白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/10/28(日)   CATEGORY: 未分類
濃い街、濃いゼミ
「ミャンマー大使館に女性の下着を」朝日10月28日朝刊より

 【バンコク=山本大輔】ミャンマー(ビルマ)の民主化を願って女性の下着を世界各国のミャンマー大使館に送り、軍政の力を弱体化させようというユニークな運動が広がっている。「女性の下着を触ると男性の力がそがれる」という迷信に基づいたもので、タイ北部チェンマイに本部を置く民主化運動団体「ランナ・アクション・フォー・ビルマ」が考えた。
 「パンティーの力」と名付けられた運動は10月中旬から始まり、タイや豪州、米国などで下着の郵送が始まっているという。この迷信はタイやミャンマーなどで強く信じられているといい、主催者は「ビルマの悪政者は男ばかりだから効果があるはず。対話も制裁もダメなら迷信の力で民主化を呼び起こす」。 


どはははははは(笑)。

ゆきづまったミャンマー情勢に風穴をあけようというのだろうけど、すごいなこの作戦。
 変質者なら喜ぶとこだろうが、軍事政権は怒り心頭だろうな。

 ミャンマーといえば、木曜日はゼミで早稲田通り沿いのミャンマー料理を食べに行く。

 ここ数年ゼミには旅行好きな子が集まってくるので、こういうエスニック料理屋にいく方が、ただの居酒屋よりもそこはかとなくもりあがる。高田馬場はじつはミャンマー料理屋がおおく、在日ミャンマー人密度も高い地域だ。ついでにいえば、新大久保もちかいので、韓国料理屋もおおい。さらに、早稲田通りは名のあるラーメン屋がのきをつらねるラーメンストリートだし、その間に「たま出版」もあるわ、「アムネスティ」もあるわで

 学生街というにはあまりにも濃い街、高田馬場。

 Y子ちゃんはこの夏インドをふらふらしたそうで、Eジくんはモンゴルとチベット、Mっちゃんはバングラと言う具合に、みなグローバルである。

 旅を愛する人は、危険を察知する能力がたかく、人に好かれる魅力的な子がおおい。誰とでも仲良くなれて、どこででも寝られて、何でも食べられたら、だまされたり、アブナイ目にあう確率は確実に低くなるからね。それどころかいろいろな便宜を図ってもらえ、団体旅行では味わえないコアな体験もできる。

 夏休みが終わった後に大教室で、「この夏どっか海外旅行行った人」と聞くと、かつては半分くらいの学生が手をあげて、中国にいったとか、韓国にいったとか、ヨーロッパにいったとかいったものだが、最近は経済がよくないせいか、あるいは、911以後、国際情勢が悪化しているせいか、本当にわずかな人しか手を挙げない。しかし、その僅かな人のほとんどうちのゼミにきているのだから、

 いろんな意味でこのゼミ濃い。
 
 こないだイランで横浜国大生が拉致された時、ものすごくあせった。

 第一報が大学生(23)だけで名前がわからなかったので、大学を休学して世界旅行中で、ちょうどイランからトルコ周辺にいたのWくん(23)が、被害にあったのではないかと思ったからだ。

 ゼミで集まった時、「オレあのニュース聞いて絶対Wだと思いましたよ」とみなが口々にいう。しかし、「でもよく考えてみたら、あいつ、日本人にはみえないよな。だから拉致もされないって」と衆議一決。

 たしかに、Wくんはどこにいくのも、くわえタバコで、きちゃないサンダル履きの半ズボン、日本人にはみえない。
 
 旅好きの学生たちは、旅行に出るためバイトばかりしていて勉強あまりしないのが玉に瑕だが、いろいろな世界をみて、自分たちがいかに恵まれているか、いかに自分たちとは異なった文化があるのかをハダで感じとることも、いい勉強だから、まあ大目に見よう。

