白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/11/25(日)   CATEGORY: 未分類
徳川な連休パート2
今日はゼミ生つれて川越で秋の遠足。
 
 川越駅前で集合するが、わたしが15分遅刻、ゼミ長Aジくんは30分ちこく、Y子は三時間遅刻、Mちゃんは六時間遅刻、ドタキャン二人以上というゲーム性の高い出だしである。

 六時間遅刻のMが日記に「ぐだくだなゼミ」と書いていたが、彼にそれをいう資格はない。

 去年は比叡山、今年の夏は日光、そして昨日は寛永寺、今日は川越喜多院、そう、わたしは天海のたてた寺をたどっているのである。全行程つきあっているのはゼミ長のAジくんだけだけど。

 江戸城の大奥の庭をもしたという喜多院の庭園は折しも紅葉の季節。
 とても美しい。
 現在の喜多院の建物は江戸城の建物を三棟うつしたもので、それもただの建物ではなく三代将軍家光誕生の間、春日局化粧の間などである。

 乾隆帝の生まれた屋敷は、乾隆帝の即位とともに雍和宮というチベット寺にコンバートされた。

 聖王の生まれた家は、聖なる場所だから、普通の人の住みかになってしまってはいけないのだ。

 例によって寛永寺(東叡山)灯籠が庭や玄関にごろごろしている。
 そりゃそうだ。現在の寛永寺のお堂はここ喜多院の本地堂を移築しもたのだから、両寺の関係は当然ふかい。ごろごろしてても当然か。

 喜多院内部には、家光所用の食器や、葵の御紋(徳川家の紋)と菊の御紋(皇室の紋)がくみであしらわれている公武合体長持などが、展示されている。

 Yくん「先生 "長持"って何に使うんですか」
 私「ジャパネット高田で宣伝しているプラケースと同じだよ。衣服や小物の整理につかうの」
 Yくん「わかりやすい説明、ありがとうございました」

 しかし、Yくんたちはまだついてくるだけいい。S木くんと、K子ちゃんと、Y子ちゃんは「拝観料がもったいないと」外でまっている。飲み代とかケータイ代には比較的出費をおしまない学生も、拝観料、入館料、など知的な投資にはしぶい顔。

 そのあと、家康の遺骸が四日間とどまった場所にたてられた、仙波東照宮にいく。階段は50段。石段の前には早稲田の二代目総長高田早苗の碑文がある。この東照宮が史跡指定された時の文部大臣だったかららしい。

 私「ほら、昔の早稲田の総長だよ~」
 K子ちゃん「早苗って、総長は女性だったんですね
 私「違うわ!」
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 それから、バスにのって時の鐘のところでおり、蔵作り資料館にいく。100円の入館料に学割を聞くのも驚いた。ホントーに教養への出資はおしいんだな。
 ところが、この話をしたらとある先生より、

 「イシハマ先生、飲み代でない、入館料とかは、領収書とってきたらゼミ費でおとせますよ」とおそわる。

 ごめん、みんな。

 定食やで昼ご飯をたべる。着席したところで、決して向学心にあふれているとはいえない学生のために用意していた(ウソ、たまたま手元にあった)、教育まんが「天海さま」をよませる。
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 「天海って空海じゃなかったんですね」(オイオイ)
 「何か、これひらがなと漢字の割合がおかしいよ」と妙なもりあがりをみせる。

 さすが教育まんが。わたくしの百万大言よりも効果絶大。

 食後、蔵作りの町並みをあるく。試食コーナーがあるたびに群がるため、他人のふりをするのが大変である。川越銘菓「いも恋」をかうが、「今日中が賞味期限です」といわれる。
 たぶん賞味期限うんぬんを気にしだしたのは、ここ数ヶ月だろう。

 それから、関東十八檀林蓮馨寺にいく。ここでは天海が34才の時、存応上人とディベートした地だ。寺紋は葵のごもん。ふすまにも葵づくし。

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昨日から今日、葵のごもんを1000はみてる。
 さあ、それから二駅もどって、上福岡駅でおりて、

