白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/08/30(木)   CATEGORY: 未分類
有名税の高い国
 皆既月食と朝青龍の帰国ともに、例年以上に異状に暑い夏が失速した。
 セミはよわってコンクリの上におち、かわって虫の声がめだってきた。
 
 やっと人心地ついてものを考えることができる。

 涼しくなって電力使用量がさがった日をみはからったかのように、29日に朝日新聞は「東京・大阪は熊谷、多治見より暑かった」と一面で伝えた。

 大都市では夜間の気温が下がらないため、瞬間最高気温は多治見や熊谷が上でも、全体としては、東京・大阪の方が暑かったのだ。

 わが家の愛鳥の健康管理のために、温度計と湿度計をかって毎日みていたので、そんなこととっくに気づいていたよ。

 ある暑い日の会話。

 わたし「二階が暑くなってきたから、小鳥たちの籠、下におろした方がいいんじゃない?」(二階にはエアコンがない)

 ダンナ「でも、急激に寒くなるとそれもまた体に悪いしね。下の温度みてごらん、びっくりするから。」

 [温度計を確認して27度なのをみて]
 わたし「こりゃ、びっくりだ」

 27度で何が「びっくり」なのか。

 あまりにも暑い日が続いたのでもうワケわかんなくなっていたんですね。

 さようなら、夏。来年はもう少し常識的な形で来てください。

 この大都市圏の猛暑、とうに分かっていたことだろうけど、暑い中このニュースながしたら、みながなおさら暑く感じて冷房つけて電力供給がパンクするから、今まで伏せていたんだろうね。涼しくなったところで情報公開と。

 新聞報道による微妙な情報操作といえば、最近気がついたこと。

 見ず知らずの喰いつまり男が三人、ケータイの闇の職安サイトで知り合って、行きずりの女性を殺して金を奪うというどうにも野蛮な事件があった。

 この女性、父親を早くになくし、母一人子一人という生活だったといい、母親の悲嘆はいかほどかが知れる。

 この事件で、主導的な立場にあったのが神田司という男で、朝日新聞の拡販員であった。ところが、この男の報道を朝日てみると、みな「新聞セールススタッフ」と書いてあるのみで「朝日新聞」の名がない。

 そこで、朝日新聞のデータベースを「新聞セールススタッフ」で検索して、いつからこのようなビミョーなごまかしをしているのかを確かめてみた。

 したら、それ以前にまあたくさんの拡販員が犯罪に手をそめていることに驚く。全部みてないけど、被害者の場合はほとんどいなく、だいたい加害者。

 2002年以後のものをあげるとこんなとこ。○がついているのが朝日、●が読売。△は不明(※ メンドーなのでかなり大ざっぱに調べてます。まじめに調べたい方はもう一度やった方がいいです)。

○頭に凶器を買ったレジ袋 手口も場当たり的 名古屋・拉致殺害(最近のヤツです)
3番 2007年8月28日 朝刊 埼玉・1地方  
○交通反則切符に他人の名前を書いた疑いで逮捕 杉戸 /埼玉県
4番 2007年7月7日 朝刊 埼玉・1地方  
○さいたまで虐待の3歳児死亡 12日後 /埼玉県
6番 2007年6月19日 朝刊 埼玉全県・2地方 あり
△中学生への傷害容疑で3人を逮捕 行方 /茨城県
9番 2006年11月16日 朝刊 宮城全県・1地方  
●読売新聞セールススタッフを詐欺容疑で逮捕 佐沼署 /宮城県
10番 2006年8月11日 朝刊 2道  
○新聞勧誘先でわいせつ容疑 朝日新聞扱う元スタッフ逮捕 札幌・南区 /北海道
11番 2006年8月11日 夕刊 2社会  
○路上でスプレー吹きかけた疑い 札幌、新聞セールス員逮捕 【北海道】
12番 2006年5月19日 朝刊 青森全県・1地方  
○朝日新聞セールス員、窃盗容疑で逮捕 むつ、女性宅の12万円 /青森県
13番 2006年4月5日 朝刊 茨城首都圏・1地方

△ひき逃げの疑いで新聞セールススタッフ逮捕 笠間 /茨城県
14番 2005年7月30日 朝刊 富山全県・1地方  
○盗みの疑いで朝日新聞セールススタッフの少年を逮捕 所沢署/埼玉
16番 2004年8月4日 朝刊 群馬1  
△恐喝の疑いで新聞拡張員ら逮捕 /群馬
17番 2003年4月10日 朝刊 北海道1  
●読売新聞セールススタッフを強姦致傷で起訴 旭川地検 /北海道
18番 2002年6月29日 朝刊 宮城1

 これをみてもわかるが、朝日新聞も昔はちゃんと自紙の拡販員の犯罪を自社名入りで伝えていた。

 去年の2006年8月11日の記事(11番)ですら、サッポロでわいせつ容疑で逮捕された笠原久人容疑者のプロフィールに「朝日新聞扱う元スタッフ逮捕」とちゃんと新聞名を入れている。

