白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/02/09(金)   CATEGORY: 未分類
お袈裟の偉大なる功徳
木曜日は仏青の例会。
今日はOB会長のIさんとKさんもおみえである。おおざっぱな流れとしては

1.仏青の機関誌『久遠』の校正ならびに発送予定の確認
2.仏青ゆかりの駒込の光源寺に新堂が完成したのでみなで訪問しましょうという予定確認。
3.破顔くんによる「お袈裟の話」のつづき
4.例によってマニアな雑談
5.学生会館前でのサイゼリヤでの懇親会
てなとことである。

 今回の『久遠』では私の拙文がトップとなっており、なにか気恥ずかしい。また、少年Hくん、ほとけどじょうくん、破顔くんによる、早稲田界隈のお寺紹介ならびらに、OBの皆様方の玉稿である(じつは自分の原稿以外まだ未読)。

 そして、破顔君によるお袈裟の話の続きである。

 お袈裟とは仏法を学ぶ人を他と区別する徴のようなものである。

 モノにたいする執着を克服することをとく仏教では、当然この袈裟は質素であることが要求される。しかし、日本ではなぜかいろいろなスタイルの袈裟がでまわり、さらには豪華になっていった結果、各宗派で「経典にある通りのお袈裟を着ようよ」(如法派)が生まれた。

 日本では聖徳太子以来、俗人も袈裟をみにまとってきた。袈裟の下にきるへんざんやじきとつについて詳しく知りたい方は楢崎一光老師*1著『僧堂の行持 如法の衣食住』を見てね(はあと)。

*1(この著者の方は戒律をまもって生涯を全うされたすばらしい方らしい。)

 一方、チベットや上座部仏教の国々では、高僧も小坊主もみな同じ色と形の袈裟をきて、豪華な袈裟などいうものは存在しない。また、俗人が袈裟をきることは許されず、出家をしなければ袈裟をきることはできない。

 そこで、口の悪い私は例によって怪気炎を上げる。

 戒律をしっかりまもって修行や勉学に励んでいるお坊さんは絶滅危惧種に指定して保護の対象とし、勉強もしなければ修行もせず、ただ「親が車買ってくれるっていうからあとをついでやった」とか嘯いて、金襴緞子の袈裟はおっているような人(マジでおります。こういう人)からは僧籍をとりあげろ。

十善行道の一つ悪口の罪をモロにおかしているような気もするが、袈裟も白くなるという末法の世*2、こんなのがでてきても仕方ない。

*2(破顔くんによると『法滅尽経』によると末法の世には袈裟が白くなるとでているそうで△蓮○宗はこれにのっとって薄墨の衣に白い袈裟をはおるそう)

 とにかくまともなお坊さんが絶滅しかかっている今、本山も少しは指導力や自浄能力を発揮して、まともなお坊さんの生活を安定させ、安心して修行や勉学にはげめる環境を整えることを考えてもいいのではないか。
 それがひいては宗派のそして仏教の名声をたかめ、長い目でみれば一分一秒でもながい仏教の存続につながるのだ。
 
 お釈迦様もかつてバラモン(インドの上層階級)にこう申しました。「人は生まれによって貴いのではなく、その行いによって貴くなるのである」と。

 で、お袈裟に話をもどす(リアルでも私の質問ですぐに脱線がはじまる。破顔くんごめん)
 
 破顔君によると、道元禅師の名著『正法眼蔵』にはお袈裟にはこんな素晴らしいメリットがあるということをテーマにした「袈裟功徳」という章がある。

 そこには戯れに袈裟をはおって踊った美しい女性が、生まれ変わった後の世に、蓮華色比丘尼となってお釈迦様のもとで阿羅漢果(煩悩を克服した境地)を得て、良家のお嬢様にあうと「とにかくいますぐ出家をしなさい」と勧めて歩いたというエピソードがあるという。

