白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2014/02/22(土)   CATEGORY: 未分類
スミス・コレクション「中国」へ帰る
 ワークショップに来てくださったみなさま、ありがとうございました。そして、2/21日にはアメリカのオバマ大統領とダライラマ14世が会見されました。しかしそれは詳細が分からないので、今回のエントリーはジーン・スミスのチベット文献コレクションが、チベットではなく、中国へ帰るというお話を紹介。

 ご存じの通り、1950年に中国がチベットを完全に占領したあと、チベットの文化は破壊され、多くのチベット文献が永遠に失われた。このような状況の中で、アメリカ人のジーン・スミス氏は、インド、ブータンなどのチベット文化圏に残るチベット文献、チベット難民が持ち出すことに成功した文献などを収集して、影印出版をし、近年はこれらの情報をデジタル化し、チベット仏教資料センターのサイトで公開している。これについては過去のエントリーでも述べた。

 で、ジーン・スミス氏のコレクションが、多くのアメリカの大学の求めをふりきって、スミス氏の遺志に基づいて、中国の四川省成都の西南民族大学に寄贈された。そのニューヨークタイムズの記事はこの文章の最後に和訳してはった(原文はここ)。

 この記事をご覧いただくと分かるが、ジーン・スミスは文献をチベットに戻し、外国からの訪問者に広く開放することを希望していた。しかし、現在の中国政府は外国人、とくにチベットを研究する学者に対してはチベットへの厳しい入境規制を行っているため、ラサは外人研究者にとってかならずしもアクセスのよい場所ではない。そこで、文献は成都の西南民族大学に送られた。また、このプロジェクトは2008年のチベット蜂起の前に計画されていたが、その後事情は大きく変わっている。2008年のチベット人蜂起をうけて中国政府はチベットの同化政策を強化し、この図書館の維持にもまったく消極的となっている。こんな環境で図書館を開館して、果たして本当にこの蔵書が世の中に生かせるのであろうか。

 また、未来にこのコレクションがどのような運命をたどるのかもわからない。もし中国で大規模な内乱があった際、この図書館が安全である保証はまったくない。反日デモの時、成都の日本人経営の建物は一日で廃墟になった。漢人がチベット人に腹を立てた際に、この図書館をチベット文化の象徴と考えて襲う可能性はゼロとはいえない。そうなれば、アメリカの大学にあった方が文献にとって幸せということになる。
 
紆余曲折の後、チベット文献は中国にすみかを見いだした
ニューヨークタイムズBy ANDREW JACOBS 2014年2月15日
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成都、中国。 南西中国にある飾り立てた書架に納められている数千のチベット語の文献は何十年か前であったなら、たき火の中にぶち込まれて終わりになっていたものであった。1976年に終わる文化革命の混乱の間、十年にわたり紅衛兵たちは封建的とみなされたものすべてを破壊した。しかし、一人のアメリカ人学者はこの暴力行為を契機として、チベット文化の遺産を収集し、保護する活動を開始した。

彼の活動の結果、12000件の文献が、その多くはチベット難民の手元から集められた。そして今これらの文献はここ成都西南民族大学のキャンパスに建てられた新しい図書館にもたさられて、何十年もかかった長旅を終えた。

このコレクションの寄贈者であるジーン・スミスは、中国政府がチベット学を厳しくしめつけているにも関わらず、ニューヨークに一時的に集められた文献をここ成都に送ることを強く主張した。スミス氏が友人に語ったように「文献はアジアから来た。アジアこそこれらの文献が属するべき地だ。」からである。スミス氏は念のためすべての文献を電子化してバックアップをした。

仏教学者のための新しい資料

チベット仏教資料センター(TBRC)は10月に成都の西南民族大学に12000件の文献を所蔵する図書館を開館した。文献の管理者は文献の電子化を計画している。中国側の担当者が計画を遅れに遅らせた後.  10月、ようやくスミスの名前を冠した巨大な図書館の傍らで、大学の職員が静かに文献保存業務を開始した。

