギーはひどくなっており、鼻水と涙をたらしている。

しかも、ろくすっぽ食事もしないうちにまた家をでてしまった。

 ダンナ「餓鬼道を去勢しよう。去勢すればサカリがおちて、家におちつくようになるし、アレルギーの治療もできるよ」という。

 私も餓鬼道が楽になるのは大賛成であるが、人間の価値観で一個の生物からその生きる原動力の一つを奪うことは果たしていいことなのか迷った。

 "母親が受験生の息子に「●×ちゃん、性欲は受験勉強の邪魔になるから、去勢しましょうね。」といって去勢したら、その学生はどんな気持ちになるか" と私がいうと(これは笑い事ではなく、昔、中国の高級官吏登用試験科挙に受かるため去勢した男がいたらしい。)、

 ダンナ「人間と猫を一緒にするのはおかしい。このまま他の猫と喧嘩ばかりして、しかも病気の治療もしなかったら、すぐに死んじゃうよ。餓鬼道は自分でこの状態からぬけだせる能力がないんだから、人間の意志で判断するしかないんだ。だいたい、餓鬼道がこんなバカなことをしているのだって、本猫の意志というよりは、本能という名の煩悩がやっていることだろう?」という。

まあそれも一理ある。

去勢した学生が、東大にストレートで入って、いいとこに就職して、九十まで豊かな人生をおくったら、本人もまわりも幸せだろうし、一方、去勢をしなかった学生が、ガールフレンドを妊娠させて、育てられないから里子にだして、受験にも失敗し、就職もできず、はてはホームレスになって四十代でしんだとしたら、そりゃー不幸な人生だ(どこから思いつくんだこのストーリー)。

煩悩という名の物語だ。

しかし、何かがひっかかる。

誰かの人生を赤の他人が左右することについての、本能的な違和感である。

確かに餓鬼道はこのままだと短命に終わるだろう。それはわれわれにとっても悲しいことだし、餓鬼道にとっても不幸なことだ。しかし、本当にいいのだろうか。

尊厳死も同じことだ。ダンナのように「これが幸せなんだ」と思える人はいいが、私のように、人は神の立場にたってはいけない、という人はいるだろう。

前者の立場の問題点は、どこかに判断する人間の主観がまじるため、相手のため、と口ではいいつつも、そこには自分のエゴを反映させる危険性がつねにあるということ。

後者の立場の問題点は、命を左右するという責任は回避できるものの、自分の状態を自分で改善できない生き物はそのまま苦しみ続けるということである。

カソリックがバースコントロールをかたくなに拒み続けているため、途上国のカソリック人口が増えつづけ、教育や医療がいきとどかず、信者の大半が貧困な状態にあるのなんかはその典型的な例である。

あちらたてれば、こちらはたたず、

ちなみに、親不孝な餓鬼道は今日も帰ってこないため、この議論は棚上げされている。
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DATE: 2006/03/28(火)   CATEGORY: 未分類
外科と内科のバトルに勘違いマスコミ乱入
富山の市民病院で外科部長が人工呼吸をぬいたことで問題になっている。

当時のカルテには「家族の同意をえて」人工呼吸器をとりはずした、とかかれているらしいが、取材を受けた家族は「そんなこと同意してません」と、関与を否定しているため、騒ぎは大きくなった。

 この問題は病院関係者の内部告発から始まった。そもそも発覚の契機となった患者は、外科のベッドが一杯で、内科のベッドを借りていた人であった。その人は終末期となり、外科部長が呼吸器ぬきますという話をもれきいた内科の看護師が仰天して、院長さん(内科医)に相談したのである。

 外科と内科では同じお医者さんでもメンタリティが違う

悪いところをきってすてる、あるいはキレタところをつなぐなど、外科医の仕事は手術偏重。しかし、逆にいえば手術で対応できなかった場合、それ以後その患者に対して外科医は無用となる。その患者さんの前では外科医は非常に居心地がわるいであろう。

 一方の内科医は普段から慢性病や手術で対応しきれなかった患者さんを見ることをならいとしているため、最後まで患者さんのために手を尽くす。そこんとこが、手術が終わると「はい、さようなら」の外科のお医者さんと違う。

 内科医の立場からいえば、外科部長の行動はきわめてガサツであり、倫理的にも「神ならぬ人が他人の生死を左右した」ということになる。

内科医である院長は、おそらく外科部長は患者さんを早く楽にしてあげる、という美名のもとに、自分の無力さを思い知らされる患者を目の前からはやく消そうと、無意識的にこの道を選んだと疑ったのではないか。

で、これに対するマスコミの取材もどうかと思う。富山の片田舎に全国からおしかけて、患者の家族にマイクつきつけて「同意はしたんですか?」なんていったって、同意していたにせよ、同意していなかったにせよ、答えは「同意しなかった」しかないじゃん。

 だって、かりに同意していたら、必ず「○殺し」とかいう陰口たたく人がでてくるもん。で、こういう悪口いう人に限って、病院にろくすっぽ見舞いにもこない放蕩息子とか、遠くに住む親族とかなんだよね。家族のうち患者の一番身近で世話をしていた人が、患者の苦しみをみるにみかねて外科部長の提案に同意していたとしても、誰もそれを責めることはできないじゃん。だから、マスコミは家族の取材は遠慮しましょーね。

でだ。結論ですが、延命治療をするかしないかは、本人の判断にまかせるのが一番。

でも、本人に意識がなかったら?というのなら、ことあるごとに本人に尊厳死の可否をきく場をつくればいい。

コンビニで、免許の更新で、パスポートの更新で、尊厳死します?という欄につねに記入させるのだ。そうすれば、家族がつらい判断をすることもないし、ましてや赤の他人の外科部長が、人の生死の判断をくだすこともない。

ちなみに、わたくしは、回復の見込みなし意識なし、の終末状態になって、そのうえ肺に管をつっこまれるのは、絶対イヤ。死にかけているだけでも十分苦しいのに。それ以上なんて我慢できるかい。

それに、わたくしごときの延命に国庫から大枚を拠出するのも申し訳ないしね。だから、回復の見込みがなかったら、ぬいちゃってくださいよ、呼吸器。
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DATE: 2006/03/27(月)   CATEGORY: 未分類
わが研究室における潜在的危険の考察
本日、研究室に新しい書棚が二架はいった。業者がみえて、耐震のため床とか壁に穴を開けて書棚を固定した。しかし、いざ地震となったら高層階にあるこの部屋はものごっつゆれ、書棚ごと倒れないだけで、中の本は雨あられとおちてくるだろう(事実去年の七月の大地震の時、何冊かは床に落ちた)。

 天井近くの最上段においてあるちょっと厚めの本の角が、近い未来、わたしの死因になるかもしれないと思うと、じつにイヤな気分になる。

みたところ、最上段にはダライラマ本がならんでいる。ダライラマ本で死んだらさぞやわたしは物笑いの種になるであろう。

最上段にはRed Dragon とかの、中共のチベット侵略を記した書籍をおいておくほうがいいだろうか。ドラマチックなおちのつく人生になるから。

とか、無意味な思考に走る。

それから新しい書棚に本をいれようとするが、途中でつかれて放棄。

 図書館にいき、資料をコピーしたり、かり出したり、はねられた高額図書の申請をひつこく御願いする。買ってくれるまであらゆる手段をつくしてねばります。55冊で60万だから自腹で買えないこともないのだが、いかんせんおくところがない。それにやはりこうゆう史料集は個人藏よりは図書館にあった方がのちのちの研究者のためにもいい。