 ところが、今年六月におきた、朝日の拡販員による、さいたまの三歳児の虐待死事件(6番)より、朝日新聞の名前は紙面から消える。

 窃盗や詐欺ではない、殺人という深刻な犯罪に、自社のイメージ低下をおそれての配慮であろうか、自社名をふせる方針になったようである。

 ちなみに、読売新聞の拡販員の場合は、2006年11月16日(10番)の記事で、佐沼署で詐欺容疑で逮捕された男の前には「読売新聞セールススタッフ」としっかり、新聞名が入っている。

 今後、他者の拡販員が犯罪をおかした場合、朝日が社名をいれるのかどうか興味のあるところである。

 ていうか、社会主義国のメディアじゃないんだから(そういえばダンボール肉まん事件以後、中国のメディアは食品の安全を追求する番組をつくれなくなったそうである)、やっぱここは明るく正しく「朝日新聞セールススタッフ」と書いてほしい。

 早稲田の学生(スーフリ)や先生(植草元教授)が不祥事おこしたら、「早大生の犯罪」「早大教授」とか煽って書くんだから。

 その方が報道機関としての信用性があがって、拡販員にたよらなくてもよくなるよ!
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DATE: 2007/08/26(日)   CATEGORY: 未分類
天を仰いでヤル気がふるのを待つ

 細かいツメの必要な、かつ、至急な仕事にとりかからねばならない。

 そう思ったのだけど、「そうしなければ」と思った瞬間に極度の偏頭痛と腹痛に襲われる(神経だな)。

 論文も翻訳もみな、調べているうち、何かが形をとりだして論旨が確定していく期間が一番楽しい。

 しかし、それを発表できる形にする段階はじつにつまらないものである。表記の統一をし、表現に気をつけ、注記をし、と細かいところをつめるばかりの、血湧き肉躍ることもない、超単調なつまらない作業ばかり。

 今はデータ提出だからまだいいが、昔論文が印刷だった時代は、初稿、二校、などの段階があり、これなどは「もう終わった」と思うその後にくる作業だからそのイヤさ加減は筆舌に尽くしがたかった。

 論旨が確定するということは、その論文が観念的な意味で、世の中にでることが確定した瞬間なのだが、単純作業量からいえば、そのあとの方がはるかに時間がかかることが多い。

 そういうわけで、そのような細かい作業にとりかかる決心がつかず、つい現実から逃避してダラダラしてしまう。

 ダラダラしているうちに、やる気が天からふってくることもあろう。(でも、降ってこなければただの怠けもの)

 というわけで、最近リリースされたばかりの海外テレビドラマをみまくる。

 金曜日『プリズン・ブレイク』のセカンドシーズンの最終巻がリリースした。

「マイケル(ウェントワース・ミラー)ももう見納めなのね」と目頭をおさえながら最終回をみていたら、話がぜんぜん終わらない。

 ネットで調べてみたら、なんとアメリカではサードシーズンが放映されているようである。これには驚いた。

 脱獄というテーマ上、そうそう話が続くわけもなく、はじめは最初の13話で脱獄が成功して終わるはずだった。ところが、主役のウェントワース・ミラーがあまりに知的な美形だったもので、世界中の女性がもりあがった結果、13話目で決行するはずだった脱獄は失敗ということになり、それでもファースト・シーズンの最後にやっと檻の外にでられたのだが、セカンド・シーズンは逃亡しながら無実の罪を晴らすという、脱獄(プリズン・ブレイク)とは関係ない話になった。

 そして、セカンド・シーズンの最後で罪が晴れたので、いくらなんでももうこのタイトルで話を続けるのはムリだろうと思ったら、なんとこれまた無実の罪でパナマの刑務所に入れられてしまった。また監獄に(しかも外国の)逆戻りである。
 
 主人公がブサイクだったら、13話で幸せになっていたはずなのに、美形であったために作中の不幸が長引いている。

 ちなみに、ウェントワース・ミラーは作中では脱獄計画をタトゥーにして全身にいれているという設定なのだが、このタトゥーは準備に四時間かかり、はがすのに二時間かかるので、そうそうぬぐわけにもいかず、そのせいかどうかしらんが彼女がいないのでそうなると今度はゲイ疑惑をささやかれるわでイイ男は私生活も大変。

 そして、セカンドシーズンで完結すると云われていた『スーパー・ナチュラル』もなんとサード・シーズンに突入するようだ。

 これもまた、主人公のイケメン兄弟二人(ジェンセン・アクレスとジャレット・パダレッキ)をみせることが主眼の番組であるため、シリーズの存続の背後に世界の女性の力を感じる。
 
 人気があるからといって、ご都合主義で話を続けていくことには異論もあるだろうが、不思議なもので、人気がでてくると、ゆるかった脚本の内容が多少なりともしまってくるし、キャストの設定もゲストもどんどんよくなっていくし、何より主人公役の俳優にオーラがでてくる。

 多くの人にのぞまれることによって人は輝いていく。

 などと感慨にふけりながらひたすらイイ男DVDを見続けても、

 天からやる気がふってくる気配は一行にない。
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DATE: 2007/08/22(水)   CATEGORY: 未分類
Let's Zen
 日本語そのままで欧米に通じる日本仏教の用語はほとんどない。
 欧米人が仏教用語を表記する際、英訳が難しい場合には、だいたいサンスクリット語やチベット語やパーリ語をそのまま用いる。

