白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2011/10/30(日)   CATEGORY: 未分類
2011年大阪、法王の般若心経講義
土曜日の夜半に新幹線で大阪に向かう。九時半頃、のぞみ内の電光掲示板ニュースで読売新聞、ダライラマ14世来日。「苦難を乗り越えて有意義な人生を」と東日本大震災の被災者にエールと流れる。嬉しい。

 一夜あけて、会場の舞洲アリーナにむかうも、この世の果て。最寄り駅の桜島(噴火しそう)から交通機関が車しかない。しかし、大量の人を運ぼうにも臨時の循環シャトルバスはではらっており、路線バスの停留所にはとても一台には入りきれない人が溢れていて、タクシーも三台くらいしかとまっていない。案内の人にきくと、今の時点ではタクシーが一番早いというので、そこいらの人と突然仲良しになってタクシーに乗ろうとするが、私がそこについた瞬間に最後の一台がいってしまい、そのあとえんえんとタクシーがこない。

 よくみると、複数の集団がわたしたちよりも川上にいってタクシーを拾っている。

 私は今しりあったばかりの人たちに「これ中国でよくあるパターンですよ。みなが川上に移動してタクシー拾っているから、ここで待っている限りいつまでたってもタクシーは拾えません。乗るためには彼らよりも道路の川上川上に行くことです」

 といってもみなウジウジと動かない。みると反対側の車線にシャトルバスがやっときた。、今まで出払っていたので、このシャトルバスの前にはほとんど人は並んでいない。しかし、シャトルバスに立ち席はない。そう考えた瞬間、ついさっき知り合いになった人を秒速で見捨て、シャトルバスにむけて最短距離を横断歩道も信号もない大通りのど真ん中を中央分離帯を乗り越えてつっこんでいく自分がいた。そして、見事に席をゲット!  われながら日本人離れした延髄反射の行動力と協調性のなさだ(笑)。

 しかし、そうやって苦労して三十分前に会場についたのに、法王も渋滞に巻き込まれたとかで、そもそも会場が二十分遅れることが判明(笑)。

 主催者である高野山大学の学長藤田先生のお話。震災と台風の被災者にお見舞い(高野山も紀伊半島だもんね)。密教が残っているのはチベットと日本だけ。弘法大師空海ははじめて一般庶民に開かれた教育機関、綜芸種智院を開いた。高野山大学はその萌芽は876年にはじまり、近代的な学制のもとで1865年に大学となった。ダライラマ法王1980年にはじめて高野山にきて、今度は高野山大学125周年記念で二度目の来校をたまわり、金剛界灌頂を授けて下さることとなった。最後に、一般参集の方から質問を受け付けますが、政治的な質問はやめてください。という趣旨のお話。

 以下法王講演の要約であるが、般若心経の注釈書をみて書いているわけではないので、いろいろカンチガイの点もあるかも。また、()内は私の感想です。


 法王入場。まず、法王のリクエストで日本人が般若心経を唱え、今度は法王が『現観荘厳論』とナーガールジュナの般若心経の帰敬偈をよみ、その後に講演が始まる。

 世界にはたくさんの宗教がありますが、哲学思想の有無で二つに分けることができます。

 哲学思想をもつ宗教(仏教)→ 足るを知る心。許す心。慈悲。忍耐などの思想が共通する。
 哲学思想のない宗教(竜神を信仰するなどの地域の信仰)

 どのような宗教も誰かの役に立っているのだから、他宗教に対して敬意をもち、決して否定してはなりません。相互理解が大切です。

 これからお話する『般若心経』は大乗仏教の主要経典である般若経典群のエッセンスです。日本は仏教国ですから先人から受け継いだ仏教思想を大事にしなさい。

 まず、仏教一般の話から始めましょう。「親が仏教徒であるから仏教を信仰する」というのは本当の意味での信仰ではありません。仏教を志す動機が大切です。仏教に限らずあらゆる宗教とは心の平安を築くことを目的としています。

 20世紀は、工業や技術が発展し、物質的な面では著しい改善がなされました。しかし、同時に暴力の時代でもありました。広島や長崎には爆弾が落とされ多くの人が亡くなりました。20世紀のこのような過ちを認め、21世紀は平和な時代としなければなりません。それには一人一人が心の平和を実現し、そのことによって世界平和につなげていくことです。そのためには宗教が大きな意味を持ちます(たしかにルネサンスからマルクス主義に至るまで近代は宗教を徹底的に排し、精神性を無視した諸世紀であった)。

 20世紀後半は、経済が発展し、肉体的感覚的にはずいぶん快適になりました。しかし精神的に苦しむ人は増えています。どんなにお金があっても精神的に苦しんでいる人には幸せは感じられません。しかし心が平安な人は貧しくても幸せです。このような人たちは他人に愛をもっています。他者に愛を持つ者は嘘よりも真実を愛し、人をだまさず、開かれた心をもっています。自信と勇気があります。

 このような心を持つと実際に脳細胞が変化していくことは科学者たちにも認識されています。脳細胞が心に影響を与えるのではなく、心が脳細胞を変えていくのです(そういえば鬱病の人の前頭葉って血流が弱い)。チベット医学では怒りや執着にとらわれた心は五大(地・水・火・風・空)のバランスがくずれ不健康になり、一方、怒りや執着などの煩悩から自由な心は五大がバランスを保っているので健康だと教えています。


 自分ではなく他者を愛するように、心を向上させるやり方には宗教的なやり方と非宗教的(倫理・良識・道徳)なやり方があります。

 神様に「心を向上させて下さい」とお願いする宗教は人に努力を必要とさせませんが、それぞれの教えに基づいて自分の心を自分で訓練して向上させていくやり方もあります。

 先ほどの哲学思想をもつ宗教は神の有無によってさらに二つに分かれます。神を信じる宗教(キリスト教・イスラーム教)と神ではなく因果の教えを信じる宗教(仏教・ジャイナ教)です。

 仏教徒は五蘊(色・受・想・行・識)とは別に、それと指し示せるような自我があることを認めませんが、非仏教徒は五蘊とは別に永遠の単一な実在があると考えます(猊下はもちろん仏教徒の立場で話している)。

 私は今から、仏の覚りの境地を、声聞・独覚・菩薩の三乗の中でも菩薩乗の立場から、仏教の四大学派からいえば説一切有部・経量部・唯識・中観の中でも中観派の理解から説明します。

