白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2006/11/28(火)   CATEGORY: 未分類
鬼子母神譚に見る"凡夫向け今できること"
急に寒くなったせいか、体の調子がよろしくない。
昨日は眠れなかったし、うとうとした間に首を寝違えたのか今日は借金漬けのごとく首が回らない。
会議の時間中、首回しをリハビリをする私は、まるでオッサン。

先週の土曜日は小坊主の一人破顔君が雑司ヶ谷の鬼子母神の境内で手作りの焼き物で市を出すというので、鬼子母神に向かった。

ところが、チベット医学の勉強会の筑前煮、もとい直前によったため、遅すぎて彼は帰った後であった。・・・・。

何やってんだか。

 しかし、鬼子母神には前から気になっていたお寺であるので、気を取り直して古寺巡礼モードにチェーンジ。

 鬼子母神がいかにして仏教の守り神となったかは『雑宝蔵経』(大正No.203)に詳しい。
 例によってうろおぼえで、アムロ、いきまーす。

 鬼子母神は一万人の子供がいる魔女であった。彼女は人の子をさらっては食らうことをならいとしていたが、ある日お釈迦様は彼女の行いを改めさせようと、一万人目の子供ピンガラを隠してしまった。
 悪女の深情けそのままに鬼子母神は愛児ピンガラを狂ったように探し回った。
そこでお釈迦様登場。
 「なんじは一万人の子供のうち、たった一人がいなくなっただけでもそのように取り乱すのに、普通の家は一人か二人しかいない子供をお前に食らわれているのだ。子供を喰われた親の悲嘆はいかばかりであろうか。
 お前がこれから人の子を殺して食らうのをやめれば、ピンガラを返してやろう」
 鬼子母神、前非を悔いてお釈迦様に帰依して、これから殺人の罪を犯さないことを誓い、それからはこの世のすべての子供の守り神となった、めでたし、めでたし。

とっぺんはらり。
emajpg.jpg


 鬼子母神はザクロを手にするため、お堂の欄間にはザクロがきざまれており、絵馬もザクロである。ザクロは実が一杯あるので一万人の子をもつ子だくさんの鬼子母神を表すとも、人肉に似た味がすることから、この実をもつとも様々な説がある。

 この雑司ヶ谷の鬼子母神像は菩薩形の優しいお姿に創られているため、鬼の字から角をとった異体字の鬼の字を使う。
 鬼子母神様に、ごろうちゃんを守ってもらうため、鬼子母神様のお札をかう。小鳥部屋にべったしはろう。
 鬼子母神は法華経を守護する神の一人にも数えられているために、とくに日蓮宗にての信仰があつい。実はこの雑司ヶ谷の鬼子母神堂を管理する親寺、法明寺も日蓮宗の大寺である。しかし、例によって親寺の方は人気がなく、さびれまくっている。お寺のボディガードにあたる鬼子母神のお堂の方が、はやりまくっているのは皮肉な話だ。しかし、お堂が寺側にのこっただけまだよく、これが神社だったりすると、明治初年の神仏分離令の際に別法人となり、本来ガードマンであった神社がお寺の境内と信者をごっそりともっていき別組織になり、残された寺が経済的にひーひーいうということも多い。

 ま、暗い話はおいといて、この鬼子母神の物語、なかなか味わい深い話だと思う。自分の宗教、自分の民族、自分の国家、自分の家族とか、自分自分とエゴエゴするところに世界の紛争は生じてきた。

 自分と異なったものや自分に悪感情をもっている者を愛することはなかなか難しい。しかし自分が愛しているものの範囲を少し拡大するくらいならできるかもしれない。

 鬼女ですら、自分の子供を可愛いと思う心を、人の子供に拡大していくことができたのだから。

ranma.jpg

[ TB*0 | CO*0 ] page top
DATE: 2006/11/25(土)   CATEGORY: 未分類
オカメインコ強化月間パート3
光臨記念ページ創りました。外部リンクなので以下をクリック!

