学士会館でチベットを話す
水曜日は某大学院でお話をする。地下鉄の某駅におりたつと、サミットの警備か、改札やらホームやらに警察官がいっぱい。善良な小市民である自分はにこやかにその前を通り過ぎる。
会場についてからは、ここ数年の自分の研究テーマである、チベット、モンゴル、満洲の王権と仏教の歴史についてお話する。
先生方にはおおむね好評であった。しかし、聴衆の中にいた中国籍の留学生(僧侶)の方から、たどたどしい日本語で何か抗議されているような感じの質問を受けた。その時は彼が何を言いたいのかよく分からなかったのだが、そのあといろいろ考えて、どうも彼は「中国は多民族国家なのだから、満洲人が中国を征服した、とか、モンゴル人が中国を征服した」とかいう表現がおかしい、とおっしゃっていたような気がする。
そりゃ、今はチベットもモンゴルも満洲も「国内」かもしれないが、元朝や清朝は歴史的に言えば、前者はチンギス・ハンの孫でモンゴルからやってきた政権だし、満洲王朝も外からやってきて、万里の長城を突破して中国を征服したのだから、この時代まで国内問題だから「征服」いうないうのは、あまりにも客観的かつ歴史的な思考がなさすぎ。
例によってものすごく不快な気持ちになったので(小人物!)、次のお仕事場、学士会館につくと、初対面の主催者の方一人をつかまえて、コーヒーのみながら、グチグチ愚痴る(スイマセン)。
ぐちっているうちに、だんだん再起動してくる。
歴史を研究する上でやってはいけないことの最たることは現在の認識が予断となって過去の歴史的事実を現在に都合のいいように解釈することである。
私はチベットやモンゴルの歴史書や満洲語の史料に則って、「当時の人はこう考えていた」という歴史像を呈示しているのであり、それに対して、もし何か言いたいことがあるのなら、どうぞ、私と同じだけチベット語やモンゴル語や満洲の歴史を読んで、その上で根拠をあげて、反論しろ、といいたい。
「過去がこうだった」という際に、今の人がどう反応するのかなんていちいち考えながら話していたら、それはすでに研究者の思考ではなく、政治家のそれである。現代人の反応なんかいちいち気にしてられっかい、べらぼーめー。
研究者としてのスジを通すのみっ。
我ながらここ二ヶ月で、ずいぶんタフになったもんだよ(タフというより鉄面皮になったという気もするが)。
学士会館のイベント(アジア・パシフィック・フォーラム)については、わたしはどんな内容の会かよくわからなかったが、主催者の方から、「一般の方から募った作文の選考をしてください」と頼まれて参加することとなった。しかし、そもそも私は他人様の書いたものを選ぶなんて大それたことをしたこともないし、したくもない。みなさんそれぞれの思いがあって送ってくるものに、甲乙つけるなんてできない。
しかし、何かを選ばなきゃならなくなっため、仕方なく断腸の思いで、形式・長さ・バランス(男女・硬軟)にのっとって、文章を選ばせていただいた。
今日こられなかった方の供養に(笑)、そのうちのお一人、Fさんの文章を転載させていただきます。何か最後の一行でざっくり心を捕まれましたです。
「チベット」は数ヶ月前まで、知らない国でした。
中国だとも思ってなかったし、国なんだとも・・思ってなかったような、
曖昧でぼんやりとした、自分に関係の無い“どこか遠く”。
今でも、遠い。
行ったことも無ければ、その地の人と会ったことも話したことも無い。
完全に他人。
3月に知った「チベット」で起きた“何か”。
人が死んだ。
沢山の人が。
インターネットの、PCの画面の向こうに広がる“知らなかったこと”達。
拷問を受けた人の、亡くなられていった人の、悲鳴。
きっと世界中にまだ存在する、権力に踏みにじられる人たち。
その人たちの中で、「チベット」というものに、
わたしのなかで、何かしなきゃ、って思いが溢れた。
なぜかは、知らない。
でも何かしたくなったんだ。
遠くの他人。
この人たちが、笑って暮らす日々を夢に見る。
自分の国で、自分の家で、大切な家族と、温かいご飯を食べる。
友達とけんかする。親に反抗する。
遊ぶ。笑う。泣く。怒る。
今 わたしが持っているこの、当たり前の日々を、
あなたたちに過ごしてほしいんだ。
信じている人を信じていると言える。
大切な人の為に祈る。
歌う、踊る。
そんな毎日を。
ちっぽけな私が出来ることは 何かあなたたちの力になるだろうか?
