白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/05/30(火)   CATEGORY: 未分類
愛鳥かまちの受難
我が家には四羽のセキセイがいて、みな荒である。長生きするようにみな長寿日本一になったジジババの名前をつけている。

お父さん シゲチヨ
お母さん きんさん
娘 かまち
息子 ユウキチ
調べてもらえればわかるが、ここ数年間の長寿番付けの一位ばかりを集めたネーミングである。これより、わたくしがいかに小鳥を長生きさせたいかの気合いが感じられることと思う。

しかし、昨日、わたくしのささやかな努力をあざ笑うかのような事件がおきた。

☆注 これから先は食事中の方、心臓の弱い方は読まない方がいいです。

かまちが今日、総排泄管脱をおこした。ひらたくいえば無精卵をうみすぎた結果、お尻からピンク色の内蔵がでてしまったのである。

一目みただけでそのすごさに仰天。しかし、時計をみると、かかりつけの小鳥の病院のしまりにはもう間に合わない。
とりあえず、小鳥の先生に電話をかけると、

「とにかく近くの病院ではみでた総排泄管をつめてもらえ」とのこと。

動物病院といっても本当の意味で鳥を見られる病院は少ない。しかし、そうもいってられないので、診察券のある最寄りのアーク動物病院に向かう。

さんざんまたされて、診察室に通されると、わりと腕がいいと評判の院長先生の奥さんであった(犬猫についてだが。トホホ。)。

普段はちょっとやそっとでは動揺しないエラソーな私も、こと愛鳥・愛猫の病気・怪我となると、はためにもみっともなく思いっきりとりみだす(そしてひいては二次災害をひきおこす)。あわれっぽい涙目で先生に玄奘もとい現状を訴える。

先生は一目みるや、「これは腸をおしこんで、縫合しなければいけません。しかし、小鳥は麻酔をかけるとそのまま死んでしまうことがあります。麻酔をかけずにがんばってみますが、もし麻酔をかけなければならない場合は、リスクを覚悟してください」このあたりから、パニックですよ。

私の心の声「リスクって何? リスクって何よ。薬の反対はリスク。ちがうって。リスクって何よ~~。わかんないわよ~。」

混乱する私を尻目に、先生はカマチをだいて奥にはいっていってしまった。

残された私はカマチが今あじわっている苦痛を考えるだけで総毛立ち、延命除災ターラー真言を唱えつつ、診察室内を熊のように徘徊する。
しばらくして先生が戻ってくる。「麻酔はかけずにすみました。しかし、縫合がつよすぎてフンチがでない場合にはまたきてください。縫合箇所をずらします。三四日で抜糸ですが、その後ももし同じことがあるようでしたら、ちょっと難しいかもしれません」

私の心の声「難しいって何が? 何のことよ。はっきりいえよ、いや、いわんでいい。とにかく、一言大丈夫だと言って。大丈夫だと!!!!」

そして、家に帰ってきて数時間後、確認するととりあえずフ○チはでているようだ。あとは、抜糸である。また、ふたたび同じようなことがないように、これからは絶対卵をうませてはいけない。

しかし、男の子が同じカゴにいるでなし、巣箱もなし、おもちゃもなしで、これ以上どう刺激するなというのだ。

かまちのアホ~。
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DATE: 2006/05/27(土)   CATEGORY: 未分類
どうなってんでしょ、今日は。
変なことパート1

今日は天気がわるいせいか、ヘンなことばかりおきる。

新聞の集金の人がきたのはいいんだが、頼んでもいない、パルコミュージアムのチケットを、二枚もってきた。たしかにウチの名前で依頼があったというが、誰も頼んだ覚えはない。

「麗しい華流スターたち」って、確かに私が頼みそうな内容ではあるが、誓って頼んでいない。

しかしまあ、向こうが受け取って欲しそうなので受け取っておく。
明日、渋谷に住みかつ、F4のファンである某嬢に差し上げよう。
この前ニュースで、ちょっと精神がアレな隣人が、いやがらせをしてきて、その家に頼んでもいない店屋物やはては●りへる嬢を届けるという事件があったが、これ以上のエスカレートがないことを祈りたい。
しかし、私にそんなことする人がいるとしたら、えらく勇気のある人としかいいようがない(ダンナ談: これこれ、すごんではいけません)。