 スーパー銭湯は小江戸はつかりにいき、温泉ざんまい。

 ざっばーんの湯、つぼゆ、漢方サウナ、ガンバン浴などをめぐる。

 そのあと、「つかれたから早く帰ろう」「年寄りを大切にしろ」「狭い部屋でタバコすうな」と訴える大先生の言葉をみなでそろって無視して、Eジくんがあさ渋滞でバイクをすてた地、朝霞台で途中下車して宴会(言うまでもなくAジ君は下戸)。

 気がつけば、私の意見よりも、ゼミ長の意見が尊重されている。
 
 何かおかしい、このゼミ。
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DATE: 2007/11/25(日)   CATEGORY: 未分類
徳川な連休パート1
 連休初日は徳川ゆかりの寺をめぐった後、国立博物館で開催されている徳川展をみにいった。これはじつはすごい因縁なのである。

 なぜなら、国立博物館は徳川にゆかりの地。

徳川家康が江戸を都に定めた時、天台宗の高僧、天海大僧正は江戸の鬼門をまもるため、上野の山に寛永寺をたてた。

 そう、国立博物館も大噴水も、動物園も、上野の森美術館も、東京都立博物館も国立科学博物館も、上野中学校も、み~んな、かつては、広大な寛永寺の寺域だったのである。
 もちろん江戸最大の寺で、上野のあたりはいろいろな遊楽があることから、一日たのしめるというので、ヒグラシの里、日暮里ときたもんだ。

 寛永寺は将軍吉宗、綱吉などの歴代将軍の半分が眠り、つまりは歴代将軍が文字通り体をはって江戸を侵入してくる魔よりまもっている土地である。

 しかし、この江戸最大の寺も、明治元年の上野戦争により、明治政府軍に焼かれ、烏有にきした。
 上野の山の中心部は新政府に没収され、寛永寺関連の遺構は、上野公園をぐるりと取り囲む形で、かろうじて残っている。

 連休初日、有志数名とともに、この寛永寺の残骸をたどる。
 上野駅をおりると、まず天海の遺髪をおさめた塔にお参りする。天海の体は日光山にあるので、遺髪がかわって東叡山寛永寺を守っている。

 ところが、この遺髪塔のすぐ近くに、あの西郷どんの銅像がある。

 かつて徳川のイメージのみちあふれていた上野は、戦災によってその中心部を失い、西郷どんによって完全にそのイメージが消された。

 今や、上野の顔は徳川ではなく西郷どんである。

 これについては、天海の遺髪塔のそばにあえて西郷どんをすえることによって、天海の呪力を封じる意味があったという。

 次に、京都の清水寺をうつした清水観音を参拝する。
 東郷平八郎の手になる千手観音という扁額がまぶしいが、すべてのいきとしいけるものの命を救うという観音様の名を、軍神がどういう気持ちで書いたのか、その心境をききたいものである。

 そして、琵琶湖のコピーである不忍池におりる。
 寛永寺は比叡山のコピーなので、琵琶湖も、琵琶湖の竹生島にまつられる弁財天もきっちりと、中島に勧請されている。そこから、家康様を神とまつる東照宮にいく。

 この東照宮は五重の塔ともに寛永寺の面影を残す唯一の建造物である。初期の東照宮らしく、天海の紋である三宅輪法がいたるところにみられる。

 次に、寛永寺にいく。 あれ、寛永寺焼けたんじゃないの? と疑問をもつ方は正しい。
 今の寛永寺は昔の残映のようなもの。
 国立博物館の平成館の裏手に昔の繁栄からはほど遠い規模(30名規模)でちまっと鎮座している。しかし、この建物は川越の喜多院から移動してきたもので、当初のものではない。
 ついでにいえばこの寺、まったくやる気がない。何も公開してなくて、ホームページすらない。

あ、こめん、墓の宣伝はしている。

 かつて、将軍家の霊廟だった土地を一般用に分譲しているのである。分譲する際、そこにあった多数の灯籠は全国に散逸し、「東叡山」(寛永寺の山号)の銘はいった多数の将軍霊前奉納灯籠が日本中にちった。

諸行無常である。

 ついでにいうと、この散逸には西武の堤康次郎が手を貸している。先々代の寛永寺の住職が堤さんと懇意だったのだ。

 増上寺についで、堤さんと西武はここでも将軍家の遺産にしっかりくらいついたね。

 徳川家霊廟は公開されていないが、きわきわまで一般の墓地が分譲されているため、そばによって中をのぞき、宝塔を目にすることはできる。このあたりで日が沈んできて、カラスがかあかあないて、ものがなし~い雰囲気になる。