 私が落とさなくても、他の先生が落としてくれるからね(笑)。

 旅行好きのゼミ生以外にも濃い子が多い。

「アジア臭がするから、食べられない~」と一口も箸を付けない偏食Mくんや(この前のネパール料理やの時も彼は一口も食べなかった。合宿でも食べなかった)、その向かいにはMくんの食べない分を全部さらってたべていているTくんがいる。この子(T君)はなぜか卒業後、ふたたび別の学校に入るとかで、就職しないようである。そういうわけで、いつもお金をもっていないが、私に借金しながら、人一倍食べて飲む。ある時なんかは学校にくる交通費がないから学校休みます、ときたもんだ。

 濃すぎる・・・・。といったら、Aジくんが

 「先生も十分ヘンっすよ」

 失礼な。わたしはフツーよ。
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DATE: 2007/10/24(水)   CATEGORY: 未分類
ワシントンの桜
伊勢の赤福が、製造年月日を偽装していて問題になっている。

 最近、「中国産のキクラゲやウナギに禁止農薬が使われていた」とか、北海道銘菓「白い恋人」が日付偽装だったとか、「豚を牛といつわってうっていた」とか、「ダンボールで肉まん作った」とか、茶の間の話題は食の安全でもちきり。

 笑ったのが、北海道銘菓白い恋人が問題になったとき、どこぞのニュース番組のコメンテーターが

「白い恋人が今後も北海道銘菓として歴史に残るかどうか、わかりませんね。伊勢の赤福は●百年の歴史をもちますが、伝統のある店をみならってほしいです」

 みたいなことをいっているそばからこの赤福の偽装が判明。

 しかも、白い恋人は社長自ら「ごめーん」とあやまってたのに、赤福は工場長一人に責任をおしつけて、役員は「こいつが勝手にやりました」と保身まるだし。

 かつての幹部談によると、あのリサイクルのやり方に異を唱えた社員はみな幹部からはずされたというのだから、工場長に責任おしつけていたあの役員たちは、確信犯のうそつき集団。

 人を護るためにつくウソは美しいこともあるが、自分を護るためにつくウソはみにくい限り。

 こういう問題が明らかになるたびにつくづく思うのだが、みな謝り方がへた。

 全面的に謝罪すれば、マスコミはもうそれ以上はつつかないし、世間も「経営が苦しかったんだろう」とか、「売れ残りを捨てるのがももったいなかったんだろう」、とかそれなりに理解を示すのに。

 I am sorry , Butと、But以下に言い訳いうから、マスコミがその醜態をおもしろがって追求するのだ。

 落語に「出来心」という名作がある。原典を確認せずにうろ覚えで以下にGO!

 有る間抜けな泥棒が長屋に盗みに入るが、あまりにもビンボーで盗むものがないので、そこにあったおじやを食べていると、そこに家人が帰ってくる。泥棒はあわてて縁の下に隠れる。帰ってきたビンボー家人は、おじやが食い荒らされているのを見て、泥棒が入ったことを覚り、何もとられていないが、それを口実に大家さんに家賃をまってもらうことにする。

 大家さんの前で、その家人はそもそもありもしなかった羽織やタンスを泥棒にとられたという。それを聞いた泥棒が笑いながら縁の下からでてきて「おじやしか食べてない」というと、大家と家人「オマエだれた」ということになり、

しまったとおもったその間抜けな泥棒は、捕まったときに、こういえと言われていた言い訳をそのままいいだす。

 「70を頭に子供が7人、13になる父親は長の患いで、生活が苦しくてほんの出来心で・・・」
 大家「それをいうなら、13を頭に子供が7人、70になる父親が長の患い・・だろ。それにしても、何も取られていないくせに、タンスだの羽織だのとられたとはオマエも何考えているんだ」と店子にいうと店子が

 「へえ、これもほんの出来心で・・」
 
 これがオチです。

 というわけで、この泥棒や家人のように素直にゲロっちゃえば、世間はすぐに忘れるのに、へんに言い訳して自分を護ろうとするから、世間はその醜態みておこるんだよ。

 素直に謝罪ができるかどうかで人の育ちが解るという。

 確かに自分の誤りをみとめることのできる人は二度同じ過ちをおかすことはなく人にも好かれるが、誤りをみとめることができない人は生涯、同じような過ちを繰り返し続け、自分にも人にも迷惑をかけつづける。

