白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/05/19(日)   CATEGORY: 未分類
回向院の出開帳
 チベットは今、聖なるサカダワ (sa ga zla ba) 月である。仏様が生まれ、悟りを開き、なくなった月なので、この月に行う善行はポイントがついて何万倍にもなるという。そのため、チベット人はサカダワ期間、聖地を巡礼して必死に貧者に施し仏様を供養する。Kくんによると、インド中の乞食会社がサカダワになると乞食をダラムサラにバスで送り込んでくるという。本土チベットのラサでも中国を含めたあらゆる地域から乞食が集まってくる。職業乞食たちは、チベット人がこの月に施しをするのを知っているからである(でも彼らは仏教が何かは知らない 笑)。

 私も良いことをしようと思うのだが、そこは凡夫。意に反して、一昨日も五分でキれて一時間怒鳴ってしまったので、この悪行を精算するべく、土曜日は両国の回向院で行われている善光寺の出開帳に行く。

 出開帳とは、普段は長野に行かなければ拝めない仏様が、本拠地をでて各地に出向いてくださること。今回は東日本大震災復興支援の資金集めのために、江戸にお出ましになられた。江戸時代、回向院の出開帳といえば空前の人出を誇り、江戸の風物詩として知られた。

 初めて自分の意志で買った大人の本は興津要編『古典落語』であるくらい私は古典落語歴が長い。この中に「開帳の雪隠」という噺があるのだが、これは回向院の開帳が舞台で、人でがたくさんでトイレ(雪隠)がたりないことに目を付けたくまさんとはっつぁんが仮設トイレを作って金儲けする話である。この噺を通じて私は幼少のみぎりより開帳という言葉に接していたが、まさか21世紀にホンモノの回向院の出開帳に参加できるとは思わなんだ。

 出開帳の阿弥陀様を供養すれば、被災地支援にもなり、その善行はサカダワ月の力で百万倍になり、私の来世も安泰となる。是非行かねばなるまい。ちなみに、このような自利の思考法はチベット仏教では小士といい、威張れたものではない。

 ここで、知らない方が幸せかもしれない、開帳豆知識。

 善光寺の本尊の阿弥陀様は実は絶対秘仏。だあれも見たことがないミステリーな仏様。なのでこの本尊様が来るわけではない。では、秘仏の本尊をおさめた厨子の前にたつ本尊の姿をうつした前立本尊がくるのか? これも今回の本尊ではない。では、回向院にお出ましになった阿弥陀様は何? 何なの?

答えは、出開帳専用に作られた出開帳仏。もちろん本尊の分身である。開帳自体がずっと行われていなかったため、この出開帳仏が人前にでるのはじつに192年?ぶり。なので、7年に一度の開帳となる前立本尊よりは希少性のあるご開帳といえる。

 社会人向けチベット講座のあとに有志をつのったので、私を含めて五人のクルーはすべてチベットマニアとなった。そのため信仰の力かシンクロの力か分からんが、濃い参拝となった。

 まず、回向院に到着したほぼその時間に大本願の上人様(善光寺の浄土宗のトップ。天皇家の血筋をひく尼僧がつく位)が導師となる本尊前での法要が始まった。本堂は人の波だったが、通路に人がいないのでズイズイ前にいって覗いてみると、うわ、徳行坊のW住職 (2008年、北京オリンピックの年、善光寺がチベット問題を理由にあげて聖火リレー出発地点を辞退した際に善光寺の顔となってテレビにでた方)に、寺務総長のW住職のお二方も着座していらっしゃる。
 
 南無阿弥陀仏を唱え散華すると法要は終わり、上人様をはじめとするご住職たちは退場されたので、W住職を呼び止めてみなで立ち話。W住職によると、本堂二階で講演が行われており、講演者はグリーフケア(大切な方を亡くして悲嘆にくれている人を立ち直らせるプログラム)に取り組んでいらっゃる尾角光美さんという。彼女は関西でプレイヤー・フォー・チベット(チベットのための祈り)という会を主催しているという。

 なのでみなで尾角さんの講演を聞く。内容はいわゆる"傾聴"の話。悲嘆にくれている人の話をツッコミをいれずにただ相手の心によりそって「ままに」話を聞くように、とのこと。尾角さん自身、18才の時にお母様を自殺で、兄上も去年アルコール依存症でなくしているとのことで、体験に根ざしたお話であった。尾角さんの率いる社団法人リブオン(生きる)は主にお寺などで講演活動をしているとのこと。終演後はチベット交流会(笑)。

