下関のふぐと長期予報はあたらない(と思いたい)
わたしは天気予報をみない。
家をでる時、空をみあげて、野生のかんで傘を持つか持たないか決める。
どっちか迷う時は持たない。
かりに、帰り道で降り出してもそれは自分の選択が失敗したまで。
春雨だろうが、秋雨だろうが、ふてぶてしくぬれて帰るまで。
よく、自分で何かをやっておきながら、失敗すると「わたしが〜したのは、誰それが〜したせいだ。あんたが悪い」といって自分を正当化し、他人を責める人がいる。
今日もテレビで「大泉の母」の特集をしていて、身勝手な相談者が、パチンコで300万の借金を創って夫が家を出て行ったにもかかわらず、「わたしがパチンコにのめりこんだのは、夫が寂しがりやの私をかまってくれなかったらなんですう。夫が悪いんです」としゃあしゃあという女性がいた。
わたしは、そういう人にはなりたくないので天気予報をみないのである(エラソーにいうほどのことでもない。単に面倒臭いから。)。
しかし、その私が久しぶりに天気予報を見た。土曜日に仏青の新歓イベント「お花祭りでGO!」(早稲田のキャンパスツァーの後、早稲田界隈のお寺を廻ってお花祀り(お釈迦様のお誕生日)を祝いつつ、お釈迦様の生涯を学ぶというイベント)があり、晴雨が気になるからである。
私の知る限りここんとこ数年、お花祭りの日は春たけなわの晴天だった。なのに、今年の週間予報を見ると、よりにもよってこの日だけ雨マークがついている。
しかも、前の日は晴れで次の日も晴れである。
連日、高田ババのロータリー前は新歓コンパのサークル集団に占拠され無法地帯と化している。
ありとあらゆる享楽をちらつかせて新入生をさそいこむサークルが多い中、仏青の地味なお寺回りイベントにはもともとたいした集客は期待できない。
その上、雨ときたら、きまぐれな新入生はこないであろう。
「八甲田山死の彷徨」ならずとも
「天はわれわれを見捨てたか」と言いたくなる。
新歓ではなく、現役メンバーの新歓疲労・慰労イベントとなりそうな予感がいまからしてきたよ。
家をでる時、空をみあげて、野生のかんで傘を持つか持たないか決める。
どっちか迷う時は持たない。
かりに、帰り道で降り出してもそれは自分の選択が失敗したまで。
春雨だろうが、秋雨だろうが、ふてぶてしくぬれて帰るまで。
よく、自分で何かをやっておきながら、失敗すると「わたしが〜したのは、誰それが〜したせいだ。あんたが悪い」といって自分を正当化し、他人を責める人がいる。
今日もテレビで「大泉の母」の特集をしていて、身勝手な相談者が、パチンコで300万の借金を創って夫が家を出て行ったにもかかわらず、「わたしがパチンコにのめりこんだのは、夫が寂しがりやの私をかまってくれなかったらなんですう。夫が悪いんです」としゃあしゃあという女性がいた。
わたしは、そういう人にはなりたくないので天気予報をみないのである(エラソーにいうほどのことでもない。単に面倒臭いから。)。
しかし、その私が久しぶりに天気予報を見た。土曜日に仏青の新歓イベント「お花祭りでGO!」(早稲田のキャンパスツァーの後、早稲田界隈のお寺を廻ってお花祀り(お釈迦様のお誕生日)を祝いつつ、お釈迦様の生涯を学ぶというイベント)があり、晴雨が気になるからである。
私の知る限りここんとこ数年、お花祭りの日は春たけなわの晴天だった。なのに、今年の週間予報を見ると、よりにもよってこの日だけ雨マークがついている。
しかも、前の日は晴れで次の日も晴れである。
連日、高田ババのロータリー前は新歓コンパのサークル集団に占拠され無法地帯と化している。
ありとあらゆる享楽をちらつかせて新入生をさそいこむサークルが多い中、仏青の地味なお寺回りイベントにはもともとたいした集客は期待できない。
その上、雨ときたら、きまぐれな新入生はこないであろう。
「八甲田山死の彷徨」ならずとも
「天はわれわれを見捨てたか」と言いたくなる。
新歓ではなく、現役メンバーの新歓疲労・慰労イベントとなりそうな予感がいまからしてきたよ。
