白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/11/29(日)   CATEGORY: 未分類
講演マナー
 土曜日、上野の東京都美術館の講堂でチベット美術についての講演を行った。何のスポンサーもなくボランティアによって運営されている会なので、講師である私も無給である。TCPのIさんのお話を聞いたこともあり、また、生来のサービス精神もあり、無給といってもきちんと準備をして、リピーターの方でも飽きないような構成を心がけたつもり。

 講演は八大仏塔と仏の事績からはじめて、仏教の簡単な概説を行う傍ら、チベット仏教と仏教をほめたたえるために発達したチベット仏教文化の諸相について解説した。

 会場ではいつもブログにかきこみをしてくだるdominoさんなど、ブログの読者の方、また、拙稿を扱って戴いている編集の方、カルチャーの生徒さんたちがきてくださっていたようで、この方たちには本当に「お休みの日、お運び戴いて本当にありがとうございました」と心より御礼申し上げます。

 しかし、問題はそのあと。

 質疑応答の時間となったのだが、最初と二番目の質問は講演内容とはまったく関係ないもので、前者は質問者が聞きたいと思うことを聞いたものであり、次は、彼自身の意見を述べるためのものであった。両者ともにその内容を含めて気持ちがいいとはいえない発言であった。

 学術的な講演のあとの質疑応答はその内容に即したものにすべきことは、聴衆と講師の間での最低の合意事項である。ところが、質問者は講演の中で一言も述べていない無上ヨーガタントラの修業について聞いてきたのである。

 あのチベット仏教の膨大な知的遺産のうち、顕教だって完全に理解しているとはいえない自分が、顕教を終えた後にはいる密教の修業について責任ある回答をできるわけもない。

 チベット仏教の高僧たちが繰り返しのべることは、あらゆる仏教の修行、教学はすべて一人の人間が仏にいたるまでの修業過程の中のどこかに位置づけられるということである。。これは、あらゆる修業や教学の一つ一つは切り離して単体で理解したり修業したりするのではなく、それぞれ修業階梯のさだめられた箇所で順をおって理解し体得していくべきことを示している。

 したがって、チベットのお坊さんでもごく一部しか進ことのない無上ヨーガの修業の話を一大学教員の講演で聴いてお手軽に得られる知識と思っている時点で、まずあかん。

 本当に何かを「知りたい」「究めたい」と思うのであれば、人に聞いてすませるのは誠実ではない。ましてや、人に意見したりする前に、腹をくくって自分で納得のいくまでホンモノの僧について修業してください、といいたい。

 大学の先生はコンビニではありませんので、あなたがたののぞむものをすべて置いているわけではありません。一研究者(歴史家)として責任をもって答えられると思うところまでを答える以上のことはできません。

 また帰り際にも、聴衆の一人の捨て台詞に呆れるが、これについては「あそこまでなるにはいろいろあったんだろうな、可哀想」と思った。

 その後は高田馬場にもどり、今年三月に卒業したゼミOBとの飲み会に参加。この代のゼミ生はみな仲が良く、楽しくもりあがったため、かなり気分はリセット。社会人になったゼミ生たちはちょっぴり大人になっていて相変わらず明るい。
 で、翌日このような温かいメールも頂戴してさらにやる気アップ。


こんにちは、はじめまして。
世田谷に住む、●×▲と申します。
突然のメールを失礼いたします。

昨日、上野の東京都美術館での講演、拝聴させていただきました。
「チベットを知るための50章」をはじめ、先生の本を読ませていただいております。先月、風の馬のトークショーにお伺いし、先生の軽快な語り口調とわかりやすい内容にひかれ、今回も参加させていただきました。

最後の質疑応答の方々の質問に驚き、(誰も名乗らず、一言のお礼もなく、講演内容と関係のない質問ばかりであったこと・・・)先生のお話をかみ締めるように楽しんだ者として一言お礼を言わせていただきたく、メールさせていただきました。

わかりやすいお話を、本当にありがとうございました。

よく公私共に講演会の場には立ち会うのですが、8割方居眠りをしてしまう私ですが、先生のお話は瞬きをする間もないほどあっという間に時間が過ぎました。

今年の9月にはじめてラサを旅行したのですが、親切にしてくださったチベットの人たちの、話の内容がやけに画一的だったことに違和感を覚えていました。先生のおっしゃっていた彼らからの情報は、言論の自由のない場所から発せられるものであるという見過ごしがちな現実を、あらためて認識しました。

とりとめのないメールになってしまいましたが、これからも、先生のお話を拝聴するのを心から楽しみにしております。(ブログも楽しく読ませていただいています)

 
もういっちょ!

石濱裕美子先生

はじめまして。●×▲と申します。
昨日の東京都美術館での先生の講演を拝聴させていただき、・・ました。

ダライラマ法王様に心を打たれて以来、仏教とチベット仏教、チベットの歴史、チベットの現状にについて、まだまだ勉強をはじめたばかりでしてヤフーに法王様のお名前をいれて検索して、石濱先生のサイトにたどり着き先生の明確なご意見、知性とユーモアに溢れる文章に感銘を受けていち読者として日々、各ページとブログを愛読させていただいております。

先生のご講演の予定の日と自分の日程がなかなかあわず、昨日は、念願かなって、はじめて講演を拝聴させていただきました。

とても充実した時間をすごせました!
本当にありがとうございました。

先生の講義は、ブログから伝わるお人柄と同じく語り口もきっぱりと簡潔で、しかもわかりやすく仏教のなんたるかを、基本中の基本から教えてくださり目からウロコが何枚も落ちるくらい、ものすごくストレートに脳内で理解できました。

それまで仏教についての本も多少読んでおりましたがあの1時間半の講演は、その本よりもはるかに理解しやすくこんなにスッと納得できながら勉強ができたのは、はじめてです。自分でも驚きました。

もっとじっくり何時間でも聞いていたい!と心から思いました。
仏教の基本中の基本からわかりやすく教えていただきいちいち納得して、うんうんうなづきながらもはじめて知る事柄が出るたびに仮にも自分は日本人として、仏教徒として今まで生きてきたというのにこの無知さはいったいどういうことか!と衝撃を受け、恥ずかしくなるほどでした…。

「智恵とはすなわち『空』のことであって、空とはこの世界いっさいが相互縁起していて実体がないこと。空を頭で理解することは簡単だけど、頭で理解するだけでなく、実際に実行すること。それがいちばん大切だ」と教えてくださり、ありがとうございました。

実は、この『空』こそが、いろんな本を読んでも、法王様のお話を聞いても講演の本を読んでもどうもあと一歩、もう一歩が難しくて理解がつかめなきれてないところなのです。これからもっともっと真剣に勉強して頑張り、理解していこうと思います。

本当にありがとうございました。


さいごにもういっちょ!

