OBの方に伺う"仏青の過去の栄光"
新年第一回目の仏青の会合はOBの方もまじえて。
現役は・・・・。聞かないでくれ。
いきおい、OBの方とグチのこぼしあいになる。
「仏教はこんなにすばらしいのに」「仏青にはこんなに歴史があるのに」「どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ」
同じ悩みをもつ二人のおじさんと一人の私はすぐに百年前からの知己のようにうち解ける。
OBの方によると昔仏青は60人から100人は部員がいて、日替わりで、座禅したり仏教美術を学んだり、勉強会やったりとそれはさかんだったそう。
他の大学の仏青もまとめて、連合会のようなこともやってそれはもう沢山の人が集まったのだそうな。
その頃は部室はかの早稲田雄弁会と同じで、雄弁会の連中が仏青に入ってきたこともあったという。
部員の出身学部は法学部とか政経もあり、会長も仏教とは全然関係ないジャンルの研究する先生がなっていて、今みたいに、会長は文学部の東洋哲学出身、部員も文学出身者部ばかりというような偏りもなかったのだそう。
仏青が見るも無惨な凋落をはじめたのは今からかれこれ、二十年くらい前のこと。あれよあれよといううちに部員の数がへり、十五年前くらいに一度消滅しかかったのだそうな。
歴史ある仏青をつぶしてはならんと、文学部の東洋哲学科のM先生が世話人になってその先生のゼミ生を部員にしてなんとかもちこたえたものの、好きで始めた部活でもないため、活動はもりさがり、現在のていたらくに至る。
悲しい話である。
これは仏青にとどまらず、歴史ある他の座禅サークルも今現在のところ部員一人。仏青と下を競い合うさびれよう。
この座禅サークルも昔はとても人気があったのに。
凋落の原因は長引く低成長時代における若者の嗜好の変化とかオ○ム×理△事件とかいろいろあると思うが、やはり学生のビンボー化と未来予想図の不安定化が最大の原因だと思う。
今も昔も仏教は王族・貴族の教え。お釈迦様が酒池肉林のはてに、その無意味をさとって出家してはじめた教えである。「大きすぎる欲、強すぎる自我は不幸のもと」という教えは、選ばれた一部の上層階級にしか通じない。
今、アメリカで仏教がブームといっても、すべてのアメリカ人がダライラマを追い回しているわけではない。ダライラマを支持している層は、建国期からアメリカを動かしていたWASP(White Anglosaxon Protestant アングロサクソン系の白人でプロテスタント)正真正銘のトップ層である。
では、今の日本の学生はいかなる状態か。
わたしはここ数年、長い休みのあとには、学生たちに「どこに旅行に行った」かと聞いてみる。その昔は教室の半分くらいの生徒は海外旅行にでていた。しかし、ここ数年、二百人の教室でも海外旅行にでた学生はほんの二〜三人しかおらず、旅行好きの学生がいても鈍行列車をつかった国内旅行が中心で、駅に寝泊まりするような超ビンボー旅行をしている。
学生たちの海外に対する興味の喪失を、わたしは単純に「高校が受験に不利な世界史を教えないからか」あるいは「幼少の頃から自分が主人公のゲームばかりしてひきこもっている結果、外の多様な文化に目を向ける知的好奇心がドンマしたのか」とか思っていたが、
よく考えたら、学生、たんに金がないから海外にいかないのかもしれん。
バイトバイトで生活に追われ、のぞんだところに就職できるかどうかもわからない、不安が一杯の低成長の時代の学生に、お貴族様の教えである仏教が共感をよぶはずもなかったのだ。
しかし、学生気質のビンボー化が仏教系サークルの退潮の原因だとするなら、まだ勝機はある。
今年からはじまる団塊の世代の大量退職は、新卒の学生に大きなチャンスをもたらし、あと数年もすれば学生たちの精神にはゆとりが生まれ、もう少し明るい雰囲気になるだろう。
