譲れない一線
13日の金曜日、「わしズム」の編集の方が研究室にお見えになる。
雑誌原稿の依頼はだいたいメールのやりとりですんで、編集者の顔を見ないままの仕事がほとんどである。だから、本を作るとか対談とかにでもならない限り、編集者の顔を拝むことはまずない。
うちの大学のpr雑誌『新鐘』の原稿依頼にいたっては、依頼書と台割が使いまわしの袋に入って学内便で届いたもんね(しかも原稿料はタダ)。
そう考えてみると、編集者が来るとはおかしな話ではあった。で、そのわしズムの編集者は、雑誌についての説明を一通り終えると、a4一枚のパソコン打ち出しの紙をだしてきた。
そして
「この四点については必ず書いてください」という。
通常の雑誌原稿は「チベット問題の平和的解決」とか「チベット問題の歴史的背景」とか「〜に書いたことをもっと詳しく」とか、漠然としたテーマを呈示されても、大体は著者の自由裁量で書かせてもらえる。「四点にそって書け」という時点でかなり特殊な依頼である。
で、その四点。なんかパラパラとした思いつきの質問で、しかもそのうち一点はあまりにも下世話な内容。こんな内容バラバラの質問四つを一つの文章にするのは時系列でも、内容別でもムリ。箇条書きにしたQandAにするしかないだろう。でもそんな文章は書く気も起きない。
項目の中に、チベットの光と影とかいうのがあって、影の一例として「サキャ派の女人禁制」があげられているが、意味わかんねー。女人禁制ってちゃんと修行している僧侶の話であってチベット仏教の輝かしい光の伝統である。影というならフツー 「地位を利用して贅沢な生活をしたり、密かに女囲ってる堕落した坊主」を指摘することだろう。
「どうしてもこの四点にそって書かねばならないの?」と聞くと、
「この三つは編集部が考えたことだからまだいいですけど、この項目(と、ある項目を指して)は小林よしのり氏のたっての希望なのではずせません。他に書いてくれる人を探します」
つまり編集者は、小林よしのり氏が「知りたい」と思ったことを書いてくれる人を探していたのだ(笑)。
お引き取りいただく。
料理のプロでないものが、料理の名前をいくつかあげて、これでコースを作れ、といったとしても、作る料理人はいないだろう。
誰かが気分で曲を選定して、「これをオレの前で歌え」とか言われても、喜んで歌う歌手もいないだろう。
まあ、よほどお金に困ってせっぱ詰まっている人だったら、そんな条件でも料理作ったり、歌歌ったりしちゃうこともあるだろうけど、そういうことするとストレスがたまって命が縮まる。
私はストレスためたくないので即お断り。
で、何となく気になって調べていたら、雷句誠というマンガ家が小学館相手に訴訟を起こしていることを知った。訴訟内容は小学館がマンガの原稿を紛失したことに対する賠償であるが、週刊誌そのほかの記事によると、雷句氏の意図とは、編集者の作者に対する傲慢な態度、また、編集者が作者の意志を無視してストーリーをおしつけてくることを糺したかったのだという。
雷句氏はこの訴訟を契機に、小学館での断筆を宣言して、他の雑誌に移ることにしている。ここまで決意させるには余程のことがあったのだろう。何となく今回の私の些事を思い出した。
理想論になるが、やはり編集と作者の間は主従関係になったらあかん。両者の間には当然信頼関係がなくてはならず、編集者は表現者としての作者を尊重し、作者も第一の読者として編集者の意見をきくべきであろう。互いに不信感があり、どれだけ自分の意見を何ポイント通すか何てことに気を使わねばならないような関係じゃ、ロクな作品はできない。
あ、だから本も雑誌も売れない時代になったのか。
そいえば五月三十日付けで『ダライラマの仏教入門』が6刷を記録し、文庫版になってから累計45000部になりました。とある知り合いの記者の話によると、チベットものは売れて1000部ということだし、ダンナの話によると、固い本としては昔『構造と力』がファッションとして買われて10万部いって記録的と言われたから、この45000部はスゴイといえる。
みなさま、本当にありがとうございました。
そいえばこの本の編集者は自分の学生でした(今はこの出版社にいないけど 笑)。
しかし、この学生はダライラマの仏教入門が、はじめての一人で手がけた本であったため、やはり上の言うことをずいぶん聞かされた。タイトル、サブタイトル、猊下へのインタヴューの項目などはみな私たち以外のところで決まったものである。
それでも、ずいぶんワガママも通してもらった。それを通せたのは編集者が私を信頼して(あるいは怖くて)私の意見が通るようがんばってくれたからである。
やっぱ編集者と作者の信頼関係は必要不可欠