 次に、本堂の上階で、被災地陸前高田からやってきた金剛寺の如意輪観音様と要害観音堂の聖観音様を拝む。この観音様は津波に流された後、瓦礫の下から奇跡的に発見されたとのこと。要害観音堂は跡形もないというから、すごいご本尊である。

 また三階には、善光寺の文化財として、五羽の鳩が隠れている善光寺の扁額、和宮様のお手回り品、善光寺の創健者である本田善光と妻子の三人の座像が展示されていた。

 中でも面白かったのが、善光寺縁起絵巻とその絵解きであった。若いお坊さんがこの絵の解説をするのだが、いわゆる講談調の語りではなく、今時の普通の説明。彼もあらかじめ予防線をはって「たどたどしい説明ですが、暖かく見守ってください」という。でも、年配の方から「立像(りつぞう)言うな、りゅうぞうと言え」とつっこまれていた(笑)。

 この絵巻の説明のどこが面白かったかというと、一人の人間の転生が仏教の伝播に連動しているという説話の構図が、チベットの仏教史の説話構造と同じであったこと。

 善光寺縁起の詳細はhttp://www.zenkoji.jp/about/index3.htmlにある。

これを要約するとこうなる。
インドの月蓋長者が、阿弥陀様に帰依して、娘如是姫の病が治ったため、阿弥陀様の姿を仏像にして祀り、仏教を広めた。やがて、月蓋長者は百済の聖明王に生まれ変わったが、前世を忘れて悪行三昧であった。そこで本尊の仏はインドから空間移動して百済に出現し、聖明王に過去世を語りきかせ、改心するようにさせた。聖明王は百済で仏教を広め、やがて日本に仏教を伝えるべく、本尊を船にのせて日本に送り出した。そして、次は貧しい人に生まれたいと誓いを立てた。時に欽明天皇の時代であった。

 その頃、日本では蘇我と物部が仏教を導入するかしないかでもめていた。折しも流行病で人がしにだすと、物部は「異国の仏を祀ったから、日本の神が怒ったのだ」といい、寺をぶちこわし、百済からの仏像を難波の江にぺいっと捨ててしまった。
 歴史が語るように、結局は蘇我氏が勝利し、仏教の日本導入は決まったのだが、難波の江に捨てられた阿弥陀様は、聖徳太子様に「別の人が拾いにくるから、それまでここにいる」といって難波の江からお出ましにならなかった。

 しばらくして、この近くを本田善光が歩いていると、ご本尊は本田さんの背中にぴたっと張り付いて、「わたしを信州につれていって祀れ」というので、本田さんは阿弥陀様を背負って赴任地の信州にいき、貧しかったので寺がつくれず、ひっくり返した臼の上に阿弥陀様を安置して拝み続けた。そう、百済の聖明王は今は日本の貧しき本田善光に生まれ変わったのである。

 しばらくすると、本田善光の息子が前世の業により親より先に死んで地獄におちた。善光は悲しんで阿弥陀様にせがれを助けてくださいと一心にお願いした。

 その頃、善光の息子は地獄で皇極天皇にあっていた。父善光の力によってこの世に蘇ることができることをしった子息は、阿弥陀様にこういいました。
「私一人が蘇っても父が喜ぶだけ。私の代わりに皇極天皇を蘇らせてください」

阿弥陀様「よういった。その自己犠牲の心に免じて、両者ともに蘇らせたるわーい」と二人は同時に蘇ったのだそうな。

 蘇った皇極天皇は重祚して斉明天皇となり、天皇のお布施で阿弥陀様には伽藍が建てられ、善光寺の歴史が始まりましたとさ。


 というものです。インド→朝鮮 (百済)→日本と仏教が伝播していく中で、本尊はこの長大な空間を移動し、施主も月蓋長者→聖明王→本田善光と転生していくが、これと同じようにチベットではインドで釈尊の施主をしていたプラセーナジット王が生まれ変わって、チベットの古代の王たちになり、さらに、生まれ変わってモンゴル帝国五代目フビライになってモンゴル(元朝)に仏教をひろめ、とどめに乾隆帝に生まれ変わって満洲(清朝)において仏教を広めたという壮大な転生物語がある。

 つまり、一人の人間が悠久の歴史と空間を転生によってこえて仏教を異なる地域に伝播させていくのだ。

 こうして、みながよく知る歴史の大事件、百済の聖明王が日本に仏像を送って日本へ仏教が伝来したこと、難波の江に仏像が捨てられたこと、また、チベットの場合は、古代チベットのティソンデツェンがチベットにおいて仏教を国教としたこと、フビライがモンゴルに仏教を国家レベルで導入したこと、乾隆帝が満洲人王朝清においてチベット仏教をもっとも熱烈に信仰していたことなど、空間的にも時間的にもバラバラの事件が、一人の人間の転生と本尊の移動によってつながっていくのである。

