白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/12/31(月)   CATEGORY: 未分類
今年の十大ニュース
今年も残すところあとわずか。
いつもこのぶろぐを御覧になってくださってる皆様方、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

今年の私的五大グッドニュース

1. 日光・上野・川越と天海の遺跡をめぐることができた。
2. 読み取りソフト(The 読み取り)のお陰で授業準備が格段にらくになった。
3. 6月はしか休校で、大学が思わぬ休みに入り嬉しかった。
4. 11月酉の市の日に御嶽山神社で、一番大吉をひいた。
5. 12月14日午後十時四分、双子座流星群のピーク日に巨大な火球をみた。

以上の詳細については暇な方、今年のぶろぐを読んでくらはい。


次に、いいこともあった悪いこともあった

今年の世界五大ニュースwith私的解説つき

1. 10月、ダライラマ猊下、アメリカ下院議会からゴールドメダルをゲット! カナダとイギリスとオーストラリアの首相もダライラマと公式に面会。日本でも民主党の鳩山由紀夫議員がダライラマ猊下と面会。

 解説: 北京オリンピックに向けて浮かれる中国に、世界は人権問題を忘れていないことをアピールするためどす。

2. 10月、ノーベル平和賞をアル・ゴアがもらう

 解説: 世界最大の二酸化炭素排出国のアメリカに対するいやみ。ブッシュ政権も死に体なことだし、世界がやっと温暖化にむけてナントカしようと思い始めた元年。でも、この問題、日本は十年前から取り組んでいたんだよね、エライ!


3.九月、ミャンマーの軍事政権が僧侶のデモを軍事制圧。日本人ジャーナリストも銃殺。

 解説: 僧侶が社会的に高い地位にあるミャンマーにおいて今回のデモの意義は大きい。経済優先の日本では、治安を安定させてくれる軍事政権はかならずしも悪い政権ではないらくし、長年にわたりジャブジャブの援助をつぎこんできてまーす。でもね~、これって、リンカーンが奴隷を解放しようとした時、地主たちが「理想としてはわかるけど、経済的にはやっていけないから、奴隷制はあった方がいい」っていってるのと同じだね。なんかアレレな話だよね。


4. 12月、パキスタンのブット元首相暗殺。パキスタンの民主化混迷。

 解説:「真のイスラーム教徒は女性に暴力をふるわない」といっていたブット元首相は暗殺されてまいました。暗殺者はむろんイスラームの神様には受け入れられず、地獄おちでしょう。ガンディーもキングも牧師も、みな暗殺された。こういう人たちに共通しているのは、「自分たちは正しいのだ。だから、逃げ隠れはしない」という輝くばかりの自信。でもね、逆に言うと相手は「正しくない」からこそ、どんなことでもする可能性があるんだよ。最初の暗殺未遂の後は公の場での選挙活動はやめておいた方がよかったと思う。死んだらもとも子もないもん。


5.京大の先生、ips胞をつくることに成功

 解説:受精卵を使わなくてすむので、人の命をひきかえに、別の人の命を救うという矛盾をおかさなくてすむようになるとな。韓国の某教授がES細胞でねつ造論文書いたばっかりだっために、「またアジア人がウソ言っている」と言われないように、再現実験を何度も繰り返したのだそうな(笑)。 

よいお年を!
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DATE: 2007/12/28(金)   CATEGORY: 未分類
カンタンにモノ買うな
回覧板で「年末年始ゴミ収拾のお知らせ」がきた。見ると、年内の収集日はとっくにすぎている。意味があるのは、年初の情報のみ。

 わが家の周辺にはいくつかゴミ集積所があるが、そのどこにも年末年始の日程は掲示されていない。これが初の告知である。ここは一つ、区のゴミ収拾課にゆってやらねばなるまい。

 ぴぽぱぽ。

 収集係の人「はい、こちら○×区の収集係です」

 私「今回覧板で年末年始のゴミ収集日程がきたんですけどね。もう年内の収集終わっているじゃないですか。わが家は回覧板三軒目にまわってきてこれですよ。もう少し早く告知してくださいよ。それに十月から不燃ゴミの収集曜日がかわつたのにそれもはっきり告知しないもんだから、今日は来るのか来ないのか、ゴミをだしたりひっこめたりする人がこのあたりに一杯いますよ。」

 係の人「九月に○×区報にものせて、各家庭にチラシをいれてますが」

 私「区報やチラシで告知しても完ぺきな周知はできないですよ。集積所に告知の紙一枚貼ればいいじゃないですか。それが一番効果的ですよ」

 係の人「チラシについては申し出ていただければ差し上げますので。」

 私「誰かが申し出るのを待つよりも、現場の人が集積所に貼っていく方が効率的じゃないですか。」

 係の人「いやそれを貼ることにより、個人の財産を傷つけられた、汚されたと苦情をいう方がいるんですよ」

 私「それはおかしい。収集日がはっきりしなければ、収集車の来ない日にもゴミをだす人が必ずでてきます。そのようなゴミによって迷惑するのは結局は集積所となっているお宅なんだから、張り紙に異を唱える人はいないでしょう。」

