白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/03/07(土)   CATEGORY: 未分類
朋あり遠方より来たる
今月の『大法輪』に「チベット仏教の輪廻感」が掲載されました。よんでねー

 金曜日、国際交流基金のチベット講座のため、平岡宏一先生が上京。
 先生の「チベット密教」の講義を聴く。

 自分の受けた密教の教えが、どのような伝統をたどって今自分のところまできているのかという点から話されるのをみて、「おお、これは、チベット僧の法話のスタイルにのっとってるな」とオタクなツボで感心する。

 密教の教えは阿闍梨(密教を教える資格をもつ僧)から弟子へ、ローソクの光を別のまだ火のついていないローソクにうつしていくように、マンツーマンに行われる。その関係は、コーチと選手との関係に似て、阿闍梨は弟子の様子をみながらそれぞれにあわせた指導を行う。だから師弟の絆はこい。

 教えを授ける時、ラマは必ず、「自分のこの教えは、お釈迦様から仏弟子のナントカ菩薩へ、それから何代かインドの聖者を経由して、チベットのナントカ訳師がチベットにもってきて、何代かたってダライラマホニャ世から自分の師匠に伝えられたものなんだよ・・・」みたいな説明を弟子にする。

 これを耳にすることで弟子には、仏教の悠久の歴史に自分がつらなっているという自覚と責任感がめばえる。


 で平岡さんの相承はこんな感じ。

 ダライラマの宗派であるゲルク派の開祖は14世紀のツォンカパである。ツォンカパは密教の経典としては『グヒヤサマージャ・タントラ』を重視し、なくなる一年前、弟子たちを招集して自分の『グヒヤサマージャ』に関する著作を手に掲げて、「自分のこの密教の伝統を受け継ぐものは誰かいるか」ときくと、ジェ・シェーラプセンゲが立ち上がった。

 で、1444年、シェーラプセンゲはツォンカパの書いた『グヒヤサマージャ』の注釈書を簡明に解説した通称"ティカ"(注の注のこと笑)を著した。

 彼はこの密教を伝授するためにギュメ学堂(下密教学堂)をたてた。
で、そのあと数百年とんで、平岡先生が1986年にインドに仏教の勉強に行って、「『グヒヤサマージャ』を勉強したい」と言ったら、再建ギュメ(平岡さんのお父さんが施主になって再建した)の副館長が「じゃあ、この先生についたら」と紹介されたのがガワン先生。

 運命(ウンミョン 韓国語 笑)の出会いであった。
 
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 で、平岡さんとガワン先生の絆は、ガワン先生がガンと闘病するために日本をなんども訪れた最晩年の三年間に、より深いものとなる。

 抗がん剤治療を行うために、平岡さんのおうちに長期滞在される間、平岡さんはこのシェーラプセンゲの"ティカ"を先生より伝授された。そのまとめとしてインドでおこなった護摩行の映像もチラと見させていただいた(もっとも七時間もかかるので現場にいた人ですら途中までしか見てなかった 笑)。
 
 で、そのあと意識の話が続く。

 人は死に瀕すると、見たり、聞いたり、触ったりという感覚が順になくなっていき、80種類の表層意識が一つ一つなくなっていくと、心の本来の姿である、光がチラチラ見えてくる。

 で問題はその説明。これに感動した!

 平岡先生「浜辺でカラオケ大会やったら、そうぞうしい音楽しか聞こえませんやろ。でもカラオケ終わって静かになったら、波の音が聞こえますやろ。それと同じで、死にかけてくると日常的に働いていた粗大な意識が無くなっていって、心の本来の姿である微細な光が見えてくるんですわ」という一言。

 粗大な意識が微細な意識へとシフトしていく過程を、浜辺のカラオケ大会にたとえるなど、お釈迦様でも思いつくまい。

 で、講座のおわったあと、みなで、徒歩一分の場所にネパール国旗のかかっているカレーやに入る。うまいこと、チベット絨毯もしいてあるし、ポカラのポスターもはってある。で、席につくかつかないかのうち、

