白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2008/12/19(金)   CATEGORY: 未分類
専門家をなめないで
ちょっと古い話だが、ゼミ生が「中国大使館のホームページにこんなことが載っていますが、本当ですか」と質問してきた。

みると、中国政府の立場からチベット問題を「啓蒙」してくれるページであり、そこにおいては現在の中国の立場から都合がいいようにチベットと中国の歴史が述べられている。ああこういうのを読んで日本の中国好きのオジサンたちとかが、私にへんな質問してくるんですね。
 
 このページの最初の部分で唐と古代チベットの関係がとりあげられていた。中国大使館なので赤字で引用してみましょう(笑)。

中国大使館のホームページより
中華民族大家庭の一員
中国は統一した多民族国家であり、チベットは古くから中国の不可分の一部である。
7世紀の唐の時代、チベット族と漢族は王室の間で姻戚関係、盟約を結んで、政治的に団結友好の姻戚関係を形成し、経済と文化の上でも密接に結びつき、最終的に統一国家をつくるための厚い基盤を固めた。現在も、チベット自治区の首府ラサのポタラ宮には、641年に唐の王室からチベット族吐蕃王に降嫁した文成公主の塑像が奉られている。チョカン寺(大昭寺)の前の広場には双方が盟約を結んだことにちなんで、823年に建てられた「唐蕃会盟碑」が立っている。この碑には次のような碑文が刻まれている。「舅甥二主が社稷が一つとなることについて商議し、大和の盟約を結んで永遠に変わらないことは神、人と共に証し、知るところであり、世世代代にわたり称賛させるものである」。


 前段部分に述べられていることは、古代チベットに唐の王室の娘が二回嫁いだ事実を指している。当時唐は軍事的に強勢な周辺諸国に、皇室の女性を降嫁させ、親戚関係になることでその侵攻を防ごうとしていた。和蕃公主といわれる彼女らは、いまでいえば自国を他国の侵略からまもるべく、政略結婚で他国に嫁がされたのである。

 ちなみに、古代チベットの開国の王ソンツェンガムポ王にはネパール王家からも、チベットの様々な地域の有力氏族からも娘を娶っている。唐朝の公主はその一人にすぎない。

 しかし、このような歴史的背景はかっとばして、昨今の中国では文成公主だけにスポットをあて、チベットと中国の友好の象徴として祭り上げている。

 文成公主は、オペラになるわ、ドラマになるわで、まあ大変。東北チベットにある日月山という文成公主ゆかりの地には、文成公主の白亜の巨像が毛沢東の像のようにそそりたっている。


で、次に、いわゆる「唐蕃会盟碑」の引用部分である。これも予備知識のない人がみると、「唐とチベットが一つになった」というところを見て、ああ昔からチベットは中国の一部だったんだろーな、と思いそうになっているが、ところがすっとこどっこい、原文をみると、

チベットの大王化現せる神ツェンポとシナの大王シナ君主皇帝と甥舅二者は国家を一〔のごとく〕にせんことを語らいて大和会をなし盟約す。〔その〕誓約の決して変わらざる事を神人すべて・・・・*(・・・は判読不能の部分)・・・知らして證なし、世々に・・・・語られて・・・・・の要を碑に〔記すなり。〕〔中略〕

チベット、シナ二者は現在において支配せる域と境を守りて、その東方すべては大シナの域、西方すべては正に大チベットの域にして、これより後相互に敵として諍うことなく戦をなさず、境域を犯さず、疑わしきことどもあらば、その人を捉えて事を訊ね、〔訊ねおわれば〕放ちて後に給与すべし。今、国家一〔のごとく〕なりて、大和会をかくのごとくなせり。〔中略〕チベットはチベット国において安けくシナはシナ国において安けくなす〔それらの〕大いなる政事を結びて後、この誓約は決して変わらざること、三宝と聖者などと日月と星辰とにも證せんことを請う。〔後略〕(佐藤長『古代チベット史研究』)
 

 の冒頭の一文を文脈から切り離してとりだしていることが分かる。この碑文はこれまで戦争をしていたチベットと唐の二国が平和を話し合い、それぞれの間の領域をきめ(省略した部分に具体的な地名がでてくる)、互いがそれを侵犯しあわないようにきめたことを記したものであり、「この国家を一つにする」という冒頭の表現は、「今まで戦争をしてきた二国が平和についての対話の席について意見が一致した」くらいの意味なのである。ちなみに、このような言い回しはモンゴル語にもある。