 徳川の御代は遠くなりにけり。
 そのあと両大師(慈恵大師・慈眼大師)をまつる寺を訪れるも、すでにしまっていた。このやる気のなさがまさに天台宗っぽい。

 それから国立博物館の大徳川展にいく。いい加減夕方なので空いているハズ。

 突然ですが、人生には三つの坂がある。

上り坂、下り坂、まさか
 
 まさか。いい加減夕方であるにもかかわらず、入場制限をしていて会場に入るのが一時間二十分まちだという。国立博物館に入るのに、一時間以上待たせる国、どこにあるんじゃ。

 仕方ないので、喫茶店でお茶飲んで時間をつぶして、再びトライ。

今度は三十分待ち。

経済の破綻した国じゃあるまいし、なんでこんな寒空で行列つくらにゃならんのだ。平成館の前の広いスペースはじつは、この人員整理のためのものであったことに気づく。

 素晴らしきかな、日本の文化行政。
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DATE: 2007/11/21(水)   CATEGORY: 未分類
「いくつかある選択肢の一つ」
ここ数年、学生の口からよく聞く言葉がある。

それは、「いくつかある選択肢の一つ」

具体的な用例をいえば、

「僕にとって△△はいくつか興味があることのうちの一つ。今は××に興味がうつったので、もう△△はやらない。」

てなカンジ。

 就職先とか、勉強内容とか、資格試験とかに何を選ぶかというシチュエーションにおいてじつによく用いられる。

 彼らの言う「選択肢」とやらは、相互にまったく脈絡がなく、何をめざしているのかさっぱりわからない。さらに、この選択肢はじつに簡単に増減する。

 浅く広くいろいろなことに興味を持っているといえば、聞こえはいいが、何かをやりとげるための根気がないともいえる。


 そもそも、学生は人生経験浅いから、対象をみきる能力も、ものごとをやりとげる根気もいまだ備わってはいない。

 興味をもつ対象がやまのようにあるわりに、どこにも着地できないのは、対象に問題があるからではなく、当の本人に問題があるのである。

彼らは、ただひたすら、ネットなどから得られるきれぎれの情報やイメージをもとに、これも違う、あれも違う、といろいろなものを手にとっては、ごうまんにうち捨て、「自分にぴったりあったもの」探しをする。

 「自分」なんて、どこにもないのに。

 育てなければ、自分なんて永遠に何もないままなのに。

 ネットでひろうバッタ情報のつまった脳みそで、ありもしない自分にあったものを追い求めているのをみると、彼らの行く末が不安になる。

 バッタ情報の海におぼれ、転職をくりかえし、離婚・再婚をくかりえしはしないかと。

 人や仕事を天秤にかけるまえにやるべきことがあるだろう。
 まず、自分がどれほどのものなのかを見定めるべきなのだ。

 やり方は簡単。

 もし彼女がほしいんだったら、自分が理想の伴侶に求める条件を言う前に、自分がそのような女性に愛されるような条件があるかを考えることである。

 もしどこか素晴らしい就職先を考えているなら、あれこれ就職先にケチをつけるまえに、自分がその会社の社長だったとして、自分を取りたいとおもうかどうかを考えてみることである。

 こうしているうちに、自分は「いまだ何者でもないこと」に気づくだろう。そして、自分ができないことをできる人を、尊重することができるようになる。(いっとくけど、私を尊重しろとかぃう話ではないですからね)。
 
 私は自分が子育てをしたことがないから、子育てをした女性を尊敬するし、自分が不器用だから、細かいせんさいな仕事ができる職人を尊敬する。文系だから理系は無条件に尊敬するし、怒りっぽいから、温厚な人を尊敬する。
 そして、ささいなことで無意味に落ち込むから、いつでも明るいオカメインコを神だとおもう。

