白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/12/31(水)   CATEGORY: 未分類
死期が迫って真実を知る
 ブログを読んでくださったみなさま、今年一年、本当にありがとうございました。

 来年もよろしくお願いいたします。

 で、終わるのも何なので、コネタを一席。
 今日の朝日新聞の社説のタイトルみて仰天。

 「チベット問題―いまこそ対話の好機だ」

チベットで揺れた年だった。3月の騒乱に始まり、五輪の聖火リレーを巡る混乱は世界に広がった。今月には、欧州連合(EU)議長国・フランスのサルコジ大統領が、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と初めて会談し、中国の猛反発をかった。
 中国の外務省報道官は「祖国分裂をはかる政治亡命者と会ったのは、内政への乱暴な干渉で、人民の感情を大きく傷つけた」と言った。「靖国参拝を繰り返した小泉元首相と同じだ」という批判も中国国民から噴出した。
 ダライ・ラマと会談しないよう再三にわたり警告していた中国側は、フランスのリヨンで開かれるはずだったEUとの首脳会談を延期した。
 金融危機が実体経済にも及ぶなか、世界経済の立て直しに役割が期待される中国とEUのサミットが実現しなかったのは、極めて残念だ。
 サルコジ氏が中国の強い反対にもかかわらず会談に踏み切ったのは、人権重視の国内世論に配慮しただけでなく、中国側にダライ・ラマとの対話の重要性を改めてアピールする狙いがあったに違いない。
 3月の騒乱後、国際世論におされて始まったダライ・ラマの特使と中国当局者の対話は行き詰まったままだ。
 「独立ではなく高度の自治」というダライ・ラマの「中道路線」には変わりがない。だが、中国当局は「事実上の独立を目指している」と受け付けない。対話再開は、北京五輪に悪影響を与えないためのポーズだった。そう思わせるほどのかたくなさだ。
 そんな中国の姿勢に、チベット社会では若者を中心に「独立」を求める強硬路線が勢いを増している。先月の亡命チベット人会議でも、中道路線継続は確認したものの、中国側が前向きに対応しなければ、独立を要求する以外に道はないとの声が大きかった。
 チベット人はチベット自治区以外にも暮らし、チベット仏教を信仰するのもチベット人に限らない。このため、ダライ・ラマの求める「自治」の範囲への疑念が、中国当局の頭から消えないのかもしれない。
 しかし、中国はやはり、チベット社会で幅広い支持を得ているダライ・ラマとの対話を進めるべきだ。
 ダライ・ラマの73歳という年齢を考えて、対話を先送りするという思惑も一部にある。だが、それでは両者をつなぐパイプがつまり、強硬派を勢いづかせて再び騒乱を招きかねない。来年はチベット動乱から50年という敏感な時期でもある。
 日本政府はチベット騒乱後、欧米のように大声ではなく、静かにねばり強く中国に対話路線を説得した。「メンツを大切にした日本外交が功を奏した」という声が中国内で出たほどだ。日本流の働きかけを続けるべきだ。


 
 まあ古くからチベットやってる我々からみたら「おせーよ」てなもんですが、 朝日が書いたとなれば、これはやはりびっくりです。

 大晦日というこの暮れもおせおせに、朝日を読む高齢の知識人層の脳内に、チベット問題の解決を訴えてくれたことを素直に喜びたいと思います。

 いや、ぶっちゃけ、もう朝日新聞をとるのをやめて、可愛い卒業生がおつとめしている某新聞にかえようかなーと思ってましたが、もう少し様子見してみようと思います。

 この迷走がどこに向かうのかを(笑)。

 ダライラマ法王のおっしゃることはここ半世紀一貫して変わっていないので、世間がやっと彼の見識に追いついたということでしょう。

 二酸化炭素が地球を温暖化している、ということをいくら主張する科学者がいても、経済重視の世界は「トンデモな話」として、とりあわなかった。でも、2007年、温暖化による地球の破滅を訴え続けたアル・ゴアがノーベル平和賞とると、掌返したように、温暖化を認める報道一色となった。
 アル・ゴアの先生は彼が学生の頃から同じことを説いていたのに。

 今年ノーベル経済賞を受賞したクルーグマンも、ずっとこの金融自由主義を批判していたが、「トンデモ経済学」とかバカにされて、金融恐慌に突入してはじめて、その内容を認められた。

 人は破滅の瀬戸際まで来ないと、真実に耳を傾けない。

 人は必ず死ぬのに、死ぬ直前まで好き放題やって、死期を宣告されて初めて人生についてまじめに考える。

 つまり、朝日新聞がチベット報道を公正に報道し始めたということは、

 チベット文化消滅の危機ってことだよ!

