白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/11/22(日)   CATEGORY: 未分類
デリーで記念学会
私の本職はチベットの歴史を研究することである。その本分にのっとって水曜日から金曜日までデリーで開かれた記念学会に参加した。

最初は近所の英会話教室にでもいって英会話に耳を慣らそうかと思っていたのだが、面倒臭くなり、ミクシのアプリ「英単語漬け」と今はなきNOVA出版の『ホームステイ・短期留学で一日目から通じる英会話』を読んで、あとは行きの機内で英語字幕のインド映画みて終わり。
 だからだめなのね、自分の英会話。

 この学会に参加した顛末はこうだ。今年の五月に突然、ラクパ代表から「先生、デリーに招待いたしますよ!」と連絡があり、何に招待されるかも分からないうちに、招待状がくるも、デリーでやること、チベットの歴史と文化がテーマであること以外、何も書いてない。学会のホームページもない。主催者の名前もない。

 とりあえず、難民社会に負担をかけたくないので早稲田の学会参加費を使うことにする。去年胡錦涛を学内に入れたのだから早稲田大学が私一人の交通費くらい難民社会に寄付しても罰は当たらんだろう。

 で、なんと会場が知らされたのは出発一週間前になってから。よほど招待客以外に知られたくないのであろう。宿舎はどうもデリー大学のゲストハウスらしい。

 旅行者の格好でデリー空港につくと雲助タクシーにさらわれるので、びしっとスーツで決めてエアインディアに乗り込む。エアインディアのサービスは悪い。航空マップがないからどこ飛んでいるかもわからないし、映画のイヤホンも壊れていて音がしないし、映画も最新作のハリウッドものとかほとんどなくて、インド映画みたほうがまし。

 しかし唯一いいところは、三人分の席を占領してインド人のように毛布にくるまって寝ても、そのまま乱気流になってもベルト閉めろとかやめろとかうるさくいわれないところ。JALならこのおおらかさはありえない。もちろん行き帰り足を投げ出してかってに寝る。

いい加減退屈した長いフライトの果てにやっとデリーにつく。何と空港は近代化していて、雲助タクシーは全て排除されていた。何のためにスーツ着てきたのかわからん。学会からはペンパさんが迎えにきてくれていたが、オールドデリーで渋滞に捕まって宿舎まで二時間かかる。十時間近いフライトに排ガス渋滞攻撃に、ただでさえがまんのない私の神経はきれかかる。

 しかもゲストハウスにつくとペンパさんはナチュラルに私をおいていってしまう。学会のプログラムとか事務局の位置とか、何かあった時の対応とかどこに聞けばいいのかわからん。仕方ないので、そこらにいたElliot Sperlingを捕まえてどうしたらいいかと聞くけど、僕もスタッフがどこにいるかわからん、と言われる。

 とりあえず、部屋に入ってみるとInternational Guest Houseだというのに、パソコンもつながらず、とりあえず国際電話をダイヤルしてみるもつながらない。どこが国際ゲストハウスなのだろうか。聞けば近くにネット喫茶もどきがあるらしいが、そこのパソコンも壊れていて一台しか動いてないという。なんとデリー大の通信事情はまだ原始時代であった。おかげで、私のラップトップは持参したdvdの鑑賞機器としてのみ機能することとなる。

 おまけに発表の途中とか空港とか、どこにいてものべつまくなしに停電がある。これって計器とかに異常を来さないのか。まあここはインドだし何言ってもムダね。このおおらかさでチベットと難民を迎え入れてくれたんだもんね。私もこの方が楽でいいわ。

翌日、ジャムパサムテン教授の奥様である田中さんが現れたことにより事情がより明かとなる。そもそもチベット人はあまり段取りしないし、事務局にはパソコンも印刷機もないので、予定の変更を掲示したり、地図を打ち出したりとか、こまめに対応できないそうだ。
会議場

 さてやっと手に入ったプログラムによると自分の発表は初日の午後二時からである。なんか文化部に仕分けされているので、知り合いの研究者はみな歴史部にはりついていて、参観者は少なそう。そこで、自分のペーパーをコピーしてこれない人には強制的に読ませることとする。そして三日目の予定をみてビックリ。閉会式の名誉ゲストがダライラマ法王である。