 世の中には自分のできないことをできる人がいる。自分の知らないことを知っている人がたくさんいる。

 これはまさに福音なのである。

 自分とはまさに他者との関わりの中で、他者に必要とされ、他者を必要とする中で育っていくものなのだ。

 どんな人からでも、物からでも、人は学ぶことができる。どれ一つとして、興味がなくなったから、といって否定したり、捨て去ったりできるものはない。

 あれこれいろんなものに手を出しては捨てを繰り返し、不毛な自分探しをするよりも、今目の前にいる縁を大切にして、他者を尊重し、その中で自分を丁寧に育てていくことがよほど幸せな人生が送れるはず。

 人生はメニューのリストを選んでつくるコース料理ではない。

 人や物や情報を商品のように傲慢に扱うものは、永遠にその対象から祝福を受けることはない。
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DATE: 2007/11/19(月)   CATEGORY: 未分類
母の郷に娘かえる
母方の親戚の法事で小倉にいく。
 羽田から離陸すると、羽田沖の空港拡張工事のためのうめたて現場の全容がみえる。
この海をうめたてるために房総の山がいくつも消えるのだ。
で、北九州空港にランディングする。これまた開業したばかりで、市内から遠い海の上にある。
海をわたる橋が一本、陸地と空港島をつないでおり、車の宣伝に使えそうなかっこいい風景であるが、強風がふけばイッパツで通行止めである。

 聞くまでもないが、どうせどこぞの代議士がどこぞの建設業者と手を組んで、こんなとこにつくったんだろうな。こんな市内から遠いと、福岡空港使っても時間変わらないよ。

 法事の後、紫川のルミナリエを望みつつみなで会食。
 子どもだった頃、法事の宴席といえば、久しぶりに顔を合わせるいとこたちと遊ぶのが楽しく、上座で話をするオトナの男たちを、
「なんであんなつまんない話して、苦い水(ビール)のんでいるんだろう」と思っていた。
 しかし、オトナになった今、なぜか、その上座で、ビールをのみつつ、法事の席に呼ばれたご住職相手に日本仏教の未来を憂いてるわけだから、歳はとりたくない。
 しかし、基本的には母方の親戚は穏やかな人達ばかりなので、なごむ。

 紫川には長崎にぬける長崎街道の入り口がある。江戸の昔、この道を、長崎から上陸した象が江戸まで歩かされたそうな。動物虐待じゃー。
 夜はまったりと親戚トーク。翌日午前四時に目が覚めて、本棚をふとみると『ある小倉日記』(松本清張が芥川賞とった出世作)があるのが目にとまり、思わず手にとってよむ。
 その中に広壽山のご住職の話がでてくるが、これ昨日法事にきてくださったお坊さんのお寺である。さすが藩主の菩提寺。 芥川賞の中にまで登場している。

 小倉藩は譜代大名で、明治維新の折、幕府方についていたので、明治になってから大変だった。父方の祖先も淡路島で武士をやっいたので、バリバリの佐幕。葵紋をみると、わくわくするDNAはおそらくはこのあたりに由来するものと思われる。

 そして、その日は学会。何か久しぶりに古巣のゼミの先輩・後輩がせいぞろいしてなつかしかった(てか、私が学会さぼっているから勢揃いしないという説もあるが)。
 昨日からものすごく冷え込んで、学会会場も異状に寒い。九州大学で長年にわたりモンゴル年代記を研究されてきた森川先生も、今年で定年だという。それで、会場が九大になったのか。みわたすと、自分が若手だったころに、さっそうとしていた先生方は大家になり、同年代の学者はいまや学会をささえる中核メンバーになりつつあり、またもや歳を感じる。
 ま、私は何もしてないんだけど。
 総会がおわると、早々に福岡空港にむかう。セキュリティをとおって搭乗口にむかうと、後ろから「イシハマさん」と呼びかけられる。学会メンバーのどなたかが、同じ時刻の飛行機かなと思ったら、別学科の某先生が別件で九州にいってかえるところであった。私の飛行機の方がさきに出発するのでそうそうにさよならしたが、びっくりした。

 家にかえって親戚から朝もたされたおみやげをみると、

 下関フグの唐揚げ(冷凍)

 当然もう解凍しまくり。

 いーわー、このえーかげんさ。
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DATE: 2007/11/15(木)   CATEGORY: 未分類
ありがとう
今日、十一月十五日は、ごろうちゃんがわが家にきた記念日である。