 というわけで、来年もチベット文化に対するご支援を賜れればと思います。
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DATE: 2008/12/27(土)   CATEGORY: 未分類
不昧公を知らなかった愚昧
前エントリーのようなことを書いたこともあり、
言い出しっぺが有志の方々を代表して、護国寺様に「ありがとうございました」を伝えにいく使者となった。

「チベットの危機に関する声」や「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」のお坊さんたちにお声かけして、芳名を連ねてくださる方を募集した。そしたら、僅か一日たらずで、ずいぶんのお名前を頂戴することができた。

某有名女優の木内みどりさんが気さくにも「お花でも贈呈いたしましょうか」と申し出てくださったので、ご好意に甘えることにする。

御前様も地味ぃ~な学者が来るよりゃ、女優さんが来た方が喜ぶだろう。

土曜日午前十時半、山門の前で待ち合わせすると、木内さんはお着物できててくださっている。それが効いたのかどうか御前様

「いやあ右顧左眄しちゃいけないよ。やはりスジを通さなきゃ」との力強いお言葉。

漢である

 今回の件で気がついたのだけど、チベットを応援してくれる人ってみな善意のボランティア。

 ある人は、人として黙っていられないから、ある人は人権を護りたいから、ある人はダライラマ法王にノックアウトされたから、ある人は仏教を応援したいから、ある人は歴史認識から、ある人は民族主義(笑)から、まざまな動機からチベットのために集まってきた。

 組織も何もない。上も下もない。
 ただ、善意のみをもって集まってきた自然発生的集団。
 
 実にピュア。だけど、よく考えてみたら、会場を提供してくださっている方、イベントの中心にたっている方は、ただ参加している人よりもいろいろな負担がかかっている。

 だから、そこに誰かが気がつかないと、そして気を遣わないと、この部分から細々とした善意の輪は崩れてしまう。

 お金や名誉を得ることを目的とする人たちは、どんなに意見が違おうが金や名誉のためなら、鉄の結束をみせる。

 でも、チベットを支援するひとたちは、人としての良心と善意によって動いて集まってきた。こういう美しいものって、悲しいほどもろいんだよねー(笑)。

 でも、後者のフィールドからしか実は「本当の意味での幸せ」は得られない。だから、このもろいけど美しい絆を大事にしていかないと。

 
 この七月、出雲の峯寺でガワン先生の灌頂を受けた話をエントリーしたが(→ここクリック)、この峯寺のお坊さんKさんを先月、初めて護国寺におつれした。

 チベットのお坊さんが何度も灌頂をしたお寺にいらっしゃるのだから、きっと、チベットのお坊さんの法要も好きだろう、みたいな理由で(笑)。

 
 で、Kさんがその体験をブログに書いたところ(→ここクリック)、護国寺のIさんがそれを御覧になって、また、Kさんのお寺である峯寺に松平不昧公の作ったお庭があることを知り、その不昧公のお墓が護国寺にあることを教えてくださった(→ここクリック)。
 
 何という因縁。実はどうでもいいけど、護国寺には早稲田の創始者大隈重信公の墓もある。で、その隣に不昧公の墓が。

 何のことはない大隈の関係者(→私)と、不昧公の関係者(→Kさん)がチベットのご縁で護国寺にいったら、そこに両者の墓が並んでいたのだ。

 大隈公と不昧公が冥土で相談して我々を引き合わせたのか?(なわけないだろ)

「時代が降ると関係者も小粒になりますな」とKさんと私はゲラゲラ笑った。

というようなことがあったので、今回はIさんのご案内で不昧公縁の史跡を拝する。

 実はこの不昧公のお墓は、もと芝の天徳寺にあった。しかし、明治の頃、道路拡幅工事でどかさなければいけなくなって、松江にお返ししようかという話になった時、当時の護国寺様の檀家総代であった実業家で茶人の高橋箒庵が、

「護国寺を関東のお茶の総本山にせん」と発願して、お茶の神様不昧公のお墓を護国寺にお招きしたのである。

  そいえば峯寺には不昧公のお庭ばかりでなく、立派なお茶室が三軒もあって、峯寺のご住職が

「松江は不昧公で有名ですが、私がきわめたのは不昧流ではなく、●×流です」(●×部分はすいません覚えてません)とおっしゃっていたのは、そういうことだったのか。

 お茶・お花という伝統文化に疎くガサツな日々を過ごす私の眼と耳には、峯寺でも、護国寺でも、不昧公の件は見れども見えず、聞けども聞こえず、スルーしていたのですね。

 だから、インド料理屋のシンさんに「この人は日本人か」なんて言われてしまうんだね。

 不昧公の墓石には葵の御紋がばっちりくっついていた。
 何か無性に嬉しかった(実は葵マニア)。 
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DATE: 2008/12/21(日)   CATEGORY: 未分類
万の感謝を
 
