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白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2018/09/17(月)   CATEGORY: 未分類
 最果てのキャフタで学会
Y先生から、国境の町キャフタ(ブリヤート共和国)で学会(国際シンポジウム)が開かれるという話をきき、最近ブリヤートづいている私は参加してみることにした。キャフタ、それはロシアとモンゴルの国境の町であり、1728年、1921年と二度も重要な国際条約が結ばれている場であるばかりか、チベット・ロシア・モンゴル・清間の貿易の要地として繁栄を極めた町でもあった。

 郷土資料館の説明によると十九世紀、当時のロシアの十大財閥の八人までがここキャフタに住んでいた。清はロシアに対しキャフタでしか貿易をみとめなかったため、キャフタにはロシアで扱われる茶のすべてが集中し、東西冷戦期の香港みたいに栄えたのである。しかしシベリア鉄道の開通により輸送路が激変するとキャフタは急速に衰退し、1906年にこの地を訪れたイタリアのジャーナリストのルイジ・パルツィーニが税関役人の「七、八年前まではぎっしりと人があふれていた通りが今では誰一人とおらない」という言葉を伝えている。

 で、それから112年後に私たちはキャフタに行くわけである。

まず「学会が行われるくらいだから、何らかの交通手段はあるでしょ」と思った私は甘かった。飛行場も鉄道駅もない。

Y 先生「うーん、現実的には日本からの直行便のあるウランバートルから車かりて北上して国境を越えることになるけど、モンゴルで借りた車は国境で乗り捨てなきゃいけないから、国境を越えてから徒歩でキャフタの町に向かうことになるんじゃないかな。まあキャフタの町はモンゴル側の町(アルタンボラク)から見える距離だから大したことないよ

しばらくするとY先生から
Y先生「ウランバートルからウランウデ(ブリヤート共和国の首都)まで定期バスが通っているからそれにのればいいらしい」と連絡が来たものの出発二日前に

Y先生「ノンストップバスなので、ウランバートルからウランウデまでの切符をかい、国境を越えてキャフタに入ったところで、運転手に話しをつけて無理矢理降りるしかない。問題は帰りで、ノンストップバスはとまってくれないから、帰りの交通手段がない

そこで、私はキャフタ近郊で養蜂を営まれている日本人Iさんに問い合わせてみると、「キャフタで通関のために並んでいる車の一番前のに60000トゥグルグ提示してセレンゲ県までいってもらうように交渉すればいいんですよ。セレンゲまでいけば車も列車もウランバートルまででています。先生なら大丈夫ですよ」

それって有料ヒッチハイク? 私の語学力ではロシア語でもモンゴル語でも無理。

Y先生も、それはAプランにはできない、Bプランだ。と言われたが、ウラン・ウデまで北上してウランバートル行きのバスにのるとつくのが翌朝になるので私の朝の7:45分発の帰国便に間に合わないことが判明。帰りの手段が未定のままキャフタに旅立つ。

ウランウデにむけて出発する長距離バスは、朝7:30にウランバートルの長距離バス乗り場ドラゴンからでる。いやしくも一国の首都と首都を結ぶ一日たった一本の定期便だというのに、西洋人の観光客数人と我々と若干のモンゴル人で満席にもなってない。キャフタ以前にウランウデもさびれてるのかもしれない。かつては、お茶を積んだ荷駄が踵をつらね、ダライラマ13世が1904 年にここモンゴルの地にきた時は南下してくる巡礼であふれていたというのに、いまはこの体たらく。

 短い休憩以外はバスは確かにノンストップだったが、速度が遅いのでキャフタの向かいのモンゴル側の町、アルタンボラクについたのは六時間後。しかも、めざすキャフタはすぐそこに見えているのに、これからウラン・ウデにいくバスの乗客はアルタン・プラザとかいうレストランで食事をし出す。折りしも風が吹き雨がふりだし、急速に気温が低下する。大体この時点で四度くらい。成田では半袖だったのがウランバートルにきてセーターきて、今はコートはおる。

 そのあといよいよ通関である。定期バスでの通関手続きは約一時間ですみ、荷物検査も事実上されず、これは早いほうらしい。ここで同じバスにのっている韓国人のバックパッカーの方が日本語で話しかけてこられる。彼はウランバートルでお寺をみたあと、ウランウデからイチゲロフ(1852〜1927)のミイラをみにいくんだそうな。通関がおわって禁止区域をでたところで、モンゴルのB先生が迎えに来て下さっていたため、二キロ歩かなくてすむ。彼は二時間以上寒い外に立って下さっていた。ありがとうございます。