変なことパート2

仏青に新機軸のメールを流そうと思ったら、これが流れない。
機械が送信できなかったのかともう一度送信し、それでもつかないので、NGワードにひっかったかと、いろいろな言葉をひらがなにしたりして送信しなおしたもののやはりつかない。

こうなると意地になって、さらにもう一回。結果として、以下の四回にわたって同じ内容を送信した。


17.42 18.12 18.20 18.39

これが私の送信簿の記録である。
不思議なのは、18.09分に違う内容のメールを送ったが、これはすぐについた。なので、問題は機械ではなく、メール内容にあると思って、何回も送信に及んだのである。

そして19時ちかくなり、最初の送信より一時間十五分もたった今、やっと着信に成功!

ばんざーい!

ところが、そのメールを開けてみて、血の気がひいたよ。
最後のメールでなくて最初のメールなんだもん。そのあと、続々と一時間遅れで同内容のメールがどかどか入ってきた。
何通も同内容のメールをうけた仏青のみなさま、すみませんでした。
お詫びを流そうかとも思いましたが、今日中はメールは不安定そうなので、この場をかりてお詫びします。

てか、これは変なことというよりゃーヤフーだよ。

ヤフーよ。

無料で使っているから文句をいえる筋合いではないが、一時間以上遅れってーのはあまりにもひどくないか。

そいえば、ヤフーのぶろぐも表示までにオソロシイほどの時間がかかるし、コメント欄が反応せず、ぶろぐの当事者ですら二重レスを重ねる人も多い。

土曜だからメンテがうまくいってないのかもしれないが、あまりにもひどい。

今度『在家仏教』で、「仏教と電脳」というコラムを書くことになっているので、告発してやる。今に見ていろヤフーめ(ダンナ談: 仏教ぶろぐなのだからもう少し自重しましょうね)。
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DATE: 2006/05/24(水)   CATEGORY: 未分類
おっさんの苦労話は話半分
わたくし前回一般向けのお仕事は「らくちん」とか書きましたが、あれ訂正させていただきます。

さすがにつらくなってきましたよ。だって原稿用紙30枚を、私時間からいうと「すぐあげろ」みたいな状態なんですから。

こうみえても、わたくし誠実に仕事はしたいわけですよ。
どこかで聞いた誰かがいったような話ではなく、やはり私しかできない、いえないことを、つたないながら、なんとかいていきたいとか思うわけ。

するとやっぱ調べなきゃならないし、そうすると時間かかるし、授業の準備もあるし、組合の会合はもう目白押しだしで「こりゃーたまんないわ」。

前にチベットで、ツェチェン寺へ昇る坂を登っていたとき、みなが酸素不足でひいひいいっていた時、私がわがままいってついた寺だから私だけは元気に坂をのぼりつつ「こんな坂なんだあ、たいしたことはないぞー」といいつつ、しかし、やはり最後はへたりこんだことを思いだしたよ。


で、忙しいのになぜブログ書いてるかって? そりゃ逃避ですよ。


昨日、ネットのニュースで、杉村タイゾー君が自らのぶろぐでかたった自殺体験は、じつは他人の自伝から盗用したものだったというのが流れましたよね。

このニュースを聞いた時、なんというかこう、なさけな~い、気持ちになりましたよ。

自分をよくみせるために学歴詐称とかしてウソつく人がいるけど、トホホ体験まで盗用とはね。彼はフリーター対策とかを持ち味にしたいみたいだから、おそらくは「自分はこんだけ苦労したけど、今はちゃんとやってるよ」みたいなことを他人に発信したかったんだろうけど、ニセモノ体験で若者によびかけられても、今現在、根性すわってひきこもっている人とか、死にたがっている人とか、ニートしている人なんかには届かないでしょうな。

