白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2010/03/31(水)   CATEGORY: 未分類
表紙の人
 明日から四月。出版不況の昨今、拙著が平積みになる期間は短いと思われるので、都内の大書店を訪れては記念に棚の写真をとる。
プロモーションの一環でツイッターでも始めようかな~と思うが、迷う。

 ゼミ生のK君によると、ツイッターの利点とは失言してもすぐ下に沈んで忘れられること、ミクシのようなSNSの閉鎖空間とは異なり、多くの人がテーマや話題ごとに見に来てくれるとのこと。で、難点は長い文章がかけないことである。

 そもそも自分はブログが始まった時もかなり参加をためらった。体系的にいろいろな情報を発信できるホームページとは異なり、ブログの場合、古いエントリーはどんどん沈んでしまい、主張を体系だてて発信するのは難しい。そこで、自分の仕事リストや、繰り返し主張したいことは、そのエントリーをホームページにあげるなりして、両方を運営してきた。

 しかしツィッターはさらに短い140文字の短文しか発信できない。

 こんな短文では何か書こうとしても十個にわけてあーだこーだエントリして、その間に誰かがリツイートとしたらわけわかんなくなるかもしれない。

 今自分が何を考えているかという記録を残しておきたいという衝動はあるにはあるが、そのために一日中パソコンの前に座ってウシのヨダレのようにだらだら思考を発信するというのも、疲れる。なのでとりあえず今はやめておく。

 しかし、ふと気づけば今の自分のしゃべり140字以内で改行してるじゃん(笑)。

 さて、またまた地味なプロモーション。このページを訪れた方だけに新著の表紙の読解法を披露します。

世界を魅了するチベット―「少年キム」からリチャード・ギアまで世界を魅了するチベット―「少年キム」からリチャード・ギアまで
(2010/03)
石濱 裕美子

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 この表紙の外人さんは、自分が1995年タボで開催されたダライ・ラマのカーラチャクラ灌頂の際に隣に座っていた人たちを撮ったもの。
 彼らの視線の先にはカーラチャクラ尊をインストールしたライ・ラマ14世がいらっしゃる。

 で、彼らのしている赤いはちまきであるが、これは灌頂の中で配られるもので、本来は「目隠し」。
 われわれはものごとを曇った目でみているため、それはあたかも目隠しをして生きているようなものである。このことを示すために灌頂中には目隠しをせねばならない。

 しかし目隠しをしていると式次第が分からないので、なぜかこの目隠しをみな鉢巻きにしてしまう。
 弟子が導師にマンダラの中に導かれるハイライトにおいて、このはちまきははずされる。 
 そして、外人が手に挟んでいるのはツァムパカの花(の押し花)。
 これも灌頂儀礼中に配られ、投華得仏の際にマンダラの上にはらりとおとし、その落ちた位置によりその者が、覚りを得た後にどのような方面で活躍するかを占うのである。

 弘法大師様が、この投華得仏の際に何度やっても中央の大日如来に落ちたので、日本の灌頂ではそれにならってすべての花を真ん中の大日如来にひっぱっていくが、チベットの灌頂ではちゃんと落ちた位置の仏様とご縁を結び、密名も授かる。
 で、古いキオクを地引き網でひきよせると、確かこのオトコの外人はイスラエル人じゃなかったか。
 なんかナゾの文字の本を読んでいるので、「それどこの文字?」と聞くとこの外人「Hebrew」(ヘブライ文字)と答えたから。

 この思い出話しを学生のMにすると、「あいつら(イスラエル)あらゆる国家に出入り禁止くらっているんで、インドくらいしか放浪する場所ないんですよ。」なぜ、Mがイスラエルの人を「あいつら」というのかというと、それには訳がある。

 Mが2008年夏、カルマパ17世とともにマナリ付近で雪崩にあって足止めをくった時、Mは北インドの山間部をなめていたため軽装だった。一方、イスラエル人はぬくぬくの服装だった。で、ネパール人の子供達も寒そうにしていたので、「この寒さでは自分は今晩を超すことはできまい」と思い、どこぞの航空会社の機内からパチってきた毛布をネパールの人の子供にかけてあげた(これはMの証言によるものなので若干自分を美化している可能性があります 笑)。そして、Mはイスラエル人たちが、自分の行動にならって他の寒いひとたちに毛布を貸すことを期待した。

M「それが、あいつら自分のことしか考えないんですよ」

 まあ被害者意識の強い人は、人を思いやることはあんましないよな。

 でも、善行を行う時は人に見られてほめられたいとか、人を動かしたいとか考えると、だいたい裏切られるし、それで怒ったら善行にすらならないから、善行はそれを行った瞬間に自分に誇りをもてたことを喜んで終わればいい。

 Mはコミニュケーション能力が高いから、イスラエル人以外に助けられてこうして生きて帰ってきたわけだし。
 
 あと、青いケシはご存じヒマラヤの女王。プラント・ハンター、キングドン・ウォードの『ヒマラヤの青いケシ』で一躍有名になったチベットの代名詞のような高山植物である。ちなみに、たしかこのメコノプシス、いわゆる麻薬の原料にはならないので、カンチガイしないでね。その美しさによって有名なだけよ。
 

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DATE: 2010/03/27(土)   CATEGORY: 未分類
10年度卒業式
サイン会のバナーをつくりました。そのまま画面右のプロフィールを見てください。
いや単にこのブログの関連エントリーに繋がるだけなんですが(笑)。