きっとあと数年で状況は改善する。
夢は見るもの、語るもの。
現役は・・・・。聞かないでくれ。
いきおい、OBの方とグチのこぼしあいになる。
「仏教はこんなにすばらしいのに」「仏青にはこんなに歴史があるのに」「どうしてこうなっちゃったんでしょうねえ」
同じ悩みをもつ二人のおじさんと一人の私はすぐに百年前からの知己のようにうち解ける。
OBの方によると昔仏青は60人から100人は部員がいて、日替わりで、座禅したり仏教美術を学んだり、勉強会やったりとそれはさかんだったそう。
他の大学の仏青もまとめて、連合会のようなこともやってそれはもう沢山の人が集まったのだそうな。
その頃は部室はかの早稲田雄弁会と同じで、雄弁会の連中が仏青に入ってきたこともあったという。
部員の出身学部は法学部とか政経もあり、会長も仏教とは全然関係ないジャンルの研究する先生がなっていて、今みたいに、会長は文学部の東洋哲学出身、部員も文学出身者部ばかりというような偏りもなかったのだそう。
仏青が見るも無惨な凋落をはじめたのは今からかれこれ、二十年くらい前のこと。あれよあれよといううちに部員の数がへり、十五年前くらいに一度消滅しかかったのだそうな。
歴史ある仏青をつぶしてはならんと、文学部の東洋哲学科のM先生が世話人になってその先生のゼミ生を部員にしてなんとかもちこたえたものの、好きで始めた部活でもないため、活動はもりさがり、現在のていたらくに至る。
悲しい話である。
これは仏青にとどまらず、歴史ある他の座禅サークルも今現在のところ部員一人。仏青と下を競い合うさびれよう。
この座禅サークルも昔はとても人気があったのに。
凋落の原因は長引く低成長時代における若者の嗜好の変化とかオ○ム×理△事件とかいろいろあると思うが、やはり学生のビンボー化と未来予想図の不安定化が最大の原因だと思う。
今も昔も仏教は王族・貴族の教え。お釈迦様が酒池肉林のはてに、その無意味をさとって出家してはじめた教えである。「大きすぎる欲、強すぎる自我は不幸のもと」という教えは、選ばれた一部の上層階級にしか通じない。
今、アメリカで仏教がブームといっても、すべてのアメリカ人がダライラマを追い回しているわけではない。ダライラマを支持している層は、建国期からアメリカを動かしていたWASP(White Anglosaxon Protestant アングロサクソン系の白人でプロテスタント)正真正銘のトップ層である。
では、今の日本の学生はいかなる状態か。
わたしはここ数年、長い休みのあとには、学生たちに「どこに旅行に行った」かと聞いてみる。その昔は教室の半分くらいの生徒は海外旅行にでていた。しかし、ここ数年、二百人の教室でも海外旅行にでた学生はほんの二〜三人しかおらず、旅行好きの学生がいても鈍行列車をつかった国内旅行が中心で、駅に寝泊まりするような超ビンボー旅行をしている。
学生たちの海外に対する興味の喪失を、わたしは単純に「高校が受験に不利な世界史を教えないからか」あるいは「幼少の頃から自分が主人公のゲームばかりしてひきこもっている結果、外の多様な文化に目を向ける知的好奇心がドンマしたのか」とか思っていたが、
よく考えたら、学生、たんに金がないから海外にいかないのかもしれん。
バイトバイトで生活に追われ、のぞんだところに就職できるかどうかもわからない、不安が一杯の低成長の時代の学生に、お貴族様の教えである仏教が共感をよぶはずもなかったのだ。
しかし、学生気質のビンボー化が仏教系サークルの退潮の原因だとするなら、まだ勝機はある。
今年からはじまる団塊の世代の大量退職は、新卒の学生に大きなチャンスをもたらし、あと数年もすれば学生たちの精神にはゆとりが生まれ、もう少し明るい雰囲気になるだろう。
きっとあと数年で状況は改善する。
夢は見るもの、語るもの。
COMMENT
● お初の書き込みです