男という名の物語パート2
ご心配いただいた我が家の餓鬼道(雄猫)の、その後についてご報告。
ここ数日、彼は一日一回ごはんを食べに家に帰ってきていた。しかし、昔のように家の中で食べるのではなく、「外にだせ」と外でごはんを待つようになった。
不審に思いつつも、サカリがとれたらまた前のように我が家でくつろいでくれるだろうと思っていた。
しかし、今日近所の猫おばさん○林さんとの立ち話の中で衝撃の事実を知るに至る。なんと、餓鬼道は○林さんのうちにごはんを一日二回たべにいき、一日の大半を彼女の家の側で過ごしているのだそう。
白雪姫は餓鬼道の節操のなさを嘆きつつも、彼に真意をきくべくはりこみを続けた(仕事しろよ)。すると、午後四時半頃、隣の境との塀を乗り越えて、餓鬼道がわがやに着地した。
急いで、猫かんを開け、かつおぶしをトッピングして餓鬼道のところにもっていく。ところが、もういない。
もしやと思って、○林さんちにつながる路地をのぞくと、いたよ。わたしは手にした猫ごはんを餓鬼道の前に置いてみた。ところが、餓鬼道、ごはんに一瞬鼻をつけただけで、食べずに立ち去っていく。
諸般の状況は、餓鬼道は○林さんちを主なエサ場とする外猫になるつもりであることを示唆している。
今までさんざんごはんを食べさせ、出窓に寝かせて、病院につれていき、面倒みたのに。一緒に暮らしたあの日々はなんだったんだ。
餓鬼道は三年前、辺り構わず通行人にごはんをねだる謎の猫であった。われわれはごはんでつって、餓鬼道を家猫にかえた。彼がうちをえらんだのは、我が家の猫ごはんがよその人がくれるものよりも質量ともに充実していたからであろう。
しかし今、餓鬼道は食欲よりも、雄としての生に目覚めた。男道を究めるために、去勢論がもちあがっている我が家をさけ、別の道を模索しはじめたのか。
そう考えると、今までバカバカいっていたが、意外と賢かったのかもしれない。
猫は人間に飼われているというより、自分のテリトリーに人間を住まわせてやっている、と思っていると聞いたことがある。去勢しない限り彼らが野生の本能のままに動くことは当然予想すべきことであった。
恩知らずだの、親不孝だのいっても、それは所詮、人間の論理である。
幸いにして見たところ、アレルギー症状も風邪も収まりつつあり、緊急にお医者さんを必要とするような状況にはない。我々が餓鬼道をとめる理由はもうない。
でも、餓鬼道よ、困った時にはいつでもウチをたよってくれ。
待っているよ。
ここ数日、彼は一日一回ごはんを食べに家に帰ってきていた。しかし、昔のように家の中で食べるのではなく、「外にだせ」と外でごはんを待つようになった。
不審に思いつつも、サカリがとれたらまた前のように我が家でくつろいでくれるだろうと思っていた。
しかし、今日近所の猫おばさん○林さんとの立ち話の中で衝撃の事実を知るに至る。なんと、餓鬼道は○林さんのうちにごはんを一日二回たべにいき、一日の大半を彼女の家の側で過ごしているのだそう。
白雪姫は餓鬼道の節操のなさを嘆きつつも、彼に真意をきくべくはりこみを続けた(仕事しろよ)。すると、午後四時半頃、隣の境との塀を乗り越えて、餓鬼道がわがやに着地した。
急いで、猫かんを開け、かつおぶしをトッピングして餓鬼道のところにもっていく。ところが、もういない。
もしやと思って、○林さんちにつながる路地をのぞくと、いたよ。わたしは手にした猫ごはんを餓鬼道の前に置いてみた。ところが、餓鬼道、ごはんに一瞬鼻をつけただけで、食べずに立ち去っていく。
諸般の状況は、餓鬼道は○林さんちを主なエサ場とする外猫になるつもりであることを示唆している。
今までさんざんごはんを食べさせ、出窓に寝かせて、病院につれていき、面倒みたのに。一緒に暮らしたあの日々はなんだったんだ。
餓鬼道は三年前、辺り構わず通行人にごはんをねだる謎の猫であった。われわれはごはんでつって、餓鬼道を家猫にかえた。彼がうちをえらんだのは、我が家の猫ごはんがよその人がくれるものよりも質量ともに充実していたからであろう。