 しかし、禅を意味するZenは日本語そのままで通じる(中国語ではchanだから、この発音なら日本語よみ)。どころか、フツーの小さなスタンドとかでも禅についての本が売られていたりする。

 つまり、欧米人は禅が好き。禅の思想や美術をつらぬくワビ・サビといった観念が、モダニズムともマッチするのであろう。
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この夏、国立博物館(江戸時代は寛永寺)で禅の美術展が行われている。臨済禅を愛してやまなかった足利義満の六百遠忌を記念して、行われているもので、京都五山の名宝が一堂に会するすばらしい機会である。

 京都の五山にいっても公開されていないようなものがごろごろ展示されているので、やはり国の力はすごい。

 欧米で人気のある禅ということで、ポスターにはLet's Zenと英語の煽りまでついている。

 会期は7/31-9/9日の暑い盛り。たまたま東京にいた仏青の破顔くんとO君とともに、国立博物館前で待ち合わせをする。暑い日中には人がすくないだろうということで、午前十一時の待ち合わせ。ゲートから展示の行われている平成館まで、コンクリートの照り返しがきつく「死のロード」。去年のゼミ旅行の法隆寺への道を思い出す。

 案の定かなり空いていており、ゆっくり見ることができた。暑さに負けたのか、意外にも欧米人は二人くらいしか参観にきていない。春か秋の展示だったらもっと内外からお客さんきただろうに。

 あ、でも春や秋は京都も観光シーズンだから、相国寺いってみたら、本尊ありませんでした、というわけにはいかないだろうから、暑くて京都に人気のなくなるこの時期をねらって、東京で出開帳をやっているわけか。

 破顔くんから禅宗についての講義をうけながら見るので、とても楽しい。

 五山の開祖たちの等身大の木像はものすごくリアルに造られていて生前の顔がはっきりわかる。禅は体験型の教えなので、師と弟子の関係は、一般の仏教の師弟関係よりこゆい。開祖の像は開山堂におさめられており、五日にいっぺん磨かれるので表面がつるつるになっている。夏になるとうちわも供えられるようであり、あたかも生者につかえるごとく先師の像を扱うという。
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 像はものすごくリアルなのにもかかわらず、禅画はものすごくシンプル。そして山水画などの自然を描くものが多くなり、仏画の比重がそれ以前の仏教よりぐっと下がるのだという。
 そして仏様や観音様を描いた画でも、余白に漢詩とかが描かれるので、崇拝の対象としての佛画というよりも、ぐっと身近なものになっているという。

 ところで、禅美術のお釈迦様はなぜザビエル禿に描かれているのか気になる。

 会場の最後の部屋は三部屋分くらいを使い、佛堂のイメージを演出していて壮観。相国寺の釈迦・阿難・迦葉の三尊像などを中心に、仏像がゆったりと並べなれていて、お賽銭をいれたくなる衝動を抑えるのが大変。

 破顔君によると、釈迦三尊像といえば、普通、釈迦仏・普賢菩薩(象にのってます)・文殊菩薩(ライオンにのってます)が、禅宗では、お釈迦様、迦葉(頭陀行の行者の姿につくる)、阿難(貴族的な顔につくる)の三尊像が好まれるのだという。

 これは禅宗独自の思想による。

 お釈迦様が蓮の花を手にとって、ニッコリほほえまれた(拈華微笑)。その時、迦葉はお釈迦様が法を伝えようとしていることを以心伝心でさとり、やはりニッコリした。これは禅が言葉ではなく体験で伝わっていくことを示した、教外別伝・不立文字の有名なエピソードである。

 迦葉の次に法を託されたのが阿難である。

 阿難はお釈迦様のイトコで、お釈迦様の身近にもっとも長く仕えながら、覚るのが一番遅かったという、面白い男である。

 私が「イエス・キリストも故郷では石を投げられたというし、親戚とか、身近にいるものってかえってその人の偉大さはわからないものかもねー」と語り合う。

 折しも私が行ったその日から、足利義満に明の永楽帝が送った勅書の公開がはじまっていた。写真や印刷された史料では何度もめにしていたものだが、やはりホンモノの歴史文献をナマでみるのは、歴史家として嬉しい体験。

 というわけで、この展覧会是非オススメです。
 この夏は、国立博物館で、Let's Zen。座禅はやはり体験なので、座禅会・お茶会のある日に行ってみるのもいいかも。

 詳しくはここクリック
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DATE: 2007/08/18(土)   CATEGORY: 未分類
トトロの森が消える時
 毎日毎日猛暑が続き、昼間の暑さが夜になっても引かず、それが翌日の熱さに加わり、観測史上最高気温があっさりと更新される毎日。