石濱先生♪夜分にお晩です。
先日の上野での講演お疲れ様でした。&毎度わかりやすい貴重なお話、有り難うございました。原始仏教から、その流れたるチベット仏教を八大仏塔を(これはチベット圏内のどこの建立仏塔ですか?)挙げての解説♪今春ブッダガヤへ出向き八つのうち、まず1つを見た拙として、とても興味深くお話聞けました。(聞き入りすぎて大事な8つの業績地のppの画面を写メしそびれてしまいました。泣)

ですが、やはりこの手のジャンルの講演は、タダ(間口広く)にしてしまうと、おっかなびっくりなことがおこりますね。『見境のない』とは、まさにこういうことだわ。と、つくづく思いました。

機会あらば、お聞きしたいこと等(浮上しましたら)またメールさせて下さい♪宜しくです。(礼)
また、どこかで先生のお話、お聞きできることを楽しみにしておりまぁす。
では、長々と(礼)失礼致します。
             
随喜ってすばらしい。
こちらこそ、ありがとうございます。

 公空間でのふるまい方、講師に対する姿勢、学ぶ・研究するということはどういうことか、などは本来個々の人間が成長する過程で身につけていくもの。 それもできないのは、やっぱ戦後の家庭とか学校での教育にいろいろ足りないものがあったのでしょうね。

 公教育を無料化するなら、生徒に対して「学ぶということはどういうことのなのか」という概念をきちんともたせ、学ぶ動機を自覚させ、講師に対してもしかるべき態度をすること、という最低のマナーをまず身につけさせてからやっててほしい。
 
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DATE: 2009/11/26(木)   CATEGORY: 未分類
支援プロジェクトはかくありたい

長野のフリチベさんから、フリチベ・リンゴを頂戴しました! 写真を拡大してみてください。白雪姫を騙るブロガーのもとにリンゴとは、ブラック・ジョークですね。
  お気遣い、ありがとうございました。

 ちなみに、通りすがりのうちのるりがうつっておりますが、るりも奇しくも埼玉のフリーチベットさんから譲って戴いた猫ちゃんです。
apple.jpg

 チベタン・チルドレンズ・プロジェクト(TCP)のIさんのお話を伺う機会があった(この組織については過去のエントリーも見てね→ここクリック)。TCPは公的な支援の輪からおっこちたチベット人の子供や若者を支援するために、ネパールの首都カトマンドゥにできた支援組織である。
 
 いやIさんのお話には目からウロコが落ちた。

 IさんはTCPを立ち上げる際に、それまでにかかわってきた様々な支援の場において「嫌だ」と思っていたことを避けるようにして、TCPのプロジェクトの絵を描いたという。
 
 Iさんがそれまでに「支援」の場で感じていた疑問とは

(1)悲惨さを売りにしてお金を集めること。
(2)経営にビジネス的視点がないこと。
(3)その結果破綻しても、ボランティアだからと誰も責任を取らないこと。

 社会運動はボランティアの力によってまわっている。ボランティアの中にはもちろん志の高い立派な方もいるであろうが、ダメダメな人もいる。入社試験や面接をへて選ばれた人によって作られる一般社会の組織に比べれば、人を選ばずボランティアによって構成される支援組織が、Iさんが指摘するようなグダグダなものになる確率は高いであろう。

 Iさんはかつて大手建設会社にお勤めであった。その頃200億円のホテルの設計とかに携わっていたが、一級建築士のIさんは現場のあらゆる状況を把握し、電話帳のように厚い見積書のすみずみまでを記憶していた。夜中に気がかりなことを思い出して飛び起きることもあったという。しかしIさんは、200億ものプロジェクトに関わっているのだから、それは当然なことだという。

 Iさん曰く、顧客が自分たちの会社に支払う代金が200億なら、200億の代金にふさわしい建物と満足を約束しなければならない。一日納期が遅れれば顧客は一日あたり億の損失を計上することとなる。従って納期を守ることも当然である。

 したがって、たとえそれが支援プロジェクトであったとしても、人様のお金をお預かりしてプロジェクトを行う以上、組織を束ねる立場にいる人は腹をくくらねばならない。命をかけて仕事に取り組まねばならない。自らの果たすべき職務に命をかけて励むこと、それがダルマである。中心にいる人が命をかけて始めて周りがついてくるのだ!(Iさんはじつはヒンドゥー教徒入っているので、用語法にインド精神が入ってます はあと)

で、なんと驚いたことにTCPの初期投資はIさんのご主人がだしたそうである。失敗したら損失は自分でかぶる覚悟、まさに腹をくくりまくり。

 IさんたちはTCPを立ち上げる際に、支援者に相応の満足を与えることを第一に考えた。それは「笑顔を届ける」ということ。たとえば、地雷で足をとばされた幼児がベッドの上でうつろな顔をしている写真によって、お金を集めることもできるであろう。しかしそれでは、支援者も暗い気持ちになる。Iさんはそのような悲惨さを売り物にしてお金を集めるよりも、たとえば、義足をつけて走り回っている子供の笑顔をポスターにして、「あなたの支援金であつらえた義足で子供がこんなに明るい表情をするようになりました」、そういう明るい気持ちを届けるプロジェクトにするように心がけたという。

 それが実を結んで、献身的な賛同者が集まり、すでに里親さんのうちの半数はカトマンドゥの里子に会いに行っている。まだ認知度が低いプロジェクトのため支援者の数は少ないが、初年度は赤字にならないことも決定している。

 さらに組織を束ねる人間として、Iさん自身もこのプロジェクトを運営することによって、楽しくイキイキと輝いていたいという。「TCPを運営して、家庭も仕事もお肌もボロボロ…では誰も怖くて参加しないですから」という。

 また、TCPとチベットとの関わり方についても目からウロコのお話であった。

 TCPでは勉強ができないためにチベット社会から落ちこぼれた若者たちの就業訓練もやっている。具体的には亡命してきたアムチ(チベット医)が彼らを指導して伝統的なお香を作っている。これは若者たちに手に職をつけさせると同時にチベット文化の伝統を維持するという意味合いもある。

 TCPはこのお香に消費者の心をつかむラッピングをし、需用のあるところに流す、いわばこのお香を資本主義経済の中で商品とするパートを受け持っているつもりであるという。

 お見事!

願わくば、チベット支援組織の多くの方が、このIさんのような健全な倫理観に裏打ちされたビジネスを意識した経営(もうけるためのビジネス感覚でなくてよ)を行ってくれればいいなと思う。ちなみに、「熱意がある」「善意がある」ということは、失敗した時の免罪符にはならない。

 Iさんの説くような支援に対する姿勢が加わることによって、プロジェクトを回すボランティアにも、支援者の方にも、支援される側にも、三方に実りのある組織運営が生まれることであろう。

 TCPのブログはこちらから入れます。
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DATE: 2009/11/22(日)   CATEGORY: 未分類
デリーで記念学会
私の本職はチベットの歴史を研究することである。その本分にのっとって水曜日から金曜日までデリーで開かれた記念学会に参加した。

最初は近所の英会話教室にでもいって英会話に耳を慣らそうかと思っていたのだが、面倒臭くなり、ミクシのアプリ「英単語漬け」と今はなきNOVA出版の『ホームステイ・短期留学で一日目から通じる英会話』を読んで、あとは行きの機内で英語字幕のインド映画みて終わり。
 だからだめなのね、自分の英会話。

 この学会に参加した顛末はこうだ。今年の五月に突然、ラクパ代表から「先生、デリーに招待いたしますよ!」と連絡があり、何に招待されるかも分からないうちに、招待状がくるも、デリーでやること、チベットの歴史と文化がテーマであること以外、何も書いてない。学会のホームページもない。主催者の名前もない。