 白を黒といいはりつづければ、最初に犯した過ちにさらに嘘をつくという罪を重ねるだけなのに。嘘つきは泥棒のはじまり、というけど、あれは真理。エスカレートしていくんだよね。

 正直は真理の王道である。
 ワッシントンである(これが解る人はエライ)。

 そもそもこの日付偽装にしたって、最初から正直に製造年月日をかいて、売れ残ったら古い順に値下げしていけばいいじゃん。

 で、廃棄処分にするようなヤツは「あたっても当社は責任もちません」と書いてもうタダで配る。

 五段階くらいの値下げをしていけば、みな胃の強度と財布の中身にあわせて段階を選ぶだろう。胃の強い人はおれは四段階目にトライする、とかへんな意味で下の方の製品も売れる可能性もある。

 モノが腐るのは自然の流れ。何もかもまっしろで、みなできたてなんて方が不自然なんだから、ありのままの製造年月日にしてただ値引きすりゃいいだけのこと。

 赤福も白い恋人も問題はとくに食中毒で死人はでてないみたいだし、大量の産業廃棄物だすよりゃその方がはるかにいい。
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DATE: 2007/10/21(日)   CATEGORY: 未分類
愛校精神の温度差
 今まではシャレのつもりで書いていた仕事ネタも、かなりシャレにならない状況になってきた。

でも追いつめられればられる程、火事場の馬鹿力がでることもあり、とりあえずまったりとする日曜日(いいのか自分!)。

 朝刊をめくると早稲田が四面にわたり広告を出している。昨日も出ていた。そういえば今日は早稲田の125周年記念であった。この四面広告、どのくらいの経費をつかっているんだろう。むかーし、一面で一千万とかきいたけど、だとすると少なくとも一億近いお金をこの新聞広告だけに使っているのか。

 この記念事業で一番もりあがっているのは、じつは在校生よりは、全国にわんさといるOBの方々である。まあ数から言っても圧倒的に彼らの方が多いからね。

 去年大隈講堂を化粧直ししたのだが、その時、大学は大隈講堂からはがしたタイルをインターネットで売りに出した。私は

ベルリンの壁じゃあるまいし、ただのタイルを誰がかうかよ」

と冷たい目でみていたが、なんと完売したのだそうである。そんなもんかうのはOBだけだろう。

 それと、早稲田オークションとかで、早稲田をでた有名人のサイン入りグッズとかをうってそのお金を寄附にまわすという企画があったのだが、これも売れているらしい。

 電話してきた証券会社の某営業担当も、早稲田出身とやらで、「今年はホームカミングデー(卒業してからの年数がきりのいい代は創立記念日に招かれる)なんですよ。」と嬉しそうに語っていた。ふと気がつくと、チベット関係の知り合いも早稲田卒がぞろぞろ。だてに毎年一万人以上の卒業生を世に送ってはいないですね。

 しかし、125年とは、半端な周年である。早稲田の創立者の大隈重のぶが、「人生125年」といったことにちなんだ、というけど、

だったら、今日早稲田は死ぬわけか。

 記念事業ってのはとりあえずそれを口実に寄付金を集めて大学内のインフラ整備しちゃおー、てことなんだけど、実際、法学部と商学部がぴかぴかになって、文学部もたてなおしの計画中だけど、私のいる学部はその次くらいのたてかえ順まちなので、ぼろいこときわまりない。


 昨日私が授業やった教室は、黒板クリーナーが壊れているので、黒板消しがきれいにならず、いつも黒板真っ白である。何度も事務にお願いしているから、いくらなんでも夏休み中になんとかしているかと思ったが、やはり、かわらず。もうポケットマネーでクリーナーかってすげかえてやろうかと思うくらいである。ゼミの部屋はパソコンもプロジェクターもないしー。

 でも、研究室は新しい建物に入っているので、そこはイイ!
 