 この碑文は和訳どころか、英訳もあり、探せば中国の国内でだって全文を引用した研究書があろう。専門家なら誰だって冒頭の文章がもつ本当の意味を知っている。であるからして、このページを作成した人間は、ネットを検索するだけでそれ以上は何も調べない横着な大衆を騙そうとしているのである。
 
 こういうこズルイいこと(学問の冒涜)を大使館という権威ある機関がやっている時点で、彼らの道徳的レベルが知れる。

 言うまでもないことですが、チベットのような研究者の薄い地域に関しては、ネット検索程度で手に入る情報は、ほんとーに限定されたもんか、こんな偏ったもんです。威張っていうことではありませんが、自分、Wikipediaなんか一項目も書いたことありません。すみません。

 本気で事実に肉迫しようと思ったら、自分が今もっている先入観とか予断とかをすべて排して、自分で原史料読んで考えるか、それがムリならチベット語よめる人の書いた専門書を読む(その場合もそれを理解できる理解力が必要だけど)である。
 
 それが不正確な情報を拡大再生産するネットやマスコミの洗脳から逃れる唯一の道。

 ちなみに、この同じ碑文をダライラマ法王は1989年にノーベル平和賞を受賞した際に、きちんと本来あるべき文脈で用いている。

(前略) 過去四十年にわたる占領期間にわが民族が受けた苦しみはよく記録に残されています。それは長く苦しい闘いでした。道理は私たちの側にあると思っています。暴力はさらなる暴力と苦しみを生み出すだけですから、私たちの闘いは非暴力を旨とし、憎しみとは無縁でなければなりません。私たちは我が民族を苦しみから解き放とうとしているだけであって、決して他の民族に害を及ぼそうとしているのではありません。

 だからこそ私はチベットと中国は話し合いをすべきだと何度か提案をしたのです。1987年、チベットに平和と人権を回復するため、私は五項目の提案を行いました 。チベット高原をアヒンサー(非暴力の意味)地域、すなわち人間と自然が調和して生きてゆける平和と非暴力の聖地にしようではないか、という提案もそのひとつです。

 昨年、私はストラスブルグの欧州会議でこの提案をさらに詳しく発表する機会を得ました。チベット人の中には譲歩しすぎであるという批判もあるようですが、これは実現可能であり、理に適った提案だと思っています。しかし残念ながら中国指導部は今日に至るまでこの提案に積極的に答えようとはしていません。もしこの状態が続くのであれば私たちも対応を考え直さなければならないかもしれません。
 チベットと中国の関係は平等・尊敬・信頼・相互利益の原理にたつものでなくてはなりません。それはかつて、チベットと中国の賢明な指導者が結んだ条約 の精神に立ち戻るという意味でもあります。この条約は西暦823年に石柱に刻まれたもので、その石柱は今もなおラサの聖なる寺院ジョカン寺の門前に建っています。この石柱には「チベット人はチベットにおいて、中国人は中国においてともに平和に暮らすものとする」と刻まれています。(後略)

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COMMENT

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ゆず | URL | 2008/12/19(金) 10:15 [EDIT]
中国共産党のプロパガンダだから仕方ないと思います。共産党が崩壊してもソ連みたいに混乱すると思いますし。共産党支配を正当化するつもりはありません。でも、汚職体質や格差を早く是正しないと危ないと思います。ネットでニュースを見てると、08憲章の署名が500人を超えたそうです。中国で。中国も情報がいくら規制されてもネット社会なんで、多くの人民は気付いてると思います。13億人が立ち上がったら、恐ろしいですね。
● 政治に正義を期待するのは無意味
susumu | URL | 2008/12/19(金) 11:02 [EDIT]
 政治というものはそれを行う人たちが、自分らの都合の良いように国民を誘導していくものであることは、共産主義国家であろうと資本主義国家であろうと、そして昔であろうと今であろうと、中国であろうと、日本であろうと、アメリカで言えばブッシュであろうとオバマであろうと変わらないものだと思います。チベットに対する中国の行動は、かっての日本を思い出させるものがあります。
 かっての日本ではその誘導に乗った人たちが国民の大多数を占め、悲惨な結果を生みました。しかも、驚くことにはその愚かにして巧妙な誘導に現在でも乗ってしまっている(あるいは利用している)人がいるということです。
 石濱先生のように、勇気を持って、そういう巧妙な誘導に反論をする人は何時に時代にも少数者です。そして、傍観者が多いことが悲劇を生むことになります。チベットの問題は実は日本の問題でもあるんです。皆さん、しっかり目を見開いて、賢くなりましょう。