 釈尊は生涯、三種類の法を説いたと言われます(三転法輪)。

 第一転法輪では有相法輪(四聖諦)を、
 第二転法輪では無相法輪(般若=中観思想)を
 第三転法輪では有無を正しく区別した法輪(唯識思想)を説きました。このうち第一は小乗で、第二と第三法輪は大乗仏教です。
 
 かつて「大乗仏教は仏が説いた教えではない、仏教ではない」と非難する人に対して、ナーガールジュナ、ヴァーヴィヴェーカ、シャーンティデーヴァなどの大乗の思想家たちは反論して、第二・第三法輪は四聖諦(苦・集・滅・道)を詳しく説明したものだと説きました。※ダライラマ法王は近代的な仏教学が、大乗の教えが釈尊の入滅後久しくして説かれたことを知りつつも、あえてこの伝統的な三転法輪の教えを堅持している。

 般若経は このうち第二法輪で観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩など大乗の清らかなカルマをもつ弟子たちに向けて説かれたもので、四聖諦でいうと滅諦(苦しみが滅するという真実)に当たります。

 また、第三法輪の代表的な経典は『解深密教』『入楞伽経』『如来蔵経』であり、これらは般若経典群に記されている言葉を文字通りに受け取って虚無論に陥る危険のある人に対して説かれました。

 第三法輪の説く唯識思想によると、あらゆる存在はなにものかによって生じたもの(依他起生)ですが、そこにわたしたちは実体があるかのようにみてしまいます(遍計所執性)。しかし、究極的な真実としては、そのような実体は全てのものにおいて存在しないのです(円成実性)。

 また、第三法輪の『如来蔵経』は、四聖諦の道諦を説いています。この道を修すると、仏の三身、すなわち法身(自性法身・智慧法身)と報身と化身のうち、智慧法身を得ることができます。

 また、第三法輪は心の本質が無垢なる光明であることを説いているので、〔高野山の教える〕密教はこの第三法輪の教えに属していると言えます。

 この〔普段は汚れているけど修行すると本来の光明となる〕心の本質を顕現させるには止・観の瞑想を行う必要があります(この瞑想修行を短縮できるのが密教の教えである)。この瞑想を通じて心の質は徐々に向上していき、やがて仏の境地である一切智を得ることができるようになります。

 密教を非仏教徒(ヒンドゥー教)と共通する修行を行うことから仏教でないと批判する人がいます。仏教の生理学ではたしかにヒンドゥーと同じく脈管(ツァ)・エネルギー(ルン)・心滴(ティクレ)を用いる修行を行います。しかし、非仏教徒にはなく仏教独自の菩提心と空の教えがあるので、密教も確かに仏教の教えであります。

 般若経典群には大小様々なものがあります。一番大きいのは十万頌般若経。次が二万五千頌般若経であり、『現観荘厳論』はこの二万八千頌般若の思想をまとめたものです。これ以外にも一万八千頌般若経、三百頌の能断金剛般若経があります(経典は四行一聯の韻文から構成され、頌とはこの一聯を指す)。一番短い般若経としては一字般若といいうものがあります。これは 否定辞を意味する「ア」の字一字だけです(「無」か 笑)。

 一字になると否定辞になることから分かるように、般若思想ではすべての「法」(存在するもの、あるいはわれわれが現代語で「もの」と言っているもの)が存在しない、と否定されます。しかし、気をつけねばならないのは、その場合でも「法」の土台となるものは世俗的には存在しているものです。般若思想の言う「ない」とは、それ自身で成り立つような変わらぬ実体が「ない」ということを意味しているのです。

この般若思想の説く真実を修行によって心になじませていくと、三十七菩提分法や十波羅蜜などが説くように、gzhi(土台=存在論)、lam(修行の道)、'bras(道の結果=悟りの境地)のうちの「結果」が得られます。

 般若思想の注釈書である現観荘厳論はこの空の基本について、8つの主題(一切種智、道智、一切智、一切正等現観、頂現観、次第現観、刹那正等覚、法身)と、さらにその下に70のトピックを立てて論じています。言わば般若経の指南書のようなものです。

 般若心経の最後のマントラは修行の実現するまでの道を示しています。

 これを五道で示すと

 ガテー 資糧道に行け  
 ガテー 加行道に行け
 パーラガテー 見道に行け
 パーラサンガテー 修道に行け
 ボーディ・スヴァーハー 無学道に行け(悟りを成就せよ)

となります。

 般若心経では仏は瞑想に入っており、その仏様の加持を受けて、観音菩薩とシャーリプトラが会話します。観音菩薩は「色即是空(存在するものに実体はなく)、空即是色(究極的には実体のないものが存在している)というみなさんもご存知のあの有名な言葉を説きます。

 みんさんには、わたくしダライラマが実体として存在しているかのように見えていますが、ダライラマが何なのか、その肉体という色形なのか、それとも心なのか、なにがダライラマなのか「それ」と指し示せる本質のようなものはないでしょう。今度は自分自身について考えてみてください。「これ」と言って指し示せるような変わらぬ「私」というものをどこかに見出すことができますか。できないでしょう。そのような意味でものごとは確固としてあるかのようにみえていても、じつはそのように存在していないのです。

 漢文では「五蘊皆空」という部分は、サンスクリット語でもチベット語でも「五蘊もまた空である」と、他にも空なるものがあるかのように説いています。とくにこの「もまた」の部分が重要なので意識して意味を考えて読んでください。ここで「もまた」とくることによって、人我(実体的な人格)ばかりか、法我(実体的な存在)までもが否定されるのです。般若経の背後にある中観思想では、人格的な存在だけではなく、すべての存在がそれ自身の本質でなりたっているのではないと考えます。

 中観思想はさらに自立論証派と帰謬論証派の二派にわかれ、前者は世俗的な存在としては実体を認めますが、後者はそれすら否定します。

 あらゆるものは色や形や概念の集まりに名前がつけられているだけで、私たちが思うような確固とした形では存在していないのです。人は五蘊に名前がつけられたものに過ぎないのです。