 係の人「それが、十月に入って燃えるゴミと燃えないゴミを一括して集めるようになってからゴミの量が格段にふえまして、集積所にされているお宅からの苦情も増えているんですよ。」

 私「だったらなおさら」

 ここにきて、係の人ホンネモードに突入。

 係の人「チラシを貼るとそこが集積所であると不特定多数の人に知られてしまい、関係ない人までそこにゴミを不法投棄するので、チラシを貼るなと言われるんです」

 つまり、集積所にされた家の人は、自分の家の前に大量のゴミが積まれることにうんざりしており、ご近所の手前言い出しにくいが、やめたいというのがホンネなのだ。なので、誰もがゴミ置き場とわかるような目印をつけることをやめたのだ。

 収集係の苦衷もわかったので、電話を切る。

 つまり、問題の本質はわれわれの社会があまりにも大量のゴミをだしすぎるということろにあり、収集係の優柔不断とか、不法投棄者のモラルの低さとかはある意味二義的な問題と言える。

そもそも可燃ゴミと不燃ゴミを一所に集めだしたのも、最終処分場の延命のため。東京湾にいくつもゴミの島つくってももう一杯一杯なのだ。そして、当然不燃ゴミまでもやすから焼却場はフル稼働。処理がおいついていないのが現状のよう。そういえば同僚のK先生が、ペットボトルをリサイクルして、フリースつくっても、そのフリースが古くなって捨てられたらそれも結局ゴミですよ。とおっしゃっていた。リサイクルされているゴミですら、これである。不燃ゴミはいわずもがなである。

 江戸時代、江戸前寿司のネタを提供してくれた白砂青松の江戸前の海はいまやゴミの島に覆われている。

 明らかにこのままつきすすんでいけば、人類の文明はマズイ領域に突入することは明白。わたしはもう年だから逃げ切れる可能性はあるが、今若い人たちは逃げ切れないかもしれない。
 
 なので、ゴミになることを考えてカンタンにプラスチック製品を買うのをやめよう、また、できるかぎり土に還るものを使おう。

 そう思った年の瀬なのであったった。
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DATE: 2007/12/25(火)   CATEGORY: 未分類
ミニラスベガスの夜
 昨晩、川崎のシネコンに映画をみにいった。うちから一番近いシネコンはなぜか川を渡った向かいの川崎。

 川崎駅前はクリスマスイブということもあり、みょうな人でであたたまっている。

 駅前には聖歌隊がたってクリスマスキャロルを歌っている。

 前をとおる時、観察してみると、神父さんは韓国語でしゃべっていた。
韓国教会か。

 そして気づくと前を歩く二人の若い女性の会話は中国語。

 シネコンに向かう道をはいると、そこでティッシュをくばっている黒人の男たちは、英語でない何語かで会話。

  シネコン周辺は完全にアメリカ文化に制圧されているので、以上により、

 川崎はミニラスベガス。と結論。
 
 シネコンの前には小さな舞台があり、そこで女性のヴォーカリストが歌を歌っている。すると、上から雪のような白いものが落ちてきて、ライトに照らし出される。

 私「人工降雪機かな。それとも雪風にみえればなんでもいいアワかな。もしアワだとすると、カーペットクリーナーのアワににている。だとするとあそこの人たちカーペット・クリーナーのアワかぶってるのかな」

 ダンナは、開演時間がせまっていることに気を取られて応えない。
 
 見にいったのは「ナショナルトレジャー リンカーン暗殺者の日記」
 ナショナルトレジャー・シリーズは、ダヴィンチ・コードと同じタイプの歴史ミステリーで、陰謀史観・秘密結社・暗号・宝物など、歴史オタクのツボを刺激するさまざまなしかけにみちている。

 歴史ものなので、アメリカ史を多少は知っておいた方が当然楽しめるが、それをまったく知らずとも、登場人物の人間関係を観察するだけでも結構面白い。

 それに、ディズニーが配給しているので、事故以外では人が死なない。動物も死なない。また、本当の意味での悪人もでない。あのどこぞの20centuryFOXの24のように、敵味方関係なくしがらみでバタバタ人が死んでいく荒んだドラマよりも遙かに安心してみていられる。

 なによりこの映画の自分的なみどころは、主人公のベン・ゲイツが歴史の秘密に向かうときの好奇心にみちた情熱。

 ていうか、主人公の一族はアメリカの裏面史を語り継ぐオタク一族だし、主人公の彼女アビゲイルは国立アーカイブの研究員だし、お母ちゃんは古代アメリカ文化の研究者だし、全員が筋金入りのオタクである。

 この中核メンバーが、普通人にはオタクすぎるディープなネタをあつく語り合う様が、そしてそれについていけない一般人が遠巻きにしてみている様が、この映画の見所なのだと思う。

 まあ、夫婦でチベット研究しているわれわれも、はたからみるとこの人たちみたいなもんかな。

 映画のあとはバーミヤンで食事。イブにバーミヤンというのはミスマッチなのか当然がらがら。コカコーラ三本をクリスマスプレゼントにもらう。西洋料理のレストランは、クリスマスディナーと称していつもの倍の値段をつけているというのに、中華は謙虚である。

