白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2016/11/23(水)   CATEGORY: 未分類
身延山でチベット学会
 先週末、身延山大で開催された日本チベット学会に参加してきた。
身延山は言うまでも無く日蓮聖人のご遺骨を祀る"棲神の地"。実は日蓮宗は伝統的な宗派としてもそれなりに大きいが、メジャーな新興宗教(創価学会、霊友会、立正公正会)なども日蓮系であり、マイナーなものも加えればそれはもう日本に日蓮系の宗派はゴマンとある。多くの人々に支えられているため伽藍はすごい立派。

 身延は遠い。立川か八王子から特急あずさにのり、甲府で身延線特急ふじかわに乗り換えるのだが、この「ふじかわ」が二時間に一本しかない・・・。そして身延駅から久遠寺も車で15分かかる。都内を在来線でいく区間はたちっぱなしとなるので、感覚的には大阪に新幹線で行くより疲れる。さらに、旅立ちの朝は土砂降り。旅先で傘を忘れるだろうという揺るぎない自信があったため、さすのは小さな折りたたみ傘ではなく、大きめのビニール傘にする。忘れてきてもどなたかが有効利用して下さるだろう。

 身延駅前から乗ったバスが身延山に近づくと両側から山が迫り、小林守先生をして「タルツェンド」(中国からチベットに入る境界の町で、ここからチベット高原ですということが体感できる地形の地)といわしめた渓谷に入る。山内は小さな門前町があるだけでコンビニはない。
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 大学の受付で懇親会費と参加費を払う段になり、同じバスで山についたIセンセが「石濱センセー、お金下ろしてくるの忘れました。お金貸してくれませんか」と言われたので、いいよ〜と快く財布だしてお金わたすが、よく見ると私もお金下ろしてない(笑)。仕方なのでK嬢から借りる。まさに借金の連鎖である。

 しかし、主催校のホスピタリティは素晴らしく、宿坊にとまったのだが、万が一早稲田が開催校になったら、このレベルのおもてなしが私にできるのかと自問自答してみる。もちろんできない。

 学会の最初はチベット情報交換会であり、岩尾一史さんは敦煌莫高窟に残るチベット文字で書かれた巡礼の落書きについての研究紹介、大場恵美先生はお釈迦様の数ある前世を描いたタンカセットの研究紹介、コーナー最後は今年で会長を退任される長野泰彦先生の任期中にクリアしていった課題についてのモノローグであった。

 続いて放射線がとんできそうなタイトルのワークショップ「チベット学研究のホット・スポット」。私はこのコーナーの三番目の発表者。

 開始前に、係の方がパワーポイントのテスト投射をするというのでマックをプロジェクターにつなぐと、愛鳥ごろう様の写真がスクリーンにでるもののパワーポイントはうつらない。会場から失笑がもれるので、「すいません、マックに詳しい方がいらっしゃいませんか」と呼びかけると、来年度からの新会長となる武内先生が「ミラーリングすればいいんですよ」と画面が写るようにしてくださった。しかし、本番でも同じ現象がおきたため、会場は再び失笑につつまれた(操作覚えろよ自分)。

 本コーナー最初は別所裕介・海老原志穂両先生による遊牧民の強制定住をめぐる問題提起。世には大きく言って遊牧民に昔のままの生活を送らせろという意見と、定住させて近代化させろという二つの意見がある。それに対して、まず遊牧民自身がどうしたがっているかを受け止めて、伝統的な遊牧技術を残しつつビジネスとしても成立させているという三事例を紹介する。続いてが星泉先生の現代チベットの長編小説の内容・出版状況についての報告。三番目が私で、清朝皇帝が20世紀初頭、チベット・モンゴルの実効支配にふみきると、両地域は清朝皇帝を「菩薩王」失格とみなし、1909年にはダライラマ13世が中国と断交、1911年にモンゴルのジェブツンダンパ8世は独立を宣言。後者の即位式はダライラマ13世の即位式のパクリであった。当時のチベット仏教世界は、中央と地方、モンゴル人チベット人という地域性・民族性の対立はあったものの、総体としては、ロシア・清朝の弱体化にともない政教一致の神権国家が栄え、独自の人的交流もすすんだ非常に活発な時代であったという話。

 初日はこれで終わり、総会で会長が長野泰彦先生から武内紹人先生に交代したことなどが報告される。武内先生は「私はアメリカのコロンビア大学在学中に国際チベット学会の第一回にでたのですが、その頃は35人くらいで、こじんまりした大会でした。そのチベット学会は今は巨大化してしまいました。日本チベット学会はこの規模でいいと思います」と就任のご挨拶。