しかし今、餓鬼道は食欲よりも、雄としての生に目覚めた。男道を究めるために、去勢論がもちあがっている我が家をさけ、別の道を模索しはじめたのか。
そう考えると、今までバカバカいっていたが、意外と賢かったのかもしれない。
猫は人間に飼われているというより、自分のテリトリーに人間を住まわせてやっている、と思っていると聞いたことがある。去勢しない限り彼らが野生の本能のままに動くことは当然予想すべきことであった。
恩知らずだの、親不孝だのいっても、それは所詮、人間の論理である。
幸いにして見たところ、アレルギー症状も風邪も収まりつつあり、緊急にお医者さんを必要とするような状況にはない。我々が餓鬼道をとめる理由はもうない。
でも、餓鬼道よ、困った時にはいつでもウチをたよってくれ。
待っているよ。
弁財天カモ〜ン。
新学期が始まるため、ダンナは京都に旅立ってしまった。
週一にはもどってくるけど。
ダンナはそういうわけで毎週JR東海に貢ぎまくっているため、最近は普通車の料金でグリーン車にのれるサービスとか受けている。
いつか、JR東海から付け届けがくるやもしれん。
これからまとまった休みはしばらくないので、とりあえずさしせまった、14世紀の聖者伝の和訳をここ数日気合いを入れて行う。
朝から晩まで(ウソ、私が飽きるので、そんなに続かない)パソコンあけてむかいあって、チベット語の文献読むのだから、実に不毛であった。
ダンナは、「まとまった時間がとれるうちに、終えておかなきゃ。はいっ、座る。そして、やる。」と毎日私に机に座らせようとする。しかし、ねっからの自由人の白雪姫がそのようなまっとうでスジのとおったセリフで動くわけない。
そもそも、翻訳・研究なんてものは、何かに追いたれられるように、ガチガチになってやっても、いいものはできない。
地べたにひろげまくった参考文献や参考資料の間を、いったりきたり、寝たり起きたりしながら、漫然とたらたらやっているうちに、知らないうちに、論文とか翻訳とかはしあがっているものなのだ。
重要なのは、人ではなく自分のペースにそって動くこと。そうすれば、どのような仕事であっても、いつのまにかふさわしい内容をもって完結するものなのだ。
といっても、去年の暮れ締め切の原稿すらあげてない白雪姫のゆうことに、耳を貸すものはいない。
この春休みは研究が進んだような進まないような変な感じだった。目を通すべき先行研究はだいたい目を通し、思いつく史料はだいたい渉猟し、メモも結構な分量になってきているので、そのような意味では進んだといえるのかもしれないが、何か最初の一文字を書き出そうという、気持ちがおきない。
こういう時にはもう少しの試行錯誤が、もっとハイレベルな視点や新たな発見とかもたらすので、仏様がストップをかけているという可能性もあるので、ムリには書きださない方がいい。
チベットの高僧は著作をものす際、著作を薦める人がいて、資金がととのい、また著作を祝福するかのようなよい兆し(必要な参考文献が手に入る、とか、弁財天が夢枕にたつとかetc.)があると、「縁起(いろいろな条件)が整った」といって、筆をおこす。そして、書き始めや書き終わりを吉日にあたるようにする。
つまり、何か書きだそうと思った時、新聞の集金人がきたり、電気釜がこわれたり、餓鬼道がさかったりしているようでは、機が熟したとはいえないのである。
新聞の集金をはらって、電機釜を新調し、餓鬼道のさかりは・・・・
まだ続いている・・・。
はやく縁起が整わないことには、いい加減困る。
週一にはもどってくるけど。
ダンナはそういうわけで毎週JR東海に貢ぎまくっているため、最近は普通車の料金でグリーン車にのれるサービスとか受けている。
いつか、JR東海から付け届けがくるやもしれん。
これからまとまった休みはしばらくないので、とりあえずさしせまった、14世紀の聖者伝の和訳をここ数日気合いを入れて行う。