 帰路とおった教会の前には「神はその一人子をつかわされるほど、人類を愛していた マタイ伝」(記憶に基づくためあいまい)との掲示が。
 
 そうだよね、その愛にこたえるべく、神様に嫌われないようにしなきゃね。人類。
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DATE: 2007/12/22(土)   CATEGORY: 未分類
お気楽ゼミの平和な打ち上げ
木曜日はゼミの打ち上げ。

 人望あついAジ君がゼミ長をやってくれているおかげで、集まりもノリもいい。

 打ち上げの直前に卒論の相談窓口を開設したが、ゼミ生はゼロ次会に行っているのか二人しかこない。「じゃあみんな卒論は完璧にすすんでるのね」と、学生を信じられないわがみが悲しい。

 
 しかし、暮れは四年生が卒論山場であるにもかかわらず、それをすっかり忘れて打ち上げをやろうといったのは私なので、何もいえん。
 
 予約が遅かったので九時からの部しかなく、それも前の人がなかなかたたないので、寒い外でおしくらまんじゅうでまつ。

 私「前の団体のまわりを囲んでオルグすればいたたまれなくなって早くでていかないかな」
 Eジくん「また、そんなロシア語のオタクな言葉をつかう」
 私「また、一つ歴史的な言葉を覚えたじゃん」
 K子ちゃん「どうせ飲んだら忘れちゃいますけどね」

 というわけで二十分おくれで店になだれこむ。学生街なの食べ放題飲み放題3000円。ビールもウーロンもピッチャーでたのんでとりあえずのむ。よっぱらってくると、人の注文が聞こえず、自分が注文する時は他人のものまで気を遣ってやるので、いつのまにか食卓の上には似たような料理の山。

 Eジくん「みんな聞いて、もうこれ以上料理頼むの禁止。食べる方にまわって」
 私「途上国の子供たちは飢えてるのよ。最後の米の一粒まで食べなさい」
 みんな「えー、もうお腹いっぱいですよ」
 仕方ないので、挨拶によっただけのT君を
「食え」と座らせる。
 当日になって参加をきめたK君やとつぜんのT君の来訪により幹事のYくん若干混乱気味。椅子もなくなり、床に直接座る人まででてくる。

 幹事のYくんとりあえずT君から会費奪取に成功。

 そして、人生の縮図クリスマスプレゼントの交換である。
 500円以内の小プレゼントをみんなで用意して、くじで誰にあたるか決めるのだが、このプレゼントの内容が毎年面白い。
 Eジくんは読むとウツになるという夏目漱石のナントカ(よっぱらってておぼえませーん)。Mちゃんはダージリンでかったチベットのルンタ。急遽参加をきめたK君は、ババ駅前の百円ショップでかってきたターメリック(うこん)五本。

 そりゃ、これでも五百円だけど、プレゼントに調味料というセンスもさることながら、全部同じというのにもあきれる。もらったK子ちゃんは困っている。

 私「なんでターメリックなの」ときくと、「飲むと肝臓弱るじゃないですか、だから、ウコンですよ。」
 みんな「・・・・・」

 しかしそのK子ちゃんのプレゼントもどら焼き。クリスマスにどら焼きというセンスもすばらしい。でもSくんのテイジン音頭のDVDよりはましかもしれない。

 早稲田125周年記念事業の学生委員をやっていたAちゃんは、それらしく125周年のフラッグがプレゼント。この旗にみなで寄せ書きをすることにするが、Eジくんのコメントがおっさん臭いという点で光っていた。

 「ダメ人間ばかり。でもそこがよい」

 ちなみに、私の書いたコメントは

 「よっぱらってまーす」石
 
 「センセー空気よんでくださいよ」「酔いがさめた時みるとウツになりますよ」と言われる。

 しかし、この旗、その後よっぱらいの中で行方不明となり、現在も杳としてその行方はしれない。

 Happy Holiday !!!
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DATE: 2007/12/18(火)   CATEGORY: 未分類
ジョン・レノンを殺した男
 ベトナム戦争で混迷する世界に向けて、普遍的な平和のメッセージを送り続けていたジョンレノンは、1980年たった一人の狂気の人間が発っした銃弾でこの世を去った。

 その死を世界中が悲しんだ。
 
 そのジョン・レノンを殺害した犯人が、銃撃するまでの最後の三日間を題材にした映画が先週土曜日に封切られた。

 この殺人犯、驚いたことにまだ生きてて(たとえ死刑にならなくとも刑務所でリンチ死しているかと思ったよ)、「ジョンが生きていたら、ボクが生き続けるのを望むと思う」とか言っているという。

 オマエだけはそれゆーな。

 とだれしもツッコミをいれたくなるよな発言である(事実ジョンの妻オノ・ヨーコは激怒した。おおこわ)。

 やりたい放題やっておいて「神は無限の愛である。だから、だから自分は神に許されているのだ」みたいな犯罪者の自己陶酔である。神様もジョンレノンも、勝手にそんなこといわれてもメイワクだと思うよ。