 初日は懇親会の後お開きで、各自予約した宿坊にひきあげていく(山内にホテルはない)。私は主催校の望月海慧先生の宿坊、樋之澤坊にお世話になり、先生の人格者ぶりとホスピタリティに驚く。
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 翌朝、久遠寺本堂では早朝5時から朝勤が始まった。睡眠薬を忘れた私はもちろん五時起きしていたものの、宿坊まで車で送られており、本堂までの道のりがわからないためあえなく参加を断念する。くっ。

 夜が明けて外を見ると宿坊には美しい日本庭園が併設されており、その上を霧が通り過ぎていく。幽邃である。そこで朝食のあと、比較的宿坊から近い日蓮聖人の墓所にダッシュする。霧にぬれた参道の石畳につるつるすべりながら、高速で拝観し、再びダッシュで宿坊に戻り、身延山大学に向かう。

 最初の三人は民族学及び歴史で、カザン氏は東北チベットの血縁集団「ツォワ」(tsho ba)の祭事などつにいて、手塚利彰先生は出版済みの法律文書10冊の成立の先後関係を論じ、石川巌先生は敦煌文献にある七女神の名前が、チベットの護法尊十二教母の名前と重なることを提示。次のお三方は仏教学で、ラモ・ジョマさん「ツォンカパ中観思想における「戯論」の位置付け」、崔境眞さん 「チャパ・チューキセンゲの刹那滅論証理解:Pramāṇaviniścayaに対する註釈を中心に」、石田尚敬さん「ゴク・ロデンシェーラップ著『五巻本の解説』(Bam po lnga pa’i bshad pa)の構成」など。近年カダム派の文献を集めたカダム派全集120巻が刊行され、この文献を用いてゲルク派の教義の原型についての研究が盛んになるであろうことが期待されている。

 発表が終わると、ほとんどの人は山内観光にでかけたが、私は昨日仏殿も祖師殿も拝観していたのと睡眠不足で疲れ果てていたのですぐ辞去する。
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 ●今回の旅で印象に残った歴史的なもの

 宝物館にあった「蒙古退治旗」。黒字に金字で法華経が書き込まれたすごい旗だった。

 ●今回の旅で心に残った言葉

 身延山三門にあった宮沢賢治の歌碑

塵点の劫をし過ぎていましこの(計り知れないほどの年月をへたいま今生で)
妙のみ法にあひまつりしを(法華経の貴い教えに出遭いました)

 ●今回の旅で聞いた笑えるエピソード。

 東チベット(アムド)のおじさんが北京にきて、どこに行きたいかと尋ねると「毛沢東記念堂」と言った。意外に思ったけどついていくと、そのチベット人のおじさんに依ると、毛沢東はアムドでは魔除けのお守りなのだそうな。
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DATE: 2016/11/13(日)   CATEGORY: 未分類
清風学園チッタマニ灌頂(その1)
 前エントリーで書いたように、グヒヤサマージャ(秘密集会)の砂マンダラの開壇式に列席した時、わたしは満月の日の成満を信じて疑うことはなかった。しかし、わずか二日後には状況は一変した。西早稲田の駅でケータイを確認したところ平岡先生の着信があったためかけてみると、沈んだ声で「家に帰られた時間に電話します」という。何かあったなと直感したが、家に帰ってかかってきた電話は想像のK点を越えていた。

 宏一センセ「ダライラマ14世猊下の体調が思わしくなく、体力に負担のかかるグヒヤサマージャはキャンセルしたい、チッタマニ・ターラー尊の灌頂に変更してくれと言われました。センセ(私)にとってはかえってよかったかもしれませんね。」

 私は四半世紀にわたり、宏一センセがグヒヤサマージャの研究と行を行っていたことを知っていたため、「えええ、でも砂マンダラつくってますよね。どうするんですか。そのためにお坊さんたちだってギュメから11人も呼んでいるし。本当なんですか。去年法王がいらした時は日本にいらしてから許可灌頂を本灌頂に変更されました。日本にこられたら気が変わられるかも知れませんよ」といってみたが、返事はない。しかし、砂マンダラは継続してしあげるようにと指令があったそうである。

 灌頂初日、法王は開口一番「この二ヶ月の間に二度ヨーロッパにいって、それからインド国内でも法話会をやり正直疲れました」とおっしゃり、その表情を見ると確かにお疲れがみえていた。いつもは日本語通訳が話しをしている間は会場内をみまわして人々に笑顔を向けるのだが、今回はそれもあまりなさらなかった。