 そういえば思いだす。 一昨年七月に震度五の地震が東京をおそった時、わたしは研究室の入っているビルのエレベーターに一人で乗っていた。そしたら、突然エレベーターが
「扉が開いたら降りてください」としゃべった。
「あれ、このエレベーターっていつもしゃべってたっけ」と不審に思いながら、ちょうど自分の降りる階だったので降りると、ぐらぐらぐらっときた。

 初期微動を察知したエレベーターが、本震がくるまえにわたしを降ろそうとしてくれたのだ。

 その日、都内各地でエレベーターにとじこめられた人が続出したことをきき、わたしは大学のエレベーターの性能に手を合わせた。なーむー。

 で、話を続けると、その揺れが続く中、各研究室から先生方が廊下に飛び出してきた。まあ出口が一つだから扉がゆがんだら出られなくなるので、妥当な反応だろう。
 
 私が飛び出してきた数学科の先生に「このビル崩れないでしょうか」というと

 その先生「このビルは新しいからいいけど、●号館(例の黒板クリーナーが壊れている教室のあるボロビル)は建っているか? 確認した方がいい!」というので、みなでとなりのビルがみえるマドまでいってみる。

 「建ってます!」

後で聞くと、この●号館にいた先生方は生きた心地がしなかったという。

 そして、その後十階にあった教員図書室の本が地下に降ろされた。きっといろいろなところで亀裂が発見されたのだろう。てなわけで、この記念事業ではこのビル立て替え対象にはいらなかったけど、●号館。絶対アブナイので立て替えた方がいいと思う。若い学生の命かかっているし。

 でも、もうお金ないだろうから、150周年までおあずけかな。
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DATE: 2007/10/17(水)   CATEGORY: 未分類
エイドリアーン!
 ごろうちゃんにごはんを食べさせている間、ニュースをつけたら「カメダ」「カメダ」の大連呼。ボクシングをみない私もこの人くらいは知ってる。

 何かクローンみたいに似ている三兄弟とこの三兄弟をちょっとふけさしたようなオヤジがボクシングやってて、その汚い言葉とパフォーマンスで世間をあきれさせているんだよね。

 で、何かその三クローンの真ん中が先週した試合が、ボクシングでなくてプロレスだったとかで(笑)、謝罪をすることになったらしい。

 阿部総理の辞任会見の時みたいに、どのチャンネルまわしてもそればっかり。

 すごいな、カメダって総理なみの注目度なんだ。

 で、数分みていたけど、当の親子はまともにしゃべらず、というか、息子は一言も言わず、ジムの会長がかわりに全部しゃべっていた。あまりしゃべらすとボロがでるので、黙っているように云われたんだろう。どんなに口べたな人でも、本当に謝罪の気持ちがあれば、とつとつとでもしゃべれば相手に伝わる。それが回りが口をきかせてはならない、と判断したからには、当事者にはまあったく、反省の気持ちがないということ。
 
 ボクシングといえば、

 えいどりあーん(古)

 の感動しか思い浮かばない自分には、ついていけないところまでボクシングは堕落しているよう。

 で、このカメダ父、反則をするよう息子に言い続けたことを否定していたが、客観的な証拠まであがっているのに、どうして認めないんだろう。

 そこで思いだしたのが、昔読んだ死刑廃止論者の言い分。

 死刑がある限り、容疑者は、自分がやったことをやっていないと言い続けることになる。死刑にならないのであれば、素直に罪をみとめるかもしれない容疑者も、みな一様に事実をまげてでも無罪を主張する。それは嘘を言い続ける容疑者にとっても、その嘘を聞き続けなければならない被害者の遺族にとっても悲劇であると。

 死刑廃止論者は、またこう続ける。

 罪を犯した人の中には心から反省して、自分を殺してください、という人もいる。でも、悔い改めた人を死刑に処するのもつらい、と。

 つまり、死刑判決を受けると、性悪な人は命が惜しいので嘘をついてでも罪を逃れようとして裁判を長引かせ、本来性格のいい人は心を入れ替えて、さっさと死刑になっちゃうしなんかへんというわけ。