TBSのTHE 世界遺産 放送日変更のお知らせ
12月28日に放映予定の「ポタラ宮とラサの歴史的建造群」は放送延期になりました。詳しい日程が決まり次第お知らせします。

土曜日は東急カルチャーの講座が終わった後、護国寺様で行われるbTibet08の千秋楽に向かう。

 講座が終わってからだとチベット僧の法要部分しか参加できないが、チベット僧の読経を聞いていると、今年一年のいろいろが走馬燈でぐるぐるである。

2008年3月10日 チベット蜂起。オリンピックを控えて中国に遠慮していたマスコミもここ数年の中国のゆがんだ社会に問題を感じていたため、一斉報道。

ギリシアで行われたオリンピックの採火式には、国境なき記者団のフランス人のオッサンがオリンピックを告発する旗を手にとびこんだ。以後、ロンドン、パリ、サンフランシスコと聖火リレーは白人チベサポの特攻を受ける。

天もその意志を示そうとしたのか、聖火の行く先々が異常低温で雨か雪に見舞われた。

そして、4月18日。善光寺様が、聖火リレーの出発地点となることを辞退。そのうえ、スポンサーも伴走しないことを発表した。わたしはこのニュースをランチではいったウナギ屋で聞いて、思わずどんぶりもって立ち上がった。
 ものすごくいろいろな思いで心が動いた。

4月30日
日中友好のシンボルとして利用されてきた、でも東チベットの動物であるパンダのリンリンが急死した。そしたら、新しいパンダのレンタル権を手土産に某国の主席が来日。

雨の中、叫び続ける8000人のフリー・チベットの声は、中華料理のテーブルを囲む福田首相と某国の首席の耳にいやおうなく届く。靖国問題以後険悪だった両国の関係を修復するはずの来日が、だいなし。

5月12日
某国の主席が帰国すると、とたんに四川大地震発生。
 うちのゼミ生がこういった。
「今回動いた断層はチベットと中国の境界線ですね」

8月8日
北京オリンピック開会式。彼らによるとオリンピックの開催は「百年の宿願」だったそうで、開会式には少数民族の子供たちが中国旗の下に集う演出がなされた。でも、よく調べたら、そのほとんどが漢民族の子供だった。

9月15日
パラリンピックの閉会式(9月17日)とほぼ同時に、リーマン・ブラザーズが破綻。世界が金融恐慌に突入。カンケーないけど、某国が香港返還でナショナリズムばりばり盛り上がった1997年7月にもアジア通貨危機がおきたな。

11月3日
そんなこともおかまいなしに、この秋、都内ではミッシングピース、フィール・チベット、ヒマラヤ映画祭と有志の方たちの発願によりチベ関連の催し物が次々と行われた。そしてダライラマ法王の来日。

 今この護国寺様のbeTibet08にあつまってきている百五十人から二百人の人々を見ると、何となーく、みなどこかでみたよーな顔になっている。きっと今年の三月以来、どこかの展覧会場とか、講座とか、などで顔をあわせているからだろう。

 あ、そいえば昨日、護国寺様であった方にうかがったら、国際交流基金の講座はあっちゅーまに、満席になったそうです。本当にありがとうございました。

 ただチベットのために泣き、怒り、共感して、くださったすべてのひとたちに幸いあれ。
 
 チベットの蜂起は1959年から数えて今回で三度目。今年、この怒濤の流れの中で、在日チベット人、チベサポの拠り所となったのが、護国寺様だった。四月の六本木デモの際、在日チベット人たちがたちよったことを契機に、チベサポたちが大師堂に犠牲者の追悼を行うべく、キャンドルを灯した。

 いつのまにか、毎晩のようにチベサポがあつまって、チベットの幸福を祈り、情報を交換し、親睦を含める場となった。そしたら、有志のお坊さんが大師堂を開けてくださるようになった。すると少ない時で二十人、多いときで百五十人の人がここ護国寺様に集った。

 八月八日の北京オリンピックの開会式の時には、チベットの平和を祈って世界中でキャンドルを灯すcandle4Tibetが行われたが、ここ護国寺様はパブリック参加の場となった。

 八月三十日、これまたグローバルアクション、世界平和断食の公式会場もここ護国寺様だった。

 大師堂で毎晩行われていた、集まりが十月十日にひとまず区切りをつけたあと、この流れをうけて始まったのが、このチベット基礎講座(bTibet08)だ。

 この講座は、毎月一回、チベットのお坊さんに来ていただき、法話や法要を行ってチベット文化を日本人に知ってもらうというイベントであった。

 このために護国寺様は広い桂昌殿を無料で提供してくださった。木内みどりさんがミッシングピースの会場を探す際、公共の美術館がなかなか動いてくれず、結局会場が三つに分かれたことを考えると、護国寺様がここ数ヶ月チベットのためにみせてくださった誠意は、なかなかできることではないと思う。

