地獄への道は善意で舗装されている
金曜日、とある勉強会にお呼ばれしてチベット問題をお話する。
お部屋に入った瞬間、聴衆がかなりお年を召した方ばかりであるのを見て、引く。中国関係者でこの年齢層といえば、中国共産党に浅からぬシンパシーをもつ方々がいる可能性はおおアリ。
とりあえず、主催者に「あのこれ、批闘集会とかにならないでしょうね」と念を押すが、「大丈夫ですよ。あ、お話は一時間で、あとはみなさん質問があると思うので、質疑応答の時間にしてください」とのこと。ますますイヤな予感がしたが、むやみに人を疑うのもどうかと思い、とりあえずチベット問題について語る。
そして、質問タイム。最初の発言されたのは研究者の某M氏。
「あんたが編集した『●×』という本ね、あんたが書いたとこじゃないけど、あんたが編集したんだから、あんたに責任があるよね。それでこの本の×●に、チベット人の数を600万人と書いてあるけど、何に基づいてこの人数がでているの。チベット人600万もいないでしょ。
あとね、●×の地域では、ここ数年、漢族は人口が増えていないけど、少数民族の人口は増えているんだよ。そりゃそうだよ。一人っ子政策で漢族は人口が増えないからね。少数民族には一人っ子政策が適用されないから、増えるわけだ。
少数民族地域に漢族が入り込んでいっているなんて、何に基づいてそんなことがいえるの」
直前までした話の内容とは全く関係のないことを、それもまったく妥当性もないことを、講演者を「アンタ」呼ばわりしながらわめきちらす、その品性のなさにもちろん腹もたったが、その次に申し訳ないけど、可愛そうになった。
まあここでちゃぶ台をひっくり返しても非生産的なので、
「とりあえず、私はその本を手元にもっていないので、誰が書いたどの部分ですか」と聞いて「少数民族地域にここ数年間どれくらいの漢人が移住しているかについては、正確な数字は第三者機関が調べないとわからないでしょう。」というと、
M氏「どうしてですか。こうしてはっきり統計にでているんですよ」
私 「で、その統計、誰がとったんですか」
M氏「それは中国政府ですよ。これは正確ですよ」
私「少数民族地域に、漢人がどれだけ移住しているか、これは究めて政治的に敏感な問題であり、世界的にも注目度が高い点です。政府が外向きに数字をいじっていないと断言できますか」というと
M氏「なにいってんですか・●×▲・・・」と何か言いかけたが、周りの心ある人が何かいったので、やっと座ってくれた。
わたしはこれまでに聴衆に恵まれていたようで、講演の席上でこのように悪意のこもった質問を受けることはなかった。なので、初めての体験にわたくしのこめかみにはいくつもの血管が浮き上がり、それがつながってすごい状態になったことは言うまでもない。
文化大革命しかり、天安門事件しかり、あの時の政府発表や、今回のダライラマに対する一連の罵詈雑言を見れば分かる通り、かの国の政府は政権安定を至上命題として行動しており、何が事実か、真実かなどというラインで動いたことはかつてない。
中国人ですら眉唾に見ている中国政府の発表を、正確無比と言い切るのは、日本人として、それも客観的に真理を追究すべき研究者としていかがなものか。
それ以前に初対面の講演者にあの態度は人としていかがなものか。
というわけで、ものすごい忍耐の修行をさせていただきました(え、忍耐してないから修行になってないって?よけいなお世話)。
で、二次会において他の方々からも「文化大革命もフリーチベット運動もしょせん、ありもしない夢を他国に重ねて見ているだけの政治運動」や「私はあなたのいうことを信じていない」などと、まあさすがお年を重ねただけのことはあり、厭世的なコメントを多々頂戴いたしました。
親や教師や勤勉な労働者を批判し、リンチし、辱め、ありとあらゆる文化財を破壊したコドモな文化大革命を、フリー・チベット運動と比べられてもねえ。
フリー・チベット運動は、できる限り他責的にならぬよう、かつ、自律的であるように行動することを意識的におこなうオトナの運動体である。
それはチベットの自治要求運動であると同時に、自己の足りない点を省みる運動でもある。レッテルを貼ることを煩悩の最たるものとみなす仏教思想に基づき、民族や体制などのレッテルによってものごとを捉えないように最大限の努力を払っているオトナな運動なのである。
あの腐れ文化大革命とフリー・チベット運動を一緒に語ってくれるとは、すんばらしい見識である。
次の日、とあるやさしい方が、フォローのメールを送って下さった。
心に残るメールであったが、私信なので要旨だけにとどめておくと、ようは、世の中には、×国政府の言うことを鵜呑みにし、×国人以上に×国人な方々がいる、その人たちは×国政府の方針がどのように変わろうともその時その時に×国政府の見解を代弁し、さらに自分ではそれを善意でやっていると思っている人たちだとのこと。
そして、「地獄への道は、善意によって舗装されている」を、「けだし名言です。」と結ばれていた。
そうだった。解放軍はチベットを封建社会から解放するために彼らとしては善意で侵略してきたんだった。 みんな善い人たちなんですよね!