 それが頂点にたっした16日の夜、お参りにいった御嶽山神社の境内は、夜なのにセミがなきやむことはなかった。

 確か去年もこんな夜があった。夜までセミが泣き続ける日は夏のてっぺんかもしれない。

 そうでなくても暑くて寝苦しいのに、千葉県東方沖で結構大きな地震が続き、これが夜くるとお鳥様がパニックをおこしてそれをなだめるために睡眠がぶつぎりになる。

 今朝も四時すぎの地震でパニックをおこした愛鳥ごろうちゃんの相手を五時からしていため、昼間がつらい。

 土曜の今日はカルチャーの日だったので、あまり暑いと来てくださる学生さんたちに申し訳ないなーと思っていたら、少し暑気がおさまったので、よかった、と思っていたら授業中、地震がおきる。教室は八階なのでゆれはけっこう長く続く。

 地震は仕方ないにしても、この異常な猛暑は確実に人間の自業自得によるものだろう。

 熱帯雨林を伐採し畑にかえ、都市周辺の森を住宅地にかえ、便利だといって車にのっては排ガスをたれながし、暑いといってはエアコンの排気を屋外に輩出しまくった結果がこれである。

 最初の被害者はむろん物言わぬ自然である。

 郊外の竹藪や森を伐採して住宅地にかえたため、ねぐらをうばわれたむくどりが町中の街路樹をすみかにして、そのフン害などが問題視されている。最近、猿や熊が里におりてきて人間とトラブルを起こしているのも、山があれて食べ物がすくなくなっているためである。

 しかし、椋鳥だって、熊だって、猿だって、山に快適なねぐらがあれば、町中なんかにきたくはないだろう。

 わが家は庭で鳥の餌付けをしているが、昔はしょっちゅう姿をみせていた、オナガやヒヨドリが最近めっきり姿をみせなくなった。

 それもそのはずここ数十年のあいだわが家のまわりの緑は劇的に減少した。一つのお屋敷がなくなると、それは十軒くらいのせっまい建て売り住宅にばける。その狭い住宅の一つ一つは当然庭も土もなく、ついでにいえば塀もないので、鳥たちが巣をかけることも、羽を休める場所もなくなっていくのだ。

 そういうわけで、世界はむりでも、都心の緑くらいはどうにかならないかと、寄付する対象を調べていると、「トトロのふるさと財団」が目に付いた。

「トトロの林」がピンチ 公有地化進まず 東京・東村山 2007年08月14日21時56分

 アニメ映画監督の宮崎駿さんらが東京に残った川べりの雑木林を守ろうと進めてきた運動が、窮地に立っている。宮崎監督らの2000万円を超す募金を受け、東京都東村山市は公有地とすることを決めたが開発業者と価格が折り合わず、すべての土地の買い取りが難しくなった。一方、宮崎監督らが12日開いた緊急集会では、あくまでも全土地の取得を求めていくことを確認しており、八方ふさがりの状態だ。

 この雑木林は、埼玉県の狭山湖を水源に東京・埼玉県境を流れる1級河川・柳瀬川の両岸にまたがる。住宅地に囲まれながら、10メートルほどのケヤキやクヌギ、コナラが茂るのどかな場所だ。30年来近くに住む宮崎監督の散策コースで、子どもの頃の豊かな緑を思い出し、アニメ「となりのトトロ」の想を練ったという。

 11年前にも開発計画があり、宮崎監督らの約3億円の寄付を受けて東村山市と埼玉県所沢市が約4600平方メートルを公有地化。「淵(ふち)の森緑地」として市民たちが手入れや掃除をしてきた。

 今回はその対岸約1500平方メートルの宅地化計画に対し3月から募金運動が進められ、6月に東村山市の渡部尚市長が公有地化を表明した。

 この間、地権者は5月に開発業者に土地を売り、手付金を受け取った。市は、9月の残金支払いを前に業者と交渉を始めたが、業者側は約1億3000万円を要求。市側の予定とは倍以上の開きがあるという。

 12日の緊急集会は岸辺の雑木林で開かれ、今後も自然の保全を求めて市側へ働きかけていくことを確認した。すべての土地を取得できなければ、寄付金が宙に浮く事態にもなる。16日には宮崎監督と渡部市長との会談も予定されている。

 
このトラストのページにアクセスしてみると、これまでに寄せられた寄付の内訳がのっている。

総額  332,478,540円
寄付者数14,937人。

あの宮崎駿とトトロの知名度を考えると、すくなくないか、この額。

それで、もっと暗い気持ちになりたい方は、この記事にみえる柳瀬川をあのグーグルのMAPの、それも航空写真で見てみるといいですよ。衝撃を受けるから。

 もう河川のきわきわまで住宅がせまり、河川のまわりにかろうじて緑がはりついている状態。「まとまった土地をかいとって保全」とかいうのでなく、住宅街の中に点在する緑をなんとかまもっていこうという必死なレベル。

 以上のことから分かることは

  宇宙船地球号はもうドロ船

 「エマージェンシー、エマージェンシー、乗組員は緊急避難してください」と船内アナウンスがなっているけど、むろん逃げ場はない。

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DATE: 2007/08/14(火)   CATEGORY: 未分類
黄門さまの憂鬱
ごろうちゃんの夏ページアップしました(→ここクリック!)


