ワシントンの桜
伊勢の赤福が、製造年月日を偽装していて問題になっている。
最近、「中国産のキクラゲやウナギに禁止農薬が使われていた」とか、北海道銘菓「白い恋人」が日付偽装だったとか、「豚を牛といつわってうっていた」とか、「ダンボールで肉まん作った」とか、茶の間の話題は食の安全でもちきり。
笑ったのが、北海道銘菓白い恋人が問題になったとき、どこぞのニュース番組のコメンテーターが
「白い恋人が今後も北海道銘菓として歴史に残るかどうか、わかりませんね。伊勢の赤福は●百年の歴史をもちますが、伝統のある店をみならってほしいです」
みたいなことをいっているそばからこの赤福の偽装が判明。
しかも、白い恋人は社長自ら「ごめーん」とあやまってたのに、赤福は工場長一人に責任をおしつけて、役員は「こいつが勝手にやりました」と保身まるだし。
かつての幹部談によると、あのリサイクルのやり方に異を唱えた社員はみな幹部からはずされたというのだから、工場長に責任おしつけていたあの役員たちは、確信犯のうそつき集団。
人を護るためにつくウソは美しいこともあるが、自分を護るためにつくウソはみにくい限り。
こういう問題が明らかになるたびにつくづく思うのだが、みな謝り方がへた。
全面的に謝罪すれば、マスコミはもうそれ以上はつつかないし、世間も「経営が苦しかったんだろう」とか、「売れ残りを捨てるのがももったいなかったんだろう」、とかそれなりに理解を示すのに。
I am sorry , Butと、But以下に言い訳いうから、マスコミがその醜態をおもしろがって追求するのだ。
落語に「出来心」という名作がある。原典を確認せずにうろ覚えで以下にGO!
有る間抜けな泥棒が長屋に盗みに入るが、あまりにもビンボーで盗むものがないので、そこにあったおじやを食べていると、そこに家人が帰ってくる。泥棒はあわてて縁の下に隠れる。帰ってきたビンボー家人は、おじやが食い荒らされているのを見て、泥棒が入ったことを覚り、何もとられていないが、それを口実に大家さんに家賃をまってもらうことにする。
大家さんの前で、その家人はそもそもありもしなかった羽織やタンスを泥棒にとられたという。それを聞いた泥棒が笑いながら縁の下からでてきて「おじやしか食べてない」というと、大家と家人「オマエだれた」ということになり、
しまったとおもったその間抜けな泥棒は、捕まったときに、こういえと言われていた言い訳をそのままいいだす。
「70を頭に子供が7人、13になる父親は長の患いで、生活が苦しくてほんの出来心で・・・」
大家「それをいうなら、13を頭に子供が7人、70になる父親が長の患い・・だろ。それにしても、何も取られていないくせに、タンスだの羽織だのとられたとはオマエも何考えているんだ」と店子にいうと店子が
「へえ、これもほんの出来心で・・」
これがオチです。
というわけで、この泥棒や家人のように素直にゲロっちゃえば、世間はすぐに忘れるのに、へんに言い訳して自分を護ろうとするから、世間はその醜態みておこるんだよ。
素直に謝罪ができるかどうかで人の育ちが解るという。
確かに自分の誤りをみとめることのできる人は二度同じ過ちをおかすことはなく人にも好かれるが、誤りをみとめることができない人は生涯、同じような過ちを繰り返し続け、自分にも人にも迷惑をかけつづける。
白を黒といいはりつづければ、最初に犯した過ちにさらに嘘をつくという罪を重ねるだけなのに。嘘つきは泥棒のはじまり、というけど、あれは真理。エスカレートしていくんだよね。
正直は真理の王道である。
ワッシントンである(これが解る人はエライ)。
そもそもこの日付偽装にしたって、最初から正直に製造年月日をかいて、売れ残ったら古い順に値下げしていけばいいじゃん。
で、廃棄処分にするようなヤツは「あたっても当社は責任もちません」と書いてもうタダで配る。
五段階くらいの値下げをしていけば、みな胃の強度と財布の中身にあわせて段階を選ぶだろう。胃の強い人はおれは四段階目にトライする、とかへんな意味で下の方の製品も売れる可能性もある。
モノが腐るのは自然の流れ。何もかもまっしろで、みなできたてなんて方が不自然なんだから、ありのままの製造年月日にしてただ値引きすりゃいいだけのこと。
赤福も白い恋人も問題はとくに食中毒で死人はでてないみたいだし、大量の産業廃棄物だすよりゃその方がはるかにいい。
