チュンチョンの嘆きの壁
逃避でソウルにきた。
なんぼ、逃避でも、腐っても歴史家。免税店でショッピングとかはしない。
ここ数年、日本人の韓国像に劇的な変化をもたらし、空前絶後の日本人観光客を集めたあのテレビドラマのロケ地を巡り、あらためて日韓関係を考えるのである。
えらそーにいっても、ようは今さら冬ソナ観光であることには変わりない。
しかし、ブームの過ぎ去った今だから見えてくる、面白いこともあり、ここに記録しておく。
まず、ソウルで、ユジンとチュンサンの通った高校をみにいく。
驚いたことに、タクシーをおりるや、日本語で「いらっしゃいませ」。
そのうえ、住宅街のなかにある学校なのに、校門の前にふたつ韓国スターのグッズを売る店が鎮座している。
ブームの頂点、日本人観光客のむれの間をぬってここの学生は登校していたのか。
聞けば、前に学校の休みの土日は観光客は校庭に入ることができたそうだが、このみやげものや二軒が客を取り合って構内でなにかやらかしたため、出入り禁止になってしまったのだそうな。
なんとも、コメントしようがない。
高校を入り口からとり、ユジンの家をまわり、周辺を歩く。このあたりは王朝時代の貴族の家があった場所でものすごくいい雰囲気。最近、政府は風致地区にして再開発を禁止したそうだが、いいことだと思う。
そして、今日、清涼里から郊外にいく電車にのり、一時間半かけてナミソムにいく。ここはユジンとチュンサンが初デートした地。
島はナゼか個人の所有で入島料をとられる。
ものすごく大きな駐車所場にはあきがめだつ。九月から入島料が5000ウォンから8000ウォンに値上げしたばかりというので、経営も苦しいのだろう。
島の宣伝ポスターはあの有名な並木道であるが、その真ん中にはユジンとチュンサンではなく、なぜか、ダチョウがいる。
冬ソナ観光客がへった今、何か目先を変えねば、とこの社長、島にダチョウを放し飼いにしているのだ。
すばらしい商才に落涙する。
島にわたると、やはり自然は文句なく美しい。今にも向こうからユジンとチュンサンが自転車にのってやってきそうだ。
実際にやってきたのは、セグウェイ(なぜ)にのった韓国人観光客だったが。
ナミソムの社長にはこれからも迷走してもらうとして、またまた電車にのって今度はチュンチョンにむう。
ここはユジンとチュンサンがはじめてベタベタな出会いをし、たった一ヶ月で悲しい別れをした地である。
ところが、複線化工事のためチュンチョンまでは電車がつうじていず、一つ手前のナムチュンチョンでおりさせられる。
しかし、チュンチョン駅も有名なロケ地なので是非行きたい。そこで、無理矢理、休止中の駅にのりつけると、駅舎まったくなし。
しかし、よくみると駅の向かいの塀が、ロケにつかわれた塀であることに気づき、気を取り直す。
エルサレムでユダヤ人たちは、ユダヤ王国の最盛期の象徴であるソロモン王の神殿の残り壁をなでまわして、自分たちの過去の栄光と現在の流浪の運命をおもい、嘆くが、日韓友好史跡をめぐる旅人はチュンチョン駅前のただの壁をなで回して、ブームを懐かしむのである。
それから、かろうじてタクシーをつかまえ、チュンチョンのミョンドンにいく。
真夏なのに通りの真ん中にクリスマスツリーがならび、冬ソナのフラッグがひるがえる。おまけに、ペヨンジュンとチェジゥの手形まである。
しかし、タクシーの運ちゃんの談によると、去年は、一昨年は日本人の観光客、昨年は台湾からの観光客がきたが、今年はがくっと人がへったというので、この永遠の冬もそろそろ終わるころだ。
それからものすごくええ運転手さんにめぐりあい、メーターでセットで他のロケ地をまわってくれるという。
まず、ユジンとチュンサンが二人してのりこえた学校の塀を見にいく。学校本体のロケはソウルでしているので、ここは塀だけの撮影である。