三月二十三日

 駅近くのダーツバーで今年の卒業の四年生を追いコンを行う。この前の北京旅行、六年生のMの半生、2010年のまとめと三つのムービーをプレゼントする。

 卒業生から自分に送られたムービーでは、学生たちが鍋とかつつきながら、好き放題自分を論評している。実に生き生きと。まあ反論はすまい。

 ありがとう。

 OBのTSくんkくんTKくんもきてくれて、とても嬉しい。別れがなごりおしいのか、この日山手線はWimaxの架線が目白駅できれてとまりっぱなし。帰れない。自分はその上、東急線の人身事故に足止めされる。

 ちなみに、自分のつくったムービーに三年のK君一言。
 
「2ちゃん臭がする」

三月二十五日

 朝から冷たい雨。晴れ着の女の子は大変である。記念会堂で行われた全体の卒業式の後、ゼミ生は人波にもまれているのか時間通りに専修の卒業式会場に現れない。

 学術院長のM先生が、日本が最近ガタガタだが、君たちは若いパワーと智慧で何とかたてなおしてくれ、と訓辞。

 毎年、専修の卒業式が終わった後は研究室で乾杯するのだが、今年は専修で卒業パーティが企画されていて、それまで手持ちぶさた。女の子はお色直しがあるので、男の子が数人研究室に遊びにくる。そこでいろいろ話していると、

 M「ボクのバイト先のインド人、先生のことをいくら訂正してもチベット人だと思っているんですよ」

 私「だってあの時、日本人だって名乗ったじゃん」

 W「いや、インドやネパール行くと先生がたくさんいますよ。先生、ダージリンで物乞いしてませんでしたか?」

相変わらず、口が悪い男である。

 Dが卒業パーティにいかないというので、その理由を聞くと、人の大勢いるところで、愛想笑いするのは疲れるので、サークルの仲間とまったり飲むという。そして「ボクは愛想笑いは一番得意なのですが、一番嫌いなんです」という。

 なので「自分も若い頃は、善いことしたり、善い事言ったりすると、自分そんな善い人間じゃないから、何か偽善者になったような気にもなったけど、この年になると、作り笑いだって人を幸せな気持ちにできるんだから、悪いことでも恥ずかしいことでもない、わざわざ露悪的になるよりゃましだと思えるようになった。Dはいい子だよ。作り笑いだって五十年続ければホンモノになるんだ。」といっておく。
 
 六時半よりパーティ会場に向かう。会の最後に先生を一列に並べて、弟子一同が花束贈呈という恥ずかしい演出があり、中でも恥ずかしいのはうちのオワライ担当Mがチベット僧の格好で花束贈呈をやったこと。

 で、先生が一言ずつ何か言わされることとなり、最初の先生がなんか長いので後を考えて自分は

「人生の岐路にたって何かの選択をしなければいけなくなった時、『こうするとラクだから』とか、『自分にとってはこれがいい』などという主観的な理由で決めてはならない。どこから見ても誰から見られても恥ずかしくないような決断をしなさい。そうすればその時は大変でも必ず誰か力になってくれる人がいるし、何より自分を嫌いにならなくてすむ。長い目でみればいい結果がでる」と短くすます。

 他のゼミ生には分からなかっただろうが、もちろんチベットを念頭においての発言である。

他のゼミの方々はだんだんいい感じで私たちを無視してくれるようになったので、最後はチベット旗掲げて記念撮影。

 知らないでフレームインした学生には、「この写真は中国入国のお守りになるよ」とウソのアドヴァイスをしておく(性格悪)。
 
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DATE: 2010/03/23(火)   CATEGORY: 未分類
コバンザメ・サイン会へのお誘い
コバンザメ・新著即売会ならびにサイン会

場所 四谷区民センター9階 (地下鉄)丸ノ内線「新宿御苑前」より徒歩5分
日時 4月2日18:30-19:10
イベントの詳細はここ


 四月二日に亡命政府の大臣をつとめたテンパ・ツェリン氏の来日を受けて「チベット緊急報告会」が開かれます。
 ちなみに自分もここで30分ほどチベットの歴史を講演するように頼まれました。

 しかし、最近になって主宰者から、400名も入るホール(四谷区民ホール)なのに有料(前売り1500円)がネックのせいか、申し込み状況が悪いと相談されました。
 
 で、そういわれてもなあ、と困っていると、編集のO君が、「先生、この日先生の本を会場に置かせてもらえませんか」と聞くので、ふと気づけば、いろいろあって遅れていた拙著がこの日にはできている。
 
 そこで、編集のO君と協議した結果、会場では新著を消費税抜きで売り、売り上げの一部は法王事務所に寄付する、そして望む人には自分のきたないサインでもしてはどうか、ということになり、それを法王事務所に相談してみると驚いたことにOkがでた。

 というわけで、このエントリの冒頭に書いてあるように4月2日、コバンザメ即売会ならびにサイン会を行うこととなりました。

 会場が公共の機関で時間が動かせないので、受付開始から講演の始まる直前(6:30~7:10)までです。その間に来れなかった方については、閉場後にするとか、その時かんがえまーす。

 地味な学者のサイン会が果たして人集めに貢献するかは永遠の謎だが、会場にお運びいただけますと、消費税ぬきで拙著がかえ、さらに法王事務所に自動的にささやかな寄付ができます。あと、私の汚い字が拝めます。

 ちなみに、新著『世界を魅了したチベット 少年キムからリチャードギアまで』は、チベット蜂起記念日頃、すなわち三月初旬には書店にならんでいるはずだったが、帯に推薦文をよせて下さった某有名人のレイアウト最終確認が遅くて出版が遅れた。この有名人が誰かもお楽しみ。

 で、内容については、自分でいうのも何ですが非常に面白いです。

 この百五十年の間、チベットを舞台にしたイギリスやフランスなどの文学作品をテーマにしつつ、チベットの文化がいかに普遍的でそして魅力的か、いかに、それに接する人々の心を瞬時にとらえてきたのか、その現代の奇跡を双子座の文章で堪能いただけます。チベットをテーマにしたハリウッド映画の解説も網羅的よ!

