白雪姫と七人の小坊主達
なまあたたかいフリチベ日記
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DATE: 2010/06/27(日)   CATEGORY: 未分類
ウツの処方箋は人を思いやること(後半)
〔直前のエントリーの続きです。〕ここで、午後の講演についてメモに基づいて再構成。とくにウツに苦しんでいるアナタ! 必見です。

幸せの本質 共生と共存の未来に向かって

 20世紀は物質的発展の世紀であった。技術によって肉体的な苦しみはずいぶん軽減された。しかし、心はどうだうろか。私には億万長者の友人がいるが、心は不安定であり、いつも不幸である。20世紀は肉体の苦しみを取り除いても、心の苦しみは取り除けないことが分かった時代ではないか。

 私は楽観主義者である。21世紀はきっと社会は平和となり建設的な時代となるであろう。
 心が平安であると健康であり、家庭も平和になり、ひいては社会も平和となる。愛情と慈悲が大切なのものであり、ウソや喧嘩から何もいいものが生まれないのは明らかである。

 世の中には愛を説くのに3つグループがある。
 一つ目は神を設定し、それを信じる宗教がとく愛であり、
 二つ目は神を設定しない、たとえば仏教のような宗教が説く慈悲である。仏教の因果の法に基づけば、悪いことをすれば、悪い結果を受けなければいけないし、善いことをすれば善い結果がでると考えるので、みな他人を思いやるようになる。
 三つ目は世俗的な倫理感から説かれる愛である。

 この講演では〔多くの人に他者を思いやることの重要性を知ってもらうために〕宗教の枠にとらわれずに、世俗的な立場から愛を考えるものである。

 あらゆる生き物は母から生まれ、その愛情を受けて育つため、愛情を持っている。科学者は愛情深い人は免疫系が活発に動いており、憎しみ・不安・恐怖の感情の強い人は免疫系が弱いといっている。つまり、宗教でなくとも、健康に幸せに生きるためには愛と思いやりが不可欠であると言っているのである。

 このように〔宗教ではなく〕世俗の倫理においても愛が必要であるというのは、何も最近に始まった話ではなく、インドの伝統的な考え方の中にもある。順世外道と呼ばれる一派は「宗教を信じるか否かは自由である。愛は宗教でなくとも生き物にとって必要不可欠なものである」と説いている。

 ほ乳類は母親の乳を飲んで育つし、鳥だって雛は親鳥に大切に世話されて大きくなる。愛は生き物に不可欠なものである。

 しかし、特定の対象に執着する偏った愛はいかん。自分に良くしているくれる人に執着し、自分に害をなす人を憎むのは偏った感情である。自分にどうこうするみたいなものを超越して偏りのない愛(無縁の大悲)が必要なのである。そして、このような愛を持つためには智慧が必要である。かりに自分に害をなす人がいたとしても、それは自分と同じ苦しみを嫌い、安楽を求める一人の人がいるだけであると思えば、そんなに腹も立つまい。

 偏見のない愛情の種は母親が子供を思う気持ちである。すべての生物にはこの心が備わっているのである。

 昔は私の国、私の民族、私の宗教という考え方が強かったが、今は世界は互いに密接に絡んでおり、経済も環境もすべて相互依存状態である。自分のことだけいってはいられない。私と彼の間に線引きを行っていては地球が滅びてしまう。地球規模の責任感を感じなければならない。

 今の人は自分のことばかり考え続ける結果、ささいな問題に耐えられない小さな人になっている。他者のためを考えるようになれば、たとえ大きな問題がふりかかろうともそれを乗り越えられる強さが生まれる。問題を受容できる強さが生まれる※(このあたり、法王が来日直後に、日本の若者の引きこもりや自殺の多さについて意見を求められて、英語を学んで世界にでよ、そしてあなたたちの能力を世界中で生かしなさい、とおっしゃったこととリンクしている。今の若者は誰かにエゴを撫でて甘やかされることばかり期待して、結果ウツになっている。人の役に立てた、という考え方が自分に誇りと強さをもたらすと法王様は言うてはるわけ)。