http://ishihama.tibetan-studies.net/okamenomori/gorochan/mitokoumon.htm
[ TB*0 | CO*6 ] page top
DATE: 2006/11/21(火)   CATEGORY: 未分類
ダ・ヴィンチコードのヒロインは「般若」
日曜日、DVDでダ・ヴィンチコードを見る。

原作はゼミ生から借りて読んでいたので(買え)、ストーリーについていけないということもなく、まあ面白かった。

しかし、こんなキリスト教オタク向きの作品、日本のフツーの人がみて理解できるのかいな。

 「イエスは神ではなく人であった」
 「最初の司教はパウロでなくマグダラのマリアであった」
 「カソリック組織オプス・デイが、じつは信仰のためには人殺しもするかも」

 をセンセーショナルに感じるのは、敬けんなキリスト教徒か、あるいはキリスト教がある程度の力をもった社会の構成員だけだろう。

 ダ・ヴィンチコードのテーマは「男性中心の社会に女性原理を復活させる」というものである。

 カソリックの組織は男性優位社会である。どんなに勉強しても信者がいても女性は教会職にはつけないし、信者にたいして産児制限を否定するので、カソリックの女性は子供を産み続けねばならず(カソリックの強い地域では人口が多くなるのは信仰故のことなのです)、さらに夫がダメ夫でも離婚も許されない。
 その結果として、往々にして女性が忍従をしいられるため、リベラルな人々からカソリックはすこぶる評判が悪い。

 海外でダ・ヴィンチコードを礼賛している人々は、パターナリズムに対して多かれ少なかれうんざりしている人々なのだろう。

 しかし、

「この国では神はパワーレスである。」by ジョージアのCMでトミーリージョーンズ扮する人間に化けた宇宙人(ああ、ややこしい)

 日本人の大半にとって、キリスト教のイメージは、結婚式の時に新郎新婦に愛を誓わせるアヤシイ日本語をしゃべる神父か、クリスマスの時にプレゼントもってくる肥満体のじいさんくらいのもんだろう(しかもクリスマスは元来ケルトの民間信仰だったりするし)。

 だから、ニポン人でこの作品を礼賛している人は、この作品のテーマではなく、作品の舞台となったルーヴル美術館とか西洋中世のゴシック建築とか、そこに隠された歴史的なナゾとく部分にわくわくしたのであろう。

 いつもながら浅いぞ日本人。

 白雪姫は、オタクなので、カトリック教会のパターナリズムに対する批判の部分でも美術品にひそむナゾを解く部分でも、両方楽しめた。

 ちにみに、白雪姫はこの作品のテーマである「女性原理の復活による、男女の調和」という思想に反対ではない。ものごとに通底する両極性・両面性すなわち、男であれ女であれ、強者であれ弱者であれ、

 異なる二つのものが互いを尊重する時、そこにはじめて調和が生まれ、光が生まれる。

 一方、どちらか一方を否定して、残る一方でつっぱしれば、必ず破綻する。


 ダ・ヴィンチコードのヒロインの名前はソフィー(智慧)という。キリストが愛の人であったことは有名なので、ここでは、智慧は女、愛は男が象徴していることになる。

 一方、仏教でも智慧(仏教用語で般若)は女性、慈悲(愛)は男性が象徴し、この両要素をともに身につけて仏となるという思想がある。

 つまり、二つの両極が互いに融合してこそ、完全な人格(仏)は生まれるのである。
 声高に女権を叫んで男を否定するのでもなく、
「女に何ができる」と女をバカにするのでもなく、

 両者が互いを尊重することによって理想的な社会が生まれるのである。
 
[ TB*0 | CO*2 ] page top
DATE: 2006/11/18(土)   CATEGORY: 未分類
お遍路の光と闇(おおげさ)
井村屋のあんまんを食べながら仏青の例会に参加する。

 まずわたしがダンナを叱咤激励して徹夜してつくらせた「超宗派お寺データベース」(仮称)についての概要を説明し、みなへの協力を求める。これについてはまたいずれ。

 そして、例によって、インターネットで袈裟の値段を調べて、「おっ、この袈裟いっせんまん」とかもりあがったり、七時のニュースにつっこみをいれたりと、ゆるいもりあがりかたをしつつ、少年Hくんより、八十八箇所巡礼の作法をきく。