 なにしろ、法王は81才である。世界中どこにいっても在外チベット人や仏教徒や政治家やその他もろもろの謁見希望者が殺到するため、側近の仕事は法王様の仕事をいかにセーブするかに重きが置かれている。しかし、法王様は自分を求めて集まってくる人をみると、必ず側によびよせ多くの人に会おうとされる。突然「車を降りてあそこまで歩く」などといいだし、本当に道ゆく人々に歩きながら笑顔で話しかけていくため、すぐに人だかりができ、予定もおしていく。あたかも、一人でも多くの人にあい、その心を慰めようとしているかのような、観音様そのもののような生き方である。

 今回こんな話があった。宏一先生の弟君が、ホテルの前で法王の到着をまっていると、どこかで知ったのか一人のチベット人女性がホテルのまわりをマニ車を片手に巡拝していた。それを見ていて可哀想になった弟君は「××分くらいに法王が到着するよ。他の人にいっちゃだめだよ」と教えてあげると、そのチベット女性は「夫にだけは言っていいですか」と聞くので「夫ならいいよ」といったら、その夫婦は到着した法王をみるやボロボロ泣き始めた。こういう人たちが世界中にいるのである。法王が多くの人と会おうとする気持ちも分からないではない。

 このような事情を良く知る立場にある宏一センセはグヒヤ・サマージャがキャンセルになったからといって、法王にあれこれいうこともなく、ただ心がばっきりと折れた。サマヤのYさんによると「スタッフでミーティングをやっていると、宏一先生がふらふら入ってきて、おかしなことをいいだしたんです。その異様さから『もしや来日が中止になったのか』と固唾をのんだら、チッタマニに変更されたとのことで、お坊さんたちは切り替えが早いから、じゃあこれからどうしようかと次の段取りを相談しはじめました」

 しかし、後に宏一センセは「私のショックを理解してくれたのは、お袋と、マリアさんと石濱センセだけですよ」と寂しく笑っていた。何と言っていいやら・・・。

 そして、スタッフも大変だった。内容が変更になったことにより、その通知。希望者のキャンセルの受付、問い合わせへの応答、日程表の組み替え、すでにできあがっていたテキストの差し替えなどにより何日も寝ない日が続いた。キャンセルの理由で一番すごかったのは「ダライラマが来られなくて、チッタマニというお坊さんが代わりにくるからキャンセルしたい」というものだった(爆笑)

 さて、法話の内容はまだ整理していないので、次回として小話を。

小話1
今回私がとまったのは宏一センセに予約して頂いた某高級ホテルであったのだが、偶然、法王様の真下の部屋だった。法王様の部屋はもちろんスイートで私はシングルであるから、部屋の半分か三分の一であり、私の真上はひょっとしたら側近のたまり場たったかもしれないが、それでも真下である。

 宏一センセも「こういうことってあるんですねえ」と感心してた。チベット建築では法王様の部屋は最上階につくられ、誰も法王の上に足をおかないように作られている。かつて、かつてのチベットでは正月十五日に法王がパルコルの巡礼路を供物のトルマをみるために周遊する伝統があったが、その時も法王をみおろさないようにみな1階におりて拝礼した。なので、足下にいられるのはチベット的にいえば蓮華座を支える(えっへん)ことになるので実に光栄なことであった。そして最終日にシングル三日のお会計をみて、「さすがに法王様の部屋の真下」とそのプライスレスさに感心したのである。

小話2
 今回、拙著の編集者が会場で拙著を販売してくれた。私より先に会場に入っていた彼女からメッセージがきて、そこには机の写真があり「先生がサインすると売れ行きがよくなります。机を準備しました。ここでサインしてください」とメッセがついていた。仕方無いので法話が終了するごとに、机に行き、ひたすら自著へサインをすることになった。初日にはあまり宣伝していなかったため、「護国寺・東大などの講演においても買いました。これで三冊めです」というヘビーユーザーかおみえになり、子供の発表会にきてくれる親戚や家族みたいな雰囲気であった(カツジさん、ありがとうございます!)。二〇〇〇〇年とか間違えてかいても喜んでうけとって下さる心の清い方々である。

 二日目は退場の時間をつかって主催者が宣伝をしてくださったおかげで、私のことをこれまで知らないですんでいた人まで来て下さり、また、清風学園の先生方や一緒にギュメにいったみなさんや、旅行社の添乗さんまでいらしてくださった。いろいろな方にお会いできてとても楽しかった。