最近、「中国産のキクラゲやウナギに禁止農薬が使われていた」とか、北海道銘菓「白い恋人」が日付偽装だったとか、「豚を牛といつわってうっていた」とか、「ダンボールで肉まん作った」とか、茶の間の話題は食の安全でもちきり。
笑ったのが、北海道銘菓白い恋人が問題になったとき、どこぞのニュース番組のコメンテーターが
「白い恋人が今後も北海道銘菓として歴史に残るかどうか、わかりませんね。伊勢の赤福は●百年の歴史をもちますが、伝統のある店をみならってほしいです」
みたいなことをいっているそばからこの赤福の偽装が判明。
しかも、白い恋人は社長自ら「ごめーん」とあやまってたのに、赤福は工場長一人に責任をおしつけて、役員は「こいつが勝手にやりました」と保身まるだし。
かつての幹部談によると、あのリサイクルのやり方に異を唱えた社員はみな幹部からはずされたというのだから、工場長に責任おしつけていたあの役員たちは、確信犯のうそつき集団。
人を護るためにつくウソは美しいこともあるが、自分を護るためにつくウソはみにくい限り。
こういう問題が明らかになるたびにつくづく思うのだが、みな謝り方がへた。
全面的に謝罪すれば、マスコミはもうそれ以上はつつかないし、世間も「経営が苦しかったんだろう」とか、「売れ残りを捨てるのがももったいなかったんだろう」、とかそれなりに理解を示すのに。
I am sorry , Butと、But以下に言い訳いうから、マスコミがその醜態をおもしろがって追求するのだ。
落語に「出来心」という名作がある。原典を確認せずにうろ覚えで以下にGO!
有る間抜けな泥棒が長屋に盗みに入るが、あまりにもビンボーで盗むものがないので、そこにあったおじやを食べていると、そこに家人が帰ってくる。泥棒はあわてて縁の下に隠れる。帰ってきたビンボー家人は、おじやが食い荒らされているのを見て、泥棒が入ったことを覚り、何もとられていないが、それを口実に大家さんに家賃をまってもらうことにする。
大家さんの前で、その家人はそもそもありもしなかった羽織やタンスを泥棒にとられたという。それを聞いた泥棒が笑いながら縁の下からでてきて「おじやしか食べてない」というと、大家と家人「オマエだれた」ということになり、
しまったとおもったその間抜けな泥棒は、捕まったときに、こういえと言われていた言い訳をそのままいいだす。
「70を頭に子供が7人、13になる父親は長の患いで、生活が苦しくてほんの出来心で・・・」
大家「それをいうなら、13を頭に子供が7人、70になる父親が長の患い・・だろ。それにしても、何も取られていないくせに、タンスだの羽織だのとられたとはオマエも何考えているんだ」と店子にいうと店子が
「へえ、これもほんの出来心で・・」
これがオチです。
というわけで、この泥棒や家人のように素直にゲロっちゃえば、世間はすぐに忘れるのに、へんに言い訳して自分を護ろうとするから、世間はその醜態みておこるんだよ。
素直に謝罪ができるかどうかで人の育ちが解るという。
確かに自分の誤りをみとめることのできる人は二度同じ過ちをおかすことはなく人にも好かれるが、誤りをみとめることができない人は生涯、同じような過ちを繰り返し続け、自分にも人にも迷惑をかけつづける。
白を黒といいはりつづければ、最初に犯した過ちにさらに嘘をつくという罪を重ねるだけなのに。嘘つきは泥棒のはじまり、というけど、あれは真理。エスカレートしていくんだよね。
正直は真理の王道である。
ワッシントンである(これが解る人はエライ)。
そもそもこの日付偽装にしたって、最初から正直に製造年月日をかいて、売れ残ったら古い順に値下げしていけばいいじゃん。
で、廃棄処分にするようなヤツは「あたっても当社は責任もちません」と書いてもうタダで配る。
五段階くらいの値下げをしていけば、みな胃の強度と財布の中身にあわせて段階を選ぶだろう。胃の強い人はおれは四段階目にトライする、とかへんな意味で下の方の製品も売れる可能性もある。
モノが腐るのは自然の流れ。何もかもまっしろで、みなできたてなんて方が不自然なんだから、ありのままの製造年月日にしてただ値引きすりゃいいだけのこと。
赤福も白い恋人も問題はとくに食中毒で死人はでてないみたいだし、大量の産業廃棄物だすよりゃその方がはるかにいい。
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