 わたしがねばりちらかしているこの史料は、清朝の宮中に御物をおさめる各工房(紙・筆・陶器・漆器・鍍金etc.)の出納記録である。この史料によって、乾隆帝のみのまわりにある日用品や贅沢品がいつ注文されどのような過程をへてできあがったのかとかが明らかになるのだ。すごいじゃあありませんか(え?そんなの知りたがるのはアンタだけだって?)。

とにかく、意義があるのである。

今日は仏青の面々はお寺の下見にいっているはずである。そういうわけで参加できなかったが、桜もさきだし、新歓ムードももりあがってきた。たった三人の人的リソースなのでどこまで健闘できるかは未知数だが、破顔君がいうように、せめて実働メンバーが四人くらいは入ってほしいなあ。
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DATE: 2006/03/26(日)   CATEGORY: 未分類
卒業式に「送る言葉」
大学の卒業式は涙と無縁である。

やっと自立してくれるのが嬉しいのか親御さんの表情はじつに晴れ晴れとしているし、コスプレのように大正時代の袴姿をきる女子学生、就活をへてスーツ姿も様になった男子生徒も、みなみな笑顔である。

よきかな、よきかな。

わたしは学生の写真係をつとめつつ、その笑顔をまぶしく見守る。

彼らに大学生活でつらかったこと、楽しかったことを聞いてみたら、単位が取れず卒業が確定していなかった六年生をのぞいて(笑)、みなが「その時つらかったと思っても、後で考えるとそれも楽しい思い出だった」と口をそろえていう。

そう、大学生活はパラダイスなのである。

中学や高校ではあわない先生、あわない同級生がいたとしても、クラスを変えることはできないばかりか、ほぼ毎日顔を合わせなければならない。

しかし、大学では友人や師弟関係が自分の好きなように選択できるために、人間関係に苦しむことがほとんどない。人間関係にこまったらそのサークルやバイト先やゼミを変えればいいのである。

というわけで、彼らは夢の中のように楽しい四年間を過ごし、いま社会人となる。

これからかれらは上司も同僚も選べない世界に入る。

人間関係に苦しむこともあるであろう。

親にも教師にしかられたことのない人が、上司や先輩に怒鳴られることもあるだろう。

一生懸命やった仕事が諸般の状況から評価されないこともあるだろう。

派閥間の悪口合戦に違和感を覚えることもあるだろう。

利益をだす、ということを至上命題に回る社会のしくみに疑問を感じることもあるだろう。

そういう時には、こうしてみよう。

まず、自分の側にまったく問題がないのかを点検する。それでもし自分の側にも問題があると思った場合にはそれを直してみて、もう一度トライしてみる。

かりに、また失敗したとしても、良識的な価値観にそって動いている限り、友達は離れることはないし、今評価されなくとも、いずれは何らかの形で自分にかえってくる。

一方、自分の側に問題がなく、回りが悪いと思った場合にはどうするか。この場合、客観的にいって環境に問題がある場合と、自分に問題があるにもかかわらず、それを正しく認識していないため他人のせいにしている場合がある。

この二つのいずれかであることを見分けるには、事情をよく知る人格者の第三者(地位や金に関係なく、何もしなくても回りに人が集まってくるような人格者ね)に相談してみるといい。

その人が、環境に原因があると指摘したならば、あなたの認識は客観的にいって正しいので、環境を変える努力を行った方がいい。

一方、その相談相手が、あなたの思う通りの答えをいってくれなかったら、おそらくかなりの確率で、原因はあなた自身にある。その相談相手は本人を目の前にしているので直接はいいづらいだろうが、遠回しにあなたの思い違いを指摘していないか。

この時、自分の弱さや欠点を自覚して自分をフィックスすることに踏み出す人と、問題を常に外にみいだし、自分は正しい」と思いこむ硬直化した思考パターンに逃げ戻る人とで、人生の進路は変わってくる。

様々な経験の中で他者とうまく交流し、自分を変えていくことのできる人には、無限の成長の可能性があるが、自己の思考パターンにはまりこんで、自己の行動・思考形式を改めることのできない人間は、孤独に生きねばならない。

失敗や挫折を自分にフィードバックし、それをどう乗り越えるかによって、幸不幸は決まるのである。

もう一つ。

社会にはいろいろな人がいる。
自然界に毒蛇やサソリといった他者をきずつける生き物がいるように、人間界にもそんなのがわちゃわちゃいる。
会社とかエラソーなこといっても、色と慾のうずまくただのサル山だったりする。

しかし、それを批判して「〜あるべきだ」などと声高にさけぶのは、毒蛇やそさりを批判するのと同じくらい、意味ないことなのです。

それよりも、心揺らすことなく目の前の仕事にもくもくと誠実にうちこむのが、結局は幸せへの早道なのです。







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DATE: 2006/03/25(土)   CATEGORY: 未分類
ファミレスの夜、創出される仏青の新たなる伝統
昨日、例によって疲れる会議が終わった後(といっても会議資料の裏に論文の構成とか書いている不良だが)、仏青の部室に急ぐ。

声明の流れる中、破顔、Q熱、ほとけどじょうの現役三氏と白雪姫は、新歓打ち合わせをやる。

ほとけどじょう君がかり出してきた小野梓の二冊の伝記、部室のかたすみにひっそりとあった過去の遺品(謎の写真・謎の色紙)などを前に、19世紀末期に西欧を席巻したインド・オリエンタリズムとか、日本の仏教復興運動とかについて語りあう。

そして、学生会館前のファミレス(サイゼリヤ) に河岸を変えて、夕食を食べながら新歓イベントについて話し
合う。


とりあえず、四月八日にお釈迦様のお誕日「お花祭り」に、新歓イベントを行おうということになる。

「お花祭り」。この日は日本全国のお寺で甘茶をお釈迦様におかけするというイベントが行われるので、大学近郊にあるお寺に新入生をつれていき、お祭りに参加しつつ、お釈迦様の生涯について思いをはせるのだ。

お釈迦様の誕生と同時に、新年度が始まる、ぴったりではないか。誰とはいわないけど、暮れの押し詰まった寒い夜とかにお釈迦様が生まれなくて本当によかった。

で、どこのお寺のお花まつりにしようかと、護国寺(早大とゆかりが深い)、放生寺(学生会館から近い)といろいろ候補をあげて、検討した結果、「早大キャンパスを仏青の視点から案内してまわり、そののち、雑司ヶ谷の鬼子母神にてお花祭りに参加し、そこからメジロ不動にまわるルートがいいのではないか」と衆議一決する。

お寺への連絡を破顔くんが引き受ける。これが来年から恒例行事となるといいなあ。

そして、三月末からはじまる国立博物館の「最澄と天台の美術」に行くという案もでる。その際のネックはあの人混みである。国立博物館のあの芋の子を洗うような人でではとても説明とかはできない。もしあまりにひどいようだったら、特別展は各自みて、常設の東洋館でひっそりと仏青交流もいいかも。
これはゴールデンウィークのイベントだな。

