アムネスティ会合の報告
突然ですが、今日は六月四日。リメンバー天安門事件!
ベルリンの壁が崩れ、東欧で一連の民主化が実現し、ダライラマ法王がノーベル平和賞とったたあの1989年。
中国は6月4日に民主化を求める学生を戦車で轢殺した。
あれから約20年、
中国の共産党独裁は今日も元気です(いやちょっとかなりガタが来てるかな 笑)。
月曜日はアムネスティのシンポジウム。打ち合わせ時(参加したのは長田さんとイシハマのみ)、パネラーが四人であることを知って、
私「船頭多すぎて船が丘に上がりますね。わたしはいなくていいんじゃないですか」
長田くん「いや、ボクが降ります」というぶっちゃけなやりとりがあったことからもわかるように、あの時間内にあの人数はムリがありすぎ。
開演五分前に受け付け始めるのもあわただしすぎ。十分の休み時間に質問をかかせて、それをよんでしわけする、なんてこともそもそもムリ。結果として回収した質問にもほとんど答えられていないし。
なので、質問されてお答えがなかったという方たちには、本当に申し訳ないことをした。ご意見は主催者へ直接どうぞ(笑)。
で、一応内容のご報告。
K先生のお話は長かったすね。
最高齢であり愛知からはるばる来られていることもあり、口をはさむのは差し控えさせていただいたが、手短にいえば
「ダライラマ法王の非暴力思想を中国は理解していない。」
という十五秒で終わる話である。
ペマさんの話も長かった。要約すると
「ダライラマ猊下はずっと中国を信じてきた。死んだ人の約束まで護り続けてきた。約束を破ってきたのはつねに中国だ」
これも十五秒で終わる。しかし、彼の感情に訴える血の叫びは日本人の魂をゆさぶっていたようなので、それはそれで意味があるのだろう。
長田さんの発言は比較的簡潔だった。要約すると
「中国はチベットに投資して、チベットは物質的に豊かになったが、カネは漢人の中で回っている。また、厳然とした就職・賃金・就学差別は続いている」てなこと。
で、私の発言は
「チベットと中国の関係は前王朝時代は比較的良好。しかし、1950年に中共が侵攻してからは、中共がチベットに行ってきたことはヒドイの一語につきる」てなとこ。仏教はそもそも王者の教え。人民中国に理解できるわけもないのであったった。
ちなみに、あの席で私をはじめてご覧になった方が、私をもっと貫禄のある高齢の女性であると思っていたらしく驚いていた(JAICAの緒方さんみたいな)。
わたしを高齢の女性と想像されていた方は、おそらくはこのぶろぐのオッサン臭い語り口からおそらくそのようなイメージをもつにいたったのであろうが、現物はソフトで知的なオネエさんである(W)。
そのあとカルチャーにも来てくださっていた学生さん二人とゼミ生一人と長田さんたちとインド料理やで食事。わたしは時計を忘れてきていたので、気がつくと十一時近くなっていて、つきあわせてしまった方たちには悪いことをしてしまった。
怪しいインドワインを飲んだら足にきたのか、地元駅の駅前でつっかかって何年ぶりかに転んで両膝・右肘を強打。次の日両膝は青タンになったため、しばらくはスカートははけない。つくづく厄日。
ベルリンの壁が崩れ、東欧で一連の民主化が実現し、ダライラマ法王がノーベル平和賞とったたあの1989年。
中国は6月4日に民主化を求める学生を戦車で轢殺した。
あれから約20年、
中国の共産党独裁は今日も元気です(いやちょっとかなりガタが来てるかな 笑)。
月曜日はアムネスティのシンポジウム。打ち合わせ時(参加したのは長田さんとイシハマのみ)、パネラーが四人であることを知って、
私「船頭多すぎて船が丘に上がりますね。わたしはいなくていいんじゃないですか」
長田くん「いや、ボクが降ります」というぶっちゃけなやりとりがあったことからもわかるように、あの時間内にあの人数はムリがありすぎ。
開演五分前に受け付け始めるのもあわただしすぎ。十分の休み時間に質問をかかせて、それをよんでしわけする、なんてこともそもそもムリ。結果として回収した質問にもほとんど答えられていないし。
なので、質問されてお答えがなかったという方たちには、本当に申し訳ないことをした。ご意見は主催者へ直接どうぞ(笑)。
で、一応内容のご報告。
K先生のお話は長かったすね。
最高齢であり愛知からはるばる来られていることもあり、口をはさむのは差し控えさせていただいたが、手短にいえば
「ダライラマ法王の非暴力思想を中国は理解していない。」
という十五秒で終わる話である。
ペマさんの話も長かった。要約すると
「ダライラマ猊下はずっと中国を信じてきた。死んだ人の約束まで護り続けてきた。約束を破ってきたのはつねに中国だ」
これも十五秒で終わる。しかし、彼の感情に訴える血の叫びは日本人の魂をゆさぶっていたようなので、それはそれで意味があるのだろう。
長田さんの発言は比較的簡潔だった。要約すると
「中国はチベットに投資して、チベットは物質的に豊かになったが、カネは漢人の中で回っている。また、厳然とした就職・賃金・就学差別は続いている」てなこと。
で、私の発言は
「チベットと中国の関係は前王朝時代は比較的良好。しかし、1950年に中共が侵攻してからは、中共がチベットに行ってきたことはヒドイの一語につきる」てなとこ。仏教はそもそも王者の教え。人民中国に理解できるわけもないのであったった。
ちなみに、あの席で私をはじめてご覧になった方が、私をもっと貫禄のある高齢の女性であると思っていたらしく驚いていた(JAICAの緒方さんみたいな)。
わたしを高齢の女性と想像されていた方は、おそらくはこのぶろぐのオッサン臭い語り口からおそらくそのようなイメージをもつにいたったのであろうが、現物はソフトで知的なオネエさんである(W)。
そのあとカルチャーにも来てくださっていた学生さん二人とゼミ生一人と長田さんたちとインド料理やで食事。わたしは時計を忘れてきていたので、気がつくと十一時近くなっていて、つきあわせてしまった方たちには悪いことをしてしまった。
怪しいインドワインを飲んだら足にきたのか、地元駅の駅前でつっかかって何年ぶりかに転んで両膝・右肘を強打。次の日両膝は青タンになったため、しばらくはスカートははけない。つくづく厄日。
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