 また、本田さんが通りがかるまで本尊が難波の江に沈んでいたのは、チベットにおいても運命の時と人を待って現れるテルマ(埋蔵宝典)という概念と同じである。、

 ちなみに、チベットの部分については私は直前の授業で話していたので、善光寺絵巻の話を聞いているうちに不思議な気持ちになった。

 帰り道Kさんが「やっぱ天皇陛下とかお金持っている人でないとお寺は建てられないんですね」というので、

 私「今は民主主義で国王がいなくなったからね~。誰かあの世にいって、スティーブジョブスみたいな金持ちを蘇らせてくれないかな」と答える。

 そして、最後なので本尊とつながる回向柱に頭をつけ、ご本尊の加持をいただく。この柱は映画「先祖になる」の主人公である佐藤直志さんが切り出したものである。常々思うのだが、善光寺さんはこういういい意味での演出がとても上手だ。今回のご開帳が少しでも被災地の復活につながればいいと思う。

 陸前高田に佐藤さんが再建した家からは今どのような景色が見えているのだろうか。
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DATE: 2013/05/12(日)   CATEGORY: 未分類
チベフェスの思い出
※ このエントリーの写真は買い物映像以外は、護国寺、デジタル・アーカイブ、SFTさん提供です。

 チベフェス2013年(5月1日-5月6日)は無事、盛況の内に幕を閉じたようです。
 じつはこのチベフェス、パンフレットやウェブのデザインから、販売員の方に至るまで、ボランティアの方の力に大きくたよっています。そのため、ボランティアさんの人数が確保できない日には、交代員がいないため一人の方が氷雨のふる中、十時間以上立ち続けることになったとか悲惨な話がとびかい、涙を禁じ得ませんでした。関係者各位本当にご苦労様でした。

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 来日されたチベット人たちもすごいハードワーカーでした。
タシルンポ僧院のお坊さまたちはと言えば、砂マンダラ(観音菩薩の身体・言語・心の三つのマンダラ)読経・作成し、チャイ・シャパレ・モモなどチベット料理をつくり、仏具・護符の販売しーの、ミニステージで僧院文化を説明したり、果ては、短い休みをはさんで毎夕六時から総動員で仮面をかぶってチャムを踊るというすさまじい労働条件でした。

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 これはミニステージで行われた、僧院内での論理学のディベートを再現したものです。この他にも法王事務所代表が、「チベットのおじいちゃん、おばあちゃんがなぜボケないか」といったテーマで講演されるなどしていました。私は残念ながら代表の話を聞いていなかったので、私見を述べます。
 チベットのじいちゃんばあちゃんが惚けないのは、まず、朝晩、仏前で五体投地し、その後僧院や仏塔の回りを何周も何周もマントラ唱えて巡拝するから足腰が鍛えているし、一緒に巡拝する人と話しをするため、頭も使うし、仏教徒として道徳的に育っているので、年寄りになっても性格が円満で回りに好かれるので孤独にならないからだと思います。
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 会場で展示・販売されていた、現代風にアレンジされたチベット衣装、民芸品、家具などはダラムサラに本拠をおくノルブリンカ・インスティテュートの方々が出張ってきたもの。ダラムサラと同じ良心的な値付けだったそうで、最終日はもってけドロボーな値段がついていたという。私は何より、ガルーダや鳳凰や鳥柄の作品が多いのが気に入った。私の買い物はこんな感じ↓です。
基本、鳥柄です。
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 さて、境内で楽しくフェスティバルが行われている最中、隣接する天風会館では、チベット問題を啓発するシビアな会合がもたれておりました。↓中国の同化政策によって続く焼身抗議の話、無実の罪で刑務所に6年間入った監督がつくったTibet in Songの上映会、チベットの環境問題を訴えたスライドショーなどです。
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折しも、長野よりできたてのほやほやのCompassin Vol.4が届き、そこにも焼身抗議のなまなましいレポートがなされていました。
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初日のトークショーには、今回来日された僧侶の中で最高位のカチェン(タシルンポの最高学位の称号)がゲスト出演。カチェンはザンスカルの出身で、タシルンポに入山したことによってはじめて勉強ができるようになったとのこと(前エントリ参照)。難民チベット人の二世三世たちは、整った教育環境があるため、出家して厳しい修行や勉強をしようという人は少なくなっている一方、チベット人コミニュティの中でもまだまだ貧しい人の多いラダック、ザンスカール、本土の田舎から来た人々は、僧院に入って勉強するしか選択肢がないので、必死で勉強するのでかえって成功するという話がそういえばあった。今の日本人の子供にたくさんの選択肢があるがゆえに、伝統文化を継承する人が少なくなっているのと相通じるものがある。
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 護国寺サイドでイベントをしきっていたAさんは、会場をかけまわってあらゆることに気を回していて八面六臂の活躍だった。笑顔なのに眼の焦点があっていないのが印象的でした。その後、ダライラマ法王事務所の代表にもお会いしましたが、表情が同じでした(笑)。極限状態だったのだと思います。
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さて、毎夕、六時からのチャムが終わると、チベット人歌手のステージがあり、その後、護国寺の本堂にはデジタル掛け軸が投影されました。これがなかなか夢幻な感じで、うけてました。
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 そして迎えた最終日。日中は綺麗に晴れ渡っていたのに、五時すぎるとどんどん暗くなり、とうとう雷雨となった時は、みな青くなったことと思います。でもこれはチベットではよくあることで瑞祥です。熱帯インドでは、雷も雨も天からの恵みであるため、数日間にわたる高僧の法話や灌頂の最終日には、よくこのようなことがおきています。
 この雷雨が降り出した時、疲労がピークに達していた販売のボランティアの方は、もうハイになって、ここぞとばかりにチベフェス公式タオルとTシャツを売りまくったとのことです。まさに彼らは神です。そして、不思議なことに、チャムが始まる頃には雨があがり虹がたちました。震災49日法要の時も、雷雨になりましたが、ダライラマ法王の法話が始まると雨があがりました。
 チベット文化にはまだまだこういう力が残っているのです。
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 この虹をみあげるボランティア方々には万感の思いがあったことでしょう。今回チベフェスをみていてしみじみ思ったのは、口であれこれいう人よりも、実際に体を動かす人たちの存在が、ありがたいということ。思えば、社会もそう。みんなが評論家、ジャーナリスト、消費者、患者になってしまったら、世の中はまわらず混乱するばかり。