 健康な体には健康な精神が宿るのだ。

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質疑応答

(1) 
問「本日のテクストである『縁起賛(善説心髄)』のルン(テクストを読む口頭の祝福)を下さい」
  DL「花がその色や形によってあるように、その色や形を離れて花の本質を探してみてもそれはどこにもない。「私」を分析してみても、この肉体と精神を離れたところに「私」を探してみてもどこにもない。それが縁起の意味である」※(ちなみに、法王が実際に行ったのはルンでなくティー(導き))
(2) 
 問い「猊下は日本を何度も訪れていると思いますが、日本人はここン十年でどう変化しましたか」
 DL「私はたまーに訪れて短期間滞在するだけです。日本人の方々自身の方がその変化に詳しいでしょう」(笑)
(3) 
問い「大学で仏教を学んでいますが、仏教徒の自覚を持つにはどうしたらいいでしょうか」
 DL「覚りの境地に至るには天文学的な時間(三阿僧祇劫)がかかる。仏の境地に達するのはとても難しいこと。お経を唱えるだけではだめ。その意味を考えなさい。勉強しなさい。そして、その内容を心を安定させる瞑想(止)と分析的瞑想(観)によって身につけなさい」
(4) 
問い「次のダライ・ラマは誰が指名するのか。パンチェンラマについて手を打たなくていいのか」※(この質問政治好きな人のテンプレ質問 笑)
 DL「転生者は伝統に則って決める。制度としてのダライ・ラマが存続するか否かはチベット人が望むか否かにかかっている」
(5) 
問い「親がいない、虐待などで愛情を受けずに育ってしまった場合は、愛がない人に育ってしまったらどうしたらいいのか」
 DL「そうなってしまったものが、すぐに変わるのはムリです。当事者が愛情を少しずつ心になじましていくしかないね。」
(6) 
問い「結婚を控えています。執着はいけないとのことですが、執着せずに愛情を持つにはどうしたらいいでしょうか」(会場祝福ムードの拍手)
 DL「相手の長所や美点を見いだして、それを尊敬することです。ただ好きだからといってすぐに飛びついて結婚するのはいけません」
(7)
問い「日本に住むアメリカ人です。私はキリスト教で育ちました。でも日本にきて仏教も素晴らしいと思います。でもキリスト様に対して申し訳ない気持ちがします。どうしたらいいでしょうか」
 DL「どのような宗教も愛や思いやりや忍耐の素晴らしさを説き、それを身につけるよう説きます。そのような共通部分の修業を行いなさい。しかし、中・上級レヴェルになるとキリストの教えと仏教の教えには矛盾するものもあるので、それから先はキリスト教の教えに従いなさい」
(8)
問い「科学者です。思いやりを動機に行動しても実際には失敗することが多い。どうたらいいでしょう」
 DL「教師や医者なら今の仕事で他人のために行動していればいい。自然を観察する科学者であれば、精神の成長というものは徐々に訪れるもの。赤ん坊も一夜にして大人にはならない。花が咲くにも時間はかかる。何年も前と比べたら、今は善くなっているというちよっとの発展でもいい。とにかく思いやりの心育んでいきなさい」
(9) 
問い「法王に質問します最高ですかー? 釈迦が説いたのはそのままで人はサイコーだということです」(法の華だよ 笑)
 DL「この講演がおわって身体検査するまでは最高の状態かどうかは分からないね。今感じている幸せは、長い目でみたら幸せなことではない。※〔永続する幸せは精神を利他の心のなじますことによってしか生まれない〕」
(10)
問い「自己否定感が強く、子供を持つ気になれません。こういう考え方は改めなければならないのでしょうが、どうしたらいいでしょうか」
 DL「心の基礎が不安定なら何をやっても不安になり、ささいなことで動揺することになる。他の人の役に立つことによって、正直に生きることによって、時針が生まれ、心の安定が生まれる。」※印(ウツっぽい人のテンプレ質問。つか、法王の講演聞いてたらこの質問はでないはず。)

(11)
問い「今回のテクストの作者であるツォンカパが法王にとってどういう方か教えてください」
 DL「ツォンカパはお釈迦様の教えを解説したものだ。お釈迦様の教えはインドの賢者によって解説され、そしてツォンカパによって解説された。インドの賢者たちの著作は日本語があるはずだ。それを読みなさい」
(12)
問い「心の本質である光明は物質のもつエネルギーと同じですか」
 DL「光明の心は愛である。これはエネルギーではあるが、物質のもつエネルギーとは異なるレベルのものである。」
(13)アングロ・サクソン系の男性
問い「法王は子牛の肉をたしなむとのことですが、世界の指導者が子牛を痛めつけて食べるというのはいかがなものか」※(この質問はサヨクのダライ・ラマの金時計批判と並んで、西洋人の批判者のテンプレ質問)
 DL「チベットは標高が高く野菜が生育しない。昔から肉を食べ続けていた。1965-1967年まで二年間菜食主義になったが胆嚢を病んで、2008年には胆嚢をとった。※〔つまりチベット人の体は菜食に向かない。〕戒律でも僧侶は人に食べ物を布施されて生きているので、選り好みをしてはいけないことから、肉食を禁じてはない。しかし、インドにある難民社会では〔野菜がとれるので〕菜食をしている僧院もあるし、養豚場、養鶏場もない。」※(うーん、クレバーな答えだ)
(14)
問い「この前美術館でチベットの素晴らしい工芸品をたくさんみました。そして男女が合体したパワフルな仏をみたが、あのような表現について教えてほしい」※(これは密教に隠微なものをもとたいオジサンたちのテンプレ質問)
 DL「匠の技だ。full stop!」(爆笑)
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COMMENT

