白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2013/12/25(水)   CATEGORY: 未分類
13年納会の風景
ゼミの冬至のお祭りと年内最後のチベット語購読会が終わり、今年もいよいよ終盤である。

 年内最後の授業には、ゼミOBのT原が「年末のご挨拶」なるものに現れた。Tは「つぶれそうで、つぶれない店」に特集された店の跡取りなのだが、なぜかエラソーなあごひげをはやしていた。彼は「南方熊楠をめざしている」といっていたので、在野の怪人になる第一歩なのかもしれない。Tは気を利かせて、クリパのビンゴゲームの景品をもってきてくれたので、急遽T原賞を設定する。

 クリパの幹事はコンパが終わったあとで、「食い足りない」と、二次会に食べ放題の店を探す男であり、ドラえもんなみの体型である(推定123キロ)。昨年のクリパのカフェ飯の貧弱さにいたくご不満があったようで、今年は幹事の大権により、ピザ食べ放題、飲み放題のシェーキーズが会場となった。

 お店の人「飲み物はピッチャーでお持ちします。ピッチャーが空になるまでは次のピッチャーはお持ちできません。ピザも一皿空にしないと次の皿はきません」という趣旨のルール説明がある。

 私「死ぬほどまずいサワーとかがきたら、ピッチャー飲み干せなくてそこでアウトじゃないの」と思ったが杞憂であった。彼らは何でも象のように飲んだ(笑)。

 I川「アイスコーヒーもピッチャーでくるんですか」

 N沢「みんなある程度たべ進んだら、複数のお皿の残りを一皿にまとめて、次の皿を注文しよう。これが食べ放題の義務だ」

 と異様にもりあがる。そして、ビンゴゲーム、クリプレ(500円しばり)の交換会と進む。

 去年私にはI川のプレゼントがあたり、それは有馬記念の大穴馬券であったため、クリスマスとともに紙切れとなった。しかし、今年はI村くんの500円クオカードがあたっため、ひさびさに内容があってカンゲキ。しかも、カードにはFree Tibet!と書いてある。これがこのプレゼントを私にひきよせたのであろう(他にはこの言葉はなかった)。

 今年の四年生は奇跡的に就職留年が一人であとは全員満期除隊というまじめ学生ばかり。そのせいか去年ほどは、むちゃくちゃなプレゼント(生野菜、水6L etc.)は少ない。

 私のプレゼント(ワンピースのキャラものつめあわせ)は演出により幹事へと送られた。ありがとう、K原くん! 君がサンタの格好してずっと立っていたのは、会をしきるためと、巨体で店の椅子を壊さないためだったのは分かっていたよ(笑)。

 ありがとう。

 その翌日はチベット語の購読会の年内最終日。七月くらいから読んでいたダライラマ13世の伝記(ラサに侵攻する英軍に追われて1904年から1905年にモンゴルへと逃亡した時期)をむりやり読み終わった。あまりにもハードであったため、朦朧としたKくんは私が会のあと『食事に行く?』と聞くと、

Kくん「すいません、六時からブリヤート(バイカル湖の畔にすむロシア領内のモンゴル人)でちょっと・・・」

私「ずいぶん遠くで用事があるんだね」

と池袋とブリヤートを間違えるくらいであった(「ぶ」しかあってない)。
 
 残るみなでカチン料理屋にいく。

 そこで、院生Mがシェアハウスの個室から、ゲストハウスへと身をおとしたため、彼のグッピーが行き場がないという話になった。
 ちなみに、院生Mはこの一年本当に不真面目だった。バイトが忙しいとか、何とかいって、この日に限らず、購読会を立て続けに休んでいた。

 バイトをしなければならない理由はもちろん研究生活を続けるためなんて殊勝な理由ではなく、気の触れたような計画性のない金遣いである。これまで何度も注意したのにまったく改まらないため、余程すごい前世の因縁か、脳内の配線の狂いがあるのだろう。

