最も高価なものは金では買えない
なんかタイムスリップしたみたい、最近のテレビ。
ミウラカズヨシがサッカーのカズでなく、あの「疑惑の銃弾」のカズヨシになっている。
もう若い人にはこの事件解説がないとわからないだろう。三昔前となる事件だから。
こうしてこの事件が若い層に浸透することにより、サッカーのカズに風評被害が及ばないか心配である。
よけいなお世話か。
「ダーティハリー」の時代は、犯罪捜査の技術もまだ低く、犯罪者が証拠不十分とかで釈放されることも多かったけど、CSIが活躍する今、操作技術も進んで、何か新たな証拠でもでたのかな。
ところで、アメリカでは重大事件に時効がないというのは、イイ!
日本では、小学校の美術の先生が、勤めている小学校の守衛に殺害されて、その守衛は自宅の地下にその死体を隠しており、自宅をたてかえざるをえなくなって、どうせ時効はすぎてるからと、自白して、遺族が怒り心頭に発した事件があった。この守衛アメリカだったらアウトである。
「疑惑の銃弾」とは、若い健康な奥さんに一億六千万もの保険をかけて、かけた直後に奥さんが死んじゃったというもの。にしても、保険ってヘン。
年間一億の稼ぎがある大女優さんとかに一億の保険をかけるのなら納得できるけど、普通の人にそんな高額な保険を設定できるというのがそもそもヘン。
時々、乳幼児に保険かけて殺す親とかもいるけど、余命の長い健康な子供に何百万もの保険が設定できるというのもそもそもヘン。
保険って本来は、貯蓄のない家庭で、大黒柱のお父さんなりお母さんなりが自分になにかあったら、残された家族が大変だろうと、自ら入るもんだろう。
「客観的な稼ぎがない人であっても、掛け金を払う人にとって、その人がプライスレスであれば、その人にはそれに応じた高い保険金を設定できる」という理屈もあるのかもしれない。でも、それもヘン。
ある人がある人をプライスレスと思うのなら、その人の価値を金なんかに換算することはできないはず。本当に大切な人を失うということは、お金で慰められるような問題ではない。
可愛い坊やを失った母親の思うことははただ一つ。
「自分の命をあげてもいい。私の坊やを生き返らせて」だろう。
大切なものをなくすという究極の「もしも」においては、「差し出す」という心理になっても「なにかを代わりにもらう」という発想にはならない。
「大切」「高価」を意味するプライスレスが、直訳すると「値段がつけられない」になっているのは意味のないことではない。
したがって、この人はわたしにとってとても大切な人だから、高い保険金をかける、という理屈はおっかしーのである。プライスレスなものは金では買えないのだから。
何が言いたいかというと、一家の大黒柱が自分で言い出して自分に死亡保険枠を設定する以外の死亡保険枠設定は、犯罪を誘発するキケンがあるのでやめた方がいい、と思う。
金銭的な価値のない古い家屋に高い損害保険金かけて、自分の家に火をつけるような人もたまにいるから、ボロ屋に高い損保もいらん。
どっかのカードの宣伝で、海外旅行をしている親子や夫婦がいろいろな買い物をカードでして、その結果得られる経験を、プライスレス、というのがあったが、あれって宣伝になってんのかなー、といつも思う。
仲の良い夫婦だったらバリ島なんかでおそろいの服をきて、サイクリングなんかしなくても、現金払いで箱根でチャリのったって幸せだし、そもそも何でも話し合える母娘だったら、二人でたっかいドレスしつらえて、たっかいアメリカのジャズ倶楽部にいかなくとも、駅前の立ち飲みやでだって、娘がつきあっているカレシの名前くらいは聞き出せるだろうが。
プライスレスな経験はむしろ、カードによる贅沢な買い物や旅行とは対極にあるような気がするんだよね。カードの使用を促進したいのなら、プライスレスなんて言葉はださずに、脂ぎったオッサンの精神性のカケラもない成功体験の物語とかを流した方がキクと思うよ。
見たくないけど
ミウラカズヨシがサッカーのカズでなく、あの「疑惑の銃弾」のカズヨシになっている。
もう若い人にはこの事件解説がないとわからないだろう。三昔前となる事件だから。
こうしてこの事件が若い層に浸透することにより、サッカーのカズに風評被害が及ばないか心配である。
よけいなお世話か。
「ダーティハリー」の時代は、犯罪捜査の技術もまだ低く、犯罪者が証拠不十分とかで釈放されることも多かったけど、CSIが活躍する今、操作技術も進んで、何か新たな証拠でもでたのかな。
ところで、アメリカでは重大事件に時効がないというのは、イイ!
