Let's Zen
日本語そのままで欧米に通じる日本仏教の用語はほとんどない。
欧米人が仏教用語を表記する際、英訳が難しい場合には、だいたいサンスクリット語やチベット語やパーリ語をそのまま用いる。
しかし、禅を意味するZenは日本語そのままで通じる(中国語ではchanだから、この発音なら日本語よみ)。どころか、フツーの小さなスタンドとかでも禅についての本が売られていたりする。
つまり、欧米人は禅が好き。禅の思想や美術をつらぬくワビ・サビといった観念が、モダニズムともマッチするのであろう。

この夏、国立博物館(江戸時代は寛永寺)で禅の美術展が行われている。臨済禅を愛してやまなかった足利義満の六百遠忌を記念して、行われているもので、京都五山の名宝が一堂に会するすばらしい機会である。
京都の五山にいっても公開されていないようなものがごろごろ展示されているので、やはり国の力はすごい。
欧米で人気のある禅ということで、ポスターにはLet's Zenと英語の煽りまでついている。
会期は7/31-9/9日の暑い盛り。たまたま東京にいた仏青の破顔くんとO君とともに、国立博物館前で待ち合わせをする。暑い日中には人がすくないだろうということで、午前十一時の待ち合わせ。ゲートから展示の行われている平成館まで、コンクリートの照り返しがきつく「死のロード」。去年のゼミ旅行の法隆寺への道を思い出す。
案の定かなり空いていており、ゆっくり見ることができた。暑さに負けたのか、意外にも欧米人は二人くらいしか参観にきていない。春か秋の展示だったらもっと内外からお客さんきただろうに。
あ、でも春や秋は京都も観光シーズンだから、相国寺いってみたら、本尊ありませんでした、というわけにはいかないだろうから、暑くて京都に人気のなくなるこの時期をねらって、東京で出開帳をやっているわけか。
破顔くんから禅宗についての講義をうけながら見るので、とても楽しい。
五山の開祖たちの等身大の木像はものすごくリアルに造られていて生前の顔がはっきりわかる。禅は体験型の教えなので、師と弟子の関係は、一般の仏教の師弟関係よりこゆい。開祖の像は開山堂におさめられており、五日にいっぺん磨かれるので表面がつるつるになっている。夏になるとうちわも供えられるようであり、あたかも生者につかえるごとく先師の像を扱うという。

像はものすごくリアルなのにもかかわらず、禅画はものすごくシンプル。そして山水画などの自然を描くものが多くなり、仏画の比重がそれ以前の仏教よりぐっと下がるのだという。
そして仏様や観音様を描いた画でも、余白に漢詩とかが描かれるので、崇拝の対象としての佛画というよりも、ぐっと身近なものになっているという。
ところで、禅美術のお釈迦様はなぜザビエル禿に描かれているのか気になる。
会場の最後の部屋は三部屋分くらいを使い、佛堂のイメージを演出していて壮観。相国寺の釈迦・阿難・迦葉の三尊像などを中心に、仏像がゆったりと並べなれていて、お賽銭をいれたくなる衝動を抑えるのが大変。
破顔君によると、釈迦三尊像といえば、普通、釈迦仏・普賢菩薩(象にのってます)・文殊菩薩(ライオンにのってます)が、禅宗では、お釈迦様、迦葉(頭陀行の行者の姿につくる)、阿難(貴族的な顔につくる)の三尊像が好まれるのだという。
これは禅宗独自の思想による。
お釈迦様が蓮の花を手にとって、ニッコリほほえまれた(拈華微笑)。その時、迦葉はお釈迦様が法を伝えようとしていることを以心伝心でさとり、やはりニッコリした。これは禅が言葉ではなく体験で伝わっていくことを示した、教外別伝・不立文字の有名なエピソードである。
迦葉の次に法を託されたのが阿難である。
阿難はお釈迦様のイトコで、お釈迦様の身近にもっとも長く仕えながら、覚るのが一番遅かったという、面白い男である。
私が「イエス・キリストも故郷では石を投げられたというし、親戚とか、身近にいるものってかえってその人の偉大さはわからないものかもねー」と語り合う。
折しも私が行ったその日から、足利義満に明の永楽帝が送った勅書の公開がはじまっていた。写真や印刷された史料では何度もめにしていたものだが、やはりホンモノの歴史文献をナマでみるのは、歴史家として嬉しい体験。
というわけで、この展覧会是非オススメです。
この夏は、国立博物館で、Let's Zen。座禅はやはり体験なので、座禅会・お茶会のある日に行ってみるのもいいかも。
詳しくはここクリック。
欧米人が仏教用語を表記する際、英訳が難しい場合には、だいたいサンスクリット語やチベット語やパーリ語をそのまま用いる。
しかし、禅を意味するZenは日本語そのままで通じる(中国語ではchanだから、この発音なら日本語よみ)。どころか、フツーの小さなスタンドとかでも禅についての本が売られていたりする。
つまり、欧米人は禅が好き。禅の思想や美術をつらぬくワビ・サビといった観念が、モダニズムともマッチするのであろう。