 そもそも彼が『魚を飼う』と周りに宣言した時、「旅行の時はどうするのか」「ホストにいれあげて幼児を餓死させたキャバ嬢みたいに、世話をしない結果魚が死ぬのではないか」とみなが懸念したが、最後まで世話できないという思った通りの展開に。

 引っ越しが決まった時、彼は「多摩川には飼えなくなった熱帯魚が捨てられて、折からの温暖化から冬を越せるようになり、タマゾンと呼ばれている」とかいっていたので、彼の脳裏には多摩川に放流するという選択肢は絶対去来していた。

 しかし、さすがに、それがまずいことに気づくくらいの倫理感はあったようで、もらってくれる人を探しはじめた。ちなみに、「水槽と周辺機器ともども先生が買い取ってくれないかな」とか言っていたらしい。ずうずうしい。

するとK嬢が「最近猫がいなくなって寂しいので、いいですよ」と快くグッピーをひきとってくれるという。そこで、院生Mに電話。

K嬢「Mくんのグッピー私がひきとってもいいよ。・・・・今どこにいるの? 東京駅? ・・・え? 38円しかない?・・・スイカにはお金がはいってない? え50円しかない? ・・・」と、院生M、平常運転である。

 そして、もう食事も終わりかけた頃、院生M現れる。
「へへへへへ、セブン銀行で手数料払ってお金おろしました(ちなみに土曜日)。ここだけでも来られて良かったです。何話していたんですか」

O川さん「あなたに関するグチを延々と聞かされていました」

院生M「あ、Kさんは?」

「六時からブリヤートで用事だって。それよりあなたこの寒いのに何で半袖シャツなわけ」

院生M「引っ越す時、荷物を減らさなきゃならなくなって、断捨離したんですよ。ときめかないものを捨てていったら、半袖ばかりになって、ズボンもこれ一着しかないんですよ。それに見てください。尻に穴が開いたんです。」

「見せんでいい。ユニクロに行け!」

院生M「えー、ユニクロですかー、おしゃれじゃないです。バイト先の人も『他にバイトしていないの? 困っているんじゃないの?』って心配してくれて、シフト一杯いれてくれて」

「あなた前に『なぜ、勉強会に来ないのか』と問い詰めたら、バイトを理由にして『新人だからシフト一杯いれられる。他の人はこんなにいれられていない』ってまるでお店の人が悪いかのようにいっていたけど、今聞けばすごいいい人じゃない。また印象操作したな。」

 以上のやりとりからも分かるように
「院生Mの発言は鵜呑みにするな、厳しい資料批判をしろ」
は鉄則である。最初から疑ってかかるのも、人としてどうかと思うので、とりあえず院生Mに言わせておいて、第三者の証言などから裏付けを行い、なめたマネをしている場合は、叱りつける。研究以前の基本的な部分でものすごい時間がかかる。日常生活で当たり前のことを行わせるために、普通に資料批判とか、裏付け捜査をせねばならないのは何の因果なのだろうか。

 私が院生だった時は、指導教授は研究に集中できなくなるという理由から、バイトを禁止していた。今は博士余りの時代で、ポスドクの未来が見えないから、バイトをする人がいるのは一般論としては理解できる。

 しかし院生Mの場合は、必要なものを捨て、必要でないものを買うことの繰り返しで金欠となり、バイトをしているのだ。そもそも前提が腐っている。

 そのバイトというのがこれまた風来坊の院生Mらしく、タイ・マッサージ。彼はこのマッサージの資格をとるために何度もタイのワットポーに足を運び、集中講義をうけている。その真剣さの一部でも研究にまわしてくれたら、今頃論文の二三本は余裕にかけているはずだ。

院生M「手に職があれば、最低でもマッサージで食べていけるじゃないですか。タイの道ばたでマッサージやっている人を見て、『ああ、マッサージが出来れば、食べていける』と気づいたんです」