 これが結構、面白かった。

 八十八箇所巡礼とは、弘法大師さま(空海)ゆかりの八十八の寺院をたどって四国を一周する、日本でもっとも人気のある巡礼ルートである。お遍路といえば分かる方も多いのではないか。

 最近、このお遍路は、NHKやマスコミや旅行会社がそろってブームをしかけた結果、この八十八箇所巡礼路には大型バスが大挙して全国からおしよせ、歩きの巡礼も健康増進を目的とするうぞうむぞうまで参画して、わけわからん状態になっている。

 少年Hくんは、この八十八箇所を十分の一とはいえ作法にしたがって歩いてまわった経験をもつ。

 彼は巡礼の時につく杖、お寺を訪れた時におさめるお札、お寺を訪問した証に事務所で書いてもらう朱印をあつめた朱印帖、巡礼の衣類などを参考にもってきてくれた。

 わたし「お札って、巡礼一回終えるごとに色がかわるんだよね。そいでもって百回まわった人はゴールドカードになるんだよ」

 一同「へー」

 少年H「ボク百回のお札の切れ端もってますよ」

 わたし「見せて見せて。この百回のお札って万病にきくって俗説があって、百回以上巡礼地まわった人の後ろには、ジジババたちが群れをなしておっかけしているんだよねー。あー、ありがたい」

 少年H「この杖は御大師さまの分身なので、巡礼中決して粗末に扱ってはいけなくて、宿についた時も自分の足を洗うよりも先にまず杖の先を洗うんですよ。今も上座においてますし」

 わたし「この部室の上座っていえば、一応仏壇のあるあそこじゃないの?」

 少年H「でもあの仏壇の前ゴミだらけなんで、ちょっと置くのが憚られて・・・」

このゴミは俗称スメール山といわれて、悪臭の原因となっている。はよすてろ。

 少年H「徒歩で巡礼する人は、同じルートを同じ速度でだいたい移動するから、経験のある人からいろいろな情報を教えてもらったりとか情報交換をするんですよね。これはお寺周辺の簡易宿泊所やおいしいラーメンやの情報をあつめたリストです」

 一同「おー」

 少年H「徒歩の巡礼のためには、お寺がお堂を宿泊用に準備していることもあって、通夜堂っていうんですけど、どのお寺がどこを通夜堂にしているのかとか教えてもらえるのもありがたいです。通夜堂は本来貧しい巡礼者や修行を行う人のために寺側が好意であけている堂なのに、最近は興味本意でここにとまる人が増えてきて、貧しいまじめな巡礼者が迷惑しています。」

 そして、少年Hくんの昨今のケイハクな巡礼ブームに対するするどい指摘がはじまった。

 いわく、巡礼路の沿道の人々は、貧しい巡礼に食べ物や宿やお風呂を世話することによって、善根を積むという「御接待」という習慣がある。御接待をする方は行として行っており、決して楽にやっていることではないのに、

 最近ブームになって、虫のようにわいてきたにわか巡礼者たちの中には「御接待はしてもらって当然」「善根宿もタダでとまってとうぜん」「風呂もかしてくれてあたりまえ」という吝嗇家・興味本位・鉄面皮・厚顔無恥な連中が多いのだという。

 当然彼らは、これらの宿で自分がいかにお金もって楽な隠居生活をしているかを自慢することも忘れません。

 これはイタイ。イタタタタ。

わたしは巡礼がブームになることは、日本人が精神性をとりもどすいい契機だと思っていたが、これを聞くと、そんな単純な問題ではないことがわかった。

 少年Hくんによると、ブームで儲かるのは88箇所のお寺と旅行社だけ(御朱印をかけば巡礼一人アタマ300円から500円とれるし、御利益グッズもうれる)。お遍路を支えてきた沿道の方にとっては、負担が増えるだけで、何もいいことない。
 とくに、上述のような吝嗇・興味本位・鉄面皮・厚顔無恥な巡礼客ばかりでは接待の気も萎えるというもの。