 小話3
 初日の晩、編集と私とサマヤのYさんと宏一センセで夕食をとったところ、衝撃の事実を知った。私の家の仏壇にはテンパゲルツェン師から拝領した観音菩薩・文殊菩薩・金剛手菩薩という仏の智・慈・力を象徴した三部の依怙尊がセットがあるが、最初に頂いた観音菩薩は何と平岡先生がダライラマ14世猊下から下賜されたものをテンパゲルツェン師に献上したものであった。つまり、うちの観音様、もとはダライラマ14世猊下のもの。
 うちの観音様のタンカも去年法王様主宰の灌頂に使用して頂きサインもいれて頂いているし、チッタマニ尊(ターラー尊は観音様の分身)も2014年にギュメ密教大学から拝領した優品なので(ものすごく美しい。びびった)、それ相応の働きをしないと佛罰があたりそうで、超こわい。

 小話4
 去年の観音菩薩の灌頂は日本人に評判が悪かった。中国人、台湾人、モンゴル人の数が圧倒的に多く、彼らは式がおわったあと、壇上にあるお供えやダライラマ法王の周りあったものなどをすべてさらっていったからだ。(これは信仰心のあまりにしたことだが、日本人には略奪にしか見えなかった(笑)。

 しかし、チベット人もダライラマ法王が顔をふいたタオルとかをそっと懐にいれたり、おいていった割り箸をそっと包んでもってかえったりして、法王様のふれたものをできるだけ手に入れようとする。

 今回もガワン先生の弟子チューロ・リンポチェはステキなコップをもってきて、宏一センセに「機会があったらこのコップをつかって法王様にお飲みものをだしてください」と頼んでいた。それを返してもらって自分で宝物にするのかと思いきや、それを自分が帰ることのできないふるさとの人々の手元に送るのだ、という。泣ける話である。

 2008年、ガワン先生が最後にインドにお帰りになる時に宏一先生に譲られた法具のでんでん太鼓は、サランラップにくるまれて大事に宏一先生の仏壇にしまわれている。サランラップはガワン先生以外の人の手が触れないようにしその法力を封印するためだ。

 話変わって、このたびの二日目の朝、宏一センセから突然電話があり、「本日の昼ご飯ダライラマ法王の昼ご飯にMさんと一緒にどうですか」と言われ、拙著をもって伺ったところ、法王さまは拙著を手に取って写真をばらばらとご覧になって下さり、「中国はいろいろニセの情報を流しているから、真実に基づく話は重要だ」とおっしゃって机の上においた。食事のあと、私は法王が手にした拙著を手に取り、おもむろに給湯室に行くと、サランラップにくるんだのであった(爆笑)。

 みなさまお疲れ様でした。

今気がつきましたが、この記事800エントリー目です。
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DATE: 2016/11/02(水)   CATEGORY: 未分類
新月に砂マンダラ開壇!
はじめに、告知です。今週金曜日に、本郷三丁目で行われる公開講座でお話します。興味のある方どうぞ。

 第297回 東大仏教生年会・公開講座
講師:石濱裕美子 (早稲田大学)
演題:チベット密教の伝授の現場―哲学と行―
日時:平成28年11月4日(金)  時刻:17:00より(開場16:30)
会場:東京大学仏教青年会会館ホール  来聴無料・予約不要

先週末は突然大阪にいって砂マンダラの開壇式に立ち会うことに。
土曜日正午、久々に東京でまったり過ごしていたところ、ケータイに平岡先生から着信。法王来日も近いから業務連絡かなとケータイをとると
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平岡校長「先生今お時間ありますか」

「静かな休日を堪能しております」

平岡校長「その平安を乱して恐縮なんですが、開壇式を行うことが今決まりました。明日朝八時からです。いらっしゃれませんか?」

「あしたぁ? もう24時間きっているじゃないですか。考えさせてください」

平岡校長「誰にでも声をかけているわけではありません。ご縁のある先生だからこそです」
今決まったんだから、そりゃ誰にも連絡できないだろう。

実はその夜、すでに「インフェルノ」の座席指定券を購入していた。その時、私の中では映画をみにいきたいという煩悩と、煩悩を理由に断れば罰があたるという気持ちがリアルにせめぎ合っていた。結局映画の終わった後、11:30に横浜をでて翌日7:20分になんばにつく夜行バスに乗り、世俗と仏教をともに手にすることにした。
 夜行バスは疲れるし時間がかかるからいやなのだが、ギュメまでいって砂マンダラの作成を取材するよりは大阪の方が近いし、八時間座りっぱなしとはいってもシンガポールに夜便でいけばそんなものである。海外旅行と思えばいいのだ。と自分に言い聞かす。