 で、話をカメダに戻すと、ボクシング界から抹殺されること(死刑)を考えて、命惜しさに、「反則指示はしてない」といいはるしかないのであろう(暗にカメダを性悪といってる 笑)。

 ここで死刑廃止論者の論拠の一つがくずれる。

 カメダ父は別に命とられるわけでもないのに、事実をまげた。性悪は本能にまかせて罪を犯しても、その罰はうけたくないのだ。仮に死刑を廃止しても、こういう輩はあとをたたないだろうし、被害者の遺族はつねに苦しむだろう。
 
 でも、もう一つの論拠、心を入れ替えた人を殺すに忍びない、は確かにそうだと思う。だから、法務大臣が宗教的な理由から、死刑のサインをしない、という話をきくと、それはそれでいいのではないかと思う(ちなみに、わたしは死刑廃止論者じゃないですからね。推進もしないけど。)。
 
 何にせよ、真実をまげて保身をはかった時点で、その人物はかりに世俗の刑罰をうけずとも、いわゆる神の世界、業の世界での報いをうける。

 具体的にいえば、ウソをつき保身をはかる親を目の前でみた息子たちが、今後どういうオトナになっていくのか。

 その行く末を見るのが、このオヤジが受けるもっともきつい罰なのである。
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DATE: 2007/10/14(日)   CATEGORY: 未分類
不都合な真実
 アル・ゴアが地球温暖化に警鐘をならし続けた功績により、ノーベル平和賞を受賞した。妥当だと思う。

 さいきんの地球規模の異状気象は誰の目にも明らかだろう。

 わが家の庭でなくコオロギは今年は例年になくすくない。通常なら秋の終わりくらいの声量である。

 今日北海道で初雪がふった。これは最後の夏日から数えてわずか三週間である。

 秋がなくなっているのだ。 日本の気候から四季がなくなってきている。

 この温暖化は生物相には致命的で、ここ数年間絶滅危惧種は幾何級数的に増えていて、シロクマは三年後には現在の三分の二になるという。

 しかし、ここまであからさまなサインが出ているにもかかわらず、産業界は温暖化に対する対応はにぶい。二酸化炭素の放出をへらす、ということは経済活動が停滞するということで、そりゃまかりならん、ということらしい。

よく、不法投棄する産廃業者とかがマスコミに直撃されたりすると、

「キレイ事いってたらおまんまが食えなくなるんだよ」

 といって開き直ったりしているが、何のことはない、われわれは地球規模でこの不法投棄の産廃業者と同じようなこといったり、やったりしているわけだ。

 そもそも人類が滅びたら経済活動も、へったくれもないのに、依存症となっているわれわれにはもうその当たり前のことすらマヒして考えられなくなっている。

 「飲まないと眠れない」「飲まないと気分が明るくならない」などといってアルコールを飲み続け、一瞬の夢とひきかえに、肝硬変による確実な死へとつきすすんでいく。あれと同じ。

 便利な生活に依存しているわれわれも、それとひきかえに悪夢のゴールに突き進んでいるのだ。

 神とか仏とかに示される、理想的な人格を慕う文化が、近代以前だとすると、近代のはじまりとともに人間は、理想をすて、人間性(不完全で煩悩全開)を肯定し、その欲望を野放しにすることを是とした。この文明の行き着く先は、神とか仏によれば、「末法の世」「世界の終末」ということになる。

  ま、しかし、諸行無常は世の理である。仏教によれば、しょせん世界は破滅し、そしてまた長大な時間をかけた後、新しい世界がはじまる、という永劫回帰の世界観を説くので、目先の世界の存廃うんぬんを議論しても仕方ないということだろう(このあきらめの早さが仏教衰退の理由の一つのような気もするが)。

 話は変わるが、二月ほど前に「英語で書かナイト」というオヤジギャグな日記を投稿したが、あれ、実は終わってません。結局終わらなくて、頼んで次の号に載せてもらうことにしたのだけど、その締め切りが今月の末。

 当然一文字も書いてないとくらあ。

 そう、地球規模の危機を見ていれば、自分の危機が相対的に矮小化するような気がしてこの記事を書いてみたのです。

 でも、これってニートの若者が、国際政治の危機を語っている状態と何ら代わりがないような気も・・・。

 不都合な真実とは、実は「ふがいない自分の今」なのかも。
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DATE: 2007/10/10(水)   CATEGORY: 未分類
大徳川展はじまる!
 本日(10月10日)からいよいよ上野の国立博物館で「大徳川展」がはじまる!