この夏、国立博物館(江戸時代は寛永寺)で禅の美術展が行われている。臨済禅を愛してやまなかった足利義満の六百遠忌を記念して、行われているもので、京都五山の名宝が一堂に会するすばらしい機会である。
京都の五山にいっても公開されていないようなものがごろごろ展示されているので、やはり国の力はすごい。
欧米で人気のある禅ということで、ポスターにはLet's Zenと英語の煽りまでついている。
会期は7/31-9/9日の暑い盛り。たまたま東京にいた仏青の破顔くんとO君とともに、国立博物館前で待ち合わせをする。暑い日中には人がすくないだろうということで、午前十一時の待ち合わせ。ゲートから展示の行われている平成館まで、コンクリートの照り返しがきつく「死のロード」。去年のゼミ旅行の法隆寺への道を思い出す。
案の定かなり空いていており、ゆっくり見ることができた。暑さに負けたのか、意外にも欧米人は二人くらいしか参観にきていない。春か秋の展示だったらもっと内外からお客さんきただろうに。
あ、でも春や秋は京都も観光シーズンだから、相国寺いってみたら、本尊ありませんでした、というわけにはいかないだろうから、暑くて京都に人気のなくなるこの時期をねらって、東京で出開帳をやっているわけか。
破顔くんから禅宗についての講義をうけながら見るので、とても楽しい。
五山の開祖たちの等身大の木像はものすごくリアルに造られていて生前の顔がはっきりわかる。禅は体験型の教えなので、師と弟子の関係は、一般の仏教の師弟関係よりこゆい。開祖の像は開山堂におさめられており、五日にいっぺん磨かれるので表面がつるつるになっている。夏になるとうちわも供えられるようであり、あたかも生者につかえるごとく先師の像を扱うという。

像はものすごくリアルなのにもかかわらず、禅画はものすごくシンプル。そして山水画などの自然を描くものが多くなり、仏画の比重がそれ以前の仏教よりぐっと下がるのだという。
そして仏様や観音様を描いた画でも、余白に漢詩とかが描かれるので、崇拝の対象としての佛画というよりも、ぐっと身近なものになっているという。
ところで、禅美術のお釈迦様はなぜザビエル禿に描かれているのか気になる。
会場の最後の部屋は三部屋分くらいを使い、佛堂のイメージを演出していて壮観。相国寺の釈迦・阿難・迦葉の三尊像などを中心に、仏像がゆったりと並べなれていて、お賽銭をいれたくなる衝動を抑えるのが大変。
破顔君によると、釈迦三尊像といえば、普通、釈迦仏・普賢菩薩(象にのってます)・文殊菩薩(ライオンにのってます)が、禅宗では、お釈迦様、迦葉(頭陀行の行者の姿につくる)、阿難(貴族的な顔につくる)の三尊像が好まれるのだという。
これは禅宗独自の思想による。
お釈迦様が蓮の花を手にとって、ニッコリほほえまれた(拈華微笑)。その時、迦葉はお釈迦様が法を伝えようとしていることを以心伝心でさとり、やはりニッコリした。これは禅が言葉ではなく体験で伝わっていくことを示した、教外別伝・不立文字の有名なエピソードである。
迦葉の次に法を託されたのが阿難である。
阿難はお釈迦様のイトコで、お釈迦様の身近にもっとも長く仕えながら、覚るのが一番遅かったという、面白い男である。
私が「イエス・キリストも故郷では石を投げられたというし、親戚とか、身近にいるものってかえってその人の偉大さはわからないものかもねー」と語り合う。
折しも私が行ったその日から、足利義満に明の永楽帝が送った勅書の公開がはじまっていた。写真や印刷された史料では何度もめにしていたものだが、やはりホンモノの歴史文献をナマでみるのは、歴史家として嬉しい体験。
というわけで、この展覧会是非オススメです。
この夏は、国立博物館で、Let's Zen。座禅はやはり体験なので、座禅会・お茶会のある日に行ってみるのもいいかも。
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