 キャフタは世界遺産になってもいいくらい史跡がのこった歴史ある町であるが、まったく観光開発されていないためネットで予約できるホテルはない。学会の主催者が予約してくださった現地のホテルはこんな感じ
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日本でいえば民宿。しかし、意外にも快適で、その晩マイナス二度までさがったけど、暖房があり、かつお湯がでたので、ウランバートルの高級ホテルよりも暖かくねむれた。ごはんも美味しかった。キャフタは高層のたてものは市役所と学校と軍隊の宿舎くらいで一般家屋はロシア文学にでてくる革命前の木造建築ばかり。この町は世界遺産にしてもいいと思う。
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 次の日は学会である。ロシアにおける日本年、日本におけるロシア年の共催事業の一環であるというが、11日から17日までロシア・中国がアメリカと韓国と日本を牽制するために極東で軍事演習を行っており、直前までChitaを調査していたF先生はセレンゲ川の写真をとろうとしたらヘリコプターが舞い降りてきて、しっしっと追い払われたとかで、全然友好的でない。しかし政治とはうらはらに、学会は友好的にとりおこなわれる。
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午後のお茶タイムはキャフタ最盛期の商人のお茶会を、学芸員の方がコスプレをして当時の雰囲気を再現してくださっていた。あっぱれ。
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夜は向かいのレストランでブリヤートの伝統音楽やコサックの歌をごちそうとともにいただく。ロシア料理は意外にいける。
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 学会二日目は18世紀にブリヤートにはじめてたてられたチベット仏教寺院、ツンゴルスキー寺への遠足。同寺には今6人の正式な僧が所属しているとのことで、ゴマン学堂への留学経験のあるものもいるらしい。守護尊堂にも、本堂にもダライラマ14世の写真が飾られていた。
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ロシア帝国にチベット仏教の信仰をみとめさせたザヤエフやダライラマ13世の側近だったドルジエフは普通に学校で民族の歴史として教えられるとのことで、チベット仏教がブリヤート人のアイデンティティの重要な構成部分になっていることがわかる。

 あらかじめいただいていたプログラムではこの遠足は午前中でおわり12:00に解散だったのに、途中、コサックのおばあさんたちの宴会にもてなされたりして(主催者の余興の一つ)、モンゴル帰郷くみが国境にむけて出発する頃には15:30になっていた。

 通関に二時間かかった上で行きと同じスピードでウランバートルにもどるとすると、ウランバートルにつくのは午前二時とかになり、私の飛行機は翌朝7:45分にウランバートルをたつので、二時間前にホテルをでるとすると、ホテルには二時間しかいられない。そもそも午前二時とかにチェツクインできるのか。万が一寝過ごすことを考えたら、もう飛行場で夜明かししようかと思うが、私はバックパッカーでもフィールド学者でもない軟弱者なので、無理。この時点で私の不安はピークに達していた。
 
 国境を越えてモンゴルに帰る参加者は博物館のバスで一気に通関する手はずであったが、ぎりぎりなってそれができないことが判明。そこで、B先生が通関でまっている車三台と話しをつけ、我々を二人から三人のグループにわけて押し込んでいった。これってIさんが提唱した方式で、却下されたプランである。結局現地の人の言うことに従うことになるのか。

 私たちがつっこまれた車はものすごく古く、すべてのとってがとれており一度ドアをしめられると窓もドアも中からあかない誘拐にぴったりの車である。

通関以前に、車検に通らないんじゃないのこの車?

Y先生この人たち通関屋じゃない?

言われてみればこの車、トランクに何も入っておらず、我々の荷物だけをいれてくれた。国境は徒歩で越えられないので、国境を越える時だけ旅人を手助けする謎タクシー、通関屋Aなのか。

一般車で国境を越える場合は定期便のバスよりも大変。まず「登録」の駐車場でいつくるともしれないロシア側の検査官を延々とまつ。たくさん仕事をしたらお金をたくさんくれるわけではないので、みな仕事をしたくないらしく、とにかく検査官がこない。やっときたと思ったら形式的なチェックのみで、いやがらせとしか思えない

 そして登録がすむと、こんどは高速の料金所みたいなところで一人一人パスポートチェック。これで出国完了。このあと、例の謎車にのって無人地帯を移動すると、モンゴル側の入国審査がはじまり、ここでも荷物チェックとパスポートコントロールがあり、また車にのってバーをこえるとやっとモンゴル側のアルタン・ボラクにでる。夕方であまり車が混んでなかったこともあり、一時間半くらいですむ。通関屋だからなれていたのかもしれない。

 Iさんの話では「セレンゲ県の中心であるスフバートルまで送ってもらえ」とのことであったが、通関屋は国境からはなれない、とのことで、B先生がそこいらにたまたま買い物にきていたおばちゃんと交渉してスフバートルまでつれていってもらうことに。そのおばちゃんは人を待っていたため、えんえんと発車しない。郷に入っては郷に従えと唱えながら忍従する。