といろいろ案が固まってくる。ほとけどじょう氏は、次期幹事長たるQ熱氏に「自分から動いてね」としきりに活を入れている。一ヶ月前にはまったく存在しなかった一体感とやる気が、いつのまにかわれわれ四人の上に生まれている。

白雪姫「もし仏青をたてなおせたら、われわれは中興の祖として後々まで名を残せるぞ。そして来年からは活動を新入生にまかせて楽隠居だ。私も通常業務にもどれる。がんばれ。苦しいのはこの一年だ。」とすでにかなり疲れの入った檄を飛ばす。

この一年で仏青のアイデンティティの再確立を行い、次代に伝えよう、と話がついたところで、仏教オタク四人は、はたから聞いているとかなりオタク度の高い雑談をかわしつつ、じょじょにそれにのめりこみ、サイゼリヤの夜はふけていったのであったった。
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DATE: 2006/03/22(水)   CATEGORY: 未分類
桜咲く(のか?)
仏教青年会のホームページがリューアルした。
120周年を迎えるにあたっての(前に"来年"と書いたのはマチガイで今年でした)ほとけどじょう氏の意気込みを感じる。

つい最近気がついた120周年である。
誰からも忘れられていた120周年である。
でも、気がついたからにはお祝いしたいなあ。

三人しかいないけど・・・。

ほとけどじょう氏は記念誌の発行を夢見ているが、なかなかいいアイディアである。

仏教の知識の多寡を問わずにみんなで参加できるため、部員同士の相互交流が深まるし、仏青のアイデンティティの確立にも利する。

仏青の歴史は以下のポイントをついて調べるのがいいかと思う。

1.西洋の侵略に対する反感から、アジアにおいて自国の伝統思想のみなおし運動がおきる。仏教青年会運動はおそらくその一環。→世界史の中の位置づけ

2.早大の建学とほぼ同時に早大仏教青年会が誕生する。
→早大史の中における仏青の位置づけ。

3.戦中・戦後にはたぶん国策に迎合してすごいことになって
(2.3番はローカルなので、大学史資料センターに住み込めばいずれ解明するだろう)

4.戦後、ナショナリズムを鼓吹する必要がなくなり、かつ高度成長期の物質主義におされ、やる気のある人のいる時代にやや盛り返すものの、活動は全体に低調に。→仏教と現代とかいうチンプな視点できりましょう。

(4番は仏青OBを訪問して聞き取り調査をするといいです。部室に資料もあるかも)

で、記念誌つくるとしたら、この四段階のうちもっとも簡単な四番、戦後の歴史を、新入生のみなさんに担当していただくと(新入生来ればだけど)。

ちなみに、仏教の基礎知識すらない新入生は、私の半期の授業に聴講にきていただき基本的なものを身に付けてもらう(てか、わたしも基本しか知らないし)。

そして、二番と三番は難易度があがるので、破顔微笑、ほとけどじょう、Q熱リケッチャの現役三氏に健筆をふるってもらう(しかし三人ともひどいハンドルネーム)。

新入生どうしが聞き取り調査をつうじて相互の交流をふかめれば、来年から何もしなくとも、自力で回りだすだろう(甘い期待)。

新入生が来ればだけど。
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DATE: 2006/03/21(火)   CATEGORY: 未分類
イチローは日本人の神
原稿用紙たった七枚の仕事がなかなかできない。ぶろぐの文章書きちらかすのにはまったく時間がかからないのに、なぜ仕事となると書けないのか。

昔、体を鍛えようとバーベルをはじめた人が、まったく持ち上がらなくて、「じゃあ明日にしよう」と片付ける時には、バーベルを無意識のうちに持ち上げて倉庫に持って帰るとギャグがあったが、私の場合も同じ。同じ文章書くのでも、気の持ちようでできることもできない。

ダンナがじゃあぶろぐを書くつもりで、書いたら?というので、それはいいアイディアと、そのつもりで書き出したら、口語すぎてまったく使えない。さりとて品格のある文語で書こうと思うと、また筆がとまる。

しかも、十一時から野球の世界一きめる日本×キューバ戦がはじまり気が散るのなんの。

一昨日の日韓戦よりにわかナショナリストになった私はちゃんと見る。

途中、日本がピンチに陥るたびにテレビを消しつつも、調子があがるとテレビをつけるため、消している間は気になるし、つけてりゃ全然進まないしで、一向に仕事ははかどらず。

そして、今、なっちゃったよ世界一。

今日は休日だから、日本中のオヤジがテレビの前で昼酒しながら「やっとぅあああああああ〜」とかいう奇声を発していることだろう。

かくいうわたしも、イチローあんた神や! 福留あんたもや。とかいっているうちに、もう夕方である。

もうやめだ、やめだ(そして冒頭に戻る)。
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DATE: 2006/03/20(月)   CATEGORY: 未分類
浪花節だよおっかさん
大学の新歓活動期間は四月三日の入学式から一週間と聞いている。この期間大学構内は無礼講となり、各サークルはキャンパスの露天に机をおき、自らのサークルを宣伝し、部室を開放して、あの手この手で新入生の気を引く。

仏青もなんとかしなければいかんわけだが、いかんせん、実働メンバーはわずか三名。この人数で、各キャンパスでの勧誘、部室のおるすばん、ポスターはりをすべてやることは不可能である。

どこからか労働力を借りられるといいのだが(もれきくところによると、日本女子大との交流があるとのことで、そのセンから猫の手を拝借したいところである)。

そして、次の問題は、猫の手であれ、実働メンバーの三名であれ、新入生が部室を尋ねてくれた場合、彼らにうまくアピールし、彼らの質問に答えることができなければ、誰も入会しないということである。

そのためには、実働メンバーの三名ならびに猫の手は、新歓マニュアルを共有することが早急に必要であろう。

それから、少ない人数で効果的なヘッドハンティングを行うためには、やはり会長の岩田孝先生がおわします文学部の東洋哲学科における勧誘は重要であろう。

しかしまあ、普通の新歓ならそうなるわけだが、この限られたリソースを用いて現実的にできることといえば、ずばり

「泣き落とし」

しかないであろう。

もう窮状を包み隠さず新入生に話して、「あなたたちが入ってくれなければ、この歴史あるサークルが消滅するんだ」と彼らの使命感に訴えるのである。

事実、仏青は来年創立120周年を迎えるというのに、120年記念事業(記念誌の作成・講演会・OBも含めたパーティ)などを企画しようにも、この人数(三名)で何ができるっちゅーのよ。

ウソやこけおどしで一瞬新入生の気を引いても、そのウソがばれたり、実体の貧弱さがばれたら、まともな神経をもっている新入生ならすぐに見限ってしまう。しかし、最初から悲惨な現状を話しておき、それでも協力してくれる人を探していけば、その人はちゃんと残ってくれるし、協力もしてくれる。