 これはささやかな提案なのですが、一年の終わりでもあることですし、何らかの形で護国寺様にご縁のあった方は、護国寺様に宛に感謝のお手紙あるいはE-mailなどをおだしてみるのも、美しいのではないかと思います(日本仏教界の作法にかなってもおりますし、有志の方々の励みにもなります)。

 「ありがとうございました」その一言をお伝えするだけでも、とてもいい気が生まれますよ。

というわけで、住所はっときます。

〒112-0012 東京都文京区大塚5-40-1
大本山護国寺 様
info@gokokuji.or.jp
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DATE: 2008/12/19(金)   CATEGORY: 未分類
専門家をなめないで
ちょっと古い話だが、ゼミ生が「中国大使館のホームページにこんなことが載っていますが、本当ですか」と質問してきた。

みると、中国政府の立場からチベット問題を「啓蒙」してくれるページであり、そこにおいては現在の中国の立場から都合がいいようにチベットと中国の歴史が述べられている。ああこういうのを読んで日本の中国好きのオジサンたちとかが、私にへんな質問してくるんですね。
 
 このページの最初の部分で唐と古代チベットの関係がとりあげられていた。中国大使館なので赤字で引用してみましょう(笑)。

中国大使館のホームページより
中華民族大家庭の一員
中国は統一した多民族国家であり、チベットは古くから中国の不可分の一部である。
7世紀の唐の時代、チベット族と漢族は王室の間で姻戚関係、盟約を結んで、政治的に団結友好の姻戚関係を形成し、経済と文化の上でも密接に結びつき、最終的に統一国家をつくるための厚い基盤を固めた。現在も、チベット自治区の首府ラサのポタラ宮には、641年に唐の王室からチベット族吐蕃王に降嫁した文成公主の塑像が奉られている。チョカン寺(大昭寺)の前の広場には双方が盟約を結んだことにちなんで、823年に建てられた「唐蕃会盟碑」が立っている。この碑には次のような碑文が刻まれている。「舅甥二主が社稷が一つとなることについて商議し、大和の盟約を結んで永遠に変わらないことは神、人と共に証し、知るところであり、世世代代にわたり称賛させるものである」。


 前段部分に述べられていることは、古代チベットに唐の王室の娘が二回嫁いだ事実を指している。当時唐は軍事的に強勢な周辺諸国に、皇室の女性を降嫁させ、親戚関係になることでその侵攻を防ごうとしていた。和蕃公主といわれる彼女らは、いまでいえば自国を他国の侵略からまもるべく、政略結婚で他国に嫁がされたのである。

 ちなみに、古代チベットの開国の王ソンツェンガムポ王にはネパール王家からも、チベットの様々な地域の有力氏族からも娘を娶っている。唐朝の公主はその一人にすぎない。

 しかし、このような歴史的背景はかっとばして、昨今の中国では文成公主だけにスポットをあて、チベットと中国の友好の象徴として祭り上げている。

 文成公主は、オペラになるわ、ドラマになるわで、まあ大変。東北チベットにある日月山という文成公主ゆかりの地には、文成公主の白亜の巨像が毛沢東の像のようにそそりたっている。


で、次に、いわゆる「唐蕃会盟碑」の引用部分である。これも予備知識のない人がみると、「唐とチベットが一つになった」というところを見て、ああ昔からチベットは中国の一部だったんだろーな、と思いそうになっているが、ところがすっとこどっこい、原文をみると、

チベットの大王化現せる神ツェンポとシナの大王シナ君主皇帝と甥舅二者は国家を一〔のごとく〕にせんことを語らいて大和会をなし盟約す。〔その〕誓約の決して変わらざる事を神人すべて・・・・*(・・・は判読不能の部分)・・・知らして證なし、世々に・・・・語られて・・・・・の要を碑に〔記すなり。〕〔中略〕

チベット、シナ二者は現在において支配せる域と境を守りて、その東方すべては大シナの域、西方すべては正に大チベットの域にして、これより後相互に敵として諍うことなく戦をなさず、境域を犯さず、疑わしきことどもあらば、その人を捉えて事を訊ね、〔訊ねおわれば〕放ちて後に給与すべし。今、国家一〔のごとく〕なりて、大和会をかくのごとくなせり。〔中略〕チベットはチベット国において安けくシナはシナ国において安けくなす〔それらの〕大いなる政事を結びて後、この誓約は決して変わらざること、三宝と聖者などと日月と星辰とにも證せんことを請う。〔後略〕(佐藤長『古代チベット史研究』)
 