お盆の初日、ダンナの実家、水戸にいく。

 水戸といえば、御三家の一つ水戸徳川家の本拠地である。

 当然のことながら徳川ゆかりの史跡がごろごろしているので、とりあえず、(財)徳川博物館に向かう。暑いのでダンナの弟君に車で送ってもらう。
 
 今、偕楽園のまわりは巨大な風致地区となっており、博物館はその公園の一角をしめる山の上にある。

 この博物館は水戸徳川家の伝世品を所蔵しており、黄門様(水戸光圀)の隠棲の別荘として知られる西山荘とともに、水戸の徳川家の末裔が組織した水府明徳会が運営している。

 展示室には、初代藩主頼房と二代目光圀の手回り品をはじめとし、水戸徳川家に伝えられる大名道具がならぶ。

 水戸徳川家の初代頼房は、家康さまの十一男坊である。

 この頼房の実の母親はあの本門寺に眠るキョーレツな日蓮主義者、お万の方であり、もう一人の准母が、あの鎌倉の英勝院の初代庵主である家康の側室お梶の方である。

 この二人に育てられただけでも頼房のキツさは想像つくというものだが、この頼房の子であり、二代藩主となる水戸光圀(云わずとしれた黄門様)はもっときつかったようだ。

 黄門様のお母上は家臣の子であったため、生まれる前から殺されそうになり、晴れて世子になり、江戸の小石川の下屋敷にうつった後、光圀はお万ばあちゃんとお梶ばあちゃんにきびしくしつけられることになる。

 その反発からか、黄門様は、粗暴で(カブキもの)、自己否定的な青年期を過ごすこととなる。

 青年期のウツの後、黄門さまはキョーレツに儒教に傾倒し、社寺の堕落を糾弾し、天皇家マンセー史観満載の『大日本史』を編纂した。これらの一連の行動に、なにかこう、二人のばあさんや将軍家たちに対する根強い怨念が感じられるのは、私だけではないだろう。

 ちなみに、全国をまわって、弱気を助け強気をくじいたあの黄門様のイメージはまったく後世の作り事。実際の黄門様は、大日本史の編纂事業に藩の財政を傾けまくって民を苦めていた
 
 そして歴代の水戸の殿様は水戸の真北にある常陸太田の瑞龍山に埋葬された。都の真北、という意味では江戸と日光の関係と同じであるが、異なるのは、水戸の殿様たちは、徳川宗家のような仏教あるいは神仏混淆スタイルでなく、儒教スタイルで葬られていることである。
 
 水戸学が徳川政権をたおした明治維新の原動力の一つとなり、最後の将軍徳川慶喜が水戸家からでて(水戸家からでた将軍はこの人一人)、徳川の世をあっさりおわらして、死んだあとも、歴代将軍のように寛永寺にも増上寺にも入らず、谷中の墓地で神式に葬られることをのぞんだことをみても、水戸徳川家の徳川宗家に対するわだかまりはえんえんと続いていたような気がする。

 などと感心しつつも、ミュージアムショップにとりつき、葵の御紋のついたグッズをあさる。
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 とりあえず、葵のポストイットに、葵の鈴、水戸徳川オリジナルボールペンに、幕末セットの絵はがきを買う。
 
 なかなかここのショップはセンスがいい。

 ガーデンテラスに斉昭御膳があるのもイイね! ついでにいえば、バリスタがミルクで葵紋を描くサービスをやったらもっと人がくるんじゃないか。
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DATE: 2007/08/09(木)   CATEGORY: 未分類
裸の横綱・裸の首相
 その道のトップを極めたものの、空気の読めないことで知られる二人の人物が、今限りなく社会的に死を迎えつつある。

一人はご存じアベ首相、もう一人は横綱、朝青龍である。

両者ともに世間的には「ああいう人いるよね」程度の資質の人なのだが、いかんせんそれがトップであると、コトは大きくなる。

トップなので誰もその進退に口がだせないし、当事者たちは自己省察能力に著しくかけているため、その行動が改まるはずもなく、その結果、いくとこまでいっちゃって、今やっと自分のおかれた立場に気づいてきた、というカンジである。
 
 ニュースは日々きびしくなっていく二人まわりの状況を伝える。

 朝青龍はひきこもって外にでていないにもかかわらず、仮病の証拠となったサッカー映像をエンドレスで流されている。

 アベ首相は原爆記念日に式典に参加すれば、彼の任命した閣僚の失言「原爆しょうがない」発言をエンドレスで流されている。

 もうここまできたら、両方ともやめた方がラクなんじゃないかと思うけど、今や二人は行くもジゴク、進むもジゴクのどん詰まり。

 今になってから、朝青龍のサッカー試合を目撃していた日本人なるものが電話で
「ほとんど動いてなかった」「つらそうだった」

などと証言しているが、キレのある動作で走り回り、ゴール間際でヘディングを行う姿が撮られているのだから、何をいっても説得力なし。そんな援護射撃はやるだけ本人の立場を悪くするだけ。
 
 広大な草原を縦横無尽にかけまわり、一所にとどまらず旅の中に生活をおくる遊牧民の血をひく朝青龍である。三ヶ月謹慎というのは、彼にとっては我々の想像をはるかに超えた苦しみであろう。