 この犯人、こんな映画までつくっているのだから、よほど人に自分をわかってもらいたいらしい。自己愛が強いのがよくわかる。でも、この映画であんたのことを知っても、あなたを好きになる人はいないと思うよ。

 話変わって、日本でも佐賀のスポーツクラブで若い綺麗な女性と善き父善き夫である男性を散弾銃で撃ち殺した男がいた。

 世間は「犯人が自殺したので動機は不明」とかいっているけど、人生の最後に、自分が手に入れられなかったものすべてを道連れにして死のうとした狂った行動であることは明らか。

 殺人犯が往々にして子供や若い女性をねらい、老い先短い老人とかをねらわないのは、犯罪者が自分の醜さの対極にあるものを、本能的に求めるからである。
 
 ジョンレノン殺害犯もジョンレノンの熱狂的なファンであった。つまり、この佐賀の殺人犯とジョンレノン殺害犯は同じタイプの殺人犯である。
 
 まともな思考回路をもつ普通の人なら、好きな人・尊敬する人ができれば「その人の笑顔がみたい」「幸せになる姿がみたい」と思い、必要とあらば自分を犠牲にしてもその好きな人の幸せを思うものである。

 しかし、犯罪をおかしてしまうよな人は、たぶんどっか(特にノーミソ)おかしいんだろうなー。大体において彼らは己のダメさ加減を客観的に省察する能力に乏しく、なおかつ、「他者は自分の欲望につくすべき」という考えを根底にもち、「自分は~したい。これ以外のことは考えられない。なのに、親が、子が、友人が、彼女が~してくれない」というじつに自利的・利己的な思考回路をもっている。だから、他者を手にかけることに躊躇しない。
 
 煩悩が服きて歩いているよな状態である。

 そもそもこのような考え方をしているから、孤独で仕事も恋愛もうまくいかないのに、彼らは決して自分に問題があるとは思わず、自分の不幸はすべて他人のせいにする。

 だから、彼らが一人称でかたる「ボクはこうせざるをえなかったの。」なんて犯罪の動機など、聞くだけ時間の無駄。一人で独房の壁に向かっていうならまだしも、いばって映画になんかにすな。

 公器にのせるのならもっとまともな思考回路の人間の話にしてくれ。というところで、おすすめが今話題の本である田村裕の『ホームレス中学生』。

 十歳で母親がガン死し、リストラされた父親が蒸発し、13才で公園くらしとなった作者の体験談。こんな過酷な人生送っているのに、この作者明るいんだ。

 詳しくは読んでみれば解るけど、最後になくなった母親へのメッセージがあって、そこにはこう書いてあった(記憶に基づくためかなりいい加減)。

 「いつか誰かがボクをみて、ボクではなく、〔ボクを育てた〕お母さんをほめてくれるような、そんな人間になりたいと思います」

 そして、後書きにはこれまでにセワになった数々の関係者への謝辞がつらねられていた。

 およよよよ(泣)。

 よく犯罪者が罪を軽くしてもらおうと、法廷で「悲惨な家庭環境」「貧困」「いじめ」などをもちだすが、彼のようにそれら全部を経験しても、他者を思う気持ちがなくならない人がいることを考えると、やはり犯罪者とは煩悩のコントロールのできない「業の深い人」なのだと思う。
 
 ジョンレノン殺害犯の映画なんてみても、犯罪者予備軍ふやすだけ。だけど、こういう本は、読む人の心の底になにげに「見返りを求めない無償の愛」の種をうえつけてくれるような気がする。

 さわやかな読後感をお約束します(といいつつ、実はちょっと立ち読みしただけだけで全部読んでない)。
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DATE: 2007/12/16(日)   CATEGORY: 未分類
生老病死を受け入れる
木曜日、大学からもどるとともに、すごい腹痛におそわれた。

くくくくくるしいいいい。

救急車は一回の出動費がウン十万円とかいうので、このくらいで呼ぶのは申し訳ないし、さりとてコンピューターを開いてネットで病院の夜間窓口を調べて、タクシーを呼ぶなどという複雑な手続きはこの激痛の中ではムリ。

とりあえずコンピューターにはってとりついて「腹痛」の二文字を打とうとするが、なかなか打てない。やっと検索すると、様々な状況からみて感冒勢胃腸炎であると思われた。急性期はとにかくころがっているしかない模様。

 ちなみにこの間、空気のよめない餓鬼道(雄猫)はずっと「ごはんをだしくれ~」と私のまわりにまとわりついていた。猫ってつかえねー。もうひとつついでにだが、ダンナに電話したが帰宅途中の新幹線の中だった。

 ダンナ、猫なみ。

三時間もたつと腹痛が徐々におさまってきた。

 翌日すでに腹痛はおさまっていたが、町医者にいく。いつもは高齢の女性ばかりの待合室に、珍しく今日は若い男性がいる。背広でノーネクタイ、疲れ切ってウツロな目をしている。

