白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/07/29(火)   CATEGORY: 未分類
ガワン先生、出雲に行く。
 二十八日、ロサン・ガワン先生が出雲の峯寺で灌頂を行われるというので、出雲へ飛ぶ(Co2ゴメン)。
 空港にお迎えにきてくださったのは、ガワン先生の日本人弟子のAさん。

私「出雲大社をネットで調べたら、出雲大社教ってでてきたんですけど、出雲の神様はやっぱりアマテラス系神社本庁に属すのがいやで別団体つくってるんですかね」
Aさん「さあそれは知りませんが、出雲の宮司さんは千家っていって、大国主命の子孫(あとでご指摘をうけたけど、千家はアメノホヒの子孫。アメノホヒはアマテラスの子供で出雲につかわされたんだけど、大国主に心酔してつかえた神)がつとめてますよ」

私「ええええ、大国主の子孫(だからアメノホヒの子孫。しかしその時の会話を忠実に再現するためママのにしときます)がまだ続いているんですか! 天皇家より古い家系じゃないですか」
Aさん「ええ、何かすごい系図をもってますよ。で、天皇家に政治はまかせて、出雲で神様をまつってらっしゃるんです。十一月には日本の神様がみな出雲に集まっていなくなるからる神無月っていいますが、出雲ではこの月は神有月っていって、神様をお迎えする神事をやります。嫁さんの知り合いに聞いたんですが、その神事の際、海に竜巻がたって何かが上陸してくる気配が本当にしたそうですよ」

 さすが、神話の里、出雲。神話が現役。古代の開国神話がそのままダライラマ14世に体現されているチベットと激似。

私「出雲サイコー! 私は根っからマイノリティ好きなんですよ!だってマジョリティって、ただ数の力でそこにあるだけだから、、結構いいかげんだったり不純だったりするけど、マイノリティでも残っているものは、絶対残ってきた理由、何等かの意義みたいなものがあるんですよね」

 峯寺につく。峯寺は役行者が開いたという奈良時代からの古刹である。役行者のお父上はこのあたりの出なので、「みなし」ではなく、マジで役行者様ゆかりの寺である。真言宗御室派で松江藩主の祈願所としても栄え、大峰修験の開山式の鍵を預かる修験の寺でもある。

 峯寺は弥山の中腹にたつが、この山は出雲風土記にでてくる伊我山で、このあたりの地名の三刀屋(御門屋)とは大国主の屋敷の所在地であったことを示している。

 濃い神話の里、出雲。そこに、またまた濃いチベットの高僧ガワン先生がお出ましになる。聴衆は信仰深い善男善女ばかり。いい空間になることは必定。

 まず、峯寺のご住職により、今回の蜂起で亡くなられたチベット人の方々の追悼法要が営まれる。

 そして、五時から九時までダーキニーの灌頂が行われた。鳥の声と蝉時雨の喧噪は日没とともに静まり、やがて、あたりは真っ暗となった。本堂はまるで宇宙空間に浮かんでいるよう。ときたま、チョウやアブが入り込んでくる以外、静かな山の寺の法要である。先生はダーキニー尊(仏の智慧を象徴)を自らの中に生起して、その力を我々に授けてくださる。ダーキニー尊のイメージを鮮明に描ければ描けるほど、祝福を授かるとされている。

 灌頂が終わると、借りていた土地をその土地の神様にお返しする。そして法要で用いた供物を様々な妖魔に下げ渡して、灌頂を邪魔しなかった褒美とする。

 灌頂の夜、ガワン先生の闘病生活を支えてきたAさんからお話を伺う。ガワン先生は密教者なのでなかなか神秘的なエピソードが多く味わい深い。

 先生は1959年にダライラマが亡命された年、ガンデン大僧院(ゲルク派の大本山)チャンツェ学堂の僧で23才、ダライラマ法王とほぼ同世代であった。中国軍の侵攻を受けて、チベット暦二月十四日に逃亡生活に入り、中国軍を避けながら道に迷いつつ、インドに向かった。

 しかし、中国軍が道を封鎖しているので、森の中に隠れていた。そんなある日ガワン先生の夢に、船にのった渡し守が現れて、「わたしはもう来ないぞ、これが最後の便だ」と言われた。その夢を師匠に話すと、師匠はその夢はたぶん「今は中国軍が道にいないということだ、これが最後のチャンスかも」と森からでて道にでると中国軍がいなかったという。

 それから彼らは雪の中をさまよった。一歩踏み間違うと谷底におちてしまうような白い地獄の中で、師匠はオオカミの足跡をみつけて、その足跡をたどって道に出たという。また、もうブータンのタワン地区にあともう一歩、というところまできた時、やはり道に迷っていると、ヤクをつれた女の人が現れて、師匠はその女の人に声をかけたけど、まったく振り返らずにどんどん歩いていくので、そのあとをついていくと、道まで出たところで忽然と消えてしまったという。ブータンに逃げこんだ時、逃亡生活に入って七ヶ月経っていたという。
 
 私「その女の人、ラモ(護法女尊の名)の化身でしょ」
 一同笑。
 Aさん「ですよね。ガワン先生そのころ若かったからお腹がすいてね、こんなにつらいんだったら中国軍に投降しようとおもったこともあったんですって。そしたら師匠が般若経の予言に『仏教はまず、南に伝わり、次に北から北に伝わり、最後にインドを通って世界にひろがる』という予言がある。お前は若いんだから未来がある。インドへ行け、と行われたんでインドに逃げたそうです」

