白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/09/30(日)   CATEGORY: 未分類
緋色の河
ミャンマー(ビルマ)の軍事政権がついに僧侶に手を出した。
丸腰の平和的なデモに発砲し、何千人もの僧侶を刑務所に入れた。
そのうえ、日本人のジャーナリストがビデオを手にしていたことから射殺された。

サイッテーである。

「国民が思ったことをそのままいったり、あるがままを報道されたら、危なくなるから、国民を殺す、ジャーナリストを殺す」ってある意味すごいな。

しかも、ビデオ映像を報道されるのがイヤでジャーナリストを射殺し、その射殺シーンをまたしっかりビデオにとられて、さらにドツボにはまるのだから、みっともないことこの上ない。

 あ、同じような事件が昨日あったな。十五才の中学生が盗みに入った先でみつかって、目撃者を「もう殺すしかない」と刺したあの事件、あれなみ。

 盗みと殺人では、殺人の方が罪が重い。罪の軽重も、何が守るべきもので、何が捨てるべきものか、そのような判断もまったくできていないミャンマー政府なのである。

しかし、このようなあきれた国家は悲しいことに世界中に大小とりまぜて存在する。

 その種の国は一様に「我が国は多種多様な民族・宗教があるので、"強権的な政府"がなければまとまらない。もしわれわれが秩序を維持していなければ、国は混乱に陥り、デモで死ぬより遙かに多くの国民が死ぬだろう。」

この論理がいかに自己保身的な醜い詭弁かは誰でもわかると思う。

 昔秦の始皇帝という中国をはじめて統一した王がいた。この人、ものすごく猜疑心が強くて民を規則でがんじがらめにして、それを破るとものすごく重い刑を科した。

 人々は苦しんだので、当然、歴史上、彼は暴君と評価されきた時間の方が長い。ところが、前世紀の中頃、中国に社会主義政権が誕生したら、いってん彼は英雄と評価されるようになった。
 やっていることが同じだから、批判できないのである。

 あの広大な中国大陸は軍事的な力でなければ、治めることはできない、「権力は銃口によって造られる」(by 毛沢東)なのである。

 で、2002年だかに、ジェットリー主演の『HERO』(キムタクは関係ない)という映画が作られたが、これは秦の始皇帝(即位前なので秦王)をねらう三人の暗殺者の物語である。

 みてない人のためにネタバレをさけつつ、ネタバレさせると、この三人のうち一番腕の立つジェットリーが、秦の始皇帝を確実に殺せる技をもっていたので、他の二人(いずれもお尋ね者)がみずからを犠牲にしてその手柄によってジェットリーを始皇帝に謁見させる。

 ジェットリーは秦の始皇帝を殺せる距離にまで近づけたが、結局彼は始皇帝を殺さない。

それは始皇帝を一目みて独裁者の孤独を見抜き「この広大な中国で七国の争いをとめることのできるのは始皇帝だけである。始皇帝を殺せばもっと多くの人が死ぬ」と判断したからだそうな。
 
 このなんだかなー、のラストはむろん評判悪かった。

 秦の始皇帝を大陸の役者がやり、始皇帝をねらった刺客が香港俳優なところも、意味深であった。

 娯楽産業がすべて政府の宣伝の手段たるべし、という毛沢東の『文芸講話』を思わず思いだした一作であった。

 というわけで、中国政府は秦の始皇帝、おおっと、ミャンマーの軍事政権を今回も応援するのかと思うと気が重い。

業務連絡
僧侶が生活のためにやってはならない五つのこと

1.えらそうにみせること
2.自己宣伝すること
3.吉凶禍福を告げることで人を集めること
4.自分を偉いと錯覚させること
5.自分がもっている施主や供物などをならべて信頼させ、あらたな施主や供物を得ようとすること
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DATE: 2007/09/25(火)   CATEGORY: 未分類
ミャンマーの坊さんの底力!
ミャンマーの柳生一族」であつかったミャンマーがここ数日えらいことになっている。

 坊さんが〔燃料費二倍値上げにきれて〕デモに立ち上がったのである。

 日本とちがってミャンマーでは僧侶が〔きちんと戒律まもっていて〕社会的に尊敬されているため、市民は僧侶をまもるため弾よけになるため、必ずやたちあがるだろう。

かつて、チベットの市民がダライラマの離宮をまもるために集まったように。

外道な軍事政権も、ミャンマー人である以上僧侶に発砲することはそうそうできまい。


ベルリンの壁がくずれた1989年、ミャンマーの社会主義政権は実はあぶなかった。

 建国の父、アウンサン将軍の一人娘、アウンサンスーチー氏が、さっそうとイギリスより帰国して、民主化をもとめる学生たちの側にたったからだ。

 この政権の危機に対して、ローカリズムの権化と化した軍事政権は、彼女を、「旧宗主国のイギリス人と結婚した売国奴」とさげすみ、アウンサン将軍の娘であることを国民に意識させないようにした。