チベット仏教資料センター (ジーン・スミスが創設に手を貸したアメリカの組織)の資金集め担当者グレッグ・ベイアーはこういった。「ジーンスミスが全世界に共有されるべきと考えた宝石がこれである。」

2010年に他界したスミス氏がいかにして個人のコレクションとしては世界最大級のチベット語の文献を収集し、そして中国に返還するように求めたのかという物語は、生存競争の苦しみの中にある人々(チベット難民)の嵐の中でもてあそばれた歴史をたどる物語である。

スミスのコレクションを当初中国は熱狂的に受け入れたものの、やがて棚上げされたことは、北京のチベット文化に対する矛盾した態度が反映している。すなわち、このコレクションは国家の威信を強化する元であると同時に、多くのチベット人がより強い自治権を持つことを希望してることを考えると、不安の元にもなるからである。近年、チベット人の自治を求める渇望は絶望へと劣化しており、それがチベット人が優勢な地域において多くの焼身抗議を引き起こしているのである。

もし理想的な状況下にあれば、コレクションは、成都から1200マイル離れたチベットの首都、ラサに送られたであろう。しかし中国政府は中国籍をもたない訪問者にチベット入境証を要求し、これらの地域を旅することを求める外国人ジャーナリストに面倒な規制をおしつけるという方針であるため、これがスミス氏の目的、すなわち、「コレクションを世界中の学者が利用できるように自由に解放する」を妨げたのである。〔そのため、コレクションのラサ帰還は実現しなかった。〕

彼は西南民族大学を選んだ。なぜなら、成都の住民は圧倒的に漢人であるものの、この大学はたくさんのチベット人をひきつけており、大規模なチベット人コミニュニティがあるからである。そうはいっても、この町は、チベット高原にむかってそびえ立つ山々の中に点在する、西北地域の伝統的なチベット人の社会とは似ても似つかないが。

 合意の一環として、マサチューセッツ州ケンブリッジに基地を置くジーン・スミス協会は四人の司書(オンライン上で無料で公開されるテクストをスキャンしカタログする作業に専従している)に給料をだしている。彼らは十年以内に世界中の既知のチベット文献をすべてデジタル化することを目標としている。

このセンターの存在が中国中に知れ渡ると、何世紀も前にできたチベット語の文献の所有者たちが、図書館へと集まってきた。この本の中には学者たちが、すでに失われたあるいは破壊されたと思っていたものもあった。これらのチベット文献の中の多くのものはチベット仏教の僧院、仏像、仏典が組織的に破壊された文化大革命の間、チベット人僧侶が隠しもってきたものであった。

11月には、四川省西部にあるドンカル僧院の僧侶がやってきた。彼はかつて出版されたことのない、三百年前に赤と黒のインクで書かれた黄ばんだテクストのコレクションを携えていた。このテクストは15世紀に記された密教の儀軌の写本であった。この僧は司書が6000ページにも及ぶ彼のコレクションをスキャンする五週間の間、成都に滞在し、愛するテクスト現物とCD-ROMに入ったデジタル・コピーを携えて帰宅した。彼らはさらに七巻のテクストを持ってくると誓った。

書架は僧院の書架に似せた色に塗られ、図書館は数千件の旅行記、伝記、西洋の本に似たスタイルで製本された医学書を所蔵している。大半は伝統的なチベット文献のスタイルで、木版を用いて印刷され、ページは綴じられることなく二枚の板の間に挟まれ、明るい色の布に包まれている。

文献はガラス戸の向こうに水平に展示されているので、隣り合った閲覧室は美術館にいるかのようである。紀元前5世紀のインドに始まり、チベット、モンゴルで栄えた仏教の発展過程について研究する学者にとって、これらの文献テクストは文字通り宝の山である。
ハーバート大学においてチベット・ヒマラヤ学をおしえるレオナルド・ファンデルカイプ教授によると「新しく発見された文献はまだ一握りの人にしか知られていない」という。たとえばある文献は13世紀に中国に元王朝をたてたフビライの妻についての知られざる詳細や、19世紀にラサから北京の清朝皇帝の下へ旅したチベットの政治家の旅などを語っているという。