 こういう困った巡礼客は沿道の方に迷惑をかけないよう、大型バスで移送した方がいい。

 いろいろ考えさせられる、少年Hくんの巡礼話であった。

 ちなみにワタシは全国百観音を踏破した百観音の御朱印をもつ実績を誇るが、分をわきまえているので、行程のうち歩いた部分はごくわずかであり、電車やバス、タクシーまでつかう大名行脚であった。沿道の方に迷惑はまったくかけていないが、Hくんのように何か人に語れるものもまったくない。
[ TB*0 | CO*4 ] page top
DATE: 2006/11/15(水)   CATEGORY: 未分類
オカメインコ強化月間パート2
本日15日は愛鳥ごろうが光臨した記念日(光臨祭)。

恒例の(いつ恒例に?)イシハマ・コレクションの逸品を紹介したい。

まず、この楽譜。これは歌手の蜂谷真紀さんがご自分のオカメインコのかわいらしさをうたった「純真トーク」の原楽譜である。

jyunsintalk



 蜂谷真紀さんはこれというジャンルにとらわれず降りてきた音楽を奏でるミューズのようなシンガーである。

「オカメインコ世界会議」という持ち歌をオカメインコをイメージした衣装でうたう、オカメインコなシンガーでもある。

音楽の神が降りてきて、彼女の手を五線紙におどらせる瞬間の躍動がつたわってくる譜面ではないか。しかも、譜面上には真紀さんのオカメインコ、のごしちゃんの歯形までついているのだ。

清少納言が『枕草子』で、「鳥は、異所のものなれど、鸚鵡、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ」といい、平安の昔から今にいたるまで、鸚鵡の蜂蜜ボイスは日本人の心をがっちりつかんできたのだ。

そして、下は真紀さんのご主人(NHKのプロデューサー)がだした『倒立』という俳句の小冊子(非売品)から、のごし近影です。
sotowayuki


「外は雪、オカメインコは羽繕い」

イシハマ・コレクションのこゆさがおわかりいただけたであろうか。

オカメインコに対する愛、これがコレクションに不滅の輝きを添えるのである。

で、このよき日にあまり暗い話はしたくないのだが、オカメインコの福利のために一言。

数日前、ミクシのオカメインココミュニティの掲示板に「傷ついた迷いオカメインコを保護している」と、警察官の方のカキコミがあった。引き取り手がないと、行政におくられて処分される、というので皆「ヒー」とあせったのだが、結局、その傷がもとになりオカメインコは息を引き取ってしまったという。

どんなに飼い主さんに子供のようにかわいがられていようとも、鳥は飼い主さんのもとを離れた瞬間に法的な扱いは「モノ・器物」となる。モノである以上、持ち主以外の人に所有権はなく、どなたかが自分がひきとって看護したい、と申しでても、はいそうですか、と簡単に渡すわけにいかないらしい(行政タコ)。

 しかし、オカメインコはモノではないから、元気ならまだしも、今回のように傷ついていると致命的な結果になってしまうのである。

 明らかに手乗りの鳥を保護したら警察に届けだけだして、自分のうちで世話し、必要てあらば病院におつれするのが正解。まちがっても警察に鳥を置いていかないこと。弱っていたらそのまま死んじゃうし、引き取り手がいなかったら行政にわたされてガス室に送られてしまう。

 とにかく、
 鳥をお世話すると決めた以上、寿命一杯一杯まで、カラスや猫や病原菌などの外敵から彼らをまもり、また、逃がさないことこそが、飼い主のつとめである。

 光臨祭の吉日にあたり、以上の基本的原則をいっそう肝に銘じる。
 
 ちなみに、鳥を逃がしてしまった場合には、警察様はたよりになることもある。広域に情報を流してくれるし、捕まえるのを手伝ってくれることもある。

 ゼミ生によると、羽賀健二の白いオウム様が逃げた時には、六本木の道をパトカーで封鎖して警察官が何名もかかりきりで保護をしたそう。

 「彼女は税金をおしみなく投入しての捕獲作戦でした」と批判的であったが、遊びで自分の意思で雪山にはいって遭難した人を県警のヘリが助けにいくよりははるかに安いし、同情の余地はあると思う(県警のヘリは出動費オール税金で、遭難者は一銭もだしません)。
 