 とりあえず、難民社会に負担をかけたくないので早稲田の学会参加費を使うことにする。去年胡錦涛を学内に入れたのだから早稲田大学が私一人の交通費くらい難民社会に寄付しても罰は当たらんだろう。

 で、なんと会場が知らされたのは出発一週間前になってから。よほど招待客以外に知られたくないのであろう。宿舎はどうもデリー大学のゲストハウスらしい。

 旅行者の格好でデリー空港につくと雲助タクシーにさらわれるので、びしっとスーツで決めてエアインディアに乗り込む。エアインディアのサービスは悪い。航空マップがないからどこ飛んでいるかもわからないし、映画のイヤホンも壊れていて音がしないし、映画も最新作のハリウッドものとかほとんどなくて、インド映画みたほうがまし。

 しかし唯一いいところは、三人分の席を占領してインド人のように毛布にくるまって寝ても、そのまま乱気流になってもベルト閉めろとかやめろとかうるさくいわれないところ。JALならこのおおらかさはありえない。もちろん行き帰り足を投げ出してかってに寝る。

いい加減退屈した長いフライトの果てにやっとデリーにつく。何と空港は近代化していて、雲助タクシーは全て排除されていた。何のためにスーツ着てきたのかわからん。学会からはペンパさんが迎えにきてくれていたが、オールドデリーで渋滞に捕まって宿舎まで二時間かかる。十時間近いフライトに排ガス渋滞攻撃に、ただでさえがまんのない私の神経はきれかかる。

 しかもゲストハウスにつくとペンパさんはナチュラルに私をおいていってしまう。学会のプログラムとか事務局の位置とか、何かあった時の対応とかどこに聞けばいいのかわからん。仕方ないので、そこらにいたElliot Sperlingを捕まえてどうしたらいいかと聞くけど、僕もスタッフがどこにいるかわからん、と言われる。

 とりあえず、部屋に入ってみるとInternational Guest Houseだというのに、パソコンもつながらず、とりあえず国際電話をダイヤルしてみるもつながらない。どこが国際ゲストハウスなのだろうか。聞けば近くにネット喫茶もどきがあるらしいが、そこのパソコンも壊れていて一台しか動いてないという。なんとデリー大の通信事情はまだ原始時代であった。おかげで、私のラップトップは持参したdvdの鑑賞機器としてのみ機能することとなる。

 おまけに発表の途中とか空港とか、どこにいてものべつまくなしに停電がある。これって計器とかに異常を来さないのか。まあここはインドだし何言ってもムダね。このおおらかさでチベットと難民を迎え入れてくれたんだもんね。私もこの方が楽でいいわ。

翌日、ジャムパサムテン教授の奥様である田中さんが現れたことにより事情がより明かとなる。そもそもチベット人はあまり段取りしないし、事務局にはパソコンも印刷機もないので、予定の変更を掲示したり、地図を打ち出したりとか、こまめに対応できないそうだ。
会議場

 さてやっと手に入ったプログラムによると自分の発表は初日の午後二時からである。なんか文化部に仕分けされているので、知り合いの研究者はみな歴史部にはりついていて、参観者は少なそう。そこで、自分のペーパーをコピーしてこれない人には強制的に読ませることとする。そして三日目の予定をみてビックリ。閉会式の名誉ゲストがダライラマ法王である。

 法王がデリーにこの期間いるのは知っていたのでたぶんお見えになるだろうと思っていたが、なぜよりによって最終日なの。

私帰ったあとじゃん(日曜日に校務がある)。

 
 招待されて集まってきた各国研究者たちキルギス、ブリヤート、モンゴルといったチベット仏教が伝わった地域の学者たち、また、中国と境を接して苦労するインド、ネパール、また欧米諸国の学者たちはそれぞれみな本当にチベットの歴史と文化を愛していてその文化の存続を強く願う人ばかりで、発表を聞いていると熱い。

 この学会はカンバンに記載されたところよるとデリー大学とチベット大学の共催だが、デリー大学の由緒あるカンファランス・ホールが会場になっていることから見ても(最初の写真)、チベットに対するインド政府の温かい思いが伝わってくる。

成金レバレッジ失敗した早稲田大学よ、デリー大学を見習え。

胡錦涛呼ぶよりダライ・ラマを呼ぶ方が、はるかに人類の未来に資するわ。

 亡命政府がこの学会をアレンジしたのは、法王50周年の節目の年に世界中のチベット学者に事実をアピールしてもらいたかったからだと思う。

 この学会がみな招待者でなりたっているのには訳がある。学会をオープンにすると中国が赤色代表団を送り込んできてプロパガンダ発表を繰り返し、まともな発表に対しておかしな質問をしたりして、アカデミックな雰囲気を壊すのだ。事実や証拠のある意見なら聞く耳ももとうが、彼らはそのようなスタンスにはないからね。

 この学会に一人事情を知らずに紛れ込んでしまった中国の学者さんがいたが(安全を考えて名前を秘す)、彼女と話してみると、彼女は悪意ではなく本当にチベット問題について何も知らない。どうも、チベット難民がいるという事実すら分かっていないよう。これでも彼女は一応大学の先生なのである。なぜ、諸外国が中国に報道の自由を求めるのかこれ一つとってみてもよく分かるだろう。

 で、こんな急な日程にも関わらず、世界各地からこれだけの人が招きに応じたのは、もちろん招待だということもあるけど(私は早稲田に払わせたが)、やはり真実を知る立場にある学者たちがチベット文化をこのまま消滅させてはならない、と使命感をもって生きているからであろう。

 実学の学者さんの一部には、政府の委員になりたい、とか、マスコミで売れたい一心で、政策の変化や民意の動向をうかがいながら、その言説をころころと変える人がいる。

このような実学に携わる人と異なり、歴史学者はあくまでも証拠と史料批判に基づいて研究を重ねる。従ってまじめにやっている歴史学者ほど中国のプロパガンダには心底あきれ果てている。

 それに、欧米ではチベット史はよく知られているけど、敗戦国の日本は中国に気兼ねするあまり、とくに朝日新聞が中国の見解をこの五十年代弁しつづけたことより、チベット史に対する認識は混乱している。日本では裏付けのある事実をもって研究内容を口にしても、何も知らない連中によって冷笑されたり、中国人留学生におかしな抗議をされたり、またそれを「中国人を傷つける」とかいってかばう日本人の先生達(Mよ、あの先生のことだ)がいることにより、真実は限りなく曖昧にされてきた。

この件に関して一番悪いのは16億を洗脳している中国であるが、この日本の社会の姿勢もいかがなものかと思う。

 大多数の人は人口に膾炙することを根拠がなくとも真実だと思う。

 マスコミも一般人も問題がおきた最後の最後にしか専門家に意見を聞きにこない。20人いたら19人まで意見を変えるまで、集団の意見は変わらない。

しかし、「アジアの安定を維持するため」「ビジネスのため」などなど、どんな理由をつけても、一つの文化、それも多くの人がその価値を認めている歴史ある文化を葬り去る権利は誰にもない。それが国家であろうと、実学者であろうと。

このような現在の自分の立場を守るために、過去の歴史をいじろうとする無知・無責任な大多数の人々の意識をかえるべく、このデリーに招集された40数人の学者たちは事実を武器に戦っているのである。

 これはもう修行だね。

 学会は三日間にわたって開催されたが、自分は二日の夕方に日本に向けて発った。本当にタッチアンドゴーである。私が「ああ、今回も空港と大学を見て終わり。まっいっか」と言うと、田中さんが気を遣ってくれて、空港に向かうタクシーをラージガートに止めてくれた。ガンジーの火葬された地だ。
 ラージガートは聖地なので、みな靴を脱いでお参りする。なので、靴をあつめる場所はインド人の脱いだ靴のニオイが充満して超クサイ。

 足洗え、インド人!