十年前の今日、ごろうちゃんはわが家にはじめてやってきた。

この十年、本当に、たくさんの幸せを彼から授けてもらった。

十年後を彼とともにこうして無事に迎えられたことを、世界中に感謝します。

誰かはわからないけど、そうしてくれた誰かに、心の底からの感謝を捧げます。

ありがとうございました。


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DATE: 2007/11/11(日)   CATEGORY: 未分類
レパードにチベット語搭載
一部では非常に有名なことであるが、わたくしのダンナは筋金入りどころか、筋チタン製の気合いの入ったマカーである。

マックエキスポやってた頃は毎年いっていたし、新製品がでるたびに、盆と正月がいっぺんにきたかのように

「うほほほほほほ」と喜び、

マックを使うことがいかに文化人の証であるか、ウインドウズがいかに使えない機械であるのかを語らせると、三日三晩はとまらないという男であった。

彼は15年前からMacにチベット文字をのせるための活動を行っており、技術者と協力してMacの上でチベット文字を使えるソフトを開発して大谷大学を通じて頒布していた。

なので、Macのチベット文字フォントはうちのダンナのデザインが入っているらしい。

で、ついこの間、Macの新しいOSレパード(豹)が世界に向けて発表された。で、このレパードには最初からチベット文字がうごく機能が搭載されているらしい。

レパードの発売日、ダンナ周辺のオタクは異様なもりあがりをみせるが、世間はもりあがらない。

 そこで、ダンナはこういった。

「あなた、ブログにこのこと書いてくれない?」

私「でもわたしマックつかってないし、OSがなんだかもわかんないし。」

ダンナ「じゃあ、説明するよ。あのね、今度発売されるレパードには最初からチベット語が搭載されているの。今までは、大谷大学から頒布するソフトつかわなきゃならなかったのに、今度は最初から搭載されているの。関係者がアップルと協力したからこそ可能になったことなのよ。早い話が、ボクの造ったフォントが世界中のマカーにいやおうなしに届くようになったわけ」

興奮を抑えられないのか、ダンナはたちあがって語り出す。

私「そんなすごいことなら、なんで私ごときがブログ書いて宣伝しなきゃならないの?」

ダンナ「いや、いろんなところがトラバすると検索にひっかかりやすくなるから」

しょぼ

(* チベット語機能搭載の記者会見のプレゼンはこちら)
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DATE: 2007/11/07(水)   CATEGORY: 未分類
専門家受難の時代
最近どうしてかポカが多い。

三年生のガイダンスの日を助手にまで聞いて6日と確認したのに、確認したカレンダーがなぜか十二月のカレンダーだったので、「六日、あ、木曜日だな。」と、脳みそが木曜日と記憶したので、すっぽかしてもうた。

 このカレンダーたしか数日前、うちのダンナがめくったものだ。やつは、NovemberとDecemberの綴りの違いもわからんのか。大学の先生のくせして(カレンダーは舶来おとりよせオカメインコカレンダー)。

 仕方ないので、必修授業で全員あつまるところであやまって日を変更してもらうことにする。

 いい加減自分がいやになっていたきたので、せめて土曜日の東急カルチャーの授業準備だけでも、今からやっておこうととりかかると、今日、生徒さんの一人からメールをいただいて、それに対して今週おあいできるのを楽しみにしています、と書いたら、

「先生今週は授業ありません」

え、でも手帳に書いてある。「東急BE」って。

確認してみたら、やはり今週は授業がない。

このようなナゾのメモが残されることとなった背景には確かこんなことがあった。

本来予定されていた講義は17日だったのだが、その日が九州で行われる伯父の法事と九大のモンゴル学会と翌日がこれまた九大の内陸アジア史学会だったので、日を変更してもらったのだが、その最初の候補日が10日でそれを確定するまえに手帳に書き込んだのがそもそもの間違いだったもよう(実際の変更日はもっとあと)。