 それから、ここ二年のガワン先生の闘病生活の不思議について聞く。じつはガワン先生はお医者さんの見立てによると、去年の後半くらいには亡くなっているはずであった。しかし、彼から法を聞きたいというAさんの執念とAさんにグヒヤサマージャの注釈を完全に伝えなければならないという先生の仏教者としての使命感とが様々な奇跡をうんで2008年の7月現在も先生はこうして日本の人々に仏教を、中観帰謬論証派の空理解とかを説いておられるのだ。

 すごいな。

 Aさん「でね、生徒さんの親御さんからビタミンCの点滴療法をすすめられてね、でもね、それがすごい高いので迷っていたらね、突然シンガポールのガワン先生のお弟子さんが来られましてね、お布施してくださったんです」
 私「そのシンガポール人、毘沙門天の化身でしょう」
 一同笑。

 Aさん「でね、去年の法王のお誕生日の時、ホテルオークラの喫茶室にいたら、Bさんから電話がかかって、今アーケードにいるからこれないか、っていうので、アーケードにいったんですけど、Bさんこないんですわ。で、会が始まるまで一時間半、ここでたっているのもなあ、と思ってベンチを探して座ったらそこにいたのが、それからお世話になったk医師ですわ。」

 あとで、bさんになんでアーケードこなかったんですか、と聞いたら、あのときBさんは喫茶室におり、何でかしらないか、アーケードにいると嘘をついてしまったんだという。一緒にいたおねえさんがそう証言したのだから、確かだという。しかし、そのニセ情報の結果、AさんはK医師と知り合うことができた。

 私「Bさん、きっとガワン先生の護法尊にのっとられてたんだよ」 一同笑。
 Aさん「夜中に緊急入院したこともあったんですけど、その日たまたま主治医が当直に入っていて助かったとか、そんなことばかりですわ。何かに助けられているような。」

 で、その晩、峯寺の番犬、ポチは狂ったように吠えまくった。

 Aさん「昨日の晩、ポチが吠えてたでしょう? 朝みたらお供物なくなってるんですよ。灌頂のお供物を妖魔が取りに来たのかと思って怖かったです。」

 私「タヌキか、キツネか、ハクビシンで決まり。」
 Aさんの奥さん「お皿までなくなっているから人が捨てにいったんですよ」
 副住職「ああ、ポチはね毎晩、午前一時から二時までぴったり一時間なくんですよ」
 一同爆笑。

 その朝、ガワン先生を囲んで峯寺ファミリーとともに朝食を戴く。すると突然の雷鳴ともに驟雨がふり、山の寺は雲の中に入った。ガワン先生は雷鳴は吉兆だという。わたしも縁側でこの雨をみて気持ちのいい通り雨だと思った。

 嵐の神スサノオ(大国主の父)がチベットの高僧の光臨を喜ばれている(のか?)。
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DATE: 2008/07/22(火)   CATEGORY: 未分類
時を超えるゼミ長
19日

 今年四月に卒業した四年生が集まるので、先生も来てというので行く。神のゼミ長Aジ君の世代とはいえ、卒業してまだ三ヶ月、なつかしくなるような時期でもないし、そもそもAジくん卒業してかからも何度もゼミに顔だしているので、彼が卒業したような実感もわかないし、気分は現役の飲み会にいくようなノリ。

 この話をダンナにしたら、「あなたが頼りないから、Aジくんがゼミの品質保持のために見張りにきてるんだよ」と言われた・・・。まさかあ。

そのまさかが、本当だった

 待ち合わせの学部前ロータリーにいくと、なぜか三年ゼミ生、四年ゼミ生、Aジ君いがいの世代のOBゼミ生もあつまっている。

 聞けば今日はワタシの昇任祝いのサプライズパーティだという・・・。

  国立と違い、私立の昇任はそんな大したもんでない(給料も完璧な年功序列)。そもそもワタシは昇任なんてどーでもよかったので、いまだに昇任前の名刺配っているくらいである。

 Aジくん「先生、本当のこといったら絶対来ないでしょ」

 ワタシ「まあ、そうかも。で世代を超えたゼミ生にどーやって連絡つけたの?」

 Aジくん「各世代に留年組がいますよね、その人たちがまとめ役になって連絡つけました。卒業後二年くらいまでをメドに連絡をつけました」

 なんとAジくんは卒業した後もゼミ長であった・・・。ユーミンの時をかける少女のテーマにのって「時を超えるゼミ長」という言葉がひらめく。

 Aジくんは集まった全員を大学近くのカフェにむりやり押し込む。

 乾杯の音頭はもちろんフリー・チベット!この春から農家に入って農業修行中のT君から「オレが種から育てたもんです」とキュウリとズッキーニとキャベツを戴く。全員からはブルーを基調とした花カゴを頂戴する。

 それを手にして記念撮影をするが、野菜と花のとりあわせだと、どこかの県知事が県の農作物をPRしているよう。

 わたしは世にいう理想的な教師とはほど遠い。テンション低いし、学生に対する姿勢は基本放牧だし、「まあ、みんな大人だからいずれ自分で分かるでしょ」をモットーによほどのことがない限り説教もしない(そう、そこの説教されたアナタ、アナタは余程なのよ)。