 の冒頭の一文を文脈から切り離してとりだしていることが分かる。この碑文はこれまで戦争をしていたチベットと唐の二国が平和を話し合い、それぞれの間の領域をきめ(省略した部分に具体的な地名がでてくる)、互いがそれを侵犯しあわないようにきめたことを記したものであり、「この国家を一つにする」という冒頭の表現は、「今まで戦争をしてきた二国が平和についての対話の席について意見が一致した」くらいの意味なのである。ちなみに、このような言い回しはモンゴル語にもある。

 この碑文は和訳どころか、英訳もあり、探せば中国の国内でだって全文を引用した研究書があろう。専門家なら誰だって冒頭の文章がもつ本当の意味を知っている。であるからして、このページを作成した人間は、ネットを検索するだけでそれ以上は何も調べない横着な大衆を騙そうとしているのである。
 
 こういうこズルイいこと(学問の冒涜)を大使館という権威ある機関がやっている時点で、彼らの道徳的レベルが知れる。

 言うまでもないことですが、チベットのような研究者の薄い地域に関しては、ネット検索程度で手に入る情報は、ほんとーに限定されたもんか、こんな偏ったもんです。威張っていうことではありませんが、自分、Wikipediaなんか一項目も書いたことありません。すみません。

 本気で事実に肉迫しようと思ったら、自分が今もっている先入観とか予断とかをすべて排して、自分で原史料読んで考えるか、それがムリならチベット語よめる人の書いた専門書を読む(その場合もそれを理解できる理解力が必要だけど)である。
 
 それが不正確な情報を拡大再生産するネットやマスコミの洗脳から逃れる唯一の道。

 ちなみに、この同じ碑文をダライラマ法王は1989年にノーベル平和賞を受賞した際に、きちんと本来あるべき文脈で用いている。

(前略) 過去四十年にわたる占領期間にわが民族が受けた苦しみはよく記録に残されています。それは長く苦しい闘いでした。道理は私たちの側にあると思っています。暴力はさらなる暴力と苦しみを生み出すだけですから、私たちの闘いは非暴力を旨とし、憎しみとは無縁でなければなりません。私たちは我が民族を苦しみから解き放とうとしているだけであって、決して他の民族に害を及ぼそうとしているのではありません。

 だからこそ私はチベットと中国は話し合いをすべきだと何度か提案をしたのです。1987年、チベットに平和と人権を回復するため、私は五項目の提案を行いました 。チベット高原をアヒンサー(非暴力の意味)地域、すなわち人間と自然が調和して生きてゆける平和と非暴力の聖地にしようではないか、という提案もそのひとつです。

 昨年、私はストラスブルグの欧州会議でこの提案をさらに詳しく発表する機会を得ました。チベット人の中には譲歩しすぎであるという批判もあるようですが、これは実現可能であり、理に適った提案だと思っています。しかし残念ながら中国指導部は今日に至るまでこの提案に積極的に答えようとはしていません。もしこの状態が続くのであれば私たちも対応を考え直さなければならないかもしれません。
 チベットと中国の関係は平等・尊敬・信頼・相互利益の原理にたつものでなくてはなりません。それはかつて、チベットと中国の賢明な指導者が結んだ条約 の精神に立ち戻るという意味でもあります。この条約は西暦823年に石柱に刻まれたもので、その石柱は今もなおラサの聖なる寺院ジョカン寺の門前に建っています。この石柱には「チベット人はチベットにおいて、中国人は中国においてともに平和に暮らすものとする」と刻まれています。(後略)

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DATE: 2008/12/14(日)   CATEGORY: 未分類
『零八憲章』
  12月11日、授業の準備をしながら11時のBSニュースを見たら、ヘッドラインのトップに、中国の知識人が体制を批判する文書を発表、という内容が眼にとびこむ。

 テレビを食い入るようにみる。この文書は三権分立、民主体制の確立を求めており、社会的影響力のある人たちが実名で公然と体制を批判したことにより、いろいろな反応が予想されることを伝えている。

 テレビ画面に流れる、インターネット画面の文書からキーワードになりそうな文字を読み取る。

 で、さっそくチャイニーズライター(中国語ソフト)をたちあげて、よみとったキーワード「零八憲章」「司法公正」を簡体字でうちこんで、検索、ぽちっとな。

 でてきましたよ。(PDFを作ってここに置きました。)

とある奇特な方の和訳はココ。和訳は自分でもう一回原文と照らし合わせて見直そうかと思ったけど、面倒臭いのでこの奇特な方のサイトのものを使わせていただきました。

いい加減でスイマセン。

08憲章

一、まえがき

 今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。

 こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。(中略)