この言葉はこれからの人生、心の友となりそうです。
ありがとうこざいました。
お部屋に入った瞬間、聴衆がかなりお年を召した方ばかりであるのを見て、引く。中国関係者でこの年齢層といえば、中国共産党に浅からぬシンパシーをもつ方々がいる可能性はおおアリ。
とりあえず、主催者に「あのこれ、批闘集会とかにならないでしょうね」と念を押すが、「大丈夫ですよ。あ、お話は一時間で、あとはみなさん質問があると思うので、質疑応答の時間にしてください」とのこと。ますますイヤな予感がしたが、むやみに人を疑うのもどうかと思い、とりあえずチベット問題について語る。
そして、質問タイム。最初の発言されたのは研究者の某M氏。
「あんたが編集した『●×』という本ね、あんたが書いたとこじゃないけど、あんたが編集したんだから、あんたに責任があるよね。それでこの本の×●に、チベット人の数を600万人と書いてあるけど、何に基づいてこの人数がでているの。チベット人600万もいないでしょ。
あとね、●×の地域では、ここ数年、漢族は人口が増えていないけど、少数民族の人口は増えているんだよ。そりゃそうだよ。一人っ子政策で漢族は人口が増えないからね。少数民族には一人っ子政策が適用されないから、増えるわけだ。
少数民族地域に漢族が入り込んでいっているなんて、何に基づいてそんなことがいえるの」
直前までした話の内容とは全く関係のないことを、それもまったく妥当性もないことを、講演者を「アンタ」呼ばわりしながらわめきちらす、その品性のなさにもちろん腹もたったが、その次に申し訳ないけど、可愛そうになった。
まあここでちゃぶ台をひっくり返しても非生産的なので、
「とりあえず、私はその本を手元にもっていないので、誰が書いたどの部分ですか」と聞いて「少数民族地域にここ数年間どれくらいの漢人が移住しているかについては、正確な数字は第三者機関が調べないとわからないでしょう。」というと、
M氏「どうしてですか。こうしてはっきり統計にでているんですよ」
私 「で、その統計、誰がとったんですか」
M氏「それは中国政府ですよ。これは正確ですよ」
私「少数民族地域に、漢人がどれだけ移住しているか、これは究めて政治的に敏感な問題であり、世界的にも注目度が高い点です。政府が外向きに数字をいじっていないと断言できますか」というと
M氏「なにいってんですか・●×▲・・・」と何か言いかけたが、周りの心ある人が何かいったので、やっと座ってくれた。
わたしはこれまでに聴衆に恵まれていたようで、講演の席上でこのように悪意のこもった質問を受けることはなかった。なので、初めての体験にわたくしのこめかみにはいくつもの血管が浮き上がり、それがつながってすごい状態になったことは言うまでもない。
文化大革命しかり、天安門事件しかり、あの時の政府発表や、今回のダライラマに対する一連の罵詈雑言を見れば分かる通り、かの国の政府は政権安定を至上命題として行動しており、何が事実か、真実かなどというラインで動いたことはかつてない。
中国人ですら眉唾に見ている中国政府の発表を、正確無比と言い切るのは、日本人として、それも客観的に真理を追究すべき研究者としていかがなものか。
それ以前に初対面の講演者にあの態度は人としていかがなものか。
というわけで、ものすごい忍耐の修行をさせていただきました(え、忍耐してないから修行になってないって?よけいなお世話)。
で、二次会において他の方々からも「文化大革命もフリーチベット運動もしょせん、ありもしない夢を他国に重ねて見ているだけの政治運動」や「私はあなたのいうことを信じていない」などと、まあさすがお年を重ねただけのことはあり、厭世的なコメントを多々頂戴いたしました。
親や教師や勤勉な労働者を批判し、リンチし、辱め、ありとあらゆる文化財を破壊したコドモな文化大革命を、フリー・チベット運動と比べられてもねえ。
フリー・チベット運動は、できる限り他責的にならぬよう、かつ、自律的であるように行動することを意識的におこなうオトナの運動体である。
それはチベットの自治要求運動であると同時に、自己の足りない点を省みる運動でもある。レッテルを貼ることを煩悩の最たるものとみなす仏教思想に基づき、民族や体制などのレッテルによってものごとを捉えないように最大限の努力を払っているオトナな運動なのである。
あの腐れ文化大革命とフリー・チベット運動を一緒に語ってくれるとは、すんばらしい見識である。
次の日、とあるやさしい方が、フォローのメールを送って下さった。
心に残るメールであったが、私信なので要旨だけにとどめておくと、ようは、世の中には、×国政府の言うことを鵜呑みにし、×国人以上に×国人な方々がいる、その人たちは×国政府の方針がどのように変わろうともその時その時に×国政府の見解を代弁し、さらに自分ではそれを善意でやっていると思っている人たちだとのこと。
そして、「地獄への道は、善意によって舗装されている」を、「けだし名言です。」と結ばれていた。
そうだった。解放軍はチベットを封建社会から解放するために彼らとしては善意で侵略してきたんだった。 みんな善い人たちなんですよね!
この言葉はこれからの人生、心の友となりそうです。
ありがとうこざいました。
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