 参考までにわがゼミきっての優秀なKくんの感想文を本人に無断で転載します(笑!)。

こないだ送ってもらった文書読ませていただきました。とっても面白かったです。特にチベットの歴史を文化面から切り込んでいるので「チベット」と聞いて政治的な事のみを考えている人に対して認識の変化を起こすことが出来ると思いました。

そんな大げさな話でなくても、扱っている本が様々なので色々な人が見ても楽しめると思いました。
「チベット」という柱を軸にそれに共鳴した文化を複合的に扱う。

例えば、リチャードギアを「プリティ・ウーマン」などで知っていても、行っている活動について日本で知っている人がほとんどいないという現状がある。

けれど、それでリチャードギアファンの人がこの本を取ってくれる可能性もゼロではないとは言い切れない。
最近、僕が考えているのはこんな風に何か一つの支柱を軸に様々な文化を複合的に見ることでしか現状の日本の文化の薄さを解消できないのではないか?

こんな風な問題意識です。まあ、それ以前にリチャードギアを知らない学生が増えている可能性もあるけれど(笑)
あと専門的に見ても、『少年キム』について、サイードの括り方への――オリエンタリズムに対する欧米の嫌な感じではない――反論が素晴らしかったと思います。


ゼミ生の感想文まで動員しての地味なプロモーションが功を奏するか? さあ、コバンザメ・サイン会にあなたもきてみませんか。学者のサイン会なんてめったにないことですよ(そりゃそうだ)。

 もしお見えになる方は、前売り券は多少安いので事前にお申し込みどうぞ。

 この本で紹介している『少年キム』がちくま文庫で再刊されました。
少年キム (ちくま文庫)少年キム (ちくま文庫)
(2010/03/12)
ラト゛ヤート゛・キフ゜リンク゛

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DATE: 2010/03/20(土)   CATEGORY: 未分類
ギュルミ氏の流転の人生
金曜日、かつてダライ・ラマのボディガードをつとめたこともあり、法王事務所で働いていたこともあるギュルミ・ワンダー氏の講演を聴きにいく。

 会場は大倉山記念館という明治期の洋館の中の集会室である。主催者は『ダラムサラと北京』、『チベット約束の庭』などの発行元である「チベット交流会」さん。ギュルミ氏とは長いおつきあいらしい。

 テーマは「ダライ・ラマ法王の日常」。

 ギュルミ氏が法王のボディガードをつとめられていたのは70年代から85年くらいまでで、その間の、あるいはその後、日本やカナダにいる間に見聞きした法王のエピソードを伺う。

 ギュルミ氏はチベットが中国に十七箇条協定を結ばされた1951年の生まれ。
 カギュ派の僧であった9歳の時に国を失いシッキムに亡命した。いつ還俗したのですか、と伺うと、11才の時学校の制服を着るために袈裟を脱いだけど、いつということはない、私の人生は流転につぐ流転だ、とおっしゃられた。

 そこで、ギュルミ氏ご自身の流転の人生について伺うと、これがすごい。
 ギュルメ氏は西蔵ツェワン先生、ペマ・ギャルポ先生たちと同じ、最初期に日本にわたったチベット人。だから日本語もペラペラ。

 日体大で柔道を学び、しかし白黒曖昧にする日本の社会を好きになれず、インドのチベット社会に戻る。

 もれ聞こえてくるチベット本土の破壊の様子を聞くにつけても、安穏としていられず闘争のための同士を募るも、同調者は集まらなかった。そこで、学校の先生になることとした。
 
 ダライ・ラマに「日本はもういやなので、シッキムの学校で体育を教えます」というと
 法王様「昔は子供を学校にやるのは親にとって誇りだった。まして先生になるのはすばらしい。チベット人の子供を教育してください」とおっしゃるので

 「チベット人でなくインド人の子供です」と恐る恐るいうと法王様「同じだ。がんばりなさい」

 そして、ギュルメ氏は教師として給料をもらうようになるが、そうするといろいろなものがほしくなった。そして一年後ほしかったバイクに乗っている時、一転して全てがむなしくなった。

 そこで、ギュルメ氏、再び法王様のところにいって「今までのことを全て後悔しています。わたしが日本にいくまえカリンポンではチベット人の間には、チベット人という概念しかなかった。貧しいけどみんなで助け合っていた。しかし、今はみなビジネスで成功したりして、互いに助け合わなくなり、ラサの人、アムドの人などと互いの間で派閥を作っている。」と訴えた。

 するとダライ・ラマ法王様は、鍛冶やのふいごが、片方があがると片方が下がるように、人間性があがるとお金がなくなり、お金がたまると人間性が下がるといい、いろいろなチベット人の話をした。

 当時、中国人と戦うためインド軍にはいったチベット人が第三次印パ戦争にかりだされて、バングラディシュで死んでいた。法王は彼らは死に場所をまちがっている、とおっしゃった。そしてダージリンの紅茶畑で働きながら少ない賃金の中から亡命社会を支えるための税金をはらっている貧しいチベット人のこと、法王はいろいろなチベット人の人生を話した。

 そして、ギュルミ氏は武装路線をあきらめ、法王のSPの仕事を皮切りに、亡命政府内で働くこととなる。

 それから、いろいろあって、今はカナダ国籍をとってお坊さんでない俗人の老人ホームをシッキムのカリンポンにつくる事業に携わっている(お坊さんは僧院内で弟子に世話してもらえるから)。ギュルメ氏は

「チベット本土で今蜂起しているチベットの若者たちのキモチはよく分かる。自分がそうだったからだ。しかし、今はもう暴力に頼ろうとは思わない。そのように若者たちにも説いている。暴力は何も生み出さないからだ。法王様のおっしゃる通りだ。」

