愛校精神の温度差
今まではシャレのつもりで書いていた仕事ネタも、かなりシャレにならない状況になってきた。
でも追いつめられればられる程、火事場の馬鹿力がでることもあり、とりあえずまったりとする日曜日(いいのか自分!)。
朝刊をめくると早稲田が四面にわたり広告を出している。昨日も出ていた。そういえば今日は早稲田の125周年記念であった。この四面広告、どのくらいの経費をつかっているんだろう。むかーし、一面で一千万とかきいたけど、だとすると少なくとも一億近いお金をこの新聞広告だけに使っているのか。
この記念事業で一番もりあがっているのは、じつは在校生よりは、全国にわんさといるOBの方々である。まあ数から言っても圧倒的に彼らの方が多いからね。
去年大隈講堂を化粧直ししたのだが、その時、大学は大隈講堂からはがしたタイルをインターネットで売りに出した。私は
「ベルリンの壁じゃあるまいし、ただのタイルを誰がかうかよ」
と冷たい目でみていたが、なんと完売したのだそうである。そんなもんかうのはOBだけだろう。
それと、早稲田オークションとかで、早稲田をでた有名人のサイン入りグッズとかをうってそのお金を寄附にまわすという企画があったのだが、これも売れているらしい。
電話してきた証券会社の某営業担当も、早稲田出身とやらで、「今年はホームカミングデー(卒業してからの年数がきりのいい代は創立記念日に招かれる)なんですよ。」と嬉しそうに語っていた。ふと気がつくと、チベット関係の知り合いも早稲田卒がぞろぞろ。だてに毎年一万人以上の卒業生を世に送ってはいないですね。
しかし、125年とは、半端な周年である。早稲田の創立者の大隈重のぶが、「人生125年」といったことにちなんだ、というけど、
だったら、今日早稲田は死ぬわけか。
記念事業ってのはとりあえずそれを口実に寄付金を集めて大学内のインフラ整備しちゃおー、てことなんだけど、実際、法学部と商学部がぴかぴかになって、文学部もたてなおしの計画中だけど、私のいる学部はその次くらいのたてかえ順まちなので、ぼろいこときわまりない。
昨日私が授業やった教室は、黒板クリーナーが壊れているので、黒板消しがきれいにならず、いつも黒板真っ白である。何度も事務にお願いしているから、いくらなんでも夏休み中になんとかしているかと思ったが、やはり、かわらず。もうポケットマネーでクリーナーかってすげかえてやろうかと思うくらいである。ゼミの部屋はパソコンもプロジェクターもないしー。
でも、研究室は新しい建物に入っているので、そこはイイ!
そういえば思いだす。 一昨年七月に震度五の地震が東京をおそった時、わたしは研究室の入っているビルのエレベーターに一人で乗っていた。そしたら、突然エレベーターが
「扉が開いたら降りてください」としゃべった。
「あれ、このエレベーターっていつもしゃべってたっけ」と不審に思いながら、ちょうど自分の降りる階だったので降りると、ぐらぐらぐらっときた。
初期微動を察知したエレベーターが、本震がくるまえにわたしを降ろそうとしてくれたのだ。
その日、都内各地でエレベーターにとじこめられた人が続出したことをきき、わたしは大学のエレベーターの性能に手を合わせた。なーむー。
で、話を続けると、その揺れが続く中、各研究室から先生方が廊下に飛び出してきた。まあ出口が一つだから扉がゆがんだら出られなくなるので、妥当な反応だろう。
私が飛び出してきた数学科の先生に「このビル崩れないでしょうか」というと
その先生「このビルは新しいからいいけど、●号館(例の黒板クリーナーが壊れている教室のあるボロビル)は建っているか? 確認した方がいい!」というので、みなでとなりのビルがみえるマドまでいってみる。
「建ってます!」
後で聞くと、この●号館にいた先生方は生きた心地がしなかったという。
そして、その後十階にあった教員図書室の本が地下に降ろされた。きっといろいろなところで亀裂が発見されたのだろう。てなわけで、この記念事業ではこのビル立て替え対象にはいらなかったけど、●号館。絶対アブナイので立て替えた方がいいと思う。若い学生の命かかっているし。
でも、もうお金ないだろうから、150周年までおあずけかな。