 O川さん「日本の道ばたでマッサージやって、お客さんが来るかな」

 O川さん、ナイスつっこみ。

 これでは大河ドラマよりも長いグチが続いてしまうので、とりあえず、院生Mの言い訳を聞きましょう。

 院生M「ボクよりひどい人は一杯いますよ。この前バーで皿洗いのバイトをしていたら風俗のおねえちゃんがきて、こんな話をしていました。道を歩いていたら、ホームレスの人が自分のお父さんであることに気づいて、そしたらホームレスのお父さんも娘に気づいて猛ダッシュで逃げて、そのおねえちゃんは『その人は私のお父さんです~。、捕まえください』と通行人の力をかりてお父さんを捕獲して家に連れて帰ったそうです。しかし、またお父さんは路上に戻ったそうです。この人たちに比べたらボクなんて普通かな? なんて」
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DATE: 2013/12/05(木)   CATEGORY: 未分類
「恐怖を乗り越えて」(バーチャル千羽鶴)
2008年3月、ダライラマ14世のインド亡命以後三回目となるチベット人蜂起がおこり、中国政府の容赦ない弾圧が加えられた。
言うまでもなく、2008年は北京五輪の年である。チベット人蜂起も北京五輪と大きな関係がある。
五輪の開催にあたり、世界は中国政府に対して、報道の自由の約束・人権状況の改善・チベット問題を解決するためのダライラマ法王との対話を行う事などを条件付けたものの、中国政府はそれをまったく果たさなかった。

その前年の2007年にダライラマ法王はドイツのメルケル首相、カナダのスティーブン・ハーパー首相などと直接会見し、はてはアメリカの議会からゴールドメダルの奉呈をうけるなどしたのは、先進各国が暗に中国政府に対して「チベット問題の解決にあたりなさい」と発したメッセージであったことはよく知られている。

しかし、それらのメッセージを華麗に無視して、中国政府は五輪を国威発揚の場としようとしたため、北京五輪の開催を半年後に控えた2008年3月、チベット人はきれてしまった。最初は蜂起記念日を祝う小さなデモであったが、それが過剰に抑圧されたたため、抗議した人々が一部暴徒化した。中国軍は治安回復を格好の口実にしてチベット人を武力制圧し、この時、多くの人が逮捕・拘留された、今なお行方の知れない人がいる。

この時期に逮捕されたチベット人の一人がドキュメンタリー『恐怖を乗り越えて』の主人公、トンドゥプワンチェンである。彼は前年2007年にビデオを手にしてチベットに入り、108人のチベット人の嘘偽りのない声を集め、それを国外に送り出した。その直後、逮捕拘留されて現在も刑務の中にいる。

トンドゥプワンチェンの行ったインタビューにより、五輪開催時のチベット人の気持ちについて見てみよう。

まず五輪に対するチベット人たちの声。

「中国人は自由でもチベットには自由はありません。」
「世界中の人が五輪に集まると聞きました。ダライラマ法王はなぜ参加できないのでしょうか」
「とても不安な感じがします。暗闇の中をあてどもなくさまよっているような感じです。中国人は信じられません。全く」
「五輪のせいで物価が上がって、貧しい私は食事もろくにとれません」

次に、中国人がチベット人に与えているという「優遇策」について

「遊牧民は遊牧を禁じられて定住を強いられている。これらの家(中国政府が定住化政策でたてた家)は外側は外国人にはきれいにみえても、チベット人には自分の状態を伝える自由もない」

「中国人は高地に住むのは不便だろう、といい私たちから農地や牧地をとりあげて移住を強制する。しかし、彼らは我々の土地からでる天然資源が欲しいだけだ。」
 
次に、中国政府が「チベットの文化を保存している」ということについて

 字の読めない牧民たちに文字を教える19才の青年「〔文字を教えるのは〕全てのチベット人が家族のようになるためです。文字の読めないチベット人たちにチベット文字を教えて識字率をあげるのは大切なことです。」