 なすべきことが山積している時には、「そもそも」とか「だからいっただろう」とかいいだす人よりも、全体を考えた上で優先順位・事の軽重を正確に把握し「私がこれこれをやります」という人の方が救世主になる。社会の場合でもお医者さんがいて、物流まわすす人がいて、販売する人がいて、介護する人がいて、はじめて社会は動きだす。
 私は自分が学者という虚業についているが故に、余計にイベントの現場の活躍には目を奪われた。
 とにかく、現場はすごい。お疲れさまでした。
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DATE: 2013/05/05(日)   CATEGORY: 未分類
チベットの眼 中国の眼
 5/3は護国寺チベフェス会場隣接の天風会館にて麻生晴一郎さん(中国の環境や人権を護る民間の活動について著作をものしている作家さん)とトークを行った。一時に会場入りしたところ、かなりの数の方がもうお見えになっていて、楽屋裏のうちあわせがバレバレなのであった。

 司会者から事前に質問表をわたされていたのだが、タイムスケジュールのみと思い最後までよんでいなかったところ、始まってから質問表に気づいたというテキトーなワ・タ・シ。

 まず、はじめに司会者のUさんが、今年のはじめに作られた焼身抗議についての短い映像(by 亡命政府)を流して解説する。まず炎上するチベット人がでてくる。

司会「これらの映像は、たまたま居合わせた人がケータイカメラなどで撮影したものを、人づてに海外へと送ったものです。中国政府がいうように事前に計画して撮影されたものではありません。どの映像も火のついた時点からはじまり、焼身を準備する映像とかがないことがそれを裏付けています」

 さらに、映像は焼身抗議を行うものは、職業・性別・年齢が様々であること、共通する遺言として、チベット人がケンカをやめて一致するべきこと、チベットの言語をまもること、宗教の自由をまもるること、ダライラマ法王の帰還があげられていることを述べる。

 そして、2008年の僧侶たちのデモ、2011年の学生たちのデモの映像が流れる。司会者は前者は宗教の自由を、後者はチベット語で教育を受ける自由を求めるデモであること(本土チベットでは)を説明し、焼身抗議はいわば、滅び行くチベットの文化を保持せんがための叫びであると解説。

 以下のトークの内容は記憶に基づいて再構成したものです。もしマチガイがありましたらご指摘いただけると嬉しいです。

 司会「焼身抗議実は中国においてもよく行われています。チベットの場合と中国の場合ではどこが違うのか、それぞれの先生方にお伺いしたいと思います」

 私「日本人が自殺と聞いてイメージすることは、経済的に追い詰められたり、精神的に心折れた人が、そのつらい状況から逃げるべく死を選ぶというものです。自殺者はいわば自分のために個人的な理由で死んでいるわけです。ところが、チベットの場合、亡くなられた方の多くの遺書には、『チベットのために、あるいは有情のために、この身を捨てる』という、「他者のために命をすてる」という表現がでてきます。