ガンディーもおっしゃっておられる、「真理より強いものはない」と。

でも、意外にいけるかもしれないよ、このワザ。人は浪花節に弱いしね。

そのような精神に基づき、実働メンバー三名に石濱謹製の新歓マニュアルを送る。
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DATE: 2006/03/18(土)   CATEGORY: 未分類
青年會の歴史が秘密のベールをぬぐ
私は昨日行われたという仏青会議の結果を聞くために、部室を訪れた。

ドアを開けると、ほとけどじょうくんが一人ぽつんと座っていた。

彼いはく、実働メンバーはやはり三人くらいで、その二人は新歓に非常に前向きとのことであり、まあ、いい結果であるとする。

新入生の入会にあたって想定されるトラブルについて、その対処法を伝授する。

新歓ポスターのカラー印刷がうまくいかないというので、印刷を引き受けることとする。そんなことくらいはおやすいご用ですよ。

新歓のバンフレットには果たして宣伝になるのか否かは謎であるものの、私の推薦文を入れることとする。
その際私が、
「早大二代目総長小野梓との関係とかをもっと前面に出しては?」と提案すると、

ほとけどじょう君いはく
「じつはこの小野梓との関係は仏青のOBは盛んに口にするんですけど、裏がとれていないんですよね。口伝の段階で新歓に使うわけには」というので、

じゃあ、この機会だから、小野梓先生の伝記を調べてみよう、ということになり、ほとけどじょうくんは中央図書館にむかった。

わたくしは大学史史料センターに電話を入れると、担当者は仏教教友會がだした、小野梓のパンフレットをみつけてくれ、「小野梓先生は仏教に造詣が深かったのは確かです。しかし、なにしろ120年前でまだ早稲田は専門学校時代ですよね。今のサークルにあたるようなものがあったかどうか」とのこと。とりあえず、ほとけどじょうくんら仏青メンバーが調査に伺うかもしれない旨を伝えておく。

 その日のうちにほとけどじょうくんは小野梓の伝記をかりだし、仏青の前身が早稲田教友會らしいことをつきとめてくれた。

 この話をダンナにしたら、ダンナがしばらくして「あなた、これ面白いんじゃない」と早稲田の公式ホームぺージから以下の記事を見つけてきた。


早稲田大学の生みの親である大隈重信と小野梓を本尊に見たて、この二人を取り囲んで、草創期の学宛の基礎を築いた功労者である高田早苗、天野為之、市島謙吉、坪内逍遙の四人を「早稲田の四尊」と呼んでいます。

 事実、私たちは大隈銅像の傍らに立って周りを見渡したとき、この配置が実際に形づくられているのを見ることができます。

 大隈銅像のすぐ脇に高田の坐像があり、その背後に建つ7号館に小野講堂があって、そこに小野の胸像が中央を向いて建っています。そしてこの広場を西側から見守っているのが、天野の提唱で開設され、彼が初代科長となった商学部の建物があり、南側に市島がその充実と発展に力を尽くした旧図書館が、北側奥に坪内博士記念博物館が配置されています。

 つまり早稲田大学は、そのキャンパスの構成から研究・教育の理念に至るまで、今日もなお二人の本尊と四人の脇侍像を中核として構成されているといっていいのです。

(http://www.waseda.jp/jp/okuma/people1/people102.html)

なんと、大隈重信公と小野梓公は一心同体でかつ仏様であったのだ。

そいで、高田早苗等四人の脇士までいるのだ。そして建学の精神には仏教が重要な役割を果たしていたのだ。

にしても、なんじゃこの文章わ。

 早稲田大学を卒業し、そこで教員をやっているとはいえ早稲田精神なるものは一度も自覚したことはなかった。

しかし、仏教の二文字がでることによって、俄然愛校心がわいてきたのは、なぜであろうか。

仏青やはりこのサークルは消滅させてはいかん。
おしゃかさんの名にかけて、そして、早稲田大学の名にかけて、
ぐわんばれ仏青!負けるな仏青!

(私もちょっといかれてきました)
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DATE: 2006/03/16(木)   CATEGORY: 未分類
私をウルカに連れてって
昼、某駅前のカフェにおいて、JTBの担当者の方とお会いする。じつは、何か早稲田のエクステンションセンターが、早稲田の先生をつかってJTBと提携して、スタディ・ツァーをやっちゃおうみたいな企画をたてており、それにいつのまにか乗せられてしまったのである(担当の女の子が可愛かったので断れなかった)。

世の中の方は、大学の先生は人のお金で旅行して、生徒までひきいて、さぞや気持ちのいいものであろうなとか思ってらっしゃるだろうが(え? 思ってない?)、じぇんじぇんそんなことはない。

当然のことながら、研究も調査もするなら一人の方が身軽。それに観光客ウケするところと研究者ウケするところはじぇんじぇん違うのである。

チベット旅行のハイライトといえば、古代チベット王朝のハイライト、ヤルルン渓谷にたつ、ユンブラカン宮とか、タンドゥク寺、そしてチベットの都ラサにたつ世界遺産のポタラ宮とトゥルナン寺とくるわけで、当然、センターもJTBさんもそこに行けということになるわけだが、
私はそのようなメジャーどころには興味ない。

そういえば私は毎年のように北京にいくが、あのちょー有名な万里の長城に一度もいったことない。時間があれば、北京市内のチベット寺か本やを回っている。

私が今チベットで一番行きたいのは、ダライラマ二世の開いた聖地、ラモイラツォ(女神の湖)とそのほとりにたつチューコルゲル寺。この湖は歴代ダライラマにゆかりの地をうつしだすという神秘の湖。

また、今ちょうどその伝記を翻訳しているツォンカパという聖者が、神秘体験をえたウルカのオデグンゲル山のふもとの聖地にもいきたい。

あとね、これまたツォンカパ四大事績の一つニェルのルンラのあったニェルの地。

「ここいってくれるんじゃなきゃ、ツァーやんない」とごねまくったのに、第一候補は「道が悪くて、ランクルに分乗するとコストがかかる。それに、時間がかかるので有効な日程がくめない」と遠回しに却下された。

また、コストだよ。

学者はコストなんかしったこっちゃないんだよ。こういう人を相手にするわけだから、担当者も大変である。

とにかく、ウルカくらいはいく。ウルカに行けるまではごねてやるううううう。

それに、前にスタディツァーやった時に、どこが一番印象に残りました?と、生徒さんの一人に聞いてみた。豪華なボタラ宮か、それともラサの大聖堂のトゥルナン寺かと思いきや、「チベット古代王朝の祖ソンツェンガムポ王の墓だ」と答えた。

この場所は私がごねてつけくわえた地で、ランドクルーザーに分乗してヤルルン渓谷をさかのぼってつく場所で、たどりつくと古代の碑文と古墳が麦畑の中にたっていた。ドハデな寺院はいくつも見ているうちにどれがどれだかわからなくなるが、確かに、あの深閑とした墓所は印象的だった。

だから、何もないとこでも意外とお客さんには受けるんですよ。
誰かがいってたけど「廃墟を見る目は歴史を見る目」なのだ。人々は廃墟にこそロマンをみる。
ウルカたぶん何もない。けど行きたい。担当者の方このブログよんでたら、

