鉄骨を抜くように必修科目を抜いた"必修偽装事件"
世界史は高校の必修科目である。
あたり前である。世界を知ることによって人ははじめて大人になれるのである。
とくに、日本のような資源もなにもない小国は、世界にもの売って、世界からもの買ってはじめて生活できる国である。世界のどこにどのような国があり、どのような成り立ちがあり、どのような民族がどのような宗教を信じながら共存しているかを知り、その上で、それらの国とうまくつきあっていってはじめて世界で生き抜くことができるのである。
世界史はいつの時代でも人類必須の教養であり、とくに日本人にとっては必要な教養である。
ところが、今回、全国の名門高校で、受験で世界史を選択しない学生には世界史を最初からとらせないシステムになっていたことが発覚した。受験に関係なければ世界史は学ばなくていい、と名門高校の先生方・父兄方・学生に太鼓判おされてしまったわけである。
そのうえ、発覚した後にも「受験生に不安をあたえるな」「特別な配慮を」とかいう声がでていて、あたかも「世界史なんてどうでもいいから、彼らを受験に集中させろ、」といわんばかりの論調が横行している。
これはどうも世界史以前の問題である。どうも、今の教育現場では学ぶということのとらえ方が信じられないくらいまで倫理的に低下しているらしい。
いくら形だけの卒業証書をあたえても、該当する学生に世界史の教養がないという事実は変わらない。彼らがローマ帝国も、フランス革命も、帝国主義の時代も、ベルサイユ宮殿も、ポタラ宮も、インカ帝国も知らないことにはかわりない。
知らないということは悲しいことである。自分の国しか知らない人間、目の前にあるこしか興味をもたない人間がはたからどうみえるか私の乏しい体験から実況してみよう。
ハタチの頃、最初にインドを旅行した時のことである。
当時はまだ愛らしかった私のまわりにはどこにいってもインド男がものめずらしげによってきて、いろいろ聞いてくる。
インド人A 「お前何人だ」
私「ニポン人だ」
インド人B「お前のカーストは何だ」
私「ニポンにはカーストはないよ。」
インド人B「じゃあお前の父親の職業はなんだ(結局カーストきいてんじゃん)。」私が会社員が英語でなんていうのかわかんないので「サラリーマン」と答えたら、そのインド人わかんないのか不可解な表情をした。
インド人A「で、ニポンはどこにある。ニポンのお札を見せてくれ」
私「ニポンはここである」(インドと日本の位置関係を記した地図を書く)
インド人A「そうか中国の一部か」
インド人にとっての外国は国境紛争でもめている隣の国中国のみ。彼らにとっての社会はカーストで分断されたあの格差社会のみ。自分の国からの延長ですべてを考えるため、ハタチの小娘の私からみても狭い世界に住んでいる人達だと思った。
今のような教育続けていたら、こういうインド人と同じになっちゃうんだよ。いいの?こんなんで。
さらに、自分の国しか知らない人間は、理解できない他文明を見下すことにより、トラブルの多い人生をおくることもよく知られている。
さらに、今高校で行われている教育とは、学問を大学合格の手段としか考えない、まったくもって貧困な発想で行われているものであり、学問の神を冒涜するものである。
学問とは受験や資格など何かご褒美をえるためにやるものではない。そのような目的のみで勉強しても、"知識"がつくだけで、智慧もつかなきゃ人格も向上しない。
智慧も人格もない知識だけの人間は、社会にでても他国・他人とのコミニュケーションでつまずいて、しょせんその"知識"を社会や他人に還元することはできない。
いい大学出て、山のような資格もってても、社会でるとまったく通用せず、どんな職についても続かない人などはそのいい例だ。
学ぶということは、「今までわからなかったことが、わかるようになる」そのようなヨロコビによって行われるべきものである。
学ぶことは、今の自分をコワして、あたらしい自分をつくっていく、スリリングで、楽しく、わくわくする体験であり、つねに自分を進化させる感覚なのだ。それは教科の知識を通じて学ぶものにあつみをもたらすものなのである。
何かのご褒美を手に入れるために、固定した枠組みの中でトリビアルな知識を苦行のようにつめこむようなことは、真の学びではない。
「〜大学に合格したら、〜買ってあげるわ」「いい大学にはいってくれたら、お母さん鼻が高いわ」とかいって愛情やモノという対価をちらつかせて、子供に勉強をやらせている親や教師は、いずれ子供がどのようになるか、その行く末を自分の眼でもってみるがいい。
いい点数・資格の数・大学のブランド・入社した企業など、自分の獲得したブランドでしか自分を評価できない、自己愛だけが強い虚弱なエゴが肥大してくだけ。"肥大"である。成長ではないのである。
見た目は大柄で、飾り立てられていても、鉄骨がスカスカなので、大きな地震がきたら一瞬で崩落である。