朝から晩まで(ウソ、私が飽きるので、そんなに続かない)パソコンあけてむかいあって、チベット語の文献読むのだから、実に不毛であった。
ダンナは、「まとまった時間がとれるうちに、終えておかなきゃ。はいっ、座る。そして、やる。」と毎日私に机に座らせようとする。しかし、ねっからの自由人の白雪姫がそのようなまっとうでスジのとおったセリフで動くわけない。
そもそも、翻訳・研究なんてものは、何かに追いたれられるように、ガチガチになってやっても、いいものはできない。
地べたにひろげまくった参考文献や参考資料の間を、いったりきたり、寝たり起きたりしながら、漫然とたらたらやっているうちに、知らないうちに、論文とか翻訳とかはしあがっているものなのだ。
重要なのは、人ではなく自分のペースにそって動くこと。そうすれば、どのような仕事であっても、いつのまにかふさわしい内容をもって完結するものなのだ。
といっても、去年の暮れ締め切の原稿すらあげてない白雪姫のゆうことに、耳を貸すものはいない。
この春休みは研究が進んだような進まないような変な感じだった。目を通すべき先行研究はだいたい目を通し、思いつく史料はだいたい渉猟し、メモも結構な分量になってきているので、そのような意味では進んだといえるのかもしれないが、何か最初の一文字を書き出そうという、気持ちがおきない。
こういう時にはもう少しの試行錯誤が、もっとハイレベルな視点や新たな発見とかもたらすので、仏様がストップをかけているという可能性もあるので、ムリには書きださない方がいい。
チベットの高僧は著作をものす際、著作を薦める人がいて、資金がととのい、また著作を祝福するかのようなよい兆し(必要な参考文献が手に入る、とか、弁財天が夢枕にたつとかetc.)があると、「縁起(いろいろな条件)が整った」といって、筆をおこす。そして、書き始めや書き終わりを吉日にあたるようにする。
つまり、何か書きだそうと思った時、新聞の集金人がきたり、電気釜がこわれたり、餓鬼道がさかったりしているようでは、機が熟したとはいえないのである。
新聞の集金をはらって、電機釜を新調し、餓鬼道のさかりは・・・・
まだ続いている・・・。
はやく縁起が整わないことには、いい加減困る。
咲かぬなら、咲かせてやろう仏青を(ムリ)
四月一日といえば、エープリルフール。
ちがう。入学式である。新歓活動の本格始動である。
早稲田の入学式はとにかくすごい。たった一日の間にすべての学部の入学式を文学部キャンパス内にある記念講堂で行うのだが、その際の人では芋の子洗うどころではなく、芋の子がむけてしまうくらいである。
今日は新入生に父兄がはりついているので、なかなか勧誘も難しかろう。
それでも、ほとけどじょう氏とOBのセン君は、部室にはりこんでいる。感心感心。
Q熱リケッチャ氏は法衣をきて、キャンパスをめぐり、新入生にサブリミナル効果をうえつけている。
で、破顔微笑氏は・・・・。実家に帰省中。
セン君によると「やんごとない事情」からというが、おそらく「よんどころない事情」と表現したかったと思われる。
日本語は正しく使おう。
われわれの心つもりとしては、これから二ヶ月、さまざまなイベントで新入生をあつめ、さりげにメルアドを蒐集し、その折々に窮状をうったえ、入会を訴え続けるという作戦である。
まずは、四月八日の御花祭りの日のお寺めぐりイベントをとにかく一人でもおおくの新入生に周知させねば。
もし誰もこなくても、四人でいこうね。
いい季節だから傷心をいやすのにはいいだろう。
と、最近は腰の引けた未来予想が頭を去来する。
午後、ダンナがメガネを作るというので、メガネストアーにつきあう。フレームはやっすいやつから、バーバリーの金縁めがねまでいろいろ、レンズにもいろいろな等級がある。ダンナは全部真ん中をえらぶ。