「私をウルカにつれてって」(それ以前にこの旅行成立するのか?)
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DATE: 2006/03/15(水)   CATEGORY: 未分類
その感動プライスレス
昨日、弊研究室におきまして、担当者との話し合いが行われた結果、拙著『チベット仏教世界の歴史的研究』の復刊が正式にきまりました。

復刊ドットコムの投票などによって応援してくださったみなさま、本当にありがとうございました。この場をかりてあつくあつく、御礼申し上げます。

本書はわたくしの博士論文を多少加筆して出版したもので、モンゴル・チベット・満洲(元朝・清朝)の社会や文化がいかにチベット仏教の大きな影響のもとに動いていたのかを明らかにしたものです。

自分でいうのもなんですが、けっこう画期的かつ刺激的な研究です。

内容は当然、チベット語、モンゴル語、満洲語がとびかうファンタスティックな世界。つまり、ひらたくいえば本書は思いっきり学術文献なのだ。

学術書を出版するための垣根は高い。

売れないので、こちらがすべてお金を準備しなければ出版社が協力してくれないのである。そこで、研究者は学術出版補助してくれみたいな申請書を国に提出する。

国は申請者の研究者としてのキャリアとかを見定めて、費用を助成するか否かを決めるのだが、その際にはだいたい申請額を半額くらいに減額してくる。すると、学術出版を扱いなれている出版社は、この減額分をみこして予め二倍の見積もりをだして、減額されても自分のところがふところをいたまないようにしたりする。

わたしはこういうやり方が好きではないので、知り合いの先生の紹介をたどり、そのような意味であまりすれていない東方書店さんを紹介していただいた。

なので、私のこの本は半額は国費を頂戴しましたが、半額は私の自腹が入っております。文字通り私の自腹から生まれた子供なのです。表紙のデザインも趣味で転法輪にして、とってもステキな仕上がり。

本当に嬉しかったので、アエラにコメンタリー書いたりして自著を宣伝しまくって(笑)、数ヶ月でソールドアウトとあいなった(学術出版なので部数も少ないしね)。

ところが、それからが大変。

内外の研究者から「あなたの本を買いたいのにかえません」という問い合わせが相次ぎ、出版社に再版をかけあったものの、学術出版の再版はリスクがたかいので、難しいの一点ばり。

歴史の論文は実証的、文献学的なものになると、17世紀のものだってちゃんと現在でも問題なく研究に使用されている。経済書や時事問題を扱う書籍や理系の学術論文などはその時々のはやり廃りですぐに淘汰されるが(わたくしが生まれる前にしんだ父の一番上の兄、石濱知之は九大の経済学者であったそうだが、彼が無数にだした経済書はいまどこにいったんでしょうね)、良質の歴史研究書というものは息が長いのである。

なのに、わたしの学術書はこれから数百年後の人々にまで利益をもたらすかもしれず(大げさ)、かつ、人類の知的遺産の一角を(チョー最底辺で)形成するという理念的な意義もあるにもかかわらず、再版は利益がでないので難しいということ。


そう、学問は利益とはもっと遠いところにあるもの。

わたしがこの学術書をかきあげるためには、多大の時間をかけて、チベット語、モンゴル語、満洲語、清朝漢文にしたしみ、その読解力をみにつけ、かつ、現地の文書館にかよい手書きで宮廷文書をうつし、本を背負ってかえり、それを読みといた末にできあがったものである。


青春をパソコンと史料の前で過ごしたのである。この本にわたくしが投下した資本はプライスレス。だいたい、お金なんて考えていたら研究者なんかにはなれない。

よく、「ぼく(わたし) は勉強がすきだから研究者になりたい」という人がいるが、そんな簡単なもんじゃない。いつ、就職できるかなんてわからない(ていうか、かなりの確率で研究者としての就職はできない)、将来に保証はなにもない(研究者を諦めた時は普通の就職も年がいってて難しい)、でも、おもしろいから研究はやめられない。そのような人でなければ、所詮はつづかない。研究は受け身の勉強とは違う。自分の頭でオリジナルをきりひらいていく能力がなければ、研究者にはなれないのだ。

昨日の出版社との会見の趣旨は私の印税放棄の言質をとることだったよう(トホホ)。

一週間で書いたような(そしてすぐに消えてしまう)一般読者向けの原稿は、原稿料がでるのに、私の青春をついやし(そして千万載まで後世に残る?)た学術文献は一銭の価値もうみださないのである。
どころか、出版の際にはわたくしのふところと国民のふところを傷つけ、今は復刊ドットコムさんにまで迷惑をかけねばならないのである。

世の中どっかおかしいよな。

しかし、やはり再版は嬉しい。これはお金には換えがたい喜びである。(金にはならなくとも) やっていること自体に意義があると思えるような仕事ができたこと、そんな(金にならない)ものに対して協力してくださったみなさまの心意気が嬉しいのである。

関係各位、本当にありがとうございました。
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DATE: 2006/03/13(月)   CATEGORY: 未分類
確定申告が確定しない深刻
この延髄反射のようなオヤジギャグが示しているように、私は今疲れている。

確定申告の期限は十五日に迫っているというのに、書類がぜんぜんそろわない。

そもそも、わたくしには書類が満足に書けないという障害がある。
そのうえで、書類を書く上に必要な書類をとっておくことができないという二重の障害をもつうえに、
パソコンが苦手なので、ダンナにすがりつかないとそもそも申告書類の記入もできない三重苦。
「確定申告のヘレンケラー」とよんでくれい。

ダンナの前に書類をそろえると、ダンナは眉間にしわを寄せながらパソコンで書類を作成してくれる。

そして、私にいろいろ下命がある。
「固定資産税の領収書は?」ときかれたので、わたくしはいろいろな重要そうな書類がはいってそうな袋をさがしまわるが、一向に見あたらない。そこで、都税事務所に電話ですよ。
これを皮切りに、まあありとあらゆる問い会わせならびに、領収書の再発行をすることになるわけですよ。

そいでやっと、控除のとこまできたんですけどね、おくさん。
しかし、今度は自分が何の保険に入っているかなんて覚えていないわけですよ。
だって、貯蓄型ばかりで、入って数年たてばもう記憶の闇の彼方なんだもん。
そこで、わずかな手がかりを片手(平成八年度の書類とか)に、保険会社に電話をかけ

「あのー、私そちらでどんな商品にはいってましたっけねー」とかいうはめになるわけ。

そいで苦労したわりには「契約した最初の年に控除を受けたら、今年はできません」とかいう返事がかえってきたりするわけです。

いい加減つかれてきたところで、ダンナ
「あなた寄付は控除になるのよ」という。
そこで地引き網のように記憶をたどると、その網の中からは、去年の前半とある自然保護団体にオンラインで寄付をしたような記憶が浮かび上がってくる。

しかし、通帳みてもついてないし、だんだん自分の妄想だったような気もしてくる。
しかし、念のためその団体に電話して
「あのー、私は去年の七月頃、○×円の寄付をしたような気が」
「ありがとうございます」
「でも、あのですね。通帳をみるとついていないので、ひょっとすると私の妄想かもしれないんです。でも、年賀状をそちらから頂戴したので、ひょっとすると妄想ではなく払い込んだ可能性もあるんです」などというかわいそうな人みたいな電話をかけることになる。