「私たちの言語は危機に瀕している。チベット人の数が少ないから、中国語にかき消されていく。どこいっても中国語が聞こえてくる。」

トンドゥプワンチェン「中国人はチベット文化を保存するため多くの金を使い組織を作ったという。しかし、彼らは言うこととやることが正反対だ。もし本当にその気があるなら、〔大量の漢人移民がチベットの文化を消滅させているので〕チベット人の住む地から中国人をひきあげさせろ。」

チベット仏教に対する中国政府の態度について

「中国人はチベット人に宗教の自由を与えているといいますが、自由はないです。ダライラマ法王がチベットにいないことがその証です。ダライラマ法王が帰還するどころか、地方の役人たちは中国に連れて行かれ、「ダライラマの帰還を望まない」との念書を取られ、その見返りに多額の金を与えられている。」

「私たちはただの遊牧民ですが、私たちは全ての祈りをダライラマ法王に捧げます。全ての祈りの中に法王がいらっしゃいます。」

僧侶が泣きながら「ダライラマの帰還はすべての人の夢。でも実現の望みは少なそうです。ダライラマ法王の名前を口にするだけで、強い信仰と深い悲しみを感じます。状況は絶望的です。もう疲れ果てました。一人であてもなく終わりもなくさまよい続けているようです。」

60才女性 「死ぬまでに一目でもいいからダライラマ法王を拝みたいです。100頭の馬と1000頭の牛と引き替えにしてもかまいません。」

私はインタビューのこの台詞をみた時に、広州で会社の社長さんをしているという日本人がウイグル人が天安門につっこんだ際にツイッターでしたコメントを思い出した。

要約すると、彼は「ウイグル人は新疆から都心に自分から仕事を求めてでてきて、屋台とかひいていて、顔も言葉も違ってまったく外国人。まったく中国に溶け込んでいない。」そして彼はチベットに行った時、チベット人の巡礼者が五体投地しながらラサに向かうのをみて、「道中行き倒れたら、頭上をまっているハゲタカに食われる。この文化は残さなくていいと思った」

 この発言は日本人の口からでているものの、実は中国大陸にすむ漢人大半の意識を見事に表現している。漢人社会に長く住むとやはり考え方がマジョリティの影響を受けるのであろう。

 ある文化を残す意味があるか・ないか、彼らが幸せであるか・ないかを、当事者ではなく、その文化をまったく理解していない外来者やマジョリティが判断するいかがわしさ、相手のためといいつつ、それがどこか自分の利益につながっている醜さに対する無関心が実に怖い。

トンドゥプワンチェンのインタビューに答えた人はみな自分が危険なことをしていることを知ってた。トンドゥプ・ワンチェンは「顔を出さなくてもいい」と発言者に伝えたものの多くは

「このフィルムをダライラマに捧げることができたら死んでも良い、顔を見せなければ、意味が無い」と顔をだすことを承知してくれたという。

中国政府は逮捕や拷問による恐怖によってチベット人を沈黙させている。このドキュメンタリーの題名は、死と痛みに対する恐怖を乗り越えてでも、自分のメッセージを世界に届けようとした108人の草の根の決意を意味しているのである。

トンドゥプワンチェンは逮捕後、五年の刑期を宣告された。今年は丁度刑期の満了する年である。これまでも中国政府は理由無く政治犯の刑期を伸ばしてきたため、釈放に向かわせるため世界同時にバーチャル千羽鶴をつくるアクションが行われている。

これまでも「獄中にいる●×のことを世界は忘れていないですよ」と意思表明するこのようなアクションによって、多くの政治犯が、獄中での拷問死を免れ、釈放され海外に脱出してきた。

簡単なアクションで、オリガミで鶴を折って、日本的な背景でうつしてこのサイト中のアドレスに送るだけ。日本的な背景例としては、富士山とか、渋谷交差点とか、アキバとか(笑)。