 しかし、双子座の★の元に生まれたスーチーさんは弁が立ち、かつ、びっじーん、だったもんだから、国民の人気は高く、翌年の総選挙では彼女の率いる政党は圧勝した。

 そしたら、軍事政権、あつかましいことに「治安回復」を口実に、戒厳令をしいて、議会を招集せず、ひらたくいうと選挙の結果をなかったことにしちゃおー、というサイテーの行動にでた。

 スーチーさんはそれ以来、ずっと自宅軟禁状態にあり(ときたま解除されたが、彼女に圧倒的に人気があることが確認されると再び軟禁に戻されるの繰り返し)、息子二人の成長を見ることも、夫(チベット学者Michael Aris ちなみに、わたしはこの人とソバ食べたことがある 笑)の死にもたちあうことはできなかった。

 軍事政権にとって、スーチー氏を野放しにすることは、中国政府がダライラマの帰国を認めることと同様、評判の悪い自分たち政府の崩壊につながることをよく知っているのだ。

 ダライラマ猊下を含むノーベル平和賞の受賞者14人でつくるノーベル平和賞会議はなんどもスーチーさんの解放をミャンマー政府に訴えてきたが、無視されてきた。

 以下はダライラマ14世が2005年6月8日のスーチーさんの誕生日におくった公開書翰である。

拝啓 アウンサンスーチー様、

私たちのように海外にいる者や、ビルマ国内のあなたの同志たちと、あなたとの連絡はあまりに長いこと途絶えたままになっているように感じられます。あなたの心身の健康と幸せへの懸念は募るばかりです。あなたはまた、ご家族や多くのご友人方からの愛に満ちた言葉や励ましのメッセージも、これもまた長いこと一切受け取っておられないのではないでしょうか。だからこそ私は、あなたの 60 歳の誕生日というこの機会を通じて、お祝いの言葉を述べさせていただくと共に、あなた自身の健康と長寿を願うのです。そしてまた、あなたがビルマの人々に向ける、心からの厚い好意が成就されるように祈りを捧げるのです。

おわかりのこととは思いますが、私はチベット人として、あなたが現在直面しておられる厳しい事態に特別な共感を覚えています。チベットとビルマの人々は、過去一貫して隣人であり続けるだけでなく、安寧と慈悲を説く仏陀の教えに従うものとして、数々の価値と願いを共有してもいます。また皮肉なことに、ここ数十年来、私たち両国の人々は共に、自然に正当な形で自由を求め、その実現の機会を探っていますが、こうした取り組みは力づくで押さえ込まれ続けています。
私が深く尊敬するのは、こうした不当な抑圧に直面しながら、非暴力的な手段に忠実であり、受動的な抵抗を用い、対話と妥協と交渉を通じた解決を求めるようとするあなたの決意です。しかし、私たち2人には痛いほどわかっていることですが、こうした物事への取り組み方が実を結ぶには、争いの当事者が話し合おうと互いに身を乗り出さなければなりません。したがって、 私はこの場を借りて 、ビルマ政府に対して、今すぐあなたの軟禁を解くよう、またビルマのあらゆる人々の最終的な利益のために、ただちにあなたとあなたが属する政党との対話を再開するよう訴えます。

今が多難な時期であることに間違いはありません。しかし決して希望を失っても、諦めてもいけません。私自身の、また多くの人々のあなたへの思いは、つねに、ビルマというひっそりとした大地(訳注:アウンサンスーチー氏の詩 "In the Quiet Land" を踏まえていると思われる)で隔離されているあなたと共にあるのです。私は確信を持って次のように言うことができます。このような心からの支援の気持ちが、たとえ直接あなたのもとに届かないとしても、あなたは、ここにこめられた思いを通じて、力と恵みを受け取られるのですそして最終的には真理と自由、正義が勝利するのです

祈りと厚情を込めて 敬具
(訳、箱田 徹)
(ダライ・ラマ法王の署名)


 わたしは社会主義であろうが、資本主義であろうが、イスラームであろうが、キリスト教であろうが、人々がそれをのぞんでおり、それがそれを信じる人々を本当の意味で幸せにできているのなら、どれが政権とってもかまわないと思う。

 しかし、ミャンマーの僧侶たちが殺される危険を賭しても怒ってたちあがったのだから、この政権、よほど国民にものぞまれていないのだろう。
 
 ミャンマーは仏教国であることもあり、このデモの行く末は他人事とは思えない。今の政権が無血でおれてくれるといいんだけど。

 国際社会のできることは、ジャーナリストを投入して、軍政が僧侶の足の指先でも踏まないように監視することだろう。

 坊さん! がんばれ! 
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DATE: 2007/09/22(土)   CATEGORY: 未分類
『絶望から立ち直る方法を教えてください』
すごいタイトル(笑)。