記念に極私的徳川ネタを公開!

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この写真は一ヶ月前ソウルにいった時、ソウル生まれの友人が「ここがソウルで一番美味しい」というキムチ鍋の店につれていってくれた時ののもの。わたしたちが通された席の前には、ハングルで書かれていたこの書がかかっていた。

 二箇所だけ漢字でそこだけよめる。

 「人生」「無事長久」はて、この組み合わせ、どこかで聞いたよーな。


 家康公のご遺訓じゃあないかあああああ。

人の一生は、重荷を負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基。
怒を敵と思え。
勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて、人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるに勝れり(『家康公ご遺訓』 偽作説アリ 笑)。


 友人に「これ家康公のご遺訓だよね」というと、

 「でも、書名ヘチャンて書いてて、これ朝鮮人の名前ですよ。家康公のわけないですよ」というので、ホテルにもどってWikiquoteで、家康公のご遺訓を調べて読ませてみると、内容は同じであるという。

 たぶん、このヘチャンという人がこの言葉をきにいって墨書したのだろう。朝鮮半島にせめこんで今にいたるまで朝鮮の人に怨まれている秀吉と違い、徳川家康は一応、講和に尽力した人だから、まあ許容範囲内だったのか。

 にしても、日本から遠く離れたソウルの、しかもキムチ鍋やで家康公のお言葉と対面するとは、横浜の中華街の一室でオカメインコタイルと対面したとき以来の感動である。

 さて、徳川展、今日からなのでまだ云ってませんが、出品作品のリストが発表されたので、いちじるしく主観にはしったみどころをご紹介。

 この展覧会三部構成で(1)将軍の威光 (2) 格式の美 (3) 姫君のみやびと分かれている。(2)は将軍家の所有するお宝をあつめたもので、茶器とか、軸ものとかがある。これははっきりいって将軍家とはあんま関係ない。将軍家の美意識が分かると云えば少しは関係するのかもしれないけど。(3)は徳川家の姫君の花嫁道具なので、大名のトップとしての生活がわかるという意味では面白いだろうが、私的にはあまり興味ない。やはり歴史を学ぶものとして、いちばん面白いものが集まっているのは(1)「将軍家の威光」である。

 ここには家康様の神像が彫刻や軸ものとしてゴロゴロ出品されている。三代将軍家光公は、祖父家康の夢をみるたびに、絵師にその夢のお姿を書かせていたので、この神像はいわば家光の脳内を覗いているわけである。

 家康は本性はわれわれの目の前にはあの武将徳川家康のお姿で現れたが、その本性は薬師仏である(というふうに天海が祀った)。
 薬師仏は西の阿弥陀仏と対応する東の仏。秀吉が京都の阿弥陀山に明神として祀られたのと好対照をなしている。

 家康を仏が化身した神、あるいは転輪聖王として祀られたのが、日光山輪王寺(と東照宮)。それも家康公がお亡くなりになった時のこの遺言にもとづく。

遺体は駿河の国の久能山に葬り
葬儀は江戸の増上寺で行い
位牌は三河の国の大樹寺に納め
一周忌がすぎてから、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ。
関東八州の鎮守とならん


 で、亡くなる日に、自分の神像を西にむけ、また、幾たびもの合戦を家康とともにたたかった三池の宝刀に血を吸わせて、同じく西にむけて祀るように言い残して、その午後帰幽された。

 自らの遺体を東西の中間点久能山に葬らせ、さらに愛刀と自らの像の西面を命じたのは、西国大名の蜂起を押さえるためであったといわれる。

 今回の展覧会には、芝東照宮のご神体の家康像とこの三池の宝刀も出品されるので、とても楽しみ。あと、東照宮の由来を記した「東照社縁起」もホンモノがみたかったので嬉しい。

