白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/01/16(水)   CATEGORY: 未分類
チベット僧になりたかったフランス人
20世紀初頭のフランスの詩人、ヴィクトール・セガレンは、チベットに憧れ、東チベットをふらふらしながらチベット文化に浸りつつ「チベット」という題名の数多くの韻文を残した(生業は森鴎外と同じく軍医)。

 最近再評価が進んでいるとかで、昨年の暮れ、フランス語のA先生のおかげによりはじめてその名にふれ、セガレンの詩集を手にとってみた。

 そしてぶっとんだ。
 まあ一読あれ。青色の部分が原文である。

詩集「チベット」29番目の詩(『セガレン著作集』第六巻より)

いつかわたしは、なってみようか、「ラマ僧」※に?※ラマ僧(喇嘛僧)とはチベット仏教の僧侶のことである。
(「黄帽のラマ」、「紅帽のラマ」、「紅帽」それとも「黄帽」のいずれの「ラマ」か?
「黄帽のラマ」に)

いずれの帽子を冠るもよし。
この二つの色は、まさしくラマ特有のもの。
いずれの色も、ありとある「財貨」を握る。
魔神の棲む世界であろうと、
はたまた単に、政治家たちの世界であろうと。
二つの色は、敵対しつつも、時として力を貸しあう、
     二つの色は共に踊る、踊り舞う
老いたる「黒帽ラマ」らの背の上で。
足並そろえて跳びはねるのは快い。
得体の知れぬ「婆羅門」に静かに祈りをあげるより
いつかわたしがラマ僧になるべきならば。

「黄帽のラマ」、「紅帽のラマ」、「黄帽」それとも、「紅帽ラマ」か?

この紅色は、われらの間で公認された両帽のうち
われこそ古派と自称する。
巡回しつつ形而上世界を論する博士が

たわごとの金箔を施した帽子を冠る。
その一味ろうとうに、わたしも堕落した身を置かねばならぬ。
「その=全=能智」を逃れることは、まず叶うまい。
なぜなら彼は説く、説く、説くのだ。
マンサロヴォワール湖のほとりにたって。
否‐‐ああ‐‐わたしが逃れるすべはない
この唇で、その果てしない名《大聖パドマ…!》を唱えることを。
いつかわたしが「その派の喇嘛」になるならば!

(長いので後略)
-----------
勝手にラマ僧でもなんでもなれー。
フランス詩、くどー。
オリエンタリズム、まんかーい。

うわー。

とツッコミどころ満載の詩であるが、この詩からもわかるようにセガレンはチベット文化をかなりよく理解し、心酔している。
 帽子の色が宗派の違いであることをちゃんと理解しており、これらの宗派がそれぞれ、微妙な対抗意識を持ちつつも、でも同じチベット仏教として共通する部分もあり、それがチベットの宗教(「魔神の住む世界」)と政治を牛耳っている(「財貨を握る」)ことをよく知っている。

 これは同時期のイギリスの文学者ラドヤード・キプリングについても言えることなのだが、帝国主義全盛期のフランスやイギリスの文学者たちは、仕事柄これらの地域に長期滞在できたこともあり、今のフランス人もイギリス人よりもはるかにアジアを熟知してした。

 かつての日本が大陸を侵略するためにどんどん人を送り込んだ結果、当時の日本人が、今の日本人よりも、はるかに満洲やモンゴルやチベットについて潤沢な知識を有していたのと軌を一にしている。

 六日になくなられた佐藤長先生なんて、戦中は北京のチベット寺雍和宮に調査のため住みこんでいたんだよ。

 ま、そういうわけで、戦前の西洋人・日本人は今よりはるかにグローバルだったのだ(その原因が黒い帝国主義というのは何だけど)。

 で、問題は、その時代の小説や韻文を現代人が注釈しようとすると、当然のことながらその理解能力が及ばないのである。

 しかも、これを翻訳しているのはフランス文学がご専門の先生方。

 チベットに関する知識は日本語に翻訳された旅行記などに基づくようだが、私の目からみると手探り状態に見え、セガレンがチベットに対して抱いていた理解度を示すにはいたっていないように見える。 

 しかし、わたしはフランス語読めないので、具体的にどうこう言えない。
 
 フランス語ができる方達なら、当時のフランスの大チベット学者ジャック・バコーの著作とか読めばもう少しいろいろわかったろうに。おそらくは文学者だから、歴史学・文献学には疎いのであろう。

 時代の壁に加えて、文学と歴史の壁が、セガレンの翻訳を難しくしているのだ。

 わたしはフランス語ができない。彼らはチベット文化を知らない。
 うまくいかんもんだな、と思っていたところ、 昨日教授会が終わったあと、この翻訳にもかかわってらっしゃる渡辺芳敬先生とお話する機会にめぐまれた。

 実はお名前は別の先生を介して知っていたのだが、お会いしてみると、何のことはない毎週同じ時間帯に授業があるため、教材造りの機械をとりあう仲であったことがわかった(かなり恥ずかしかった)。

 先生は去年の夏はじめてチベットにいらして、あのNHKのドキュメンタリー「聖地に富を求めて」で銭ゲバとホテルとして有名となった、かの五つ星ホテルに泊まり、帰ってからそれをしって後悔したのだそうで、とにかく、いまチベットに夢中だそう。
わたしの本も買ってくださっているという。

 ありがたやー。

 なので、「私ごときにできることがあったら何でもおっしゃってください」と申し出ておく。何となくアカデミック的にいいおつきあいが始まりそうな予感。
 
 同じ学部内にセガレン研究者がいるとはすんばらしい偶然。別件でも今年はオリエンタリズムに関係する研究の共同研究に誘われているので、今年はその方面の研究が多くなるかも。
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COMMENT

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● ありがとうございます
イシハマ | URL | 2008/01/16(水) 19:32 [EDIT]
先生が「この学部にいてよかったと思うことはいろいろな先生とお知り合いになれたことだ」とおっしゃていたことを思い出します。わたしも先生とお会いし、謦咳に接することができた一点をとってみても、先生のお話は真理であったと思います。

鳴子屋 | URL | 2008/01/17(木) 01:07 [EDIT]
この詩を読むと
セガレンさん
手にマニ車を高速回転させつつ、オペラさながらに歌いながら詩を創作したのではないかと想像してしまいます(笑)。真面目な人だったかもしれないのに失礼な話ですが。

イシハマ | URL | 2008/01/19(土) 23:20 [EDIT]
>鳴子屋さん
いや、超高速で回転していたと思いますよ、マニ車。
当時の西洋人が東洋人、とくにチベットに送っていた熱いラブコールは、現在からみるとほんとに暑苦しい・・・・

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