この本の内容は、去年の2006年広島国際平和会議(市民向け平和サミット)の時に招聘された、ノーベル平和賞受賞者のお三方の言葉をフィーチャリングしたものである(同書にはこの会議の最後に採択された平和宣言も収録されている。)。

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 このブログでもあつかったので覚えていらっしゃる方もいると思う。

  そのお三方とはダライラマ14世猊下(チベット仏教の最高指導者)・ツツ大主教(アパルトヘイトを廃止に追い込んだ聖職者)・ベティウィリアムス(アイルランド和平の功労者)である。

 この本はイメージをちょっと説明すると、たとえば右のページに

なぜ自分ばかり
つらい目に
会うのでしょうか


と三行だけ書いてあると。するとその見開き左のページには

ベティのイラストが描いてあって

「何か問題があれば、まずは鏡の前に行って、その中の自分を見つめてください。問題のほとんどは、じつは自分自身にあるのです」

てなカンジ(笑)。

 ダライラマ14世は中国軍に国を奪われてインドに亡命し、亡命後は世界のセレブを相手に法を説いているお方。

 ツツ大主教は黒人主教としてアパルトヘイト政策に苦しむ黒人を率いて白人政権と戦った過去のある方。

 ベティはイギリス軍とアイルランド共和軍の殺し合いを何とかやめさせようと努力してきた人だ。

 その過酷な体験をへて、彼らが選んだ道は「やられたからやりかえす」という報復の道ではなく、「やりかえさないことによって、相手に自分のやっていることがどんなに恥ずかしいことかを自覚させる」という道。

 これは、相手が恥知らずだとなかなか状況が動かなくてタイヘンだが、自分の側でも人間やめなくていい(キリスト教的にいえば地獄に堕ちなくていい)ので素晴らしい教え。

 過酷な経験をへても底抜けに明るい彼ら三人の姿に、爆弾がふってくるわけでも、飢えているわけでもないのに、不平や不満にあふれてウツになりがちな日本人は、何かを気づかねばいけないと思う。

 ダライラマ猊下は広島でこの平和会議に参加する前、日本三景の一つ安芸の宮島で、法話と灌頂儀礼を行った。この時のダライラマ猊下の記録が、DVDとしてリリース中(このうち2・3・4巻が既刊)。

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Episode 1 変化はあなたの心からはじまる(広島国際平和会議2006)
Episode 2 ふたつの伝統の重み 
Episode 3 仏教とは何か~ダライ・ラマ法王が語る四聖諦の教え
Episode 4 すべては縁起し空である~ジェ・ツォンカパ『道の三要訣』講伝
Episode 5 大悲胎蔵曼荼羅の世界~大日経の灌頂を中心に
Episode 6 金剛界曼荼羅の世界~金剛界の灌頂を中心に

 字幕をつけているのは、早稲田の文学部の東洋哲学学科をでたN村君なので、仏教思想の飜訳も安心です。

 というか、こりまくりすぎて、一時停止をしないと字幕を全部読み切れません(笑)。

 お釈迦様がお生まれになった時、お釈迦様のお父様はインドの仙人なんたらという男を呼んでお釈迦様の将来を占わせた。その時、その仙人ははらはらと落涙したので、
父君「えらいこっちゃあ」と思ったのだが、よく聞いてみると、その仙人

「この子は長じて後、人を救う仏陀となる。私はもう年寄りで、この子が成長をして法を説く時まで生きていられないので、その不幸を嘆くのだ」と行ったというが、

 ダライラマ猊下と同時代に生まれ、その言葉を聞くことができるわれわれは本当に幸せだと思う。

 そして、私事で恐縮ですが、十月から東急カルチャーでダライラマの仏教思想の新講座やります。扱うのはダライラマの属する宗派の聖典、『ラムリム』(修道カリキュラム)です。この『ラムリム』の教えは、チベットでは学校教育にもとりこまれている、普遍性のある思想です。

 この『ラムリム』の文章のハイライトを摘出して読んでいこうと思っています。

 ベティの言葉ではないが、

仏教の教えとは「あなたのその苦しみの原因は自分自身のうちに原因がある」「他者を思うことこそが幸福の始まり」と説く、まあ実に、心和む世界です。

 興味のある方どうぞ。十月からです(→詳しくはここクリック)。
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DATE: 2007/09/18(火)   CATEGORY: 未分類
ソウルチベット事情 in 2007
 2007年、『チベットを知るための50章』のハングル版が出版された。それを記念してソウルにわたった(ウソ。本当の渡航理由は前の記事参照)。