私も悲しいが電話を受ける人も悲しいであろう。

一つ気づいたことがある。自然保護団体は月曜日の午後はみな担当者は会議で席をはずしている。同じ会合に集まっているのだろうか。ってどーでもいーわい。

果たして、確定申告はいつできるのか。

最後に仏教ぶろぐらしく、一言豆知識から。
仏教は出世間の教えであるため、僧侶はいにしえから免税措置をうけておりました。
そのため、昔から税金逃れのために出家する人がいたため、国家はそれを規制するのが大変でした。

みんなが僧侶になっちゃったら社会はまわらないからね〜。

東アジアは国家権力が強かったから、とにかく僧侶の資格を国家の許認可制にして、不品行な僧侶は容赦なく資格を剥奪するような取り締まりを行っておりました。

インドや東南アジアでは僧団は王権より高いとみられており、王権は僧団をバックアップしてナンボというものだったのですが、東アジアにおいては「納税」を契機に、僧団は国家権力の下位につくことになったわけですね(て、まったく印象で書いてます。調べてません)。
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DATE: 2006/03/11(土)   CATEGORY: 未分類
男という名の物語
我が家には餓鬼道という雄猫がいる。

餓鬼道とは六道輪廻(天・人・阿修羅・餓鬼・畜生・地獄)のうち、つねに飢渇にさいなまれている幽鬼たちのゾーンである。
なぜこのような名がついたかといえば、文字通りオソロシイ大食漢で、肥満しているから。

それでも、我が家の専属になった当時はそれなりに愛らしい白ブチ猫であった。

しかし、定職をうると同時に急速に凶暴性をまし、喧嘩を繰り返しては、大けがをし、怪我が治ってきたかと思うと、すぐにリベンジにむかい、また負けて大けがして寝込むというデフレスパイラルにおちいった(そして現在にいたる)。

そのバカさ加減から、一時は修羅道(戦いの業にとりつかれた人々)と名前を変えようかとも思ったが、大食漢であることには変わりないので、修羅道は季節性のミドルネームにとめおくことにする。

思えば、餓鬼道は猫に生まれた時点で畜生道におちている。つまり、彼は、畜生・餓鬼・修羅・地獄の六道輪廻のうち四つまでの極悪ゾーンを上下しながら生きてきたのである。

餓鬼道の喧嘩は春先になるといっそう激しさをます。さかりがつくからだろう。

そして、つい先週の日曜日も右の後ろ足に大けがをした。右後ろ足を地につけず、三本足でかえってきた時は、後ろ足は骨折か脱臼かと思った。

六日たった今日くらいからやっと、まあまあびっこをひきながらも歩けるようになった。
と思ったら、とたんに高歩き復活である。いい加減にしろといいたい。

たとえ喧嘩相手の雄猫に勝とうとも(勝ったことないけど)、このあたりには雌猫なんていないのである。

われわれは餓鬼道以外の知らない猫にごはんをだすわけないのだから、えさ場をまもる必要もない。

何の意味もないのに、彼はただ春という季節にあおられて、死闘を繰り返すのだ。

男という名の物語である。

わたしは山田洋次ではない。
したがって、男の愚かさを見守るような懐の広さは持ち合わせていないので、餓鬼道を前に
「いい加減にしなさい。何の意味があってこんなことするの?」と説教する。

しかし、まったく聞いちゃいない。猫とはいえやはり男である。
『話を聞かない男・地図を読めない女』(青春出版社)である。

一方、同じ男でも愛鳥ごろうの春はじつにさわやか。小鳥は男同士のみにくい喧嘩の結果、かったもんが雌を手に入れるなんて野蛮なことはせんのである(すくなくともインコはそうである。猛禽類はしらん)。小鳥の女の子は自分が一番美しく、声のいい踊りのうまいとおもった男の子をえらぶのだ。

小鳥は文化的なのだ。

だから、小鳥の男の子は女の子にモテようと、春になるといっそう美しくなり、愛らしくなる。

ヨレヨレのぼろぼろになってく餓鬼道とは好対照だ。

仏様の覚りの境地を象徴的に描いた経典に『仏説阿弥陀経』がある。この短い経典には、極楽の大地は宝石からなり、空間には美しい鳥のさえずりが満ちているという。

ごろうを見ていると確かに、この生き物は限りなく美しい世界に属しているように見える。六道輪廻でいえば最上層の天界か、それ以上である。

私が一応人間ゾーンに属しているので、我が家の六道輪廻はこれにて完成。
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DATE: 2006/03/08(水)   CATEGORY: 未分類
一夫多妻タコオヤジにみる世の中の不安感
つ、つ、つかれたあああああ〜。

昨日は例によって、相も変わらず、なが〜く、そして内容も●×な会議どした。
こういっちゃなんだけど、何かどーでもいーことに長大な議論がつづき、不毛に消耗した。

数時間をダイジェストでお伝えすると、

「たんたんと自分の立場を説明し、みなの同意をもとめる人」がいるとする。
それに対して、「こうあるべきだという人」(以下、あるべきだ星人)が反論。
最初の人が同じように「たんたんと御願いします」と繰り返すと、
「あるべきだ星人」の長広舌にスイッチが入る。

彼らによると、今の状況は非常に危機的であり、自分の言うとおりにしないと大変なことになる、という。

とうぜん、構文は「〜しなければ、〜が割れてしまいます」「異常です」「許してはなりません」などの激烈なもの。

これら「あるべきだ星人」は、自分の言葉に自分で興奮していき、時間をおうにつれ激高し(むろん、本人は真っ当なつもり)、まわりに不快感・不安感を与えることを特徴とする。

人の意見を動かそうとして、不安感をあおる、危機感をあおる、というやり方をする人をわたしは好きではない。

あるべきだ星人には、自分がそれほど危機感を感じていないものの、人を操るために意図的に危機感を演出している人と、被害妄想の気があるため、本当に危機的状況だと思ってまわりに危機感をあおるタイプの二種類がある。

何にせよまわりに迷惑をかけるという点では両者の害は変わりない。

前者としては、少し前ニュースをにぎわした一夫多妻男などがあげられる。一夫多妻男(以下タコオヤジ)がどうやって女性をだましていたか、という手口をみたが、タコオヤジは求人情報でやってきた女性に「宇宙人が攻めてくる」とか不安感をあおって、「自分と同居すれば大丈夫だ」と安心させて女性たちを共同生活にひきこんでいたという。

わたしにいわせれば、あのタコオヤジと同居するくらいなら、宇宙人が攻めてくる方がなんぼかマシである。

何にせよ、あのタコオヤジは女性を働かせて、自分が樂に生活するという目的のために、危機感、不安感をあおり、女性たちを操っていたのである。

世の中、世界が終わるようなことはそうそう起きようもない。かりに起きたとしても、その時はその時で、じたばたしてもしょうがない。どーせ死ぬんだから。

所詮は短い人生である。生きている間くらい、お互い仲良くゆずりあった方が品格のある人生が送れるというもの。

なので、みなさん「あるべきだ星人」にならないように、日々精進しましょう。

「〜ちゃん、勉強しないと将来大変なことになるわよ」なんて言い方で子供に勉強をやらせちゃいけない。子供が勉強を嫌いになるだけ。

「〜ができないと、僕はもう死ぬしかない」とかいって、自分で自分に対してあるべきだ攻撃をしちゃいけない。自分が自分を嫌いになるだけ。

「あいつを倒さないと、オレたちがやられる」

「満洲は日本の生命線である。これをとられたら日本は終わりだ。」とかいって世の中を戦争にむかわせちゃいけない。てか、これで、日本は一度終わったやんけ。

不安感・危機感とは、何もうみださない不毛な感情である。
しかもこれは、疑いなく、オノレの心のひ弱さが、不必要に世界を強大あるいは醜悪にみせている結果、おきているものだ。