 「私の人生は流転の連続だが、いい方に流転してきたと思う。」

 ギュルメ氏はハリウッド映画クンドゥンにおいて中国と対立して馘首されるルカンワ首相の役をつとめている。ハマリ役すぎて吹いた。最後に、

「もしチベットが今も独立国だったら自分は本当に首相になっていたかもしれないよ」とジョーク。
 
 いや、こゆいお話でした。若い頃は国のために戦うことを志し、今はチベット文化の長い目でみた存続を考え、暴力を捨て、難民社会の福祉にいそしむ、また節目節目で法王様がおしつけがましくなく、ギュルメ氏を導くそのオコトバがたまりません。

 氏は23日に離日してカナダに戻りますので、彼のトークショーはあと日曜と月曜の二回しかありません。通訳を介さず直接日本語でお話ができます。

 三月二十一日(日) 午後6:30~8:30
  会場 大倉山記念館 (最寄り駅東急線大倉山駅徒歩七分)
 三月二十二日(月) 午後1:30~4:30
  会場 関東Itソフトウエア健保会館(最寄り駅総武線大久保駅より徒歩一分 
 申込先/お問い合わせ先 チベット交流会 電話045-943-5258
チラシはこちらにあります


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DATE: 2010/03/17(水)   CATEGORY: 未分類
ターラー仏の生起法
三月十五日は確定申告だった。源泉徴収でとられた上にさらに、確定申告でもン十万円とられた。これが茨城空港とかわけわかんない高速道路とか、独立行政法人とかに流れるのかと思うと、納税のモチベーションが著しく下がる。

 ちゃんと仕事している人が大事にされる社会になれば、もう少し納税する側も気持ちよくできるんだけどね。

 病院では患者様が治らない病気を神様ではなく医者にあたりちらし、学校では勉強しない学生がセンセをないがしろにし、マスコミはエゴイストの無差別殺人鬼を「彼らを生み出した社会が悪い」などと社会全体の責任にしたり、なんかこの社会、自己管理のできないダメ人間ばかりがのして、まともに生きている人が被害者になってません?

 というわけで、納税をきっかけに一挙に不機嫌になる私なのでした(え? いつも不機嫌だって? 大きなお世話)。

平岡さんが仕事で上京してきた。

平岡さん「嫁はんから預かってきたお菓子とこっちは京都の昔ながらの製法で作った金平糖です。グフヤサマージャ尊の生起法を行った際にお供物にしたのでお加持がありまっせ」

密教の修行ではまず自らを仏の姿に観相しそこに仏の力を入れる。
修法の中で用いる法具も一つ一つ空から生起して仏の力を入れるが、おみやげにまで入っているとは、さすがにオタク、もとい行者である。

平岡さん「センセはもっとオタクなおみやげがいいでしょう(いえいえもう十分オタクです)。」と言うや、おもむろに50フォリオものテクストを取り出す。

「これはチッタマニターラー仏の生起法のテクストです。センセはこの仏様の灌頂(修行許可)授かってますから、生起法をやる資格あるんですよ。現世利益はいけませんが、この成就法は功徳が早く現れると言われています。」。

そして食事の終わったあと、スターバックスに入り、テクストの構造についてレクチャーをうける。
まず恒例のこの法が生まれる際の物語。

平岡さん「この生起法はガルワン四世が瞑想の中でターラーを見て感得したものです。ガルワンは前世インドの人であった時、イェーシェーダワという名のお母さんがいました。そのお母さんはとても慈悲深く多くの人を救ったため、まず男子になって、それから仏になることができたんですが、お母さんはあえて女の身のままで仏になることを選びました。だからチッタマニターラーは女性だけど菩薩でなくてちゃんと仏なんですよ。で、そのお母さんがなくなる前に、ガルワンの前世である息子に向かって、自分たちは来世また出会うだろうと言い残してなくなりました」

私「そんで息子はガルワンに生まれ変わり、お母さんはガルワンが感得したチッタマニ・ターラーになったのね。時を超えて二人は再会したわけだ。」

平岡さん「女性の仏だからセンセにぴったりでしょ」

私「前からお聞きしたかったんですけど、ラマを本尊として観相するグルヨーガを行う際に、ラマが男性で、本尊がこの場合のように十六才のきれいな女性だった場合、顔だけラマで体は女性に観相するんですか」

平岡さん「いや、ラマを若い男にしてターラーの姿に観相するんです」

私「ふうん」

テクストには常用のマントラは省略して記されるため、その省略された部分を口伝で一つ一つ確認していく。とにかく長い。


私「あのー、ターラーの生起法って長いんですね。この前の金剛ヨーガ女の生起法も長かったですけど」

平岡さん「何いってんですか、ヨーガ女が短くてこれが普通の長さなんです。これをマスターしたらあとはヤマーンタカもグヒヤサマージャ尊も同じ構造です」

私「これ毎朝やると、ものすごい早起きしないといけないでしょ」

平岡さん「法王様は毎朝四時間を生起法の瞑想にあててます。」

私「そういえば乾隆帝も毎朝早起きして読経してたな。それであんな派手な人生を送れたのかな。パコル印相変わらずできないんですが」

平岡さん「私も毎朝やってスムーズにできるまで二年かかりました」

ラマたちが修法の際につくりだす様々な印は日々の修行のたまものなのだ。

ちなみに、チベットの宗教儀礼には一般人も参加できる灌頂や随許といった儀式がある。これらはその儀式の中の本尊の生起法の修行をはじめる許可を頂戴するためのもので、たとえていえば、大学の入学許可のようなもの。大学の入学資格を得てもそのまま勉強しなければ中退になるように、灌頂をうけても勉強しなければ修行(生起法)もしない人は修行中退者になるだけ。