 ソウルでもっとも大きな本屋さんにつれていってもらうと、あった。

 一冊だけだけど(笑)。
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 韓国人の友人の話によると、新聞広告もでていたという。

 しかし、オノレが編集した本とはいえ、オールハングルでは、むわったく読めないので内容が正しく飜訳されているか否かはわからない。翻訳者の腕を信じるしかない。

 ハングル版では、なぜか題名は『チベット ダライラマの国』とかに勝手に変えられているようである。

 次に、宗教書のコーナーにいくと、『チベット死者の書』『菩提道次第広論』『ミラレパ伝』などのチベットの定番モノの飜訳はあるようである。

 しかし、日本の書店ではかなりな書架面積を占める、ダライラマ14世の講演録がこちらではあまり目につかない〔ジルバン・グラスドルフ著の『ダライラマ伝』はあったけど〕。

 中国に対する遠慮からか、それとも単純に韓国人は日本人ほどダライラマ好きではないからか。

 そして、韓国で、チベットといえばはずせないのがハジョン美術館(HWAJEONG MUSEUM)。

 この美術館の主な所蔵品は『チベット仏教絵画集成』(臨川書店)という名で五巻にわたって出版されていることから、日本でもご存じの方は多いと思う。 (『チベット仏教絵画集成』の紹介ページhttp://www.rinsen.com/linkbooks/ISBN4-653-03639-X.htm)

 この五巻本を見ていただければわかるように、ハジョン美術館のコレクションは優品揃いである。

 それもそのはず、この美術館のコレクションは、製薬業で身を立てた、韓光鎬氏がその潤沢な資金で、東大名誉教授でオリエント博物館の館長だった故江上波夫氏のアドヴァイスをうけつつ買い集めたものなのである(図録の解説はご存じ田中公明先生)。

 現在美術館が入っている建物もその製薬会社の所有する建物を使い回したものだ。
 
 というような設立事情からハジョン美術館は、観光スポットからはやや離れた、ソウルの北部の会社や豪邸のならぶ地域にある。

 渋谷の住宅街にある松濤美術館に外人がいきつくのが大変なように、このハジョン美術館も日本人が自力で到達するのはまずムリ。

 渡航前、ソウルのどこにこの美術館にあるのか、ネットで調べようとしたが、うまくいかなかった。

TIBET MUSEUMで検索すると、景福宮の東にある「チベット美術館」のページがひっかかる。この建物は『地球の歩き方』の地図にものっているので勘違いする人も多いが、ハジョン美術館とはベツモノで、チベット雑貨のギャラリー。

 この美術館の学芸員の方によると、この美術館ごく最近(1999年)できて、その時Tibetan Museumで登録しようとした時には、すでに件のギャラリーが登録していて、仕方ないので、財団の名前を冠した館名にしたのだという。

 この名前で損してるよ。

 ハジョン美術館を訪れると学芸員の方が現在行われている展示を案内してくださる。

 人がいねえ。

 で、そのうえ説明、ハングルでよめねえ(でも内容解る。オタクだから。 笑)。

私「あのー、パネルなんですがね。日本語とはいいませんが、せめて英語はつけた方がいいんじゃないですかね。あと、ツーリストセンターとかにせめてパンフレット置くとかすると、欧米の観光客が喜んで来ますよ」

 私は今とても重要なことを言っているだが、いまいち学芸員の方に通じていないよう。

 どうもチベット美術が欧米でものすごく受けていることをこの人たち知らないよう。

 この前、JALの機内誌でニューヨークで最近一番おされな美術館ルービン美術館(Rubin Museum)が紹介されていた。

 ルービン美術館もここと同じチベットの美術館で、ここの美術館の顧問をやってる某先生にうかがったところ、この美術館と同じブローカーから美術品を購入しているとのこと。

 立派なコレクションなんだから、もっとアピールすりゃいいのに。
pic_exhibition8_1.gif

 「宝の持ち腐れ」「猫に小判」という日本のことわざが頭の中をリフレインするも、ニッカン友好のため沈黙する。
 

 というわけで、チベット好きなみなさん、ソウルにいったら是非ハジョン美術館へ。
 
 住所と公式ページをつないでおきますので、タクシーの運ちゃんに渡せばなんとかつくと思います。

 ソウルいったら是非チェック!
 でないと、つぶれるよ、マジで・・・・。

HWAJEONG MUSEUM

住所 大韓民国 ソウル特別市(Seoul) 鐘路区(Chong-nu-gu) 平倉洞(Pyong-Chang-dong)273-1

公式ホムペ http://www.hjmuseum.org/eng_museum/main.asp
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DATE: 2007/09/14(金)   CATEGORY: 未分類
福田亭の親子ドン
 このぶろぐでコメントしたでいくつか動きがあったので報告。