仏教の思想に基づきますと、すべての有情は始まりのない昔から輪廻転生を続けており、その無限回の転生の中で、過去に必ず親子や兄弟や夫婦の間柄であったと考えます。中でもお母さんはもっとも恩があるため、『すべての有情は母でなかったものはない』という表現で『一切の命あるものに母親に報いるように、報恩する』ことを説きます」

 そして、チョカン(ラサの核となる七世紀に立てられた聖堂)のお釈迦様の前世譚を記した壁画(捨身飼虎・ウサギの焼身)をみせて、

 私「かつてダライラマはチベット暦の正月、このチョカンの東広場において、釈迦の前世譚を講義することを習いとしていました。たとえばこの捨身飼虎の図ですが、この物語はチベット人のみならず仏教徒によく知られています (日本でも法隆寺の玉虫厨子に描かれている)。

かつて釈尊が前世にマハーサットヴァ太子にお生まれになった時、一匹の雌虎が飢えて七匹の自分の子虎を食べようとしているのを見て、自らの身をなげうって雌虎に食べさせました。その結果、七匹の子虎の命は救われ、母虎が罪を犯すことはありませんでした。この子虎たちが後に釈尊の弟子たちに転生し、母虎は釈尊の育ての母に生まれ変わります。つまり、捨身とは自分の命を他者の救済のために捨てる究極の菩薩行です。チベット人がチベットの文化の危機を訴えるため、いわば自分をこえた目的のために焼身する背景には、これらの仏教思想の影響があります。

 麻生さん「中国においても、開発業者に立ち退きを迫られた人が、抗議のために焼身する例があります。しかし、そこにはチベットのような宗教的な意味はあまりません。彼らは行き場がないから死ぬんですね。中国では役所と裁判所と警察は仲良しなので、家を奪われようという人が裁判所に訴えると、裁判所は警察に通報して訴えた人間は逮捕されます。そこでおいつめられて焼身するのです。ですから、中国人がチベットの焼身を見聞きしても、それは単なる究極の抗議だとしかみられていないでしょう。」

司会「焼身抗議でなくなる方はみなダライラマ法王のチベットへの帰還を訴えています。ダライラマはチベットにとってどういう存在なのでしょうか」

 私「チベットの歴史説話においては『チベットは観音菩薩の祝福する地である』と信じられています。釈尊がなくなられる前、自分が布教できなかったチベットを観音菩薩に託し、そのご縁で観音菩薩はチベットの地を見守ることとなったといわれています。チベット人にとって観音はチベット人の発生を見守り、文化を授け、七世紀には開国の王ソンツェンガムポ王となって、チベットに仏教を導入した大恩ある存在です。

開国の王ソンツェンガムポは七世紀にマルポリの岡の上に宮殿をたてたとされ、1643年に着工され1697年に竣工したダライラマの宮殿ポタラ宮の中にはこのソンツェンガムポ王ゆかりのお堂が包み込まれています。つまり、チベット人にとってダライラマは太古の昔よりチベットを祝福し、導いてきた観音菩薩の化身でありかけがえのない聖なる指導者なのです。

18世紀初頭、チベットを訪れた宣教師も、ダライラマはチベットの政教のトップにあり、観音菩薩として人々に愛されあがめられていることを記しています。社会主義思想の影響により、現在、宗教を人民の搾取の道具であると考える人がたくさんいますが、仏教の商売敵であるキリスト教の宣教師ですら、人々のダライラマに対する愛とダライラマのチベット人に対する愛を記録している以上、それを後世の人間が否定しても意味はありません。

 1959年にダライラマはインドに亡命しました。それから半世紀、ダライラマは中国に対して、忍耐強く対話を呼びかけ、1989年のノーベル平和賞の受賞に象徴されるように、世界平和の護り手として、チベット人のみならず、人類全体から尊敬されるようになっています。従って、中国人から未開の民であるかのように見下されているチベット人にとって、国際社会の尊敬を受けるダライラマは誇りであり、人々が思いやりをもって生活していた伝統的な社会の象徴なのです。本土のチベット人が、『ダライラマの帰還』を叫ぶことは、チベットのアイデンティティを取り戻したいという意志の表示でもあります。」

