究極のリサイクル
最近、プライベートでいろいろあって、そのことによって動揺した結果おきる日常の様々な不具合にわれながら驚いている。
日常なにごともない場合は、生活、研究、授業準備、雑用etc.の一つ一つがスムーズに流れていき、しかるべき時にしかるべきことを行い、その手順もむだがなく、時間もかからない。
ところが、とある事件により常時頭をしめる心配事ができる。そしたら、そのトタンに何もかもがうまく流れなくなってきた。
朝、ゴミ出しを忘れ、回収車の到来音を聞いて思いだし、ゴミの袋をもって
回収車の後を
"カムバーック"
と叫びながら追いかけ
いつもと同じように家をでたつもりなのに、いつもの電車に目の前で行かれて、
コンビニに買い物にいくと、複数あった目的物のうち一部を買い忘れ、再び出直すハメになり
近所のナチュラルハウスが三日間の10%オフをやっていたのに、気がついたのが三日目の閉店時間直後だったり
食事に入ったレストランがいつになく混んでいて、さんざん待たされて、帰りに買い物によるはずだったスーパーの閉店時間がすぎ
昨日は録ろうと思っていたドキュメンタリー「ダーウィンの悪夢」を取り忘れたり、
どれも一つ一つは小さいことだが、こうまで積み上がってくると、もうイライラコップの水が縁まできて、表面張力でふくれあがった水面が一触即発で
うがーっ、
とだだ漏れてきそうな今日この頃。
一つの心配事が、かくも日常生活のすべてにひずみをもたらすのかとある意味感心するよ。
思うようにいかない現実に直面した時、それに対してどのように反応するかによって人の器が決まるとすると、白雪姫はかなり下品("げぼん"と読む)に属するな。
本来なら、どのような苛酷な環境にあろうとも、その倫理観や判断力はブレてはならず、ましてや、八つ当たりやウツや責任転嫁はみっともない。
何の心配ごともない世界なんてこの世にはない。
だから、自分は「かくかくしかじかの不幸な環境にあったから、こうなったんだ」なんていっても仕方ないし、ソンするのも所詮自分。
そう思ってここ数日自分の中にわきおこってくる想念をチェックしている。マイナスな感情がおきたら、それがいかに無駄な感情かを自分で口にだして解説して、無意味である、と結論づける。
こうして、いつかはマイナス感情をスルーできるようになる予定である。
そいえば、仏教では六道輪廻という思想があり、大体こんな定義である。
天 快楽の世界
阿修羅 恨みと戦いの世界
人 生きる・老いる・病む・死ぬ苦しみの世界
畜生 役使される苦しみの世界
餓鬼 飢えと渇きの世界
地獄 肉体的痛みの世界
このうち、天人は、毎日ラリホーに遊び暮らして、死が目の前に近づくまで人生を空費する、お気楽な人達である(無論死に際して悲嘆にくれる)。
阿修羅・餓鬼・地獄・畜生などの領域にうける生は、憎しみや痛みや仕事や飢えや渇きの想念に忙しく、そもそも「自分をよくする」ゆとりなんかない。
その点、このうち、人間界はそこそこの安穏と、そこそこの痛みによってバランスがとれているので、「自分をよくしよう」という意志がもっともおきやすい領域であると謂われている。
たしかに、心配事があって、それに対して動揺する自分に気づいたからこそ、自分の器の小ささを実感できたワケである、
そういう意味では苦しみというものもムダではないということになるワケで。
とにかく今は災いを転じて幸福へつなげていく究極のリサイクルだけを心がけねば。ねばはねば、ネバーギブアーップ!
(きてます)
日常なにごともない場合は、生活、研究、授業準備、雑用etc.の一つ一つがスムーズに流れていき、しかるべき時にしかるべきことを行い、その手順もむだがなく、時間もかからない。
ところが、とある事件により常時頭をしめる心配事ができる。そしたら、そのトタンに何もかもがうまく流れなくなってきた。
朝、ゴミ出しを忘れ、回収車の到来音を聞いて思いだし、ゴミの袋をもって
回収車の後を
"カムバーック"
と叫びながら追いかけ
いつもと同じように家をでたつもりなのに、いつもの電車に目の前で行かれて、
コンビニに買い物にいくと、複数あった目的物のうち一部を買い忘れ、再び出直すハメになり
近所のナチュラルハウスが三日間の10%オフをやっていたのに、気がついたのが三日目の閉店時間直後だったり
食事に入ったレストランがいつになく混んでいて、さんざん待たされて、帰りに買い物によるはずだったスーパーの閉店時間がすぎ
昨日は録ろうと思っていたドキュメンタリー「ダーウィンの悪夢」を取り忘れたり、
どれも一つ一つは小さいことだが、こうまで積み上がってくると、もうイライラコップの水が縁まできて、表面張力でふくれあがった水面が一触即発で
うがーっ、
とだだ漏れてきそうな今日この頃。
一つの心配事が、かくも日常生活のすべてにひずみをもたらすのかとある意味感心するよ。
思うようにいかない現実に直面した時、それに対してどのように反応するかによって人の器が決まるとすると、白雪姫はかなり下品("げぼん"と読む)に属するな。
本来なら、どのような苛酷な環境にあろうとも、その倫理観や判断力はブレてはならず、ましてや、八つ当たりやウツや責任転嫁はみっともない。
何の心配ごともない世界なんてこの世にはない。
だから、自分は「かくかくしかじかの不幸な環境にあったから、こうなったんだ」なんていっても仕方ないし、ソンするのも所詮自分。
そう思ってここ数日自分の中にわきおこってくる想念をチェックしている。マイナスな感情がおきたら、それがいかに無駄な感情かを自分で口にだして解説して、無意味である、と結論づける。
こうして、いつかはマイナス感情をスルーできるようになる予定である。
そいえば、仏教では六道輪廻という思想があり、大体こんな定義である。
天 快楽の世界
阿修羅 恨みと戦いの世界
人 生きる・老いる・病む・死ぬ苦しみの世界
畜生 役使される苦しみの世界
餓鬼 飢えと渇きの世界
地獄 肉体的痛みの世界
このうち、天人は、毎日ラリホーに遊び暮らして、死が目の前に近づくまで人生を空費する、お気楽な人達である(無論死に際して悲嘆にくれる)。
阿修羅・餓鬼・地獄・畜生などの領域にうける生は、憎しみや痛みや仕事や飢えや渇きの想念に忙しく、そもそも「自分をよくする」ゆとりなんかない。
その点、このうち、人間界はそこそこの安穏と、そこそこの痛みによってバランスがとれているので、「自分をよくしよう」という意志がもっともおきやすい領域であると謂われている。
たしかに、心配事があって、それに対して動揺する自分に気づいたからこそ、自分の器の小ささを実感できたワケである、
そういう意味では苦しみというものもムダではないということになるワケで。
とにかく今は災いを転じて幸福へつなげていく究極のリサイクルだけを心がけねば。ねばはねば、ネバーギブアーップ!
(きてます)
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