てづか | URL | 2008/12/20(土) 17:36 [EDIT]
「唐蕃会盟碑」、ぼくの持っている講義でも、「前近代中国としては珍しい、対等・平等の形式で締結されたとりきめ」として、石濱さんが引用しておられる部分に下線をひいて、毎年かならず全文紹介しています♪

自分のWebページにもさっそく掲載して、「対抗」しようとおもいます。(08.12.26追記)とりあえず全文の拙訳掲載しました♪

PENBA YAKDU | URL | 2008/12/20(土) 21:51 [EDIT]
先生、原文解説ありがとうございます。
なるほど、中国は「唐蕃会盟碑」をそのように解釈することにより、「中国不可分の一部」を主張するのですね。
トゥルナン寺に行っていつも疑問に思っていたのは、碑を高い塀で囲い、布で覆ったりして見えないようにはしていますが、1951侵略の時や文革の時にどうして壊わさなかったのだろうか、と。西安(長安)のはもうありませんよね?
当時はこの碑のことを理解していなかったのでしょうか? もう、拓本や解説も多く出されているでしょうから、今更壊す訳にもいきませんよね。
塀を高くして、このコペルニクス的転回で逃げ切る大作戦に出たんですね。

しらゆき | URL | 2008/12/21(日) 12:48 [EDIT]
>ゆずさん
「仕方ない」のはわかっていますが、黙っているとダマされる人がでてくるので気がついたら反論します。

>susumu先生
ありがとうございます。政治に限らず、個人でだって、みな自分が「真実」だと思うものに他人を従わせようとしますよね。その「真実」が個人の利益ではなく、「事実」とか「普遍性」に裏打ちされていたらまだいいんでしょうけど。みなが政治に失望して誰も選挙にいかなくなると、結局はまた組織的な黒い人たちが世の中を回すので、できる範囲内で「普遍性のある個人的な意志」を持ち続けていければと思います。

>DBさん
>講義で紹介
貴サイトに掲載される場合、本ブログでカットした全文を掲載してくださると幸甚です。地道にアナウンスしていきましょう。

>Penba Yakduさん
中国国内では歴史的碑文はよくうちこわされて、民家の建設に使われたり、人民の卓球台になったり、トイレの足置きになったりしていましたが、唐番会盟碑は何とか建っているだけでも幸いなのかもしれません。それにしても塀をつくることといい、やることなすことがセコイですよね(笑)。

● 唐蕃会盟碑の塀
てづか | URL | 2008/12/24(水) 04:36 [EDIT]
唐蕃会盟碑をかこう塀は昔からあるもので、大正年間(1912-1916)にチベット入りしていた青木文教が撮影した写真でも、すでに塀でかこまれています(『秘密の国チベット遊記』中公文庫版p.158)ので、この塀に関するPENBA YAKDUさんのコメントはあんまりかと^^;)

カルマ♪♪ | URL | 2008/12/24(水) 08:32 [EDIT]
「Wikipedea」ねぇ、チベットあんまし詳しくないよ。
特にチベット仏教について。
数ページあればいいほうですが、内容がアレじゃぁ、オ●ムの教義と変わらない。
(誰か詳しい人書き直してきてあげてください。宜しくお願いいたします。)

しらゆき | URL | 2008/12/24(水) 10:21 [EDIT]
>てづかさん
私もあの塀は中国がやったと予断を持ってました。
なので、訂正。
そもそも人民は51年以後ラサの僧院をいくつか残してすべて壊してきたわけですから
碑文を読ませたくないのだったら、
塀をつくって隠すなんて迂遠なことするよりも、壊してましたよね。

>カルマさん
そうなんですか。困ったもんですね。専門家は専門に関する部分はWikiを検索したりしないので、かりにおかしな記述があったとしても、永遠にそのままになってしまいますね。
これがネット辞書の限界なのか・・・。
● 唐蕃会盟碑の塀
PENBA YAKDU | URL | 2008/12/24(水) 22:31 [EDIT]
てづか様
ご教示いただきありがとうございます。
深く検証もぜず勉強不足を恥じ入ります。
偏見とは恐ろしいものですね、戒めます。
どうして壁なんだろうとちょっと引かかってたのが、ひとつ勉強になりました。
この点NETの公開性はありがたいです。

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● 嘘八百 中国官製「チベットの50年」(1)
チベット問題【憧れの大地へ】 2009/11/23(月) 20:21
嘘八百 中国官製「チベットの50年」(1ページ目) 中華人民共和国(中国共産党)が自国のチベット侵略を正当化する論拠を手短にまとめたページに、人民画報「チベットの50年」があります。 http://w...  [続きを読む]
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