 その男性がわたしの前に診察室に入り、「お腹にくる風邪ですねー」という先生の声が聞こえてくる。彼は、会計では1100円はらってでていった。

 次にワタクシが診察室に入る。昨晩の苦しみについて縷々のべると、先生「感冒性胃腸炎ですね。はやっているんですよ。さっきの人もそうでしたよ。」そして、会計で

「1100円です」
 
 薬局にいくと、さっきの男性が薬を前に薬剤師さんの説明を受けている。どうでもいいけどこの薬剤師さんいつも元気だよな。弱っている時にみるからそう思うのかも知れないけど。

 件の若い男性は840円はらってでていった。次に私の番になったが、やはり同じ説明でお会計は

「840円です」

 この若い男性、服装や雰囲気からして両親や妻子がいるような感じはしないので単身者だろう。おそらく彼は昨晩たった一人でわたしと同じように苦しんだんだろうな。

 彼は我慢したからここにいるんだろうけど、たとえば高齢の単身者だったりしたら、不安になって救急車を呼んだりすることもあるだろう。一人で理由のわからない激痛にたえるというのは不安なものだ。
 
 そいえば、最近救急車の出動件数がウナギのぼりに増えつづけ、本当に救急措置の必要な心臓病の人とかがでた時に、救急車が間に合わない、なんてことが問題になっている。

 救急通報の激増は、おそらく単身者世帯の増加とは無縁でないな。
 
 お腹がいたくなったとしても、この時、誰かが周りにいるだけでもずいぶんとその不安や痛みはましになる。まして、大家族で、おばあちゃんとかがいて「あー、このくらいの季節にはこういう風邪がはやるのよね」とか一言いってくれるだけで、かなり不安はやわらぐ。少なくとも腹痛かかえてネットを検索する必要はなくなる。

 また、誰か手のあいた人が猫にえさをだしくれれば、少なくとも病人が猫にまで気を遣う必要もなくなる。

 大家族の素晴しいところは、いざという時に、精神的・肉体的に誰かが何かをしてくれる手がある、ということである。

 単身者や夫婦二人世帯とか核家族とかは、とくに、単身者世帯は緊急事態においても、たった一人ですべてに対応しなければならない。こういう時は普段簡単にできることも、できなくなっているというのに。

で、パニクってギブアップして、「救急車~」ということになるのだろう。

 小さな会社は社長がすべてをきりもりしないと会社が倒れるけど、大きな会社は誰かがなんとかしてくれるので、多少なりとも無能な社員がいても、会社はまわっていくのと同じ(もっともこの無能な社員の比率があがりすぎると、さしもの大会社も倒れるけど)。
 
 病気の時とかになると、大家族の価値に気づく。体力のおちてくる高齢者も子供に遠慮してなかなか言えないけどたぶんそう思っているんだろうな。

 でも、社会が効率優先に作り替えられていきつづけた結果、肉体的・精神的に他人に依存しなければいきていけない、病人・老人は社会のやっかいものとしてかたすみにおいやられている。
 
 その孤独感から人は救急車を呼ぶのだろう。彼らを抱きとめるのはもはや温かい人の腕ではなく、公共サービスしかないのだ。

 不安というものは一人で抱え込んでいると生長していく。実は最大の地獄とは、他者とコミニュケーションが断絶した中でおきる自分の中どどうどうめぐりする意識なのだ。

 仏教では悪い行いの結果いきつく先として地獄という領域をとくが、これは外世界では地下に構想されているが、内面世界では煩悩にみちあふれた自己意識をさす。
 
 みなが自己の欲望に忠実に生きる時代、その代価として孤独な自己意識の地獄にのたうつのはある意味仕方ない。

 で、老若男女この自意識地獄からぬけでる道がただ、一つだけある。

 煩悩を克服するのである。

 年をとったら「まあ年とったらこうなるわな。いずれ死ぬな」とあっさりと諦め
 病気になったら「まあ病気になるってのはこんなことだわな」とたんたんと病を受け入れる。ようは、わあわあ言わないことである。

 昔こんな話を聞いたことがある。中国の奥地で宣教師が布教がてら病院をやっていた。そこに三日三晩かけて病の妻をせおって山奥の村からでてきた男が訪れた。

 診察してみるとこの妻はもう手遅れで、宣教師は夫に「あなたの妻はあと数日で死ぬ」と伝える。するとこの夫は「そうですか、では故郷の村で死なせます」と妻をせおってまた帰って行ったという。

 たんたんとしたものである。

 三日三晩妻を背負って歩くのだから夫は妻を愛している。でも、わあわあ喚かないのである。運命を受け入れて静かに生きている。

 じつに品格がある。

 この手の話はアジアではよくきく。

 われわれ先進国の民は、自意識が膨張しすぎた結果、老いや病や死に対して異常に拒否反応を示し、かえって見苦しい醜態をさらしているのだ。

 ちなみに、わたしの腹痛はその後ぶりかえすこともなく、風邪としてもなんてことはないものだった。

 救急車呼ばなくてよかった~。
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DATE: 2007/12/11(火)   CATEGORY: 未分類
私、間違ったことを言ってる?
「チャングムの誓い」(完全版)がいよいよクライマックスに近づいている。

じつはわたしこのドラマはイケメンがいなくてキョーミなかったので通算三話くらいしかみていないのだが、どうも、あのイジワルなチェ一族とか、いままでの悪事が災いしてかなり追いつめられているよう。

そして、生まれる前からいじめられ続けていたチャングムがなんと攻勢にまわってる!

