白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
DATE: 2009/11/29(日)   CATEGORY: 未分類
講演マナー
 土曜日、上野の東京都美術館の講堂でチベット美術についての講演を行った。何のスポンサーもなくボランティアによって運営されている会なので、講師である私も無給である。TCPのIさんのお話を聞いたこともあり、また、生来のサービス精神もあり、無給といってもきちんと準備をして、リピーターの方でも飽きないような構成を心がけたつもり。

 講演は八大仏塔と仏の事績からはじめて、仏教の簡単な概説を行う傍ら、チベット仏教と仏教をほめたたえるために発達したチベット仏教文化の諸相について解説した。

 会場ではいつもブログにかきこみをしてくだるdominoさんなど、ブログの読者の方、また、拙稿を扱って戴いている編集の方、カルチャーの生徒さんたちがきてくださっていたようで、この方たちには本当に「お休みの日、お運び戴いて本当にありがとうございました」と心より御礼申し上げます。

 しかし、問題はそのあと。

 質疑応答の時間となったのだが、最初と二番目の質問は講演内容とはまったく関係ないもので、前者は質問者が聞きたいと思うことを聞いたものであり、次は、彼自身の意見を述べるためのものであった。両者ともにその内容を含めて気持ちがいいとはいえない発言であった。

 学術的な講演のあとの質疑応答はその内容に即したものにすべきことは、聴衆と講師の間での最低の合意事項である。ところが、質問者は講演の中で一言も述べていない無上ヨーガタントラの修業について聞いてきたのである。

 あのチベット仏教の膨大な知的遺産のうち、顕教だって完全に理解しているとはいえない自分が、顕教を終えた後にはいる密教の修業について責任ある回答をできるわけもない。

 チベット仏教の高僧たちが繰り返しのべることは、あらゆる仏教の修行、教学はすべて一人の人間が仏にいたるまでの修業過程の中のどこかに位置づけられるということである。。これは、あらゆる修業や教学の一つ一つは切り離して単体で理解したり修業したりするのではなく、それぞれ修業階梯のさだめられた箇所で順をおって理解し体得していくべきことを示している。

 したがって、チベットのお坊さんでもごく一部しか進ことのない無上ヨーガの修業の話を一大学教員の講演で聴いてお手軽に得られる知識と思っている時点で、まずあかん。

 本当に何かを「知りたい」「究めたい」と思うのであれば、人に聞いてすませるのは誠実ではない。ましてや、人に意見したりする前に、腹をくくって自分で納得のいくまでホンモノの僧について修業してください、といいたい。

 大学の先生はコンビニではありませんので、あなたがたののぞむものをすべて置いているわけではありません。一研究者(歴史家)として責任をもって答えられると思うところまでを答える以上のことはできません。

 また帰り際にも、聴衆の一人の捨て台詞に呆れるが、これについては「あそこまでなるにはいろいろあったんだろうな、可哀想」と思った。

 その後は高田馬場にもどり、今年三月に卒業したゼミOBとの飲み会に参加。この代のゼミ生はみな仲が良く、楽しくもりあがったため、かなり気分はリセット。社会人になったゼミ生たちはちょっぴり大人になっていて相変わらず明るい。
 で、翌日このような温かいメールも頂戴してさらにやる気アップ。


こんにちは、はじめまして。
世田谷に住む、●×▲と申します。
突然のメールを失礼いたします。

昨日、上野の東京都美術館での講演、拝聴させていただきました。
「チベットを知るための50章」をはじめ、先生の本を読ませていただいております。先月、風の馬のトークショーにお伺いし、先生の軽快な語り口調とわかりやすい内容にひかれ、今回も参加させていただきました。

最後の質疑応答の方々の質問に驚き、(誰も名乗らず、一言のお礼もなく、講演内容と関係のない質問ばかりであったこと・・・)先生のお話をかみ締めるように楽しんだ者として一言お礼を言わせていただきたく、メールさせていただきました。

わかりやすいお話を、本当にありがとうございました。

よく公私共に講演会の場には立ち会うのですが、8割方居眠りをしてしまう私ですが、先生のお話は瞬きをする間もないほどあっという間に時間が過ぎました。

今年の9月にはじめてラサを旅行したのですが、親切にしてくださったチベットの人たちの、話の内容がやけに画一的だったことに違和感を覚えていました。先生のおっしゃっていた彼らからの情報は、言論の自由のない場所から発せられるものであるという見過ごしがちな現実を、あらためて認識しました。

とりとめのないメールになってしまいましたが、これからも、先生のお話を拝聴するのを心から楽しみにしております。(ブログも楽しく読ませていただいています)

 
もういっちょ!