 1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。

 20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。

 中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。

 しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義的な統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。



ときて、これに続いて「基本的な理念」「具体的な主張」が述べられる。ここに書かれている中国の腐敗した現実は、周知の通りすべて事実である。なので、彼らがその状況を改善するべく三権分立や民主体制の確立を要求することもじつに論理にかなっている。

 で、チベットと関係する項目としては

12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体(宗教活動場所を含む)は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。

18、連邦共和:平等・公正の態度で地区の平和と発展を維持し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。


の二つである。とくに18番の連邦共和制はチベット人の自治を求める主張と合致している。

 そう、ダライラマもおっしゃるように「中国人は~だ、なんて一括してレッテルはってはいけない」のである。この303人のように自分の頭でものを考えることができる人はいるのである。

 何ヶ月か前、生徒のMくんが、某漢民族の女性とその息子さんと世間話をしていたら、彼らのチベット人に対する認識がわれわれと大して変わらないのに驚いたという。

 中国の愛国教育においては「チベット人がひどい生活をしていたから中国共産党が解放してやって、豊かにしてやった」みたいに教えられるんだけど、その女性と息子さんはそれを実際に聞いたmの文章をそのまま借りると

「何も漢民族とはまったく違う価値観を持つチベット人がそもそも物質的な豊かさを求めているとは限らない」

「もし20世紀後半に共産党が来ていなかったとしてもダライラマ政権や国民党政府など他の政権が物質面も人権面も改善していたと考えるのはグローバル化を考えても当然」という。

「漢民族の多くはチベットの場所も文化も生活も実際に知らないし知ろうともしない。なのにどうやってチベットが中国の一部だと主張することができるのか」とどこかで聞いたことあるセリフだ。


 どこって、どこぞの授業で?(笑)

で、彼らがなぜ愛国教育に洗脳されず、このしごくまともな見解を抱くにいたったかというと、文革の時に中央から下放されてきた知識人とのふれあいや実際のチベット人との会話を通してとのことである。

 知識人が田舎に送られていた時代、紅衛兵の子供たちであふれた都会よりも知識人のいる田舎の方がよりまともな「教育」を受けられたと言うわけ。

 どんなひどい体制の中にもこの親子のように、きちんと自分の頭でものを考える人はいる。今回の08憲章の署名人たちもそうである。

 表現の自由のない国で、体制を批判するということは、即、ムショ入り、悪くすると獄死を意味する。

 たとえば、とある中国の大学の先生が、授業で共産党の政策を批判したら、学生の一人が、党の批判をするな、と教師に反論したら、その教師は「君が自分の意見をいう自由があるように、私にも自分の意見をいう自由がある」といったら、この学生、党に密告してこの教授はクビになったそうである。本当のことをいった教師を学生がクビにする社会って、なんじゃこりゃ。

そんな国で、このような体制批判文書を出すのだから、この303人は根性座っているぜ。
朝鮮日報の記者によると、彼らはみなムショ入りの準備をしてこの発表に臨んだという(で、現在は拘留中か自宅軟禁中らしいでーす)。

  この人たちこそ、まさに真の愛国者である。

  中国共産党の愛国教育を受けた若者たちは、彼ら303人をこれから非国民呼ばわりし、これから彼らは公式にも非公式にもエライメにあうだろう。

 せめて自由世界にいる我々くらいはこの303人の名前をしかと記憶して、行く末を注視しなければ。彼らの名前が多くの人に知られれば知られるほど、彼らの命は安全になるのだから。

 で、この事件を日本の報道がどう扱っているのかをみると、まず10日に一報を流したのは、共同通信と時事通信(さすが中国に強うおすな)。で、毎日新聞、産経新聞、東京新聞とみな報道しているわな。

 タライラマ法王はさっそく声明をだして応援(ここクリック)。

 で、朝日新聞は黙殺。


 まあ、ダライラマ猊下が1989年にノーベル平和賞を受賞した時に「ノーベル平和賞を政治利用するな」みたいな社説書いた新聞ですから、彼らにとっては自然な反応かもしれません。でも、朝日って確か知識人の読む新聞と言われてませんでしたっけ。

 この08憲章はネットで転載を繰り返されてひろがっている。当局は徹底的な検閲を行って中国国内の掲示板から削除して対抗しているが、海外の中文掲示板にはどうどうと掲載され、かつ、署名人は増えているという。

 署名をした、勇気ある人々に心からの敬意を。
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DATE: 2008/12/10(水)   CATEGORY: 未分類
三代にわたる蜂起
 ここ数日、ごろうちゃんは明るくなると雄鳥のようにおたけび続ける。カゴからおでましいただくと、すぐに私の頭上に飛んでとまって、ふたたびおたけぶ。なぜ頭上かといえば、この家で自分が一番偉いことを確認するためである。確認しなくてもあなたが一番偉いですって。