 皆様、くれぐれも愛鳥を「モノ」にしないよう気をつけよう。
[ TB*0 | CO*6 ] page top
DATE: 2006/11/11(土)   CATEGORY: 未分類
ゆるさの極致仏青例会の実況
木曜日、イチゴアイスをなめながら仏青の会議に参加。
本日は特別にその会議の様子を実況しよう。

私が部室に到着した時には、来年度の新歓について話し合っていた。

机の上には広島名物もみぢまんじゅうが。
なんでも部長のねもっちはダライラマ猊下の広島大聖院での灌頂に参加してきたとのことである。
ねもっちはこの夏休みはチベットいったし、早稲田祭の休みはダライラマ猊下に会いに行くし、急速にチベット化が進んでいる。

誰の影響なんだろう(オノレじゃ)。

部室のテレビがきりかわってニュースがはじまる。時間を確認しようと思って、テレビの上の時計を見ると、三つもあるのにどれもきっちりした時間を表していない。おかしい。

私「三つも時計あるのに一つもあってないんじゃないの」

ほとけどじょうくん「いやこれは現代美術としておいてあるので」

私「せめて真ん中の一個くらいは時間あわせておいたら。ところでこの地図はなに」

ほとけどじょうくん「これ江戸時代の早稲田の地図なんです。この昔と今の地図が重なっているやつと比べるとよくわかります」

私「早稲田大学がたっているのはこの地図のどこ」

破顔くん「道筋は昔のままですから、ここが穴八幡て゛このあたりです。本部キャンパスは水稲荷神社をつぶしてたってますね」

私「文学部は正覚寺の境内ぢゃないか。」

ねもっち「センセが前に学校はもと刑場とか墓場とかの上にたっている、安くて広い土地があるからとおっしゃってましたが、やはり墓場の上でした」

私「罰当たりな大学だな。寺をつぶしてたっている大学だから仏青がいまいちブレイクしないのかな」

Hくん「あの新歓を・・・・」

会議の流れを思いっきりかきまわす、しょうもない顧問であった。

しばらくすると七時のニュースは竜巻で犠牲になった人たちの合同法要現場をうつしだす。祭壇の前で僧侶が読経している姿が後ろからとった画像が一瞬流れる

破顔くん「あ、曹洞宗の僧侶だ」

一同「え、あんな一瞬の後ろ姿でどうしてそこまでわかるの?」

破顔くん「真言宗天台宗はもっと僧衣がはでで、首の後ろが三角にたってます。臨済宗なら背中にも輪っかがあるのでわかります」

私「質素というのなら真宗もありじゃないの」

破顔くん「真宗はまず有髪ですから」

一瞬のうちに僧侶の僧籍をあてるとは、まるでシャーロックホームズのようである。
一同感心。
テレビまたきりかわり、竜巻の廃墟をうつしだす。
あ、お寺の屋根がみえる。被害をうけてない。

破顔くん「お寺の屋根はしっかりしているから」

ほとけどじょうくん「仏様がまもってくれたのでは」

わたし「仏様がまもってくれて寺から竜巻がはずれた結果、隣の家が壊れたってのもな」

Hくん「あの新歓について・・・・」

こういう家庭的な雰囲気でやってます。
たぶん来年もこんなカンジです。
[ TB*0 | CO*4 ] page top
DATE: 2006/11/08(水)   CATEGORY: 未分類
災害耐性国家ニッポン
いやあ、驚いた。テレビつけたら瓦礫がうっていたので、「またイスラエルがガザ地区爆撃したんか」と思ったら、「ほっかいどう・・・」とかいうので、よく見てみると、ニポンの話である。

でもどう見てもこれ爆撃のあと。何をどうしたらこうなるんだと思っていたら、テレビが「竜巻らしい」という。

竜巻も大きくなるとこんな破壊力があるんだ。何年か前、スピルバーグの「ツイスター」という映画をみたが、あの時、牛が空中でまわっているのをみても、「ま、実際はここまですごいのはおきないでしょ」と思っていたが、意外とおきるかもしれん。この竜巻では猫が舞い上がっていたという。