ぶろぐに限らず、功成り名なし遂げた人の過去話って、昔は苦労したけど、今は成功した、こうなったのは自分の運(あるいは力だ)みたいなもんがおおいけど、本当に都合の悪いことは隠蔽するだろうし、実はたいした苦労でないことを大げさにいっていたりとか、自伝くらいウソ臭いもんはない。

そういえば、ホリエモンがまだ小菅にいく前、本やでコーナーができていて、ライブドア成功の秘訣とか、ホリエモンの自伝みたいなものがたくさん積んであったけど、あれってどうなったんでしょうね。

熱帯雨林は大切にしないとね。
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DATE: 2006/05/22(月)   CATEGORY: 未分類
晴れた日はテレビを消して
最近、テレビをみない。

それはなぜかというと、季節が美しいから。

たとえば、すずめのヒナが親鳥にごはんをねだる、ピロロピロロという声が遠く近くに聞こえ、キジバトが仲間を呼ぶ声も重なったりして、とてもよろしい。

それに、生えそろったばかりの新緑(と雑草)がやや強めの風にざわめく音もいい。ついこの間までは木に葉がなかったのだから、このざわめき音も季節のものだ。

この風はまた、いづこからともなく、バラの香りやジャスミンの香りを運んでくる。

なんかこう、まったりと落ち着く。

新聞やテレビを見なくなって気がつくことは

「あんなもん、なくてもなんとかなる」

ということ。情報は自分の必要なものだけネットでチェックすればいいし、なにも、「平塚五遺体事件の二嬰児の父親は誰か」とか「千鶴子容疑者の壮絶な半生」とか、知る必要はないのである。

いや知らない方がいいだろ、こんなこと。

テレビや新聞や電話といった一方的に情報を送ってくる媒体は、思考や作業を滞らせ、時間を細切れにし、結果、落ち着いてものを考える機会を奪う。


バックグラウンドミュージックと思って聞き流せばいいのだろうが、一方的にながれてくるかれらの言葉遣いや思考パターンは、いつのまにかわれわれの精神を浸潤し、言葉遣いや思考パターンがうつってくるから怖い。

だから、テレビをけす。

この空白に美智子皇后の講演のテープでもきけば、わたくしの言葉遣いも少しは改善をみるのだろうが、面倒くさいので、とりあえず我が家の鳥の声をきく。

ベランダで、溺愛鳥ごろう(オカメインコ)がよびなきをしている。ヒライケン(カナリヤ)が地鳴きしている。セキセイ四羽は男の子たちがよく雄叫んでいるな。

みな健康だ。
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DATE: 2006/05/20(土)   CATEGORY: 未分類
カミナリ様のような一日
この一週間はハードであった。なので、今日はカミナリ様のように一日ゴロゴロする。愛鳥を枕の上にのせて午睡をむさぼる時ほど幸せなひとときはない。

のち、ときどき一般むけ原稿書き。

論文を書くについては、

せっせと史料集め→研究→論文の構成ねりねり→執筆

とそこには、ものすごい労力と時間が注ぎ込まれる。こういう時には、史料・参考書・論文コピー・辞書が山をなし、足の踏み場もない惨状を呈する。

一方、今やっているような一般の向けの原稿は、こゆーい学問をうすーくのばして、雑誌の内容にあわせて、講義口調、紀行文調、評論調などアレンジするくらいなので、らくちん。

 史料も参考書もほとんどいらないので、どこにいようが、パナソニックのLet's noteをパカパカひらいてどこどこ打ち込む。電車にのってても、組合の団交の席でも(オイオイ)、どこでもパカパカ開いてどこどこ打ち込む。私の評判もどこどこ落ちていることであろう。

 深く考えるのはやめよう。

最近、天気がよくなくいので、駅まで自転車に乗るわたくしはたいへんに不便。もともと大ざっぱな性格であるので、最近は雨がふっても自転車で駅まで行くことにした。確かにぬれるが撥水性のコートとかきてるとあまり気にならない。