トトロの森(淵の森)はおかげさまで開発業者が手を引いて、保全が決まったそうです。↓

「トトロの森」の風景残せた!…業者が開発断念(9月14日12時37分配信 読売新聞)

 東京都と埼玉県にまたがり、宮崎駿監督がアニメ映画「となりのトトロ」の構想を練った場所とされる「淵の森緑地」近くの雑木林で、開発計画を進めていた業者側が、東京・東村山市と市民団体に対し、開発断念の意向を伝えていたことが14日、わかった。
 市は雑木林を地権者から買収し、公有地化を目指す方針だ。
 開発が計画されていたのは、淵の森緑地に隣接する約1500平方メートル。宮崎監督が会長を務める市民団体「淵の森保全連絡協議会」によると13日、地権者と開発業者を仲介している不動産業者から、「開発を断念する。緑が残ります」と伝えられ、市にも同様の意向が示されたという。宮崎監督は「本当にたくさんの方の助けがあった。あの風景を残すことができてうれしい」と話している。

これは推測ですが、この前のニュースが流れたあと、開発業者のもとに非難が殺到したんでしょうね。また、寄附もね。

 宮崎駿とマスコミの力は偉大だった。

 日本の有名人はあまり社会的な発言をしないけど(それでイイ場合もあるが)、環境問題くらいは過激にならない程度にもっと発言してもいいと思う。
 
 焼け石に水だろうけど、ちょっとほっとした。


 次。わたくしが心配していたアベ首相の体とココロはついに壊れ、サイアクのタイミングで総理をやめてしまった。

 日本は世界有数の自殺大国で、おまけにアジアのハゲ大国で鬱病気質は定評があるが、総理までウツで職を投げ出すとは驚いた。もう少し体裁とりつくろうかと思ったよ。

 そして、アベ首相の自爆テロにより、次期総理の呼び声の高かった麻生氏は、一夜にして凋落。今日はもう福田氏が次期首相という扱いになっている。

 難局にあたると、普段は喧嘩してても、小異を捨てて大同につく自民党のお家芸が復活。すごいな、自民党。

 いろんなコメントが各所でなされているけど、あれって意味ないなーと思う。

 現在や過去は解説の対象にできるけど、未来だけは予測不能だから。

 世の中には政治とか軍事とか経済とかについて、山のような評論家や研究者がいるけど、彼らの未来予測ってほとんどあたってない。

 たとえば、ソ連の崩壊をその内容とともにあらかじめ予測できた人が評論家や研究家の中でどれだけいたのだろうか。

 北朝鮮なんてCIAの予測では十何年か前に消滅しているはずだったのに、まだあるし。

 そう、未来なんてしょせんわからないのである。

 そこで凡人にも想像がつく範囲内で、福田首相にどのような関連商品が作られるのかを占ってみたい。

 阿倍首相は「しんちゃん饅頭」で麻生氏は「麻生太郎カステラ」であった。

 福田氏は地味なキャラなので、「やすおくんせんべい」とか あるいは親子で総理をやることになるので絶対「親子ドン」とかウリにする店がでてくると思う。

 え? そんなのでてこないって?
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DATE: 2007/09/10(月)   CATEGORY: 未分類
チュンチョンの嘆きの壁
 逃避でソウルにきた。
 
 なんぼ、逃避でも、腐っても歴史家。免税店でショッピングとかはしない。

 ここ数年、日本人の韓国像に劇的な変化をもたらし、空前絶後の日本人観光客を集めたあのテレビドラマのロケ地を巡り、あらためて日韓関係を考えるのである。

 えらそーにいっても、ようは今さら冬ソナ観光であることには変わりない。

 しかし、ブームの過ぎ去った今だから見えてくる、面白いこともあり、ここに記録しておく。

 まず、ソウルで、ユジンとチュンサンの通った高校をみにいく。

 驚いたことに、タクシーをおりるや、日本語で「いらっしゃいませ」。

 そのうえ、住宅街のなかにある学校なのに、校門の前にふたつ韓国スターのグッズを売る店が鎮座している。

 ブームの頂点、日本人観光客のむれの間をぬってここの学生は登校していたのか。
 
 聞けば、前に学校の休みの土日は観光客は校庭に入ることができたそうだが、このみやげものや二軒が客を取り合って構内でなにかやらかしたため、出入り禁止になってしまったのだそうな。

 なんとも、コメントしようがない。

 高校を入り口からとり、ユジンの家をまわり、周辺を歩く。このあたりは王朝時代の貴族の家があった場所でものすごくいい雰囲気。最近、政府は風致地区にして再開発を禁止したそうだが、いいことだと思う。