 なのに、これだけ多くの人が集まってくれるのは、やはりワタシの人徳、のはずもなく、Aジくんの人徳だよ・・・・(笑)。

 そういうわけで、ワタシが退散したあとも、OB現役ともにオールでもりあがったのであったった。

 20日

 テレビつけたら、たまたまNHKの探検ロマン世界遺産で「頤和園」をやっていた(12日の再放送らしい)。どーせ、北京オリンピックにあわせた翼賛企画だろーが、とヤサグレた気持ちでひっくり返ってテレビをみはじめたが、やがて正座になった。

 うろ覚えだが、以下のような内容。

 頤和園は乾隆帝によって築かれた御苑で、乾隆帝は熱心なチベット仏教徒であった。チベットの高僧と同じ高さの席について、チベット語で話した。頤和園の中にある四大部州はチベットの寺の模倣である(さすがにサムエ寺のコピーと固有名詞まではわかんなかったよう)。扁額は満洲・モンゴル・チベット・漢字で記されており、その四つの字体が同じ大きさであるように乾隆帝はすべての民族の文化を尊重していた、ときて、三月のチベット蜂起の映像をだして、今の中国政府がチベット文化を抑圧しているがゆえに、こんな問題がおきている、と示し、最後に中国は今年オリンピックを開催して自信を深めようとしています。その中国の未来にどうすべきかは、過去の歴史が示しているでしょう、と暗に「中国政府、乾隆帝のように民族の文化を尊重せい」といって結んでいた。

 これちょっと昔だったら、中国のいいなりの翼賛観光地宣伝になつて「この広大な庭園は昔は皇帝一人のものだったが、今は人民の楽しむ公園である」(BY 若き日の李纓監督)とかから始まって、あとは日本の文化人との関係(北京秋天とか)とかを紹介しておわるチンプな構成だったはずだ(最初の方みてないからやってたかもしれないけど)。

 なのに、あのNHKが日本ネタもつかわないどころか、中国政府に意見する番組をつくっている! 

 ものすごいパラダイムの転換! 

 三月のチベット蜂起を以後、『チベットを知るための50章』とかよんで勉強してくれたんだね。

 正直、岩波と朝日新聞とnhkは何があってもあのままだろうなと諦めていたが、ひょっとしたら少しは変化を期待できるかも。

 YES YOU CAN CHANGE!(by オバマ)

 21日

 明治大学でJVJAの報告会。二時から五時の長丁場である。

フリージャーナリストの野田雅也さんはチベット解禁のあと成都から東チベットにはいって帰ってきたばかり。ラサは体面上外国人に開放したけど、東チベットの各道路はまだ土嚢の上に機銃をおいた検問所でいたるところ封鎖されていて、とても写真がとれる状態ではなかったとのこと。道行く人々が隠しカメラに顔をとられるのがイヤなのかマスクをして歩いているのが印象的だった。あと四川大地震の被害はやはりチベット側は限定的だったようである。チベット人からいろいろ聞き取りをしてきたようで、その内容は陰惨でしかし伝聞で証拠がないため公式に発表できないのが辛いという。

 写真家の野町さんは毛沢東の長征ルートをたどって写真をとっているうちにチベットに魅せられたこと、そして、解放軍の破壊を西チベットのツァパランの破壊された仏像を中国軍が来る前と後の写真と並べて示したりした。大家だけあって、どの写真もチベットの魅力をうまくきりとって美しく伝えていた。

 石濱は、観音菩薩の慈悲によってチベットの歴史がはじまり、それがダライラマ14世にまで続いているとの歴史話。

 作家の渡辺一枝さんはチベット人の農民とのおつきあいから知ったことをいろいろ話す。中国人資本がはいってきたため、チベット人が交易をやめ、現金収入を得ようとして、中国人の好きなスイカをつくりだしたこと、遊牧民が90万円もらえるとの甘言につられて集合住宅にうつって定住したら、その90万円は貸し付けで、その土地では仕事もなく、無気力に暮らしながら先住のチベット人と陰惨な争いをしているなどを報告。目先のお金につられ、働かないチベット人にも問題があると指摘。

 以上。
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DATE: 2008/07/18(金)   CATEGORY: 未分類
七月のチベット・イベント
 祝日の月曜日、神保町でお話します。以下詳細。

2008/07/21 JVJAチベット報告会(明大・神田)


期日 2008年7月21日(月祝)
場所 明治大学リバティータワー3F 1032教室(定員280人)
時間 開場 13:30 開演 14:00~17:00
資料代 1,000円
お問い合せ JVJA事務局 090-6101-6113 office@jvja.net
会場までのアクセス

・プログラム内容:(順番未定)
野田雅也(フォトジャーナリスト)
野町和嘉(写真家)
石濱裕美子(早稲田大学教授)
渡辺一枝(作家)

※先着順に受付(予約は必要ありません。定員 280 名)
定員を超えた場合は会場収容人員の都合により、ご入場を制限
いたします。あらかじめご了承ください。



 というわけで、月曜日お暇な方は神保町へ。野田雅也さんは、解禁と同時にチベット入りして公安とたたかいながら、現地の動静を取材して、ジャスト帰ったばかり。
 野町さんはご存じスーパー高名な写真家。
 石濱裕美子は、例によってチベットの過去の栄光をやります。会場には、著者割りで著書をおいときますね。『聖ツォンカパ伝』はけっこうお高いので、この機会にどうぞ。