たとえ体が健康でも若くても、不安感にさいなまれて、まわりに迷惑をかける人はいるし、かりに死の床にある人でも、不安感も危機感もなしに平穏な心で日々をおくる人もいる。
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DATE: 2006/03/05(日)   CATEGORY: 未分類
一切を知るお方"ダライラマ"
 今年はじめに南インドのアマラーバティでダライラマ猊下主宰のカーラチャクラの灌頂儀礼が挙行された。

例によって、世界中から20万人の人が、ハイデラバードから列車で四時間のこの小さな町に集結したらしい。

 このカーラチャクラの灌頂に参加した尼僧の方と昨日の晩お会いした。

 彼女によると、儀式の行われた地、アマラーバティは、中観思想の開祖にして密教者として知られるナーガールジュナ(中観のナーガールジュナと密教のナーガールジュナをチベット人は同一人物と考えている)の生地とされる場所である。

 ダライラマ猊下はこのカーラチャクラを期にナーガールジュナの研究所をこの地にたてようとしているか、あるいはたったとかの話である。

 余談であるが、アマラーバティの地元はこのカーラチャクラの経済効果でウハウハで、ダライラマ猊下バンザイだったそうである。

難民が受け入れ国の経済に貢献するのなんて、チベット難民だけだよ(笑)。

 このカーラチャクラ灌頂の儀式次第は、最低でも一週間かかる。そして、儀式の合間合間に述べられるダライラマ猊下のお話は、カーラチャクラの解説から非常に一般的な教えに至るまで広範なものとなる。

 その尼僧の方も、ちゃんとくだんの一週間参加していたところ、ある日一人のチベット人の男の子が

「家に帰るお金がないから、五ルピーちょうだい」

と、ねだってきたのだそう。

 その方は、「子供にお金をみだりにあげるのはよくない」とは思いつつも「五ルピーくらいなら」と男の子に五ルピーあげた。すると、男の子は「へっ」とバカにしたような顔をしてさっていき、後味が悪かったという。

 そして、儀式の終わりの日、ダライラマ法王はいろいろなお話をされて、その中に「外国人とみると、ドル札やルピー札だと思う人がいるが、それは、いかん」ようは、「外国人にたかっちゃいかん」みたいな話をした。

 儀式がおわり二万人の聴衆が家路についた。この雑踏のなかで、尼僧は五ルピーの子供と鉢合わせた(その確率もすごいと思う)。

 男の子は前とはうってかわった態度で、この尼僧に恭しく合掌したという。

 尼僧の方は、「この男の子はきっともダライラマ法王の話をきいて、それが何万人もいる会衆の中で自分にむけて語られたものだと思ったのよ。チベット人はダライラマ法王はすべてを見通せる能力をもつと信じているから。」とおっしゃった。

さらに「われわれ外国人にとってダライラマ法王はとてもやさしい方に見えるけど、チベット人はどんな偉い方でもダライラマ法王の前にでるとすごく緊張するのよ」と教えてくれた。

確かに、文献中でダライラマを修飾する言葉でもっとも頻繁にみられるのは「一切を知るお方」(チベット語でタムチェーケンパ、サンスクリット語でサルヴァジニャだっけか)である。

私の知る限り、ダライラマ猊下は若い頃から現在に至るまで一貫して、非常に倫理的、普遍的、利他的な発言を繰り返し、またその発言を裏切らない行動をとってきた。

 このような歩く倫理の手本みたいな人が「一切お見通し」ていて、あなたや私のあんなことやこんなことが全部ばれているとしたら、そりゃー怖いだろう。

だから、ダライラマを真の意味で愛している人々は悪いことをしないように心がける。

一方、日本においては、全知全能のキリスト教のような神様も、チベット仏教におけるダライラマみたいな聖者もいない。

 それどころか、役人さんにしろ、社長さんにしろ、政治家さんにしろ、発言内容がすべて自分や自分の属する組織の利益の代弁で、まったく普遍性がないうえ、その発言すら状況によってころころ変わる。

とくりゃあ、日本人は怖いもの知らず。

だから、「ばれなきゃいーじゃん」的な犯罪が横行し、みなみな煩悩全開、恥じ多き人生をおくる。

最近とあるイギリスの方が(武士の情けで名を秘す)、「僕はダライラマなんて信用してない。あの人のいたころのチベットは宗教独裁でしょ? あれよりは共産党の独裁の方がましだ。聖職者や神様を倒して、近代はじまるんだ。近代化の妨げになる宗教は必要ない。」と議論をふっかけてきた。

私は人の考えを改めさせるとかいうのが大嫌いなので(というか、本人が気づかないうちはどうせ何いったって聞きゃーしないので)、放置した。

しかし、ホンネでは、このイギリス人をタイムマシンにつめこんで、ダライラマ政権下のチベットにおくりこみ、その後、文化大革命期の中国におくりこみ、比較体験学習させたいところだった。

 彼は毛沢東語録のシュプレヒコールを聞きながら自分の不明を恥じることになるだろう。

 つか、生きて戻れないな。

 このイギリス人の、無条件に近代化を是とする論理の中には、近代化による、煩悩の開放、それに伴う倫理の崩壊などといったマイナス面はたぶん組み込まれていない。

 もちろん、わたしは近代化を否定するものではなく、中世に戻るのはまっぴらである。私が言いたいのは、ただ、親でも、教師でも、お坊さんでも、誰でもいいから、いわゆる誰かにとって少しでも権威あると言われる人が、倫理的に生きること、そして、まわりの人々に「この人はなんでもお見通しだな」と思われることが大切だということだ。

 そうすれば、その人たちの子供や生徒や信徒はまっとうに育っていく。

 「ばれなきゃいーじゃん」という言葉を下品で恥ずかしいと感じるまっとうな人間に育つだろうと思うのである。

 あの五ルピーの男の子のように。

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「決まった」と思ったのだが、翌日この尼僧の方からメールがきて、「この五ルピーの男の子の話はガンデン寺(ゲルク派の三大寺の一つ)の僧院長の法話の時の話であり、この時は二万人規模の人が集まった。ちなみに、ダライラマ猊下の灌頂は二十万人が来た。わたしの話があちこち飛んで誤解を招いたのね、すいません」とあった。

いや、こっちの聞く能力の欠如です。

というわけで、この修正を加えても、上記の話で私が意図した精神はまったく変わりませんので、そのままにしときます。
ゲルク派の高僧はみなダライラマとまったく同意見ですし、とくにガンデン寺の僧院長といえば、ダライラマの属する宗派のトップクラスの高僧なので。