 それでは、このようにあらゆるものに実体がないことを理解する目的は何でしょうか。

 人は自分が嫌いな人をに憎しみを抱き、自分が好きな人に愛着を感じます。しかし、あなたにとってとても嫌な人でも誰か別の人にとってはよい人かもしれません。もし「嫌な人」がその人の本質であったならば、世界中がその人を嫌な人と考えるはずです。しかし実際はそのような人はいません。愛着についても同じことです。あなたが「好ましい」と執着している対象がもし本質的に好ましいのであれば、世界中の人がその人を愛するはずです。実際はそんなことはありません。

 われわれはものごとに憎しみや執着を感じてしまう心のクセがあります。これはとらわれですから、これが心からなくなると心が楽になります。

 『如来蔵経』は心の本質は光明であるといいます。もし今心が憎しみや執着にとらわれて、汚れていたとしてもそれは一時的なものであります。ですから、五道、三学にしたがってとらわれる心を徐々になくしていって、その状態を心になじませていくと最後は悟りの境地にいたります。

 あらゆる存在はつきつめて考えるとそれ自身の力で成立しているものはありません。しかし、世俗的にはそれは存在するかのように見えています。

 私は瞑想中に空の境地に到りますが、その時でも自分の手をつかむとそこに自分がいることがわかります。そのように世間的な意味ではものは存在していますが、究極的な意味では、永遠不変の本質をもって存在しているわけではないのです。

 私は今年76才になり、瞑想をはじめて50年経ちます。私の体験からいっても、瞑想によって心を向上させることは心にも体にもよい変化をもたらしています。私が体験を通じておすすめできるので、みなさんもやってみてください。

 ここでお昼の休憩。疲れたので後半は次のエントリーで。
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DATE: 2011/10/25(火)   CATEGORY: 未分類
チベット仏教の研究者増えないかなあ
 土曜日は種智院大学(京都伏見)で開催された日本西蔵学会にいく。

 この学会、今回の大会で改名して、これから「日本チベット学会」となる。カタカナ読みになっただけだけど(笑)。かつてこの学会の事務局をやっていたダンナによると、世界最古のチベット学会であるという(でも、裏はとってない。チョーマ=ドケレスをだしたハンガリーあたりに古い学会ありそうだが)(注 これは本当です。日本チベット学会は世界最古のチベット学会です。by 福田)。

 日本チベット学会の初代会長は西夏文字の研究で名高い石濱純太郎博士(笑)。なぜWなのかはご想像におまかせします。

 このように歴史ある学会であるにもかかわらず、何しろチベットという国自体が無くなってしまったこと、また、昨今のサブカル・実学全盛、伝統的学問退潮の流れには抗しがたく、一時期「チベット学はどうなっちゃうんだろう」というくらい発表者のいない不安な時期があった。

 当時事務局だったダンナは発表者の締め切りの日がきても、発表者が定員に満たずよく困っていた。で、開催校から何人か出してもらい、ダンナか私が発表してなんとか最低の体裁をとりつくろっていた。

 学問の継承は、師匠が弟子にテクストの種類、読み方、研究法、などをマンツーマンで手ほどきして育てる職人芸であるため、チベット学のように、師匠の母数が圧倒的に少く、かつチベット学者が自分の専門で弟子を育てられる環境にある確率が天文学的に低く、さらに、最近の若者が文献学とか、歴史學とか、哲学とか、専門性の高い学問を好まない現状を考えると、今現在チベット学者がへりこそすれ、増えていくヨウ素もとい要素は全くない。

 しかし、ここ数年はとにもかくにも発表者がでるようになっている。チベットという国が無くなっても、世の中がケーハクになっても、チベット学会がかろうじて存続できているのは、チベット文化の存在感が人々に忘却を許さないからであろう。

 何しろアジアにおいて唯一中国に対抗できる文化を構成できたのは、チベット人だけである。

 現在漢族と呼ばれる人々の多くは、もとは、漢人とは異なる言葉、文化をもつ民族であった。しかし、長い歴史の中で、漢人の圧倒的な人口圧力に屈し、自らの文化を忘れ、漢人に同化していった。清朝をたてた満洲人が母語を失ってしまったことなどはその代表例であろう。

 このように多くの民族が自らの文化を忘却して漢人に飲み込まれていく中で唯一チベットだけが、独自の文化をもって、その文化に共感する世界を味方につけ存続してきた。

 異なる文化・歴史をもつ世界の他の国がチベットに共感したことは、チベットの僧院内で育まれてきた倫理、論理学、形而上学、中観哲学、唯識哲学に、非常に普遍的な性格があったからである。

 チベットの僧院内で倫理や哲学を身に着けた僧侶たちは、その完成度が高い人ほど、共産主義のプロパガンダにも動じず、グローバル化がもたらす物質文明の誘惑からも超然とした「人格者」となる。中国共産党が執拗に僧院を迫害するのは、僧院がチベット文化の根本であり、漢人との同化を阻むものであることをよく認識しているからである。

 私がチベットの庶民の生活文化にあまり興味をもたず、僧侶とか僧院文化ラブなのは、近代化で簡単にくずれてしまようなヤワな俗人の文化とは異なり、チベットの仏教思想には揺るがないブレない美しさがあるから。

 俗人の文化というものは、本当に傷つきやすいものである。彼らがわれわれの眼からみてどんなに脱原発でロハスでエコロジカルな尊敬すべき生活をしていたとしても、彼らのすむ地域に、テレビが入ってきた瞬間にそれは壊れ始める。テレビに写しだされるさまざまな商品は彼らの物欲を刺激し、他でもない彼ら自身が自らの伝統を捨てていくからだ。

 そこに漢人のプロパガンダが響き渡るともう簡単に転んじゃう。
 今年東チベットに入ったAくんがこういっていた。
 「前はそんなことはなかったのに、最近東チベットの人々が漢人の言うことを信じだして、日本人をバカにしだした。いやな感じだ」と。

 漢人の言うこととは「もうアメリカも日本もだめだ。これからは中国の時代だ」というもの。多くの少数民族が「この損か得か」「楽か否か」という思考法をとり、「漢人につく」とした瞬間からそのアイデンティティを喪失し始めた。チベットの俗人はかなり漢人化がすすみはじめていると見て良い。

 そもそも、このチベット人の発言に限らず、「損か得か」「ラクができるか否か」ということを行動の基準にすえる「勝ち馬にのる」的な思考法は、人前で威張っていうことではない。これを口にする人は自分に、何も信じるものも、護るものもなく、世の中の趨勢をみながら、多数派と言われるものを追い求めて、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていることを公言しているようなものだからである。