ブッダ・ピース・ウォーク・トゥ・善光寺


主宰 Buddha Road PeaceWalk to ZENKOJI事務局 チベットの風
●7月25日~8月7日
「ヒマラヤを越える子供たち」描画パネル展〈無料〉
  会場:平安堂長野駅前店 まだ小さな子にヒマラヤを越えさせねばならないチベットの現実。
●7月25日~26日
「写真展・チベットへの旅~青年僧一人旅聞き書き~」〈無料〉
  会場:表参道荻原朝陽館ギャラリー  
  写真:飯島俊哲 文:岡澤慶澄
●7月25日、26日、27日
「50人のチベット展in 善光寺」〈無料〉
  ☆開催時間要確認
  会場:善光寺大本願寿光殿(東京泉の森会館で開催され話題の展覧会を長野で開催)
●7月25日26日27日
「渡辺一枝チベット写真展」〈無料〉
  ☆開催時間要確認
  会場:善光寺大本願明照殿(20年来、チベット文化圏の写真を撮 り続けている渡辺一枝さん写真展)
●7月26日午前5時30分 善光寺本堂ご案内 「お数珠頂戴」「お朝事(法要)」「お戒壇巡り」内陣参拝券500円
  会場:善光寺本堂 早朝の静寂と澄んだ空気のなかの荘厳な読経。善光寺如来の存在を感じながらの祈り。
●7月26日午前9時「善光寺縁起絵解き」志納300円 解説:善光寺大勧進事務局
  会場:善光寺大勧進 自らの意思で三国を渡り長野にいらした善光寺如来さまの縁起物語り。
●7月26日午前11時「中世、戦乱の世と仏教」〈無料〉解説:袖山榮輝
  会場:善光寺表参十念寺 
  戦乱の善光寺平で、敵味方区別なく戦死者を弔った僧侶たちの物語り。
●7月26日午後3時
「ダライ・ラマ~他者と生きる~ 」
  下記詳細参照
◎7月 26日(土)
『ダライ・ラマ~他者と生きる~』
  田崎國彦先生をお招し『チベット問題を学ぶ』勉強会
◆会場 長野市 西方寺

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DATE: 2008/07/14(月)   CATEGORY: 未分類
ゼミ旅行で善光寺へ
七月十一日

 今年の夏のゼミ旅行はもちろん長野。長野は夏は涼しいし、世界中に令名を轟かせたかの国宝善光寺様に是非いかねば。

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 宿は長野よりちょっと南の屋代の由緒ある武水別神社のま横。宿からほど近い里山は、世阿弥や芭蕉も題材にした、名勝姥捨て山である。お昼ご飯のあと、この神社の鳥居を背にひたすら山を登る。じつはこの姥捨て山、棚田の保存地域としても有名で、この棚田をみおろす姨捨の駅からの風景は日本の三大車窓に数えられている。学生は地理の授業で棚田を勉強しているので、国文+民俗学+地理の勉強になる。

 しかし、例によって暑い。梅雨も明けていないのに棚田には入道雲がかかっている。

 全員脱水症状になって棚田の頂上につくが、そこには千曲市の管理棟があるばかりで、水分はない。そこで、水分を求めて芭蕉が「おもかげや姨ひとりなく月の友」を詠んだ天台宗長楽寺に向かう。この寺の境内には芭蕉の後を慕う数々の文人の句碑であふれかえっている。

 この寺の裏手にある姨捨会館(閉店)の前に自販機発見。渇えた我々は全員でこの自販機を襲い、水分を買いまくる。じつはこの自販機北京オリンピックの公式スポンサーコカ・コーラ社だったので本当は使いたくなかったが、この状況下ではいた仕方ない。エコを考えた場合、やはりハイキングに出る前には水筒を準備すべきであった。

 「暑い」→「自販機(orコンビニ)を探す」という、この腐った精神構造自体が、地球温暖化を促進するのだ。

 と自己批判しつつ山を降る。途中、阿弥陀仏の48請願にかけた48枚田があり、そこに田所観音という棚田の中にうもれる絵になる観音様を見つける。

 山をおりてくると武水別神社の大鳥居がまっすぐ前に見える。これおそらく、民俗学的にいうと、里山(姥捨て山)にいる祖先の霊が春になって田の神になって戻ってくるのを受け入れたり、送り出したりするたるの鳥居だ。社伝をみると、やはりこの神社はかつては五穀豊穣を祈り、千曲川の水をまつったりしていたという。

 死の世界から生の世界への帰還である。宿に帰って、温泉入って夜ご飯に食堂にいって驚く。私の席だけがお誕生席で、学生が両側にならぶという、アフリカの独裁国家の食卓のような席並びになってる。私はその晩、たまたま迷彩柄のTシャツを着ていたので、シャレにならん。
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 食事がおわるとおきまりの飲み。、ゲームや話を楽しみたい人、寝部屋、タバコをすう人たちの「アヘン窟」と別れる。アヘン窟は夜も深まるうちに、Aちゃんがママとなってクラブのような様相を呈してきたため、その部屋はママ自身により「クラブそこそこ」と命名される(何やってんだか)。