そいえば数ヶ月前宮崎でも竜巻おきて、あの時は電柱の上にソファがひっかかっていた。重いソファが電柱の上まで飛ばされるなんて、どんな風だろう、と思っていたが、今度は電柱が根こそぎ倒されて、存在自体ない・・・・。プレハブなんか跡形もない。死者もすごいでてる。

宮崎の竜巻よりすごい。

思えば日本は災害大国。中小の地震はしょっちゅうだし、ときたまくる大地震は壊滅的な被害を与えてくれやがるし、津波なんて英語になっているし、ついでにいえば竜巻の国際基準F2F3は藤田さんがお決めになった藤田さんのF。関係ないか。

そこでふと思った。

日本が戦災の瓦礫の中からあっという間にたちなおって、かつての敵国アメリカをさして怨むこともなく仲良くつきあって今にいたるのは、日本人が忘れっぽいとか、寛容だからじゃなくて、もともと天災の多い國で、廃墟とか瓦礫とかに対する耐性があるからじゃないかと。

日本人の遺伝子には、津波とか地震で壊滅する街のでじゃヴがあるので、戦災をみても「あーまたか。また立て直さなきゃな」くらいのインパクトしかない。

災害免疫体質。ある意味最強。

八世紀にインドのシャーンティデーヴァが書いた『覚りへの道』に

「人が自分を傷つけたからといってその人を怒ってはなりません。天災によって傷ついたからといって、天を怒る人がいないでしょ。それを考えたら怒りに合理的根拠がないことはわかりませんか。」みたいな一節があった(まったく原典確認していません。「忍耐」の章だったと思うのですが)。

確かに、普段から気にくわないと思っていた人にバケツで水をかけられたら、腹が立つけど、突然の雨に降られてずぶ濡れになっても腹はたたない。ずぶ濡れになるという結果は同じなのに。

何にせよ、怒ることによって心の平安を失って困るのは、水かけた本人ではなくかけられた当人なのだから、バケツで水をあびせられても、雨だと思った方が精神衛生にいいのは確か。

日本は災害大国であるがゆえに、労せずして天を恨まず人を怨まずとりあえず復興体質を身につけたのかも。

そう考えると、この地震の巣の上で生きることも深いかも。
[ TB*0 | CO*3 ] page top
DATE: 2006/11/06(月)   CATEGORY: 未分類
オカメインコ強化月間
四日、行きつけの御嶽山神社の酉の市に行ってきた。
ここでオカメのお面のついた熊手を買うのが我が家の恒例行事である。

オカメはオカメインコに通じ、酉の市はお鳥様に通じる。また、十一月は我が家の愛鳥(オカメインコ)ごろうが九年前にわがやに光臨された記念の月である。
したがって、我が家における酉の市とは、愛鳥ごろうの光臨を全国で祝ってくれているものと勝手に解釈されている。

ごろう様は97年に我が家にヒナの状態でおでましになられてから今年で九年。オカメインコの寿命は25年なのでまだまだオッケー。ヒナの頃から愛情と賞賛を受け続けているため、性格は素直で愛らしく、知的で表情豊かなダンディーバードに育った(親ばかによる評価の偏向が多少アリ)。

私「今日もごろうちゃん可愛いわ~。こんなに可愛いくてたまらないのは前世に私のダンナ様だったからかしら」
ダンナ「アナタがまじめに人を好きになるとは思えないから、ごろうちゃんは前世で子供だったんじゃないの」
私「いや違うね。こんなに近く感じるのは、前世に私だったのかもしれないわ」
ダンナ「何わけわかんないこと言ってるの」

このような意味不明の世迷い言がとびかう我が家なのである。

というわけで(何がというわけでなんだ)、オカメインコ月間を記念して、世界に誇るイシハマ・コレクションの中から、今日は特別な一点をご紹介したい。
swarofski.jpg