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 日本では「言論の自由・報道の自由」が保証されているため、過激な性表現、ヘイトスピーチ、デマ、妄想でも自由に発信できる。日本ではブログやツイッターで政府を批判しても、デモをしても逮捕されることはない(今のところは)。

一方、トンドゥプ・ワンチェンもそのインタビューにこたえた108人の普通のチベットも、2008年にデモをしたチベット人も、命をかけて事実を証言し、デモをしに町に出た。本当の気持ち口にしただけで、なぜ彼らは刑務所にはいらねばならないのか。彼らこそがもっとも言論の自由と報道の自由を必要としている人たちである。

言論の自由と報道自由と集会の自由を誠に大事に思う方は、ぜひぜひこの千羽鶴アクションにご参加ください。

「背後にはもっと多くの無名の政治犯がいる。一人くらい救っても仕方ない」ではなく、「一人を救えば、次も救える」と前向きに考えてみると明るい気持ちになるよ。
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DATE: 2013/12/02(月)   CATEGORY: 未分類
2013年チベット関連五大ニュース
 師走に入り、「チベットを一年あなたのおそばに」チベットカレンダーができあがった。ちなみに、このキャッチは私が使い出したが誰も追随してくれない(笑)。

 このカレンダーの撮影者は、まずアルピニストの野口健さん。野口健さんは2月14日のチベット独立宣言100周年のイベントにも講師に来てくださり、チベット問題についてははっきりとしたスタンスで応援してくださった、男気のある方である。

 残る三人の撮影者は、毎度おなじみチベット写真といえばこの人たちトリオ、SFTジャパンの代表・ツェリンドルジェ、チベット亡命政府の所在地ダラムサラにすんで約30年・建築家中原一博氏、躍動感ある美しいチベット写真を撮ることで評判のフォト・ジャーナリスト野田雅也氏のお三方である。

 2014年チベット・カレンダーはネットでこちらから中身が見られて、申し込みもできます。

 このカレンダーの作成元はSFTジャパン。今年SFTジャパンは、チベット独立宣言百周年記念イベント開催、チベット・フェスティバルにおける「チベット・イン・ソング」の上映、チベット・中国トーク「チベットの眼・中国の眼」などを行った。講師に呼ばれている私が一銭ももらっていないことが示すように、まったく手弁当持ち出しのクリーンかつ理性的な団体です(爆笑)。

 私はいつも10部買って勉強会の面々に配布しております。チベットの祭日がわかるページもあるので、みなさまもぜひお手元に。ダライラマ法王の写真もありますよ。

 さて次は、年末恒例「独断と偏見で選ぶ今年のチベット五大ニュース」の発表です。

グローバル・レベル五大ニュース

(1) 1月11日 モンゴル・チベット条約100周年
(2) 2月13日 チベット独立宣言100周年
(3) 7月21日~7月27日 蒙蔵条約100周年を記念して国際チベット学会がモンゴルで開催
(4) 3月10日~11月30日 チベット人サイクリストがチベット問題を訴え欧州・アジアをまわる。
(5) 10月8日 カギュ派の高僧アコン・リンポチェ、成都で殺害さる。


個人的二大ニュース


1. 7月 元ギュメ学堂座主、ガワン先生の生まれ変わりが公式認定される。
2. 11月19日 日本初、ダライラマ法王をチベット研究者が囲む会が開催。

 私は歴史研究者なので、やはり五大ニュースのうち1から3は歴史関係になった。2013年は、モンゴル・チベット条約とチベット独立宣言が百周年を迎える年であり、この二つの事件はチベットが近代的な文脈で中国の支配を明白に拒否した事象であることもあり、チベット界ではメモリアルな学会やシンポジウムが行われ、論文や研究書が出版された。

 三年に一度開かれる国際チベット学会の主催国がモンゴルになったのも、モンゴル・チベット条約にちなんでである。国際チベット学会のアジアでの開催は、日本についでようやく2国目であるため、いかに関係各位の気合いが入っていたかが分かる。

