白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/06/13(土)   CATEGORY: 未分類
破天荒
 教育実習にいく学生が今年は非常に多いため、ゼミの参加者が少なくわびしい。ゼミ生は基本、授業を受けるというよりは友達に会いに来るから、参加人数がへると、暇な人まで来なくなる。

 大学生に勉強をさせることは「ラクダを針の穴に通す」より難しいね。

 でも、掲示板に「教育実習でチベットが今どんなに大変かみたいなことを伝えました」なんて学生が二~三人いるのをみると、ああ、学校にはきてなくても、うちのゼミ生なのね、と単純に嬉しい。

 私は中学校の頃、サヨク教育で有名な私立学園に通っていて、友達とか学校生活は好きだったのだけど、何としてもその人民教育になじめなかった。この学園では行事やホームルームばかりに時間を使い、教育のコンセプトはとにかく「みんな一緒」の悪平等。

 できない子にあわせて授業が行われるため、当然生徒の学力はメタメタ。ナイロンザイルの神経をもつ私でもさすがに耐え難く、ほぼ全員が系列校に進級する中、別の高校に逃げた。

 そういう体験があるため、同じ思いを学生にさせたくなく、自分の思想信条を学生に押しつけないようにしている。でも、年に一人~二人はすごく反応のいい学生がいて、そういう子はやはりカワイイし、こうして教育実修でフリー・チベットを教えてます、とか言ってくれたりすると、本当にカワイく感じる。

 ということは、私の中学校の先生は私が可愛くなかっただろうな、と今にして思いいたる(笑)。つか、その後の人生をかけて、あそこで受けた教育に反論しているようなものだし、可愛げないどころではないですな。

 はい、本題。インドにおいて仏教復興運動に取り組んでいる佐々井秀嶺氏が43年?ぶりに帰国していることもあり、彼の伝記『破天』を読んだ。この佐々井氏の人生、題名そのまんま破天荒。小学生の頃から異常に強い性欲とウツに悩まされ、性(笑)と死の間で七転八倒したあげく、流れ流れてインドにたどり着き、カーストにすら入れてもらえない最底辺の人々と出会う。

 このアウト・カーストのひとたちの貧しさは昔からインドの大きな問題で、ガンディーも彼らに対する差別をなくすよう生涯何度も断食を行っている。しかし、この人たちはガンディーはきらいで、アンベードカルを彼らの英雄として尊んでいる。アンベードカルはアウト・カースト出身でコロンビア大学に学び法学博士になって、独立インドの法務大臣になった。

 ガンディーはイギリスの分割統治の罠に陥らないように、特定の階層、特定の宗教、特定の民族にこだわらず、みながエゴを捨てて他者に対して寛容の気持ちをもち、差別なんしちゃいかんよ、と普遍的な立場から人々を諭した(ダライ・ラマ法王もこの立場)。

 しかし、アンベードカルは違った。彼は、とりあえず目の前にある最底辺の人たちの具体的な権利向上を行うため、最底辺の人たちに特価した政治を望んだ。さらにヒンドゥー教を差別の温床とみて、最底辺の人たちをヒンドゥー社会から分離し、仏教に改宗させた。このような行動がいわゆる特定の集団の利益にこだわってインドの団結を阻むようにも見えたため、まあほかの階層からあまりよく思われなかったんですね。

今も、ガンディーはインド独立の父としてインドの大半の国民ならびに世界中から尊敬されているが、アンベードカルはこの特定のカーストの人たちの英雄にとどまっている。普遍対ローカリズム、いつの世にもある対立の構図ですな。

 で、佐々井師はこのアンベードカルの立場にたつものだから、やっぱあらゆるものと対決し孤立する。当時インドにはまともな寺も僧団もなく、ただにわか仕立ての名ばかりの在家の仏教徒がいるばかり。そこで佐々井師はひたすら寺をたて、人々を仏教に改宗させ、ヒンドゥー教徒が管理する仏跡を仏教徒の手に取り戻す運動をはじめる。

 で、そのやり方なんですが、佐々井師は最底辺のひとたちを何万人も動員して、仏教遺跡や首相官邸におしよせて、デモをしたり、座り込んだりして、要求に対する返答がくるまでがんばり続ける。問題なのは、彼が動員する人々は最底辺の人々なので、あまり品格のある運動が展開できないこと。

 インドで仏教が滅びてからうすら千年近くたつため、仏教遺跡の上にはヒンドゥー教の寺院がたっていたりする。佐々井師の動員した人々は彼が制止しないと、このようなヒンドゥーの神様をぶっこわしたり、警察とぶつかったりする。また、みな貧乏なので移動の際に電車賃が払えず、確信犯的な無賃乗車を行う。非暴力運動とは元来、統治者が自分の保身のために作った悪法以外の法は決して破らず、それ以外の法を遵守することによってその悪法の存在を際だたせる戦法なので、無賃乗車や他人の尊重する神像の破壊を行うことがすでに非暴力運動の枠からはみでていることは言うまでもない。

 「永年にわたる差別の結果、彼らは暴力と貧困に囚われている。だからこれくらいは負けとけ」ということなのだろうが、それを言い出すと、彼らと彼らが批判する対象のどっちが被害者かわからなくなってくる。