自転車に傘はつめないので、当然傘なしででかけると、大学についてバスから降りると、校舎に入るまでぬれる。最近はこれも、「まあいーや」とぬれていく。
霧雨が多いので、傘をささずにバーバリのコートでしのぐイギリス人のようである。

といえば聞こえはいいが、ただの不精者ともいう。
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DATE: 2006/05/16(火)   CATEGORY: 未分類
コントロールできること・できないこと
ヤンキースの松井が手首を骨折した。
松井はこの春、日本中から冷たい視線を浴びつつもWBCをけって、ヤンキースのために調整し続けていた。
にもかかわらず、四年契約の一年目で、戦力外となったら、ヤンキースをたてた意味なし。
実力があっても、チームに恵まれても、信念があっても、
運だけはどうにもならない。

松井が元気だった頃、
「コントロールできることとできないことがあったら、
コントロールできないことには関心を持たない」
ことが大事だとインタヴューで答えていたそうだ。
上記の発言を松井がもし体得しているのなら、このような人事を尽くして天命に見放されたような出来事の渦中にあっても、心を揺らすことなく、ただ怪我の養生につとめていることだろう。

ものごとがうまくいかない人間というのは、どうにもならないことにウジウジ、ウジがわくまで悩み続け、そこから一歩も動けなくなっている人が多い。

こうなると、荒れた思念が心を乱し、物事をまっすぐ見ることも、前向きにものを考えることもできなくなる。

「どうにもならないことは、ウジウジ考えても仕方なし」

戦艦、ヤマトナデシコ、再浮上しまっす!
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DATE: 2006/05/14(日)   CATEGORY: 未分類
人は城、人は堀、人がすべてだホーヤレホ(壊れてます)
昨日は仏青の上映会であった。わたくしの解説でダライラマ映画を見るというものであった。

来てくださった方は「ムダな時間は一時もありませんでした」と満足してくださったものの、わたくし的にはとても疲れた。

会員諸君ががんばっているのはわかるのだが、いかんせんやはりいろいろ手落ちがある。以下にこれまでうすうす感じていた問題点を列挙する。

1.イベントにきて仏青に興味をもってくれた人に、間違ったメアドを教える。後に連絡がつかなくなり、関係はそこで終わる。

2.メアドをもらっても、そのあと連絡をいれない。仏青のMLにも加えない。基本的に放置。一月前の展覧会にきた人が今回もくるかと思ったら、リピーターはゼロ。聞けばこの一月間、まったく連絡をとっていなかったとのこと。部屋が決まらなかったからというが、「日付が決まった段階で、詳細はおって連絡します」この一言をマメに入れるだけで、次の関係への強化につながる。人と人との関係をつなげていく力が弱すぎる。

3.イベントを行う場合、少人数なので現場が回らない。

例:昨日の場合、すべての人が分担した仕事について能力があると仮定しても

六時少し前に現場にきてはやめにきた方を誘導する人。
機材を借りる人(二人)
鍵をかりにいく人
レジュメなどのコピーとり、あるいは連絡要員に一人。
最低五人は必要だった。人手がないのだから、イベントの日くらいみんな休まないくらいの気配りを示してほしい。

4.電機製品の接続はあらかじめ予行演習をやっておくこと。はじめての部屋ではじめての電機製品を使う場合にはどうしたって画面に映像がでるまで時間はかかる。部屋が事前に使われていたというなら、部室で機材だけかり出して予行をするしておくこと。それが無理なら、開始時間を部屋のとれた時間の一時間後にする。
 昨日のように、来ていただいた方を一時間待たせ、鍵の受け渡しをやらせ、さらに、配線まで御願いしているようでは、ホスピタリティという点で大いに問題がある。