教授はさらにこういった「これらの多くのチベット文献の中には、魅力的な軌道がある。これらの軌道はインドと中国の精神史の中にある空白をうめていく」「モザイクの失われた断片がゆっくりと空白を埋めていくかのようである。」

ジーン・スミスはユタ出身の元モルモン教徒で、32カ国語の言語を操り、人生の大半を議会図書館での仕事に費やした。彼はチベット僧デシュン・リンポチェと出会ってチベット語文献に対する興味を持った。リンポチェはにラサのチベット人の蜂起が中国軍によって恐ろしい弾圧をうけた直後の1960年、ロックフェラー財団の資金によってアメリカに招聘された24人のチベット難民の一人であった。

ジーン・スミスは仏教に改宗した後、チベット語のテクストの欠乏が研究を遅らせていることに気づき、インドに移住しそれ以後25年にわたりチベット語の本を求めてまわった。これらの文献の多くはヒマラヤを徒歩で超えてインドに亡命する難民たちがチベットから持ち出したものであった。

アメリカ政府からだされる資金を用いながら、ジーン・スミスは数千の稀少なチベット語テクストを影印出版した (これらの影印本は後に世界中の図書館や学者へと頒布された)。スミスは常にそのうち一部を手元に残し、そうして集まったコレクションはやがてケンブリッジの彼の自宅を占拠し、最後はトレイラー二台分にまでふくれあがった。このコレクションは複数のアメリカの大学が手に入れたいと切望していたが、彼らががっかりしたことに、スミスは2007年、このコレクションを西南民族大学に贈呈した。しかし、なんとその数月後、ラサにおいて〔北京オリンピック直前のチベット人〕蜂起が起きたため、西南民族大学はこのプロジェクトを凍結してしまった。

西南民族大学の職員はついにセンターを開設し、チベット文献のための国内最高のセンターを創設した。しかし、彼らはこのプロジェクトの推進にはあまり乗り気でないようである。最近の図書館を訪問した時にも、チベット人学生は、「図書館のドアはしばしば閉まっている」と不平をいっていた。しかし、図書館の存在に興奮してこうも言った。

「これは私たちの文化だ。これは私たちの遺産だ。」プチョルという名の学生(チベットは名字がない)は図書館内をめぐってから「我々は自分たちの財産について学び、そして未来の世代のために保護しなければならない。」といった。
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DATE: 2014/02/11(火)   CATEGORY: 未分類
ワークショップ: 古代チベット王国の栄華
 15日(土)のチベット・ワークショップの題名は「古代チベット王国の栄華」となりました。そこで残念なお知らせがあります。院生Mが逐電し連絡がとれなくなりました。鬼のように着信を残し、メッセを送りましたが、まともな説明はなく、1回だけかかってきた電話は「バイト先には来ないでくださいね」と一方的にいって、切られたのであった。

 私はストーカーか(怒)

 しかし、ここで「昔の学生はなあ、師匠をかくかくしかじかに敬ったものだ」とか説教しても、BBA呼ばわりされるのがオチなので、ここは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、責任をとって私が土曜日の講師をすることになりました

 ていうか、現実問題として無報酬・四日前じゃ、誰もやる人いない。

 あはははははは。

 ここ数日私の姿を見物していたダンナ様は「あなたが、なれないメッセージを一生懸命、ケータイで打っている姿には目頭があつくなったよ(院生Mはメールもあけないし、電話にもでないのでケータイのメッセしか連絡手段がない)」と笑い(注; 泣いてない)、もう愛想銀行の預金も尽きた。