七月十二日

 本日は松代大本営(先の大戦末期、軍部は大本営を松代に移そうとまじめに考えて、朝鮮半島の人とかを動員してメチャクチャに働かせて作った防空壕。防空壕で戦わなきゃいけない時点ですでに負けているのに、なぜとっとと降伏しなかったのか、日本も昔はキてたんだね)にいくグループと、茶臼山動物園・恐竜公園に行くグループに別れて行動。

わたしはもちろん、動物園組(笑)。

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この動物園、かの有名な旭山動物公園にならって、行動展示(その動物の習性にあわせた環境をつくって、その姿を見せることによって動物も生き生きするし、それをみるお客さんも楽しくなって倍増。)をやっている。だから、高い台にのぼってキリンにエサをあげたり、レッサーパンダとツーショット写真をとったり、オオコノハズクを手にとめたりできるのだ!

 関東のとある水族館では、イワシの群を展示する際、イワシを補食するイカを一緒に水槽に入れている。イワシはイカにやられまいとして、必死に逃げるから銀色の群は美しい旋回を我々にみせてくれ、もちろんイカに食べられることによってイワシには犠牲はでるが、生き残ったイワシはイカがいなかった時よりも寿命が延びたという。緊張感が彼らの生命力を高めたのだ。

 小猿とか、小熊とかは本当に幸せそうに遊んでいてほほえましかったが、ゾウとシロオリックスは明らかに精神を病んでいた。やはり、狭い動物園では「本来の環境に近づけ」るといっても限界があるんだな。それに、夜行性のオオコノハズクをまっぴるま外にだしてさわらせるのはかわいそう、さわらせるのなら昼行性の鳥類にした方がいいと思う。次に恐竜公園で童心に返って遊ぶ。帰ってから写真をみたらとても大学生の旅行にはみえない。小学生のそれ。

 夜は花火の後、のみ。「クラブそこそこ」は、本日は「カラオケ・スナックAやか」に変身(笑)。

七月十三日

 本日はいよいよ善光寺へ。まず、ご本尊のまわりを本堂下のまっくらやみを手探りですすみながらコルラする、戒壇めぐりに入る。この途中、極楽の錠前をさぐりあてることができると、死後、極楽にいけるので、わたしは学生の究極の幸せな将来(笑)を考えたことになる

 そのあと門前で信州そばをたべて、本堂で若麻績敬史ご住職と待ち合わせ。今年四月、長野で北京オリンピックの聖火リレーが行われた際、善光寺が出発地点とされていた。しかし、若麻績ご住職を代表とする複数の僧侶たちが、「仏教の聖地である善光寺が同じ仏教徒であるチベット人を弾圧している中国の国威発揚を行う聖火リレーの出発地点に利用されるのは、おかしい」と至極真っ当な主張を行い反対運動を起こした。結果、善光寺はこの出発地点の返上を行った。

 この英断は先進各国に喝采を持って迎えられ、Zenkojiの名前は横文字で国際的に知られるようになった。

 わたしはかねがね善光寺様のこの英断はどのような背景からなされたのか興味があったので、ご住職のお話を伺おうと今回コンタクトをとらせていただいたのである。

 ご住職は学生を前に、我が身を犠牲にして人の幸せのためにつくす仏教者としての本分を、マザーテレサや宮本賢治やアウシュビッツの神父さんの例などをあげて説明し、「聖火リレーの出発地点を返上すれば、大変なことになることはわかっていたが、これで黙っていたら日本仏教の危機だと思った」と当時の心境を語ってくださった。

 この日関東はお彼岸の入りであった。東日本随一の大きさを誇る善光寺の荘厳な本堂には、各地から集まってきた多くの人でごった返していた。ご住職は彼らの方をごらんになると、こうおっしゃられた。

「善光寺は檀家がないんです。ずうっと昔から、阿弥陀様やご先祖様を思う彼らのような市井の人々の一人一人の信仰に支えられてきました。お参りする方の宗派もえらびません。すべての人にこのお寺は開かれています。昔は徒歩でここまできて、このお堂に何日かこもって阿弥陀様のヴィジョンを得ようとしました。そのとき、父親のことを毎日思っている人には父親の姿や声が見えたり聞こえりしました。阿弥陀様の前では普段から強く思うことがヴィジョンとなって現れるんです。わたしは十四年に一度当番で大きな法事を主宰するのですが、何年か前のその時、阿弥陀様のお慈悲を強く体感したことがありました」

 その時、わたしはあの英断がなぜなされたのかその一端がわかったような気がした。あの英断は一朝にしてなったのではない。

 日本のほとんどの寺が檀家の葬儀や法事を行うことで生計をたてるうちに、仏教者としての本来のあり方を忘れつつある中、ここ善光寺という場には、一人一人の信仰によって支えられている仏教が中世よりずっと生きつづけている。そしてそれが彼らが仏教者としてスジを通す力を生み出したのだ。

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阿弥陀様の慈悲が善光寺さんの行動を通じて世の中を照らしたのである。