 こういう人は、「自分は世渡り上手」と思っていても、死の床につくときに何も残っていないことに気づくだけ。それに気づくのはまだましなほうか。

 信じるものがあり、尊敬するものがあり、愛するものがある人は「損か得か」「楽に生きられるか、否か」などという考え方はしない。しんどくても、つらくても、生きている間に実現しなくとも、これをやる、という考えかたをする。24歳で国を失ったダライラマが、もし楽に生きようと思ったなら、適当な言い訳を考えて還俗して、自分にすがりついてくる難民を放り出して、逃げたであろう。

 しかし、彼はそうしなかった。異国の地で10万人の難民の生活を半世紀にわたり支え続け、本土のチベット人のことも見捨てずに、静かな戦いを続けてきた。そのあまりにも筋の通りまくった人生に、世界は共感したが故に、国のないチベットがここまで文化を存続させることができている。

 ダライラマのその力はどこから来ているのだろうか。ダライラマは他宗教を尊重し、共産主義すらその理念はすばらしいと褒め称え、近代科学も人々の苦しみを軽減する、と他者のよいとこは率先して認めてきた。しかし、それでも伝統的な僧衣を脱いでいない。日本人が簡単にチョンマゲきって形だけ西洋人のマネをして、経済力や軍事力をつけたらアジアの一等国になれた、とカンチガイしたことと、これは好対照である(中国が今、一等国になったと驕っているのも同根である)。

 彼の超人的な慈悲と強さは、彼の生まれた僧院文化の伝統から生まれたものだ。彼自身がそれを認識しているからこそ、僧衣を脱がない。

 で、そのように優れたチベットの仏教哲学なんだけどー、チベット人は七つから論理学を初めて、カリキュラムをこなし、それを毎日修習しているのだから、外人がそれを簡単に理解し身につけることはなかなか難しい。多くの欧米のチベット研究者が、高度で洗練された哲学に魅せられて最初は仏教を学んでも、だんだん歴史や文献学にシフトしていくのは、タフなアメリカ人であっても外人がチベット仏教を本当の意味で体得するのは生やさしいことではないことを示している。

 今回のチベット学会の七人の発表者を見ても、全体に歴史の研究者がめだち、チベット仏教が少なく、とくに顕教の発表がまったくない。私は歴史の研究者なので歴史の発表が多いのはうれしいことだが、何といってもチベット文化の中心を構成するものは仏教なので、チベット仏教関連の発表が少ないのは寂しい。とりあえず内訳。

 1. 大谷大学の渡辺温子さんが、ミラレパとレーチュンパの会話からミラレーパの対話教授法について。
 2. 東大の西沢史仁さんはカダム派のサンプ大僧院をめぐる教学の発展の歴史について。
 3. 京大に留学中のMarc-Henri Derocheさんは、チベットのEUリメー運動について。
 4. 東大で学振の柳静我さんは乾隆初年の清朝兵のチベットからの撤退問題について。駐蔵大臣を植民地の提督、清朝兵を占領軍と勘違いしている人多いけど、これらは清朝がジュンガル対策でおいていただけの仮設のもので、いつでもひきあげる気まんまんであったという話し。
 5. 筑波大で学振の池尻陽子さんは清朝初期に満洲とモンゴルの境界にあったフレー旗出身の歴代僧侶たちが、清朝宮廷のチベット仏教界に影響力をもっていたことについて。
 6. ニンマ派カレッジの矢田修真先生は自らのチベット貨幣のコレクションをもとに、貨幣の歴史やそれらの兌換率について。
 7. ラストは種智院大学の北村太道先生による、毘沙門天と弁財天など天部の儀礼の諸相について。会場右手には、北村コレクションの中から、毘沙門天関連の法具が並べられている。自分、とくに毘沙門天壇の中に納める薬木の類が一つ一つ標本にされていたのが面白かった。毘沙門天像にはライトアップまでされていてワロタ。

 というわけで、チベット仏教を研究する若手研究者が増えないかな~。もちろんチベット人に追いつくのはムリでも、最後は文献学や歴史學に流れてもいいから、その一部なりとも日本に翻訳・紹介してほしい。

 今の日本には、普遍的・論理的思考が何よりも必要とされている。

日本人は伝統的に、論理的な思考が苦手で、日本の歴史とは、軸のない、芯のない人々が、多数派につこうと右往左往することの繰り返しであった。今までは島国だからなんとかもってきたけど、今のような時代にこのままではかなりヤバイ。

 最近、かつて中国に夢をみた六十以上の世代が(あと若くてもそれに影響を受けてる人も)、「今や中国は強くなったのだから、逆らわずに言うことを聞くのが国益だ」みたいなことを言い出しているけど、これなんてみっともない事大主義。

 こういう人たちって軍事力と経済力と人口という貧困な物差しかもたない、恥ずかしい人たちである。こういう人たちの発言に力を持たさないためにも、すべての人が、何が護るべきものなのか、何が捨てさられるべきものなのか、それを自分の好き嫌い、相手の強い弱い、損か得かで決めるのではなく、客観的かつ論理的思考で見定める力をもたねばならない。

 このような場面において、倫理的・論理的思考法の宝庫であるチベットの仏教思想は日本人にとって福音になるはずである。
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DATE: 2011/10/19(水)   CATEGORY: 未分類
増え続ける焼身自殺者
 チベットで中国政府に対するチベット人の抗議の焼身自殺が、三月から始まってついに10人に達し、サイアクなフェーズを迎えている。

 ほとんどの死者がみな「チベットに自由を!」「ダライラマ法王のチベットへの帰還を!」と叫んでから、自らの身に火を放っている。初期のうちはその死を確認できたが、最近の自殺者は、燃えている内から公安に殴り倒され、いずこかに連れ去られるため、生死も不明である。甘ちゃんの日本人は公安がチベット人に手厚い介護をするために連れ去っている? なんて考えるだろうが、百パー違うな。