かわいそうに。
あたり前である。世界を知ることによって人ははじめて大人になれるのである。
とくに、日本のような資源もなにもない小国は、世界にもの売って、世界からもの買ってはじめて生活できる国である。世界のどこにどのような国があり、どのような成り立ちがあり、どのような民族がどのような宗教を信じながら共存しているかを知り、その上で、それらの国とうまくつきあっていってはじめて世界で生き抜くことができるのである。
世界史はいつの時代でも人類必須の教養であり、とくに日本人にとっては必要な教養である。
ところが、今回、全国の名門高校で、受験で世界史を選択しない学生には世界史を最初からとらせないシステムになっていたことが発覚した。受験に関係なければ世界史は学ばなくていい、と名門高校の先生方・父兄方・学生に太鼓判おされてしまったわけである。
そのうえ、発覚した後にも「受験生に不安をあたえるな」「特別な配慮を」とかいう声がでていて、あたかも「世界史なんてどうでもいいから、彼らを受験に集中させろ、」といわんばかりの論調が横行している。
これはどうも世界史以前の問題である。どうも、今の教育現場では学ぶということのとらえ方が信じられないくらいまで倫理的に低下しているらしい。
いくら形だけの卒業証書をあたえても、該当する学生に世界史の教養がないという事実は変わらない。彼らがローマ帝国も、フランス革命も、帝国主義の時代も、ベルサイユ宮殿も、ポタラ宮も、インカ帝国も知らないことにはかわりない。
知らないということは悲しいことである。自分の国しか知らない人間、目の前にあるこしか興味をもたない人間がはたからどうみえるか私の乏しい体験から実況してみよう。
ハタチの頃、最初にインドを旅行した時のことである。
当時はまだ愛らしかった私のまわりにはどこにいってもインド男がものめずらしげによってきて、いろいろ聞いてくる。
インド人A 「お前何人だ」
私「ニポン人だ」
インド人B「お前のカーストは何だ」
私「ニポンにはカーストはないよ。」
インド人B「じゃあお前の父親の職業はなんだ(結局カーストきいてんじゃん)。」私が会社員が英語でなんていうのかわかんないので「サラリーマン」と答えたら、そのインド人わかんないのか不可解な表情をした。
インド人A「で、ニポンはどこにある。ニポンのお札を見せてくれ」
私「ニポンはここである」(インドと日本の位置関係を記した地図を書く)
インド人A「そうか中国の一部か」
インド人にとっての外国は国境紛争でもめている隣の国中国のみ。彼らにとっての社会はカーストで分断されたあの格差社会のみ。自分の国からの延長ですべてを考えるため、ハタチの小娘の私からみても狭い世界に住んでいる人達だと思った。
今のような教育続けていたら、こういうインド人と同じになっちゃうんだよ。いいの?こんなんで。
さらに、自分の国しか知らない人間は、理解できない他文明を見下すことにより、トラブルの多い人生をおくることもよく知られている。
さらに、今高校で行われている教育とは、学問を大学合格の手段としか考えない、まったくもって貧困な発想で行われているものであり、学問の神を冒涜するものである。
学問とは受験や資格など何かご褒美をえるためにやるものではない。そのような目的のみで勉強しても、"知識"がつくだけで、智慧もつかなきゃ人格も向上しない。
智慧も人格もない知識だけの人間は、社会にでても他国・他人とのコミニュケーションでつまずいて、しょせんその"知識"を社会や他人に還元することはできない。
いい大学出て、山のような資格もってても、社会でるとまったく通用せず、どんな職についても続かない人などはそのいい例だ。
学ぶということは、「今までわからなかったことが、わかるようになる」そのようなヨロコビによって行われるべきものである。
学ぶことは、今の自分をコワして、あたらしい自分をつくっていく、スリリングで、楽しく、わくわくする体験であり、つねに自分を進化させる感覚なのだ。それは教科の知識を通じて学ぶものにあつみをもたらすものなのである。
何かのご褒美を手に入れるために、固定した枠組みの中でトリビアルな知識を苦行のようにつめこむようなことは、真の学びではない。
「〜大学に合格したら、〜買ってあげるわ」「いい大学にはいってくれたら、お母さん鼻が高いわ」とかいって愛情やモノという対価をちらつかせて、子供に勉強をやらせている親や教師は、いずれ子供がどのようになるか、その行く末を自分の眼でもってみるがいい。
いい点数・資格の数・大学のブランド・入社した企業など、自分の獲得したブランドでしか自分を評価できない、自己愛だけが強い虚弱なエゴが肥大してくだけ。"肥大"である。成長ではないのである。
見た目は大柄で、飾り立てられていても、鉄骨がスカスカなので、大きな地震がきたら一瞬で崩落である。
かわいそうに。
| ホーム |
