徳川な連休パート1
連休初日は徳川ゆかりの寺をめぐった後、国立博物館で開催されている徳川展をみにいった。これはじつはすごい因縁なのである。
なぜなら、国立博物館は徳川にゆかりの地。
徳川家康が江戸を都に定めた時、天台宗の高僧、天海大僧正は江戸の鬼門をまもるため、上野の山に寛永寺をたてた。
そう、国立博物館も大噴水も、動物園も、上野の森美術館も、東京都立博物館も国立科学博物館も、上野中学校も、み〜んな、かつては、広大な寛永寺の寺域だったのである。
もちろん江戸最大の寺で、上野のあたりはいろいろな遊楽があることから、一日たのしめるというので、ヒグラシの里、日暮里ときたもんだ。
寛永寺は将軍吉宗、綱吉などの歴代将軍の半分が眠り、つまりは歴代将軍が文字通り体をはって江戸を侵入してくる魔よりまもっている土地である。
しかし、この江戸最大の寺も、明治元年の上野戦争により、明治政府軍に焼かれ、烏有にきした。
上野の山の中心部は新政府に没収され、寛永寺関連の遺構は、上野公園をぐるりと取り囲む形で、かろうじて残っている。
連休初日、有志数名とともに、この寛永寺の残骸をたどる。
上野駅をおりると、まず天海の遺髪をおさめた塔にお参りする。天海の体は日光山にあるので、遺髪がかわって東叡山寛永寺を守っている。
ところが、この遺髪塔のすぐ近くに、あの西郷どんの銅像がある。
かつて徳川のイメージのみちあふれていた上野は、戦災によってその中心部を失い、西郷どんによって完全にそのイメージが消された。
今や、上野の顔は徳川ではなく西郷どんである。
これについては、天海の遺髪塔のそばにあえて西郷どんをすえることによって、天海の呪力を封じる意味があったという。
次に、京都の清水寺をうつした清水観音を参拝する。
東郷平八郎の手になる千手観音という扁額がまぶしいが、すべてのいきとしいけるものの命を救うという観音様の名を、軍神がどういう気持ちで書いたのか、その心境をききたいものである。
そして、琵琶湖のコピーである不忍池におりる。
寛永寺は比叡山のコピーなので、琵琶湖も、琵琶湖の竹生島にまつられる弁財天もきっちりと、中島に勧請されている。そこから、家康様を神とまつる東照宮にいく。
この東照宮は五重の塔ともに寛永寺の面影を残す唯一の建造物である。初期の東照宮らしく、天海の紋である三宅輪法がいたるところにみられる。
次に、寛永寺にいく。 あれ、寛永寺焼けたんじゃないの? と疑問をもつ方は正しい。
今の寛永寺は昔の残映のようなもの。
国立博物館の平成館の裏手に昔の繁栄からはほど遠い規模(30名規模)でちまっと鎮座している。しかし、この建物は川越の喜多院から移動してきたもので、当初のものではない。
ついでにいえばこの寺、まったくやる気がない。何も公開してなくて、ホームページすらない。
あ、こめん、墓の宣伝はしている。
かつて、将軍家の霊廟だった土地を一般用に分譲しているのである。分譲する際、そこにあった多数の灯籠は全国に散逸し、「東叡山」(寛永寺の山号)の銘はいった多数の将軍霊前奉納灯籠が日本中にちった。
諸行無常である。
ついでにいうと、この散逸には西武の堤康次郎が手を貸している。先々代の寛永寺の住職が堤さんと懇意だったのだ。
増上寺についで、堤さんと西武はここでも将軍家の遺産にしっかりくらいついたね。
徳川家霊廟は公開されていないが、きわきわまで一般の墓地が分譲されているため、そばによって中をのぞき、宝塔を目にすることはできる。このあたりで日が沈んできて、カラスがかあかあないて、ものがなし〜い雰囲気になる。
徳川の御代は遠くなりにけり。
そのあと両大師(慈恵大師・慈眼大師)をまつる寺を訪れるも、すでにしまっていた。このやる気のなさがまさに天台宗っぽい。
それから国立博物館の大徳川展にいく。いい加減夕方なので空いているハズ。
突然ですが、人生には三つの坂がある。
上り坂、下り坂、まさか。
まさか。いい加減夕方であるにもかかわらず、入場制限をしていて会場に入るのが一時間二十分まちだという。国立博物館に入るのに、一時間以上待たせる国、どこにあるんじゃ。
仕方ないので、喫茶店でお茶飲んで時間をつぶして、再びトライ。
今度は三十分待ち。
経済の破綻した国じゃあるまいし、なんでこんな寒空で行列つくらにゃならんのだ。平成館の前の広いスペースはじつは、この人員整理のためのものであったことに気づく。
素晴らしきかな、日本の文化行政。
なぜなら、国立博物館は徳川にゆかりの地。
徳川家康が江戸を都に定めた時、天台宗の高僧、天海大僧正は江戸の鬼門をまもるため、上野の山に寛永寺をたてた。
そう、国立博物館も大噴水も、動物園も、上野の森美術館も、東京都立博物館も国立科学博物館も、上野中学校も、み〜んな、かつては、広大な寛永寺の寺域だったのである。
もちろん江戸最大の寺で、上野のあたりはいろいろな遊楽があることから、一日たのしめるというので、ヒグラシの里、日暮里ときたもんだ。
寛永寺は将軍吉宗、綱吉などの歴代将軍の半分が眠り、つまりは歴代将軍が文字通り体をはって江戸を侵入してくる魔よりまもっている土地である。
しかし、この江戸最大の寺も、明治元年の上野戦争により、明治政府軍に焼かれ、烏有にきした。
上野の山の中心部は新政府に没収され、寛永寺関連の遺構は、上野公園をぐるりと取り囲む形で、かろうじて残っている。
連休初日、有志数名とともに、この寛永寺の残骸をたどる。
上野駅をおりると、まず天海の遺髪をおさめた塔にお参りする。天海の体は日光山にあるので、遺髪がかわって東叡山寛永寺を守っている。