 生起法もチベット語のテクスト読めなければできないので、まああれですな、チベット語もできない人がチベット仏教界のいかなる位や称号も公的に授かることはありえない。つか、チベット語をよめたって修行と学問やったってそう簡単に仏にはなれないから。

 灌頂の途中に、ラマから仏の力を授る際に、ラマが弟子を仏として供養するコーナーーがどの灌頂にも必ずある。これは未来にこの弟子が仏になることを祝福する部分だが、通訳がしょうもなかったりすると、ここでカンチガイなことを言う可能性(あなたたちは仏様とか 笑)はある。あと、法要の施主は伝統的に上座を準備されるが、これは単に施主を弟子代表にしているだけ。

 チベットの僧院社会はみな哲学学習と実践修行の達成度で位階が決まっているので、外人、ましてや俗人が高い位を認定されることなどありえない。とくに自分は女性なので、ターラー尊やヨーガ女の生起法とか地味ぃ~にこなしながら、僧院という男性社会をタカラヅカのファンのように外野から応援するのみ。

 自分勤勉でないためこのポジションは結構気に入っている。
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DATE: 2010/03/12(金)   CATEGORY: 未分類
平穏を持続できる非凡
3月10日はチベット蜂起記念日51周年。
恒例のダライ・ラマ法王の声明の全文はこちらからどうぞ。↓
ハイライトを以下にぬいときます。
 
(略)
現在、中国指導部はチベット本土の多くの僧院において愛国再教育キャンペーンなどさまざまな政治キャンペーンを行なっています。中国指導部は、僧侶や尼僧から仏教を学び実践する機会を奪い取り、牢獄にいるような生活を強いています。そのような状況から、僧院は博物館のようになっています。チベット仏教を滅すべく意図的に行なわれていることなのです。
(略)
 中国・チベット双方にとって有益となる中道政策ならびにチベット人の苦闘に対する理解は、米国のオバマ大統領をはじめとする政治家や宗教家を中心に年々高まっています。非政府組織、国際社会、なかでも中国人有識者が我々を支援してくださっていることを、じつに誇りに思います。このことは、チベット問題というものが中国人とチベット人のたんなる争いではなく、中国共産党指導部の極左政策に起因する問題であることを明らかにしています。
(略)
私は、海外を訪問するたびに、どこへ行っても中国人と面会します。有識者や学生が中心ですが、彼らは真のおもいやりと支援の気持ちを示してくれます。中国・チベット問題は最終的には双方で解決しなければならない問題です。ですから私は、双方が理解しあえそうな機会がある度に中国人に歩み寄るようにしています。どこにいようと、チベット人は中国人と友好関係を築き、チベット問題の真実とチベットがおかれている現状を中国人に知ってもらえるよう努めることが大切だと思います。
(略)
中国指導部は強硬路線にしがみついているかもしれませんが、国際社会を舞台に起きている政治的変化や中国の人々の物事の見方が変わってきていることから判断しますと、真実が明らかにされるときがかならず来ます。それゆえに、だれもが辛抱強く諦めないことが大切なのです。


 「諦めないこと」非暴力ってまさにこの一語につきるんだよね。

 争いは誰でも始めることができる。本能のままに生き、エゴを押し出していれば、その人の周りの人間関係は簡単に不安定になり諍いが始まる。諍いを始めるには決意も努力もいらない。

 しかし、平穏は一生かけて紡ぎ続けるものである。
 それを続けることができる人は実は非凡な人である。

 前にラクパ代表がおっしゃっていたが、「自爆テロとかする民族運動は新聞の一面を飾るが、われわれの文化を維持する戦いはなかなか注目してもらえない。おかしいじゃないですか」。

 私もそう思う。新聞とか雑誌とかにはリコン報道や覚醒剤がどーしたとか、愛子様がイジメに、とか、諍いや問題ばかりをとりあげる。しかし、こんなのばかり読んでいたら気持ちが荒むばかり。

 それよりも、平穏に生きている人がいたら、なぜ彼らが平穏でいられるのか、そのメカニズムを学ぶ方が問題解決につながる。10万人の難民にすがりつかれていてもダライ・ラマが、なぜ腹のそこから楽しそうにワッハッハと笑えるのか、チベット子供村の子供たちはなぜおだやかなのか、それをまじめに追求した方がよほど人類の未来に資する。

 世の中には国はあってもアイデンティティを喪失してわけわかんなくなっている失敗国家が山ほどある。しかし、チベット人は国を失ってもアイデンティティを保ちつつ51年もコミュニティを存続させているのである。

 マスコミもヤク中の芸能人の話とか、上海万博とか取り上げるのをやめて、世界中の聖人の生活とか言動をもっと報道したら、じつは視聴者もそれを望んでいると思うよ。

 この前NHKのドキュメンタリーでルーマニアの田舎にすむ老夫婦、エレナとコンスタンチンの日常を長回しでとった「愛し続けて55年・老夫婦の日々」というのをやっていた。たまたまつけたテレビで見たのだが、引き込まれた。

 よぼよぼのコンスタンチンは同じくヨボヨボのエレナを日々愛し尊敬しつつ、家畜の世話をしたり、聖人の祭りに参加したりして楽しそうに生きている。

 若者は年寄りを「みっともない」とすぐバカにするけど、この老夫婦はちっとも惨めにも可哀想にも見えない。若くて綺麗でも罵り合っているのカップルの方が余程惨めで可哀想である。