麻生さん「中国人にとってダライラマは分離独立勢力の親玉という認識です。一部の人権派の弁護士が『チベット独立運動家』の弁護をしようとしていますが、うまくいってません。人権を守るために民間で活動している人たちも、チベット問題に手を触れると自分たちの活動自体が危うくなるのであえて手を出そうという人はいません。チベットに同情的な知識人は軟禁状態です。」

 私「そもそも、ダライラマは1987年以後独立という言葉は一言もいっておりません。そもそも、中国国内で独立運動の活動家としてつかまったチベット人も、その行動はといえば、故郷の若者たちに奨学金を出して就学の機会を与えていたなどきわめて穏健なものです。自分たちの民族や文化を保持しようとしただけです。つまり、今の中国政府の下ではチベット人は中国人よりも、さらに弱い立場にいるのです。ところが中国人にチベット問題について水を向けても、圧倒的多数は『政府は少数民族は優遇するが、漢人は競争にさらされている。外国人には投資をしてほしいから優遇するが、自国民には厳しい』といって、自分の被害者意識を述べたてるばかりで、自分たちがチベットに対して行ってきた行動に対しては無神経です。」

 麻生さん「中国人が強い被害者意識に囚われているのは、政府の圧政があります。あの圧政の下ではみな自分のことを思うのがせいいっぱいで、チベットのことまで考えられません。多くの中国人はチベット問題に無関心で、観光地くらいの位置づけです。」

 私「報道統制と愛国教育によって、漢人は政府がチベットで何をしてきたのか、チベットにどんな歴史があるのかもまったく無知です。にも関わらず彼らは、なぜか自分たちはチベットのことをよく知っていると思い込んでいて、チベット人の頭ごなしにチベットについて断定的に語りますよね。あの根拠のない自信はどこからくるのでしょうか?」

麻生さん「中国人は外国人に何か言われることがとにかくイヤでなんですよ。とくにチベット問題は漢人が一致団結して聞く耳もたなくなるテーマです。日本でも中国研究者などの集まりにいくと『日本もそういうところがあるから』とはっきり中国政府の批判をする人はいません。むしろ中国の民間の活動家の方がはげしく政府批判をするくらいです。わたしははじめてこういう集まりに出ましたが、老若男女様々な聴衆がいて健全に議論していますね(これはほめ言葉であろうか、それとも・・・)。」

私「中国を研究している人々は入国を拒否されると研究がなりたたなくなるので、自然と自主規制するのでしょうか。中国の報道統制は国外でも有効なわけですね。」

麻生さん「中国人でもキリスト教徒の弁護士さんはチベットに心を寄せています。私は中国に入国拒否されてから、香港に行くようになりました。そこで雪の下の炎(23年間投獄され国際的な釈放運動で自由になったチベット僧のドキュメンタリー)の上映会にいったのですが、それも教会で行われていました。」

私「それで思い出したんですが、最近劉燕子さんの『反旗』という著作を寄贈頂いたのですが、彼女が認めた民主活動家の方はかなりの確率でキリスト教徒なんですよ。そこで思ったのですが、中国人がもし儒教でも仏教でもキリスト教でもいいので、それらを通じてモラルや普遍的な価値に気づくことができれば、彼らも変わることができるのではないでしょうか。麻生先生が『中国人が日本人をどう見ているか』で、中国人自身が東日本大震災における日本人の秩序ある行動をみて自らのモラルのなさを嘆くという話を著されていましたよね」

麻生さん「モラルとは一人や二人がまもっていても、大多数がまもらなければ意味が無いんですよ。中国の場合、モラルや普遍的価値に基づいて行動する人はほんの一握りです。中国人の大多数が普遍的な価値に基づいて行動するようにならない限り、民主化しても地球環境や民族文化の保全といった普遍的な部分にいたるまで、国際社会が納得するような行動をとるようになれるとは思いません。私は中国の民主化が進めばチベットの状況が変わるという見方には否定的です。」

私「同感です。民主主義というのは多数決ですから、自分の利益のためだけに動く人々が多数決で何か決めても、ナショナリズム(自民族の利益は自分の利益のもっともわかりやすい延長)の暴走とマイノリティの弾圧など、今までもすでに起きているろくでもないことがさらに拡大して起きるだけです。

圧政の下で、大半の中国人は普遍的な価値とかモラルに親しむことができず、自分の利益しか考えていません。しかし、このような社会はチベット人ばかりでなく、中国人自身にとっても生きづらい社会です。簡単な話、人間の普遍的な価値について説くダライラマの話を漢人が理解すれば、チベット人も漢人もそして世界の人々も幸せになると思いませんか。」

司会「麻生さんは去年の十一月と今年の二月、中国への入国を拒否されています。そのような状況下でこの集まりにお呼びすることは麻生さんのお立場にとって悪いのではないかと心配したのですが、男気のある方で来てくださいました。よろしかったら中国政府の情報統制についてお話ください。」