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● 普遍の愛
Susumu | URL | 2010/06/27(日) 12:39 [EDIT]
 特定の対象に執着する偏った愛はいかん。自分に良くしているくれる人に執着し、自分に害をなす人を憎むのは偏った感情である。自分にどうこうするみたいなものを超越して偏りのない愛(無縁の大悲)が必要なのである。そして、このような愛を持つためには智慧が必要である。かりに自分に害をなす人がいたとしても、それは自分と同じ苦しみを嫌い、安楽を求める一人の人がいるだけであると思えば、そんなに腹も立つまい。

というところ、僕の理想とするところです。
ジョッっギングをしていると、それに近い気持ちになってくるんです。
僕をペテンにかけた、策略好きの同僚でさえ、許してあげたい気持ちになってきます。
走っている間の無我の境地というものでしょうか。

常時、子お境地にいられるといいのですが、まだまだです。


Hisano | URL | 2010/06/28(月) 14:44 [EDIT]
横浜講演のまとめを掲載して下さってありがとうございます。
聞いているつもりで、抜け落ちていた部分がありましたので、大変有りがたいです。
毎回、思うのですが、会場の方達からの質疑応答に的確にお答えになられるダライ・ラマ法王を拝見するたびに、法王さまの凄さを痛感い致します。
7月2日のチベット・ハウス主催の先生の講演も楽しみにしています。
● 行きたかったけど・・・
モモ@八尾 | URL | 2010/06/28(月) 16:59 [EDIT]
鬱病は脳の代謝機能不全の問題だから
一概に心の弱い人間がかかるもの、ではないですが、
「ACだ」「鬱病だ」とダラダラ休んでばかりの人は
幼少期の問題やDV、ストレスなどではないですね。
鬱病の名を借りたいいわけ鬱病です。
この問答を読む限りは、法王の懐はドラえもんのポケットより
広いということでしょうか。そして理知的。ブラボー!です。
胆嚢炎にかかられたなんて、お気の毒なことです。
地獄の治療ですよ、胆嚢摘出手術は。
麻酔は痛みで覚めて、1日寝て過ごしたら2日目からリハビリ。
トイレも一人で行かされる。4日目くらいから楽になりましたが、
法王が罹られた頃は医療が今ほどは進んでなかったはず。
大変だったと思われます。
何度もナースコール押して痛み止め要求した自分が恥かしい。
私も英語勉強しよう!
● 出会い
yoco | URL | 2010/06/29(火) 11:55 [EDIT]
本当に、何とか余裕を作り出して自分以下の境遇の人を訪れて力になれた時ほど、生き甲斐を感じられることはありません。
競争による弱者排除が、世界を貧しくしてしまいます。
景気が悪くなるのは、そのせいでしょう。
強者礼賛ではなく、下を見る教育をするべきだと思います。
私たちのいのちが試されているのは、慈愛を持ち続けられるかどうかなのですよね。
弱者をあざけり勝ち誇る強さではなく、法王やマザーテレサのような強さを育てる社会システムが望まれます。

合掌

シラユキ | URL | 2010/07/03(土) 11:19 [EDIT]
>susumu先生
私が職場に入っていろいろあった時、意味不明な人々の中で、唯一私の理解できる言葉で話しをしてくれた方が先生でした。先生は十分人格者だと思います。

>Hisanoさん
私も毎回法王の質問者のさばき方には本当に感服しています。失礼な人に対しても、見当違いの人に対しても、無知な人に対しても、とにかく答えちゃう。その姿に自分の小ささを感じています。

>モモさん
法王は来日の際に「自分は胆嚢のない観音菩薩」とジョークをいってました。

>yocoさん
人のお役にたてた時、じつは自分も救われているんですよね。自分がつらい時、まわりも同じように苦しめてやる、と思う人は、他人も苦しめるけど、自分が一番苦しんでいて、しかも、それは永遠に救われない・・・

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