スワロフスキーガラスのビーズでできたノーマルオカメインコ手作り一点モノである。お代は周辺の飾りも含めて一万二千円。

どうです、素晴らしいでしょう。

ノーマルオカメインコの愛くるしい特徴をすべて捉えた素晴らしい逸品である。
[ TB*0 | CO*9 ] page top
DATE: 2006/11/03(金)   CATEGORY: 未分類
ダライラマ法王、広島に降臨!
というわけで、広島に行く。前の晩解散会で飲み倒したら、お酒に強くないので寝付けず、ほとんど寝ないまま五時起きして羽田にむかう。
朝早い飛行機の乗客は疲れていて、みな貞子のように頭をふらふらさせて寝ている。そのうちに広島につく。
20061103125008.jpg


 
亀井静香がむりむりに自分の選挙区にひいた評判の悪い市内から遠い環境破壊空港は、山の中にあるので紅葉が美しい。

モーローとしながらリムジンバスに乗ったらまた爆眠して気がついたら広島駅。タクシーで平和祈念公園そばのアステールプラザに向かう。

1日はダライラマ法王(チベットの自治を非暴力をもって訴えるチベット仏教の最高聖者)、午後はベティウィリアムズ(アイルランドの和平に奔走したおばちゃん)が講演して、で2日は午前中はツツ大主教(アパルトヘイトを非暴力で終わらせた神父)と全体会議で平和都市宣言を採択。

ノーベル平和賞受賞者が三人も集まるとやはり壮観。。

いずれもみな地獄を見てきた人々であり、その地獄の中にあっても真善美を見失わなかった方達である。暴力や権力の前にびびらず、小細工を遣わず正道を歩んできた彼らの強さと明るさと野放図さは、やはりそこいらの人にはない存在感がありまくり。

また、三人ともかなり高いユーモアのセンスがある。

私の知る限り智慧のある人はなべて明るく、ユーモアの感覚がある。

一方、智慧が並か並未満の人は、国があって、学校に行けて、ゴハンが食べられて、命の危険がないにもかかわらず、いつも何かにぐずぐず文句ばっかりいっていて、ユーモアの感覚がないのはムロンのこと、揃いもそろって被害妄想・過剰防衛・自己中心である(そこまでいうか)。

なので会合には非常になごむ。

ただし最期に三人で平和都市宣言を採択したあと、原田真二がでてきて「広島からはじめよう」とかいう歌うたって、後ろに揃いのTシャツをきた子供を並べて手をはたかせるのは、イタイのでやめてくれ。

24時間テレビかっつの。

 最近、北の将軍様が史上最小の核実験を行ったところ、わが日本ではにわかに核武装を論じる輩が澎湃とわきだしてきた。しかしこういう平和ボケを糾弾するような輩こそ、私に言わせればまさに平和ボケの異種バージョンである。ゲロゲロの戦場を体験した人は安易な報復や抑止などという論には意外にくみしない。そのような小手先の威嚇が解決にならないことを知っているからである。

 ベティウィリアムズがこういっていた。テロで我が子を失った母親にマスコミが心境を聞いた。その母親は「私は殺された側の母親であったことをうれしく思います。殺した人間の母親でなかったことを大変うれしく思います」といったという。

 おい、ジョージ聞いているか? この母親は最愛の我が子を失っても報復とか憎しみとかを口にしないんだ。あんたはいったい何を失ってテロリスト達に報復するんだい? メンツかい? それとも何か別の理由があるのかな。

 9・11の時だって、多くの遺族がグラウンドゼロに集まってこの悲劇がさらなる悲劇を生まないように祈った。
 しかし、ジョージはこのような理性的な声には耳を貸さず、アフガニスタン、イラクへと兵を進めた。(あ、マイケル・ムーアが降りてきている)

 いつの時代も世の中を腐った方向にまわしていくのは、被害者とはまったく関係ないところにいて、その被害者を利用して自分の利益(国益じゃないのよ)のために世論をミスリードしようとする政治勢力なのである。

 そしてそのような政治勢力のあおりに簡単にのせられるのが、これまた地獄をみたこともない、また、歴史研究のイロハもしらんくせにやたら歴史認識を語りたがる●クちゃんたちである。この●クちゃんたちは「脅威」があるだけで「武装」をとくことからもわかるように自分に自信のない超ビビリな人たちである。