でも追いつめられればられる程、火事場の馬鹿力がでることもあり、とりあえずまったりとする日曜日(いいのか自分!)。
朝刊をめくると早稲田が四面にわたり広告を出している。昨日も出ていた。そういえば今日は早稲田の125周年記念であった。この四面広告、どのくらいの経費をつかっているんだろう。むかーし、一面で一千万とかきいたけど、だとすると少なくとも一億近いお金をこの新聞広告だけに使っているのか。
この記念事業で一番もりあがっているのは、じつは在校生よりは、全国にわんさといるOBの方々である。まあ数から言っても圧倒的に彼らの方が多いからね。
去年大隈講堂を化粧直ししたのだが、その時、大学は大隈講堂からはがしたタイルをインターネットで売りに出した。私は
「ベルリンの壁じゃあるまいし、ただのタイルを誰がかうかよ」
と冷たい目でみていたが、なんと完売したのだそうである。そんなもんかうのはOBだけだろう。
それと、早稲田オークションとかで、早稲田をでた有名人のサイン入りグッズとかをうってそのお金を寄附にまわすという企画があったのだが、これも売れているらしい。
電話してきた証券会社の某営業担当も、早稲田出身とやらで、「今年はホームカミングデー(卒業してからの年数がきりのいい代は創立記念日に招かれる)なんですよ。」と嬉しそうに語っていた。ふと気がつくと、チベット関係の知り合いも早稲田卒がぞろぞろ。だてに毎年一万人以上の卒業生を世に送ってはいないですね。
しかし、125年とは、半端な周年である。早稲田の創立者の大隈重のぶが、「人生125年」といったことにちなんだ、というけど、
だったら、今日早稲田は死ぬわけか。
記念事業ってのはとりあえずそれを口実に寄付金を集めて大学内のインフラ整備しちゃおー、てことなんだけど、実際、法学部と商学部がぴかぴかになって、文学部もたてなおしの計画中だけど、私のいる学部はその次くらいのたてかえ順まちなので、ぼろいこときわまりない。
昨日私が授業やった教室は、黒板クリーナーが壊れているので、黒板消しがきれいにならず、いつも黒板真っ白である。何度も事務にお願いしているから、いくらなんでも夏休み中になんとかしているかと思ったが、やはり、かわらず。もうポケットマネーでクリーナーかってすげかえてやろうかと思うくらいである。ゼミの部屋はパソコンもプロジェクターもないしー。
でも、研究室は新しい建物に入っているので、そこはイイ!
そういえば思いだす。 一昨年七月に震度五の地震が東京をおそった時、わたしは研究室の入っているビルのエレベーターに一人で乗っていた。そしたら、突然エレベーターが
「扉が開いたら降りてください」としゃべった。
「あれ、このエレベーターっていつもしゃべってたっけ」と不審に思いながら、ちょうど自分の降りる階だったので降りると、ぐらぐらぐらっときた。
初期微動を察知したエレベーターが、本震がくるまえにわたしを降ろそうとしてくれたのだ。
その日、都内各地でエレベーターにとじこめられた人が続出したことをきき、わたしは大学のエレベーターの性能に手を合わせた。なーむー。
で、話を続けると、その揺れが続く中、各研究室から先生方が廊下に飛び出してきた。まあ出口が一つだから扉がゆがんだら出られなくなるので、妥当な反応だろう。
私が飛び出してきた数学科の先生に「このビル崩れないでしょうか」というと
その先生「このビルは新しいからいいけど、●号館(例の黒板クリーナーが壊れている教室のあるボロビル)は建っているか? 確認した方がいい!」というので、みなでとなりのビルがみえるマドまでいってみる。
「建ってます!」
後で聞くと、この●号館にいた先生方は生きた心地がしなかったという。
そして、その後十階にあった教員図書室の本が地下に降ろされた。きっといろいろなところで亀裂が発見されたのだろう。てなわけで、この記念事業ではこのビル立て替え対象にはいらなかったけど、●号館。絶対アブナイので立て替えた方がいいと思う。若い学生の命かかっているし。
でも、もうお金ないだろうから、150周年までおあずけかな。
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