 チベット仏教はモンゴル人が中国を征服してたてた元朝、満洲人が中国を征服してたてた清朝の両巨大王朝の皇室で崇拝され、非常に大きな影響力をもった勢力である。
 にも関わらず、アジアの歴史学は近代に入って勃興したナショナリズムやら、伝統的な中華思想やら、マルクス史観に流されまくり、その結果、現在国がなく、僧侶が文化と政治の中枢をになっていたチベットの歴史は、はっきりいって絶滅寸前。かつてチベットが有していた影響力が正当に評価されているとは言い難い。

 なので、この百周年を機に、バイアスの入っていないありのままのチベットの姿が少しでも研究者や一般人に知られるようになってほしいと切に願う。

  私の研究もこれらの歴史的事件の百周年にあわせて「18世紀の清朝のチベット仏教信仰」から近代史(20世紀初頭のチベット・モンゴル関係)へとシフトした。私の研究テーマはざっくりいって最初は17世紀のダライラマ五世の時代のチベット・モンゴル・満洲関係史であり、2004年くらいから清朝最盛期の皇帝、乾隆帝のチベット仏教徒としての姿を研究する研究にシフトし、さらに今年20世紀初頭のチベット・モンゴル関係にシフトした。
 当然何のインフラもないため、近代モンゴル史や近代チベット史につよいKくん、Tくんの助けを借りつつ、去年の暮れくらいからまじめに各種研究会に顔をだし、このジャンルの基本的な知識を身につけ、さらにこの夏はダライラマ13世の著作の研究に沈潜した。
個人的には家にこもってばかりいて、あまり日に当たらない年だった(笑)。
 
 節目の年に他者の研究到達点が明らかになったところで、いずれ先行研究を踏まえて、このテーマで英語の本でもだしたい。

(4) のチベット問題を訴えるサイクリストとは、われらがリンポ・ヤク氏である。ダライラマ14世を護るためにチベット人が蜂起した記念日、3月10日に現在の祖国であるアメリカをたち、単身自転車でヨーロッパ各地をめぐり、8月はじめには日本にきて、東京名古屋間を往復し、帰路は富士山に登ってみなを驚かせた。リンポ氏は日本では結構新聞にとりあげられ、とても平和的かつ効果的にチベット問題をアピールできた。

 日本を離れた後は台湾、香港とめぐって、インドにわたり、インドのチベット人居留域をめぐっていた。そして、つい昨日の12月1日、彼はゴールの亡命政府の所在地ダラムサラに到着した。彼が旅の間に著名人から集めたチベットへの応援サインは、もうすぐダライラマ法王に届けられることになる。

 ●以下それぞれのニュースのタイトルをクリックしますと、そのエントリーにとびます。
 ●私的二大ニュースのうち、前者は高野山紀行のエントリー後編をご覧ください。後者についての報告は年内にはあげたいと思います(笑)。

(1)「チベット・モンゴル条約100周年」(13/1/11)

(2) チベット独立宣言百周年

・「ダライラマ13世の国民への布告(1913年)」(13/01/05)
・「仏の言葉により」(13/02/02)
・「法王の帰還」(13/0209)

(3) 国際チベット学会モンゴルで開催

・「13年13回13パネルの発表者になりました1」 (07/16)
・「チベット・イン・モンゴル(学会編)」 (07/28)
・「チベット・イン・モンゴル(街歩き編) 」(08/04)

(4) チベット人サイクリスト来日

・「チベット人サイクリスト来日」 (13/08/14)
・「ヤクの自転車ヨーロッパツァー」 (13/08/19)
・「チベット人サイクリスト日本を走る」 (13/08/26)
・「日本の夏を駆け抜けたチベット人」 (13/09/11)

(5) 「カギュ派の高僧アコン・リンポチェ殺害さる

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