予定があるはずの日をないと思い、
予定がないはずの日をあると思う。

仏教では
あるものをないというゴビュウを、損減
ないものをあるというゴビュウを、増益という。

つまり、わたくしのスケジュール管理能力は損減と増益まみれということ。

こんなことではだめだああああああ、というわけで、
京都のダンナに泣き言をいうべく、電話をかける。

確か勉強会しているとかいっていたが、こっちの法が重要である。気にしないこととする。

迷惑そうに電話口にでたダンナに、

「で、増益と損減だったのよ~」とグチると

「今調度テクストで、増益と損減の議論を読んでて、頭悩ましていたとこ」

 「あっそう」

何か気がそげた。

話変わって、沖縄戦の集団自決において国がかかわっていたかをめぐる問題で、今日こんなニュースが流れた。

「専門家に話しを聞く」

これまで聞いてなかったんかい! いや、ひどい話だね。教科書を政争の具にするなよ。最初から客観的な史実にのっとって教科書は記されていたのでないのかい。

いまごろになって専門家に聞くってことは、それまでは「自分の主張」を史実だといっていたわけだ。

困った人たちだよ・・・・。

一般にいえることだが世の中の「常識」といわれものの大半は、なんとなーく、みんなそう思っているだけで、その根拠は薄弱。

 私がたとえばチベット関係の新聞記事やテレビ番組なんかみると、オイオイオイと思うことは数おおい(昔よりはましだけどね)。

 専門でない仏教ですら、非常に著名な人が書いていたり、発言していたりするものの中には、明らかに間違いを認めることもできる。

 しかし、これが公器にのって流れてしまうと、原典をしらない、あるいは知識のない人々はこれをもとに「常識」「知識」形成していく。
専門家一人が「ちがってるよー」と叫ぼうとも、公器にのった謬説はおひれをつけて、一人でおよぎだし、しまいには、大魚となって大海をうねりだす。

 専門家が、がんばんないからだ、というご批判もあろうが、
大学では、その原典をよんだり、積み重ねの必要な古典的な学問をやっている専門家をどんどんへらし、てっとりばやく客のとれる、しかしてそれをやったからといってだからどーした、みたいな学問ばかりを大事にする。

 わたしなんてねえ。みんな、チベット仏教の専門家と思っているけれど、ちがうんだよ。本当はね、歴史家なんだよ。チベット語と満洲語とモンゴル語と漢語つかって歴史文献よむのが本業なんだよ。でもね本業の方で一般から仕事くることってあんまないんだよね。

 もっと専門家を大事にしようよ。

 評論家やコメンテーターや新聞社の解説員って、結局は「常識」の範囲内で発言するしかない人たちで、それが、視聴者に影響を与えて、また、それがコメンテーターの発言に影響・・・って、こんな循環不毛じゃない?


原典がよめて、オリジナルの情報を手に入れることのできて、研究対象に一日を費やしているものこそが、本来その対象にコメントできる立場にあるものなのである。あ、もっとも、研究対象から金もらって、その金もらった人のいいような研究するような学者はブーね。

その点、チベットなんて、こっちがお金だすことはあっても、向こうがくれることなんて絶対ないもんね。

なにせ、国ないから(いっててむなしい)。
 
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DATE: 2007/11/04(日)   CATEGORY: 未分類
復活のとき
食欲がない、眠れない、前向きになれない、この状態が一週間以上続くとウツとかいうらしいが、四日間で普通の気分にもどったので、ただの気分の波だったもよう。

 ああ、よかった。
 
 
 やっとウン年がかりだったツォンカパ伝を二日にようやく入稿し、英文書評も三日の午前にメールでおくったので、一息ついた。
 
 中でもツォンカパ伝の入稿は思いもひとしおである。

 ツォンカパ(1357-1419)はダライラマが属する宗派ゲルク派の開祖である。その生き方と著作は現在にいたるまでチベットの大半の僧侶の範となっており、その歴史的影響力は限りなく大きい。

 今、チベット最大の年中行事として知られるムンラム大祭もこのツォンカパの創始になるものである。

 思えば、ツォンカパ伝の一つを最初に読み出したのは十年以上前のことであった。

 チベット語の読解力をつけたい、というチベット語比較的初心者の二人の学生とともに(わたしも学生みたいなものだったが)、文学部の大学院のサロンで三人で読み出したのだった。

 
 その時はこれをどこにも発表する気もなかったので、読んで意味がわかったら読みっぱなし。文字に起こすことすらしなかった。三人で週一回、サロンの椅子にすわってひたすら大量に読み進み、解らないことがあると、「わかりませんねー」ととばし読み。