私は家系的に目がいいので、メガネをかける時には老眼鏡ということで、その被害は深刻である。ダンナはもともとメガネなので、老眼になろうがなるまいがまわりは気づかないが、私の場合はモロバレである。
そこで、将来を考えて、いろんなフレームを試してみるが、これがどれも似合わないんだ。
なぜだろう。
つけていることがわかんない透明なフレームをNASAかなんかで開発してくれたら、バーパリーの金縁の十倍しても払う。
そのあと、いつものように御嶽山神社に向かう。この神社には桜の巨木がある。
傾くことがおおい桜にしてはめずらしく、この桜は天をつくようにまっすぐ上にのびているため、広大な花のドームを形成している。
なかなか見られない逸品である。あと、これまた方角が変わるが、浅間神社の参道下の桜はうすい翠色がかかっている桜として有名で、これまた美しい。
そして、きわめつけは、福山雅治の「桜坂」のモデルとなった、「桜坂」も近所である。福山雅治はドラマ『一つ屋根の下』で、医者をやつていたか゜、あのときロケに使われた病院がまあ近くにあるので、おそらくはその行き来に桜坂を使っているうちに、あの曲思いついたのだろう。
ちなみに、その病院の前では12チャンネルの二時間ドラマを撮影していたこともあった。本業は大丈夫か。
ちがう。入学式である。新歓活動の本格始動である。
早稲田の入学式はとにかくすごい。たった一日の間にすべての学部の入学式を文学部キャンパス内にある記念講堂で行うのだが、その際の人では芋の子洗うどころではなく、芋の子がむけてしまうくらいである。
今日は新入生に父兄がはりついているので、なかなか勧誘も難しかろう。
それでも、ほとけどじょう氏とOBのセン君は、部室にはりこんでいる。感心感心。
Q熱リケッチャ氏は法衣をきて、キャンパスをめぐり、新入生にサブリミナル効果をうえつけている。
で、破顔微笑氏は・・・・。実家に帰省中。
セン君によると「やんごとない事情」からというが、おそらく「よんどころない事情」と表現したかったと思われる。
日本語は正しく使おう。
われわれの心つもりとしては、これから二ヶ月、さまざまなイベントで新入生をあつめ、さりげにメルアドを蒐集し、その折々に窮状をうったえ、入会を訴え続けるという作戦である。
まずは、四月八日の御花祭りの日のお寺めぐりイベントをとにかく一人でもおおくの新入生に周知させねば。
もし誰もこなくても、四人でいこうね。
いい季節だから傷心をいやすのにはいいだろう。
と、最近は腰の引けた未来予想が頭を去来する。
午後、ダンナがメガネを作るというので、メガネストアーにつきあう。フレームはやっすいやつから、バーバリーの金縁めがねまでいろいろ、レンズにもいろいろな等級がある。ダンナは全部真ん中をえらぶ。
私は家系的に目がいいので、メガネをかける時には老眼鏡ということで、その被害は深刻である。ダンナはもともとメガネなので、老眼になろうがなるまいがまわりは気づかないが、私の場合はモロバレである。
そこで、将来を考えて、いろんなフレームを試してみるが、これがどれも似合わないんだ。
なぜだろう。
つけていることがわかんない透明なフレームをNASAかなんかで開発してくれたら、バーパリーの金縁の十倍しても払う。
そのあと、いつものように御嶽山神社に向かう。この神社には桜の巨木がある。
傾くことがおおい桜にしてはめずらしく、この桜は天をつくようにまっすぐ上にのびているため、広大な花のドームを形成している。
なかなか見られない逸品である。あと、これまた方角が変わるが、浅間神社の参道下の桜はうすい翠色がかかっている桜として有名で、これまた美しい。
そして、きわめつけは、福山雅治の「桜坂」のモデルとなった、「桜坂」も近所である。福山雅治はドラマ『一つ屋根の下』で、医者をやつていたか゜、あのときロケに使われた病院がまあ近くにあるので、おそらくはその行き来に桜坂を使っているうちに、あの曲思いついたのだろう。
ちなみに、その病院の前では12チャンネルの二時間ドラマを撮影していたこともあった。本業は大丈夫か。