 平穏に生きている人は、日々の小さな努力を積み重ねた結果、その平穏を実現しているのである。その努力に対してはふさわしい敬意を払うべきである。

 この前ハイチの大地震が起きた時に、ドサクサに紛れて略奪者がたくさんでたことを、朝日の記者は「生きるためにやっていることを略奪者のレッテルをはりどうしようもない人みたいにいうのはいかがなものか」みたいなコラム書いていた。私はこういう考え方嫌い。こういう時だからこそ、自重せにゃいかんのである。

 略奪→治安が安定しない→援助が届かない→飢える→略奪

の無限スパイラルに陥るだけ。略奪者に情けを掛けて「生きるために一生懸命な人」と美化してその国が滅んだらアンタ責任とれるわけ。

 そんな簡単なこともわかんないのが、朝日のヒューマニズム。朝日の紙面にはこの手の倫理的にダメダメな人(自分のことしか考えないエゴイスト)を擁護し、正義や倫理を無条件に危険視するズレた感覚がしばしば垣間見える。

 諍いや問題をクローズアップしてもトンチンカンな情けをかけても、問題は解決しない。それよりは、平穏な状態にある人々の普段の暮らしを分析し、なぜ彼らが平和でいられるのか、そこから学ぶことの方が重要である。

 まあ早い話が「報道に携わるものは、チベットの高僧の生活から学び、蜂起記念日の法王の声明はちゃんとダラムサラまで聞きに行け」とそういうことだ(笑)。

 そいえば、平岡さんのところに一昨日ギュメから電話がかかって、17日前に亡くなられたロプサン・カンデンというお坊さまが、死の瞑想(トゥクダム)に入って居てるため、17日たった今も腐らないそうである。で、インド人のドクター二人がカンデン師のご遺体を検査したところ、脳も体もカンペキに死んでいるのに、何と心臓の位置に何かが活動していることが分かったのだそう。

 死の際に現れるという覚りの意識、ミシクパイティクレ(不壊の滴)も心臓に位置すると言われているため、ま~さ~に~、医学的な結果と仏教の伝統が合致したわけである。

 カンデン師が生きていた頃は、マンダラのことをよく知っている人ということで尊敬はされていたけど、普通の扱いだった。でも彼が死後こうしてトゥクダムを実現したのを見て、僧院のみなは改めてカンデン師の偉大さに感じ入ったという。誰か彼のトゥクダムを取材にいきませんか? チベット僧の死に際のきれいさから今の日本人は学ぶところは多いですよ~

 本当にすごいものは日々の修業によって作り上げられているものであり、目立たない、気をつけてみていないと見過ごしてしまうようなものなのである。
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DATE: 2010/03/08(月)   CATEGORY: 未分類
歴史を政治の道具にすな
じつは帰路、北京空港で落とし物をして、成田の手荷物受け取り場にあるJALカウンターに遺失物届けをだした。で、待てど暮らせど連絡がこないので、いつまで待てばいいのかを聞くためにJALに電話をする。ネットで探したフリー・ダイヤルにまずかけると、「この電話は一月●×日をもって利用されなくなりました。有料の電話番号を教えます」という。
 JAL破綻したので、もう無料で顧客サービスなんてできなくなっているのである。
 で、その有料の電話とやらに電話すると、今度は「60秒十円のナビダイヤルにまわします」とかいわれ、「そちらが希望するサービスの番号を押して下さい」というんだけど、その番号の案内がなく、どうしていいかわからないでいると、「入力が不正確です」とか合成音声に言われて(そもそも入力できないわい)、挫折。

 したかないので、またJAL本体に電話をして、そこからやっと荷物受取所の番号を聞き出す。

 で、なんかカウンターの調子だとあまり積極的に探していない雰囲気。まあ会社つぶれかかっているしね。私一人の遺失物のために北京空港で動いてくれる職員とかいないんだろうね。

 ナショナルフラッグは地に落ち、日本はいずこへと流れていくのか・・。つか落とすなよ、自分。

 今年年頭のおみくじで「このみくじにあう人ははじめは物事思うようにならねども、中頃より変じて末は大きにしあわせよし。」とでたけど、今までのところ、たしかに年明けからパソコンは壊れるわ、出発の日の朝刊にとある研究者の入国拒否問題があるわ、学生からは「西太后」と蔑称されるわ、ロクなことがねー。

 「中頃より変じて」とあるが、
 「中頃っていつから? いつからなの?」

 と八百万の神を小一時間問い詰めたい。

 北京で東陵にいったのは3月2日だったのだが、その前の日、NHKの「世界遺産への招待状」において奇しくも「わが魂は皇帝とともに 明・清の皇帝陵墓」が放映された。その再放送が4日にあってこれをK嬢からの電話でしりギリギリ録画できた。

 この番組がそういうコンセプトなのか相変わらず専門家をまったく間にはさまず、現地の人とのやりとりの中からつくられている。しかしこの前の五台山よりはましな感じがした。

・まず雲南地域の金絲楠木がレポートされる。この木は腐りにくいので、宮殿のはりや柱に用いられたという。

・そして、この木を使った明の皇帝陵を南京と北京の十三陵とともに紹介。郷土史家が「皇帝の権威を示すためだけに起こされた大土木工事、多くの人々がその犠牲になった。」というエピソードが次々と紹介され、人民中国の封建社会を否定するプロパガンダがこれでもか、と炸裂する。

・これで終わるかと思いきや、清朝の話になるとがらっとコンセプトが変わる。清朝の皇帝は北京の東と西に順番にふりわけられて埋められたのだが、そのうち西陵の泰陵の墓もりをしている一人の満洲人にスポットがあてられる。