平岡校長は常々チベットの僧院を訪問する時は正装しろと言うので、学校の講堂でやる式なら、生徒の母親が入学式に着ていく服が違和感ないだろうと、入学式の母親ルックにする。

翌日、バスをおりて一時間もしないうちに、灌頂が行われる清風学園大師ホールに到着し、ギュメ密教大学からいらつしゃった11名のお坊さんを前にする。無理すぎるぜ、この日程。

 お経が始まったが、みまわせども、ギャラリーは平岡校長と、副校長と、銭屋の社長さんと、撮影係の伊藤先生と、途中から参加した理事長夫妻のみ。入学式の母親ルックがめっちゃ浮く(笑)。

 ダライラマ法王が灌頂儀礼を行う場合、通常法王付のナムゲル僧院の僧侶たちが砂マンダラをつくるが、平岡一家はギュメ密教大学の施主であることもあり、今回はギュメのお坊さんたちが11名前のりして砂マンダラを作成する。前日までにお坊さんたちがつくったグヒヤ・サマージャ32尊にお供えする32組みの供物が台の上にそろっており、本日はいよいよ最初の砂がおかれるのである。

 砂マンダラが築かれる台は石屋さんに特注で作ってもらったものであり、通常だと灌頂がおわるとマンダラはくずして川に流すのだが、理事長と副校長の要望で、終わった後も崩さず保存するそうである。
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校長「砂マンダラには本尊の力が生起されているので、保存するなら本尊の力がそのままになるので粗末にできません。私が生きているうちはおもりできますが、死んだ後がどうなるか分からないので、私は反対です」と不安そう。
 私「お坊さんの前にある経机は今回のために特注したんですか?」

 平岡校長「この机は清風学園の生徒がヤンチャした時、般若心経を写経させる机です。浄化されてちょうどいいでしょう」

 「こんなに香炉たいたら、煙でスプリンクラー作動しませんか?」

校長「今はきってます。ちなみにバターでつくった供物が溶けないように冷房いれています」

 というわけで、冷房のきいた講堂内でひたすら式の進行をみまもる。
 
 手順をものすごく簡単に述べると、まず阿闍梨さま(導師。来日僧の最年長の方がつとめた)は大乗仏教の基本的な誓いをたて祈願を行った後、自らの姿を本尊に生起する。その後、砂マンダラを作成することになる台の上にのって金剛の踊り踊り、その場所を土地神からかりあげる。そして魔もくさびでうって動かないようにする。
 お坊さんたちは11人でマンダラの中心に座する32尊を生起し、供養するのだが、その読経するテクストを目でおっても、まにあわないくらい早い。
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 そのあと、自ら本尊となった阿闍梨が台の上に上がって最初のすみうちをおこない、それからコンパスを使って仏の宮殿の下図をかきこんでいく。

 ここでお昼ご飯。銭屋カフェの3階が臨時のお坊さん休憩所となっていて平岡校長の奥方が必殺料理人たちとともにお坊さんのごはんを作って下さっている。

 午後は、五仏を象徴する五色の糸をよりあわせてつくった五色の糸で、設計図をなぞり、そこに五仏の智を注入し、ただの線に魂を入れていく。そして、32尊の姿をかく場所に32の花をおき、その後、仏の宮殿の東北角に最初の砂をおいて魔を防ぐ。

 平岡校長「この作業工程は誰も見てなくても、略することなく行うんですよ」

 ふとこの日の月齢を確認すると、新月であった。

「先生、今日は新月だから開壇式がこの日になったんですよ。法王の灌頂が行われる日は満月でしょう? 」

校長「ほぼ満月ですね」

「高野山灌頂の時も最初の日程通りにしていたら最終日は満月でした。この日取りはあらかじめ決まっていることで、昨日突然決まったなんてものではないですよ。必然ですよ」

 灌頂最終日は満月、という話はわりと私は校長に何度もしているのだが、校長は儀礼的側面にはあまり興味がないようで、あまり感動してくれない。
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 こうして新月の日、砂マンダラの作成が始まった。砂マンダラは徐々に形をなし、法王がお見えになった日に完成することになる。

【追記】: 11月1日、ダライラマ法王が体調不良を訴えられ、医師の判断により体力に負担のかかるグヒヤサマージャ灌頂がチッタマニの灌頂へと変更されました。法王の体調も心配ですが、グヒヤ・サマージャをずっと修行してきた平岡校長が、がっかりされているかと思うと胸が痛みます。法王の一日も早いご快癒を祈願します。
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