 じつは、自分の発表の冒頭に挨拶部分でこう述べていた。

 「私は二十歳の時、イギリス映画ガンジーに感動してインドにきました。これは私の初めての外国旅行でした。ガンジー博物館、ガンジーが火葬されたラージガート、などをめぐり、ラダックテンプルにいってそこでチベット難民と出会いました。それから、日本に帰ってチベット語を学び始めました。だから、今ここでチベット人の主宰する学会にこうして歴史学者として参加できていることをとても名誉に思います。」
 


 丁度日没時だったので、ガートにともる火が赤々と宵闇に浮かんでいた。
 こうして振り返ると自分の人生はホンマに最初から今に至るまで一貫している。研究内容も客観的にいってぶれたことをいったことは一度もない。

 昨年3月チベットが蜂起した時、「それでも自分は非暴力の意志を曲げない」と示すため、法王はここラージカート(マスコミはガンジー廟と記した)に詣でた。今私の目の前にある芝生に法王は座っていろいろな宗教の人たちとともに祈ったという。
ラージガート

 ダライラマの座ったという芝生も撮影。灯りに向かってチベットとダライラマに力を貸してくださいと偉大なるガンジージーに祈る。自分とチベットとの関わりは二十歳の時ここから始まった。それを考えるとやはり感慨深い。

 それから、運転手さんの選んだ道はインド門(第一次世界大戦の前、イギリスはインドに戦争に協力したら自治をあげるといってインド人を協力させ、終わった後は約束を反故にした。そして戦死した人をまつるこの門を作ってごまかした。)の前を通った。そういえば二十の時、深夜デリー空港についた自分は雲助タクシーにつかまり、雲助は頼みもしないのにここインド門につれてきてくれたっけ。あのときと同じようにインド門はライトアップされていてとても美しい。

 それを見た時、自分は今、正しい位置にたって正しい方角に向かっている。と、そんな感じがした。

 デリーは埃だらけだけど、ゲストハウスのシャワーは途中から水になって滝行になるけど、排ガスで喘息だけど、はっきりいってもうしばらくインドはごめんだけど、わたしはあの時から長い時をへていま再びこのインド門を目にして、今までの自分の人生を後悔していない自分が素直に嬉しい。

ここまで私を導いてくれた何か、ありがとう。

※註 せっかくいい話なんだからインド人の足の臭い話はぬいたらどうかとダンナ様に言われましたが、ナマのインドを感じて戴くためあえて残しました。イヤな人はこの部分だけぬいて記憶してください(笑)。
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DATE: 2009/11/18(水)   CATEGORY: 未分類
「生きる」
 いろいろな意味ですごいメールを頂戴しました。
メールの主のNさんは四人兄弟だったが、母上が子供の頃に蒸発し、父上はそのあと精神的に不安定になり、自殺未遂を繰り返し。Nさんの言葉を借りると
父はそのままICUから精神病棟に入れられ、実家は荒廃。兄妹はグレるヒマもありませんでした。
当時流行った「積み木崩し」な世界や、今流行の「引きこもり」がとっても羨ましく思います。
あれは結局帰る家、甘える相手がいて成り立つのかと思います。
」と、とにかくさんざん苦労をされた。

 そして、後にその蒸発したお母さんがガンを発症したことがわかり、その介護を長女であるNさんがすべて引き受けることとなる。介護疲れのあげく自殺した清水由貴子の場合は、母親が女で一つで彼女と妹を育てていて、介護するにしても「してあげたい」という気持ちが多少はあったであろうが、Nさんの場合は自分を捨てた母親の介護である。その心情や察するに余りある(他の兄弟は逃げた)。Nさんの大変はこれにはとどまらない。彼女は結婚して、お子様にも恵まれたのだが、そのお子さんには障害があった。その介護疲れからNさんも心臓病を発症。

 そのようなNさんがチベットに出会い「何かしたい」という気持ちになって里親制度に協力して下さるという。

 彼女のメールで興味深かったのは、Nさんがチベットにひかれた理由として、お坊さんの「教え」は難しいので理解できている自信はないが、「お坊さんたちの生き方」に感銘を受けたから、という件である。

 西洋人が、チベットを支援しようと思う契機となった時、あげる理由はまさにこの「彼らの人としてのあり方」に対する尊敬の念である。チベット文化がいかに普遍的かがここからも分かる。

 Nさんの苦難は自分の病、お子さんの障害を初めとして一気に解決できる問題ではない。ダライ・ラマがよくおっしゃるところの、「何か問題があった場合、解決できるなら全力で対処せよ、しかし、何も対処のすべがないなら、思い悩んでも仕方ない」という場合の、後者である。

 こうなったらダライ・ラマもおっしゃるように、シャーンティ・デーヴァの「忍耐」の章を修めるしかないであろう。そのような意味でも、Nさんが最初にであったチベットの法話がこの「忍耐」の章であったというのも何かの縁であろう。

 チベットと出会うことによって少しでもNさんの心が軽快になっていくことを願ってやまない。

 以下にメールを引用します。〔〕内は私の補い、・・・は本文の省略。二本のメールをまとめて一本にしていますが、基本的には本人の言葉は触っていません。

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私とチベットの出会いは20年ほど前になります。
高校の同窓生にヒマラヤ料理のお店があるから行ってみない?と誘われたのがキッカケでした。カレーがおいしく、店の壁にはささやかに、でも誇らし気にダライラマ法王と一緒に写った写真が額に飾られていました。

 店長さんは気さくなおじちゃんだったので、女三人あれこれたわいない話をし、何気に「法王さまとお会い出来るなんてすごいですね~、私も会ってみたいなあ」と話したような。・・ その後、チベットはぼんやりと意識の彼方にありました(すみません)。
 そして、時は飛び、今から2年半ほど前。
 私の住む町にも〔ギュトー寺のお坊さんたちの巡業〕チベット・スピリチュアルフェスティバルが来てると知り、息子を連れてお邪魔したのが丁度中日だったような・・・

 チャド・リンポチェ、ゲシェ・タシと愉快な仲間たち(10人のお坊さん)と、あのヒマラヤ料理店の店長さんJさんに再び出会い、私は「自分の中にあると思っていたもの」をぶっ壊されたような衝撃を受けました。

 リンポチェは入菩提行論の「忍耐」の章のお話をなさっていましたが、当時の私には(いや、今もだ)理解出来る訳もなく、何に感動したのか?と言われたら
「彼らの生き方」そのものとしか答えようがありません。