 そして、今日、清涼里から郊外にいく電車にのり、一時間半かけてナミソムにいく。ここはユジンとチュンサンが初デートした地。

 島はナゼか個人の所有で入島料をとられる。

 ものすごく大きな駐車所場にはあきがめだつ。九月から入島料が5000ウォンから8000ウォンに値上げしたばかりというので、経営も苦しいのだろう。

 島の宣伝ポスターはあの有名な並木道であるが、その真ん中にはユジンとチュンサンではなく、なぜか、ダチョウがいる。

 冬ソナ観光客がへった今、何か目先を変えねば、とこの社長、島にダチョウを放し飼いにしているのだ。

 すばらしい商才に落涙する

 島にわたると、やはり自然は文句なく美しい。今にも向こうからユジンとチュンサンが自転車にのってやってきそうだ。

 実際にやってきたのは、セグウェイ(なぜ)にのった韓国人観光客だったが。

 ナミソムの社長にはこれからも迷走してもらうとして、またまた電車にのって今度はチュンチョンにむう。

 ここはユジンとチュンサンがはじめてベタベタな出会いをし、たった一ヶ月で悲しい別れをした地である。

 ところが、複線化工事のためチュンチョンまでは電車がつうじていず、一つ手前のナムチュンチョンでおりさせられる。

 しかし、チュンチョン駅も有名なロケ地なので是非行きたい。そこで、無理矢理、休止中の駅にのりつけると、駅舎まったくなし。

 しかし、よくみると駅の向かいの塀が、ロケにつかわれた塀であることに気づき、気を取り直す。

 エルサレムでユダヤ人たちは、ユダヤ王国の最盛期の象徴であるソロモン王の神殿の残り壁をなでまわして、自分たちの過去の栄光と現在の流浪の運命をおもい、嘆くが、日韓友好史跡をめぐる旅人はチュンチョン駅前のただの壁をなで回して、ブームを懐かしむのである。

 それから、かろうじてタクシーをつかまえ、チュンチョンのミョンドンにいく。
真夏なのに通りの真ん中にクリスマスツリーがならび、冬ソナのフラッグがひるがえる。おまけに、ペヨンジュンとチェジゥの手形まである。

 しかし、タクシーの運ちゃんの談によると、去年は、一昨年は日本人の観光客、昨年は台湾からの観光客がきたが、今年はがくっと人がへったというので、この永遠の冬もそろそろ終わるころだ。

 それからものすごくええ運転手さんにめぐりあい、メーターでセットで他のロケ地をまわってくれるという。

 まず、ユジンとチュンサンが二人してのりこえた学校の塀を見にいく。学校本体のロケはソウルでしているので、ここは塀だけの撮影である。
 
 最初は「塀だけ見て何の意味があるんだ」とか思っていたが、実際に現物をみると結構感動する。
 
 そして、二人が寝過ごしておりたナゾのバス停、ユジンの家、チュンサンの家とまわる。

 最盛期には待ち時間一時間のチュンサンの家も訪れるのはいまや私たちしかいない。一時期はチュンチョン市がかいあげて保存するという話もあったそうだが、観光客かへった今、その話も立ち消えになつたという。

 ブームは終わり、バブルははじけ、チュンチョンはもとの静かな町に戻りつつある。何年かたてば、フラッグもカンバンもみなひっこめられて、チュンチョン駅同様、その姿を消すものもでてくるだろう。
 
 形あるものは常に変化するものだ。

 しかし、一つ印象に残ったことがある。今回ガイドをしてくれた韓国人の友達がこういったのだ。

 「八年くらい前に、韓国の繁華街で日本人の友達と日本語で話をしていたら、年配の男の人とかににらまれたりしたんですけど、今回そういうことはありませんでした。

 それに、タクシーの運転手さんも日本人連れだとわかると、必ず後ろをみて顔をまじまじみるようなところがあったけど、それも今回なかったです。やっぱり変わりましたね」
 
 日本では韓流ブームを、電通のしかけだの、誰かの陰謀だの、売国だの、なんだのいう人がいた。韓国側もおしよせてくる日本人観光客が過去の歴史をまったく知らないのにあきれはてて、いろいろ言う人もいた。

 そう、せせらわらったり、批判したり、違いをあげつらったりするのは簡単なのだ。
 理解しあい、愛しあい、認め合うのは難しいけどね。

 でもわたしはこう思う。何であれ、日本人とたのしく日本語でしゃべる韓国人が、繁華街でにらまれなくなっただけでも、日本人がハングル勉強しようとか、韓国を知ろうとか思うようになっただけでも大きな歴史的意味があったのだと。
 
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DATE: 2007/09/06(木)   CATEGORY: 未分類
キグチコヘイな日々
 ここ二週間ほど『ツォンカパ伝』(14世紀のチベットの大学僧)の伝記翻訳のつめをやっている。