 ダライラマ、ベティ、ツツはこんな●クちゃんたちと対極の存在だ。彼らは、他国の侵攻、人種の分断、異なる宗教のぶつかりあいなど様々な理由から自国が廃墟と化すのを目の当たりにしてきた。その三人が三人とも、紛争の解決において、報復や威嚇などの軍事的な行動には意味がないこと、真の解決には許しと寛容しかないことを口をそろえていうのである。

 傾聴すべきであろう。

 いっとくがわたしはヒステリックで教条主義的な平和主義にはくみさない。

 しかし、再軍備への国費の投入には断固反対
する。
 理由はただ一つ、そんなことに金つかうのがMottainaiからだ(おお、こんどはマータイが降りてきた)。
 
 日本が再武装するのなんて、借金だらけの家が見栄でセコムつけるようなもんだ。
 セコムつけた方が泥棒の目を引くっつの。
 うーん、すばらしいユーモアだ(どこが)。
[ TB*0 | CO*9 ] page top
DATE: 2006/11/01(水)   CATEGORY: 未分類
「国破れて僧伽(サンガ)あり」
土曜日は早稲田でチベット学会だった(報告遅)。
午前中はチベット学におけるコンピューター利用についての懇談会があり、
午後は研究発表並びに講演、その後は懇親会という、おきまり学会コースである。

大体において学会というものは若手の研究者が研究発表をやり、それをロートルが指導し、ロートルが何かやる時は、講演あるいは報告というのものだが、なぜか今回は、ペマギャルポ氏、今枝由郎氏などといった功成り名なし遂げた方々が研究発表をやっていた。

ペマギャルポ氏は「国際社会におけるチベットの現状」というお題で、なかなか深刻なのであるが、レジュメを見て思わずふく。

「国破れて僧伽(サンガ)あり」

うまい。

有名な唐の詩人、杜甫の
「国破れて山河あり、城春にして草木ふかし」の一節をオヤジギャグしてもじって、国を失ってもチベット仏教の教団(僧伽)は存続している現状をちゃかしたわけだ。

しかし、因縁というものはおとろしい。何がおとろしいかっていうと、この漢詩が読まれた時代背景を考えてごらん。

杜甫がこの「国破れて山河あり」という詩を読んだ際には、安史の乱(ものすごく簡単にいうと玄宗皇帝が楊貴妃にトチ狂ったおかげで起きた乱)によって荒廃した国がその背景にあった。
で、この安史の乱の際、唐の都長安を占領して荒廃させたのは、チベット(+ウイグル)だったのだ。

はははは。

今からは想像もつかんだろうが、当時のチベットはホンマにお強うおまして、中国も含む中央アジアの覇者どしたんどすよ。まあ、仏教が伝わったばかりでその国民性はまだまだ「野生の思考」だったんでしょう。

で、杜甫は荒廃した首都長安を離れて、成都に草堂とか結んで難民生活とかしていたわけ。

そのようなまあ杜甫の詩を千三百年後にチベットの方が今度は中国に国を滅ぼされて「国敗れて、サンガあり」と詠むのだから何かこう因縁みたいなものを感じたのであったった。

話変わって、
 ダライラマ14世猊下は国を失った時、まず明日のメシよりも、僧団(サンガ)の維持をなんとかすることを政策のトップに掲げた。サンガこそチベット文化の精髄であり、この維持こそがチベット人のアイデンティティを支えるものだからだ。

彼は正しかった。

国を失って五十年近くたった今もなお、チベット問題は誰からも忘れ去られることがなく、チベットのサンガは今や世界中の人々の善志によって支えられている。考えようによっちゃ国を失った結果、世界布教に成功したともいえる。

まさに「国破れて、サンガあり」である。

 それもこれも、チベット仏教が真に世の中に必要とされるもの、意味のあるもであったからこそであろう。だからこそ、それを生み出した当事者が維持することができなくなっても、なくなることはないのである。

 で、日本仏教が日本が失われた後も、生き残ることができるか、こう考えた場合、まあムリだろうーなー、と思う今日このごろであった(あ、禅は生き延びるかも)。
[ TB*0 | CO*4 ] page top
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