遍路道の聖なる中心
たこ焼きを食べつつ仏青の例会に参加する。
って二人しかいね〜っ。
世の中には部員が山ほどいても部室がないサークルが山ほどあるというのに、部室があって顧問がここまであおっていて、このさびれようはなんだっつーの。
歴史家の性としてこの現状を思わず分析してみるが、あまりにも多くの衰退要因を思いついて悲しくなったので、思考停止する。
せっかくきたので、この前お遍路の話をしてくれた少年Hくんとお遍路話をする。
Hくんは歩きで巡礼をするのに最適なガイドブックを二冊紹介してくれた。
『四国遍路一人歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)、『四国お遍路バックパッキング』(Be-Pal)である。前者は地図がつかえて、後者は野宿(ビバーク)ポイントを知るのにいいそうである。チベットで巡礼している場合、だいたい風や寒さを防ぐ洞窟とか、人の棲む場所の近く(納屋とかお寺の玄関とか)がビバークポイントになるが、日本のお遍路の場合、「人の邪魔にならない場所」がビバークポイントになる。
この日本、誰の土地でもない公共の場所なんてそうそうない。朝おきて家の玄関あけたら見知らぬ誰かが寝袋で寝ていたら大概の人は気味悪く思う。だから人のいない場所がビバークポイントになるというわけ。
ご時世である。
このガイドブックを見ると、各章ごとに、発心、修行、菩提、涅槃、としゃれたキャッチコピーがついている。「これは何」と聞くと
少年Hくんの示してくれたページには、大日曼荼羅の中心である中台八葉院の東西南北の上に↓という図が書かれていた。
発心
徳島(阿波)
|
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涅槃 香川(讃岐)────高知(土佐) 修行
|
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愛媛(伊予)
菩提
発心(仏の境地を志す)→修行(修行をして煩悩を滅する)→菩提(仏の境地)→涅槃(悩みのなくなった安らかな境地)という仏教の修行過程が、四国のお遍路道の道程に重ねあわされているのだ。
東海道53次が華厳経入法海品の章たての数に「みなし」ているのと同じ発想やな。なかなかしゃれておる。
旅の始まりは「決意」終わりは「覚り」なのだ。そしてそれは循環しつづけるのだ。
少年H君によると、八十八箇所意外に番外が二十箇所あり、たして仏教の聖数である108になるような数え方もあるのだそう。ただし番外の寺の多くは今はさびれていて形だけのものも多いようだ。
四国の遍路道は八十八ヶ寺を回り終わると、次の一番目の寺が近くにあるため、大きく見れば環状の巡礼路となっている。仏教では聖者や聖地などの「聖なるもの」のまわりを時計回りにまわる、右繞左道という礼拝形式がある。
遍路道も時計回りで環状なので、「何らかの聖なる中心」があるのではないかと高校の時の教材で四国の地図を見てみる(新しいの買え)。
あやしいのは四国の最高峰石鎚山と二番目に高い剣山あたりだな。チベットのカイラス山の例をあげるでもなく霊山はそれを遙拝しながら一周する巡礼路がつくものだ。
で、遍路道でもっとも剣山に近づく寺を見てみると、十二番の焼山寺である(石鎚山は札所45番から60番くらいまでが石鎚山にずいずいよりそっている)。
焼山「寺の境内からは、はるかに四国山地を望む素晴らしい展望がひらけてい」るらしい(某紹介サイトより)。また、この寺は、遍路中もっとも険しい道として知られる場所らしい。
しかも、この焼山寺は今でこそ十二番だが、遍路道を開いたと言われる衛門三郎が命終した地である。遍路道を最初に回り続けた男が、死によって歩みを止めたのがこの地だとすれば、ある意味、この寺は終着点である。
日本人に限らず世界中に、人の魂は死後霊山に還るという信仰がある。水源であり、天に近づく山は死後の世界であると同時に、生まれる前の世界でもある。剣山や四国山地を臨むこの焼山寺は、魂がもっとも死後の世界に近づける場所といえよう。
衛門三郎の魂はこの焼山寺から聖なる山、剣山へとかえっていったのだ。おどろおどろ〜。