日本では、小学校の美術の先生が、勤めている小学校の守衛に殺害されて、その守衛は自宅の地下にその死体を隠しており、自宅をたてかえざるをえなくなって、どうせ時効はすぎてるからと、自白して、遺族が怒り心頭に発した事件があった。この守衛アメリカだったらアウトである。
「疑惑の銃弾」とは、若い健康な奥さんに一億六千万もの保険をかけて、かけた直後に奥さんが死んじゃったというもの。にしても、保険ってヘン。
年間一億の稼ぎがある大女優さんとかに一億の保険をかけるのなら納得できるけど、普通の人にそんな高額な保険を設定できるというのがそもそもヘン。
時々、乳幼児に保険かけて殺す親とかもいるけど、余命の長い健康な子供に何百万もの保険が設定できるというのもそもそもヘン。
保険って本来は、貯蓄のない家庭で、大黒柱のお父さんなりお母さんなりが自分になにかあったら、残された家族が大変だろうと、自ら入るもんだろう。
「客観的な稼ぎがない人であっても、掛け金を払う人にとって、その人がプライスレスであれば、その人にはそれに応じた高い保険金を設定できる」という理屈もあるのかもしれない。でも、それもヘン。
ある人がある人をプライスレスと思うのなら、その人の価値を金なんかに換算することはできないはず。本当に大切な人を失うということは、お金で慰められるような問題ではない。
可愛い坊やを失った母親の思うことははただ一つ。
「自分の命をあげてもいい。私の坊やを生き返らせて」だろう。
大切なものをなくすという究極の「もしも」においては、「差し出す」という心理になっても「なにかを代わりにもらう」という発想にはならない。
「大切」「高価」を意味するプライスレスが、直訳すると「値段がつけられない」になっているのは意味のないことではない。
したがって、この人はわたしにとってとても大切な人だから、高い保険金をかける、という理屈はおっかしーのである。プライスレスなものは金では買えないのだから。
何が言いたいかというと、一家の大黒柱が自分で言い出して自分に死亡保険枠を設定する以外の死亡保険枠設定は、犯罪を誘発するキケンがあるのでやめた方がいい、と思う。
金銭的な価値のない古い家屋に高い損害保険金かけて、自分の家に火をつけるような人もたまにいるから、ボロ屋に高い損保もいらん。
どっかのカードの宣伝で、海外旅行をしている親子や夫婦がいろいろな買い物をカードでして、その結果得られる経験を、プライスレス、というのがあったが、あれって宣伝になってんのかなー、といつも思う。
仲の良い夫婦だったらバリ島なんかでおそろいの服をきて、サイクリングなんかしなくても、現金払いで箱根でチャリのったって幸せだし、そもそも何でも話し合える母娘だったら、二人でたっかいドレスしつらえて、たっかいアメリカのジャズ倶楽部にいかなくとも、駅前の立ち飲みやでだって、娘がつきあっているカレシの名前くらいは聞き出せるだろうが。
プライスレスな経験はむしろ、カードによる贅沢な買い物や旅行とは対極にあるような気がするんだよね。カードの使用を促進したいのなら、プライスレスなんて言葉はださずに、脂ぎったオッサンの精神性のカケラもない成功体験の物語とかを流した方がキクと思うよ。
見たくないけど
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