本門寺に眠る江戸初期の法華経行者たち
ここ数日目が痛い。運動したりお風呂入ったりして血行がよくなると少し改善するが、全体にずっとわるい。仕事する気にならん(いつもだろ)。
目薬さしまくるがいっこうにきかない。パソコン画面が目にしみる。
くうううう。
でもぶろぐは書く。
先週の日曜日にダンナと本門寺に遊びに行った。小学校の頃、区内の学校が集まってやる合唱コンクールは本門寺の傍らにある池上会館で行われたので、リハーサルは重文の五重塔の前でやったもんだよ。 なつかしー。
さて知らない方のためにサービス説明ターイム。
本門寺とは、ご存じ日蓮宗の宗祖・日蓮がなくなった場であり、大本山の格式をもつ巨大なお寺なのであーる。戦災で丸焼けになったとはいえすっかり境内部分はたちなおっている。
そして墓地部分にはこの本門寺をバックアップした大名たちの墓がならぶ。一番すごい墓は徳川家康の側室の一人、お万の方の墓。彼女は家康の晩年の側室で、かつ熱烈な日蓮宗徒。
このお万の方が家康とのあいだに儲けた二人の子供が、後に紀州と水戸の徳川家の祖となる(御三家のうちの二つ)。しかも、紀州徳川家の祖となる彼女の息子はこれまた法華経行者として名高い加藤清正の嫡女を正室に迎えている。
加藤清正といえば、豊臣秀吉の命をうけて朝鮮半島にせめこんで、核施設のあるので有名な北朝鮮のヨンピョン周辺まで席巻した、今から考えるとかなりやばいことをやった武将である。
彼も熱烈な日蓮宗徒で、ここ本門寺の境内に眠る。
側室とはいえ家康の妻とその子孫が眠る寺であるにもかかわらず、この寺にはなぜか将軍家の影はうすい。葵の御紋も門前の理境院と本殿横の客殿の屋根にそれと認められるくらいである。
同じような立場の浄土宗の寺ならそこここに将軍家の残り香があるのに。
それもそのはず、日蓮宗と徳川家との関係はちょと微妙。日蓮宗はもともと法華経が一番大事で、時の政権とはもめごとおこすので有名だが、とくにその一派である不受不施派は将軍家と対立したため、幕府の怒りにふれて禁教とされた。
そしてこの寺の法主日樹は江戸初期、日蓮宗の不受不施派に属していて流罪にされた。
このぶろぐでもとりあげた谷中の天王寺と学芸大学にある円融寺ももとは不受不施派の日蓮宗であったのだが、徳川政権に弾圧されて天台宗に改宗した寺である。
そう考えると、徳川家の影がうすくても仕方ないのかもしれない。そのせいかどうか知らないが、明治初年、旧幕府勢力と明治政府が最期の大げんかをした時、幕府側の彰義隊は上野の寛永寺を大本営にし、対する大村益次郎ひきいる明治政府軍側は、ここ本門寺に陣営をはった。
天台は徳川とラブラブだったので、天台の関東大本山が旧幕府勢力に協力するのは分かるが、本門寺が明治政府に協力したのは、絶対、法主が徳川政権に流罪にされたことを怨んでいたからだ。
おおこわ。
で、結果はご存じ。旧幕府勢力は破れ、東の比叡山と言われた壮大な上野の寛永寺は焼失した(今の国立博物館と大噴水のある場所が寛永寺の中心部。その巨大さが知れるというもの)。
で、余談だが、関東の比叡山を焼いた織田信長、もとい、大村益次郎はその翌年刺客に襲われてその傷がもとで一ヶ月後にこの世を去る。
東西の比叡山を焼いたものが両者ともあまりいい死に方をしなかったのをみると、やっぱ比叡山を焼くのはまずいよな、と思う。
文化財は大切に。
目薬さしまくるがいっこうにきかない。パソコン画面が目にしみる。
くうううう。
でもぶろぐは書く。
先週の日曜日にダンナと本門寺に遊びに行った。小学校の頃、区内の学校が集まってやる合唱コンクールは本門寺の傍らにある池上会館で行われたので、リハーサルは重文の五重塔の前でやったもんだよ。 なつかしー。
さて知らない方のためにサービス説明ターイム。
本門寺とは、ご存じ日蓮宗の宗祖・日蓮がなくなった場であり、大本山の格式をもつ巨大なお寺なのであーる。戦災で丸焼けになったとはいえすっかり境内部分はたちなおっている。
そして墓地部分にはこの本門寺をバックアップした大名たちの墓がならぶ。一番すごい墓は徳川家康の側室の一人、お万の方の墓。彼女は家康の晩年の側室で、かつ熱烈な日蓮宗徒。
このお万の方が家康とのあいだに儲けた二人の子供が、後に紀州と水戸の徳川家の祖となる(御三家のうちの二つ)。しかも、紀州徳川家の祖となる彼女の息子はこれまた法華経行者として名高い加藤清正の嫡女を正室に迎えている。
加藤清正といえば、豊臣秀吉の命をうけて朝鮮半島にせめこんで、核施設のあるので有名な北朝鮮のヨンピョン周辺まで席巻した、今から考えるとかなりやばいことをやった武将である。
彼も熱烈な日蓮宗徒で、ここ本門寺の境内に眠る。
側室とはいえ家康の妻とその子孫が眠る寺であるにもかかわらず、この寺にはなぜか将軍家の影はうすい。葵の御紋も門前の理境院と本殿横の客殿の屋根にそれと認められるくらいである。
同じような立場の浄土宗の寺ならそこここに将軍家の残り香があるのに。
それもそのはず、日蓮宗と徳川家との関係はちょと微妙。日蓮宗はもともと法華経が一番大事で、時の政権とはもめごとおこすので有名だが、とくにその一派である不受不施派は将軍家と対立したため、幕府の怒りにふれて禁教とされた。
そしてこの寺の法主日樹は江戸初期、日蓮宗の不受不施派に属していて流罪にされた。
このぶろぐでもとりあげた谷中の天王寺と学芸大学にある円融寺ももとは不受不施派の日蓮宗であったのだが、徳川政権に弾圧されて天台宗に改宗した寺である。
そう考えると、徳川家の影がうすくても仕方ないのかもしれない。そのせいかどうか知らないが、明治初年、旧幕府勢力と明治政府が最期の大げんかをした時、幕府側の彰義隊は上野の寛永寺を大本営にし、対する大村益次郎ひきいる明治政府軍側は、ここ本門寺に陣営をはった。
天台は徳川とラブラブだったので、天台の関東大本山が旧幕府勢力に協力するのは分かるが、本門寺が明治政府に協力したのは、絶対、法主が徳川政権に流罪にされたことを怨んでいたからだ。
おおこわ。
で、結果はご存じ。旧幕府勢力は破れ、東の比叡山と言われた壮大な上野の寛永寺は焼失した(今の国立博物館と大噴水のある場所が寛永寺の中心部。その巨大さが知れるというもの)。
で、余談だが、関東の比叡山を焼いた織田信長、もとい、大村益次郎はその翌年刺客に襲われてその傷がもとで一ヶ月後にこの世を去る。
東西の比叡山を焼いたものが両者ともあまりいい死に方をしなかったのをみると、やっぱ比叡山を焼くのはまずいよな、と思う。
文化財は大切に。
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