わからないけど 祈ります。
声をあげよう、声も出せないあなたたちの代わりに。
フリーチベット。
“フリー”の意味は独立でも自治でもどっちだっていいよ。
ただあなたに幸せになってほしい。
笑っていてほしいんだ。
どうか生きてください。
あなたが笑える日はきっと来る。
どうか生きて。
会場についてからは、ここ数年の自分の研究テーマである、チベット、モンゴル、満洲の王権と仏教の歴史についてお話する。
先生方にはおおむね好評であった。しかし、聴衆の中にいた中国籍の留学生(僧侶)の方から、たどたどしい日本語で何か抗議されているような感じの質問を受けた。その時は彼が何を言いたいのかよく分からなかったのだが、そのあといろいろ考えて、どうも彼は「中国は多民族国家なのだから、満洲人が中国を征服した、とか、モンゴル人が中国を征服した」とかいう表現がおかしい、とおっしゃっていたような気がする。
そりゃ、今はチベットもモンゴルも満洲も「国内」かもしれないが、元朝や清朝は歴史的に言えば、前者はチンギス・ハンの孫でモンゴルからやってきた政権だし、満洲王朝も外からやってきて、万里の長城を突破して中国を征服したのだから、この時代まで国内問題だから「征服」いうないうのは、あまりにも客観的かつ歴史的な思考がなさすぎ。
例によってものすごく不快な気持ちになったので(小人物!)、次のお仕事場、学士会館につくと、初対面の主催者の方一人をつかまえて、コーヒーのみながら、グチグチ愚痴る(スイマセン)。
ぐちっているうちに、だんだん再起動してくる。
歴史を研究する上でやってはいけないことの最たることは現在の認識が予断となって過去の歴史的事実を現在に都合のいいように解釈することである。
私はチベットやモンゴルの歴史書や満洲語の史料に則って、「当時の人はこう考えていた」という歴史像を呈示しているのであり、それに対して、もし何か言いたいことがあるのなら、どうぞ、私と同じだけチベット語やモンゴル語や満洲の歴史を読んで、その上で根拠をあげて、反論しろ、といいたい。
「過去がこうだった」という際に、今の人がどう反応するのかなんていちいち考えながら話していたら、それはすでに研究者の思考ではなく、政治家のそれである。現代人の反応なんかいちいち気にしてられっかい、べらぼーめー。
研究者としてのスジを通すのみっ。
我ながらここ二ヶ月で、ずいぶんタフになったもんだよ(タフというより鉄面皮になったという気もするが)。
学士会館のイベント(アジア・パシフィック・フォーラム)については、わたしはどんな内容の会かよくわからなかったが、主催者の方から、「一般の方から募った作文の選考をしてください」と頼まれて参加することとなった。しかし、そもそも私は他人様の書いたものを選ぶなんて大それたことをしたこともないし、したくもない。みなさんそれぞれの思いがあって送ってくるものに、甲乙つけるなんてできない。
しかし、何かを選ばなきゃならなくなっため、仕方なく断腸の思いで、形式・長さ・バランス(男女・硬軟)にのっとって、文章を選ばせていただいた。
今日こられなかった方の供養に(笑)、そのうちのお一人、Fさんの文章を転載させていただきます。何か最後の一行でざっくり心を捕まれましたです。
「チベット」は数ヶ月前まで、知らない国でした。
中国だとも思ってなかったし、国なんだとも・・思ってなかったような、
曖昧でぼんやりとした、自分に関係の無い“どこか遠く”。
今でも、遠い。
行ったことも無ければ、その地の人と会ったことも話したことも無い。
完全に他人。
3月に知った「チベット」で起きた“何か”。
人が死んだ。
沢山の人が。
インターネットの、PCの画面の向こうに広がる“知らなかったこと”達。
拷問を受けた人の、亡くなられていった人の、悲鳴。
きっと世界中にまだ存在する、権力に踏みにじられる人たち。
その人たちの中で、「チベット」というものに、
わたしのなかで、何かしなきゃ、って思いが溢れた。
なぜかは、知らない。
でも何かしたくなったんだ。
遠くの他人。
この人たちが、笑って暮らす日々を夢に見る。
自分の国で、自分の家で、大切な家族と、温かいご飯を食べる。
友達とけんかする。親に反抗する。
遊ぶ。笑う。泣く。怒る。
今 わたしが持っているこの、当たり前の日々を、
あなたたちに過ごしてほしいんだ。
信じている人を信じていると言える。
大切な人の為に祈る。
歌う、踊る。
そんな毎日を。
ちっぽけな私が出来ることは 何かあなたたちの力になるだろうか?
わからないけど 祈ります。
声をあげよう、声も出せないあなたたちの代わりに。
フリーチベット。
“フリー”の意味は独立でも自治でもどっちだっていいよ。
ただあなたに幸せになってほしい。
笑っていてほしいんだ。
どうか生きてください。
あなたが笑える日はきっと来る。
どうか生きて。
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