 実は私の息子は今年養護学校小学部1年生になりました。お察し頂けると思いますが、健常とはほど遠い障害児です。

こんな私たちなのに、本当に彼らは温かく迎えてくれました。

 若いお坊さんたちは制作途中の砂絵を間近で見せてもらったり、「ぼくがこの子を見ているから、お母さんは〔チャド〕リンポチェの話を聞きに行ってらっしゃい」と息子をお坊さんの控えの間に連れてって遊んでくれたり・・・しかも自然なんです、全てが。はっきり言いますと、日本人でここまでする人、見たことありませんでした。
今もいないです。

 彼らの病気や障害を特殊に見ない視線も、同じ病院に通っていても何かと線を引きたがる日本人ばかり見てきた私には、目からはウロコでした。

 そのときの灌頂〔の本尊〕は薬師如来さまでした。イベント途中でお話するようになった、カソリックのおばさまから「あなたたちに丁度良いから、受けてみたら?」と誘われて、あんまり深く考えずに、でも「これはありがたいことだ」と漠然と感じながら〔灌頂を〕受けました。

 フェスティバルが終わり、私たち〔親子〕には再び訓練・通院の生活が始まり・・・折しも北京オリッピックの開催を前に騒がしくなり、20年程前チベットを知ったときとは違う感覚が中で騒ぎ出しました。・・・彼らと出会ったのも何かの縁だし、私たちに出来ることをしよう。

で、したことと言えば、息子が通っていた肢体不自由児通園施設の出席ノートの表紙に、ばーん!とダライラマ法王&ポタラ宮のイラストを描いたこと(隅に小さくお坊さんたちと一緒に写った写真も添付)。母子同伴の通園施設だったので、お母さんたちは勿論、先生たちも毎日それを目にすることに・・・生まれて初めて買った携帯電話のストラップをフリチベ仕様にしたこと。
我ながら地味な意思表示だったですが・・・
お金がないので図書館でしつこく法王さま関連の書籍を借りまくりました。
息子の介護と私の脳みそのキャパを言い訳に、同じ本を何度も読んでもいつも
フレッシュな自分が悲しいのですが、とりあえず細々と続けています。

そして、・・・今月頭に法王さまの謁見を賜る機会を賜りました。
・・・勿論極秘裏にです・・・
法王さまは、知能的にも底辺を彷徨う息子に、不勉強で無学な母親のところへ、まさしく「降りて来てくださった」仏様でした。

緊張のあまり、カタを差し出すのも忘れた私。法王さまは構うことなく子どもの頬を触って微笑みかけ・・・その瞬間、全てをお察しになったのでしょうね。すっくと姿勢を私の方に向き直すと、右手の人差し指をいつものように上を指差してチベット語で何やら話し始めました。

〔通訳の方によると〕「(こういう子どもが生まれてしまったのも理由がある、と前提に話されたような・・・)こういう話を聞かされるのは辛いかもしれないが、カルマを受け入れなさい。チャンドラキールティー、シャンティディーヴァの「入菩提行論」を実践なさい、とおっしゃってます」

法王さまは肩を貸してくださいました。
借りた肩でオイオイ泣いてしまった私に、法王さまは私の頭を引き寄せ、額を額をくっつけてしばし沈黙し・・・余りのサプライズに目を開けることが出来ず、でも周囲のSPさんたちが固まっている雰囲気は肌に痛いほど感じました。

・・・息子がこの体で生まれてくれなかったら、2年半前のスピリチュアル・フェスティバルにも参加しなかったでしょう。
法王さまのことも遠い国のお話程度だったかもしれません。
北風と太陽よろしく、太陽を知らないまま、私は未来永劫憎悪の呪縛から放たれることはなかったのだろうな、と思います(いや、今も煮えることはありますが)。

何と申しましょうか、息子がスペシャルな体で生まれてきたことも、人生一見「ええ?」と思えることにも実は感謝なのですね(いや、こう思えるのにも激しい内部時差があるのですが)。
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DATE: 2009/11/14(土)   CATEGORY: 未分類
護国寺さまでチベットを学ぶ
ごろう様ページまだ未見の方、あなたはとっても不幸。幸福になりたかったら、→ここクリック

ダライ・ラマ法王巡錫の地であり、スピリチュアル・フェスティバルでギュトー寺のお坊さんたちがマンダラを作られたあの護国寺様で、今年もチベット基礎講座が開かれます。来週の十一月は平岡さん、暮れも押し詰まっての十二月はワタクシめが、講座部門を担当いたします。

チベットってどんな国だろう?
チベット仏教って何だろう?
チベット人ってどんな人達だろう?


bTibet09(護国寺さまでチベット文化の基礎講座)

会場 護国寺さま (〒112-0012 東京都文京区大塚5-40-1 東京メトロ有楽町線 護国寺駅下車すぐ)

2009.11.21(土)
13:00-14:30 ご法話「聖なるブッダの教え、慈悲と智慧」 ゲシェー・チャンパ・ドンドゥプ師 (デプン・ゴマン学堂 ゲシェーラランパ)
15:00-16:30 講演「チベット密教の世界」平岡宏一先生(清風学園専務理事)
17:00-17:30 チベットの平和を祈念する祈りの集い ―デプン・ゴマン学堂の僧侶と一緒にお祈りしましょう―

2009.12.19(土)
13:00-14:30 ご法話「他者を愛する、菩薩のこころ」 ゲシェー・ガワン・ドルジェ師 (デプン・ゴマン学堂 ゲシェーラランパ)
15:00-16:30 講演「歴史上の大国モンゴルを魅了したチベット」石濱裕美子
17:00-17:30 チベットの平和を祈念する祈りの集い ―デプン・ゴマン学堂の僧侶と一緒にお祈りしましょう―


* ご法話・講演は初心者向けですので、どなたでもお好き なプログラムに参加できます。途中入退場も可能です。
* 当日はご参加いただく前に、必ず護国寺ご本尊の観音 様にお参りください。
* 参加料は特に頂いておりません。 賽銭箱へのお志をお願い申し上げます。
* 希望者にはチ ベットの護法尊への特別祈祷を受付ております。当日窓 口でお申し込みください。 ■本事業にご協賛いただける方を募集しています。
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DATE: 2009/11/11(水)   CATEGORY: 未分類
『殺劫』と『碧空のかけら』
チベット教育サポート基金の方から『殺劫』と『碧空のかけら』をご恵送頂いた。

 チベット教育サポート基金は1990年に始まったかなり古参のチベットの支援組織で、2009年7月現在で683名(のべ2143名)のチベットの子供たちがこの組織を通じて支援を受けている。『碧空のかけら』という絵本はこの支援組織が発行したもので、チベット文化の心髄を短いながらいっぱつで伝えるマーベラスな本である。

 この『碧空のかけら』、とくにこのページにくるとどんな人でも目から煮汁がでます。血も涙もないと評判の私ですら、ぐっときて天を仰ぎました。

青空のかけら

 
 ある日本人旅行者のインド旅行での実際の体験をもとに創作した話だというけど、チベットを支援しようと思う人が多かれ少なかれ感じているチベットに対する思いをこの本はうまく表現しています。