最初は「塀だけ見て何の意味があるんだ」とか思っていたが、実際に現物をみると結構感動する。
そして、二人が寝過ごしておりたナゾのバス停、ユジンの家、チュンサンの家とまわる。
最盛期には待ち時間一時間のチュンサンの家も訪れるのはいまや私たちしかいない。一時期はチュンチョン市がかいあげて保存するという話もあったそうだが、観光客かへった今、その話も立ち消えになつたという。
ブームは終わり、バブルははじけ、チュンチョンはもとの静かな町に戻りつつある。何年かたてば、フラッグもカンバンもみなひっこめられて、チュンチョン駅同様、その姿を消すものもでてくるだろう。
形あるものは常に変化するものだ。
しかし、一つ印象に残ったことがある。今回ガイドをしてくれた韓国人の友達がこういったのだ。
「八年くらい前に、韓国の繁華街で日本人の友達と日本語で話をしていたら、年配の男の人とかににらまれたりしたんですけど、今回そういうことはありませんでした。
それに、タクシーの運転手さんも日本人連れだとわかると、必ず後ろをみて顔をまじまじみるようなところがあったけど、それも今回なかったです。やっぱり変わりましたね」
日本では韓流ブームを、電通のしかけだの、誰かの陰謀だの、売国だの、なんだのいう人がいた。韓国側もおしよせてくる日本人観光客が過去の歴史をまったく知らないのにあきれはてて、いろいろ言う人もいた。
そう、せせらわらったり、批判したり、違いをあげつらったりするのは簡単なのだ。
理解しあい、愛しあい、認め合うのは難しいけどね。
でもわたしはこう思う。何であれ、日本人とたのしく日本語でしゃべる韓国人が、繁華街でにらまれなくなっただけでも、日本人がハングル勉強しようとか、韓国を知ろうとか思うようになっただけでも大きな歴史的意味があったのだと。
なんぼ、逃避でも、腐っても歴史家。免税店でショッピングとかはしない。
ここ数年、日本人の韓国像に劇的な変化をもたらし、空前絶後の日本人観光客を集めたあのテレビドラマのロケ地を巡り、あらためて日韓関係を考えるのである。
えらそーにいっても、ようは今さら冬ソナ観光であることには変わりない。
しかし、ブームの過ぎ去った今だから見えてくる、面白いこともあり、ここに記録しておく。
まず、ソウルで、ユジンとチュンサンの通った高校をみにいく。
驚いたことに、タクシーをおりるや、日本語で「いらっしゃいませ」。
そのうえ、住宅街のなかにある学校なのに、校門の前にふたつ韓国スターのグッズを売る店が鎮座している。
ブームの頂点、日本人観光客のむれの間をぬってここの学生は登校していたのか。
聞けば、前に学校の休みの土日は観光客は校庭に入ることができたそうだが、このみやげものや二軒が客を取り合って構内でなにかやらかしたため、出入り禁止になってしまったのだそうな。
なんとも、コメントしようがない。
高校を入り口からとり、ユジンの家をまわり、周辺を歩く。このあたりは王朝時代の貴族の家があった場所でものすごくいい雰囲気。最近、政府は風致地区にして再開発を禁止したそうだが、いいことだと思う。
そして、今日、清涼里から郊外にいく電車にのり、一時間半かけてナミソムにいく。ここはユジンとチュンサンが初デートした地。
島はナゼか個人の所有で入島料をとられる。
ものすごく大きな駐車所場にはあきがめだつ。九月から入島料が5000ウォンから8000ウォンに値上げしたばかりというので、経営も苦しいのだろう。
島の宣伝ポスターはあの有名な並木道であるが、その真ん中にはユジンとチュンサンではなく、なぜか、ダチョウがいる。
冬ソナ観光客がへった今、何か目先を変えねば、とこの社長、島にダチョウを放し飼いにしているのだ。
すばらしい商才に落涙する。
