母に捧げるバラード
今日は母の命日。なくなってからもう十三年になる。
京都の比叡山にあるお墓に詣でたいものの、今年は五月三日に大阪にいく予定があるため、何度も往復するのも疲れるので、今回は家で命日を送ることとする。
母もそんなことくらいで怒りはしない。
このわたしを育ててくれたのだから、それは忍耐強く温厚な人であった。
命日に限らず、母のことを思い出さない日はない。
生きていた頃も、死んだ今も、私にとって一番身近な存在である。
自分の中にあるいろいろなもの、それは母との生活によって植え付けられたものなので、じぶんの中をみると母を見つけることができるのだ。
たとえば今、テレビで大峰山の山桜を映し出している。
すると私は「出っ歯」と思いだし、笑いがこぼれる。
昔、母が「山桜はね、花(鼻)より葉(歯)が先にでるから、出っ歯なのよ」と教えてくれたことを思いだしたからである。
京都の女子大に通っていた母は、鼻の穴の大きい人を「東山トンネル」とも呼んでいたな。
母が生きていた頃は、このようなくだらない話題で二人でよくもりあがったものだ。
いろいろ思いだして楽しい気持ちになる。
今、四十代の息子が親を殺したなどというニュースを目にした。すると私は
「殺すほど親がきらいなら、絶縁して自立しろ。甘えんな」とオッサンな価値観できりこむ。
この私の中の小さなオヤジも私の母が作り出したものだ。
私の父は私の生まれる一週間前になくなっている。
遺産を残してくれたので母は私の養育に困ることはなく、二人の生活はじつに非社会的でおだやかなものだった(家の中に仕事からかえって疲れた顔をする人が一人もいなかったからね)。
生まれた頃から父がいないとドライなもんで、
「父がいてくれたらなあ」とかいう、いじましい気持ちはまったくおきない。
父のいない人生を実感させる、父のいる人生というものが端からないからね。
話をもとに戻すと、母は父のことをいつでもほめまくっていた。一度も悪く言うことはなかった。
曰く、
「あなたのパパは本当にステキな人だったのよ。ダンディーでかっこよくて。芸者さんにも人気があって。でも、絶対女遊びとかしない人だったのよ」エトセトラ。
しかし、回りの人の話を総合すとる、父はたしかにおしゃれでかっこよく、女性に対しても紳士であったらしいが、性格はオヤジそのもの、すなわち、大きな赤ん坊のような人だったらしい。
そう、この大きな赤ん坊が、私のオヤジ性の起源なのですね。
母は私の中になき夫の面影を探し出しては、それを喜んだため、娘である私は母に喜んでもらおうと父ににた側面をとくにのぞんで開発したのだ。
たとえば、幼少のみぎり、わたしがうどんを食すと
「パパも、素うどん(笑)がすきだったわ。ママはうどんがあまり好きでないから、これはパパの血ね」と目を細めて喜ぶ。すると、わたくしには「自分は素うどんを好き」とのすりこみがなされる。
これがうどんくらいならいいのだが、オヤジなたべもの、オヤジな所作、オヤジな価値観とくれば、成人するころにはりっぱなオヤジ女と化すわけだ。
悲しい話だが、ここまでくるともう治らない。
そういうわけで、私のすべての思考や行動の中には、母の存在が、母を通じて醸成された父の存在がなお日常的におだやかに息づき、そのため、彼らの存在をつねに身近に感じるというわけ。
命のつながりというものは不思議なものである。
京都の比叡山にあるお墓に詣でたいものの、今年は五月三日に大阪にいく予定があるため、何度も往復するのも疲れるので、今回は家で命日を送ることとする。
母もそんなことくらいで怒りはしない。
このわたしを育ててくれたのだから、それは忍耐強く温厚な人であった。
命日に限らず、母のことを思い出さない日はない。
生きていた頃も、死んだ今も、私にとって一番身近な存在である。
自分の中にあるいろいろなもの、それは母との生活によって植え付けられたものなので、じぶんの中をみると母を見つけることができるのだ。
たとえば今、テレビで大峰山の山桜を映し出している。
すると私は「出っ歯」と思いだし、笑いがこぼれる。
昔、母が「山桜はね、花(鼻)より葉(歯)が先にでるから、出っ歯なのよ」と教えてくれたことを思いだしたからである。
京都の女子大に通っていた母は、鼻の穴の大きい人を「東山トンネル」とも呼んでいたな。
母が生きていた頃は、このようなくだらない話題で二人でよくもりあがったものだ。
いろいろ思いだして楽しい気持ちになる。
今、四十代の息子が親を殺したなどというニュースを目にした。すると私は
「殺すほど親がきらいなら、絶縁して自立しろ。甘えんな」とオッサンな価値観できりこむ。
この私の中の小さなオヤジも私の母が作り出したものだ。
私の父は私の生まれる一週間前になくなっている。
遺産を残してくれたので母は私の養育に困ることはなく、二人の生活はじつに非社会的でおだやかなものだった(家の中に仕事からかえって疲れた顔をする人が一人もいなかったからね)。
生まれた頃から父がいないとドライなもんで、
「父がいてくれたらなあ」とかいう、いじましい気持ちはまったくおきない。
父のいない人生を実感させる、父のいる人生というものが端からないからね。
話をもとに戻すと、母は父のことをいつでもほめまくっていた。一度も悪く言うことはなかった。
曰く、
「あなたのパパは本当にステキな人だったのよ。ダンディーでかっこよくて。芸者さんにも人気があって。でも、絶対女遊びとかしない人だったのよ」エトセトラ。
しかし、回りの人の話を総合すとる、父はたしかにおしゃれでかっこよく、女性に対しても紳士であったらしいが、性格はオヤジそのもの、すなわち、大きな赤ん坊のような人だったらしい。
そう、この大きな赤ん坊が、私のオヤジ性の起源なのですね。
母は私の中になき夫の面影を探し出しては、それを喜んだため、娘である私は母に喜んでもらおうと父ににた側面をとくにのぞんで開発したのだ。
たとえば、幼少のみぎり、わたしがうどんを食すと
「パパも、素うどん(笑)がすきだったわ。ママはうどんがあまり好きでないから、これはパパの血ね」と目を細めて喜ぶ。すると、わたくしには「自分は素うどんを好き」とのすりこみがなされる。
これがうどんくらいならいいのだが、オヤジなたべもの、オヤジな所作、オヤジな価値観とくれば、成人するころにはりっぱなオヤジ女と化すわけだ。
悲しい話だが、ここまでくるともう治らない。
そういうわけで、私のすべての思考や行動の中には、母の存在が、母を通じて醸成された父の存在がなお日常的におだやかに息づき、そのため、彼らの存在をつねに身近に感じるというわけ。
命のつながりというものは不思議なものである。
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