でも、なんたってチャングムだから、可愛い顔して純粋まっしろなアプローチ法で悪党をおいつめてる!

「あなたは一族の繁栄よりも、自分の名誉を重んじる方だわ。すべて(今までの悪事)を告白して。私は間違ったことをいってる?

言ってません。あなたは正しいです。常に正しいです。

しかし、ここまでチャングムが正しいと、悪党が憐れにも思えてくるのが不思議。

真っ黒なキャラが真っ白なキャラをいじめれば、世界は真っ白な方に味方につくだろう。
が、真っ白なキャラが真っ黒なキャラをおいつめても、誰一人真っ黒の側につくものはいない。
しかし、人は本能的にバランスをとりたがるいきものだから、一人でも味方についたろーか、と思うのだろうか。

そう思うわたしもダンナにいわせると、喧嘩をする時や何かを主張する時に、チャングム方式で人をおいつめているらしい。自分でもなんとなくそれやっているなー、と思うこともある。

チャングム方式といえば聞こえはいいが、つまりは原理主義である。こうなると、かなりヤバイ。

で、思いだした。

とあるところから原稿を依頼された。そこには、テーマを具体的に生活にひきつけて説明するようにとあり、最後はこう結ばれていた。

「人は論理に説得されるのではなく、生理感覚に自然に染みないと広く長く継承できない生き物ですから。」

その時、わたしはこの内容に違和感を覚えた。

原理主義者モード、スイッチ、オン!!! 

アムロ、いきまーす!!!

そもそも「人は論理に説得されない」なんてことをいばっていうな。聞くけど、誰だよ、その人って。勝手にきめんなよ。
「論理」こそ万国共通の言語で、万人に通用する言葉じゃないか?
でも「生理感覚」なんてもんは所詮個人の主観じゃないか。

「生理感覚」なんてものは、個人のバックグラウンド、人種、宗教、国籍その他によっていくらでもかわってくるもので、こんなもんで動かされるのは、その人に育ちの近いごく一部の人間であり、動かされる部分も人間存在のごくあさーい部分までだ。


「論理に説得されない」ということは、論理を理解する能力も、自ら論理を構築する力もない未熟な知性を自ら暴露しているようなものだ。

決していばっていうことじゃないんだよ。

といってみたところで、世の中の出版物をみわたしてみると、生理感覚の山ばかり。

みんな、「ボクは私はこう思うの」。みたいな極私的にたゆたう言説ばかり。新書本の最終章にも「~と日本人」「~とわたし」みたいな章が必ずある。

そりゃー、こんな小説や文章ばっかよんでいたら、こどもたちも国際学力判定で、読解力も、分析力もおちていくわな。

なんでもかんでも、身近なものにひきずりおろさないと理解できないとなると、そりゃー生活と関係ない理数系や、文系でも論理学とか形而上学とか歴史とかはどんどん衰退するわな。

「そこにある」ものを、そのものがあるがままの形で理解しようとするのが、学問である。そこに自分の感情や価値観がはいったらそれは学問ではない。

つまり、私への原稿依頼者がいうように、すべてを自分や生活にひきつけないと誰も耳を貸さない時代になっているのだとすると、学問はもうこの世界に居場所がないということだ。

そして、みながみな自分の生活感の中だけで生き、
「ボクは社会の歯車になんてならなくて夢にむかってがんばるの~」とか、
「私はこのままの自分を愛してくれる人を捜すの~」とかいいだしたら、どんな世界になっていくことか。

 私は間違ったことをいってる? by チャングム
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DATE: 2007/12/09(日)   CATEGORY: 未分類
振り込め詐欺にみる倫理崩壊
金曜日

 フランス文学の研究者Fセンセとたまたま帰りのバスが一緒になり、お話しながら帰る。Fセンセによると最近、チベットの魅力にはまって数々の詩や文学作品をのこしたセガレン(1878~1919)というフランス文学者が再評価されているという。

 オモシロそうなので、帰って調べてみようとその名前を記憶するも、帰るころにはすっかり忘れていて、
 一生懸命おもいだそうとして、でてきた単語は

 カール・セーガン

 明らかに違う。この人違う。それから一日おいて、仏教書を読んでいたら突然

 セガレン

の名前がよみがえってきた。記憶の不思議よ。
さっそくネットで調べて著作集がでていることを確認する。あとでよも。

土曜日

 電子辞書を落としたら液晶があの世に逝ってしまった。

長年にわたりつかえてくれたので、少々機能が古いなとは思いつつもなんとなく捨てることはできなかった。しかし、壊れてしまっては仕方ないので、丁重に菩提をとむらった後、ビックカメラにでかける。

