白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/06/11(月)   CATEGORY: 未分類
やめる勇気(これは勇気なのか)
「西暦1048年から1089年までの間、中国とチベットの間では蘭洲方面の国境地帯で紛争が起こり、中国のホチャンは前後あわせて60000人のチベット人を殺し、将軍自身も戦闘中に死んだ事は、中国の史書の中に明記されている。」

 これは今飜訳中のチベット文からの一節である。

  「ホチャン」は明らかに中国人であるから、漢字で名前を訳したい。また、典拠となった歴史書の名前を注記した方が読む人の信用も得られる。

 でも、何だよ「中国の史書」って。
 固有名詞をあげてくれ。

 仕方ないので、時代からいって『宋史』だろうと思い、『宋史』に「蘭州 六萬」で検索をかけてみるも、いまいち。

 「蘭州 吐番」でもいまいち。

 そのほかいろいろの検索語をかけてみるもどうもはかばかしくないので、今度はネットを捨てて、リアル『宋史』を手にして、「列伝」からホーチャンという発音があたりそうな人物の伝記をかたっぱしからあたる。

 該当者見つからず。
 
 それでチベット医学の勉強会であったNさんに聞いてみると、

 "hr"は現代中国語の"sh"をうつすので、ショーチャンじゃないかというので、再びショーチャンと読める人で該当の伝記があるかを捜すが、やはりダメ。

 「典拠探し」というのは一度はじめると結果がでるまでやめられない。

よく、敦煌あたりから出土した経典の破片に何という経典の何という一節かが注記されているが、あれが可能となる背景には、一学者がそのリソースを傾けて、大変な時間と労力をかけて、膨大な大蔵経の中からその一節をさがしあてているのである。
 
 しかも、その典拠探しをやってる学者は、好きでやっているというよりは、気になって気になって仕方ないので、ついついやり続けてしまっているのである。投入した労力に比べて、結果はささやか。なのに、ついついのめりこんでしまうのは、

「この人がこのようなことを書くのは何か必ず根拠があってのこと、だから、その根拠を見つけねば」、という一念があるからである。

 こうしてワタクシ、あっという間に一日が、二日が、三日がつぶれました。

 それはもう音をたてて、グシャッとつぶれる。

 その上、リアルとパソコン上のテクストと検索画面をなんども往復しているうちに、頭痛・かすみ眼・イライラ感ももれなくついてくる。

 そこで、疲れ目対策に、奥義「ヤツメウナギの肝」を飲む。
 八つも目があるだけあり(実は六つは呼吸孔らしい)、ヤツメウナギは目にいい。

 「キモ」というだけあって、キモイ。

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 学生に課題をだして、「かくかくしかじかの関係の本を調べてごらん」とここまで指定しても、

1.まったく調べてこない 
2.ちょっと調べて分からないとそこで投げ出し、「じゃ、こっちから調べてみようか」とかいう「分かるまで追求する」という熱意がない

 こんなのが必ずいる。

 しかし、このような反応は不思議でならない。「人生の意味」のような、答えのでない問題を追求しろ、といっているのではない。すごく具体的な一つの事柄について、その典拠を調べてね、というのである。

 何であれ答えがでることが予想されているのに、分からないまま放置しておいて、簡単に「わかりませんでした」という結論にとびつくのは、あまりにも安易。

 答えのでないことをグジグジ悩むのは不健全であるが、答えがでることが分かっていながら、答えをださないのも不健全である。

  しかして、答えが出ることが分かっているテーマであっても、ズルズル続けるというのも不健全な気がする。そもそも自分は宋代のチベット史を専門としていないのだから、このまま続けても時間がかかるぱかり。

 とりあえず、

 雪山登山で頂上を前にして悪天候に遭遇したときではないが、「不完全燃焼ではあるものの、総合的な判断から登山とりやめ」という勇気も大切なような気がしてきた。

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COMMENT

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宰相 | URL | 2007/06/12(火) 00:41 [EDIT]
先生のご専門に関しては、私は本当に教わったとはいえ部外者状態なのですが、精神論として言うなら、「不完全燃焼ではあるものの、総合的な判断から登山とりやめ」でも、一応燃えたという事実は変わらないんですから、構わないのではないですか。

ちなみに同じ「やめる勇気」でも、‘まだしぶとく生きているスダレ禿げ大勲位’が小泉にアレを「やめるのはもっと勇気だ」と言ったのは、自画自賛のようにしか思えませんでした。
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| | 2007/06/13(水) 18:15 [EDIT]
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イシハマ | URL | 2007/06/15(金) 19:09 [EDIT]
>宰相くん
すだれ禿の場合は、「禿をみとめる」のが「本当の勇気」だと思います。

>モモさん
「なりたかったもの」があって「なれなかった」としても、それで人生が終わるわけではなく、それ以外の何かになる選択肢は無限にあります。今日からできることもあると思うのですが。

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