ミャンマーの柳生一族
同僚の先生から『ミャンマー(ビルマ)の柳生一族』という本を貸してもらったら、これがものすごく面白かった。
早稲田大学探検部出身の作者が、小説家の舟戸与一とミャンマーを取材旅行で珍道中をした話なのだが、著者の処女作が
『幻獣ムベンベを追え』(笑)
であることが示すように、作風は徹頭徹尾お笑いである(早稲田のサークルって・・・笑)。
ただし、ミャンマーはけっしてお笑いの舞台になるような平和な国ではない。
1990年に行われた民主選挙は軍部に粉砕されて、民主化をとなえる政党のリーダー、アウンサン・スーチー氏は軍部に軟禁されて約二十年になる。当然、現政権は世界中から非難を浴びていて、思いっきり孤立している。
このような国の常として、ミャンマーは外国人、とくにジャーナリストを忌み嫌い、外国人のみならず、自国民も
「大学生は政治運動したがるからいらないよ」
と、東大や京大にあたる大学を閉鎖するというものすごい政府である。
まじめに扱えば扱うほど、とめどなく暗い気持ちになるこの国を、この作者は実にライトに料理する。
宮島茂樹の自衛隊シリーズもそうであるが、まっ正面から取り扱うと、いろいろ問題が生じるようなテーマは、こうやってシャレのめして笑いにまぎらして扱うのは効果的である。
チベットもそうだけど、正面から「こんな不条理が行われている」と告発すると、それを聞く側は
「このような不条理を前にして自分は何ができるのだろうか」、と無力感にさいなまれるし、告発された側も、自分をまもるために、さらに横暴なリアクションをとることになる。
粗暴な男が弱者をたたきのめしているような場面を考えてもらいたい。
通行人がとめにはいろうものなら、この粗暴な男は間違いなく、止めに入った人間を殴るだろう。通行人もそれがわかっていてるから、その弱者が自分の身内でもない限り、間に割って入ることはない。
しかし、その不条理な現場を「見た」にもかかわらず、見て見ぬふりをすることは良心の痛みを伴う。
人は生来ストレスを避けたがる生き物である。
だから、大半の人は良心を傷めないように、悲惨な状態にある人や民族の姿を最初から「見ないように」する。
これでは、問題は永遠に直視されない。
しかし、同じことでもこれをユーモアたっぷりに伝えれば、読者にも自分にもまた告発対象にもストレスがかかることはない。
シャレのめされた側は、内心怒っていても
「まあ、こんなヤツ相手にしても仕方ない」
と嘯くことができるし、
読者もストレスを感じることなく、問題を理解することができる。
だから、この作者が ミャンマーの軍政を徳川幕府にたとえ、軍の情報部を柳生一族にたとえ、アウンサン・スーチー氏を千姫にたとえ、彼らのツァーを監視するためにつきまとう情報部の人間を、そのあまりの無能さから、柳生一族のみそっこという意味で、「柳生三十兵衛」(みそべえ)と名付けてちゃかすのをみたりすると、そのあざやかな手法に嬉しくなった。
彼はミャンマーの麻薬王との半年間を記した『アヘン王国潜入期』というルポも書いていて、これはミャンマーの首相の参考文献にすらなっているらしい。
この地域に通い詰め、その現実を肌で知っているからこそのでてくる余裕のユーモアなのである。
どこぞの新聞社の解説員や政治学者のコメントをきくよりもはるかにミャンマーが近くなった一冊であった。
早稲田大学探検部出身の作者が、小説家の舟戸与一とミャンマーを取材旅行で珍道中をした話なのだが、著者の処女作が
『幻獣ムベンベを追え』(笑)
であることが示すように、作風は徹頭徹尾お笑いである(早稲田のサークルって・・・笑)。
ただし、ミャンマーはけっしてお笑いの舞台になるような平和な国ではない。
1990年に行われた民主選挙は軍部に粉砕されて、民主化をとなえる政党のリーダー、アウンサン・スーチー氏は軍部に軟禁されて約二十年になる。当然、現政権は世界中から非難を浴びていて、思いっきり孤立している。
このような国の常として、ミャンマーは外国人、とくにジャーナリストを忌み嫌い、外国人のみならず、自国民も
「大学生は政治運動したがるからいらないよ」
と、東大や京大にあたる大学を閉鎖するというものすごい政府である。
まじめに扱えば扱うほど、とめどなく暗い気持ちになるこの国を、この作者は実にライトに料理する。
宮島茂樹の自衛隊シリーズもそうであるが、まっ正面から取り扱うと、いろいろ問題が生じるようなテーマは、こうやってシャレのめして笑いにまぎらして扱うのは効果的である。
チベットもそうだけど、正面から「こんな不条理が行われている」と告発すると、それを聞く側は
「このような不条理を前にして自分は何ができるのだろうか」、と無力感にさいなまれるし、告発された側も、自分をまもるために、さらに横暴なリアクションをとることになる。
粗暴な男が弱者をたたきのめしているような場面を考えてもらいたい。
通行人がとめにはいろうものなら、この粗暴な男は間違いなく、止めに入った人間を殴るだろう。通行人もそれがわかっていてるから、その弱者が自分の身内でもない限り、間に割って入ることはない。
しかし、その不条理な現場を「見た」にもかかわらず、見て見ぬふりをすることは良心の痛みを伴う。
人は生来ストレスを避けたがる生き物である。
だから、大半の人は良心を傷めないように、悲惨な状態にある人や民族の姿を最初から「見ないように」する。
これでは、問題は永遠に直視されない。
しかし、同じことでもこれをユーモアたっぷりに伝えれば、読者にも自分にもまた告発対象にもストレスがかかることはない。
シャレのめされた側は、内心怒っていても
「まあ、こんなヤツ相手にしても仕方ない」
と嘯くことができるし、
読者もストレスを感じることなく、問題を理解することができる。
だから、この作者が ミャンマーの軍政を徳川幕府にたとえ、軍の情報部を柳生一族にたとえ、アウンサン・スーチー氏を千姫にたとえ、彼らのツァーを監視するためにつきまとう情報部の人間を、そのあまりの無能さから、柳生一族のみそっこという意味で、「柳生三十兵衛」(みそべえ)と名付けてちゃかすのをみたりすると、そのあざやかな手法に嬉しくなった。
彼はミャンマーの麻薬王との半年間を記した『アヘン王国潜入期』というルポも書いていて、これはミャンマーの首相の参考文献にすらなっているらしい。
この地域に通い詰め、その現実を肌で知っているからこそのでてくる余裕のユーモアなのである。
どこぞの新聞社の解説員や政治学者のコメントをきくよりもはるかにミャンマーが近くなった一冊であった。
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