 いろいろ未練もあるだろうが、ここは廃業するのが精神と肉体の双方にとっていいと思う。

 それで中田ヒデのように世界遊牧の旅にでるのだ。そこから見えてくるものもあるだろう。


 ところで、朝青龍はそれなりにお友達がフォローしているのに比べ、アベ首相を援護する人はほとんどいない(援護しているのは運命共同体の閣僚くらい)。

 政治家って基本的に洞ヶ峠なんだなー、とつくづく思う。

 いまやアベ首相はミステリーサークルの真ん中にたつ宇宙人のよう。

  彼が今のポストに留まり続ける理由は、「街頭演説で手応えがあったから」らしい。

 でもね、アベさん。

 あなたの演説を前列で拍手して聞いてくれた人は、まず間違いなく動員された党員ですよ。自民党のメンツをかけて首相の演説会をもりあげるために地方組織がなけなしの力をふりしぼったのだよ。

 だって、同じ自民党のマルカワ嬢や桝添オジサンなんか演説の際、バセイあびてたからね。

 わたしはヤジやバセイをとばすことには反対だし、品がないと思うけど、動員された党員の拍手だけきいて、それを民意とし、首相の座に居続けるというのもあまりにも空気が読めなすぎると思う。

 総理になれることなんてもう二度とないだろうから、ふみとどまってライフワークの法案を通したいんだろうけど、民生にもっと目を向けろ、と怒っている人たちがいる以上まず当分できないだろう。

 しかし、憲法を改正して「美しい日本」を造りたいアベさんにとって、民生なんて地味なことに気を配ることは、もっともストレスだろうから、

 いろいろ未練はあるだろうけど、やめた方が精神と肉体の双方にとっていいのではないか。
 そして、菅直人のようにお遍路にでるのだ。
 そこから見えてくるものもあるだろう。


 お遍路の道すがら、お接待でお菓子や果物をもらって、人々の声を直接聞けば、少しは下々の暮らしが理解できるというもの。

 ※ ちなみに、菅直人がお遍路の後、多少なりとも性格が改まったのどうかは確認とってません。
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DATE: 2007/08/05(日)   CATEGORY: 未分類
神のゼミ長Aジくんありがとう
朝九時、浅草正面改札に集合。特急にのって東武日光へ。

 まず、日光巡礼の起点神橋で私の蘊蓄語りははじまる。
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 天台宗の勝道上人が9世紀にはじめてこの日光の地をふみわけた時、大谷川の急流に行く手を阻まれた。
 その時、あの深沙大王(西遊記参照)が現れて、二匹の蛇を投げるとその蛇がからまりあって橋となり勝道上人の渡河を助けた。

 神様がかけただけあってこの橋は美しいだけではなく、橋桁がない特殊な構造で、江戸時代はこの橋のかけ方を知っている宮大工は一子相伝で技術を伝えていったといわれる。

 「力学的にムダのない橋は、その姿も必ず美しいものだ。
日本古来の文化に礼法というものがあるが、この礼法にそって動くと、そのふるまいは美しい上に、かつ、体にもっとも負担のかからない動きとなるのと同じである。真理は何事もにも通じるのう」

 余談だがその夜宿にかえってテレビのニュースをみていたら、アメリカのミネソタ州で橋が落ちる大惨事が報じられており、学生は妙に納得していた。

 神橋をわたるには料金がかかるので、自動車道路で河をわたり、輪王寺をまず訪れる。

 ここ輪王寺はかつて日光山全体の統括寺であった。

 しかし、明治元年の神仏分離令により、東照宮だけが分離独立し、それまで祭られていた三体の本尊のうち、仏教色のこいものをすて、さらには仏教中心の神学理論を意図的に無視して新しい解釈をふしたのである。ついでにいえば、ドロドロの訴訟合戦を行い、山内の建物の所有権を輪王寺から奪いとった。

 近代とは実に美しくない時代である。
 
 とにかく、本来この日光山は天台宗の勝道上人によって仏教の聖地として礎がおかれ、家康の霊廟がたったあともその霊廟建築コンプレックスはすべて天台宗の輪王寺によって統括されていた。

 なので伝統的な東照宮のあり方を知りたいのなら、現在東照宮の宮司の書いたものなどをみるよりも、輪王寺側のものをみた方がいい。

 輪王寺を参観したあと、次は神社部分である東照宮入りして、家康様の宝塔をめざす。

 頭にきたことにすでに拝観料をはらっているにもかかわらず、宝塔前にいくにはさらに五百円もとられる。三つ目の鳥居があらわれ拝殿と鋳抜門の向こうに家康様の眠る塔が鎮まっていた。
 このあたりは転輪聖王のイメージにみちあふれている。

 再び拝殿にもどり、神輿舎をみると、

 面白い。

 今、東照宮はこの三つの神輿を、家康と頼朝と秀吉の霊をのせる御輿だと説明しているが、御輿には、それぞれ葵紋、巴紋、茗荷紋がついているので、もとは東照大権現(家康=薬師仏)、山王権現(釈迦仏)、マタラ神(阿弥陀仏)の神輿である。
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 陽明門のところまで戻り石段で全員でお約束の記念撮影。