 そのあと、資料館にいき、善光寺のご本尊である三国伝来(この三国、おもしろいことにインド・朝鮮・日本で中国は入らないという 笑)の一光三尊の阿弥陀様のお話などを伺う。記念撮影の後、ご住職より「悲・コンパッション チベットからの風」という小冊子と、二十五日と二十六日に善光寺さんでおこなわれるチベットイベント(←詳細はここクリック)ちらしを頂戴する。

 善光寺さんはすべての宗派の人を受け入れ、その人々によって支えられてきたお寺である。だから、、一般信徒をしめだし、警官にガチガチにまもられなければ開催できないような、しかも、特定の民族の国威発揚の象徴であるような、しかも、その特定の民族が仏教徒を弾圧しちゃったりしているような聖火リレーの出発地点になること自体がそもそもミスマッチだったのだ。 

 オリンピックは予定どおり開かれるだろうし、某国はそれを成功と喧伝するだろう。しかし、実質的かつ倫理的にいえば、このオリンピックは大失敗である。

 今年のオリンピックが客観的にどう定義されるかはいずれ歴史が教えてくれるだろう。

 仏教2500年の底力を感じた長野の旅であった。
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DATE: 2008/07/09(水)   CATEGORY: 未分類
歴史研究のヨロコビ

宣伝を頼まれました


勝谷誠彦×ペマギャルポ対談
FREE TIBET!~中国が隠し続ける「チベットの真実」~
日時 7月10日 (木) 19:00~ 21:30 (予定)
場所 オダイバ http://tcc.nifty.com/about/
前売り券1500円 当日1700円(飲食代別)
詳細はここクリック



ANA マイレージ・クラブからこんなメールがきた

まだ間に合う!北京オリンピック観戦ツアー
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┃┃ 北京オリンピック開幕までいよいよあと1ヶ月!
┃┃≪ 卓球、バドミントン、女子バレーボール
┃  人気種目コースを一部値下しました! ≫
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 北京オリンピック熱がいよいよ高まってきました。
 人気種目・日本代表出場種目を多数揃えた観戦ツアーをご用意♪
 歴史的感動の瞬間をこの目で体験しませんか?


ふうんそろそろスポンサー料回収に動き出したな、「で値下げして、おいくらになってるのかしら。」

 と自分がとまったホテルを目安にみてみると・・・・

新北緯飯店が一泊四万円以上している!

このホテル、もともとサッポロビールの資本でたったビジネスホテルで、昔は新僑飯店とかいっていて、後に中国資本に売られて今の名前になった。

 で、このホテルが開店直後のピッカピカの時で、シングルで日本から予約して八千円くらいだった。今はかなりボロくなっていて、しかも日本資本でなくなって四万とは、選手の身内の方とかマスコミとか経費がかかって大変ねえ。チベットでは大きなイベントがあると、テント村ができて、まわりに勝手にキャンプするからお金かかんないけど、北京は天壇公園とかにテントはってもいいのかな。たぶんダメだろうな。

オリンピックって、アスリートの鍛え抜かれた技をみてわーっと騒いで民衆のストレス解消、てことで、お祀りみたいなものなんだろうけど、所詮は気張らし。ローマ帝国のコロッセウムのように、大規模イベントに癒しをもとめるようになるとローマ帝国もそろそろですな。

 さて、学術院長選挙も終わり、休講しなかったから補講もしないでいいので、教場試験期間は半期の授業の試験と通年の授業の最後の一回をやれば終わり。

 原稿書きと研究の日々が始まる。うれしー。

 そういえばこの間とあるゼミ生に卒論指導をしていたら、

学生A「歴史を研究するっていうことは、こういうことが未来におきて欲しくないから、それを伝えるためにやるんじゃないんですか。」

私「歴史研究ってのはねー。まずその時代特有の制度や事件やものの考え方とかを史料に基づいて、予断を排して再構築するのが基本よ。歴史研究は理系が自然や事象を客観的に観察するように、ある時代の構造や因果関係を読み取ろうとする作業。過去におきたことに正邪のレッテルをはったり、現在にしかない概念で過去を解釈したりするのは、研究の段階ですることじゃないんだよ。」というと、

学生A「じゃあ、先生は何のために大学で歴史を教えているんですか。そんな何のやくにもたたないもの教えても仕方ないじゃないですか」

私「ぷっちーん。あなたには未知のものを知りたいとかそういう気持ちがないの?人類の文化を発展させてきたのは、その情熱なのよ。」

学生A「ボクは全然知りたいと思いませんね。自分の身のまわりのこと以外にはまったく興味がありません」

 ぐはぁ。常々思うのだが、若いということは、苦いというか、イタイというか。まだ、世界のことも、何より自分のことも、まったく何もわかってないのに、主観に基づいて物事を決めつける時の判断の速さとその根拠のない自信には、つくづく脱帽する。

 まあでもたぶん自分も若い時はこんなカンジで、「自分から見た世界」や「自分が思う自分」を絶対視して、今から思うと恥ずかしいことをいっぱい言ったりやったりしていたんだろうな。一つ言えることは、自分でイッパイイッパイだった頃より、ささやかながら少しは回りを見回す余裕がでてきた今の方が、心は平穏になったこと(といいつつしょっちゅう怒ってるけど。まあこれはデフォルトの性格なんで)。

 学生に言わせれば役に立たない研究なんだろうが、私は、今とはまったく違う時代に人々が何を考えていたのか、その考えに基づくからこそこのような行動をとっていたのだ、などということが分かるととても嬉しくなる。とある島にしか住まない新種の美しい花を見つけた植物学者のような、新しい星をみつけた天文学者のような、たぶんそんなカンジ。