 そしてスフバートルついてみると、ウランバートルにいく車のたまり場はただの駐車場であった。しかし、いっせいに運転手がよってきて、B先生との値段交渉がはじまる。そのうちの一人と話しがつき、やっとウランバートルに向けて動き出したのが五時半。途中休憩を挟みつつも22時半にウランバートルの長距離バスターミナル「ドラゴン」についた。あと少しでホテルなのにこの人はすぐにスフバートルに戻るとのことで(!)、またそこから新たなタクシーを拾いホテルについたのが23時。
地図

あとで通算したら、その日は郷土資料館のバスで国境まで→通関屋Aの車で国境を越える→おばちゃんの車で国境からスフバートルまで→スフバートルからドラゴンまでの長距離タクシー→ドラゴンからホテルまでと、タクシー六回車を乗り継いだのであった。

駅伝かよ!


しかも、これはモンゴル人のB先生がいらっしゃらってはじめて可能であった移動であり、一般の人にはぜんぜん推奨できない。キャフタが世界遺産になってバス停ができるまで、私がキャフタに行くことは二度とないであろう。
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DATE: 2018/09/05(水)   CATEGORY: 未分類
淡路島でゼミ合宿
ゼミ生に予定を聞いたところ、参加人数が一番多い日が九月の二日と三日であり、その時ちょうど淡路島へ出張予定だったので最初二日をゼミ合宿にして、そのあと私だけのこって仕事(シンポジウムの打ち合わせ)することに決めた。一石二鳥である。

 淡路島は地理歴史専修の学生にとって教材の宝庫。

 阪神淡路大震災の震源地には野島断層という自然地理の教材があるし、震災体験もできる。また、私のご先祖岡田鴨里の生家が淡路市の予算不足から廃墟となっているのは、地方自治体の文化財保護の問題点を知る教材となる(爆笑)。また、岡田鴨里のお墓をまもってくださっている栄福寺は現在廻り弁天が滞在中で民俗学的に面白いし、同寺近くのおのころ神社や生家近くの伊弉諾神宮は古事記の神話の舞台であるから、国文学? にも親しめる。さらに、洲本の益習館や高田屋嘉兵衛顕彰館では幕末の歴史を学ぶことができる。
 とどめが、洲本市の中心部にそびえ立つイオンが地元商店街を枯らしていくありさまは人文地理のテキストブックな教材である。
 
 まさに、地理・歴史専修のための島。

 私はいつも高速バスで淡路島にいくが、今回は移動があるので明石海峡大橋の目の前にある舞子駅でレンタカーを借りて橋を渡る計画であったが駅近くにレンタカー会社がない。後で聞くと、淡路島にレンタカーでいく人は垂水からしか高速に上がれないので、三宮か垂水で借りるとのこと。センセ免許ないからそういうのわかんなかった。すまん。

橋をわたって最初の目的地は古事記でイザナギ・イザナミ二神によって最初に生み出されたおのころ島との噂のある絵島と岩屋神社である。
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で益習の集いの事務局のTさんがお迎えに来て下さっていて、以後ガイドをしてくださった。ありがとうございます。
 岩屋神社の宮司さんと渡哲也は同級生だということで、境内には渡哲也が奉納した石灯籠がある。
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 Tさんは道々車をおりて断層を示してくださり、北淡震災記念公園につくと、「せっかくだから上の駐車場にとめましょう」と導くとそこには、8/27日にこの地を通過した台風20号によって倒れた全長60mの風車がころがっていた。
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 Tさん「今しかみられない光景です」
 そりゃそうだ。

 当時のままに保存されている野島断層は迫力があり、これまた当時のままの住宅の中でTさんから震災体験を伺う。Tさんの職場は震災で焼け野原になった長田区であったので、体験も写真も悲惨であった。

 お昼はこの震災記念公園のレストランでいただく。

ゼミ生「先生、この旅のコンセプトって何なんですか? 」

私「ブラタモリ?」

ゼミ生「・・・・・」

このあと、枯木神社、洲本の益習庭園とまわり、すべりこみで、16:15分に五色待の菜の花ホール(高田屋嘉兵衛顕彰館)にいく。ここから益習の集いの会長さんと会員さん三名も合流してきた。ブラタモリ度がます。サングラスかけようかしら。