 平岡先生「ここにガワン先生つれてきてるんですよ。」 

とおっしゃって鞄から先生の御遺骨の一部をとりだして、分骨してくださった。先生のご遺言の通りに散骨をしてください、とのこと。そしてガワン先生の火葬とお葬式の写真をみせていただく。ガンデン大僧院が総出で厳粛に行っていることがわかる。
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 で、定番のインド土産をいただく。

 僧院で作られたお線香、白傘蓋のお守り、猊下が主宰したチャクラサンヴァラ、ヤマーンタカ、そしてアマラーヴァティのカーラチャクラの灌頂の砂曼荼羅の砂を集めたもの、ガンデン大僧院北学堂お加持の宝薬。

 いやー、聖者のご遺骨に、ダライラマ猊下祝福済みのマンダラの砂に、白傘蓋のお守りに、宝薬。

 まんま数百年前の文献にでてくるチベット土産と同じや。

 歴史家にとって涙がちょちょぎれる土産物。
 
 すると、平岡先生

 「センセ、そのうち今のギュメの僧院長を日本にお呼びしますわ。今度のラマもすごいでっせ。ガワン先生とはちょっと違うタイプで、お茶目な方なんですわ。大学僧でミスター『入中論』て呼ばれてるんでっせ」

 チベット仏教はけっこうタフだと思う。
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| | 2009/03/08(日) 11:15 [EDIT]
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● 先生、有難うございました。
koichi | URL | 2009/03/08(日) 11:52 [EDIT]
石濱先生、ご夫妻で遅い時間までお付き合い頂き、有難うございました。とてもとても楽しかったです。また、3月7日の読売新聞の先生の記事、チベット問題の本質を突く、素晴らしいものだと思いました。
  さて、私がギュメ密教学堂に留学していた、1989年はのちに、“伝説の年”と言われる程、インドで亡命中の、優秀なゲシェーが沢山集まった年でした。
 ギュメの副管長は3年に一度、ダライラマが、資格者の名簿の中から指名するのですが、この年に集ったゲシェーで、今日までギュメの副管長に指名された人はガンワン先生を筆頭になんと4人。私がギュメから戻ってから就任した副管長は7人ですから、半数以上ということになります。
 当時のギュメの副管長が「自分より間違い無く上」として、紹介して頂いたのが、ガンワン先生でした。私は午前中はガンワン先生に秘密集会を習い、午後から、副管長の弟子であった、「ミスター入中論」先生から、中観を習うという、ギュメの僧侶垂涎の時間を過ごしました。
 ガンワン先生が遷化された今、「ミスター入中論」先生は私が本当に親しくして頂ける、ラサの気風を伝える最後の方です。石濱先生にも是非会って頂きたいと思っています。

カルマ♪♪ | URL | 2009/03/09(月) 13:04 [EDIT]
失って気づくもの。
師の教えと、人のご縁。
あ~ぁ。げいかから、無言電話が、100回以上来てた頃が懐かしい。(チベット語が分からんから、げいかも、無言だ。シクシク。)
所で、なんで無言電話かけてきてたんだろう?

セキセイインコのおじさまは、8歳じゃなくて、9歳でした。
猫は、2歳半です。(・・・・・。)
● 不変なもの
モモ@大東 | URL | 2009/03/10(火) 12:33 [EDIT]
タフというか、不変というか、
真理と実践に基づかれたチベット密教は
永遠に変わらないでしょう。
変わってほしいと思う人もいない。
変わって欲しいのは某国の・・・ムニャムニャ。

シラユキ | URL | 2009/03/11(水) 23:55 [EDIT]
>はじめてさん
熱心にいろいろ聞きに来てくださってありがとうございます。密教てのはとても神秘的な側面ばかりがクローズアップされますが、チベット僧はじつは大変な学僧。その学識があったうえでの実践修業なので、説得力もますんですよね。これからもその熱心さで仏の道をもとめてくださいませ。

>Koichi 先生
いや東京まで起こしいただき本当にありがとうございます。私も楽しかったです。ミスター『入中論』にお会いできる日を楽しみにしておりますです。

>モモさん
いや誰しも、あの人たちには変わってもらたいですよ。彼ら自身だってあれじゃあ生きづらいでしょう。じつは彼らが罵っているチベット仏教こそが彼らの唯一の味方ですよ。エゴイスティックな人間には味方はいません。じつは自分すら自分を見捨てていたりするんですよね。

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