 以上の頭痛のくるような状況のよってきたるゆえんは、すべて「互いの連絡が悪い」ということにつきる。

 みなはそれなりにやる気もあると思われるのだが、コミニュケーションと責任感がボンレスハムのように薄い。

 イベントを計画し、人をよんで、それを当日まわし、そこで集まってきた人と後々関係をつけていく、これは社会にでたら日常に行なわねばならないことである。その際、もっとも重要となるのは、コミニュケーション能力、すなわち、問題を他人と共有しつつ、解決する能力である。

 人と人との関係を結んで、ものごとを流していくことは人間社会の基本である。

 問題が生じても自分一人で抱え込んだり、適当に判断したりするのではなく、問題あるいは情報を共有し、みなで調整しながら解決していく。自分の抱えるもんだいを遠回しに「察してくれ」ではなく、直接はっきりと他者に伝えること。そうすることによって、それぞれのなすべきことがはっきりしてくるのだ。

これは仕事」という時は、個人的な好き嫌い、普段の関係の親疎のいかんにかかわらず、仲間ときちんと連絡をとりあい、問題を放置しないこと。これにつきる。

 たかが、サークル活動と思うなかれ。これは人生の基本である。
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DATE: 2006/05/10(水)   CATEGORY: 未分類
祝! ワンダー・ガーデン二刷り
九月にスタディツァーを行うことになっている、とある旅行社から電話があった。

「メールを見てくれましたか」と聞くので「見てません」と答えると、詳細を説明してくれる。彼によると出発は九月三日。

ドイツの学会から帰ってくるのが2日だから、次の日にまたチベットに行けってか。たまらんな。

 ショトン(チベット旅行のピーク期間)が八月なので、学会の前に設定するのはいやとのこと。しかし、日にちをあけると今度は大学の授業にぶつかってしまう。

うまくいかんもんである。

学者仲間には、一夏に三箇所くらいの外国にとびまわる人も少なくはないが、わたくしにはそのような体力も気力も根性もやる気もなんにもない。

学会からは早めにかえってきて、せめて中一日は開けるようにしなければ。

担当の方には「私の体が持つように皆で祈ってください」と投げやりに対応。

今度のツァーは何がなんでもツォンカパ聖跡ツァーにする。これだけオタクにすれば、人が集まらなければ流れて体は楽になるし、よもや催行となっても、自分の研究に資するため、這ってでもいくモティべーションはある(あるかあ?)。

その電話をきったすぐあとにとある編集から電話がある。聞くと、ダライラ猊下のちょっといい話を絵本にした『ワンダーガーデン』が二刷りになるので、チベット語の誤植を改めたい、ついてはチベット語の作文を行ったニューヨーク在住のとあるチベット人はファックスももっていない田舎者であるため(ケータイ持ってない私に言われたくはないだろうが)、代わりに見て欲しいとのこと。

 この絵本はある日の昼下がり、一人の女の子が昼寝をしようとしている時、子ウサギがやってきて、そのウサギからダライラマ法王と老犬と子ウサギの心温まる慈悲のものがたりを知るという、「夢だか現つかわかりません、不思議の国のアリス in ダラムサーラー」なお話である。

彼女がファックスで送ってきたページにある誤植に訂正をいれて送り返す。そしたら何か疲れたので、チオビタのんで、十全大補湯のんで、ごろう(オカメインコ)を肩にのせて昼寝することとする。トウのたった世俗に疲れたアリスin TOKYOである。

 そして、絵本の少女のようにぐーすかねたのち、むっくりおきあがって、なにげに絵本を手に取ると、彼女の指摘したページ以外にもまだあるよ誤植。

 現実はイタいもんだ。
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DATE: 2006/05/07(日)   CATEGORY: 未分類
仏教と哲学の間
「仏教を現代に問う」

 五月四日は結婚記念日。ただ食事をするのも何なので、二人で勝手に対談とする。場所は某会席料理屋、隠れ家のような趣を呈するこじゃれた店である。
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 なお、MDもパソコンも面倒くさくて携帯しなかったため、すべてうろ覚えによる採録であることをここにお断りする。