 家康モノとしてはほかにも彼の甲冑や軍扇、征夷大将軍の辞令、幕末モノとしては、大政奉還前後の歴史文書などが目白押し。第一部は歴史的にかなり面白い史料がホンモノで見られます。

 ちなみに、茶器とか、源氏物語絵巻とかの国宝もゴロゴロありますが、専門外なのでさっぱりわかりません。たぶん優品揃いでしょう(笑)。
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DATE: 2007/10/07(日)   CATEGORY: 未分類
仏教戦隊ブッダマン!
 木曜日から大学が本格的に始まった。久しぶりに顔を合わすので、

 ゼミ生や仏青の学生たちがとても可愛くみえる(笑)

 みんな旅先でかってきたお菓子をおみやげにもってきてくれる。この夏チベットにいったAジくんに、「一番感動したことは?」と聞くと、

 Aジくん「センセーにしか通じないことなんですけど、チベットのお寺にいくと、法座があって、その左にはパンチェンラマ7世(前のパンチェンラマね。中国政府がたてた人じゃないのよ 笑)、右にはカルマパ17世(1999年にインドに亡命して中国政府の顔をつぶした方ね 笑)の写真があるんですよね。で、その真ん中に何もないんですけど・・・」

 私「チベット人にはダライラマ猊下がみえているんだよね」

 Aジくん「そうなんですよ。みんなカターを捧げているんです。」

 1959年、チベットの市民と中国軍がにらみあう中、猊下が亡命したノルブリンカ離宮を訪れた時も目からにじるが出たそうである。わたしもあそこいくと泣けてしょうがないので、これも師子相承。

 世の大学生がピラミッドとか、ヴェネチアとかいって、世界ふしぎ発見(ウルルンでもよし)レベルで感動している時、チベットにいって、空の王座に涙するとは、さすが私のゼミ生である。

 エライ!(何がじゃ)

 で、仏青にいくと、みんなが比叡山のおみやげに元三大師の魔よけのお札をくれた。部室にもはってある。天台宗には法力(超能力)で知られる名僧は真言に比べると少ないらしいが、元三大師はその手のエピソードに事欠かず、天台の神秘性を一手に引き受けている感がある。

 このおふだは元三大師のヴィジョンをそのまま刷ったものだ。さっそく家の玄関にはる。ありがとう。

 幹事長はこの夏古墳発掘のバイトをしていたとかで、健康的に日焼けしている。しかも高野山のおみやげに、徳川家霊台のご朱印をもってきてくれた。
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 何と葵の御紋スタンプが押してある!高野山に登らないと
手に入らない、プレミア徳川グッズである。

 幹事長、エライ!(だから何が)

 そして、NくんがSF大会で手に入れたという仏教戦隊 ブッダマンというDVDをみなで鑑賞する。

 1986年作に、仏教電影という自主制作集団がつくったものらしい。DVDの裏には

宇宙からやってきた『宇宙宗教法人ブラックゴッド』が人類に挑戦してきた! その名も「廃仏毀釈作戦」! 僕らの唯一の宗教である仏教から強制的に僕らを改宗させるために、奴らは宗教獣バイブル・ビーストを差し向けてきたのだ! 闘え! 僕らのヒーロー、仏教戦隊ブッダマン!
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 それは、妙心寺と思われるお寺の境内や河原で撮影された、限りなくはてしなくしょぼ~い特撮。戦隊といっても三人しかいないし、ロボットは明らかにボール紙製。

 敵方のまものが、聖書のかぶりもので、総帥がパパ様(ローマ法王やんけ!)といった具合に、特定の宗教をモロ指していて、二十年前とはいえ、ものすごくアブナイ内容。

 仏陀電影のページを見てみると、「特定の宗教とは一切かかわりありません」(ならこんな名前つけるな!)数年前までは活動を続けていた模様。なんなんだろう。

 スリランカやビルマの仏教青年会はかつて、独立運動の一翼をになったというに(本当!)、早稲田の仏教青年会は日本の天下泰平ぶりを反映して、かくもゆるい再起動を行ったのであったった。