 共産党は、遺体をチベット人に返すと、その葬儀が抗議の場に変わることを恐れているんだよ。社会主義中国が人をどうあつかっているのかこの一事を見てもよく分かる。

 世界中のチベット・サポーターはこの悲しい自殺の連鎖を胸のつぶれるような思いで見ている。ダライラマは仏教徒としてずっと非暴力での闘争をチベット人に呼びかけてきた。チベット人はたとえ侵略者であろうと、自らの文化をさげすみ自らが尊敬する人を悪魔とよぶ人たちであろうとも、それを憎むな、哀れめ、と教えられてきたのである。

 しかし、今の中国においてはデモの自由はおろか、チベット人が自らの文化を護る最低の自由もない。だから、彼らは抗議の意志を自殺によって示すのだ。それ以外の方法がないのだ。

 2008年のオリンピックの年の蜂起を契機に、中国政府のチベットに対する弾圧はまた一段とひどくなっている。武装警察はラサにテントはって居座り続け、狂ったような愛国教育は相変わらず、最近はインドから本土チベットに電話をかけると、「今日は天気が悪いから電話をきる(盗聴されているから電話かけてくるな)」といわれるくらい、サイアクな状況。

 日本では反韓流デモ、反原発デモ、反格差デモのシンパが、警察に弾圧された、マスコミが無関心だといって大騒ぎしているが、デモの自由のある国で何千人集まったからといって、ルールを破った人が捕まったからといって、ニュースバリューがあるともおもえない。エジプトやチュニジアのデモが大きく報道されたのは、あそこでデモやるのは命がけで、それでも人が集まったからである。

 むしろ、日本のメディアがチベット人の命をかけた抗議の自殺の連鎖に無関心である方がよほど見識が問われている。

 自由や平等や格差の是正を社会に要求する人は、それを得ることを生来の普遍的な権利であるとどこかで思っている。

 であるならば、その「生来の権利」が極限までおかされている人たちに対して無関心でいられないはずである。もしそのような人に無関心であるならば、結局はその人の叫びは自分か、自分の延長にあるものために行われているもので、エゴの発露ということになり、社会を動かす力たり得ない。

 焼身自殺をしたチベット人は「命をかけて」どころか「命を捨てて」抗議をしている。誰もまきぞいにしていない。そして誰もののしっていない。ただ、自由を叫んで死んでいる。そこにはエゴの曇りは微塵もない。ただ悲しいだけである。

 亡命チベット社会の内閣(Kashag)が、この悲しい自殺者のために、十月十九日水曜日に世界中のチベット人に法要を行うことを議決した。水曜日はチベット人が「白い水曜日」といって特に、宗教的な善業を積む曜日であるためこの曜日に決まった。日本でも新宿の常圓寺において、自殺者の法要が行われた。

 会場には死者の名前が張り出されていて、その内十人目は手書きで書き加えられており、まだ19才の女子学生であった。※と書いたら、ダラムサラのNさんが、この最後の女子学生については亡命政府の発表がないので、ペンディングにした方がいいとのことです。

自殺11

2011年 チベットのために命を捧げた僧侶(2011 Tibetan Martyrs)

三月十六日 ロサンプクツォク 21才
八月十五日 ツェワンノルブ 29才
九月二十六日 ロプサンクンチョク 18-19才
       ロプサンケルサン 18-19才
十月三日 ケサンワンチュク 17才
十月七日 チョペル 19才
     カヤング 18才
十月十五日 ノルブダムドゥル 19才
十月十六日 ルンドゥプ・ツォ 19才 (女子学生)
十月十七日 テンジンワンモ 20才 (尼僧)


 彼らのほとんどは僧侶である。ダライラマの教えに忠実に則って非暴力で戦うことにした結論が、自殺だったのだ。

 まず、開会 法王事務所代表のラクパさんが2008年以来の中国のチベットに対する非道について詳しく述べ、自殺者についての説明がある。

 次にスーパーサンガの小林秀英師が、ベトナム戦争の時にベトナム人僧侶ティック・クアン・ドック師が南ベトナム政府の仏教弾圧に抗議して、その政府の後ろ盾であるアメリカ大使館前で抗議の焼身自殺をした時の話を引いた。このニュースは日本のテレビに流れ、世界中に反戦運動を巻き起こしたが、どうしてマスコミはチベット僧の焼身自殺を伝えないのか、日本のマスコミは病んでいる、という旨の話しをする。

 たしかに、日本のマスコミはアメリカの一挙手一投足にはビンカンに騒ぐのに、中国の文革の狂気とか、チベット人の殺戮や文化の圧殺とかには「知りませんでした」とそれが完了するまで優しく見守り、さらにはアメリカの軍備には事細かにケチつけるのに、中国の核にも軍拡にも放射能汚染にも大変に寛容でいらっしゃる。
法要11

 で、それから三帰・開経偈・般若心経(二回)・21尊ターラー経・パドマサンバヴァの七句祈願・グルリンポチェ御真言・回向・観音賛歌・観音真言・回向・ダライラマ14世長寿祈願文(短いの)・回向・真実の祈り(ダライラマ14世が亡命直後に作った血を吐くようなチベットを助けて下さいという祈り)・ダライラマ14世長寿祈願文(長いの)・で、これを中休み挟んでもう一度やって、最後漢語の般若心経を五回唱えて終わり。

 私は毎朝の勤行もあるので、今日はターラー経を記録的な回数唱えた。それにしてもこの経典、チベット語の綴りがずいぶん間違っている。みんなカタカナよんでるからいいのか。

 この水曜日の法要は、メインはダラムサラのツクラクカンで行われるもので、ダライラマ14世、カルマパ17世をはじめとする高僧達が参加して、断食もしている。

 多くの人々が気づいているように、ここまでひどい弾圧を受けても、弾圧者のために祈るチベットの文化は、人類の知的営為の中でもとりわけ洗練された上質の、護られるべきものである。

 今や、ほとんどすべての人が「社会のため」「人類のため」と言いつつも、その実、自分、自分の家族、自分の会社、宗教、自分の国、自分、自分、自分、のためのみに生きている。その結果、地球温暖化も原発も何も解決しない。

 しかし、今「自らを灯明と化した」チベット人たちは純粋に、エゴやナショナリズムを越えた地点から、われわれに訴えかけてきている。「我々の文化が滅びようとしている。あなたたちに本当に関係のないことですか」と。
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DATE: 2011/10/14(金)   CATEGORY: 未分類
拙著誕生の縁起
 やっとアマゾンで買えるようになりました。この他にも神田の東方書店ジュンク堂紀伊国屋書店 BK1では買えるようなので、拙著ネタ第二段いきまーす。