 夏はまだ始まったばかり。
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DATE: 2008/07/06(日)   CATEGORY: 未分類
深読みカンフーパンダ
 「インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの迷宮」を見てきました。

 初回では若さピチピチだったハリソンフォードも、いいじいさん。
 「この年になると失うものばかり」とか言う姿には哀愁すらただよう。
しかし、アメリカのお父さんはそう簡単にリタイアしません。今回も冒険活劇につきものの、謎解きと古代遺跡と家族愛をフルセットで楽しませてくれます。

  初回でヒロインを演じたマリオンが二十数年をへて息子(むろんオヤジはインディ)をつれて登場。第一作目へのリスペクトがいたるところにでてるのでオタクはチェックしてから映画館へ。

 ただし、行く先々で遺跡ぶっこわすインディは考古学者としてはサイテーだと思います。

 で、映画が始まる前に次回上映作品のコマーシャルが流れる。その一つにカンフーパンダがあった。アメリカのアニメーションの常として、でてくる主役級のキャラがどれもグロくてぜんっぜん、可愛くない。

 ポケモンがアメリカに輸出された時、ピカチュウが「最も愛すべきキャラ」に選ばれたところをみると、彼らアメリカ人の感性もわれわれと変わらないと思うのだが、だとするとなぜアメリカのアニメーションにでてくる動物はかくもグロいのだろうか。
 
 まあ、それはおいといて、予告編でみる限り、自他とも認める弱いダメ・パンダが「自分を信じて」修行をすることによって、平和の谷を救う、という、「空手キッズ」な物語。

 ああ、おこちゃまむけのカンフーアニメかあ、と思ったが、ちょっと気になったのが、敵役の名前がタイラン(Tai Lung)だったこと。

これ、タイラント(独裁者)を暗示しているのかな?

 だとすると、パンダはチベット高原東辺の動物だし*、ハリウッドはリベラルの牙城だし、ひょっとして中国に対する高度なイヤミを含んだ作品か?

 *亡命チベット政府はかつて「パンダはチベットの動物です」というキャンペーンを行ったことがある。しかし、パンダのいるギャロンは昔からチベット文化圏ではあるが、中央チベット政府とどっかんどっかんぶつかっていた地域なので、微妙な主張である。

 そう考えてみると、主人公のパンダの名前はポウ(Po)これは、チベット語でチベットを意味する「bod(po)」のと同じ発音である。

 ポウ(チベット)対タイラント(独裁者=中国政府)となる。

 これって、弱いバンダ(チベット)が強くなって、タイラント(中国)に闘いを挑んで勝つ、という暗喩かあ?

 しかし、なにしろカンフーパンダ、日本ではまだ封切りされていないので詳しいストーリーはわからない。そこで、英語のWiki でKung-fu Pandaをひいてみる。

 で、テキトーに把握したストーリーは以下のよう

レッサーパンダのシフ(先生)は、雪豹のタイランを子供のようにかわいがってカンフーを教えたけど、ドラゴン・マスターにしようとしたら、亀賢人に「不合格」と言われてなれませんでした。タイランはそれを恨んで暗黒面におちてしまい、谷を荒らします。レッサーパンダは涙をのんでこの愛弟子を倒して刑務所に送り込みます。

 しかし、タイランは脱獄。谷をまもるドラゴンマスターを選出すべく、五人のカンフーの達人(サル、虎、蛇、カマキリ、ツル)が天下一武道界を開いて戦うことになります。

 その会場に、ノーマークの食堂の息子のメタボ・パンダ、ポウが出現して、亀賢人は何とこのダメパンダがドラゴンマスターだという。みな半信半疑だが、とにかくレッサーパンダのもとでパンダは修行をつみ、とうとう龍の巻物を手に入れる。
 しかし、そこにはなーんも書かれていなかった。

 タイランをむかえうった五人の戦士たちは負け、平和の谷は危機一髪、さあどうするポウ。
 逃げまどう人々の中でパンダは父親とであう。父親はうちの麺のあじのヒケツは「ゼロ」(nothing)だ、と伝える。そこでポウは巻物の奥義が自分を無にすることである、と覚る。
 タイランとポウは対決し、ポウはタイランを打ち負かして谷は護られましたとさ。


 って、なにこの恐ろしいまでに単純なストーリー展開。

 それに、敵役のタイランは雪豹**。これチベット高原の生き物じゃん。

 **スノーライオン。かの有名なチベット国旗で、チベットの政治と仏教を象徴してむかいあっているあの動物よ。

 ここに暗喩を見ようとすると手、ギャロン政権(パンダ)とダライラマ政府(雪豹)の闘いになってしまう。

 ああ、18世紀の物語かあ。

 なわけもないから、ストーリーや動物の出身地を見ただけでは、風刺の意図があるかどうかは結論できず。

まあちょっとでも風刺のにおいをかぎとったら、上映禁止にする某国がいるから、収益を至上命題とするハリウッドもアブナイ賭けはすまい。

 しかし、この政治色を一生懸命消そうとしたその配慮の中にこそ制作者の意図をみてやりたいと思う。

 とりあえず、虎や龍といった中国イメージど真ん中の動物を主人公にせず、主役級をすべてチベット高原の動物(レッサーパンダ、パンダ、雪豹)にしたこと、ポウとタイランという主役二人の名前に何かがこめらてれいるのではないか、と深読みしてあげて、ちょっと評価したげるよ。