島にわたると、やはり自然は文句なく美しい。今にも向こうからユジンとチュンサンが自転車にのってやってきそうだ。
実際にやってきたのは、セグウェイ(なぜ)にのった韓国人観光客だったが。
ナミソムの社長にはこれからも迷走してもらうとして、またまた電車にのって今度はチュンチョンにむう。
ここはユジンとチュンサンがはじめてベタベタな出会いをし、たった一ヶ月で悲しい別れをした地である。
ところが、複線化工事のためチュンチョンまでは電車がつうじていず、一つ手前のナムチュンチョンでおりさせられる。
しかし、チュンチョン駅も有名なロケ地なので是非行きたい。そこで、無理矢理、休止中の駅にのりつけると、駅舎まったくなし。
しかし、よくみると駅の向かいの塀が、ロケにつかわれた塀であることに気づき、気を取り直す。
エルサレムでユダヤ人たちは、ユダヤ王国の最盛期の象徴であるソロモン王の神殿の残り壁をなでまわして、自分たちの過去の栄光と現在の流浪の運命をおもい、嘆くが、日韓友好史跡をめぐる旅人はチュンチョン駅前のただの壁をなで回して、ブームを懐かしむのである。
それから、かろうじてタクシーをつかまえ、チュンチョンのミョンドンにいく。
真夏なのに通りの真ん中にクリスマスツリーがならび、冬ソナのフラッグがひるがえる。おまけに、ペヨンジュンとチェジゥの手形まである。
しかし、タクシーの運ちゃんの談によると、去年は、一昨年は日本人の観光客、昨年は台湾からの観光客がきたが、今年はがくっと人がへったというので、この永遠の冬もそろそろ終わるころだ。
それからものすごくええ運転手さんにめぐりあい、メーターでセットで他のロケ地をまわってくれるという。
まず、ユジンとチュンサンが二人してのりこえた学校の塀を見にいく。学校本体のロケはソウルでしているので、ここは塀だけの撮影である。
最初は「塀だけ見て何の意味があるんだ」とか思っていたが、実際に現物をみると結構感動する。
そして、二人が寝過ごしておりたナゾのバス停、ユジンの家、チュンサンの家とまわる。
最盛期には待ち時間一時間のチュンサンの家も訪れるのはいまや私たちしかいない。一時期はチュンチョン市がかいあげて保存するという話もあったそうだが、観光客かへった今、その話も立ち消えになつたという。
ブームは終わり、バブルははじけ、チュンチョンはもとの静かな町に戻りつつある。何年かたてば、フラッグもカンバンもみなひっこめられて、チュンチョン駅同様、その姿を消すものもでてくるだろう。
形あるものは常に変化するものだ。
しかし、一つ印象に残ったことがある。今回ガイドをしてくれた韓国人の友達がこういったのだ。
「八年くらい前に、韓国の繁華街で日本人の友達と日本語で話をしていたら、年配の男の人とかににらまれたりしたんですけど、今回そういうことはありませんでした。
それに、タクシーの運転手さんも日本人連れだとわかると、必ず後ろをみて顔をまじまじみるようなところがあったけど、それも今回なかったです。やっぱり変わりましたね」
日本では韓流ブームを、電通のしかけだの、誰かの陰謀だの、売国だの、なんだのいう人がいた。韓国側もおしよせてくる日本人観光客が過去の歴史をまったく知らないのにあきれはてて、いろいろ言う人もいた。
そう、せせらわらったり、批判したり、違いをあげつらったりするのは簡単なのだ。
理解しあい、愛しあい、認め合うのは難しいけどね。
でもわたしはこう思う。何であれ、日本人とたのしく日本語でしゃべる韓国人が、繁華街でにらまれなくなっただけでも、日本人がハングル勉強しようとか、韓国を知ろうとか思うようになっただけでも大きな歴史的意味があったのだと。
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