 今回の『清朝とチベット仏教』は、般向けの新書や文庫に比べるとやや難しいかもしれませんが、前作よりは分かりやすく、親しみやすくなっています。だって、編集さんに言われて、満洲語とチベット語とモンゴル語の原文テクストは史料扁に追い込んだから(笑)。

 清朝史っていうと、「満洲人の征服王朝だ」「いや中華王朝だ」とかいう視点で語る人が多いけど、本書は「チベット仏教世界から見た清王朝の姿」を提示しています。とにかく新しい歴史像なので、歴史好きな方はだまされたと思って読んでみて。そして、納得されたら、その内容をツイッターとか、ブログとかで世の中に広めてくれると嬉しいです。

 その功徳によって来世は転輪聖王に生まれるでしょう(責任はとれません)。

 見所は、各章ごとに灌頂とか、チベットの僧院の構造とか、仏塔の落慶のさいに塔内に納めるものとか、転生譜とか、仏画の構造とか、八大仏塔とか、チベット仏教世界をいろどるさまざまな事相にスポットがあたっているため、それらの知識も自然に身につくことです。

 仏教徒としての乾隆帝が何を思い、何をしていたのか、そんな視点今までになかったでしょう? この本読むと恐れ多くもかしこくも皇帝陛下のみ心とシンクロできますよ-。

 本書の冒頭には乾隆帝が文殊菩薩の転輪聖王の姿で描かれた画像が三枚とパンチェンラマ三世が乾隆帝にくだしたチャクラサンヴァラマンダラの絵がカラーで入っています。また、清朝皇帝がつくった記念碑的なチベット仏教の仏寺の由来についても論じるため、北京の仏塔や仏寺の写真も満載で楽しく読めます。

 乾隆帝菩薩画像についての第九章を書くにあたっては、これらの画像を収蔵するワシントンのサックラー美術館、北京の故宮などに赴きました。

 中国語会話パープー・四声メチャクチャの私がなんとか中国現場をやり過ごせたのは、学友のみなみな様、とくにYJさんが甘やかしてくれたおかげです。本当にありがとうございました(て、このまま中国語会話やらんつもりか 笑)。

 さらに、拙著は編集さんにも恵まれました。編集のKさんは私と同世代で、二十代の頃と五年前の二回チベットに行ったことのある方。そのため、拙著の内容もよく理解してくれて、グッジョブをしてくれました。

 今回カラー口絵が四枚もつけられたのも、Kさんが、「チベットのタンカはやはりカラーでないと伝わらない」と主張してくれたから。また、目次や写真のレイアウトや本文と史料の関係などもいろいろ試行錯誤して読みやすさを追求してくださった。

 各章の扉ごとに写真をいれることを提案してくれたのもKさんだった。「叢書の宿命で表紙のデザインはお仕着せになっているので、せめて扉絵で特徴をだしましょう」といってくれた。なので「はじめに」の扉絵はKさんがとったポタラ宮の写真(笑)。

 さらに、乾隆帝の白傘蓋信仰をあつかった第六章の扉写真は、院生Mのとったものである。院生Mは礼儀面で微妙なところがあるが、私のチベット語りを専門的に理解しようと努力しているはじめての学生である(通常、学生は自分を理解してもらいたがっても、先生のことは理解したがらない 笑)。また、第五章はダンナがインドにいってとった写真。何かのマジナイにはなるだろう。

 拙著の全体像は去年の夏には形になっていたのだが、たとえば乾隆帝の菩薩画像のタイプAの情報とか、写真の使用許可を所蔵元からとるなどの細かい作業はまだたくさん残っていて、それらが全部終わったのは、本当に念校入稿直前であった。暑い夏だった。

 で念念校は編集さんだけが行うのだが、その入校日がちょうど満月の日であった。チベット人は著作の完成日を満月などの吉日にもってくるので、期せずして伝統に従ったことになる。

 で、「Kさん絶対何かある」と思ったので本が完成したあと、彼を焼き肉屋に誘って聞いてみると、彼は『旅行人』の社長さんともその『旅行人』の「チベット」巻を執筆した長田さんとも友達であることが判明。そりゃチベットに理解あるわな(笑)。

『旅行人』と言えば、雑誌もガイドブックも旅好きのバイブル。私が何年か前、雑誌『旅行人』のチベット特集に、文章をよせさせて戴いた際に、院生Mが「ボクは旅行人に自分の文章のせるのが夢だったんです」とうらやましがられたくらい、旅人あこがれの雑誌。

 彼がまだ学生で、バックパッカーとして世界を旅していた時、カラコルム・ハイウエイからチベット入りしようとして、たまたま旅行人の今の社長さんと一緒になったんだそうな。

 そのご縁で、『旅行人』の「チベット」の巻の英訳を行ったのがこのKさん。英文翻訳から版下作成まで自分一人でやったので廃人になるかと思うくらい大変だったそうな。その本はここでみられます。

 余談であるが、旅行人の社長とKさんはその後、カトマンドゥでヨーグルトを食べて別れ、帰途についたKさんはタイの島で悪寒に襲われた。で高熱でふらふらしながら、香港までたどりつき、外国人を無料で見てくれる病院と聞いてころがりこんだら「インフルエンザです」と言われて、出された処方薬を飲んだら今度は心臓が痛くなったという。

私「よく生きていますね。若いってスバラシイですね」

Kさん「ええ、で、日本に帰ってきて病院いったら熱45度もあって腸チフスでした」

私「じゃあ、面会はテレビっていうあの隔離病棟ですね」

Kさん「詳しいですね」

私「私は入ってないですよ」

Kさん「で、入院に対して共済がでたので、そのお金でまた旅行に行きました」

私「身を削って旅していますね」

 という人だった。しかも、不思議なのが彼が私の本を担当したのは、自発意志ではなくたまたまのことだったらしい。私がたまたまW出版部から本を出すことになり、たまたまあたった編集がKさんだったわけ。

ご縁である。

 学友に恵まれ、編集さんに恵まれ、出版助成金に恵まれ、満月に入稿した拙著は、チベット的に言えば「縁起が整った」本である。

 前作の2001年の『チベット仏教世界の歴史的研究』は、チベットに対する認識が質的にも量的にも最低の日本にあっても、とりあえず二刷りまででて今は売り切れている(部数僅少にしか刷ってないけどW)。