麻生さん「去年は全日空で北京に入り、今年は香港から中国への入国を試みましたが拒否されました。最初の入国拒否の時は飛行機の席まで警察が乗り込んできて、別室につれていかれました。たぶん全日空が乗客名簿をわたして、それで私の席がわかったのでしょう。入国しないうちは私は中国の法に従う必要はないので、向こうも『中国語がうまいですね』などとおだてて『とにかく日本に戻れ』とだけいってきました。帰りの飛行機賃を『16000元のところ10000元にまけてやる』と言われましたが、『そんな金ない』といったらタダでのせてくれました。今年二月の場合は、やはり理由をきいても『前回と同じだ』と言われ前回も理由を聞いてないので入国拒否の理由は分からずじまいです (笑)」。

と話しが佳境に入ってきたところで、カチェン ロサンシェーラプ師入場。
ザンスカール生まれの47?才。平岡センセによると、カチェンとはタシルンポ寺でゲシェ(博士)を意味する称号。ようは今回来日された僧侶たちの中で最高位の方である。私が簡単に彼の寺の歴史についてダライラマ一世がたて、管長はパンチェンラマ。

カチェンは「政治の話はできません」とあらかじめお断りをされてから、10世パンチェンラマが1989年に急死したこと、その生まれ変わりとされるゲンドゥンチュキニマ少年を、ダライラマ14世が1995年に認定すると、その数日後、ニマ少年は拉致されて行方不明となったこと。中国政府がゲルツェンノルブという別の少年を転生者にしたてて、パンチェンラマとして即位させたが、このゲルツェンノルブを認めるチベット人は全くいないこと、転生の選定という宗教的な事柄に政治がかかわることはしてはならないことなどを語られた。

 司会者が「共産党のたてたパンチェンラマは、今年二階級特進でわずか二四歳で中国仏教界のナンバーツーの位置に就いたこと。亡命政府は失踪中のパンチェンラマの誕生日4/25をパンチェンラマデーにして彼の救出を考える日と制定したと補足。
 さらに「中国に対してどのような思いがありますか」という質問に対して

カチェン「ダライラマ法王同様、私も中道政策(独立と同化の真ん中である自治)を支持します。殴られたからといって殴り返せば相手が恨んで、また、殴られます。やられたらやり返すということは報復の連鎖しかうみません。中国政府が変わるのは難しいかもしれませんが、民間の人々が仏教を学び〔仏教を通じてモラルを身につけ〕民主化していくことは可能ではないかと思います。」とおっしゃった。

 会場のからの「私は大学に入りましたが、まったく勉強に興味がもてません。どうしたらいいでしょうか」という脱力する質問に対しては

 カチェン「私はザンスカルというものすごいド辺境に生をうけ、一三歳で出家しました。だからみなさんの考える学校の勉強についてはわかりません。ザンスカルにいる頃、経典も読めず文字も読めず、このままではいけないと、ザンスカルのお寺と関係の深い親寺のタシルンポ(南インドにバイラクッペに再建)に留学しました。それからはよく勉強しました。朝起きて経典の勉強をして、朝ご飯をたべてそのあと論理学のディベートをし、またお経の勉強をし、夕方にはまた、つまりは食べて寝る時以外は勉強をしていました。

私は政治のことを話せるようなふりをしてここにきていますが、じつは政治のことは分かりません。〔僧侶の生活は〕とても幸せです。あなたも勉強に興味がもてないとか情けないことは言ってはいけません。あなたが勉強することはあなた自身の役に立ち、他の人の役に立ち、社会の役に立ち、国の役に立つのです。勉強をしなさい。

今日はこのような場におよび頂いてありがとうございました。チベットのこと、世界中でおきている苦しんでいる人のことを気にかけてください。」
と話を結ばれた。
 
 高僧はやはりよい話をされる。

 主催者からカタの贈呈があり、会場にいたモンゴルの歌姫オドバルさんが、愛息にカタをもたしてカチェンへご挨拶。ほほえましい~と思ったら、オドバルさんが愛息のあたまをラマの下に押しつけた三礼させたのは、ワロタ。

 モンゴル人はチベット人の伝統的なお施主民族だから、カタ奉献一つみても過去の歴史の場面が思い起こされて胸アツになる。

 カチェン「私は政治の話をできるようなふりをしてここにいますが、じつはできないんです。私は幸せです」という言葉はじつは、そのまんま私の思いでもある。チベットがこのような状況でなければ、カチェンはただ学僧として論理学の勉強をし、わたしもただ歴史の研究をしていただろう。この悪しき時代が、世が世なら出会わなかった私たちをこの日本のこの場で出会わせたのだ。
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DATE: 2013/05/02(木)   CATEGORY: 未分類
イベント詳細情報
■チベット フェスティバル トウキョウ(飲食は売り切れ次第終了(笑)。五時から仮面舞踊)