 みちゆく女の子にシャッター切りをたのみ全員石段にたつ。だるいので石段に腰を掛けるとみながそれに習って腰を掛けたので、全体に絵が低くなり、陽明門はフレームアウトした。

 石段しかうつっていない集合写真には、日光でうつした意味はすでにない。

 それから二荒山神社をへて、日光をプロデュースした偉大なる天海(慈眼大師)の廟に向かう。

 目印は法華堂と常行堂の間の道である。この二つはムロン比叡山のコピー。常行堂の中にはきちんとマタラ神も祭られていた。
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 このあたりで暗くなってきたので、宿にもどる。

 その夜は、おきまりの酒盛り。宿はペンションなのにノリは和風旅館。

 最初はリビングでのみ、十一時以後は酒部屋に指定された部屋でみなのみだす。部屋をのぞくとベッドの上にテレビが投げ出されている。テレビ台をゲームやテーブルに転用するためである。わたしはコンプライアンス(ゲロ・宿の備品の損壊をしないこと)だけはしつこく誓わせ、自室にひきあげる。

 ちなみに、私の指導力のなさはペンション側にも伝わるのか、学生のうるささに対する苦情は、なぜか私にこず、みな神のゼミ長Aジくんにきていた。人を見る目のあるオーナーだ。
 
 翌朝は、家光廟にいく。しかし何と女の子全欠席。

 しかも昨日夜から参加したばかりのS木くんはバス停でバスをまっているあいだに

「お、●ンコしたくなった。次のバスでおいかけます」

 ともどったきり、かえってこず。

 残った男子学生の評価は高くしてやろうと心の底より思う。

 家光廟は東照宮と異なり全仏式で、しかも黒を基調にした落ち着いた雰囲気。その構造も南北に展開する東照宮とは対照的に東北の鬼門ふさぎの形で建物が配置されている。

 そして、また拝殿と皇嘉門には転輪聖王のシンボルを発見。しかも歩をすすめるごとに金輪は輪の数がまし、皇嘉門の金輪は四重になっていた。

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 すごい。感動する。

 家光の廟の背後には家光に仕えた忠臣照公院の墓がある。彼は生涯独身で家光につかえ、彼の死後も二十年にわたって朝晩霊前に食事を捧げ、同時に日光の民の民生につとめたという。三十八まで世継ぎのできなかった家光には●モ疑惑も根強いため、この照公院の墓が家光廟の背後の山にある関係も意味深である。


 とわたしがウンチクを傾けると

 Mコトくんが感慨ふかげに「ブロークバックマウンテンですねー」

 思い切りふく。

 午後は残るゼミ生を中禅寺湖にあげ、立木観音につれていく。

 ゼミ生は「えー、また寺ですか」とぶーぶーいうので

 これは勅命だ。民意はとわん。終わったらスワンボートでもなんでものっていいからこれだけはこい」と無理矢理連れていく。

 しかし、ゼミ生がぶーぶーいうのも何か解る気がする。
 どこも拝観料が高い。しかも、どの寺も神社も金儲けのことばかりしか考えておらず、この立木観音なんて、五大明王をみせるのは解るにしても、

 坊主「五大明王は、それぞれ交通安全、子授け、厄除けなどの御利益があります。それぞれの願いにそったお守りを販売しております」とかそんなんばっか。

 昨日訪れた三仏堂も東照宮内の本地堂も、同じようにわれわれを干支の順に整列させて、それぞれのまもり本尊はこれこれだといってお守りかわせようとする。

 あんたら一応坊さんのかっこうしているのなら、仏教とは、仏とは何か、つたなくともその一番大事なことを伝える努力を少しでもしたらどうなんかい。

 そこで立木観音の五大堂のテラスで美しい男体山を右手に、正面に中禅寺湖の絶景をみながら

 「ほんっと上から下まで腐りきってる」と毒づくと
 TMくんが「センセってほんっとたち悪いっすよね」という。

 なんでやねん。
 
 そしてそのあとスワンボートの乗り場にいくとまた学生たちお互いの顔色をうかがいあって、乗ろうと踏み出す人がいない。ゼミ長のAジくんは

 「オレ、トイレいってくるからその間に決めといてね」と立ち去ってしまう。

 すると、残ったゼミ生が

 「Aジくんがこうしよう、って言えばみんなこうするよ。Aジくんがいないと決められないよねえ」と煮え切らない。

 面白いので私は口を挟まない。
 
 四年の女の子たちが不安そうに「Aジくん遅いね」というと
 TMくんが「お前たちデリカシーないな。●ンコだよ、●ンコ。」

 アンタの方がよほどデリカシーないわ。

 つか、そのときAジくんはトイレがみつからず困っていて、結局みつからないまま戻ってきた。しかし、何も決まっていないのであきれ果てる。

 「苦労ってのはデキるやつのところにころがっていくのよねえ」(無責任)