いやあ、たくさんの電子辞書がある。一番つかうジーニアス英和辞典と中日大辞典、それに漢和辞典とブリタニカ百科事典はやっぱついててほしいとなると、やはり一番高いカシオのなんたらしかない。

四万円もする。

しかし、考えようによってはこれはわたくしの外付け脳みそのようなものである。投資を惜しんではならない。

 むかしは何冊もの参考文献をもって授業に行かねばならなかったが、最近はそれが小さな電子辞書いっこにおさまっているのだから、荷物もへってスタイリッシュである。

 ただし、おとしてこわせばただのモノだけど。

 日曜日

 テレビをみていたらオレオレ詐欺が再びはやっているとのこと。従来の劇場型と異なり、最近は、アポ電型が増えているらしく、前者が人を不安に陥れてお金をださせるのに対して、後者は相手を安心させてお金をせびるところが特徴だという。

 具体的には
 詐欺師「オレ、明日そっちいくから」
 被害者「あら、●×ちゃん、何時にくるの? まっているから」
 翌日その時間になると電話がかかってきて
 被害者「待っているのよ、いまどこ」と聞くと
 詐欺師「じつは合って話そうと思ったのだけど、時間がなくなった。会社のお金をつかいこんでしまって、今払わないと刑事事件にされてしまう」

とのことで、払っちゃうとのこと。
今までのパターンと違い、事前に一回予約電話が入ることから被害者が詐欺師を知り合いと思いこみやすいことが特徴である。

 しかし、わたしはこの手の特集をみるたびに

論点ずれてるんじゃないの、と思う。

 詐欺にひっかかるものの大半は、息子や亭主や孫や甥などの身内が、チカンをしたり、会社の金を使い込んだり、いわゆる犯罪をおかしたと思いこんで、それをいわばごまかそうとして被害にあっているのである。

 つまり、被害者側にまともな倫理観があれば、こんな被害はうまれないのである。

 まともな倫理観があれば、たとえば息子が会社の金を使い込んだ、とぃう電話があったとしても

「ワタクシの育て方が悪く、みなさまにご迷惑をおかけしたことをお詫びします。息子は自分の行い対して自分で責任をとらねばなりません。罪に処してください。」というのが有るべき姿であろう。

 それ以前に、オノレの息子や夫が犯罪をおかすような人間かどうかもみきわめられないなら、親や妻をやる資格はない

 バカなことをやった身内に対して、それをお金の力でもみけすのは、愛でもなんでもない、保身である。当人のためにはならない。必ずまた同じことをやる。

 三田佳子の次男のように(笑)。

 その点自分はえらい。

 うちにも一度オレオレ詐欺から電話がかかってきた。東京駅の鉄道警察からというものが、「ご主人がチカンで捕まりました」というのである。

 わたしはうろたえることなく、きっぱりとこの電話をきった。

 それはダンナがそんなことする人間でないことを知っていたからである。

 だって、わたしの目の前でダンナが昼ご飯を作っていたから。
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DATE: 2007/12/04(火)   CATEGORY: 未分類
何でボク名前聞かれたんですか
世界規模の学力調査でまたまた日本の順位がさがった。
韓国・台湾などはのきなみ上位にくいこんでいるのに、日本だけ番外。

もちろんかつて日本人はこの手の学力テストはのきなみ上位にはいっていた。

だから、あーあ、な状況なのである。

問題文の中に「その根拠をあげよ」とか「その理由をあげよ」とか文章をかかなければいけなくなるものがあると、今の子供はこれを空欄にするのだという。

たぶん書くのが面倒くさいのである。

大学で定期試験をやっても、学力のふるわない学生は、選択問題とか、内容を一語で表せとかいう、いっぱつ問題は一応なんらかは書くが、文章題はみな空欄だから。

また、理科とか観念的な思考を構造的につみあげる学問に対する興味が圧倒的に低いのも今の子供の特徴らしい。

 つまり、いまや子供たちのノーミソからは観念的な思考を行う能力がどんどん退化して、身の回りの具体的な事象しか理解できなくなっているということ。

 それは大学生みていてもよくわかる。

どことはいわないが某大学の卒論のテーマは(わたくしのゼミではござませんことよ、おほほほ)、ファッションとか、CGとか、結婚式、ケーキ、漫画とか、サッカーとか、もうおのれらどんだけ即物的なんだ、というような内容のテーマがめじろおしだそう。