 また、佐々井師の右腕のアーナンダ師はアグラ戦争をあおり立てたアジテーターだし、左腕の人はバラモンを三人殴り殺して、二丁拳銃を腰にぶち込んでいたガンマン坊主。これが示しているように、佐々井師は思想よりも瞑想よりも行動を重視し、社会運動に力をいれた。当然、上座部仏教とも日本仏教ともうまくいかず、最澄と奈良仏教界、日蓮と既成仏教界みたいな対立がばりばり始まる。

仏教の克己的かつ普遍的な教えは、お釈迦様が王子サマであったことからも明かなように、そもそも上流階級向け。チベット仏教が欧米の知識人と上流階級で理解され、人民中国で排斥されているのもじつはさもありなん。

 日本のような教育のいきとどいた社会もどちらかというとこの克己・禁欲のチベット型仏教が向いているだろう。知識人は人種、宗教、国家の枠を超えた普遍的な言葉を語るもの。でも、社会の最底辺にいる人々は自らの特殊事情を正面にたてて自分の権利のために戦う

 最低限の生活も保障されていないインドの人たちには、日蓮や親鸞や佐々井師のような存在が必要だった。まあ、ただ弱者救済のために、カネのためでも名誉のためでもなく、無欲に戦い続ける佐々井師の後半生の生き方は、僧侶としてとしては議論の分かれるところだと思うが、人としては立派だと思う。
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| | 2009/06/14(日) 16:09 [EDIT]
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● なるほどなるほど
フコイダン | URL | 2009/06/14(日) 20:17 [EDIT]
>知識人は人種、宗教、国家の枠を超えた普遍的な言葉を語るもの。でも、社会の最底辺にいる人々は自らの特殊事情を正面にたてて自分の権利のために戦う。

なるほどなるほど


モモ@八尾 | URL | 2009/06/15(月) 14:09 [EDIT]
>知識人は人種、宗教、国家の枠を超えた普遍的な言葉を語るもの。でも、社会の最底辺にいる人々は自らの特殊事情を正面にたてて自分の権利のために戦う。
社会の最底辺(無知な人)にいる人たちとは
戦争を仕掛ける側の言い分なのですね。
すごく納得しました。

カルマ・フォーチュン(♪♪) | URL | 2009/06/15(月) 15:59 [EDIT]
パソコンって、べんりだよねぇ。
でも、僕と同じ年齢の人達でも、できる人って、まだまだ、少ないんだって。
子供に教えてもらい何とかできる程度で、何とかできるかなぁ。

で、本題。
ぼくねぇ、実は、漢字の読み書きがめためたで、脱字だらけなんだ。(感想文が、脱字だらけなのもその所為かも。)
確かに、できる子、出来ない事で、教育の現場を分けるのも手ですが、それじゃ、本当に学びたい意欲は有るけど、覚えるのが遅い子だっているはずで、やはり、義務教育の現場では、少なくとも、小学校までは、平等の方がいいと思う。

スラムの話は確かに、悲惨ですね。
彼らには、平等どころか人権すらない。
マザーテレサが、彼らに差し伸べた手は、その後、どうなっていくのだろうかと気になってました。
宗教を超えて、助け合うのも、人だからできることなんだなぁとおもう。

シラユキ | URL | 2009/06/18(木) 09:37 [EDIT]
>ゆずさん
貧困っていうのは無知と暴力の温床であり、何とかしなければならないのは確か。でもこれを何とかするのは本当に社会全体で何とかしなきゃいけない難しい問題なんですよね。

>フコイダンさん
ガンがなおりそうなHNですね。

>モモさん
いや、貧しい人っていうのはその社会に見捨てられていると思うから、社会を破壊することに躊躇しないんですよ。だからその人数がある一定程度をこえると内戦がはじまり、社会が崩壊する。

>カルマさん
問題は「平等」の内容ですよ。できない子にあわせるのは平等じゃないですよ。
● こんなんみつけました
モモ@八尾 | URL | 2009/06/18(木) 13:40 [EDIT]
http://tcp-np.com/
ネパール・チベット問題も扱ってますl
選挙じゃないけど清きい票を。

シラユキ | URL | 2009/06/18(木) 21:07 [EDIT]
>モモさん
紹介ありがとうございます。↓もみてね。
http://shirayuki.blog51.fc2.com/?q=%C1%AA%A4%D0%A4%EC%A4%B7

カルマ・フォーチュン(♪♪) | URL | 2009/06/19(金) 08:57 [EDIT]
塾に一度も、子供を通わせなかった経験から言わせていただくと、それでも教育者は、小学校までは、出来ない子にあわせた方がいいですよ。
できる子は、ただ、飲み込みが早いだけだったり、暗記が得意だったりで、本当にこの問題が、何故そうなるのかまでは、解けてない子が多かったり、出来ない子や問題行動を起こす子を、軽蔑するようになるから。
確かに、記憶障害の子が、できるまで待っていたら、授業は全く進みませんが。
(僕自身、自閉症もちで、記憶障害があったからね。)

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