 でもA型の私はどこかでこの事態を予測しており(ちなみに院生MはB型)、実は唐蕃会盟碑のテクストもパワーポイントも大体作ってあった。よく天才的なアーティストの初舞台って、主役が急病とかででられなくなったその代役を立派に務めたことだったりするけど、若いモンの尻ぬぐいでロートルが代役をつとめても何の未来もないわい。

 ああ、神様・仏様。チベット史を研究する優秀な若い学徒を我に授けたまえ。もう日本人でなくてもいい。どこの国の人でもいい。宇宙人でもいい(あ、院生Mは宇宙人て呼ばれてた 笑)。

というわけで、あらためて土曜日のワークショップのお知らせ

演題;「古代チベット王国の栄華 唐蕃会盟碑を読む」
場所; 新宿区若松地域センター 第一集会室(アクセスはここクリック)
時日; 2月15日(土曜日)18:30から
講師; 自分W (早稲田大学教育総合科学学術院教授)
参加費: 無料


 腹を立てていても建設的ではないので、2月15日のメインテクストである唐蕃会盟碑の和訳を以下にあげます。私の専門は17世紀以後のチベット史なので、古代チベットは専門から外れるので、不正確な部分もありますが、draft onlyてことで、よろしくお願いします。

 古代チベット最盛期の王レルパチェンが唐の皇帝穆宗との間で822年に戦争を終結するために結んだ盟約の西面和訳です。文面から対等の二国間で講話しているということは彰かですよね。


1 チベットの大王
2 神通力をもつ神ツェンポと
3 中国の大王・中国の君主・皇帝
4 甥舅二者は、国政を
5 一つにしようと話し合い、
6 大会盟をされて、盟約したことは
7 常に変わることなく、
8 神と人すべてが知り証人となっ
9 て、世々代々に、語り伝えていく
10ために、盟約の
11 文言を碑文に書いたのである。

12 神通力をもつ神ツェンポ=ティツク
13 デツェン御前と中国の君主
14 文武孝徳皇帝、神通力をもつ甥
15 と舅の二人は、深謀遠慮によって
16 長期的・短期的な善
17 悪をすべてご存じであり、大
18 悲によって、恩恵で覆うこと
19 に内外の区別なく、大衆すべてを安
20 楽にすべきことにおいて御心は一致した。
21 永続する善という偉大なる目的のために
22 議論はまとまり、かつての
23 親戚関係の栄誉を新たにし
24 隣国を喜ばせる方策を
25 話し合い、大会盟を
26なさった。〔その内容は、〕チベット・中国の二国は現在
27 支配している国土と境界を守
28 り、その東方の全ては
29 大中国の国土、西方の全ては
30 確かに大チベットの
31 国土である。これより以後は互いに敵として
32 争わず、軍隊を引かず、国土を
33 侵犯せず、疑わしいことがあれ
34 ば、人を捕らえて尋問し、
35 装備をつけて〔それぞれの本国に〕返す。
36 今、政を同じくし、大会
37 盟をこのようになさったので、
38 甥・舅の間で気持ちの良い親書を
39 交換し続けるべきである。すなわち、
40 相互の使者の往来も、古い道を
41 通って、昔のように、
42 チベット・中国二国の間の将軍
43 谷にて馬を換え、綏戎柵にある
44 中国と接する下流側(東)は中国が〔使者を〕もて
45 なし、清水県においてチベットと接する
46上流側(西)は、チベットが〔使者を〕もてなすべきである。
47 甥舅の二者は親戚関係の伝統に従い
48 尊重と尊敬の風が
49 あるようにして、二国
50 の間に、〔戦〕塵は起こらず、突発的な
51 憎しみや敵対の名を聞くこともなく、
52 国境を守る者に至るまで
53 疑い、恐れることなく、
54 それぞれの土地、寝床でのんびりと、安ら
55 かに暮らすので、幸せの恩恵は
56 万世にわたって得られる。〔和平を〕称える
57 声は日月の至るすべての地を
58 覆い、チベット人はチベット国にて幸せになり
59 中国人は中国にて幸せになるという偉大なる政事を
60 打ち立てて、盟約した。この〔盟約〕が
61 常に変わることなく、三
62 宝と、聖人達と、
63 日月と星宿をも証人として
64 召喚、盟約の内容をもって
65 説明し、生き物を殺して誓いを
66 立て(mna' bor)、盟約がなされたのである。
67 この盟約に従わず、あるいは
68 〔盟約を〕破ったならば、チベット・中国二国のいずれが先に
69 罪を犯し、〔その〕報復としてどのような策謀を行っても
70 盟約を破ったことにはならない。
71 このようにチベット・中国 二国の君臣が声に出して
72 懺悔し、盟約の
73 文言を詳細に記して、大王
74 二人が捺印した。
75 盟約に加わった大臣たち
76 は手づから署名して、盟約の
77 文章もそれぞれの〔国の〕蔵に所蔵されたのである。

