白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2007/08/14(火)   CATEGORY: 未分類
黄門さまの憂鬱
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お盆の初日、ダンナの実家、水戸にいく。

 水戸といえば、御三家の一つ水戸徳川家の本拠地である。

 当然のことながら徳川ゆかりの史跡がごろごろしているので、とりあえず、(財)徳川博物館に向かう。暑いのでダンナの弟君に車で送ってもらう。
 
 今、偕楽園のまわりは巨大な風致地区となっており、博物館はその公園の一角をしめる山の上にある。

 この博物館は水戸徳川家の伝世品を所蔵しており、黄門様(水戸光圀)の隠棲の別荘として知られる西山荘とともに、水戸の徳川家の末裔が組織した水府明徳会が運営している。

 展示室には、初代藩主頼房と二代目光圀の手回り品をはじめとし、水戸徳川家に伝えられる大名道具がならぶ。

 水戸徳川家の初代頼房は、家康さまの十一男坊である。

 この頼房の実の母親はあの本門寺に眠るキョーレツな日蓮主義者、お万の方であり、もう一人の准母が、あの鎌倉の英勝院の初代庵主である家康の側室お梶の方である。

 この二人に育てられただけでも頼房のキツさは想像つくというものだが、この頼房の子であり、二代藩主となる水戸光圀(云わずとしれた黄門様)はもっときつかったようだ。

 黄門様のお母上は家臣の子であったため、生まれる前から殺されそうになり、晴れて世子になり、江戸の小石川の下屋敷にうつった後、光圀はお万ばあちゃんとお梶ばあちゃんにきびしくしつけられることになる。

 その反発からか、黄門様は、粗暴で(カブキもの)、自己否定的な青年期を過ごすこととなる。

 青年期のウツの後、黄門さまはキョーレツに儒教に傾倒し、社寺の堕落を糾弾し、天皇家マンセー史観満載の『大日本史』を編纂した。これらの一連の行動に、なにかこう、二人のばあさんや将軍家たちに対する根強い怨念が感じられるのは、私だけではないだろう。

 ちなみに、全国をまわって、弱気を助け強気をくじいたあの黄門様のイメージはまったく後世の作り事。実際の黄門様は、大日本史の編纂事業に藩の財政を傾けまくって民を苦めていた
 
 そして歴代の水戸の殿様は水戸の真北にある常陸太田の瑞龍山に埋葬された。都の真北、という意味では江戸と日光の関係と同じであるが、異なるのは、水戸の殿様たちは、徳川宗家のような仏教あるいは神仏混淆スタイルでなく、儒教スタイルで葬られていることである。
 
 水戸学が徳川政権をたおした明治維新の原動力の一つとなり、最後の将軍徳川慶喜が水戸家からでて(水戸家からでた将軍はこの人一人)、徳川の世をあっさりおわらして、死んだあとも、歴代将軍のように寛永寺にも増上寺にも入らず、谷中の墓地で神式に葬られることをのぞんだことをみても、水戸徳川家の徳川宗家に対するわだかまりはえんえんと続いていたような気がする。

 などと感心しつつも、ミュージアムショップにとりつき、葵の御紋のついたグッズをあさる。
goods_tellca_set.jpg

 とりあえず、葵のポストイットに、葵の鈴、水戸徳川オリジナルボールペンに、幕末セットの絵はがきを買う。
 
 なかなかここのショップはセンスがいい。

 ガーデンテラスに斉昭御膳があるのもイイね! ついでにいえば、バリスタがミルクで葵紋を描くサービスをやったらもっと人がくるんじゃないか。
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COMMENT

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イシハマ | URL | 2007/08/14(火) 20:42 [EDIT]
>Susumuセンセ
昼御飯を食べたばかりだったので、残念ながら斉昭御膳たのめませんでした。しかし、水戸で有名な料亭がつくっているので、たぶん美味しいものだとおもいます。
葵紋ミルクについては、サイドビジネスで徳川カフェとか経営する時のアイディアとして人に教えず暖めておくつもりです(笑)。

鳴子屋 | URL | 2007/08/16(木) 09:46 [EDIT]
 初めまして、鳴子屋と申します。お隣の県なので大変面白く読ませていただきました。

 水戸徳川家の生きざまが県民性にも影響しているのかなあと感じます。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2007/08/16(木) 13:38 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

イシハマ | URL | 2007/08/16(木) 21:21 [EDIT]
>水戸徳川家の生きざまが県民性にも影響しているのかなあ

水戸っぽですか(笑)。

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