 さらに、前作で提示した「仏教に基づく政治」(chos srid / doro shajin)という概念は、日本語で出した本であったにもかかわらず、なぜか欧米の研究者の口の端にものぼっている。誰かはがちゃんと読んでくれているらしい。本作も風にのって、末永く世界に広まっていきますように。

 メイキングのムービーは、人の集まる場所に行く際には持っていますので、お声をかけてください。同業者の方はツイッターとかメール下されば、著者割りでおわけします。
 
 一般の方は、大学図書館とか、地域の図書館とかにリクエスト入れてくださると嬉しいです。そうすれば、結果として多くの方の目に触れますので。いやホント画期的な歴史観を提示しているので、みなさん、よろしくお願いしまーす。
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DATE: 2011/10/08(土)   CATEGORY: 未分類
10月のチベット・イベント
今月はダライラマ法王の来日他、チベット関係の集まりがいろいろあります。
法王の今回の招聘元は高野山大学で、法王の強い意志で被災地にもいらっしゃいます。
高野山と被災地の会は満席とのことです。
 私は最初高野山の法王主催灌頂にいくつもりだったのですが、はずせない仕事が入りなくなく欠席。
その代わり急遽昨日、大阪の講演に行くことを決めました。
だってここしか残席ないんだもん(笑)。なので、もし大阪講演にいらっしゃる方、メイキング・ムービー焼いていきますので、メールなどにて連絡ください。

●チベット僧追悼法要
 今年3月以後、中国政府の僧院に対する圧迫に抗議して僧侶の焼身自殺が相次いでいる(現時点で四人目? 覚えられないくらい続いている)。亡くなった僧侶らの冥福を祈り、また、チベットの国内の現状が少しでも改善すること祈願する。


主宰: ダライラマ法王事務所
日時: 平成23年10月10日(月・祝)14:00~15:30
場所: 新宿・常圓寺
都営大江戸線D4出口、JR線/東京メトロ丸ノ内線新宿駅B16出口より徒歩8分 青梅街道を挟んで新宿野村ビル向かい



●10月16日 講演「化身ラマ制度とその教育」
ダライ・ラマ法王が発表した次期ダライ・ラマの化身認定についての声明文についてチベットの高僧によって解説していただきます。

日時:2011年10月16日(日)午後13:00-16:00
講師:ゲシェーラランパ・ゲン・ロサン・ゲレク師(デプン・ゴマン学堂)
講師:ロサン・プンツォ師(デプン・ゴマン学堂)
拠所:大本山護国寺 〒112-0012 東京都文京区大塚5-40-1
参加料:無料

●ダライラマ法王来日日程
◎大阪特別講演(やや残席あり)

日 時: 2011年 10月30日(日)10時~16時(開場8時)
会 場:舞洲アリーナ (大阪市此花区北港緑地2-2-15)
講 演
第1部  「ダライ・ラマ法王 般若心経を語る-空から慈悲へ-」
第2部  「人生の困難を生きぬく力」
特別公演12時~13時 「高野山の声明」

◎高野山講演Ⅰ(完売)

日 時:2011年 10月31日(月)13時30分~15時30分(開場12時)
会 場:高野山大学松下講堂黎明館  ▶ 交通・アクセス
講 演:「ダライ・ラマ法王 青年僧と語る
-高野山管長とダライ・ラマ法王が質問に答える-」

◎チベット密教 金剛界マンダラ灌頂(完売)

日 時:2011年 11月1日(火)~11月2日(水)(2日間)8時~16時
会 場:高野山大学松下講堂黎明館

◎高野山講演Ⅱ(完売)

日 時:2011年 11月3日(木)9時30分~15時30分(開場8時)
会 場:高野山大学松下講堂黎明館
講 演:
第1部「ダライ・ラマ法王と科学者の対話」
第2部「高野山大学学長、ダライ・ラマ法王と密教を語る」
特別公演12時~13時 「高野山の声明」

◎被災地での講演(11月5日~6日)

日 時:11月5日(土)
会場:孝勝寺(日蓮宗) 仙台市宮城野区榴岡4-11-11
講演 14:00-16:00 ・

会場:西光寺(浄土宗) 石巻市門脇町2-5-7  
慰霊供養とご挨拶 9:40-11:00

11月6日(日)

会場:聖和学園高等学校 仙台市若林区木の下3-4-1  
講演 9:00-9:50
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DATE: 2011/10/04(火)   CATEGORY: 未分類
転生を政治利用させないために
2011年9月24日、ダライラマ法王が自らの後継者問題について公式見解を出した。これは歴史的な意味を持つ重要な文書であるが、この重要性は一部のチベオタにしか理解できないと思われるので(とほほ)、少しでも一般人が分かるようにちょっと解説してみる。

 全文は広島の〔体格が〕ロバート・サーマン野村君がチベット語から和訳しているので、そちらを参照して戴くとして、全体像をつかみやすくするために、各節の梗概をあげておく。節の番号は便宜上つけたもので原文にはないので注意。まず、

1. はじめに

 持金剛仏ダライ・ラマの第14世、釈尊の比丘、説法師テンジン・ギャンツォと呼ばれる者の勅。内外のチベット人をはじめとするチベット仏教徒たるすべての僧俗、およびチベットとチベット人に関係する全世界の人々に告げる。

 この部分は伝統的な書式に則って記されており、その形式をとるということはローマ教会でいったら教皇の回勅みたいなものであることを示している。

 まず、出だしの文章はつきつめると
Aの勅(gtam)。
Bに対して告げる(zlo ba)。

という構造になっている。これは「至高の地位にあるAさんが、目下にあるものに対して命令する」書簡の伝統的な書き出し方である。もし、逆にこれが目下が目上に対して述べる時には
Aさんの御前に
Bが申し上げる

という形式になる。
つまり、本勅書は、至高の立場にあるダライラマ法王(Aさん)から、目下の我々(Bさん)に向けて言葉が発されている。

 ダライラマ法王のことをあの笑顔とユーモアから気さくな方だと思われている方も多いが、それは外国人に対してだけ。チベット人や、仏教徒の前では伝統的な(超弩級の 笑)「高僧」の姿に戻り、このように権威ある語りをする。このような伝統と現代が併存しているところが、チベットの魅力である。