雑誌原稿の依頼はだいたいメールのやりとりですんで、編集者の顔を見ないままの仕事がほとんどである。だから、本を作るとか対談とかにでもならない限り、編集者の顔を拝むことはまずない。
うちの大学のpr雑誌『新鐘』の原稿依頼にいたっては、依頼書と台割が使いまわしの袋に入って学内便で届いたもんね(しかも原稿料はタダ)。
そう考えてみると、編集者が来るとはおかしな話ではあった。で、そのわしズムの編集者は、雑誌についての説明を一通り終えると、a4一枚のパソコン打ち出しの紙をだしてきた。
そして
「この四点については必ず書いてください」という。
通常の雑誌原稿は「チベット問題の平和的解決」とか「チベット問題の歴史的背景」とか「〜に書いたことをもっと詳しく」とか、漠然としたテーマを呈示されても、大体は著者の自由裁量で書かせてもらえる。「四点にそって書け」という時点でかなり特殊な依頼である。
で、その四点。なんかパラパラとした思いつきの質問で、しかもそのうち一点はあまりにも下世話な内容。こんな内容バラバラの質問四つを一つの文章にするのは時系列でも、内容別でもムリ。箇条書きにしたQandAにするしかないだろう。でもそんな文章は書く気も起きない。
項目の中に、チベットの光と影とかいうのがあって、影の一例として「サキャ派の女人禁制」があげられているが、意味わかんねー。女人禁制ってちゃんと修行している僧侶の話であってチベット仏教の輝かしい光の伝統である。影というならフツー 「地位を利用して贅沢な生活をしたり、密かに女囲ってる堕落した坊主」を指摘することだろう。
「どうしてもこの四点にそって書かねばならないの?」と聞くと、
「この三つは編集部が考えたことだからまだいいですけど、この項目(と、ある項目を指して)は小林よしのり氏のたっての希望なのではずせません。他に書いてくれる人を探します」
つまり編集者は、小林よしのり氏が「知りたい」と思ったことを書いてくれる人を探していたのだ(笑)。
お引き取りいただく。
料理のプロでないものが、料理の名前をいくつかあげて、これでコースを作れ、といったとしても、作る料理人はいないだろう。
誰かが気分で曲を選定して、「これをオレの前で歌え」とか言われても、喜んで歌う歌手もいないだろう。
まあ、よほどお金に困ってせっぱ詰まっている人だったら、そんな条件でも料理作ったり、歌歌ったりしちゃうこともあるだろうけど、そういうことするとストレスがたまって命が縮まる。
私はストレスためたくないので即お断り。
で、何となく気になって調べていたら、雷句誠というマンガ家が小学館相手に訴訟を起こしていることを知った。訴訟内容は小学館がマンガの原稿を紛失したことに対する賠償であるが、週刊誌そのほかの記事によると、雷句氏の意図とは、編集者の作者に対する傲慢な態度、また、編集者が作者の意志を無視してストーリーをおしつけてくることを糺したかったのだという。
雷句氏はこの訴訟を契機に、小学館での断筆を宣言して、他の雑誌に移ることにしている。ここまで決意させるには余程のことがあったのだろう。何となく今回の私の些事を思い出した。
理想論になるが、やはり編集と作者の間は主従関係になったらあかん。両者の間には当然信頼関係がなくてはならず、編集者は表現者としての作者を尊重し、作者も第一の読者として編集者の意見をきくべきであろう。互いに不信感があり、どれだけ自分の意見を何ポイント通すか何てことに気を使わねばならないような関係じゃ、ロクな作品はできない。
あ、だから本も雑誌も売れない時代になったのか。
そいえば五月三十日付けで『ダライラマの仏教入門』が6刷を記録し、文庫版になってから累計45000部になりました。とある知り合いの記者の話によると、チベットものは売れて1000部ということだし、ダンナの話によると、固い本としては昔『構造と力』がファッションとして買われて10万部いって記録的と言われたから、この45000部はスゴイといえる。
みなさま、本当にありがとうございました。
そいえばこの本の編集者は自分の学生でした(今はこの出版社にいないけど 笑)。
しかし、この学生はダライラマの仏教入門が、はじめての一人で手がけた本であったため、やはり上の言うことをずいぶん聞かされた。タイトル、サブタイトル、猊下へのインタヴューの項目などはみな私たち以外のところで決まったものである。
それでも、ずいぶんワガママも通してもらった。それを通せたのは編集者が私を信頼して(あるいは怖くて)私の意見が通るようがんばってくれたからである。
やっぱ編集者と作者の信頼関係は必要不可欠
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