 法王がデリーにこの期間いるのは知っていたのでたぶんお見えになるだろうと思っていたが、なぜよりによって最終日なの。

私帰ったあとじゃん(日曜日に校務がある)。

 
 招待されて集まってきた各国研究者たちキルギス、ブリヤート、モンゴルといったチベット仏教が伝わった地域の学者たち、また、中国と境を接して苦労するインド、ネパール、また欧米諸国の学者たちはそれぞれみな本当にチベットの歴史と文化を愛していてその文化の存続を強く願う人ばかりで、発表を聞いていると熱い。

 この学会はカンバンに記載されたところよるとデリー大学とチベット大学の共催だが、デリー大学の由緒あるカンファランス・ホールが会場になっていることから見ても(最初の写真)、チベットに対するインド政府の温かい思いが伝わってくる。

成金レバレッジ失敗した早稲田大学よ、デリー大学を見習え。

胡錦涛呼ぶよりダライ・ラマを呼ぶ方が、はるかに人類の未来に資するわ。

 亡命政府がこの学会をアレンジしたのは、法王50周年の節目の年に世界中のチベット学者に事実をアピールしてもらいたかったからだと思う。

 この学会がみな招待者でなりたっているのには訳がある。学会をオープンにすると中国が赤色代表団を送り込んできてプロパガンダ発表を繰り返し、まともな発表に対しておかしな質問をしたりして、アカデミックな雰囲気を壊すのだ。事実や証拠のある意見なら聞く耳ももとうが、彼らはそのようなスタンスにはないからね。

 この学会に一人事情を知らずに紛れ込んでしまった中国の学者さんがいたが(安全を考えて名前を秘す)、彼女と話してみると、彼女は悪意ではなく本当にチベット問題について何も知らない。どうも、チベット難民がいるという事実すら分かっていないよう。これでも彼女は一応大学の先生なのである。なぜ、諸外国が中国に報道の自由を求めるのかこれ一つとってみてもよく分かるだろう。

 で、こんな急な日程にも関わらず、世界各地からこれだけの人が招きに応じたのは、もちろん招待だということもあるけど(私は早稲田に払わせたが)、やはり真実を知る立場にある学者たちがチベット文化をこのまま消滅させてはならない、と使命感をもって生きているからであろう。

 実学の学者さんの一部には、政府の委員になりたい、とか、マスコミで売れたい一心で、政策の変化や民意の動向をうかがいながら、その言説をころころと変える人がいる。

このような実学に携わる人と異なり、歴史学者はあくまでも証拠と史料批判に基づいて研究を重ねる。従ってまじめにやっている歴史学者ほど中国のプロパガンダには心底あきれ果てている。

 それに、欧米ではチベット史はよく知られているけど、敗戦国の日本は中国に気兼ねするあまり、とくに朝日新聞が中国の見解をこの五十年代弁しつづけたことより、チベット史に対する認識は混乱している。日本では裏付けのある事実をもって研究内容を口にしても、何も知らない連中によって冷笑されたり、中国人留学生におかしな抗議をされたり、またそれを「中国人を傷つける」とかいってかばう日本人の先生達(Mよ、あの先生のことだ)がいることにより、真実は限りなく曖昧にされてきた。

この件に関して一番悪いのは16億を洗脳している中国であるが、この日本の社会の姿勢もいかがなものかと思う。

 大多数の人は人口に膾炙することを根拠がなくとも真実だと思う。

 マスコミも一般人も問題がおきた最後の最後にしか専門家に意見を聞きにこない。20人いたら19人まで意見を変えるまで、集団の意見は変わらない。

しかし、「アジアの安定を維持するため」「ビジネスのため」などなど、どんな理由をつけても、一つの文化、それも多くの人がその価値を認めている歴史ある文化を葬り去る権利は誰にもない。それが国家であろうと、実学者であろうと。

このような現在の自分の立場を守るために、過去の歴史をいじろうとする無知・無責任な大多数の人々の意識をかえるべく、このデリーに招集された40数人の学者たちは事実を武器に戦っているのである。

 これはもう修行だね。

 学会は三日間にわたって開催されたが、自分は二日の夕方に日本に向けて発った。本当にタッチアンドゴーである。私が「ああ、今回も空港と大学を見て終わり。まっいっか」と言うと、田中さんが気を遣ってくれて、空港に向かうタクシーをラージガートに止めてくれた。ガンジーの火葬された地だ。
 ラージガートは聖地なので、みな靴を脱いでお参りする。なので、靴をあつめる場所はインド人の脱いだ靴のニオイが充満して超クサイ。

 足洗え、インド人!