 売り上げは子供たちの支援に使われますので、是非気軽にクリックしてかっちゃおう。とにかく温かい涙がでます。

 で、ついに出ました『殺劫』。去年の北京オリンピックの開会式の8月8日に九州でも行われたチベットの平和を祈るキャンドルイベントの場で、中国書店の社長さんと「久留米チベットサポート基金」のNさんが知り合って、Nさんはこの社長から『殺劫』を出版しますよ、との話を聞いた。でNさん、そげな本がでるんだったらばってん協力しますわー(九州弁はフィクションです)、てな流れになって、Nさんが自分に書評を依頼してきたわけであります。

Nさんは、47才の時会社が倒産して、次の会社の面接を受けるまでにあった何週間かの間に、図書館でチベットの本を読んで、
「もし、この年で再就職が叶ったなら、恩返しにチベットの子供の里親になろう」

と決めて、見事再就職を果たし、それからずっとチベットの子供たちの支援を続けられているとのこと。一人につき4000円からはじめられます。詳しくはここ見てね。で、このNさん、キムスンヨン監督の『チベット・チベット』の中国語版字幕を字幕ソフトで根気よくつけた方でもあります(漢訳は別の方が行ってNさんは字幕はりをされた)。

 というわけで、『殺劫』詠んでいるのですが、とにかくすごい歴史資料。
著者のウーセルさんは共産党の幹部であった亡き父上の遺品の中からチベットの文革時代の写真を見つける。その写真をもってチベットで取材を行い、写真に写っている彼らが何者で、今はどこで何をしているのかを調べ上げたのだ。

 これが何を意味するのかと言えば、日本語の監修者である読売新聞の藤野彰氏もいうように、共産党の恥の歴史をダブるで抉るものとなる。

 つまり、1950年のチベット侵略も1964-1974年の文革も、共産党の失政の最たるもので、この二つは現在も共産党の正当性の根幹をゆるがしている。そのため、共産党はチベットの文化大革命を二重の意味で封印していた。しかし、そのタブーを共産党の幹部の家庭に育ったチベット人のウーセルさんが破ったのである。、もちろん、中国本土では出版できず、台湾で出版された。

 『殺劫』の写真は、チベット第一の聖地であるラサの心臓のチョカンが、誰によって破壊されたのか、いかに辱められたのか、かつての貴族や官僚や転生僧たちが誰によってつるしあげられたのかを示す、まさに動かぬ証拠である。

 その写真に対する解説は今もなお生きる関係者の口から語られたもので、ウーセルさんが取材した結果明らかになったものである。ウーセルさんによると、彼らはみな、他人の悪事については饒舌であるが、自分の悪事を糺されると口をつぐんだという。それでも多くの人に会っていけば、誰がどう行動したかは自ずと明らかになっていく。その内容がとにかくひどい。

  暴徒の先頭にたって暴力的に振る舞ったものの大半は、かつては貴族の召使いであったり貧民であったりした人たちであった。彼らが、かつての自分の主人や崇拝していた高僧たちをつるしあげたのは、彼らが階級闘争や革命精神を理解していたからではない。

 ウーセルさんも言うように、彼らのほとんどは教育を受けていないものであったため、文字も読めず、当然のことながら、漢文の壁新聞も読めない。むろん、スローガンの意味する思想内容を理解する思考力があるわけでもない。彼らはただ、かつてのセレブたちをひきずりおとすという快感に酔いしれ、自分の真逆の高みにいる仏達をぶち壊してその冠から金銀財宝を奪うことによって興奮していただけである。

 教育のない人たちの暴力を野に放ち、その結果、多くの知識人の命を奪い、チベットの人々が何百年にもわたり大事にしてきたものを烏有に帰せしめた、●沢東の罪は重い。

 暴徒の単細胞は目の前にある社会を壊せば、すぐに自分たちの新しい社会がくると思っていたらしいけど、周知の通り、社会は大人によって作られ運営されるものであり、無学な烏合の衆がいくら集まっても何も生まれないことは、〔精神的に〕子供ばかりがあふれた文革の十年、中国は教育も福祉も生産活動も何もかもが停滞したことからも明らかである。

 今、その破壊行為に携わった人たちは、どうしているのだろうか。死んだものも居るが、生きている者はその多くが共産党の幹部に収まっているのだ。

 ウーセルさんのお父さんの写真の中で、歯をむき出して、かつての貴族をののしっていた女性ツェリン・ワンモは今はみるからに凶悪な顔をした老婆になっている。もちろんウーセルさんの取材は拒否。ツェリンワンモは今、かつて自分がつるしあげた人と町中でばったりあうと(ラサは狭い)、腰を低くして「先生、先生」といってくるそうだ。

 「卑しい」とはこのような者たちのためにある言葉であろう。

 気をつけなければならないのは、暴徒の先頭にたったこれらの元貧者の人たち以外は、共産党の命令で動員されて破壊や糾弾にあたっていたということである。共産党は食糧の配給からはじまって社会のあらゆる部分を握っており、その命令によって動かないことは自分が今度は壇上にあげられて糾弾の対象となることを意味する。従って、多くの人々はチョカンを初めとするチベット全土の寺院の破壊に加わり、かつてのセレブたちの侮辱を行ったのである。

 「破壊」に快感を覚えていた教育のない人たちについてはもう、ダライ・ラマがおっしゃる通り、教育は大切だ、の一語につきよう。では今の中国の教育はと考えると、大して当時と変わってないんだわこれが。つまり、人間性を育むようなことはしてなくて、相変わらずのスローガン連呼、Get Stupid! な教育という名の洗脳。詳しくは二三こ前のエントリーの愛国教育の項を参照してね。

 ウーセルさんもいうように、お寺の破壊を行ったのが、チベット人であった事を強調する現在の共産党の言説は卑怯である。なぜなら、毛●東が文革を発動する前にはチベット人が大挙して僧院をこわすなどという行為はなされなかったからである。共産党の命令があったからこそ、教育のない人々はその尻馬にのって社会を破壊し、良識のある人も自分を守るためにこの大衆暴動に加わらざるをえなかったのだ。

 都合の悪いことだけとを、「チベット人がやりました」っていうのは逃げですよ、逃げ。

 そいえば、気になったこととして、仏教に関する事柄に誤訳があった。これが誤訳なのか、それとも原文から間違っていたのかは、原文もって帰るのを忘れたので、分からない。

 たとえば、スィルニェン(ミニシンバル)のことを金剛鈴といったり、カーラチャクラのモノグラム、ナムチュワンデンをナムゲルワンデンといっていたり、寺院の正面にある初転法輪を示す、鹿と法輪を麒麟と法輪と言ってみたり。もしこれが原文からの間違いであるとすると、本土チベット人の知識人であるウーセルさんからして、仏教の基本的な事相が理解できいないことになり、文革による文化の破壊の一例が、奇しくも本文中に現れたことにもなる。

 『殺劫』は4600円と高価な書籍であるが、文革史、現代チベット史にとって一級の資料であるため、各地の図書館には入れてほしい。
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DATE: 2009/11/06(金)   CATEGORY: 未分類
猊下は日本で仏法を説きたい
文化の日の深夜いきなり電話がなった。
でると平岡さん。
その日の午前中、愛媛でダライ・ラマ法王と謁見された時の話を一気に話し始めた。