決して直すのが面倒だというわけではありません。念のため

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DATE: 2006/03/04(土)   CATEGORY: 未分類
あなたは仏を念じますか?
たった今、仏青のサイトにいってみたら、
新入生に配るチラシのレイアウトが公開されていた。
仏青応援ぶろぐとしては、この上ない慶事として受け止めている。

さっそく、画像をアップロードしたいのだが、
トラバもできない私である。
そしてわたくしのPC頭脳ダンナは不在である。
どうする、石濱裕美子。
とりあえず、やってみます。

bussei1.jpg



なんとかできました。20分かかりました・・・。
本人たちが「なんかアヤシイ」といっているだけあって
相当、アヤシイできですね。

日本語のアヤシイ外国人の神父さんの台詞

「アナタハ、神ヲ、シンジマスカ?」

をオヤジギャグったものですね。

まだ若い彼らがオヤジギャグをつかいだした一因にわたくしのぶろぐの影響がないことを心より祈ります。

ちらしの裏には仏青119年の簡単な歴史が記されることになっているらしい。

わたくしの推薦文が必要であったなら、書きますよ〜(売り込み)。

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DATE: 2006/03/03(金)   CATEGORY: 未分類
ブランド価値、炎上。
昨日未明(午前四時少し前)我が家のチョー近辺で民家まるごと一軒全焼の火事があった。

 敏感なわたくしはすぐに飛び起きて、消防車がくるかこないかのうちに現場にかけつけた。

 火は生き物のように成長し、二階にもえうつり、両隣ならびに奥の家までなめなめしはじめた。ぽんっ、と火災現場独特の破裂音がする。

 消防士さんが黄色いテープをはりだしたので、消火活動の邪魔にならないよう、とっとと撤収。

 つくづく思うのが、家、たてこみすぎ。軒と軒がほとんど接している。地震などで消防車がすぐにこれなかったら、このブロックの家はみな焼けおちてしまうだろう。

 私の住む地域は地価が高いため、地権者が一人なくなると相続税が払えない家族は土地をうってでていってしまう。

 そして、平均的なサイズの一軒家(決して豪邸ではない普通の家)が、コワされたあとには、何と10軒からそれ以上の数のちまこい建て売り住宅がたつ。

とうぜん、庭も塀も門もない、全部あわせて一軒の長屋にしかみえないつくり。

ものごっつビンボくさい。いったん火事がおきたら、運命共同体である。

 こんな家うれるんかいな、と思っていても、なぜか売れる。

 たぶん地名のブランド効果で売れるのだろうが、いまや長屋に占拠されつつあるこの地域に、もはやブランド的価値はみあたらない。

(ちなみに、このスラム化には我が家も貢献しており、父が生きていた頃一つだった家はいまや四分割されている。)

 緑豊かな公園だけがかろうじて地名ブランドの名残を示している(このうち一つがマンションになりそうになった時住民みなで反対した)。

生まれた町のスラム化を嘆いているうちに、鎮火してきたようである。

いろんなところから水がちったんちったん落ちている。救急車が来ていないからおそらくけが人はいないだろう。(ちなみに、警察も消防も何も教えてくれない。ケチ!)

いいなあ、日本。

これがインドの下町なら死者不明者数十名だよ(え? 比べる対象がひどすぎる?)。

家にもどって災害持ち出し袋をとりあえず確認。といっても、入ってるのは鳥ごはんと鳥の保温用きっと。ちなみに、人間のためにはカップラーメンがあるだけ(お湯がなかったらどうすんだろうね)。猫は自力更生。

我が家の災害シュミレーションはお鳥さまたちが、ストレスを感じずに避難生活を送ることだけを目的にくまれている。

避難處にはペットは入れない。だから、被害の少ない地域にはってでも移動して、ホテルの部屋をとるか、空き部屋をかりるなどして、お鳥さまをおちつかせる。こんなシュミレーションが役に立つ日がこないといいなあ。




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DATE: 2006/03/01(水)   CATEGORY: 未分類
恐るべし、チベット高僧の千里眼
ここ数日、チベットの14世紀の聖者の伝記の研究を行っている。といってもまだ研究までいっておらず、予備作業のような段階である。

 具体的な作業手順はというと、彼のもっとも古い伝記三つを和訳し、それらに記されている彼の事績をエピソードごとに箇条書きにわけ、いつ、どこで、何をしたか、というデータとともにリストアップしていく。これだけで、結構な項目数となる。

 そして、さらにそのデータをもとに、彼の著作のコロフォンから読み取れる情報を対照させて、それらの著作が彼の人生のどのあたりでかかれたものなのかを比定していく。

 簡単に聞こえるだろうが、彼の著作は196点もあり、さらに一つの著作が134の小品にわかれるなど、実際の点数はもっと多く、コロフォンをとりだすのだけでも大変な作業である。

 本日、やっとエピソードの梗概リストがほぼできあがり、さらには196点の著作のコロフォンの抜きとりもおわった。これから、データをつきあわせて、彼の人生のいずこかに、これらの著作をはめこんでいく作業がはじまる。

 すべての事績に年月日が入っているわけではなく(それどころか、ほとんどの干支不明の、春、夏、秋、冬の季節表示のみ)、また、著作のコロフォンにしてもほとんどの著作には年はかかれておらず、よくて著作された場所が分かるのみなので、伝記とコロフォン情報が合致する著作の数は限られて来るであろう。
 
 労多くして功少なし。

 しかし、まあ、このようなお堅い研究の部分はいざしらず、和訳に関しては仏教興隆の一助になるとは思う(和訳がひどすぎて罰があたるという畏れもあるが)。

 この伝記の翻訳をはじめてより、なんどか不明な点をチベットの高僧にお伺いする機会があった。とある高僧の方に二度目に質問にあがった時、その方はこの聖者のタンカ(仏画)を私に下さった。そして、「しっかりかんばるように」とおっしゃられた。

 タンカ自体は台湾の工場で大量生産されたものであるものの、その高僧自らが法要でおみたま入れを行ってくださっていたので、ある意味唯一無二のタンカである。

 去年の五月にそのタンカを頂戴して、しばらくそのタンカは箱入りのまま置かれていた。しかし、これじゃいかん、とある時そのタンカを壁にかけた。すると、二〜三日は聖者伝の和訳に気合いが入ったが、しばらくすると日常の仕事や他の研究に紛れて中断してしまった。

 そして去年の晩秋くらいであったか。ダンナと二人で「●×伝をちゃんとやらなきゃね〜」と話していたら、隣の部屋でぱさっという音がした。おそるおそる見に行くと、その高僧から頂戴したタンカが壁からおっこって床におちているでわないか。

 ぞーっとした。

 高僧が遠くチベットから千里眼で「分かっているなら、早くやれ」とおっしゃっているような気がした。

 今度は落ちないように、壁にガンガン釘をうちつけたことは言うまでもない。

 チベットの神様・仏様、ラマ様、

 今日の時点で、三つの伝記の和訳は〔まだ完全ではありませんが〕ざっとは終わりつつありますです。著作の解析もこれからですが、準備は整っております。

 〔できる範囲内で〕努力しておりますし、一生懸命やっておりますので、

 どうかもうしばらくのご猶予を御願い申し上げます。
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