ところが、この遺髪塔のすぐ近くに、あの西郷どんの銅像がある。
かつて徳川のイメージのみちあふれていた上野は、戦災によってその中心部を失い、西郷どんによって完全にそのイメージが消された。
今や、上野の顔は徳川ではなく西郷どんである。
これについては、天海の遺髪塔のそばにあえて西郷どんをすえることによって、天海の呪力を封じる意味があったという。
次に、京都の清水寺をうつした清水観音を参拝する。
東郷平八郎の手になる千手観音という扁額がまぶしいが、すべてのいきとしいけるものの命を救うという観音様の名を、軍神がどういう気持ちで書いたのか、その心境をききたいものである。
そして、琵琶湖のコピーである不忍池におりる。
寛永寺は比叡山のコピーなので、琵琶湖も、琵琶湖の竹生島にまつられる弁財天もきっちりと、中島に勧請されている。そこから、家康様を神とまつる東照宮にいく。
この東照宮は五重の塔ともに寛永寺の面影を残す唯一の建造物である。初期の東照宮らしく、天海の紋である三宅輪法がいたるところにみられる。
次に、寛永寺にいく。 あれ、寛永寺焼けたんじゃないの? と疑問をもつ方は正しい。
今の寛永寺は昔の残映のようなもの。
国立博物館の平成館の裏手に昔の繁栄からはほど遠い規模(30名規模)でちまっと鎮座している。しかし、この建物は川越の喜多院から移動してきたもので、当初のものではない。
ついでにいえばこの寺、まったくやる気がない。何も公開してなくて、ホームページすらない。
あ、こめん、墓の宣伝はしている。
かつて、将軍家の霊廟だった土地を一般用に分譲しているのである。分譲する際、そこにあった多数の灯籠は全国に散逸し、「東叡山」(寛永寺の山号)の銘はいった多数の将軍霊前奉納灯籠が日本中にちった。
諸行無常である。
ついでにいうと、この散逸には西武の堤康次郎が手を貸している。先々代の寛永寺の住職が堤さんと懇意だったのだ。
増上寺についで、堤さんと西武はここでも将軍家の遺産にしっかりくらいついたね。
徳川家霊廟は公開されていないが、きわきわまで一般の墓地が分譲されているため、そばによって中をのぞき、宝塔を目にすることはできる。このあたりで日が沈んできて、カラスがかあかあないて、ものがなし〜い雰囲気になる。
徳川の御代は遠くなりにけり。
そのあと両大師(慈恵大師・慈眼大師)をまつる寺を訪れるも、すでにしまっていた。このやる気のなさがまさに天台宗っぽい。
それから国立博物館の大徳川展にいく。いい加減夕方なので空いているハズ。
突然ですが、人生には三つの坂がある。
上り坂、下り坂、まさか。
まさか。いい加減夕方であるにもかかわらず、入場制限をしていて会場に入るのが一時間二十分まちだという。国立博物館に入るのに、一時間以上待たせる国、どこにあるんじゃ。
仕方ないので、喫茶店でお茶飲んで時間をつぶして、再びトライ。
今度は三十分待ち。
経済の破綻した国じゃあるまいし、なんでこんな寒空で行列つくらにゃならんのだ。平成館の前の広いスペースはじつは、この人員整理のためのものであったことに気づく。
素晴らしきかな、日本の文化行政。
COMMENT
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うずまき | URL | 2007/11/26(月) 22:41 [EDIT]
うずまき | URL | 2007/11/26(月) 22:41 [EDIT]
京都の狩野永徳展は140分待ちだったらしいですよ。
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m-m | URL | 2007/11/27(火) 08:45 [EDIT]
m-m | URL | 2007/11/27(火) 08:45 [EDIT]
こんにちは。
東郷平八郎、神社に奉ると言ったら本人が怒ったという噂がありますが...。でも今じゃ東郷神社ありますしね。
死後、元帥の別荘があった土地に"聖将山東郷寺"なるスゴイ(ちょっとひく)名前のお寺を側近だった人が建ててます。我が家の母方の墓所はそこにあります。
元は宗派がなかったらしいですが、今は日蓮宗です。
東郷平八郎、神社に奉ると言ったら本人が怒ったという噂がありますが...。でも今じゃ東郷神社ありますしね。
死後、元帥の別荘があった土地に"聖将山東郷寺"なるスゴイ(ちょっとひく)名前のお寺を側近だった人が建ててます。我が家の母方の墓所はそこにあります。
元は宗派がなかったらしいですが、今は日蓮宗です。
>神格化を反対
だとすると、東郷平八郎って仏教徒だったのかな?
まあ、神道って明治にはいって人工的に政治的独立したものだから、あんましありがたくなかったのかな。
だとすると、東郷平八郎って仏教徒だったのかな?
まあ、神道って明治にはいって人工的に政治的独立したものだから、あんましありがたくなかったのかな。
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maa | URL | 2007/11/29(木) 22:47 [EDIT]
maa | URL | 2007/11/29(木) 22:47 [EDIT]
先日、加門七海さんの「大江戸魔方陣」と「東京魔方陣」を読み返したところです。
上野、面白いですね!
上野、面白いですね!
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