西面漢文

1. 大唐文武孝徳皇帝[與]□□□大蕃聖神贊[普]  舅甥二主商議社禝如一結立大和盟約永無淪替神人倶以證知世世代代使其稱賛是以盟文節目題之於碑也
2. 文武孝徳皇帝與□□□□□□□□[賛陛下二聖舅甥濬哲]鴻被暁今永之屯亨矜愍之情 恩覆其無内外商議叶同務令萬姓安泰所思如一成久遠大善再續慈親之情重申隣好之義爲此大和矣今
3. 蕃漢二國所[守現管]本界□□已東大唐國界已西盡是大蕃境土彼此不爲寇敵不舉兵革不相侵謀封境  或有猜阻捉生問事訖給以衣粮放歸  今社禝叶同如一爲此大和然  舅甥相好之義善□
4. 毎須通傳彼[此驛]騎一□□□□□[舊路]蕃漢並於将軍谷交馬其綏戎柵已東大唐祇應清水縣已西大蕃供應須合  舅甥親近之禮使其兩界煙塵不揚罔聞寇盜之名復無驚恐之患封人撒備郷土倶
5. 安如斯樂業之□□□□□□□[美之] □ [遍]於日月所照矣蕃於蕃國受安漢亦漢國受樂茲乃合其大業耳依此盟誓永久不得移易□三寶及諸賢聖日月星辰請爲知證如此盟約各自契陳刑牲爲盟設此大
6. 約儻不依此誓蕃漢□□□□□□[君臣]禍也仍須讎□及爲陰謀者不在破盟之限  蕃嘆君臣並稽告立誓周細爲文  二君之驗證以官印登壇之臣親署姓名手執如斯誓文蔵於王府焉



参考にした文献
Li, Fang Kuei 1956 "The Inscription of the Sino-Tibetan Treaty of 821-822", T'oung Pao, 44; 1-99.
Li, Fang Kuei and Coblin, Weldon South 1987 A Study of the Old Tibetan Inscriptions, Taipei: Institute of History and Philology, Academia Sinica.
佐藤長『古代チベット史研究』同朋舎1959
森安孝夫 1984「吐番の中央アジア進出」『金沢大学文学部論集史学科篇』4 :1-85.
Iwao Kazushi 2013 Reconsidering the Sino-Tibetan Treaty Inscription, Journal of Research Institute(『研究年報』Proceedings of the Workshop B of the 17th Himalayan Languages Symposium), Vol.49: 19-28
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DATE: 2014/02/08(土)   CATEGORY: 未分類
チベット独立記念日(2/13)イベントのお知らせ
 101年前の2月13日、ダライラマ13世はチベット人に向けて「自立の布告」をだした。その中身はチベットと中国との間に存在した「高僧とそれを後援する施主」(チュー・ユン)という伝統的な関係が、中国のチベット侵略によって終わりを告げたこと、チベットは中国の皇帝とは一切の関係がなくなったことを宣言するもの。