 やることは山ほどある。
 訳語の統一、分からなくて訳し残していた部分のツメ、注記・・・。それをするために、何度も辞書を引き、同時代文献の全文検索をやり、大蔵経のデータベースを使い、でも、やってもやっても細かな作業が終わらない。

 そもそも、古典を現代語に訳すのはとにかく大変。源氏物語などの日本の中古の文章を、現代語にはじめておきかえた人の苦労などを考えてみるとわかりやすいかも。

 日本の古語と同じく、チベットの伝記文献の文章は、悪夢のように長く、どこまでいっても切れず、主語は明示されておらず、なのに主語はころころかわり、集中しなければ何いってんかわかんないのである。
 
 でも、実は出版のための助成金がでることが決定したので(それはありがたいことであり、感謝している)、期限内に仕事を終わらせなければならない。他の全ての仕事を放擲してこれにかかっているのに、朝から晩までやっているのに、めだって減る気配のない残存作業量。

 昨日の晩、明け方ふと目が覚めたら、スタンドがついたままだった。消してしばらくして、手になにか握っているのにきがついて、よくみたらシャープペンをぎっちり握ったまま寝ていた。

 就寝直前に、原典にチェックをいれていて、そのまま寝てしまったのだ。

 わたしゃ、木口小平か

「キグチコヘイハ シンデモ ラッパヲクチカラ ハナシマセンデシタ」

 知らない人のためにええ加減に解説すると、こんなとこ。日清戦争の折、ラッパ手であった木口小平は進軍ラッパを吹いている最中に敵弾を受け、死すともラッパを口から放さなかったのである。

 死の間際まで職務に忠実であったことから、戦前の修身の教科書で顕彰されていた。
 
 こういう人は清朝にもいる。

 19世紀に清朝からチベットに赴任したオタイという官僚の日記をみると、ラサにはワハ(瓦哈)将軍という軍神が祀られていた。

 同じくその日記によると、このワハ将軍は実在の、それもかなり最近の人である。17世紀後半の康煕帝の時代、チベットで動乱がおきた時、清朝はチベットへ援軍を送った。

 その時、四川省からチベットに向かう旅団のうち何個師団かが、吹雪にまきこまれて全滅した。後に通りかかったものが、雪を掘りおこしてみると、馬にのった姿勢のまま凍り付いていた武将が発見された。

 こうして、この男は紙もとい、神になったのである。ワハ将軍の誕生である。

 なので、その後も清朝からチベットに向かう官僚はみなこのワハ将軍の祠にお参りして旅の加護を願ったのである。

 死の直前まで職務を遂行。

 所詮死ななきゃいけないような状況に直面した時には、パニックおこしたり、職場放棄したりするよりゃ、たんたんといつものことやっている方がたしかに「カッコいい」。

 こういう人が好きな人は、中国の歴史教科書を見るといい。日本軍とたたかって、被弾しつつも最後の息がなくるまで鬼神のようにたたかった人民英雄の事績が一杯のっている。

 
 そう、このテの話は死んだ本人はカッコいいが、その死を利用して、人にそうさせようとする人間はカッコ悪いもんなのだ。

 それより、キグチコヘイな日々を早く終わらせたい・・・。
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DATE: 2007/09/03(月)   CATEGORY: 未分類
地上の楽園ニッポン
 子機が壊れていた上に、ファックスまで壊れたので(笑)、仕方なく電話を買い換えることとした。

 しかし、電話機の交換にはびみょーな問題がつきまとう。
 それは、愛鳥ごろうちゃん(オカメインコ)の反応である。

 電話の呼び出し音は小鳥にとっても萌えポイントらしく、ごろうちゃんがお子様だった時に家にあった電話の呼び出し音は、ごろうちゃんによって完ぺきにコピーされた。
 
 その〔ごろうちゃんにとっての〕初号機が壊れたあと、今壊れた二号機がうちに輿入れした。初号機ほどはすかれなかったが、電話がかかってくるとんでいくなど、ごろうちゃんの電話好きはかわらない。

 そして、昨日。ヤマダデンキから三号機「おたっくす」が輿入れしてきた。

 さっそく、内蔵されている呼び出し音を次々に呼び出してごろう様にきかせてみるが、すべて引かれる。

 それもそのはず、着メロばかりで、呼び出し音があってもピロリロトロリロ、みたいなくぐもった電子音で、とてもごろう様のお気に召すような甲高い音ではない。

 唯一、子機からの内線電話の呼び出しのみに「ぴー(よろしい)」とオーケーが入った・・・。

 わたしもこんな着信音の電話ヤダ。黒電話のケタタマシイ呼び出し音が懐かしい・・。

 とはいえ、九月に入り涼しくなったため、ごろうちゃんはいつもにもまして元気に遊んでいる。

 わが家は子どもがいないので、ごろうちゃんのステイタスは子どもと同等か、さらに高い地位にいる。

 犬くらいの大きさになると躾をしないで甘やかすと、飼い主や通りすがりの子どもをおそったりして実害がでるが、オカメインコがいくらワンマンにふるまっても、何の実害もないので、好き放題させておいたら、いまやわが家の王様状態。