石「いやあ、先生今日は京都から遠路はるばるありがとうございます」

福「イヤミですか。先生こそ、昨日は大阪日帰りですから、お疲れでしょう。」

石「なんのなんの、まだ若いですから、なんてことありませんよ。どっはっはっ」

福「『まだ』ってところに、かえって歳が感じられますよ。はっはっはっ」

司会(プリティごろう)「イヤミの応酬が終わったところで、本題に入りましょう。まず、『思想としての仏教の可能性』というテーマでお話頂けますか」

福「いやあ、ボクはねカントの言う超越論的主観というものと、唯識思想のとく虚妄分別とが同じものである、という考えを卒論の頃からもってましてね、つまりは、仏教はカントが『コペルニクス式転回』とかやる前から、主観と客観を超越した識というものを考えていたわけですよ。」

石「まあ、たしかに、人間の意識の分析について、仏教思想よりグッジョブしているものはみあたらないですよね。人間の意識について扱う学問に、心理学というものがありますが、そもそも心理学という学問を提唱したフロイトが、仏教思想の礼賛者であるショーペンハウアーの影響を受けて、『人間の意識は理性のみでなりたつのではなく「意識されないけどそこにある自我」の影響も受けている』ことに気がついたのだから、仏教が西洋思想より一枚上手であることはマチガイありません。
 それにしても、精神の不調はすべて、抑圧された性欲であるというフロイトの考え方、なんとかなりませんかね。まだショーペンハウアーのいう『ただ生きようとする盲目の意思』が人を欲動するという方が、あたっている気がする。フロイトこそ、一番治療が必要な人だったんじゃないすかねえ。」

福「話がそれてますよ。ボクは唯識思想からその後、仏教論理学の世界に入ったのだけど、仏教論理学と言っても、ボクが関心を持っていたのは、卒論からの流れで論理学の認識論的な側面、つまり認識の構造とか、自己認識とか、意識に現れるものとは何かとか、そういうことね。」

石「前から言おうと思っていたんだけど、仏教論理学ね、何度説明聞いてもわからないんだけど、あなたの表現能力に問題があるの? それとも私のアタマに問題があるの?」

福「数学の微分・積分をとくためには、まず数字を覚えて、足し算引き算からはじまって、様々な公式や定理を覚えなければいけませんよね、論理学をただ簡単に説明しろと言われてもそれは無理。まず定理や公式を覚える努力をしてもらわないと。」

石「じゃあ、その定理や公式をわかりやすく解説してよ。だいたい仏教はきわめて論理的かつ理性的な教えなのに、世の扱いは、仏教=宗教=いかがわしいの悪意の三段論法。これは仏教哲学の専門家が文献学ばっかやってて、仏教思想の論理性について伝える努力を怠っているからだと思いますよ。だから、仏青も凋落するんだよ」

福「仏青に人がこないのは、ネーミングだダサいからじゃないの」

石「教授会承認がなきゃ名前変えられないんだから仕方ないだろう。」

司会(ごろうザ・ワイズ)「はいはいはい、そこまで。では、『仏教が現代にもつ意義』について、語りあったりしていただけますか」

石「仏教のすばらしさは、人間とはこのようなものである、世界とはこのようなものである、ということを論理的に説明すると同時に、どうすれば、幸せになれるかという手段についても説いているところでしょう。事物を見通す智慧と、この苦しみから逃れる手段(方便)が二つながら備わっているんですね。これは学問に終始する哲学では及ばないところです。」