 そして、Aジくんがあまりにかわいそうなので、最後にリーダーシップを発揮することにする。

 「はい、ではこれから自由時間にします。バスのでる五時半にターミナルでまちあわせとしましょう。スワンボートに乗りたい人はのって、カフェにいきたい人はいってください。」(どこがリーダーシップじゃ)。

 わたしは華厳の滝をみにいくことにする。ついてきた学生に対して、華厳経に説かれる観音とその水に浮かぶ聖地(ポータラカ→フタラ→二荒→日光)がこの日光という聖地のおこりであること、並びに、明治の頃、この滝の側の木に

「人生これ不可解」

と記して投身自殺した藤村操の話をして、その自殺がいかにまわりの人や知識人に影響を与えたか、なんてありがたい話をするのではなく、後追い自殺があいついで、心霊スポットになりましたという何のやくにもたたないくだらない話をして女の子を怖がらせる(オヤジか)。

 つくづく私は教育者に向いておらん。

 華厳の滝でみずしぶきをかぶり、久々に命のせんたく。台風の影響で水量豊富で、みがいがある。

 そして宿に帰ると、初日よりひどい酒盛りが待ち受けていた! わたしはさっさと寝たが五時半頃、うるさいので外にでてみると、

 KSくんがいて「今寝るところです」という。

この時間にねて朝八時半の食事にみなおきてこれるのかしら、と思ったら、案の定おきてくるのは一部で、ロフトをのぞいてみると冷房のききすぎた部屋でふとんにもはいらず、酒瓶のころがる中、ざこねをするS木くんやS藤くんの姿が・・・。

 彼らの未来の子供にこの姿をみせてあげたい。

 まあでも、ゼミ旅行はゼミ生同士の懇親が主な目的なので、このゼミ旅行あらゆる意味で成功したのではないでしょうか(とことん無責任)。


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DATE: 2007/08/01(水)   CATEGORY: 未分類
コアな日光巡礼
明日からゼミ生と夏合宿。
私が「日光にいく」といったら学生のうち一人が、
「えー、いったことあるからヤですよ」といったが、強行採決。

かつて云ったことがあるとしても、このオタクのわたしの解説がつくのだから、漫然といくよりは絶対面白いはず。

夜は陽明門の上に北極星がでることを確認するのだ!

そういったら学生、「先生一人でいって下さい」
ありがたみが分からんヤツである。

私がはじめて日光を訪れたのは小学校五年生の頃の修学旅行に際してであった。

子ども心にも東照宮の華麗さには感銘をうけ、その翌日にいった戦場ヶ原のハイキングよりも、湯の滝の壮大よりも、印象深かった。

小学校の卒業文集にも一番の思い出として、五年生の時の日光旅行をあげた記憶がある。

栴檀は双葉よりもかんばし。あの頃から寺好きだったのだな。

それ以後も観音巡礼で中善寺湖畔の立木観音とかにいったが、本格的に再訪するのはこれがはじめて。

オトナになってオタク智慧のついた私はシブイところに注目する。

まずは、家康、天海、家光、の三廟所をまわる。

そして、天台の秘法に基づいて、東照宮と付随建築物におりこまれている、三と七の秘数を捜す。

あと転輪聖王のシンボル、八幅金輪紋も捜そう。

 天海は家康を仏典にとく転輪聖王になぞらえていたので天海のかかわった建築にはよくこのしるし残されているのだ。

あとは、朝鮮通信使ののこした三具足、鐘などの遺品よりアジアの中の徳川政権をあじわい、世に名高い、ハデハデの花鳥風月の彫刻からは、三代将軍の干支を捜す。

家康・秀忠・家光と三代の将軍は、それぞれ寅年、兎年、辰年に生まれで並んだので、
家光の時代に完成した東照宮の建物も、三代将軍の干支にちなんで、虎、うさぎ、龍の彫刻が多いのだ。


日光のゴテゴテ装飾はわびさび好きの欧米人にはうけないが、派手すきの中国とか韓国の人とかにはうける。

わたしは京都の禅寺のわびさびもシンプルでクールで好きだが、日光のハデハデ・ゴテゴテもいかにも泰平の世というカンジですき。

二日目には観音の聖地中禅寺湖にいこう。ここは理念的にはチベットの都ラサのポタラ宮と同じなのだ。ポタラも日光(二荒)の語源となったフタラも観音の浄土をあらわすサンスクリット語ポータラカである。

 今は人々は湯本温泉にぬけるルートがはしる湖の北岸しかいかないが、かつて、中禅寺湖には聖湖として湖を一周巡拝をするコルラ道がついていた。

 湖自体が崇拝の対象だったのだ。

 たぶん百年ほど前までは、チベットのヤムドク湖やナムツォのように人々が湖をまわって巡礼する姿が見られたことであろう。

 時間があったら、中禅寺湖を一周するいにしえの巡礼路をたどりたいところだが、学生はやりたがらないだろーな。去年京都いった時「愛宕山のぼろうか」といったら全員から却下されたしな。

 まあ立木観音くらいならついてきてくれるだろう。あれははじめて見る人は驚く。

 今年の夏はチベット行かないので、日光で命の洗濯。みなさんもどうぞ。
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