・彼はこの陵墓の中に築かれた配殿の一つの中で生まれ、育ち、子供を育て、政府からのやっすい給料をもらいながら、この皇后墓を守り続けていた。清朝の皇室は満洲人だったので、彼はこの同じ民族出身の皇族の墓をまもる仕事に誇りをもっており、長男が跡を継ぐといってくれているが、まだまだ仕事を任せる気はないという。極寒の夜間でも何度もおきて愛犬とともにお墓をみまわる仕事は大変だが、彼の顔は満足感に満ちている。

 この表情は漢人郷土史家が、人民史観に基づいて同じ漢人である明の皇帝をボロクソにけなしていたこととは対照的であった。この番組のタイトルが「わが魂は皇帝とともに」であることからも分かるように、番組制作者はプロパガンダをくりかえす漢人郷土史家よりも、この一満洲人管理人の生き方に共感を感じている。この満洲人はいい顔をしている。

 オリンピックの年にやはりNHKの世界遺産紹介番組で清の皇帝が築いた庭園頤和園を扱った時(このエントリーみてね)、頤和園の廊下の梁に、金に対して抵抗した漢人、岳飛が英雄として描かれていることを引いて、清は金と同じ満洲人によって建てられて、ナショナリズムを考えたら、岳飛を英雄として扱わなかったはずである。しかし、清朝皇帝は、この頤和園に岳飛を描くことによって、立派な行いをした人は民族に関係なく称揚するという姿勢を示す太っ腹であったことを紹介していたが、あれもいいまとめ方であった。清朝皇帝は自らがマイノリティであったため、多種多様な文化を尊重し共生させるすべにたけていたのである。

 「権力は銃口によって作られる」とかいって、他民族を武力で制圧して数の論理で同化させようとしている現王朝とはおお違い。

 ちなみに、現王朝の歴史学は体制維持のための道具と化しております。
 参考までに、今朝の朝日の朝刊でもどうぞ。

(風)北京 国民に届かない歴史研究 市川速水(2010年3月8日 朝刊)

 中国にとって歴史は体制の道具に過ぎないのか。先日公表された初の「日中歴史共同研究」を前に考え込んだ。
 2006年末に日中10人ずつの学者が会合を始めた時、少なからず期待があった。中国の戦中史は抗日運動が中心で、戦争被害を強調する歴史だった。戦後は、日本が中国の復興に尽くした援助や友好政策を過小評価した。日本側にも、戦争の加害責任を軽んじる風潮が残る。
 歴史家ががっぷり組んだらどんな歩み寄りが見られるのか。そう思い報告公表前から論文執筆に携わる中国の学者を何人か訪ねた。すると逆にもやもやが膨らんでいった。
 執筆者の一人、社会科学院の栄維木氏は言った。「研究は関係改善のメカニズムだ」。小泉純一郎元首相の靖国神社参拝などで悪化した関係の打開策として浮上した共同研究で、その後関係は修復したので発表前から役目は終えていた――そう受け取れた。
 それを裏付けるように、中国側は日本に戦後の論文を公開しないよう求めた。南京虐殺の「犠牲者30万人」説が揺らぐのを恐れる当局は「犠牲者数に様々な見方がある」との日本側論文を報道しないよう国内メディアに命じた。
 中国のある学者は討論の途中で「我々は政治家ではないから30万という数字に縛られず自由に論じる」と語っていたが、実際は数字にこだわる当局の言いなりだった。
 はっとしたのは、社会科学院の陶文ショウ氏が「歴史認識の主流を反映させなければならなかった」と語った時だ。日中戦争が侵略だったとの見方に疑義を挟むのは主流ではないという意味だ。が、ともすれば相手の主張を排除する都合の良い言葉に化ける。
 同時に、権五キ(クォノギ)・韓国元副首相から聞いた言葉を思い出した。歴史家でもある権氏は「主流」を末代の評価に堪える普遍的価値として用い「ニクソン元米大統領が中国との緊張を緩和したのは、世界の主流を考えたから」「毛沢東を正面から捕らえた主流の本は中国にもない」と語った。主流とは批判を恐れず、かつ率直に批判を受け入れる骨太な度量なのだと力説した。
 そんなことを考えながら共同研究の発表を迎えた。馬朝旭・外務省報道局長は「論文は学者個人の観点で書かれたもの」と素っ気なく述べた。
 すべて制御して異論は表に出さず、個人的な仕事と断じる。幾重にも封じられた研究は中国民衆に届かなかった。
 権氏はこうも言った。「自国の歴史が常に偉大だったという史観に立てば、主流となるまともな歴史書は生まれない」。共同研究は続くが、真の「日中史の主流」を追求する作業をいつか見たい。


今、朝鮮学校の教育内容が話題になっている。朝鮮学校は北朝鮮から資金援助を受け、金日成と金正日の肖像画が飾られ、「ミサイル実験は人工衛星」とか教えているという。これが天皇陛下のご真影を掲げて、日本を神の国とし負け戦を連戦連勝と国民に報告していた、戦前の日本の愛国教育とどう違うのか、私にはわからん。

 朝鮮学校におかねだせといっている人は、戦前の日本のあの教育も認めるのだろうか。頭うだっとるな。
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DATE: 2010/03/04(木)   CATEGORY: 未分類
東陵のセイレーン
  三泊四日北京にいて、学生指導兼学術調査をした。

  今年はたまたま旧暦の正月とチベットのロサル(元旦)が重なった。チベットでも中国でも新年最初の満月の晩はハデにいわう。かつてチベットでは僧侶の最高学位の試験が行われ、ラサ中に灯明がつけられ、ラサの町の中央にあるチョカン大聖堂においては、巨大なバター細工の供物が奉献された。

 中国ではこの日は行灯を掲げて爆竹ならす。というわけで、学生たちは街中に炸裂する爆竹の音をきいて「交戦中の国にきたみたいですね」と呆れ、自分は眠りを妨げられる北京の鳥たちが可哀想で仕方ない。