 この宣言がなされてから2013年は丁度100年目にあたったため、日本においてもインディペンデンス・ディ100(独立宣言百周年)企画が行われたことは記憶に新しい。

 で、話しを本題に戻しますと、2月3日のことでした。突然、関係者にインドから「2月13日をゆくゆくは記念日として定例化するので、今年は唐蕃会盟碑について啓蒙してちょ」みたいな内容のメールがきた。
 それと同時に、ニューヨーク・チベット・ハウスの総裁ロバート・サーマンが、2月13日に向けて「アクションじゃああぁぁぁ」と盛り上がりだした。たぷん、サーマンの所にもインドのTINからメールがいったんだね。で、彼は2月13日を意味するタグをいっぱいつくり (#feb13 #Tweet4Tibet #f13)、
 独立記念日をイメージさせる画像をいっぱいつくり、これを利用して世界で13日にワークショップをせよ、と呼びかけた。
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 アメリカ人のあのパワーはどこからくるのかしら。日本も何かしたいのだけど、13日まで十日しかない。ドロ縄感は否めないが、よく考えて見たらこれはいつものことだった。

 ちなみに、サーマンたちが広めている画像のうち、天安門の上にUFOが浮かんでいる写真は言うまでもなく、1996年のメガヒット・ハリウッド映画インディペンデンス・デイのポスターのパロ。

 あの映画は宇宙からの侵略で世界中が廃墟になっていく中で、とあるユダヤ人学者とアメリカ軍兵士(ウイル・スミス)がUFOにアップルコンピューターでウイルス送りこんで撃退するという、なかなか笑える映画で、この中でアメリカ大統領が宇宙人と戦うために自ら戦闘機に乗り込んで特攻に行く前に、「今日は奇しくもアメリカの独立記念日だ。しかし、この戦いに勝利してこの日を人類の独立記念日にしよう」みたいな演説をするのだ。で、この1996年はアメリカのフリーチベット運動が最高潮に達していた期間であることもあり、このビル・ブルマン演じるアメリカ大統領の執務室の机の上にはダライラマと大統領のツーショット写真が飾ってあったりするのだ。

 懐かしい・・・・。

 で、今回の2月13日は唐蕃会盟碑文についてテーマにするようにインドからリクエストが来ておりまして、これについてはわたしも北京オリンピックの年にエントリーを書いているのでご参考にしていただければと思います。ここからとべますよ

 唐蕃会盟碑文について簡単に説明すると、古代チベット王国と唐が互いの国境を決め、互いの領域を侵さないことを誓った碑文。しかし、これを例によって中国はまずい文面を伏せて両国が和合したという一点のみを強調して、チベットが中国の一部であることのプロパガンダに利用しているのでございます。 なので、この碑文について歴史的事実を学ぶことは、非常に有意義なのことと思われます。

 そういうわけで、「古代チベット王国の栄華」というタイトルのワークショップを
 2月15日(土曜日)18:30より、新宿の若松地域センター第一集会室で行うことになりました。参加費無料です。パンフのPDFはこちらイベントは記念日より二日ずらして土曜日ですので、お間違えなく!
 で、講師なんですがこれが院生M(すいません、事情が変わりました。次のエントリーみてください。)。このブログでもおなじみで、かなりアレな人物ですが、なぜか頭はいいので(ただし努力が嫌いで集中力がないのでまったくそのインフラが生かされないW)、もういっぱしに学術論文を何本かかいており、古代チベット王国史についてもそれなりのレベルでお話できると思います。

 院生Mはみなが寝ている時は深夜バイトに明け暮れ、人々が働いている時に寝ているので、めったに顔を拝むことのできない稀少生物です。会ってみると一見意外と普通ですが、少し会話すると頭痛がしてきますよ。


 平凡な日常に飽き飽きしたあなた、是非起こしくださいませ。わたしももちろん参ります。
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