 じつは、自分の発表の冒頭に挨拶部分でこう述べていた。

 「私は二十歳の時、イギリス映画ガンジーに感動してインドにきました。これは私の初めての外国旅行でした。ガンジー博物館、ガンジーが火葬されたラージガート、などをめぐり、ラダックテンプルにいってそこでチベット難民と出会いました。それから、日本に帰ってチベット語を学び始めました。だから、今ここでチベット人の主宰する学会にこうして歴史学者として参加できていることをとても名誉に思います。」
 


 丁度日没時だったので、ガートにともる火が赤々と宵闇に浮かんでいた。
 こうして振り返ると自分の人生はホンマに最初から今に至るまで一貫している。研究内容も客観的にいってぶれたことをいったことは一度もない。

 昨年3月チベットが蜂起した時、「それでも自分は非暴力の意志を曲げない」と示すため、法王はここラージカート(マスコミはガンジー廟と記した)に詣でた。今私の目の前にある芝生に法王は座っていろいろな宗教の人たちとともに祈ったという。
ラージガート

 ダライラマの座ったという芝生も撮影。灯りに向かってチベットとダライラマに力を貸してくださいと偉大なるガンジージーに祈る。自分とチベットとの関わりは二十歳の時ここから始まった。それを考えるとやはり感慨深い。

 それから、運転手さんの選んだ道はインド門(第一次世界大戦の前、イギリスはインドに戦争に協力したら自治をあげるといってインド人を協力させ、終わった後は約束を反故にした。そして戦死した人をまつるこの門を作ってごまかした。)の前を通った。そういえば二十の時、深夜デリー空港についた自分は雲助タクシーにつかまり、雲助は頼みもしないのにここインド門につれてきてくれたっけ。あのときと同じようにインド門はライトアップされていてとても美しい。

 それを見た時、自分は今、正しい位置にたって正しい方角に向かっている。と、そんな感じがした。

 デリーは埃だらけだけど、ゲストハウスのシャワーは途中から水になって滝行になるけど、排ガスで喘息だけど、はっきりいってもうしばらくインドはごめんだけど、わたしはあの時から長い時をへていま再びこのインド門を目にして、今までの自分の人生を後悔していない自分が素直に嬉しい。

ここまで私を導いてくれた何か、ありがとう。

※註 せっかくいい話なんだからインド人の足の臭い話はぬいたらどうかとダンナ様に言われましたが、ナマのインドを感じて戴くためあえて残しました。イヤな人はこの部分だけぬいて記憶してください(笑)。
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COMMENT

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● いったい誰なの?
Yonemon | URL | 2009/11/22(日) 09:18 [EDIT]
「中国人を傷つける」とかいってかばう日本人の先生・・・って?。もうちょっとヒントがほしいな~。
● 管理人のみ閲覧できます
| | 2009/11/22(日) 21:38 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

ハマーン | URL | 2009/11/22(日) 21:44 [EDIT]
「今までの自分の人生を後悔していない自分が素直に嬉しい。」
これまでも、今も、正しい位置に立って、正しい方角に向かっているからこそ、
そうお感じになられたのかもしれませんね。
この日記を読んでいて、自分のことでは無いのに、とてもうれしくなりました。
無知な私がいうのも僭越ですが、幸せとはそういうことなのかなと思うときがあります。

話は逸れますが、チベット僧を崇高に感じるのは、彼らが論理学を追究されていることと深く関係があるのかなとも思っています。

Penba Yakdu | URL | 2009/11/23(月) 00:41 [EDIT]
デリー空港に迎えに行った方ではなく、出雲で出迎え損ねた方のペンバです。

ここまで先生を導いてくれた「何か」よ、ありがとう。
と、僭越ながら私もそんな気持ちになって読ませていただきました。
やっぱり歴史の先生方にがんばってもらうのがチベットには一番良いのだ、と足の臭いも含めて(笑)記憶に留めます。

シラユキ | URL | 2009/11/27(金) 23:40 [EDIT]
>Yonemonさん
いやまったくの内輪話で私が非常に狭い会合でした体験です。何事も修業ですが、あの時はちょっときました。

>syuさん
エールありがとうございました。来年をお楽しみに。

>ハマーンさん
論理学と倫理学ですよね。客観的に自己チェックをするので丸い人格になっていく。高僧は本当にすごいです。ハマーンさんもなかなかのお人柄とお見受けしましたが。

>Penbaさん
いや「足の臭い」は本当にすごかったです。一方的なインド美化もいかがなものかと思ったので、リアルも追求してみました。基本、私はインドあれでいいと思いますよ。温室効果ガスは日本同様減らした方がいいと思いますが。

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