 要約すると「ダライ・ラマ法王は日本で空(くう)についての話をしたがっている。」ということ。

 謁見の冒頭、平岡先生はガワン先生に教わっていた『秘密集会タントラ』の注釈書を日本語に翻訳している旨を話した。すると、ダライ・ラマ法王は「〔秘密集会タントラに説かれる〕幻身もいいけど、これは遠い未来に心のレベルが上がっていく話であり、限られた人しか救えない。幻身は体内をめぐるエネルギーの流れ(風)を質料因とし、光明を協働する縁として、生まれるが、この光明とは空(くう)を理解する智慧だ。これは欲望や怒りに苦しむ意識に即効性がある。苦しんでいる人の心に即効性があるのは空(くう)の正しい理解なのだ」

とおっしゃった。さらに
 
 「日本人は般若心経を読んで喜ぶような環境にある。しかし残念ながら今はもう輪廻を信じている人は少なく、般若心経の内容をきちんと理解している人も少ない。読経という行為も形骸化しているようだが、形が残っていればそこに心を戻すことは難しいことではない
 仏教を真剣に考えている人を非公開の場に200名くらい集めて、三日間空についての講義をしたい。大学者が凡愚な人に教えるようなそのような場ではなく、みなが空について考えるきっかけとなるような場にしたい。」と熱く語られたという。
  
 そして三十分くらいの謁見が終わり、平岡一家が猊下の部屋を退出しようとすると、猊下は再び平岡さんを呼び止めて、〔ダライ・ラマの属する宗派ゲルク派が大切にする聖典〕『現観荘厳論』には仏には四つの体があると説く。その四つとは自性法身(空)、智法身(空を理解する智慧)、受用身、変化身である。『現観荘厳論』は仏の四つの体を説いても、それがどのように得られるかは書いていない。しかし『秘密集会タントラ』はその四つの体を得るための方法が説得力ある形で説かれている。だから、『秘密集会タントラ』は確かに重要だ。
 しかし、われわれが粗大な意識(日常的な意識)を修業によって変化させ、微細な意識(根源的な意識)にしていくのは遠い未来のこととして、それを目指していくことは重要なことであるが、 いますぐ、多くのものが怒りや執着から救われるには、空を理解する智慧が大切である。そして幻身を獲得する前提も空の理解だ。
 ここ数年何度も日本にきていて感じることは、以前日本人は私にスピリチュアルなものを求めていたが、ここのところは私に仏教を求めてきているような気がする。

とおっしゃったという。

 居合わせた平岡さんの奥さんや弟さんも、「法王は政治よりも何よりも仏教について語りたがっている」と同じ感想をもったそうだ。

 以上が平岡さんと猊下との謁見記録。わたしも10月31日の国技館での猊下の法話を伺っていて、日本人ならだいたいは聞いたことがある般若心経とからめたら、空(くう)の哲学が日本でも理解しやすい形で普及するのではないか、と強く感じた。もし猊下が望むような場が実現するようであったなら、ぜひその200名に潜り込んで(しかしこの200名には自ずと日本における仏教哲学の興隆に粉骨砕身するという義務がセットでつく)、猊下の法話を拝聴したいと思った次第。

 縁起を整えるため、お釈迦様が覚りを開いた時に体得した四つの聖なる真実(四聖諦)のクンサンコルロー(ティクセ寺)の読み方を以下に特別解説。チベット語が単語だけでも分かるという方は写真をクリックして拡大して詠んでみて。

kunzankorlo2.jpg


縁取りの黄色で線を引いた部分

1, 2, 3, 4 と 1, 8, 15, 22
この世の存在は全て苦しみであるという真実(苦諦)

7, 6, 5, 4, と7, 14, 21, 28
苦しみの原因は我執であるという真実(集諦)

43, 36, 29, 22 と43, 44, 45, 46
我執をなくせば苦しみがなくなるという真実(滅諦)

49, 48, 47, 46 と49, 42, 35, 28,
苦しみをなくすための修業の道という真実(道諦)


渦巻き状のピンク色の部分

1→2,8→3,9,15→4,10,16,22 (苦諦)
7→6,14→5,13,21→4,12,20,28 (集諦)
43→36,44→29,37,45→22,30,38,46 (滅諦)
49→42,48→35,41,47→28,34, 40, 46 (道諦)

11→19→27→33→39→31→23→17 この、生存の輪(輪廻)を見よ!
18→26→32→24→25 つねに平和でありますように!


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DATE: 2009/11/02(月)   CATEGORY: 未分類
猊下の法話「覚りに至る道」
例によってぎりぎりに国技館につく。法王事務所から送られてきた切符をはじめてまじまじとみるが、A列32、Aということは最前列か。たしか去年は正面席ではあったが、二列目であった。みな着席している前を中腰で移動すると在日チベット人の方達が多い。で、いきすぎたらしく、もう一度もどって自分の席を発見してびっくり。

 左手は通路だが右手は●野聖修先生。うわ。●野先生の右隣は龍村監督。こゆい。

 猊下がどこにおかけになるのかは舞台の花でよく見えない。猊下が入場して着席されると、猊下わたしのほぼ目の前の壇上。中央は通路なので、その通路の猊下からみて左側の最前列に自分がいるわけ。

 し・か・も、猊下はお話になる際に若干左側に顔をむけて話されたため(たぶん通訳の方の方に無意識に向かわれるため)、ほぼ常に自分の方をむいて法話をしてくださっているように見える。

 ちなみに自分は妄想癖があるわけでもなく、単純に客観的な事実を語っているのである。猊下の顔はこちらに向いているが視線はもっと遠い何かを見ていらっしゃるし。

 で、こんなベストポジションにいたので、内容を逐一記録してみなさんにお伝えせねばと気合いをいれてノートとりまくった。で、以下にそれを公開(ただし、手書きのノートなので、完璧ではない。もし内容が間違っていてもそれは自分の聞き間違えであり、猊下とは無関係なことをここにお断りしておきます)。
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 中央にかかっているタンカ(仏画)は釈迦とむかって右に龍樹、左にアサンガ。
 猊下「みなさん般若心経読んでください。」と。韓国からきたグループがチベット語で読みはじめたので、日本勢が中国語の書き下し般若心経をなんとなく気後れして読めない。 

 で、般若心経の最後の一文「ガテー、ガテー、パラサンガテー」は「ゆけゆけ覚りの境地へ」という意味だといい、
 五道(資糧道、加行道、見道、修道、無学道=仏陀の境地)の説明をし、種を花にそだてていくように菩薩の十地、修道の智慧を育て、空を直接知覚する智慧をそだてなさいという。

 覚りにいたる三つの要因 (ラムツォナムスム)とは、1.「出離の心」、2.「菩提心」、3.「空性を理解する智慧」である。

 そのうち、最初の「出離の心」は煩悩障(煩悩という障害)をとってくれる。
 最後の「空を直接知覚する意識」、すなわち「智慧」には、二つ目の要因である「菩提心」が大事である。
 その「菩提心」、すなわち他人を救う様々な手段を基礎にして、三つ目の要因「空を直接知覚する意識」が所知障(一切知に対する障害)を滅ぼし、完全なる仏となることができる(正等覚)。

 まず、一般論からはじめましょう。苦しみは私たち自身が作り出しているものです。日本は物質的には発展してるけど、苦しみに出会うと無知と煩悩(怒り・執着)にまどわされて、さらに自分を苦しめている。