 可愛いのでゼンゼン問題ないですけどね。

 最近、ニューヨークの不動産王の女性がなくなって、愛犬(マルチーズ)に40億円の遺産を残し、残りは慈善団体に寄付したことで評判になったが、この女性の気持ちはよくわかる。

 自分が死んだ後で、愛犬が不自由な思いをしないように、信託財産を残したのだろう(にしても高額だが。世話人は意地でも長生きさせるだろう)。

 人に大切にされている生き物は、もはやペットと軽んじることはできない地位にきている(少なくともわが家では)。

 昔とちがって現在は動物医学も進歩し、ペットフードも栄養バランスがよくなっていて、ペットの寿命は延び続けている。

 飼い主も「番犬」とか「癒し」とかの効用ではなく、とにかく家族の一員として世話するので、その気の使い方はハンパではない。

 ペット(愛玩動物)という言葉も動物対して失礼だというので、コンパニオンアニマル(伴侶の動物)という名称すら生まれてきている。

 だから、動物病院も大変だ。

 愛するお鳥様、お犬様、おネコ様を医療ミスでなんとかしようものなら、飼い主怒り狂ってえらいことになる。

 思えば、今はここで、楽しく遊んでいるわがごろう様も三年前には大病をした。

 ゼイゼイと肩で息するごろう様をかかりつけの動物病院につれていくと、院長の奥さん先生その姿を一目みるなり、

「この状態では何がおきるかわからないので、治療はできません」

 その時は激高したが、
 彼らが、「治療をビビる気持ち」=「責任とりたくない気持ち」は、私がごろう様に対する執着の度合いに比例しているので、わたくしにも責任の一部はある。

 お鳥様の地位があがった結果、かえって治療を拒否されるという矛盾がここにはあるのである。

 これは、カンケーないようでも、現代社会の問題にも通じる

 最近、産婦人科医が激減して、少子化に拍車をかけるとか、妊婦の命がまもれない、とかで社会問題となっているが、産科医がへる理由の一つは、訴訟ざたが多いことがあげられるという。

 一人の女性が一生のうちにうむ子どもの数がすくなくなったため、一つ一つのお産に気合いが入る。当然、お産の際のトラブルで赤ちゃんに何かあると、訴えられることもある。その度合いが他の医者より高いため、はなから産科医を選択する人がすくないのだそうな。
 
 赤ちゃんの人権が高くなりすぎて、かえって赤ちゃんと母体が危険にさらされるという矛盾が生じてしまったのである。


 この前奈良だか大阪だかの女性が流産の危機で救急車よんだら、二時間近くも受け入れ先病院がみつからず、結局死産をしたという事件があった。これだけだと医療体制批判になるが、話はことそう単純ではない。

 この女性は妊娠七ヶ月なのに「かかりつけの医者」がいなかったというのである。

 推測だがこの女性、子どもを育てるために調った環境にいなかったため、お腹の中に子どもがいることを直視できずに、それまで病院にいかなかったのではないか。

 最近、こういうかけこみ出産が増えていて、そのような女性の何人かは費用も払わず、サイテーの場合は赤ちゃん置き去りにしてトンズラしてしまうそうである。

 赤ちゃんポストに子どもをおいていく親もそうだけど、お腹に子どもが宿ってから、生まれて、成人するまでの間、社会が理想と思うレベルで、子ども様に手厚い愛情や手間をかけ続ける経済的・精神的余裕が、ない人がいるんだろうなあ。

 常々思うんだけど、日本人の人権ってたぶん世界サイコー。上から下まで本当によく均一化されている。なんだかんだいって、餓死なんてまだ一部だし、ひきこもりやニートが生きていけてる国なんだから。
 
 人権大国のアメリカは? と思う人がいるかもしれないけど、アメリカは戦後、世界各国の〔アメリカがはじめた戦争〕の戦場で、主に貧困層の子どもが死んでいる。すべての階層が均一に幸せであるとはとてもいえない。

 日本では生活保護の人は医療費がタダになるので、生活保護の人はじつはお金を気にせず最高の医療を受けることができるが、アメリカは保健にはいってないと、医者にもかかれないで死ぬ。
 
 ま、そういうわけで、日本は、客観的に云えば世界でもっとも成功した社会主義国であり、かつ、人権大国なのかもしれない。

 したがって、これからもどんどん医者や教師や介護士、そして親が減り続けることは確実なのである。
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