 換羽もかるく始まって、縄張り意識も強くなっている。師走だ。
さて、こんなことします。↓


国際交流基金で専門家をおよびしてチベット文化のオムニバス講義
主催:ジャパンファウンデーション
日時:2009年1月14日から3月27日
   19時から20時30分 各講座週1回
会場:ジャパンファウンデーション JFICホール[さくら]
定員:各講座80名(先着順)
受講料金:各講座全10回分10,000円(税込み)

●講師
石濱 裕美子(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
幸島 司郎(京都大学野生動物研究センター教授)
小林 尚礼(写真家)
小川 康(チベット医学暦法大学医学研修生)
渡辺 一枝(作家)
ゲシェー・チャンパ・トンドゥプ師(デプン・ゴマン学堂)
  [通訳:野村 正次郎(文殊師利大乗仏教会)]
福田 洋一(大谷大学文学部教授)
平岡 宏一(清風学園専務理事)
田中 公明(東方研究会研究員)
長田 幸康(文筆家)

詳細、申込等は(→ここクリック!)



 この講座は外務省の外郭団体である国際交流基金の主宰どす。

 国交省の外郭団体が予算を使い切るために「みちぶしん」とかいうミュージカルやって「道路の必要性を人々に啓蒙する」とか言い訳してヒンシュクかってたけど、チベット文化ってすばらしい、みたいなこの講座は、税金使っても誰も文句言わないだろうな。担当者のご英断に拍手(て、実は発案者は異動されてもうここにいない。たぶん栄転だが、講座は大丈夫なんだろうか)。

 人格者を生産するのが国の主な産業というチベット文化を、次世代に継承することは人類の未来にとっても望ましいこと。とくに外務省の人とかに来て欲しいなあ。でも、こないだろうなあ。

  この一年、いろいろあったけど、チベットに関する巷の認識がずいぶん深まったことを肌で感じる。

最初三月に蜂起があった時、日本のマスコミは、中国のマスコミのいうことそのままに、チベット人やそのサポーターたちが何か危険なものであるかのように報道した。

 だけど、チベット・サポーターたちの節度ある行動をみたり、ダライラマ法王の五十年かわらぬ穏やかで知的な言動を聞くうちに、多くの人々がチベットのために涙し、そして怒ってくれ、次に、チベット人が怒っていないのを見ると、今度はチベット文化に興味をもってくれた。そして、チベット文化の価値を知れば知るほど、漢流にのみこませてはならない、と思ってくれた。

 1959年、ダライラマ14世をまもるために蜂起したチベット人たちの子供が
 1989年に再び蜂起し、そして北京オリンピックの
 2008年に孫の世代が蜂起した。

 絶滅危惧種の平和をたっとぶ民族が、三代にわたって絶望的な蜂起をしなければならない、そんな状況は本当に悲しむべきだ。


 この一年、チベット問題を報道してくれたマスコミの方、デモに参加してくれた方、講座に参加してくれた方、いろいろな形でチベットを応援してくれた方、すべての方たちにこれからも幸いあらんことを。

 「中国を怒らすからチベット問題なんかほっとけ」とか思ったすべての人々が、経済よりも政治よりも、人としてのあるべき道を尊重してくれんことを。

 チベット人の言葉も歴史も自分たちの国が何をしているのかも全く知らないのに、ダライラマに罵詈雑言をあびせ続けているどこかの国のネチズンたちも、来年は煩悩を鎮めて少しは正気にならんことを。

 すべての命あるものよ幸いたれ

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DATE: 2008/12/06(土)   CATEGORY: 未分類
「不幸の受容」≠「諦念」
 ★お知らせ★

ごろうちゃんのページアップしました(ここクリック")。
 

 とある学生からメールがきた。

 曰く、卒業論文で視覚障害をテーマに扱うつもり、で、『ブラインドサイト』とというドキュメンタリー映画とその映画の主演である西ドイツの女性の著作をみたら、チベットでは視覚障害者が「前世の業によってこうなった」と言われて、ベッドにくくりつけられたりして差別されているという。こういう俗説(前世の業のことか?)があるのか。あるとしたら、どうしてこのような俗説が発生してしまったのか。チベットでは他の障害に比べて視覚障害に関する特別な見方があるのか、という内容で、質問形式になっていた。