 三人ともオタクだったので、結構すぐに読み終えたような気がする。

 そのあと、公表を前提に訳をつくりだしたのが、五年前のことだった。

 来年の二月に出版するのは、星の数ほどもあるツォンカパ伝のうち、彼の在世中に書かれた限りなく同時代史料の四篇である。このうち最初のものはツォンカパ本人の自伝、次のはツォンカパの直弟子ケドゥプジェの手になるツォンカパの外伝(三人で読んでいたやつ)、もう一つは同人の手になるツォンカパの内伝、最後はツォンカパの身辺にはべって数々の不思議を目にしたジャムペルギャムツォの手になる別伝である。二番目の外伝以外は比較的短い著作である。

 訳してみてわかったが、別伝は内伝と外伝を引いていて、内伝は外伝に言及しているので、これらの伝記の中核部分の成立順は、外伝、内伝、別伝となる。また、外伝と内伝のツォンカパの台詞が現在形で、別伝には死の床のエピソードがあまり述べられていないので、この三つはツォンカパの晩年、まだ在世中に書かれた可能性が高い。

 外伝にのみ死の床の状況が詳細に述べられるが、その直前に明らかに一回筆をおいた形跡があるので、死の部分は後に付加された可能性は高い。

 一人の僧が戒律を授かって僧になり、多くの師について様々な哲学を勉強し、時にはその内容を身につけるべく窟籠もりをし、弟子集団が形成されはじめ、大本山ガンデン寺の建立にいたる伝記の記述はただ読んでいても楽しい。

 学術飜訳は商業飜訳と異なり、正確さと緻密さが要求されるため、面倒臭いことも多ぃが、内容が面白いのでやりがいはあった。

 見所は、外伝にある彼の人生の総評部分。ツォンカパの登場によって、それ以前と以後でチベットがどう変わったのか。それが、弟子の視点から情熱的にうたいあげられていて、読んでいて迫力。
 
 一人の宗教的天才のマーヴェラスな生涯は何事もなければ来年二月には、書店にでる予定。ツォンカパの生涯をつづった15枚の美しいタンカもついて、表紙も、チベット風の美しいものになる予定〔これから考えるんだけど 笑〕。

 時間をかけて暖めてきたものなので、その日が今から楽しみである。

 十年以上前に最初に読み出した時の原文テクストは今でも手元にある。これと比べると、当時は解らない、読めない、とされていた部分が今はずいぶん読解できるようになっていることが解る。

 でも、今もももちろん、不明な部分はあるので、あと十数年たってもっといろいろなことがわかり、読解力もました暁には、この訳でも不十分とおもう日が来るのかも知れない。

 この、「昨日わからなかったことが今日はわかる」、「積み上げていく」カンが、学者をやっている醍醐味なのだとおもう。
 
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DATE: 2007/11/02(金)   CATEGORY: 未分類
「ウォータァー」の結末
 十月の最後の数週間でラフを完成させ、最後の二日間、火事場のバカ力にたよって英訳を行い、十一月二日のこの時点で英文書評はほぼ完成した。

 しかしできあがった英文をみて驚いた。何かアカデミックな書評というよりは、アジ演説みたい。

 そういえばわたくしの英語は、ハリウッドのパニック映画とイケメン海外ドラマをみて養われたものだから、このようなかたよった英文になるのも仕方ないのかもしれない(どんな英語だよ)。

 スーパーナチュラル、セカンドシーズン最終話で悪魔がイケメン兄ちゃんにささやいた言葉をそのまま書評に転用している学者なんて私くらいだろう。

 あと、参照文献をたしかめるために、昨日図書館に行ったのだが、そのまえにちょっとショックなことを聞いたので、そうでなくとも無理な負荷のかかっていたわが脆弱な脳細胞はその時点でみごとなウツ状態に突入した。

 図書館でなんどもうずくまりたくなる衝動をおさえながら、よろよろとうちにかえるもシステムダウン。
 なんとか一両日中にこれを手元からはなそうと、今もスペルチェックをしている。しかし、まあミススペルがでるわでるわ。士気は下がる一方。

 おそらく文法もあぶないな。

 しかし、日本の優れた研究を無視している外国の研究者に、わたしの英語を笑う資格はない。

 とにかく、もういいや、これで。もういいや。
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