 こんな身の回りにある極私的なことを学生生活の総括である卒論のテーマに選ぶその知的センスには、とにかくあきれはてるしかない。

 それでもいま目の前にいる大学生はいい。いずれこの学力試験で開闢以来の低点数をはじきだしたグループが大学にはいってきたならば、キャンパスはどーなるんであろう。

 おとろしい。

 「イミわかんね」「何いってんの」とか自己の知的欠陥を棚に上げ、教授内容への否をつきつけてくる学生の声が今からきこえてくるのは気のせいか。

 今だって、歴史とか哲学とかいう伝統的な学問は、学生に敬遠されて恐ろしい勢いで衰退しているのに、この世代の入学によってとどめの一撃がくるのは必定。

 アカデミックな学問の崩壊である。
 
 そして、もっとおとろしいのはこの「噛んで砕いてどろどろにして、口うつしじゃないとたべられない」世代の子供たちが、社会にでた時である。

 多くの会社で新入社員の教育担当となった人々が、この子たちをまえに鬱状態に突入して、現場が崩壊して社会がまわらなくなるのは必定。

 私のゼミ生がバイト先で、高校生の面接したり、教育したりしているのだが、「お金をもらって仕事をするというプロ意識がない。」といっていたが、大学生をしてこういわしめる高校生って何なんだろう?

 このまえ、大教室で授業をやっていたら、時間も半分以上過ぎたところで、背の高い男子学生が足音高く、入場してきた。目はとろんとして、意識はまったく授業以外のところにむいている。

 彼はなんと教卓の前のバージンロードをあるき、私の目の前前から四列目の真ん前にすわった。それでおちつくならまだいい。
荷物をおいたら、また席をたって、バージンロードを歩いて教室の外にでていってしまった。
 しばらくすると、TAが出席をとりにきた。すると、さっき席を外していた件の男子学生はもどってきて、悪びれるふうもなくTAから出席カードをもらい、後ろの方でプリントをさがしはじめた。そのへんの学生と私語もしている。

 ここにきてさすがのわたくしも愛想銀行の預金がつきた。

 ワタクシがブーと思ったのは以下の点。

 1.大遅刻なのに全く悪びれず、足音高くあるき、教室の中心部にすわり、
 2.大遅刻なのに、当然のように出席カードをとりにいき
 3.大遅刻なのに、荷物をおいてトイレにいきなおし
 4.大遅刻なのに、たったまま私語し

 ひとことでいえば、傍若無人。

 遅刻でも腰をおとしてはいってきて、すみっこにすわって静かにしているならまだわかる。彼はそうではなかった。
 なまみの人がしゃべって、それを聞いている人が多数いる空間にはいってくる配慮が、彼の側にはまったくなかった。

 わたしの扱いは三番館で上映中の映画のスクリーンなみ。


この男子学生、おそらくは自分の感覚のみで生きており、客観的に自分をみてただす能力が著しく低いのだろう。


 その場で、男子学生の名前を静かに問いただし×をつけたことは言うまでもない。

 しかしである。この学生、授業が終わったあと。

「あの、僕どうして名前聞かれたんですか」

 今ですらこうなのに、これから先どうなるやら。
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DATE: 2007/12/02(日)   CATEGORY: 未分類
穏やかな師走入り
師走に入った最初の日曜日。

ごろうちゃん(オカメインコ)は朝一に水あびをしていたようで、ぬれたお腹でふるえながら籠からでてくる。
餓鬼道(♂猫)はひさしぶりに一時間だけ庭の見回りにでた。


ピンポンがなって表にでると、九州より宅急便であった。
じつは、この前の法事の時に、九州の従姉妹(年上)に、スキャパのスカートとニューヨーカーのカーディガンをなおしのために預けておいたのだ。

従姉妹のおうちは北九州でユザワヤのような業種の洋品小物のお店を営んでいるので、何となくこういうことでたよりにしてしまう。

スキャパのスカートは年代物で、15年前になくなった母が、15年前の私の誕生日にかってくれた最後の誕生日プレゼントである。つまり、思い入れがあるから捨てられないでいるのだが、ものがいいせいか、こうしてなおせばいまだにちゃんと着られる。

一方のニューヨーカーのニットのカーディガンは、とくに思い出はないが、かったばっかりなのにひっかけて穴を空けたので、何とかならんかと思って預けてみたのだ。

みると、ひっかけたほつれの部分と穴は同色のビーズ飾りで見事にカバーされている。

プロである。

さらに、こんなずーずーしい御願いごとをしたにもかかわらず、小倉名産かまぼこまでおみやげに同封されており、ほっこりする。

ありがとうございます。

お返しに、従姉妹の好きなローザのチョコレートを買いに行くが、しまっている。ケーキ屋が日曜日しまっててどうすんじゃ。

午後、紅葉が本格化してきたようなので、ダンナと近辺の散歩にでかける。

公園のもみじは赤のグラデーションがみごと。
そして、日本中に名高い銀杏並木は、まあ天気がよかったので、黄色が輝いて真ん中をあるくと黄金色のアーチの中を歩くよう。

秋もふかまり、日に日に日が短くなっていくのに、日ざしは明らかに夏より明るい。


家の近くまでくると、お隣のおばさんが庭のみかんの実を花ばさみでとり入れていた。

挨拶すると、「よく洗って食べてね」と、葉つきみかん(四個)をひとふさくださる。

みかんのオレンジも、夏や秋のくだものにはない明るさである。

ほっこりする。

願わくばこの秋のように、明らかに美しい老いをすごし、冬のような死に向かいたい。
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