 どうも、この質問事項をみる限りでは、「チベットの俗説=障害者差別」という先入観がまずありきで、私にその=部分の内容説明をさせようとしているような、カンジ。

 そもそも、このようなテーマで卒論を書きたいのであれば、まずチベット仏教を勉強して、その何たるかを理解した上で、そこからでてきてしまう「俗説」なるものを定義するのが、正道であろう。専門家に聞いてすませて論文ができるのなら、アメリカ政治学で卒論書く学生が、ブッシュ大統領に直メールうって、「あなたはこのような政策をどのような意図で行ったのですか」と聞くのかい。
 
 で、この『ブラインドサイト』という映画を見ていないので調べてみると、視覚障害者の西ドイツの女性が、ヒマラヤの麓の視覚障害者の子供たちが差別されているのを見て、盲学校をつくり、彼らに「何事もなしとげられる」ということを教えるために、ヒマラヤの山(エベレスト?)にのぼる、というドキュメントらしい。

 うーん、微妙。
 視覚障害者に点字などを教えて世界を広げさせる、というその行動は素晴らしいと思う。しかし、登山については異論がある。登山は西洋人のもちこんだスポーツである。多くのチベット人にとって、高山は神の宿るものであり、崇拝の対象である。そのまわりを巡礼することはあっても、昇るということに人生の意義を見いだすことはなく、ましてや、障害を克服するための道具として用いることなどない。西ドイツの視覚障害の子供なら、そのような導き方でもいいけど、チベット社会の中でいきる子供たちに欧米的な価値観をうえつけることが必ずしも彼らの幸福につがるかどうかは微妙である。

 インド思想には輪廻思想というものがあり、仏教もそれをとりいれて、人は始まりのない昔から輪廻していて、現在のこの自分とその環境は、過去の言葉と心と体によって行った行動の結果であるとみる。

 しかし、この思想は決して差別のための思想ではない。それどころか、すべての生き物は始まりのない昔から輪廻を繰り返しているのだから、みなかつて母であったことがある。だから、すべての生き物を母のように慈しむべし、というテーゼを導きだすのだ。だから、仏教徒は、生を受けると、できるだけ生き物を害さないようにし、貧しいものに優しく、病のものをいたわろうとする。

 昔、ダラムサラの巡礼路に病気の牛がいたが、通りすがりの巡礼者がみなその牛の病苦を思いやって手を合わせ、西洋人の尼さんが牛に薬をぬったりしていた。障害のある人に「過去の業だからそうなった」などと非難するようなことをいい「ベッドにくくりつける」などということは、言葉と体と心によって悪い行いを積むことになるから、仏教思想によっても否定さるべきことである。

 かりに、この西ドイツの女性が見聞きしたような虐待行為がどこかで行われていたとしても、それはそれを行っている家の経済状態や人間関係によるものであり、輪廻思想が原因で虐待されているわけではない。

 豊かな国であっても、人格に問題のある両親のもとに生まれれば、その子供は虐待されるし、かりに貧しい国であっても、人格者の家に生まれれば障害があろうが何だろうが、幸せに生きられるだろう。
 

 「~しない」「~できない」理由はあとからつくものである。その論理は、国や時代によって異なるが、それ自体が原因ではない。虐待や差別を「されている」あるいは「している」根本的原因は「〔障害や貧困などの〕不幸を受け入れることのできない〔自分や他人の〕意識」に問題がある。

 チベット人がこのとてつもない怒濤の世紀を何とか生き延びてこれて、しかも、大半のチベット人が楽天的に生きてこれたのは、仏教思想の力によって、世界を愛し、「目の前にある不幸」から逃げず、それを受け入れる力があったからである。

 欧米思想に毒された我々からは少々暢気すぎるように見えようとも、彼らはこの半世紀、何とか自分たちの文化を維持し、そればかりか世界の人々にまでその文化をおすそわけしてくれている。

 何かと今の自分に不満をもつ我々が、誰一人幸せにできないどころか、自分すら不幸にしているのとは大違いである。

 彼らが「不幸を受け入れる」とき、それは「現状を変革する」ことを諦めたことを意味しない。

 たとえば、ダライラマ法王は今もポーランドを訪問され、ワレサ元大統領と会談している。ワレサはカソリックの信仰によってソ連を崩壊に導いた連帯の指導者である。

 法王は諦めたことなど一度もない。この半世紀ずっと闘っていらっしゃるのである。

 「不幸な現状を受け入れる」ことは仏教徒にとって、負けでも諦めでもない、ダライラマ法王はこの不幸を自らの修行の機会ととらえ、中国に感謝しながら生きている。そして何度でも人の役に立つ姿に生まれ変わりたいといっている。

 仏教思想を、障害をもつものや貧しいものに現状を肯定させる悪しき差別思想、などと決めつけている人がいるとするなら、そういう人には物事の見方をかえて、もっと豊穣な世界に目を向けて欲しいとおもう。
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