 次に、この文書を書く目的として、ダライラマの転生が政治利用されないために、転生とはどういう理論の下に説明され、どういう歴史があり、高僧の転生はどのような目的をもってなされるのかを明らかにした上で、政治利用が不可能であると示すため、と説く。

2. 前世と来世

 この節においては、仏教の伝統の中において「転生」がどのように定義づけられているかを説明する。現代科学は転生を否定するが、(順世外道以外の)インド・チベットにおいては、すべての学派でみられる普遍的な思想である。仏教論理学の大家ダルマキールティなども、「あらゆるものには必ず決まった原因がある。原因なくして生じるもの、あるいは無関係なものから生じるものはない。物質と精神は本質的に全く異なった働きをもった存在である。物質は広がりがあり抵抗があるものであるが、精神は広がりを持たず対象を照らし出して認識する働きをする。物質からは物質しか生じず、精神が生じることはありえない。赤ん坊が生まれたときに、その肉体は物質的な原因から生じるが、赤ん坊にやどる精神は、肉体からは生じず、前世からの精神から同種のものとして生じているとしか考えられない」という旨の輪廻論を展開している。また、過去生を覚えている人がいることを鑑みても前世が存在することは否定できないと説く。

3. 転生思想について

 一般人(凡夫)は自らのなした行いと煩悩によって、自らの意志とは関係なしに転生先が決まってしまう。しかし、聖者は「一切の心あるものを救いたい」という広大な慈悲の力によって、意志をもって転生先を選ぶことができる。

※たしか、これ般若経の教え。これを自分、大学で説明する時に、総合商社の場合、新入社員だと会社の意志でアフリカのルワンダや南米のボリビアに転勤になるかもしれないが、役員(善行の結果菩薩)になったら自分の勤務地は自分の意志で決められる、と俗っぽい説明をしてみた 笑。

4. 「化身」の語釈
 ここでは「仏の四身(三身)説」が説かれている。仏様には大きくわけて法身(真理そのもの)と色身(人々を救うための形ある体)の二つの存在様態があり、さらにそれが二つずつ分かれて四身となる。ダライラマの転生はこのうち(変)化身=肉体である。化身はダライラマ以外にもたくさんいる。

法身 → 智慧法身・自性法身
色身 → 受用身・化身

5. インド文献における輪廻転生

 釈尊は仏になる前の菩薩の期間、何度も他者のために命を捨てた前世があった。これはジャータカ(本生譚)などに詳しく記されている。このようにインドでも菩薩が転生することは広く知られていたけれど、ある高僧がなくなった後、その転生者を探し出して、なくなった高僧の座を引き継がせるという「制度としての転生」はインドにはなかった。
 
6. チベット文献における転生相続制の誕生

 で、転生相続制はチベットではじまった。まず、チベットにおいて師弟や親子がともに転生して仏教を広めていくことを記した文献群(『カダム子法』『マニカンブム』)が列挙される。ついで、13世紀にカルマ・カギュ派の創始者ドゥスム・ケンパの転生者をカルマ=パクシと認定したことに制度としての転生がはじまるとし、そのあとも古い順から転生相続の例を挙げる。

 そして、ダライラマの転生譜は、ツォンカパの直弟子ゲンドゥンドゥプがなくなった後、ゲンドゥンギャツォがその転生者が認定されたことに始まったことを説く。

7. 転生者認定の方法

 転生を間違いなく認定するために、先代の遺言、先代の持ち物を選ばせる試験、候補者となる幼児の言動、シャーマンのお告げ、神前の占い、ウルカにある女神の湖にうつるビジョンなどが検討される。

※18世紀初頭にチベットに布教にやってきた宣教師イポリット・デジデリもこれとほぼ同様の方法を揚げている。その中で、このような選び方をすると、ローマ教皇を選ぶ時みたいにもめない、と一種尊敬するような記述を残している。また、『前世を記憶する子供たち』という本においても、前世を確認するためには、幼児の記憶をためすのが一番確かと結論しており、チベットの転生者の認定法が非常に洗練されていることを示している。

8. 生前に認定される化身

 先代の体がまだ存命中に、その精神の流れが別の肉体に化身することもある。これはダライラマ14世が在世中に、自分のやり残した仕事を果たすべく成人した別の高僧を指名する可能性を示している。

9. 金瓶掣籤

 現在、中国共産党が化身(転生者)を選ぶさいには、金瓶に候補者の名前を書いた籤を入れて、一本ひいてそこに書いてあった名前の童子を転生者としている。この金瓶の由来についてここで述べる。実は、これ18世紀末、グルカ戦争を契機に清朝皇帝が一つの有力な家系に高僧の転生者が集中することを避けさせるために、押しつけてきたもの。しかし、歴史の中ではほとんど利用されてこなかったことが述べられる。

10. 転生を謀略に利用するのは不可能である

 これまで、欲に目のくらんだチベット人の政治家や、満洲やモンゴルの王侯や現在の中華人民共和国の政治家たちは、転生を自己の目的のために利用してきた。とくに、現在、中国は高僧の化身を中国共産党が管理する法律を作ったり、ダライラマ15世をお手盛りで選んでチベット人をコントロールしようとしている。

11. 次代の勝者王(ダライラマ)について

 しかし、このようなチベットの伝統を傷つける行為は断じてやめてもらいたい。これまで述べてきたように、ある高僧の化身(転生者)がどこにいつ生まれるのかは転生する本体(この場合はダライラマ14世)が決めることである。チベットの伝統に従わずに選ばれた化身は、国際社会の誰も認めるものではない。


 ※適当にまとめてみましたが、いかがでしょうか。詳しくは全文をみてください。私個人としては転生に関する基本的な文献や歴史認識がダライラマ14世の口からはっきりきけて非常に面白い史料だと思いました。

 現代史的にいうと、「ダライラマの政治利用に釘をさした」ということにもなります。いずれにせよ、ダライラマ13世の死の年に発した有名な詔勅もそうだけど、ダライラマの言葉って、ずっと時間がたってから「あの時、このことを言っていたのか」とい思い出されることが多いので、この文章も間違いなく、そんな風に未来に思い出され「さすがわ一切智者」とチベット人を感嘆させるかもしれません。
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