福「カントやショーペンハウアーなどの西洋哲学をいくら読み重ねても、目の前の問題は解決しないからね。哲学は学問であり、学問は人を幸せにすることに興味はない。たとえば、ヴィトゲンシュタインの言語哲学は、すばらしいものと絶賛されているけど、彼の人格は今的にいうと完璧な人格障害。自分も回りも徹底的に苦しめて、悟るどころの人じゃなかった。学問が人格に何の影響を与えない好例ですよ。
 そもそも、西洋の哲学ってのは、ギリシャの昔から学問以外のなにかであったことがない。例えば、アリストテレスは、哲学の根本である形而上学の他に、論理学や倫理学、自然学、心理学、詩学、政治学などの著作を書き、それが長い間、西洋の学問の基本になっていた。ところが、その後、そういう哲学の一分野だったそれぞれの学問が、時代が降るにつれて哲学から独立して客観的な学問として独立していく。
 一人とり残された哲学は、焦りまくり、そういう他の学問の基礎とか根拠とかを問題にすることに活路を見いだそうとした。全ての学問の根っこを押さえて諸学の母に返り咲こうとしたわけね。 こうして学問や学問の根拠を追求することに奔走していた哲学は、人生の問題を語ることはできなかった。そこんとこ誤解してる人が多いんだけどね。」
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石「哲学すれば人生のなんたるかがわかるようになる、って大いなる誤解か。その点仏教は違う。この世というものは、人の意識というものは、そして、仏法とはかくかくしかじかのものだ、と論理的に解き明かしてくれた上に、さらに、われわれの不幸のもととなっている煩悩をとりのぞくための手段(方便)というものも説いてくれている。」

福「その方法っていうのは、人それぞれによって違う。お釈迦様は八万四千の法を説いたって言うけど、それはそれぞれの人に合わせて、その人に一番あった方法を説いたって言うこと。そして、いくつ方法があろうともその目指すものは、強すぎる欲望をコントロールして、他者を思いやり、それによって自分も幸せになろうってただ一つのこと。仏教は、その教えを心にとめて克己を始めた瞬間から、心のありようが少しずつでも変わっていく非常にプラクティカルな教えだよね。今風にいえば自己抑制のきいた自立し、かつ社会的な人格に徐々にだけどかわっていく。だから、一億総アダルト・チルドレン時代に、仏教は有効な教えだと思うよ。」

石「でもね、『~してほしい』『~してもらいたい』と極端に自分のことしかみえてなくて、そのくせ何かにすがりつかなければ立てないようなヘナヘナな人には、仏教は向かないんじゃない? そういう人はキリスト教の神様の方が温かく迎えてくれるかも(笑)。ヘナヘナな人は仏教にすがりついても、なんかアヤシイ方向へ流されて、気がついたら、仏の教えとはま逆の岸辺にながれついていた、なんてということになりかねない。」

福「仏様は人を選ばないけど、凡夫は自ら仏様を遠ざけるわけですね」

石「そうだよね~、仏の境地は、美醜やアタマの善し悪しで入場制限しているわけないもんね。仏様になれる可能性は誰にだって開かれているけども、多くの人は仏になれない。この事実は、われわれの度しがたさを物語っておりますな。」

司会(マイハニーごろう)「人間が度し難いという点では一致するところが、なんとも言い難いですね。
 気を取り直してまとめることとしましょう。仏教は学問としてイケているばかりか、人の幸せも実現してくれる実践的な教えであると。また、その教えとは、自立した大人の人格を作り出していくことから、一億総アダルト・チルドレン時代に必須の教えであると、しかし、あまりにも依存症の人には向かない、てなとこでよろしいでしょうか。」
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福・石「まあ、いいんじゃないでしょうか。」

司会(エンジェルごろう)「では、先生方、ゆっくりお食事をめしあがってください。ちなみに、ツケはどちらが支払われるのですか?」

福・石(同時に)「あなたでしょ?」

司会(ごろうマイラブ)「では割り勘ということで、お開きにさせていただきます」
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DATE: 2006/05/04(木)   CATEGORY: 未分類
チベットの仏教母タントラの灌頂を授かる
 朝、四時半起床。うう、つらい。
 もともと寝が浅く明け方に二~三回目が覚めるが、今日は二度寝はできない。

 支度をして羽田にむかう。今日は、六時半発の大阪伊丹行きJALに乗り、清風学園で行われるターラー菩薩の灌頂を授かった後、四天王寺で授業で使う資料映像を撮って、夕方六時半発の羽田行きに乗って日帰りする強行軍である。