  俗人が袈裟を戯れにはおっただけで、後の世の阿羅漢果の種になるとは、何ともすごい袈裟の力への信仰である。
 そして「袈裟功徳」のクライマックスはこんなかんじ。

 袈裟は覚りの向かう行を植え付ける力があり、
 その種は春の苗のようにグングンのびて
 覚りの成果が実ることは、秋の果実のようである。
 袈裟は堅固な金剛の鎧のようなものである
 この鎧には煩悩の毒矢もつきとおることはない。
 このすばらしいメリットは無限の時をかけても説き尽くすことはできない。
 もし龍が袈裟の糸一筋でも身につけると、ガルーダ鳥の餌食になることはない。
 もし航海にこの袈裟をもっていると、竜魚諸鬼の災難にあうこともない。
 雷がとどろき、稲妻が天を切り裂こうとも、袈裟をつけていれば恐れることはない。
 在家の人がもしみずから手に捧げ持つことができれば、一切の悪鬼は近づくことができない。
 もし覚りを求めて出家をすれば、十方の魔宮は震動してこの人は直ちに法王の身を実現するだろう。


 この部分は引用とはいえ、ノリノリの文である。袈裟の功徳に感じ入ってしまい、キング牧師状態になって演説している感じ。
 
 蓮華色比丘尼のエピソードは『大智度論』あたりが典拠らしく、この「袈裟の十の利点」は『大乗本生心地観経』が典拠らしいが、いずれの経典もサンスクリット語・チベット語の版はない。前にも述べたが、チベットやインドでは俗人は袈裟をはおれないし、覚りとは修行の結果もたらされるものであり、袈裟の力を特段強調することもない。

 わたしはチベット仏教から入っているので、このような「ちょっと袈裟をはおっただけで来世に成仏」とか「なむあみだぶつ」「なむみょうほうれんげきょう」と一言唱えただけで、極楽に行けるとか、努力よりも信仰を重視する教えは、すばらしいことだとは思いつつ、「そんなに簡単に人間の煩悩は克服できないよ」とどこか否定的な気分になる。

 しかし、このように袈裟に大きな力を認め敬う結果、できるだけ昔ながらの作法にのっとって袈裟を手縫いしようというそのような行為は素晴らしいことだと思う。

 世界中の至るところで、花嫁衣装を自らの手でぬいあげて嫁に入る習慣のある民族がいる。この場合、時間をかけて花嫁衣装をつくっていくうちに、結婚にかける気持ちも真剣になるし、その心の準備もできていく。その結果家族を大事にして、いい生涯を送ることもあるだろう。

 それと同じで、自分で手縫いした袈裟をはおって、お釈迦様と同じ姿勢で瞑想すれば、、とりよせの法衣をきて、親に言われたからあとをついで坊さんやる人よりははるかに修行の成果はあがるであろう。

 蓮華色比丘尼のエピソードにしても、袈裟の十の利点にしても、そのようなすべての縁を前提にした上での袈裟の力をいっているのであり、「袈裟をはおれば悟れる」なんて単純なことをいってるのではないだろうな。
 
 事実、破顔くんが手縫いしたお袈裟はやはり何かとてもありがたいオーラを放っている。そこで、つい蓮華色比丘(の前世)にならってはおってみる。これで来世はオッケーか?

 何か私ってこんなことばかりしているな。
[ TB*0 | CO*6 ] page top

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2007/02/09(金) 23:26 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● ありがとうございます
イシハマ | URL | 2007/02/10(土) 00:30 [EDIT]
手元にその本がなかったので、著者名をネットで検索したら、改版の方がひっかかったのですね。
そく、訂正しました。
● うつ期脱出!
ワカバヤシ | URL | 2007/02/10(土) 19:18 [EDIT]
仏青の繁栄を心よりお祈りいたしております。
神よ、かくのごとき善行に勤しむ人々に、来世においてよき報酬を与えたまえ!
ところで、カレーライスの話はどうなりましたか?
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2007/02/11(日) 09:26 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
● そうなんですよね。
破顔@不捨室主 | URL | 2007/02/11(日) 09:33 [EDIT]
私も自分で把針するのとか如法衣には賛成なのですが、それに偏執してしまうと何のための糞掃衣なのかわかんなくなりますからね。呪物崇拝ではないのだから。
正法眼蔵読んでると、ノリノリの記述が出てきて、道元さんは「きたきたきたー」って感じで書いたり説法したりしてたんじゃないかと思うようなところに出くわします。イキのいいものってたぶんそうですよね。

イシハマ | URL | 2007/02/11(日) 10:48 [EDIT]
>ワカバヤシくん
うつなおってよかったですね。今大学休みなのでまたね。

>破顔くん
ありがとう。衣の色、黒→薄墨訂正しときました。
やっぱ信仰のみではなく、何らかの努力もしないとおちつきませんよねえ。

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 白雪姫と七人の小坊主達. all rights reserved. ページの先頭へ