法輪寺住職の空襲体験
火曜日、会議が比較的短くすんだので、「早稲田のお寺」取材をするために、文学部の目と鼻の先にある法輪寺に足を運ぶ。
本堂はしまっているし、寺の説明をする立て札もない。仕方ないので、本堂のとなりの庫裡の扉をたたく。すると住職の奥様がでてこられて、
わたし「あのー、わたくし早稲田大学の教育学部で教鞭を執っている●×と申します。仏教系のサークルの顧問をしておりまして(仏教青年会の名前は恥ずかしくていえない)、今早稲田のお寺についての取材をしております。お寺の縁起をしるしたものがありましたら、分けていただけないでしょうか。あの、決してアヤシイサークルではないんですよ。政治もカルトも一切やってませんし」
と我ながら悲しい自己紹介をする。
このお寺去年がちょうど開山400年で、それを記念して去年だされた小冊子『万年山法輪寺』を千円で分けていただく。将軍家綱ゆかりの古刹である。
都会の寺は毎日お墓参りに檀家さんが尋ねてくるので、奥さまは大変。ほとんど外出することがないので、いろいろなことについては住職に聞いてくださいとのこと。
そのうちに、住職が帰宅される。なんでも歌舞伎町で「硫黄島からの手紙」をみたあとずっと徒歩で歩いて帰ってきたのだそう。
実は住職、血糖値がちと高いとのことで、できるかぎり徒歩散策を心がけているのだそう。ウチのダンナも血糖値が高く心配している旨をいうと、
住職「ほう、いくつですか」
わたし「正常と異常のはざまを揺れ動いています」
住職「そんなの●尿のうちにも入らないですね。」と軽く一蹴される。
わたし「食事療法とかしていらっしゃるんですか」
住職「いや、してません。でも酒はやめました」
わたし「それはようございましたねえ、おほほほほほ」(わかる人にだけ受けてください)
で、ご住職からこのお寺の歴史にまつわるお話や新宿区の日蓮宗の寺院についての数々のディープ情報を一時間以上も伺う。
しかし、何より印象に残ったのは、住職の空襲体験であった。
「硫黄島からの手紙」をJUSTみたばかりなので、その当時の記憶がよみがえりまくったのであろう。
江戸時代からの本堂が終戦の年の五月二十九日の空襲でもえあがった日の話、進駐軍の戦車が穴八幡の前をしずしずと行進してきた話などをなまなましく再現してくれる。
空襲当時、現住職のお父上が住職をしておられ、まず焼夷弾は台所におちたのだそう。父上は本堂から祖師さんの木像と過去帳をもって(他の寺宝はみな焼けた)逃げ、お墓の間に祖師さんの像をおいて上にトタン一枚かけたのだそう。そのあと煙に巻かれて倒れたのを当時中学生だった現住職のお兄さんが助けにいって命拾いしたのだそう。
本堂はやけ、お墓も火の海だったのに、祖師像は無傷だった。当時八歳だった現住職はそれがとても不思議だったそうである。そのときの空襲で境内にあった巨木23本はすべてやかれ、残りは薪にして生活のたしにしたそうである。
ちなみに、すぐ近くにあるインド大使館・アバコブライダルホールの教会、国立病院などは、ターゲットからはずされていて無傷で、寺や大学はきっちり燃やされたそうな。ははは。
あなおそろし米帝。
とダンナに話したら、「初対面のお寺にあがりこんでここまで情報とってくるあなたの方がおそろしい」と言われた。
本堂はしまっているし、寺の説明をする立て札もない。仕方ないので、本堂のとなりの庫裡の扉をたたく。すると住職の奥様がでてこられて、
わたし「あのー、わたくし早稲田大学の教育学部で教鞭を執っている●×と申します。仏教系のサークルの顧問をしておりまして(仏教青年会の名前は恥ずかしくていえない)、今早稲田のお寺についての取材をしております。お寺の縁起をしるしたものがありましたら、分けていただけないでしょうか。あの、決してアヤシイサークルではないんですよ。政治もカルトも一切やってませんし」
と我ながら悲しい自己紹介をする。
このお寺去年がちょうど開山400年で、それを記念して去年だされた小冊子『万年山法輪寺』を千円で分けていただく。将軍家綱ゆかりの古刹である。
都会の寺は毎日お墓参りに檀家さんが尋ねてくるので、奥さまは大変。ほとんど外出することがないので、いろいろなことについては住職に聞いてくださいとのこと。
そのうちに、住職が帰宅される。なんでも歌舞伎町で「硫黄島からの手紙」をみたあとずっと徒歩で歩いて帰ってきたのだそう。
実は住職、血糖値がちと高いとのことで、できるかぎり徒歩散策を心がけているのだそう。ウチのダンナも血糖値が高く心配している旨をいうと、
住職「ほう、いくつですか」
わたし「正常と異常のはざまを揺れ動いています」
住職「そんなの●尿のうちにも入らないですね。」と軽く一蹴される。
わたし「食事療法とかしていらっしゃるんですか」
住職「いや、してません。でも酒はやめました」
わたし「それはようございましたねえ、おほほほほほ」(わかる人にだけ受けてください)
で、ご住職からこのお寺の歴史にまつわるお話や新宿区の日蓮宗の寺院についての数々のディープ情報を一時間以上も伺う。
しかし、何より印象に残ったのは、住職の空襲体験であった。
「硫黄島からの手紙」をJUSTみたばかりなので、その当時の記憶がよみがえりまくったのであろう。
江戸時代からの本堂が終戦の年の五月二十九日の空襲でもえあがった日の話、進駐軍の戦車が穴八幡の前をしずしずと行進してきた話などをなまなましく再現してくれる。
空襲当時、現住職のお父上が住職をしておられ、まず焼夷弾は台所におちたのだそう。父上は本堂から祖師さんの木像と過去帳をもって(他の寺宝はみな焼けた)逃げ、お墓の間に祖師さんの像をおいて上にトタン一枚かけたのだそう。そのあと煙に巻かれて倒れたのを当時中学生だった現住職のお兄さんが助けにいって命拾いしたのだそう。
本堂はやけ、お墓も火の海だったのに、祖師像は無傷だった。当時八歳だった現住職はそれがとても不思議だったそうである。そのときの空襲で境内にあった巨木23本はすべてやかれ、残りは薪にして生活のたしにしたそうである。
ちなみに、すぐ近くにあるインド大使館・アバコブライダルホールの教会、国立病院などは、ターゲットからはずされていて無傷で、寺や大学はきっちり燃やされたそうな。ははは。
あなおそろし米帝。
とダンナに話したら、「初対面のお寺にあがりこんでここまで情報とってくるあなたの方がおそろしい」と言われた。
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