て、「死国」かっつの。
って二人しかいね〜っ。
世の中には部員が山ほどいても部室がないサークルが山ほどあるというのに、部室があって顧問がここまであおっていて、このさびれようはなんだっつーの。
歴史家の性としてこの現状を思わず分析してみるが、あまりにも多くの衰退要因を思いついて悲しくなったので、思考停止する。
せっかくきたので、この前お遍路の話をしてくれた少年Hくんとお遍路話をする。
Hくんは歩きで巡礼をするのに最適なガイドブックを二冊紹介してくれた。
『四国遍路一人歩き同行二人』(へんろみち保存協力会)、『四国お遍路バックパッキング』(Be-Pal)である。前者は地図がつかえて、後者は野宿(ビバーク)ポイントを知るのにいいそうである。チベットで巡礼している場合、だいたい風や寒さを防ぐ洞窟とか、人の棲む場所の近く(納屋とかお寺の玄関とか)がビバークポイントになるが、日本のお遍路の場合、「人の邪魔にならない場所」がビバークポイントになる。
この日本、誰の土地でもない公共の場所なんてそうそうない。朝おきて家の玄関あけたら見知らぬ誰かが寝袋で寝ていたら大概の人は気味悪く思う。だから人のいない場所がビバークポイントになるというわけ。
ご時世である。
このガイドブックを見ると、各章ごとに、発心、修行、菩提、涅槃、としゃれたキャッチコピーがついている。「これは何」と聞くと
少年Hくんの示してくれたページには、大日曼荼羅の中心である中台八葉院の東西南北の上に↓という図が書かれていた。
発心
徳島(阿波)
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涅槃 香川(讃岐)────高知(土佐) 修行
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愛媛(伊予)
菩提
発心(仏の境地を志す)→修行(修行をして煩悩を滅する)→菩提(仏の境地)→涅槃(悩みのなくなった安らかな境地)という仏教の修行過程が、四国のお遍路道の道程に重ねあわされているのだ。
東海道53次が華厳経入法海品の章たての数に「みなし」ているのと同じ発想やな。なかなかしゃれておる。
旅の始まりは「決意」終わりは「覚り」なのだ。そしてそれは循環しつづけるのだ。
少年H君によると、八十八箇所意外に番外が二十箇所あり、たして仏教の聖数である108になるような数え方もあるのだそう。ただし番外の寺の多くは今はさびれていて形だけのものも多いようだ。
四国の遍路道は八十八ヶ寺を回り終わると、次の一番目の寺が近くにあるため、大きく見れば環状の巡礼路となっている。仏教では聖者や聖地などの「聖なるもの」のまわりを時計回りにまわる、右繞左道という礼拝形式がある。
遍路道も時計回りで環状なので、「何らかの聖なる中心」があるのではないかと高校の時の教材で四国の地図を見てみる(新しいの買え)。
あやしいのは四国の最高峰石鎚山と二番目に高い剣山あたりだな。チベットのカイラス山の例をあげるでもなく霊山はそれを遙拝しながら一周する巡礼路がつくものだ。
で、遍路道でもっとも剣山に近づく寺を見てみると、十二番の焼山寺である(石鎚山は札所45番から60番くらいまでが石鎚山にずいずいよりそっている)。
焼山「寺の境内からは、はるかに四国山地を望む素晴らしい展望がひらけてい」るらしい(某紹介サイトより)。また、この寺は、遍路中もっとも険しい道として知られる場所らしい。
しかも、この焼山寺は今でこそ十二番だが、遍路道を開いたと言われる衛門三郎が命終した地である。遍路道を最初に回り続けた男が、死によって歩みを止めたのがこの地だとすれば、ある意味、この寺は終着点である。
日本人に限らず世界中に、人の魂は死後霊山に還るという信仰がある。水源であり、天に近づく山は死後の世界であると同時に、生まれる前の世界でもある。剣山や四国山地を臨むこの焼山寺は、魂がもっとも死後の世界に近づける場所といえよう。
衛門三郎の魂はこの焼山寺から聖なる山、剣山へとかえっていったのだ。おどろおどろ〜。
て、「死国」かっつの。
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