 館長さんはご先祖が記した高田屋嘉兵衛の最古の伝のデータをディスクにいれてくださっていた。

館長さん「ブログを拝見してどんな学生さんがくるか楽しみにしていました。」
「〔過去はともかく〕今のゼミ生はみな普通です。」

館長さん「I先生がお見えになるというので、いろいろ勉強しました。とにかくインコ愛を感じました。Youtubeもブログもみました。ワグナーが仏教を西洋に伝えたとおっしゃっていましたが(正確には仏教趣味があった)、私はフランス文学なのでダダイズムってならったんですよ。」と話はつきず、閉館後もしばらくお話を聞かせていただいたため、冷房がきれて蒸し暑くなっていく。ホールの外にでたらもう日が落ちてずっと涼しくなっていた。

 夜は高田屋嘉兵衛顕彰館に隣接する宿泊施設のテラスでバーベキュー。テラスは西向きなので夕焼けがとても美しい。淡路牛が柔らかくて美味しいので食べているうちに20分くらいたったところで、猛烈な腹痛に襲われる。部屋にもどって寝込みつつぼんやりとNHKの国松長官狙撃事件の番組をみながら、「両親が胆石だから自分も胆石かも」、と不安になってくる。10時くらいにはかなり腹痛はおさまってきたが、しばらく絶食した方がよさそう。

 翌日、12時間休んでかなりよくなってきたので、朝ご飯はヨーグルトと茶碗蒸しだけいただく。益習の集いの会長先生に電話をすると、「台風21号が明日上陸するので近畿の交通網はすべてとまる。淡路島の真上をとおるので明石海峡大橋も閉鎖になるから、早く帰った方がいい」といわれ学生と一緒に帰京を決定。

 それから、ご先祖岡田鴨里のお墓をまもってくださっている栄福寺にいく。O住職は本堂で廻り弁天や平安仏の説明をしてくださり、そのあと、ただお参りして帰ろうと思っていたのに墓前廻向をしてくださるという。
 墓前廻向には焼香セットとそれらをおく木の台が必要なので、二人の学生が手分けしてそれをもち、境内をでてお墓のある向かいの山の上に向かう。
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 並んでお寺の石段をおりながら、ふと「ご先祖のお墓参りにゼミ生をつれていくのは公私混同ではないか? 」という疑問が頭をかすめたが、ご先祖、賴山陽の高弟で歴史上の人だし、瀬戸内海の両墓制の説明もできるから授業だということにする。
 後ろ暗いのでジョークをとばす。

私「ちょっとサマーウォーズみたいじゃない? 」

ゼミ生「・・・・・」

笑ってくれないと気まずい。

 それから洲本城に向かうが、カーナビに電話番号をいれると、そのような施設はありませんと言われる。よくみるとこの電話番号、洲本観光案内所の電話番号である。ここは高速バスの待合室の一角にある無人のカウンターなので確かに施設でも洲本城でもない。

 そこでパンフレットにある洲本城の住所をカーナビにいれるが、ナビが指し示す方向にいくと、天守閣はどんどん遠ざかり農村部に入っていく。

私「洲本城のたつ三熊山って熊の字のつく三つの山ってことでこの住所たんに三つの山のまわりを回っているだけじゃない?」

もちろん道は山を一周まわって海際で行き止まりになる。山の住所をカーナビにいれてはいけない。
洲本城からは町が一望できる。あまりにも丸見えなので江戸時代は一般市民がここにあがることは禁止されていた。天気がものすごくよく海は青く、空は沖縄の観光案内写真のように限りなく青い。超大型の台風が明日向かってくるとはとても思えない。まさに嵐の前の静けさ。
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 このあと、御食国という観光レストランで遅いお昼を食べ、最期の訪問地伊弉諾神宮に向かう。ここは2016年に日本遺産に指定されて淡路島の遺跡の中でももっとも観光客を集めていて、兵庫県では姫路城につぐ規模だという。

  このあと高速にのって舞子に戻り、新大阪を経由してそれぞれのぞみや光にのって帰郷した。駅の掲示板では近畿のJR各線は台風21号の接近する明日は運転を見合わせ、のぞみもひかりも間引き運転をすることが伝えられている。多くの人は私と同じく次の日の仕事を捨てて帰路についたと思われ、つかれきった人々でうまったのぞみは引き上げ列車のようであった。

 淡路島があまりにも美しく晴れ渡っていたので、本当にここまでやる必要があるのかとどこかで思っていたが、翌日のニュースは事前の予想よりも遙かに大きな被害を伝えていた。関空は水没するわ京都駅のガラス天井はぶちわれるわ、神戸で車が燃えるわ、大阪の民家の屋根は飛びまくるわ、停電しまくるわ、近畿の大都市に50年ぶりの大風がふきぬけていったのであった。

追伸: ご先祖の生家は台風21号の風をうけてなくなったかと懸念されていましたが、まだあります。
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