 行き当たりばったりが身上のわたくしにはこのような細かなスケジュールはもっとも苦手とするところ。心配したダンナは行動予定表を作ってくれた。みると何時何分の電車に乗るか、それに乗り遅れたらどうするかまで指示されており、最後には関係各位の電話番号まで載っている。

 わたしは小学生か。

 ケータイも持たされた。じつは私はケータイを持っていない。なので、いきなりわたされても使い方がわからん。

 昨日のんだ睡眠薬のせいで機内ではバクスイする。昨日東京は大荒れの天気だが今日の大阪は晴れている。さすがチベットの高僧である。

 空港バスでもバクスイし、清風に向かう。今回の灌頂には破顔君が志願して参加することになっている。彼は昨日は書写山で如意輪観音のご開帳をみたのち、学園の近郊に宿を取っていたらしい。

 彼にとって灌頂ははじめてのこと。彼はいずれお寺をつぐ身で、日本仏教には非常に造詣が深い。そのため、彼がチベット仏教をどうとらえるかは、興味深い点である。

 灌頂は盛況で前列をしめた大阪経済人をはじめとして善男善女がみなみな、ツォンカパの『修道に関する三つの要点』(ラムツォナムスム)などに耳を傾け、ターラー尊の加持を授かる。

 四時に終わった後、破顔くんと四天王寺に向かう。彼は早朝の読経に参加するために朝五時に来ていたのだが、開門が八時ということで出直しである。境内には「しゅーじょーむーへんせいがんどー」と、四弘誓願の歌が流れている。いいのう、と思ったら、それは閉門の合図であった。まだ、四時半である。やる気ないな、四天王寺。

 仕方ないので、極楽門など境内外の諸堂をまわって写真をとる。破顔くんは灌頂もチベット仏教への接触もはじめてだったようだが、私に気を遣っているからかも知れないが、まあ興味をもってくれたみたい。よかった。

 日本仏教は仏画でも、仏像でもお庭でも、お坊さんの立ち居振る舞いでも、非常に洗練されていて、清潔でスタイリッシュ。

 ところが、チベット仏教は、仏像・仏画は極彩色のキンキラキン、パワフルでカラフル。チベットのお坊さんの法衣はトップのダライラマのあの質素なスタイルをみればおわかりだと思うが、緞子の袈裟なんてありえない。所作は密教に関する手の動作とかは日本と同じだが、普段の立ち居振る舞いに禅宗のような厳格な決まりはない。日本人からするとざっくばらんにみえる場合もある。

 だから、仏教をオシャレ~と雰囲気で愛する人はたぶんあまりチベット仏教は受けないだろう。

 しかし、中身を見てもらいたい。昨日は休日なので、日本では全国各地の寺で結縁灌頂が行われていただろう。しかし、そのどの導師であろうとも、本日のギュメ寺管長ほど戒律をしっかりまもり、かつ、哲学をきわめ、さらにはこの灌頂にあたっての前行をしている人はいないだろう。

 また、集まってきた人にきちんと縁起や空についての解説を行えた人はいないだろう。

 ロプサン・ガワン師は最後にこういった。
「あなた方のうち一人でも仏教にこころを向ける人がでてきたらいいと思います。これは命令ではありません。心のありようを変えたら幸せになれますよ、こういう考え方もあるんですよ、ということなのです。今日家に帰ったから、家族の人に今日の話をするれば、それだけでも仏教を他人に伝えたことになります。お釈迦様が仏教を説いた時はたった一人でした。しかし、今は世界中の人が仏教を信じています。みなさんも仏教に心をむけてください。」

 ええのう。

 比べるのも失礼だが、例のトンカツ住職はわれわれからン十万円の布施を要求したあの日、

「×○宗には、△×寺と■○寺という二つの本山があります。両本山はとても仲良しです」というたしか五分もしない法話であった。つまり、

チベット仏教はスタイルの面で日本仏教よりもおとろうとも、仏教哲学を研究し、瞑想をし、それを他者に伝承していくという点においては、チベット仏教の方が日本仏教よりもはるかに洗練されており、奥深いということなのである。
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