タシルンポ僧院を中心に24名もの僧侶が来日して砂マンダラ、チャム(仮面舞踏)、タンカ展等々チベットの衣食住を通じてチベットを総合的に紹介する文化敵フェスティバル。

日時: 2013年5月1日(水)~6日(月)10:00~19:00 場所: 大本山護国寺 入場無料目玉の「チャム」は有料。
詳しくは→http://www.tibethouse.jp/tibetfes/index.html


ショートステージ(ステージ リンカ)

5/1 16:30〜17:00
「チベット仏教について、お坊さんの1日、お寺の教育について」
講師:カチェン・ロブサン・シェラプ師(タシルンポ寺カチェン)

5/2 16:30〜17:00
「チベット文字について」
講師:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)

5/3 11:00〜11:30
「チャム(宗教舞踏)について」
講師:タシルンポ寺僧侶

5/3 12:00〜12:30
「バター茶とチャンについて」バター茶作りの実演
バター茶作り実演:タシルンポ寺僧侶
講師:タシ・ギャムツォ

5/3 16:30〜17:00
「チベット国旗について、タルチョについて」
講師:タシルンポ寺僧侶

5/4 11:00〜11:30
「祈り(オムマニペメフメム、五体投地等)について」
講師:カチェン・テンジン・カルデン師(タシルンポ寺カチェン)

5/4 12:00〜12:30
「ツァンパ(チベット人主食)について」
講師:タシルンポ寺僧侶

5/4 16:30〜17:00
「チベット民族衣装”チュパ”について」
講師:マリア・リンツェン(ダライ・ラマ法王通訳)

5/5 11:00〜11:30
「チベット仏教について」
講師:テンジン・カルデン師

5/5 12:00〜12:30
「バター茶とチャン(チベットのお酒)について」
講師:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)

5/5 16:30〜17:00
「法王とダラムサラ」
講師:マリア・リンチェン(ダライ・ラマ法王通訳)

5/6 11:00〜11:30
「チベット僧による問答の実演」
講師:タシルンポ寺僧侶達

5/6 12:00〜12:30
「チベットのおじいちゃん、おばあちゃんは何故ボケないか」
講師:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)

5/6 16:30〜17:00
「チベットの現状」
講師:ラクパ・ツォコ(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表)


■ もっと知りたいチベット(毎日 13時開場/13時30分開演 ほぼ二時間 会場の天風会館は護国寺駅でて目の前です)

この企画に連動して護国寺に隣接する天風会館で、現代チベット事情を伝えるイベントが開催される。チベット・イン・ソングは、チベットで民謡を録画していただけで、政治囚として刑務所にいれられていたガワン・チュンペー氏のドキュメンタリー。本人も招聘されています。

 ●対談「チベットの眼 中国の眼」石濱裕美子教授×ライター麻生晴一郞さん【日時】5/3(祝)13:30~ 
【会場】天風会館102号室
【参加費】500円

 ●映画「チベット・イン・ソング」日本初公開・監督トーク

【日時】5/4(祝)13:30 ~・5/5(祝)13:30~ 
【会場】天風会館406号室
【チケット】1500円
詳しくは→http://tibetinsong.info

 ●「TIBET MOTHERLAND」フォトジャーナリスト野田雅也さんによるスライド&トーク
【日時】5/6(振休)13:30~
【会場】天風会館102号室
【参加費】500円

詳しくは→http://www.sftjapan.org/nihongo:motto2013

■東京外大を会場とする関連企画

 ●チベットの仮面舞踊(チャム)を知ろう!

 講師:カチェン・ロサン・シェーラプ(タシルンポ僧院管長代理)
 通訳・解説:三浦順子(翻訳家)
 
【日時】2013年5月4日(土)14:00-16:00(13:30開場)
【会場】東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3階 304室
【参加費】無料(要予約)

◎申し込み方法:本ページメニュー欄の「お申し込み」をクリックしてお申し込みください。詳しくは→http://kokucheese.com/event/index/85695/

 ●チベット音楽の夕べ パッサン・ドルマ・ミニライブ

【日時】2013年5月7日(火)18:00-20:00(17:30開場)
【会場】東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3階 303室
【参加費】無料(要予約)詳しくは → http://kokucheese.com/event/index/87898/
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