石濱裕美子先生

はじめまして。●×▲と申します。
昨日の東京都美術館での先生の講演を拝聴させていただき、・・ました。

ダライラマ法王様に心を打たれて以来、仏教とチベット仏教、チベットの歴史、チベットの現状にについて、まだまだ勉強をはじめたばかりでしてヤフーに法王様のお名前をいれて検索して、石濱先生のサイトにたどり着き先生の明確なご意見、知性とユーモアに溢れる文章に感銘を受けていち読者として日々、各ページとブログを愛読させていただいております。

先生のご講演の予定の日と自分の日程がなかなかあわず、昨日は、念願かなって、はじめて講演を拝聴させていただきました。

とても充実した時間をすごせました!
本当にありがとうございました。

先生の講義は、ブログから伝わるお人柄と同じく語り口もきっぱりと簡潔で、しかもわかりやすく仏教のなんたるかを、基本中の基本から教えてくださり目からウロコが何枚も落ちるくらい、ものすごくストレートに脳内で理解できました。

それまで仏教についての本も多少読んでおりましたがあの1時間半の講演は、その本よりもはるかに理解しやすくこんなにスッと納得できながら勉強ができたのは、はじめてです。自分でも驚きました。

もっとじっくり何時間でも聞いていたい!と心から思いました。
仏教の基本中の基本からわかりやすく教えていただきいちいち納得して、うんうんうなづきながらもはじめて知る事柄が出るたびに仮にも自分は日本人として、仏教徒として今まで生きてきたというのにこの無知さはいったいどういうことか!と衝撃を受け、恥ずかしくなるほどでした…。

「智恵とはすなわち『空』のことであって、空とはこの世界いっさいが相互縁起していて実体がないこと。空を頭で理解することは簡単だけど、頭で理解するだけでなく、実際に実行すること。それがいちばん大切だ」と教えてくださり、ありがとうございました。

実は、この『空』こそが、いろんな本を読んでも、法王様のお話を聞いても講演の本を読んでもどうもあと一歩、もう一歩が難しくて理解がつかめなきれてないところなのです。これからもっともっと真剣に勉強して頑張り、理解していこうと思います。

本当にありがとうございました。


さいごにもういっちょ!

石濱先生♪夜分にお晩です。
先日の上野での講演お疲れ様でした。&毎度わかりやすい貴重なお話、有り難うございました。原始仏教から、その流れたるチベット仏教を八大仏塔を(これはチベット圏内のどこの建立仏塔ですか?)挙げての解説♪今春ブッダガヤへ出向き八つのうち、まず1つを見た拙として、とても興味深くお話聞けました。(聞き入りすぎて大事な8つの業績地のppの画面を写メしそびれてしまいました。泣)

ですが、やはりこの手のジャンルの講演は、タダ(間口広く)にしてしまうと、おっかなびっくりなことがおこりますね。『見境のない』とは、まさにこういうことだわ。と、つくづく思いました。

機会あらば、お聞きしたいこと等(浮上しましたら)またメールさせて下さい♪宜しくです。(礼)
また、どこかで先生のお話、お聞きできることを楽しみにしておりまぁす。
では、長々と(礼)失礼致します。
             
随喜ってすばらしい。
こちらこそ、ありがとうございます。

 公空間でのふるまい方、講師に対する姿勢、学ぶ・研究するということはどういうことか、などは本来個々の人間が成長する過程で身につけていくもの。 それもできないのは、やっぱ戦後の家庭とか学校での教育にいろいろ足りないものがあったのでしょうね。

 公教育を無料化するなら、生徒に対して「学ぶということはどういうことのなのか」という概念をきちんともたせ、学ぶ動機を自覚させ、講師に対してもしかるべき態度をすること、という最低のマナーをまず身につけさせてからやっててほしい。
 
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| | 2009/11/30(月) 01:28 [EDIT]
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| | 2009/11/30(月) 08:25 [EDIT]
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