 英文わかる人はいるか? ああすごく少ないな。わたしもチベット語の方がらくだ。

 煩悩には怒りと執着などがある。これは五大(肉体を構成する諸要素)をみだし健康を損なう。免疫能力もさがる。宗教のある人、ない人に関わらず、みな幸せを求めている。みなが心の平安を望んでいる。しかし、幸せは快楽からは得られない。アメリカやカナダで心の平和についての研究が行われ、強欲、嫉妬、怒り、不安を少なくすると心が平安になるという。なので、その平安になるための原因をふやしていけばいい。それは概念にたよってできるものではない。
 心の平安は自分と他人の間に線引きをしている間は見つけることはできない。他人を遠く感じるから、嫉妬や怒りがある。他人を自分と近いものと思えば怒りも不安もない。慈悲によってなくすのだ。
 自分、自分、と自分を主張して生きてきたことが、自分に苦しみをもたらしてきたのではないか。誰もがみな幸せをもとめ、不幸をのぞんでいない。みな同じなのだ。

 さまざまな宗教があるがそれはみな人の心には愛や慈悲を育む可能性があることを示している。
 宗教がなくても、〔親が子を愛するような〕世俗的な愛情だってそれが大切なことは広く知られている。愛情がある家庭で育つとその子は安定した情緒をもち幸せになれる。
 アメリカの研究者が毎日二~三時間の瞑想をして、注意深さや愛や慈悲について瞑想すると血圧やストレスが下がるといっている。ポールイクランという研究者だ。

●世俗的な倫理観 アメリカやカナダで科学者と対話してきたが、近代的な教育システムの中でも、幼い頃から全ての人に心の平安をえるためには他人を愛すべきことを教えた方がいい。日本の若い人も自殺が多いというではないか。知識や教養を教えるだけでは足りないんだよ。

●仏教の倫理観  
(1) 私(エゴ)とは何であるか
(2) 私に始まりはあるか
(3) 私に終わりはあるか。

 まず、(1)である。私とは何であろうか。心であろうか。心といっても粗いレベルと微細なレベルがある。仏教以外の宗教は「心と体の所有者」である単一かつ永遠不変なものを「私」だという。たとえばキリスト教だと魂(soul)、バラモン教だとアートマンだ。
 しかし、仏教だと「私はない」(無我)。心と精神の集合体(五蘊)しかないと考える。
 『般若心経』では「五蘊もみな空」(無自性=それ自体の力でなりたっていない)というだろう。「私」とはただ五蘊のあつまりに名前を付けただけのものなのだ。

 (2) 私に始まりはあるか。キリスト教などの宗教では造物主たる神が人をつくったので始まりはある。(つまり始まりはあると考える)。
 しかし、仏教では「私」はそうは考えない。ある意識の前にはその意識の原因となる意識があり、その意識の前にもその前の前にも意識があるわけであり、無から有が生まれるわけはないので、始まりはない。意識の流れに私という名前をつけただけのものである。

 (3) 「私」に終わりはあるか
 神のある宗教では魂は終わりに地獄や極楽に行くという。
 仏教の説一切有部では五蘊がとぎれて涅槃にいくという(つまり私が終わるといっている)しかし、〔ダライ・ラマの則っている仏教の中観帰謬論証派の学説によると〕私には終わりはない。〔覚りを開いて〕涅槃になると、苦しみはなくなるが、私がなくなるわけではない。龍樹は『六十頌如理論』で「私には終わりはない」と説いている。(なぜなら、私はそもそも実体的に存在しているわけではないので、どこかで無くなるということもないのである。)

 以上をまとめると、
(1) 私は何であるか → 体と心の集まりに私という名前をつけただけのもの。つまりない。
(2) 私に始まりはあるか → 始まりはない
(3)  私に終わりはあるか。 → 終わりもない

15:35分からやっとテクストの話になる。
はいテクストを手にして。
______________________________________
【序】 
ここで著者のツォンカパが約束と決意を示している。
著者のツォンカパ・ロサンタクペーペルはカダム派からゲルク派をつくり、顕教の後、密教も学び、サキャ、カギュ、あらゆる宗派の伝統を受け継いでいる。

(1)【出離の心を起こす】
★この苦しみから離れたいと思いなさい。今生に対する執着、来世に対する執着をなくし、輪廻からでようとしなさい。
★開かれた心で対象を調べること。アーリヤデーヴァは『四百論』の中で、「自分の学派の教えだけでなく、他にも心を開け」といっている。現実に即したものの考え方をし、知性をもって偏見のない心で分析しなさい。
★釈尊は金を焼いたりこすったりしてその真贋を確かめるように、仏の教えも知性によって吟味すべしといっている。懐疑的であれ。正しい分析を行い、疑惑を晴らしていけ。

(2) 【菩提心を起こす】
★利他の心を起こすためには(1) 自他を入れ替える瞑想 (2) 因果に関する七つの口伝がある。
★出離の心→菩提心という展開は、まず最初は自分の安楽を求めて、輪廻が苦しみであることを認識し、そこから逃れたいという気持ちを起こすけれども、そうすると、他人も同じ苦しみを味わっていることを知り、他人を救うために覚りを求めるようとする心をおこすのである。

(3)【空を直接知覚する意識に対する正しい理解】
★龍樹は『中論』で「すべては仮説(仮構)」といっている。あらゆるものは依存しながら、存在しているように見えている(縁起)が故に、実体がない(空)。私を捜しても名実の名の方しかない。

★覚りをジャマするのは煩悩障と所知障の二つの障りである。われわれの意識には、主客の二元論的な姿が現れている。それが実体的に存在しているかのように把握するのが、我執、すなわち対象を実体であると捉える思い込みである。対象を実体的に存在していると把握している意識、あるいはそのように思わせているものが無明(=煩悩障)である。煩悩は出離の心によって消すことができ、そうすれば物事に実体はないと思えるようになるが、所知障(二元論的戯論)は残っているので、世界はまだ主観・客観という二つに分かれて現れている。これは世界を二元論的に見てきたこれまでの経験によって意識の中に植え付けられた「煩悩の遺したもの」(習気)があるからである。これか所知障である。つまり、仏の智慧を得ることをジャマするものである。

★その所知障は「その反対のもの」(対治)である「空を直接知覚した意識=智慧」によって消すことができる。

★「真実(=諦)」には以下の二つの側面がある(二諦)。
(1)世俗の真実(世俗諦) とは、ものごとは依存関係によって、そこに存在しているように見えている(縁起)。般若心経でいえば空即是色(実体はないけど、存在するものとして現れている)の部分。
(2) 究極の真実(勝義諦)とは、「あらゆるものには、それ自身で存在しているような実体や本質は存在しない(空)」ということ。般若心経で言えば色即是空(存在していても、本当のところは実体がない)の部分である。

このように全てのものが、現れに過ぎない、と知ることで実在論を否定し
本当の空性は何もないことではなく、縁起している存在であると知ることで虚無論を否定することができる。

つまり、虚無論・実在論という二つの極端を排するために、すべての存在は、空(くう)でありながら、同時に原因と結果に依存して存在しているものであると知れ。

 以上の教えを論理的に考察し、この空の思想を吟味して、心をこの空になじむように訓練していくがいい。(2009年10月31日 両国国技館 ダライラマ法王講演)。
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