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DATE: 2007/10/03(水)   CATEGORY: 未分類
尽きせぬ笑顔は聖者の証
 エリカ様が自分が主演する映画の舞台挨拶で、この上なくふてぶてしい態度をとったことから、世間から怒られまくっている。
 うちのダンナ、Youtubeでその画像をみて、

「〔中森〕アキナだって、ここまでふてぶてしくなかったよ」と感心している。

 古いわ!

 なぜ彼女があのような態度をとったのかは、彼女しか知るよしもないが、ある人が推測していたことには、主演映画のプロモーションともなると、日本全国津々浦々まで足を運び、インタヴューにこたえ、ありとあらゆるところに露出する、しかも、聞かれることといえばみな同じことばかり。

 「どのシーンが印象に残りましたか?」

 「撮影中、スタッフに手作りのクッキー配られたそうですが」

 最初はにこやかに応じられても、これが何百回ともなってキレてしまったのではないか、とのこと。

 ありそーな話ではある。

 ちやほやされることを期待して芸能界に入る。
 望み通り売れたが、やっていることといえば、マクドナルドのバイトと同じ。どんなにつらくても、苦しくても笑顔でハイテンションで人に好印象を与え続けねばならない。

 これじゃ電波ゲイシャじゃん(by ナカムラ某大物男優)。

 
 しかし、フツーの仕事ならまだしも、芸能人である。
 それが仕事なのである。
 それができないなら、やはり芸能人は向いてないのである。

 エリカ様と比べるのも失礼だが、ダライラマ猊下なんてチベット仏教を広め、チベット問題を取り上げてもらえるように世界中をとびまわっているが、しょっちゅう同じこと聞かれている。

 「話し合いのテーブルにつかない中国政府に対してこのままでいいとお思いですか。」というようなチベット問題ネタに始まり
 
 カトリックネタの定番
  「中絶についてどういうご意見をお持ちですか」

 あとは仏教思想に対する無理解からくる定番

 「エゴがない、と仏教で説くのなら、どうして自分をつねると痛いのですか」

 あとは、~という人をどう思うか。ダライラマ猊下は誰のことも批判しないんだから、聞いてもムダなのに。

 さらには、

 「聖書に説かれる神はじつは古代に地球におりたった宇宙人のことなのです」

なんてトンデモ質問に対しても、(通訳が悪くてよくつたわらなかったものを除いて)猊下が応えるの面倒くさがったり、無視したりしたことを見たことがない。

  ダライラマ猊下は誰の質問に対しても誠実に答える。

 彼の講演録を一冊でも読んでいれば、すでに答えがでている質問ばかりであっても。

 二十四才で国を失って外の世界にでてきてから、ずっとその姿勢は変わっていない。

 そしてそのはじけるような明るさ。

 これがどんなにすごいことか、大人になってみて〔またはエリカ様をみていて〕よくわかる。

 人間に対する無限の愛と包容力とがなければ、みじんでも自分可愛さがあれば、できないことであろう。
 
 思えば、ダライラマ猊下に限らず、非暴力を提唱した人って笑顔の人だった。ガンジーもキング牧師もツツ大主教も、みな笑顔の人である。

 ところで、東急カルチャーが9月29日をもちまして、半年の講座「ダライラマの仏教入門」が終わりました。みなさん、長い間おつきあいありがとうございました。

 カルチャーの担当の方が「続き物の講座って、だんだん生徒さんがへってくるんですけど、この講座はへりませんねー。」とおっしゃっていらしたが、それはやはり、過去、モンゴル帝国、満洲帝国、いまは欧米社会と、その時その時に一番栄えていた帝国を魅了してきたチベット仏教の力であろう。
 
 で、また今週の土曜日から新しい「ダライラマ仏教思想」が始まります。

 て、時期が時期だけに、番組改編期のアオリみたい。
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