ワカバヤシ | URL | 2007/01/15(月) 11:18 [EDIT]
ワカバヤシ | URL | 2007/01/15(月) 11:18 [EDIT]
「大きすぎる欲、強すぎる自我は不幸のもと」という教え、は確かに貧しい国では受け入れにくいですね。第三世界では、イスラームが浸透していますが、これはもともと孤児であったムハンマドが商人として成功した後に造られた宗教。二人の創始者の人生は、全く違っています。
● キリスト教もね
イシハマ | URL | 2007/01/15(月) 16:16 [EDIT]
イシハマ | URL | 2007/01/15(月) 16:16 [EDIT]
イスラームもそうですが、キリスト教も大工さんちからはじまってますから、あまりゆとりのある層向けの教えとはいえません。現代に入ってからの仏教の退潮は、民主主義や社会主義といった、「一人の金持ちよりも、みんなで貧乏」といった考え方が、本来の意味でのお貴族・王族を根絶やしにしたこどか大きい。と思う。私感ですが。
● は、はじめまして
さなちゅん | URL | 2008/03/17(月) 19:59 [EDIT]
さなちゅん | URL | 2008/03/17(月) 19:59 [EDIT]
興味深く拝見させていただきました。
私はいま30才で学生の頃は地方に住む大学の友人宅を訪ねていくことが旅行代わりとなっていました。それもやはり鈍行電車を利用して、でした。
働き始めてからも、自分で車を走らせるか、夜行バスや良くて特急や新幹線を片道使う程度です。
でも私には、国内を知らずして海外へ出かけるのは果たしてどうなのだろうか、という思いがありました。交通費や宿泊費を節約してでもまずはその地へ行ってみたいこと、その気持ちの方が強くありました。いろいろな意味で外国へ目を向ける機会を失っている人もいるでしょうが、まずは日本を見つめ直そうとする人たちも中にはいると思うのです。
むしろ、お墓参り、お盆やお彼岸、法事などを通して仏教をはじめとした日本の宗教にふれる機会が薄まって、自分たちの親に繋がる人の存在を考えなくなっていることが、仏教離れの一因ともいえないでしょうか?そしてお金や働き口がなく、先行きが不安な若者のいる、そんな不安定な時代に求められるのが本当の救いの道だといえるはずです。それを説く、真に心を持った人、教えに出会えないから私たちは迷うのです。ただ、救いの道、というのも現在では選択肢が増えすぎてしまっているのでしょうけれど。
私はいま30才で学生の頃は地方に住む大学の友人宅を訪ねていくことが旅行代わりとなっていました。それもやはり鈍行電車を利用して、でした。
働き始めてからも、自分で車を走らせるか、夜行バスや良くて特急や新幹線を片道使う程度です。
でも私には、国内を知らずして海外へ出かけるのは果たしてどうなのだろうか、という思いがありました。交通費や宿泊費を節約してでもまずはその地へ行ってみたいこと、その気持ちの方が強くありました。いろいろな意味で外国へ目を向ける機会を失っている人もいるでしょうが、まずは日本を見つめ直そうとする人たちも中にはいると思うのです。
むしろ、お墓参り、お盆やお彼岸、法事などを通して仏教をはじめとした日本の宗教にふれる機会が薄まって、自分たちの親に繋がる人の存在を考えなくなっていることが、仏教離れの一因ともいえないでしょうか?そしてお金や働き口がなく、先行きが不安な若者のいる、そんな不安定な時代に求められるのが本当の救いの道だといえるはずです。それを説く、真に心を持った人、教えに出会えないから私たちは迷うのです。ただ、救いの道、というのも現在では選択肢が増えすぎてしまっているのでしょうけれど。
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