 見に行かないけどね!
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DATE: 2008/07/02(水)   CATEGORY: 未分類
学士会館でチベットを話す
 水曜日は某大学院でお話をする。地下鉄の某駅におりたつと、サミットの警備か、改札やらホームやらに警察官がいっぱい。善良な小市民である自分はにこやかにその前を通り過ぎる。

 会場についてからは、ここ数年の自分の研究テーマである、チベット、モンゴル、満洲の王権と仏教の歴史についてお話する。

 先生方にはおおむね好評であった。しかし、聴衆の中にいた中国籍の留学生(僧侶)の方から、たどたどしい日本語で何か抗議されているような感じの質問を受けた。その時は彼が何を言いたいのかよく分からなかったのだが、そのあといろいろ考えて、どうも彼は「中国は多民族国家なのだから、満洲人が中国を征服した、とか、モンゴル人が中国を征服した」とかいう表現がおかしい、とおっしゃっていたような気がする。

 そりゃ、今はチベットもモンゴルも満洲も「国内」かもしれないが、元朝や清朝は歴史的に言えば、前者はチンギス・ハンの孫でモンゴルからやってきた政権だし、満洲王朝も外からやってきて、万里の長城を突破して中国を征服したのだから、この時代まで国内問題だから「征服」いうないうのは、あまりにも客観的かつ歴史的な思考がなさすぎ。

 例によってものすごく不快な気持ちになったので(小人物!)、次のお仕事場、学士会館につくと、初対面の主催者の方一人をつかまえて、コーヒーのみながら、グチグチ愚痴る(スイマセン)。

 ぐちっているうちに、だんだん再起動してくる。

 歴史を研究する上でやってはいけないことの最たることは現在の認識が予断となって過去の歴史的事実を現在に都合のいいように解釈することである。

 私はチベットやモンゴルの歴史書や満洲語の史料に則って、「当時の人はこう考えていた」という歴史像を呈示しているのであり、それに対して、もし何か言いたいことがあるのなら、どうぞ、私と同じだけチベット語やモンゴル語や満洲の歴史を読んで、その上で根拠をあげて、反論しろ、といいたい。
 
 「過去がこうだった」という際に、今の人がどう反応するのかなんていちいち考えながら話していたら、それはすでに研究者の思考ではなく、政治家のそれである。現代人の反応なんかいちいち気にしてられっかい、べらぼーめー。

研究者としてのスジを通すのみっ。

 我ながらここ二ヶ月で、ずいぶんタフになったもんだよ(タフというより鉄面皮になったという気もするが)。

 学士会館のイベント(アジア・パシフィック・フォーラム)については、わたしはどんな内容の会かよくわからなかったが、主催者の方から、「一般の方から募った作文の選考をしてください」と頼まれて参加することとなった。しかし、そもそも私は他人様の書いたものを選ぶなんて大それたことをしたこともないし、したくもない。みなさんそれぞれの思いがあって送ってくるものに、甲乙つけるなんてできない。

 しかし、何かを選ばなきゃならなくなっため、仕方なく断腸の思いで、形式・長さ・バランス(男女・硬軟)にのっとって、文章を選ばせていただいた。

 今日こられなかった方の供養に(笑)、そのうちのお一人、Fさんの文章を転載させていただきます。何か最後の一行でざっくり心を捕まれましたです。

 「チベット」は数ヶ月前まで、知らない国でした。
中国だとも思ってなかったし、国なんだとも・・思ってなかったような、
曖昧でぼんやりとした、自分に関係の無い“どこか遠く”。

今でも、遠い。

行ったことも無ければ、その地の人と会ったことも話したことも無い。
完全に他人。

3月に知った「チベット」で起きた“何か”。

人が死んだ。
沢山の人が。

インターネットの、PCの画面の向こうに広がる“知らなかったこと”達。

拷問を受けた人の、亡くなられていった人の、悲鳴。

きっと世界中にまだ存在する、権力に踏みにじられる人たち。
その人たちの中で、「チベット」というものに、
わたしのなかで、何かしなきゃ、って思いが溢れた。
なぜかは、知らない。
でも何かしたくなったんだ。

遠くの他人。
この人たちが、笑って暮らす日々を夢に見る。

自分の国で、自分の家で、大切な家族と、温かいご飯を食べる。
友達とけんかする。親に反抗する。
遊ぶ。笑う。泣く。怒る。

今 わたしが持っているこの、当たり前の日々を、
あなたたちに過ごしてほしいんだ。

信じている人を信じていると言える。
大切な人の為に祈る。
歌う、踊る。
そんな毎日を。

ちっぽけな私が出来ることは 何かあなたたちの力になるだろうか?
わからないけど 祈ります。

声をあげよう、声も出せないあなたたちの代わりに。

フリーチベット。
“フリー”の意味は独立でも自治でもどっちだっていいよ。

ただあなたに幸せになってほしい。
笑っていてほしいんだ。

どうか生きてください。
あなたが笑える日はきっと来る。

どうか生きて。
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