白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/07/07(土)   CATEGORY: 未分類
山川草木悉皆仏性
前にぶろぐの記事の下に「ブックマーク」というボタンがあった。それがいつのまにか「拍手」というボタンに変わったが、これは、ぶろぐを運営している側がかってに設定を変えているらしい。

 私はこの「拍手」って、読者に拍手を強要しているように思えていやだったのだが、設定のはずしかたがわからなかったので、しばらくそのままにしていた。しかし、ようやくダンナにいって設定をはずしてもらったので、

 今まで「拍手」を下さった皆様、ありがとうございました。

 昨日、メールボックスにゼミ生の一人から送られてきた絵はがきが届いた。彼は大学を休学して世界一周中なのだが、すでに二度盗難にあっており、茨のシルクロードを歩んで現在はカザフスタンあたりにいるはずである。

 兵馬俑(西安)から送られてきた送られてきたその絵はがきは

「先生のあの"どっはっはっ"という笑い声が聞きたいです」

と結ばれていた。

私「ちょっと待ってよ。私、どっはっはっなんて笑いかたしてる?」
学生A「ええ」
学生B「そうっすね」
学生C「笑ってますよ」
家に帰ってダンナに聞いてみたら

「あなた気づいてないの? あなたの笑い方ってまったくオヤジよ」

そしてそのあと仏青の例会にいく。今度の夏、みなで比叡山旅行を計画(比叡山観光・宿坊精進料理の旅 笑)しているので、机の上には比叡山とか京都とかの資料がならんでいる。しかし、京都のガイドブックが異常に年代ものである。

私「古いねー、このガイドブック。いつのだよ」
N君「ソ連がまだある頃のものです」

現代史オタクの彼らしい答え。まあ、京都のお寺なんて十年単位で生滅するもんじゃないから、昭和くらいまでならオッケーか。

 そして破顔くんを講師に迎えて、比叡山関連の知識を学ぶ。先週破顔くんは

「宿題です。ネットで調べられることがいいですよね。来週までに天台宗にいる大師号をもつ方を調べてきなさい」

という下命があったので、わたくしはせっせと六人分の大師号と法名覚えてきたのに当の破顔君は

「ボクそんな課題だしましたっけ」

そして、おもむろに天台教学の講義をはじめた。
わたしもアバウトだが彼もアバウトだな。
早稲田大学は天台宗の教学を研究している先生が多いので、佛教大学ではないが天台を学ぶにはいい環境。

 破顔君が天台本覚思想はすべての人が仏になれることを説くのがポイントです、というと、わたくしが絡む。

 すべての人がすべて仏になれる、という思想は美しいことだとは思うが、ホントーにすべての人が仏になれるのだろうか。わたしは歴史家だから、まず、「かくかくしかじかの根拠があって、それに基づいてだから仏になれるんだ」というよう論理的な証明がほしい。


だって、何の証明もできないのなら、まず、「こうあってほしい」という結論が先にあって、その結論を導くのに都合のいい教えを述べている『法華経』を奉じたんだ、と謂われても反論できないし、かりにそうだとしたら、それは俗世間の話からすれば、まず、「あいつが犯人だ」という思いこみがあって、その人を犯人にするのに都合のいい証拠を集める無能な警官と同じレベルになってしまう。

 つまり、それがたとえ美しい思想であったも、根拠がないなら絵に描いた餅じゃあないか。

 すべての人が仏になれるのなら、とりあえず、その論理的根拠を示して欲しいものである。

 だって、チベット仏教ではねえ(でた、チベット語り)。

 「金塊がホンモノであるかどうかを確かめるために、こすったり、叩いたりするように、仏の教えも、いろいろな角度から吟味してその真贋を確かめなさい」という有名な警句がある。

 それにねえ、師を求める場合も、エラソーな人がいるから盲信するというのではなく、その人の人となりをあらゆる角度から観察し、吟味して、その結果師事するかどうかを決めなさい、と求道者に徹底的な批判精神を求めるのである。

 だから、チベットの修行カリキュラムではまず得度した少年僧は論理学の勉強にとりかかり、しかるのちに仏教思想のいろいろな概念を学び、最後に実践を行うことになっているのである。

 しかし、天台教学にはチベットのようなこのような修道カリキュラムはないようで、そのうえ、いろいろな哲学や修行を包摂してそれを排除しないようである。

 何か情緒的・精神論すぎてついていけん。

 というか、これじゃ、無関係な人を説得してこの教えを信じさせることはほとんど不可能な気がする。

 論理に基づいて哲学するチベット仏教は、何もかも失い、国さえ失っても、しぶとく生き延びている。彼らの説く思想は普遍的で多くの人々の心をとらえ、その援助を受けることができたからである。

 正しい論理は万国共通の普遍言語なのである。

 翻って考えるに、情緒的な日本仏教は墓と檀家がなくなったらもう生活がなりたたくなくなり、国を失ったらもうカイメツだろう。

 今時の日本人に仏教を説こうとするとき、「信仰」とかの精神論を声高に叫んでも共感はえられない。

 ましてや「祖先を大事にしないと祟りがある。だから墓の維持費払え」とか仏教の思想にすらない脅し文句を並べるにいたっては、逆効果。

 各宗派ともに、現代人の吟味にたえうる鉄壁の教学造り--それはむろん論理に基づくものでなければならない--、をつくることに励んでいただきたいとつくづく思う今日この頃であったった。
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COMMENT

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ちべ | URL | 2007/07/07(土) 22:22 [EDIT]
論理・・大切です。基本ですよね。
仏教には実はこれが出発点にあるように思えてなりません。
チベット仏教はすごいです。
日本のお坊さんはどこか、さぼっているような気がするのですが。
僧院教育?そのものに問題があるのでしょうか?
宗派も沢山ありますので、一概に言えないとは思いますが。

破顔 | URL | 2007/07/10(火) 08:07 [EDIT]
ごめんなさい、もう、穴があったら入りたいです。
しかもこんな一日数百人が見るようなブログに
名指しで書かれちゃうなんて(つ_<*)

もともとが旅行の前説なんで、
ほんとはその6人の大師に関するおもしろエピソード
(恵亮砕脳やらおみくじやら弁慶の井戸やら)
を訪れるであろう名所旧跡に結び付けて
簡単な旅行案内をしようと思っていたのに、
なんで四教五時の話なんかになったんでしょうね。
あのメモももともとはもっと調べたい人のための
キーワード集だったのに。
きっと錯乱していたのでしょう。



イシハマ | URL | 2007/07/10(火) 20:18 [EDIT]
>ちべさん
岩波文庫のブッダのことばシリーズなんてみていると、今よんでもぜんぜん古くないんですよね。怪力乱神が書かれて亡くて論理的なとこもいいですよね。

>破顔君
いやー、別にけなしてるんじゃないから。面白かったから。で普通の観光案内も聞きたい。ぜひ聞きたい。

watanabe | URL | 2007/07/19(木) 22:34 [EDIT]
こんにちは、先生。お久しぶりです。

今ビシュケクにいます。そろそろキルギスを出ます。
はがきようやく届いたんですね。1ヶ月以上前に送ったはずなのに。
でも、先生が気がついてなかったなんて…。
● 無事で何より
イシハマ | URL | 2007/07/21(土) 23:30 [EDIT]
写真帰ったらみせてね

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