 1日、学生たちをつれて、雍和宮(北京にあるガンデンの末寺。北京の仏教センター)に行く。ここに祭られるチベットの仏たちや、乱舞する満洲語やチベット語やモンゴル語の碑文をみて、学生たちは清朝の皇帝がいかに他民族の文化を大事にしていたかを実感しているようである。世界一オタクな解説をしながら、次に学生たちをバスにのせて西苑(人民中国になってから北海公園と改称)に連れて行く。
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 西苑は自分は後門から入るのが好き。ここから入ると、かつて乾隆帝がチベット僧のチャンキャとチベット仏教についてまなんだ書斎がすぐだし、湖の真ん中に聳えるチベット式仏塔(1652年建立)をパノラマ視できるからである。そして船にのって白塔にわたるのがムードがあるのだが、湖が凍結していて船は休止していた。残念。

 雪がつもった西苑を見るのは初めてだったので、その美しさには息をのんだ。
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 パンダの帽子をかぶったMが竹藪にもぐって「みんな写真撮って撮ってー」とはしゃいでいても、Yくんが凍った池を地面だと思ってふみぬいて靴をぬらしていても、女の子たちが満洲ドレスをきてコスプレ写真をとっていようとも、寒がりのOくんが寒さにまけて土気色になっていこうとも、まったく気にならない(おい)。

 何しろ激しく寒いので観光客も人民もまったくフレームインしないので、気分が王朝時代に戻るのである。

 学生たちが「天安門前広場みたいー」というので、故宮の西側を歩いて午門前にでる。そしたらなんか観光客がゼロで兵士がめだって、天安門前に抜ける道も封鎖されている。仕方ないので「もう閉まりだよ~」とわめくオッサンにおいたてられながら太廟を経由して南にでる。

 そういえばこの時期、人民大会堂で政治協商会議が開かれるんだっけ。

 で、夜は西太后ゆかりの狗不理で食事して学生たちは前門で土産物屋に消えていく。大学生は勝手に遊んでくれるので楽でいい。

 翌日、自分は東陵に調査にいく。昨日「ついていきます」といっていた学生二人が「やっぱ万里の長城に行きます」とかいって日和るので、結局、大学院に行くM一人を連れて出発する。残る学生たちはテキトーにグループになって、ネタにするためにドラえもんやミニーちゃんのコピー商品を探したり、万里の長城とその麓のクマ苑にいったりしていたようである(なんだそりゃ)。
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 高速にのってひたすら東進して、高速を降りた後はナゾの無人マンション街や人民がまいたゴミのため蛇行しなければ進めない道をいき、謎の2本コンクリの間の狭い空間を通り抜けたりしながら(大型車通行禁止という意味か?)、やっと東陵につく。

 しかし、東陵は見えているのに、地元のオバさんたちがそこに続く道を占拠していて、「この道は封鎖されているよ~。道を教えるよ~」といってバイクでひたすら追跡してくる。これは、旅人を惑わして殺すという魔女セイレーンの人民版である。

 私は車の窓から顔をだし「われわれはニッポンジンでーす。中国語わっかりませーん」とどなってオバハンたちのおしかけガイドを断る。

 パーキングからまず西太后の墓をみて、次に乾隆帝の妻の墓にいき、その後、メインの乾隆帝の墓にいく。乾隆帝の墓の地下部分は完全にチベット仏教風になっている。壁面にはチベット仏教のデザインによる供養の品やランチャ文字でマントラがびっしりと彫り込まれている。

 この墓の写真や報告はないわけではないが、宗教を限りなく軽視する人民の手になるものであるため、その解釈は限りなく甘く浅い。私もチベット仏教に通暁しているとは言えないが、人民よりは知っているので、私がみれば人民には気がつかないことが見えるかも知れないというわけで、こうして調査しているわけである。
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 とりあえずざっと見た限りでは墓室は四つの門で区切られている。まずざっと歩いて四番目の部屋までいき、次に入り口に戻ってメモをとりながら歩きなおす。すると、Mが「門の上になにも文字の書いていない額がありますねー」というので、門の上を見ると宮殿風の屋根がついている。それをみているうちに、この墓室は、身・口・意・純粋意識の四輪のマンダラを表したものでないかと気づく。

 Mに言うと彼もそう思うというので、一つ一つの部屋の幅を歩いてはかってみる。一つ一つの部屋の幅は進むにつれて小さくなっていてく。確かにマンダラっぽい。

 いける!!!(と思う)

 というわけで、次は古墳の上にあがって文殊とヤマンタカのマントラを唱えながら乾隆帝の棺を大きくコルラ(巡拝)する。

 そのあとは三大皇帝順治帝の母でありかつ二代皇帝ホンタイジの妻であるモンゴル女性の荒れ果てた墓にいく。これも世界遺産なのに、墓のまわりは畠になっていて、墓をかこむ壁も畠を耕す人の便のために大穴が開けられている。

 人民中国になって計り知れない文化財が人民によって破壊された。しかし、2008年のオリンビックに向けて多くの史跡は整備され、その破壊のあとは隠蔽されている。しかし、このお墓のように観光ルートからはずれたものは昔のままで荒れ果てたまま。

 なんかすごく仕事したような気持ちになって帰路につく。論文にするのはまだ多くの作業があってこれからが大変なんだけど、なんかもう仕上がったような気になる。

 帰りの高速は対向車線も自分たちの車線もほぼ車ゼロ。北京のムネオロードである。そして料金所のたびに警察がいるので、なんか自分たち交通規制をうけながら移動するVIPになった気分である。運転手さんによると、明日から政治協商会議が始まるので、北京への通行証のない車は北京に入れないんだって。

 やれやれ。
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